乱世に必要なのは慰安婦 [無断転載禁止]©2ch.net
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で >>666 の41連隊の面々の行動について663 →死刑_恥ずべき事として敵からのプレッシャーにより自らの兵器を棄て去った →死刑_敵前で臆病を示すような振る舞いを行った →死刑_意図的に権威の反抗を示すような形で上官から個人的に与えられた合法的な命令に背いた →死刑_軍から逃亡、または逃亡しようとした http://www.longlongtrail.co.uk/soldiers/a-soldiers-life-1914-1918/military-crimes-1914-1918-british-army/ まあ日本軍について否定的な牛畜生さんの事だ 、確実に41連隊の何人かは処刑されないといかん訳だが、これについて反論出来ます? >667 >「自らの上官を打った」も、わしん親族の人らは、殴ったり、道具で叩いた >程度じゃし、ほとんど該当せんのう。 Strike、って叩く意味があるんだけど… (死刑_自らの上官を打った、の原文はDeath_Striking his superior officer) さっさとブチ殺して良いよね?十分合理的だよね? 弾が勿体ないから、銃殺じゃなくてバット使った撲殺にした方がもっと合理的か Part of a TEAM! そして牛田シニアは叩きになる訳な wwww https://www.youtube.com/watch?v=QHH9EYZHoVU >>668 つまらんのんは、マイドリネトウヨ君共通パターンのWiki貼り付けで、引用著書すら 読まずっと、カバチ垂れよるもんよのう。 >>669-671 行軍登山訓練サボった程度で、平地り少ない土砂災害でも山がずえる(崩れる)土地柄の 兵が、まさか平野の多いい関東地方兵たぁ劣るわけも無ぁわのう。 ニューギニアのサラワケット山越えでも、関東の宇都宮51D配属の広島5D島根県の 浜田21iの3Bnも、宇都宮51D中野師団長から「君等の部隊は実に羨ましい。…全員 あの難行軍を武器を捨てずに持っている」と激賞された。 北関東の宇都宮師団将兵は「難行軍に小銃すら携行する兵は稀であった。」 まあ、北関東の宇都宮師団(群馬、栃木、茨城将兵)も、海軍陸戦隊たぁ、ましな 程度じゃが、山越え行軍に苦しいけぇ背負い袋から身を守るべき小銃すら捨てて 仕舞う。小銃も天皇陛下から、預かったもんで捨てるんなら死ねと日本帝国は 教育したけど、広島師団は、天皇権威たぁ、自らの身を守る装備こそ命を救う 教育したけぇのう。 「→死刑_恥ずべき事として敵からのプレッシャーにより自らの兵器を棄て去った 」 云うても、平野の多いい関東地方兵にゃ無理じゃし、広い土地柄の欧米のほとんどの 将兵も小銃すら捨てようで。彼等欧米人は平坦トラック向きで、山岳戦は体力的にも 難儀なけぇのう。 >>669-671 >>672 の広島5Dから派遣された浜田21i3Bnを激賞した宇都宮51D中野師団長からは 賞詞を貰うた。 「 賞 詞 歩兵第二十一聯隊第三大隊 「(中略)歴戦ノ戦闘部隊トシテ特ニ欲セザル任務ニモカカワラズ、一糸乱レヌ 統率ノモト大隊長以下栄養失調ニ犯サレタル全将兵一丸トナリテ背負袋ヲ担イ、 悪路ノ敵中ヲ突破大任ヲ果シ、危急ノ戦局ヲ有利ニ導キタリ。コレ偏エニ光輝アル 歴史ヲ有スル百戦錬磨困苦欠乏ニ耐エ抜ク伝統ノシカシムルトコロニシテ、オヨソ 長途ノ行軍ニオイテ体力ヲ消耗シ尽キタ部隊トハ想像ダニデキズ、ソノ行動タルヤ 真ニ犠牲的精神ニ他 ナラズ(中略)貴隊ノ行動コソ将ニ大隊長以下全員ヲ似ッテ 之ヲ立証 シタルモノニシテ我ガ師団将兵ノ範トスルニ足ル。 昭和十八年五月三十日 第五十一師団長 陸軍中将 中野英光」 中国地方山岳兵ならではよのう。宇都宮師団将兵の背負い袋も捨て小銃すら捨てたり、 途中自決自殺者も大勢出したゆえ、浜田聨隊の小銃も捨てず、難行軍に耐えたこたぁ、 想像だに出来ず、我が宇都宮師団の将兵の模範にも成ると、誉めてじゃが、 関東地方兵にゃ育った土地柄から難しいじゃろうて。苦しさから「もはやこれまで。 潔く自決散華の散り際よ」を選ぶじゃろうし、浜田聨隊将兵が広島師団共通の 「死中に活」のしぶとい精神との違いよのう。 >>670 牛先生は、過去に大砲のホラ話で機械に疎いのが判明してるでな。 軍事板の大砲スレにまで質問しに行ったけど、相変わらずの態度で 間違いを認めないので、スレ民に無視されちゃって逆ギレしてたような(笑) 吐いた唾呑んで話逸らす白馬青牛さん平常運転ですな まあ今更なんだが、証明、証拠は公刊史やWIKIや外国の戦記は信用できないと白馬青牛自身が豪語してましたから仕方ないですな 吐いた唾呑むたぁ、白馬青牛用語じゃのう。 >>674 機会に疎いんは自ら云うとろう。スマホじゃの携帯じゃの使えん云うてのう。 まあこれからかなあ… >>672 >ニューギニアのサラワケット山越えでも、関東の宇都宮51D配属の広島5D島根県の >浜田21iの3Bnも、宇都宮51D中野師団長から「君等の部隊は実に羨ましい。…全員 >あの難行軍を武器を捨てずに持っている」と激賞された。 最初にだが、第51連隊の場合は連隊砲捨てるべきだったろうよ。サラワケット山越えの際は …41g連隊はサッサと 捨 て て 逃げ去ったよね? その事に関する回答を得てない訳だが、今度は1943年のコピペ、を貼りたい訳か、牛畜生脳さんは。 つくづく、鎮火に逆効果のネタを投入するボケナスなんだな…まあ畜生やから、言ったらそこまでだがw >云うても、平野の多いい関東地方兵にゃ無理じゃし、広い土地柄の欧米のほとんどの >将兵も小銃すら捨てようで。彼等欧米人は平坦トラック向きで、山岳戦は体力的にも >難儀なけぇのう。 平坦トラックって何すか、TruckオアTrack?後者にしてもねえ… サラワケット以前の戦闘、例えばナザブ上陸戦で機銃陣地に手榴弾二発放り込んだのちにブレンガン 撃ちまくって無力化し、銃撃受けつつも負傷した分隊長を連れ戻したケリハー二等兵(ヴィクトリア十字章) https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Kelliher まあ他にもイスラバの戦いで死すもブレンガン撃ちまくって日本軍を後退させた、キングズブリー(同VC) https://en.wikipedia.org/wiki/Bruce_Kingsbury フィンシュハーフェンの戦いで、機銃座7個を手榴弾とライフル狙撃で壊滅させたデリック少尉(またVC略) https://en.wikipedia.org/wiki/Tom_Derrick とか中東戦も経験した兵士/将校が豪州にもいた。まあそのような言わばエース級の素材はどの国にもいるものだが 彼らの場合は一つの特徴があって…大抵が10-20代の頃にスワッグマンと呼ばれる放浪生活を送っている。 https://eow.alc.co.jp/search?q=swagman& ;ref=wl >〈豪〉路上生活者、渡り労働者 https://en.wikipedia.org/wiki/Swagman まあそれはWikiに詳しい訳だが、要はこれら豪州兵の若い頃は丁度1929年から始まる世界恐慌と重なっていた。 都市部に仕事などろくにない訳で、広大なブッシュに点在する牧場などに仕事を求めるしかなかった …勿論、アメリカじゃないんだし自動車なんてガソリン消費する移動手段など持ってる訳がなく、馬なんてのも ないので、歩いて職を求めるしかなかったんだな。 さて歩く事に関して、Hiroshima出身の兵隊ってそんなに優位性持ってたと考えてるの? えっと山岳になると違ってくるんだっけ…迷子になり易いの?出来損ないの41st部隊がそうだったようにねwww >>673 >浜田聨隊の小銃も捨てず、難行軍に耐えたこたぁ あ、小銃はすてなかたの?えらいでちゅねえ…大砲等は数の内に入らんようだがw >>669-671 豪州将校らもマレー・シンガポール席捲した広島5Dのこたぁ知っとったし、 豪州の8Dがやられたことも名が知られた要因の一つじゃろう。 福山41iが七門の砲?そがぁにゃ持っとらんよ。 福山41iはニューギニアで、 {41式山砲一門、弾薬 60発}{94式37ミリ砲一門、弾薬 150発}のみじゃった けぇのう。 >>674 大砲のホラ話なんかしとらんが、軍板スレのやりとり提示してみんさいや。 パプアニューギニア原住民のパプア族がどがぁな戦いするんなら。 >>675 戦果においては、「どの国も同じように景気のいい数字を列べるが、どう計算しても 上記(武器装備、兵員数)の数字に合わないのは残念である。」と、公刊戦史じゃのは、 どこの国でも昔から合戦物語の踏襲様式ゆえ、大ボラこき、ラッパ吹きの ファンタジーに成るけぇのう。しかも軍の上層部が執筆するんじゃけえ、リアルな 兵隊目線と違うんよ。 >>677 41g聨隊たぁ何なら? 福山41iが自分の身を守る小銃なんか捨てるわきゃあるまあが。 トラックたぁ、われん云う後者の方よ。平野、都市部に育ったスポーツ万能選手も、 登山行軍じゃアゴ出して倒れとる方じゃが、普段の生活で山道を荷物担いで 登り下りしよったもんは、アゴ出さんし、平気でこなすけぇのう。兵隊と成り 背負い袋に小銃の重さも日常の事と一緒じゃけぇ。砲兵なんか特に分解、運搬とかも 山育ちの体力があるもんに向くけぇのう。 重量基礎体力に弱い近畿兵団じゃが、丹波篠山聨隊は鍛えられとったけぇのう。 盃山登山に丹波の山育ちのもんは重量基礎体力を兵隊に成る前から保持しとったが、 「しかし弱兵や、大阪、神戸などの都市部の兵には耐え難い苦行で、後ろから竹刀を 振るって追いたてる助手たちに怒鳴られながらも倒れる者が続出した。しかし段々と 体力がつき、皆んな完走できるようになり、七時の朝食に全員の顔が揃うように なった。」 >>677 わしん祖父が、仲がええ戦友と共に登山行軍での登り途中外れて、戦友と共に呑気に 横ん成ってタバコ吸いよって、下山する者らに混じるも軍隊営庭生活の機転 要領じゃし、真面目に登山行軍しよる兵隊も見て見ぬフリをしてくれるくらいの人望も 必要なんじゃが、途中まで倒れん体力もあったし、監視しよる古参は倒れとる兵を 体罰することに熱中しよるけぇ、隙ありでサボるよ。 関東地方兵の行軍ならほとんど弱い途中倒れる連中ばっかしじゃし、広島聨隊の 行軍訓練じゃの無理じゃのう。 ほいから、韓国ドラマ視よったら、兵役の訓練で、先輩古参兵が、 背負い袋に新聞紙のかたまりで重量を軽うサシクリ駆け足しよって、新兵は真面目に 装備通りの重い荷物の背負い袋でバテよったんじゃが、これも要領よのう。 営庭訓練から機転が利き要領のええ兵隊は、戦場でもええ兵隊に成って敵さんとも 戦闘駆け引きも上手に成るが真面目に任務遂行型の者は、戦場でも機転が利かんで 敵さんの術中にやられる頑迷さくらいしか持ち合わせとらんけぇのう。 ほいから、広島県の優秀最前線将兵は上官に逆らう不服従精神の強い、産地なら ヤクザ任侠業界輩出地域と重なるよ。他板過去スレでもそう云う地域は将兵の 出身地として云うたし、このスレの広島県の任侠産地地域も当然該当しとるよ。 >>677 宇都宮51Dに派遣された島根の浜田聨隊第三大隊も兵員数合計75名で、歩兵部隊 ばっかしで各中隊も定員にほど遠いいし、一小隊40名で一中隊200名ゆえ、 浜田聨隊派遣の75名は、2 個小隊程度で歩兵砲すら派遣増援じゃのしとらんよ。 聨隊本部の警備の中から軍の要請で各中隊から一桁数や二桁のや多いい派遣も 十数名じゃし、最初は糧秣搬送任務の浜田聨隊派遣からじゃが、宇都宮51D将兵に 陣地構築や戦闘指導も任されるように成ったけぇのう。 ほいで実戦戦場で中国軍から学んだ爆破寸前の手榴弾投下返しの機敏な神業や、 広島師団伝統の接近白兵戦闘で米豪軍撃退し、豪州兵に接近格闘で押し倒され 討ち取られよる体格に怯む関東地方兵団に模範を示したし、サラワケット 山越え でも小銃捨てず、日本最強師団のレベルの模範を示したわけじゃし。 >>>679 パプア族は、兵隊にほとんどおらん現地生活民じゃったけぇ、分からんよ。 >>681 グルカは山岳体力から、白兵戦に至るまで勇猛で鳴らしたけぇのう。 >>678 >豪州将校らもマレー・シンガポール席捲した広島5Dのこたぁ知っとったし、 >豪州の8Dがやられたことも名が知られた要因の一つじゃろう。 ナニを知ったのか、是非とも書いてみて なんのシッタカ、て所かな?w > 福山41iはニューギニアで、41式山砲一門、弾薬 60発}{94式37ミリ砲一門、弾薬 >150発}のみじゃったけぇのう。 何処の記述か出してみて? 何て言うか、ソース書かないよね?モウ田さんは。あいまいにしたがる習性があるの?w >680 >41g聨隊たぁ何なら? 福山41iが自分の身を守る小銃なんか捨てるわきゃあるまあが。 あ、41gu連隊ね?一つ文字が欠けててすまんねw で、米豪軍の自動小銃に対し旧式の三八式歩兵銃など戦力的には殆ど無力 、じゃないの?某小岩井光夫少佐、によればさ。上の41グ連隊の人だったかとw https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B2%A9%E4%BA%95%E5%85%89%E5%A4%AB#cite_ref-2 >どんなにふらふら歩いている兵隊も決して小銃を肩からはなさなかった。これは軍隊教育が徹底している証左だ。 >みだりに兵器を放棄すれば当然懲罰を受けなければならないことを、兵隊たちは骨の髄までも教えこまれているのである。 >「銃は捨てろ!」 >しかし当惑した兵隊は、訴えるような眼差しでチラリと私を見るが、小銃はやっぱり手からはなそうとしない。 >「おれは四一の小岩井少佐だ。銃はおれが預かってやる」私はむりやりに兵隊から小銃を奪った。そして >「もし中隊長が銃のことをきいたら、銃は小岩井少佐が責任をもって預かったと答えよ」といいきかせた。 >この日だけでも、このようにして私が手ずから小銃を処置してやった兵隊は十人と下らなかった 何か言いたい事ある? あ、こう言う利敵行為者アは銃殺!サッサと銃殺!ならいい鴨w >登山行軍じゃアゴ出して倒れとる方じゃが、普段の生活で山道を荷物担いで >登り下りしよったもんは、 迷子になったりしないですよね?自称でなく、ホントウニそんな事を常日頃ナサッてたのなら。 で今度は何の話を始めたのかな…走馬灯グルグル回ってる状態かね どうせなら、丹波でなく、キムチくさい半島の野砲兵第二十六聯隊の話でもしたら? チゲって食べ物?いや違うか、それ使って近くの山を山砲担いで超えてみたり、パラオについても ↑とリヤカーを使えばどれくらいの速度で行軍できるか測ってみたり(平地だが時速2km)、それより リヤカーが損傷しやすく戦場では使い物にならない事を痛感したりと、色々為になる経験を語れる筈よ? マラリアの危険性とか一定の予防法(地面で寝ないよう床のある所で寝たりとか)、前もって準備出来る話とかも 出来たかな?ドコゾのグ連隊じゃなくてさw >>682 >わしん祖父が、仲がええ戦友と共に登山行軍での登り途中外れて、戦友と共に呑気に >横ん成ってタバコ吸いよって、下山する者らに混じるも軍隊営庭生活の機転 >要領じゃし、真面目に登山行軍しよる兵隊も見て見ぬフリをしてくれるくらいの人望も >必要なんじゃが、 そんなもんは只の 手 抜 き だろ? 別に戦争は日本国内でやってる訳でもないんだが、そこでも牛歩一族は怠けてるとか …人望とか言う言葉を使うなよ、牛 畜 生 なんだからさw >監視しよる古参は倒れとる兵を体罰することに熱中しよるけぇ、隙ありでサボるよ。 古参と言ってみた所で大した戦争経験ないことは、まあ第一次世界大戦の消耗戦 戦ってないから自明ではあるんだが、上のレスでも出した野砲兵第二十六聯隊の ナメてない面々のようにちゃんと準備もせずに >、敵の食糧を奪えばいい、と各自に分配された米の半分ぐらいを船に残 して戦闘に参加するからどこ行ってるか分からなっちゃったり汚染された食料に 拘ったり勝手に独断専行して逃げ帰ったり、あと大砲やら(大隊砲、でなく山砲モ?w) キュー式の三八式捨てちゃったりするの? ねえ、どうなのよ?牛だ畜生さん。 >営庭訓練から機転が利き要領のええ兵隊は、戦場でもええ兵隊に成って敵さんとも >戦闘駆け引きも上手に成るが真面目に任務遂行型の者は、戦場でも機転が利かんで さっさと銃殺した方が良くねえか?ココダでの出来事見るに、全くもって使い物にならん ゴ ミ ですわ。 >、広島県の優秀最前線将兵は上官に逆らう不服従精神の強い、産地なら >ヤクザ任侠業界輩出地域と重なるよ。他板過去スレでもそう云う地域は将兵の >出身地として云うたし、このスレの広島県の任侠産地地域も当然該当しとるよ。 任侠なんて虚業も良い所の、所詮都市部の人間なんて、あんまり選べない自然環境で 戦わなきゃならん兵士には一番向かないと思うの。 所詮は、に、NINKYO、その人間関係の事柄でしか 吠 え ら れ な い ものね(モーw >>683 >ほいで実戦戦場で中国軍から学んだ爆破寸前の手榴弾投下返しの機敏な神業や、 >広島師団伝統の接近白兵戦闘で米豪軍撃退し、 馬鹿? 結局追い散らされて…えっと最後何人になったのそれ。 戦争が所詮消耗戦だってこと、お前は理解しとらんのかなぁ あ、NINKYO語り出す牛畜生にゃ、理解困難いや不可能な事だったかw 1943年は、サラワケット山系を越えてみた所で米豪軍はその先の フィンシハーフェンの戦いをすでに準備していた…そろそろ豪州らしい 戦いと言うか、戦車がこの戦場に登場しつつあって、ベトナム戦争の時、 あるいはマレー作戦での島田戦車隊同様、無力な歩兵相手に 猛威を振るうようになるが、>>517 のインパールの所でも広島師団なら 状況は全く違った、とか書いてたよな …ニューギニアで、広島の将兵なんて役に立ったの? https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Finschhafen https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Sattelberg 具体的な成果とか書いてみて? あ、それとも、消耗しちゃって云々の泣き言を法螺の間に語りだすかな?w シェルパのグルカ兵が強いけぇ、日本の歩荷も白兵戦に強いんか。 丹波篠山兵は山でイノシシを捕り生活しよる故じゃのう。 神戸でも山の街ゆえ坂が多いいわけで、六甲山兵はおらんのか。 >>684 マレー・シンガポール戦後の豪北諸島でも、「あの山の向こうには第五師団がおる」 云うたら、豪州の連中は怖れたけぇのう。 ニューギニアの福山連隊の編成の人数から砲、弾薬数まで「広島師団史」に 出とるよ。 ほいで小岩井氏は陸士出で佐官以上の神輿階級の「良きに計らえ」の人で。 当時、天皇から預かった銃を聨隊指揮官が兵に捨てさせるじゃの重犯罪の 軍法会議もんよ。戦後も生きた小岩井氏が兵を粗末にした責任言い訳の為に 云うたんじゃろう。米豪軍の自動小銃に旧式が無力じゃの無ぁし、距離詰めたら ええ戦術的なことを最前線の実戦も知らんで後方司令部で地図眺めよるか後方から 他人事のように観戦する立場の部外者の神輿の小岩井氏が判断することでも無ぁわ。 しかも他部隊の銃捨てて、ヨタヨタしては倒れる南方戦線の通例を福山連隊に 不名誉押し付ける小岩井氏の神経もどうかしとろう。 実際、宇都宮51Dに派遣された広島5Dの浜田聨隊は、数十倍の米豪軍を陣前に 引きつけ一斉射撃で撃退し、北関東の宇都宮師団兵らにも広島師団方式を 教えとんで。まあ、宇都宮51D師団長の中野氏は、運搬搬送派遣の浜田聨隊将兵の 体力と機敏な行動から、戦闘の最前線に起用する見る目があったが、 福山連隊は、神輿の上層指揮官や格下の高知連隊の指揮官らも福山連隊の歴戦の 武勲無視の扱いされた悲劇でもあるんよ。昭和16年頃から郷土部隊解体化の 日本国軍強調が、武勲実績無視の傾向に繋がったけぇのう。 >>685-686 その手抜きすら、平野部育ちのもんは出来んけぇのう。背負い袋重量駆け足登山行軍に 倒れ竹刀や軍刀の鞘でダウンし横たわったんを体罰されよんじゃけぇ。弱兵虐め熱中の 隙に隊列から自己判断落伍で休憩し帰路部隊合流こそ軍隊の要領に合わせとんじゃし。 小岩井の大法螺言い訳に頼ってもつまらんよ。旧式銃で戦うた将兵が銃捨てたら 敵さんに全面降伏同然じゃし、防衛本能からも歴戦部隊じゃやらんよ。 任侠が都市部云うて、広島県は都市部の周りは山だらけで。都会兵概念なら 戦前六大都市の東から東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸で、九州北部の 菊門オカマ久留米師団からしたら、奈良県すら都会兵で博多や八幡、小倉の 田舎兵概念で現在なら、福岡市、北九州市は田舎で奈良市は都会なんか 云うことんなるけぇのう。都会兵、田舎兵にゃ日本の中央地域、地方地域の 違いも含むわけじゃし。 まあ、広島県じゃ、広島市、呉市、旧安芸郡、佐伯郡、賀茂郡や備後の三原とか 県南じゃが県北、芸北山県郡も広島聨隊だけじゃのう、島根浜田聨隊入隊組含め 強兵の産地よのう。それらの中でも任侠業界排出地域兵は強いよ。 島田戦車隊の茶釜と一緒んすなや。島田戦車隊は具体的な武勲書けんけぇ、 シンガポールにも「堂々と入城」と抽象的な表現しか出来んのよ。 >>689 山岳育ちは重量背負う基礎体力があるし、一般的に接近の射撃や斬り込み白兵戦は、 山岳陣地攻城、防御守城戦に多く、野戦は平坦な広い土地の砲撃、射撃火力戦比重が 強いけぇのう。じゃが重量背負い基礎体力の甲種合格率上位独占の東北兵も、 山も高いが平地土地も広い土地柄ゆえ、鈍重でのんびりした性格ゆえ、コンパクトな 土地柄の平地の少ない西日本兵ほどの機敏な行動も出来んし、野戦向きなんよ。 東北、越後の兵が中国南部の機敏な広西軍の夜間奇襲で首切られ守備隊全滅の 失態も、鈍重性ゆえよ。 >>690 鬼の篠山聨隊は、基礎体力の丹波山猿兵に欠ける、沿岸進取の気風を神戸、尼崎の 沿岸沖仲仕気質でカバー出来るけぇのう。バランスが取れとるよ。 神戸の山に近い台地はお金持ち外国人住宅で戦前の神戸金持ち商人は、平地の 客通りの地域に店構えて、自宅も奥に作りよった側じゃけぇ。 >>691 確かに広島師団は逆境奇跡の大逆転戦闘実績じゃけぇ、散り際の滅びの美学の 日本ローカル負け犬根性価値観を超越しとる実質勝利実績。 詳細の資料を求められると一緒くたにして逃げる弱腰青牛(笑) もうホラ吹きっては分かってるけどね なんとか育ちっつうのも大雑把で具体性もない 広島も含めて日本に山岳育ちなんぞは殆どおらんし、体力面においては農業、林業等々肉体労働従事者か、そうでないかの違いしかない 新兵の初期段階でそれが顕著に現れるだけのこと 軍人に必要な体力は健康体なら訓練でなんぼでも作れるし、新兵ちゃんも適応可能で、そのための訓練よ もしも関東歩兵が任務に必要な基礎体力がないとするなら、それは訓練を怠ったからに過ぎない そして余談かも知れないが、白馬青牛の父祖は訓練に脱落したんをカッコつけて誤魔化したんよ 何もわかっとらん 広島名物サシクリよ。広島じゃ、サシクったもん勝ちじゃけぇ。 >>694 おいおい、広島神兵伝説は広島新兵の白馬青牛伝説じゃないのか? ヤクザ上がりの新兵が上官のいびりに対して腹いせに武器庫から 大砲持ち出してきて上官を脅したと語った白馬青牛お得意の伝説だろ? >>695 逃げよんは、トンデモ言い訳の小岩井さんに、小岩井の言い訳を鵜呑みにする 低脳お馬鹿さんじゃけぇ笑うたよ。 火力装備の差で銃を捨てるんなら、火力装備の劣る日本軍がマレー・ シンガポール戦で勝利以前に銃放棄降伏した方が正しかった云うとんと一緒じゃけぇ。 中国軍は装備が日本軍に劣っても長期戦戦い続けたわけで、言い訳の時は 合理主義じゃの日本の上層部らしい言い訳よのう。 鵜呑みに騙される、おどれらも、今なら幼稚な官僚の駄文や隠蔽黒塗りの報告が 正しい云うとる政治屋並みの茶番演じよるんじゃけぇ、爆笑もんよのう。 まあ、おどれら小岩井氏鵜呑みの騙され易いお人好しなんか、思考力ゼロの 低脳なんか、お笑い爆笑モンを真面目に云うとんじゃけぇ可笑しゅうてならんのよ。 公刊お役人黒塗り隠蔽執筆を権威として水戸黄門ドラマの印籠と勘違いしよん じゃけぇ。腹抱えて笑えるネタ提供のサービス精神は認めてあげるけど、 本質は虚言肯定したがるネトウヨ共通パターンじゃけぇ、馬鹿げなよのう。 >>696 われん、具体性も無ぁ、抽象的思い込み感情文じゃ、つまらんよ。 >>697 誰しも解る小岩井氏のサシクリ言い訳も下手過ぎて、小岩井氏が一兵卒なら 要領が悪りいけえ、体罰で各班回され集団暴行されながら謝罪行脚もんで >>698 戦後、瀬戸内の海賊として、任侠右翼として知られるD手氏の広島聨隊での体験談を 大竹海兵団出身の笠原和夫氏が著書に載せたもんじゃのう。 D手氏は、悪兵の道に進んだゆえ、別格扱いゆえ、原爆投下の時も集合サボって、 爆死せずに済んだんよ。広島聨隊名物の毎年悪兵輩出の伝統を守った人じゃった けぇのう。弾薬庫から装備で上官、古参対抗じゃの当たり前過ぎる。 D手氏以上のぶちキレるもんなら、上官、古参に殴られた怒り以前に権威で 威張った時点で上官、古参らを半殺しにするけぇのう。 ズンダンズンダンズンダンズンダン ズンダンズンダンズンダンズンダン♪×2 スターカラー、ペンダント!カラーチャージ!! ルールッルルー ルッルッ ルールールルルー♪ルールールールールルッルルルー ルールーラララララーラッラッラー ♪ きーらーめーくーほーしーの力でー♪ あこがーれのーわーたーしー描くよー♪ (テットゥッテットゥッテレッテッテッテテ テットゥッテットゥッテレッテッテッテテ♪) トゥインクル トゥインクルプリキュア♪×3 スタートゥインクル スタートゥインクルプリキュアー♪ああ〜♪ 悪兵、反逆、強姦大好き青牛が小説を真に受けて大砲強奪トンデモストーリーを 検証せずに吹いてしまったんだよねえ。 裏を取れずに偏屈な感情論で反発する老害さんは、認知症の診断が必要かもねえ。 >>692 >マレー・シンガポール戦後の豪北諸島でも、「あの山の向こうには第五師団がおる」 >云うたら、豪州の連中は怖れたけぇのう。 ん?何処に書いてあるの?それ …コレ?↓ >ニューギニアの福山連隊の編成の人数から砲、弾薬数まで「広島師団史」に >出とるよ。 →https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=244876913 →陸上自衛隊第13師団広島師団史研究委員会 →昭和44年 大丈夫?これ…ダレに聞いて作ったのかな? 先の小岩井少佐の話だけど、書いてなかったけどソースはこれね→「戦史叢書 南太平洋 陸軍作戦(2)」 君の大っ嫌いなWiki先生によると https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9B%B8 >一般では『公刊戦史』と呼ばれる。冊付録の表記は『大東亜(太平洋)戦争戦史叢書』。刊行の目的としては >「自衛隊教育又は研究の資とすることを主目的とし、兼ねて一般の利用にも配慮した」とされている。 まあ公的な資料ね。 >しかし当惑した兵隊は、訴えるような眼差しでチラリと私を見るが、小銃はやっぱり手からはなそうとしない。 >「おれは四一の小岩井少佐だ。銃はおれが預かってやる」私はむりやりに兵隊から小銃を奪った。 もう一度…何か、言いたい、事、あ・る・の? 火砲の件については、まあWikiでも「大体」あ間違った大隊砲を埋めた、と出ているがこれは誰の大砲なんでしょうか 第二大隊、のじゃなくて144連隊の物なの?↓見ると > 福山41iはニューギニアで、41式山砲一門、弾薬 60発}{94式37ミリ砲一門、弾薬 装備してる筈無いよね? 該当箇所、ぜんぶ書き出してみて? ちょっと検証必要かも知れんから。 …まあS44な「広島師団史」について、 い い 加 減 な事が書かれていたとしても、 誰の、どの腐れ帰還兵ないし将校の根性叩き直したら良いのか分からんけど、それも 必要か知れんから、 存 命 の執筆関係者も、出来れば教えてね?w >>692 で >米豪軍の自動小銃に旧式が無力じゃの無ぁし、距離詰めたら >ええ戦術的なことを最前線の実戦も知らんで後方司令部で地図眺めよるか どんな風に闘ったの? 広島師団”史観”のにほんへー達は。 豪州側の記録 ‘Armies of Empire: The 9th Australian and 50th British Divisions in Battle‘ に出てくる訳だが、お前も前書いた通りパトロール等での遭遇戦がニューギニア戦線では 主体だったと「ジャングル師団」に改変した豪第9師団の将兵が語っている…師団レベルの 攻撃など希であったと。 また中東の砂漠で接したドイツ軍兵と違い、日本はそれほど戦闘巧者でなかったから もっと大胆(take risks that were unacceptable、要は独軍相手では取りえないリスクを取れるw) に行動を取れたらしいな。 各分隊にSMG二丁、小隊なら中機関銃(ビッカースね)4丁、あとライフル手榴弾や5cm迫やら ヤバそうな兵器持って日本軍掃討してたようだけど…中国人の主兵器(手榴弾)なら対処出来た Hiroshimaヤクザ戦法、何処まで対抗できたのかな あ、900gラムだたかな?そんな重さの砲弾打ち出す”戦場の女王”様への対処法も是非とも 教えてくれ…それとも、戦車って敵に回すと何の対応もできなくなっちゃう厄介者だと認めて くれる?英豪印軍は、マレー防衛で嫌と言うほどその事実を突きつけられたようだけどね? ボケナス脳の某師団のメンメンはそうはとらえてなかったかもしれないけどなw >>693 >その手抜きすら、平野部育ちのもんは出来んけぇのう。背負い袋重量駆け足登山行軍に >倒れ竹刀や軍刀の鞘でダウンし横たわったんを体罰されよんじゃけぇ。弱兵虐め熱中の >隙に隊列から自己判断落伍で休憩し帰路部隊合流こそ軍隊の要領に合わせとんじゃし。 ニューギニアとかガダルカナルじゃ丸で役に立たん、こくないの自然のげんじつベースの 話をされてもねえ…蚊に刺された程度で生死さまよったり、変な水飲んで死ぬまで下痢 し続ける事なんて無いでしょ?まあヒルがぼたぼた落っこちて来てイヤな思いする位?w 要領って奴も、何が起きえるか分かってやってるならええんだけど、何だっけ? 相手から食糧ubacchaeっばOKって要領で半分モノ持参せんで戦場に赴いたんだっけ? マジで全員物故ろした方が良くね?まあ逃げ足めっさ早くてそれも無理そうだけど、 これもまた、 要 領 って奴かなぁぁ?www >>694 >山岳育ちは重量背負う基礎体力があるし、一般的に接近の射撃や斬り込み白兵戦は、 >山岳陣地攻城、防御守城戦に多く、 あのお、何時の時代の話でしょ て言うか、どの動画かMovieのおはなしかなあ?w >土地柄の平地の少ない西日本兵ほどの機敏な行動も出来んし、野戦向きなんよ。 妄想は相変わらずのようでw >マレー・シンガポール戦後の豪北諸島でも、「あの山の向こうには第五師団がおる」 >云うたら、 なんて特にそうなんだけど、こう言う敵のいかにもな評価って奴が一番胡散臭い事は 理解してる? 相手が躍起にあるいは怯えて行動した、なんて大抵はその相手側に証拠が残ってなかったり するもんで、大した価値なんて普通はないと分かってるよね? まあこんな感じの例外もいたりするけど、この程度の具体的な評価を出してもらえる? 発言者なんかも含めてねw https://www.ie.emb-japan.go.jp/itpr_ja/00_000112.html >国交樹立後,暫くの間オランダから兼任だった大使館が1964年にダブリンに常駐になってから, >最初の天皇誕生日レセプションで,トム・マリンズという人に会いました。私の方に歩いてきて,彼は言いました。 >「俺は1920年代にコークで英国軍によるIRA(アイルランド共和国軍。現在のいわゆる「IRA暫定派」とは別)の弾圧を指揮していた >パーシバル(注:当時はエセックス連隊第一大隊の中隊長,後に情報将校)を何度も暗殺しようとしたが,成功しなかった。 >ところが20年後にシンガポール陥落で山下奉文中将が彼を捕まえてくれた。 >あんまり嬉しいので(戦時中日本のダブリン領事として駐在していた)別府氏(後に駐ラオス大使)を >囲んでダブリン中のコメを買い集めてお祝いをしたんだ」 シンガポール攻略の話なら、まずはこれかな? >>699 >火力装備の劣る日本軍がマレー・ >シンガポール戦で勝利以前に銃放棄降伏した方が正しかった云うとんと一緒じゃけぇ。 一応ユニバーサル・キャリアはあっても戦車戦力は全くなく、アメリカのダメなビア樽機 (フィンランドでの状況と違い、オーバーヒート等が本当に問題だった)に頼って制空権 失った、単に舐めたのか、あるいは正しくはシンガポールの防御に”ソ連への援助”以下の 優先順位しか与えなかった大英帝国の戦略的杜撰さを理解してる?あるいはパーシヴァルの考えとかw まあマレー領のあっさりした攻略については パーシヴァル自身の戦後の手記 ( https://thewarinmalaya.wordpress.com/ にあり) や彼の過去の経歴を、出来れば英語版のリンク ( https://en.wikipedia.org/wiki/Arthur_Percival ) に目を通しておくべきだと思うがその前に …ジットラ陣地ってどうやって攻略したのかな? で、 >>699 >戦後、瀬戸内の海賊として、任侠右翼として知られるD手氏の >D手氏は、悪兵の道に進んだゆえ、別格扱いゆえ、原爆投下の時も集合サボって、 >爆死せずに済んだんよ。広島聨隊名物の毎年悪兵輩出の伝統を守った人じゃった >けぇのう。弾薬庫から装備で上官、古参対抗じゃの当たり前過ぎる。 これって普通(ふつう)の国じゃ銃殺だよね。 AWOLで肝心な時にいないとなれば敵前逃亡と同意語、それに「弾薬庫から装備で上官、古参対抗」か →死刑_意図的に権威の反抗を示すような形で上官から個人的に与えられた合法的な命令に背いた 集団で抵抗する?それなら反乱罪も適用できるなw まあ海軍にいりゃ https://en.wikipedia.org/wiki/Cat_o%27_nine_tails#/media/File:A_sailor_is_stripped_to_the_waist,_tied_to_a_ladder_and_bein_Wellcome_V0041675.jpg のむち打ちになるのかな? その場合、で反乱を企てたとなりゃFlogging round the fleet、つまり例えば停泊してる艦艇のすべて、とはいかないでも 数多くのふねの上で公開むち打ちを200から250回受ける事になってたはず。犯罪者に対する刑も終わるのに数か月かかり …まあ衛生のあんまり発達してない近代の話なんで大抵は途中で感染症により死ぬことになったようだが https://en.wikipedia.org/wiki/Cat_o%27_nine_tails さて、連中言う所の腐ったオレンジ、あるいは林檎のD手さん、何か月、あるいは何十発持ったと思う? 戦争が8月15日に終わって広島の連隊なんてどうだって良くなって、本当に 良 か っ た ね ? まあ、広島はこんないい加減なゴミが普通に暮らせる、当然師団なんてのも適当な言ばかり吹いてる 出来損ないって事を教えてくれて、本当に 有 難 う よ? 牛 The 畜生 さんwww >>701 検証じゃの検証者の主観じゃけぇ、黒塗り隠蔽やらかす官僚でも出来るわけで、 最近は、世界に通用せん日本軍犯罪隠すトンデモ歴史修正主義者ほど「検証」の結果、 南京虐殺も慰安婦強制連行で日本軍の関与は無かったじゃ、産経の鹿内元社長の 日本軍の慰安婦管理や中曽根大勲位殿の自慢げに慰安所作った自慢も知らんぷりで、 「検証」対象に無かったかいのう。 まあ、世情描いた小説の方が権力側の隠蔽捏造放題の公文書たぁ信憑性が強いし、 近代のように個人の回想、証言が残る時代以前の近世、中世なら小説や 庶民の詩の方が歴史事実を語っとし、歴史考察の基礎でもあるよ。 軍関係書物でも、国家の公文書公刊史たぁ、地域師団史の方が価値が高いし、 師団史たぁ、聨隊史の方が詳しいし、聨隊史たぁ、中隊戦記の方が具体的な 事実が書いてあるよ。 >>702-703 公刊史の戦史叢書なんか、広島師団の南寧攻防戦の記述すら隠蔽し書いとらんよ。 蒋介石が雲南〜ビルマのルート輸送作ったけぇ広西省の崑崙越え南寧占領が 無意味に成ったけぇ、戦史に残さんじゃのお得意の「検証」知らんぷりなんよ。 戦史叢書じゃ、広島39Dの比類なき宜昌防禦については、国軍の戦史に残る快挙で、 大陸打通戦兵力抽出し、宜昌の広島39Dが崩されたら南京総軍まで総崩れの 壊滅じゃったけぇ、隠蔽せず云うても、あくまで指揮官クラスの証言だけ 取り上げて、書いとるけぇ出来栄えは良う無ぁのう。 まだ、「広島師団史」の方が具体的じゃし、中隊戦史となれば尚更よのう。 「広島師団史」の執筆者は玉井光氏と>>207 -208 及び>>680 の「どの国も同じように 景気のいい数字を列べるが、どう計算しても 上記(武器装備、兵員数)の数字に 合わないのは残念である。」の文も引用した 松下葆氏よ。 「広島師団史」じゃ松下氏も上記の具体的なことは語ってん無ぁけど、装備数は 知る限りきちんと書いとってよのう。 公刊史なんかは、どの国でも>>496 の戦果過大の三倍以上の敵兵死傷者の捏造数字が 垂れ流され喧伝されるわけじゃし。 ほいから、師団レベルの攻撃たぁ何なら。軍隊は分隊単位の下士官指揮単位が基本で。 相変わらずWiki鵜呑みの低脳ぶり発揮しよるのう。 >>707 >検証じゃの検証者の主観じゃけぇ、黒塗り隠蔽やらかす官僚でも出来るわけで、 >最近は、世界に通用せん日本軍犯罪隠すトンデモ歴史修正主義者ほど「検証」の結果、 >南京虐殺も慰安婦強制連行で日本軍の関与は無かったじゃ、産経の鹿内元社長の >日本軍の慰安婦管理や中曽根大勲位殿の自慢げに慰安所作った自慢も知らんぷりで、 >「検証」対象に無かったかいのう。 今度は何の話を始めたの?牛Theさんは。まじ畜生の思考って話が飛びすぎるから人類が 付いていくは中々面倒な訳だが、慰安所なり売春宿の話をしたいの?借金持った武家の 娘にハアハアしてたりと凡そヤクザな人身売買をかなり肯定してたようなんだが、自身の コンプレックスなり欲求に忠実な畜生さんの、えっと何だっけ?「強制連行」の糾弾話持ち出されても、 その、阿呆すぎて困りますw >まあ、世情描いた小説の方が権力側の隠蔽捏造放題の公文書たぁ信憑性が強いし、 >近代のように個人の回想、証言が残る時代以前の近世、中世なら小説や >庶民の詩の方が歴史事実を語っとし、歴史考察の基礎でもあるよ。 こう言うのはOK? →「ここを南海支隊がこえたのか」 →私自身が過ごしていたジャングルでの日々が蘇ってきました。そこは、人間の立ち入る場所ではありませんでした。 →いや、人間が踏み込むことを頑として峻拒していた魔境でした。猛烈な雨と瞬時に氾濫する河川。 →日のまったく射さない密林。 →所嫌わず吸い付いてくる山蛭やブヨ。 →ウンカのように集中してくるアノフェレス蚊。 →限りなく続く大湿地帯──。 飯田進著「.地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相」 何かとても安っぽい部勇談よりこう言う苦労話の方が性にあってるが、脚色度が足りないから却下したいかな? 牛The畜生さんはw で >>708 >まだ、「広島師団史」の方が具体的じゃし、中隊戦史となれば尚更よのう。 >「広島師団史」の執筆者は玉井光氏と>>207 -208 及び>>680 の「どの国も同じように> >景気のいい数字を列べるが、どう計算しても 上記(武器装備、兵員数)の数字に >合わないのは残念である。」の文も引用した 松下葆氏よ。 >「広島師団史」じゃ松下氏も上記の具体的なことは語ってん無ぁけど、装備数は >知る限りきちんと書いとってよのう。 知る限り…え? 例えば以前出した一木支隊も編成上は連隊砲中隊(75mm山砲×4)速射砲中隊(37mm×4)を 持っていたわけだが速射砲が分解可能でなかったドイツ鹵獲のものであった事情などもあり 大隊砲を持って攻撃している。 で上述したが極めて険しく人間にとっても有害なココダ周りの環境で、第144聯隊と連携していた 第41連隊は山砲1門速射砲1門、60発と150発の編成だったの? 大隊砲とかでなくて。 でイスラバでは山砲2、速射砲2、大隊砲2で最終的に攻撃したようだが https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Isurava 第144連隊は大隊砲を余分に持ってきたのかな? あるいは、「広島師団史」 ガ その辺を歪ませようとしてるのかな? そうする動機、あるでしょうよ >>708 >戦史叢書じゃ、広島39Dの比類なき宜昌防禦については、国軍の戦史に残る快挙で、 >大陸打通戦兵力抽出し、宜昌の広島39Dが崩されたら南京総軍まで総崩れの >壊滅じゃったけぇ、隠蔽せず云うても、あくまで指揮官クラスの証言だけ >取り上げて、書いとるけぇ出来栄えは良う無ぁのう。 これ、証明できるの?志那戦線だったら相手の 被 害 とかかなりいい加減のようだが。 以前あったちょっとは活躍したラシイ第11連隊だが、これに対して何か行動したの? >小銃も天皇陛下から、預かったもんで捨てるんなら死ねと日本帝国は >教育したけど ↓ →九月十四日夜、(中略)兵隊は残された糧秣を持てるだけ持ち出発した。しかし道は →俗にいう胸つき八丁の急斜面があり、そして下るという難コースでした。これでは →重い荷を持った行軍はとてもムリでした。 →私は私の独自の判断で、無事山越えする方法として、小隊全員にまず鉄兜を捨てさせ、 →次に軽機も三丁のところ一丁に減らし、さらに分解して四人で運ぶようにしました。当時、 →兵器を捨てることは死刑に価するほどのものでしたが、私一人の判断で、これから先 →一カ月以上もの山越えでは、自分の体を運ぶことだけで精一杯と考えたからです。 →そして一週間後には小銃も二人に一丁と決め、二人が交替でかつぐようにしました。 飯島誠『南十字星とわが青春』 こう言う方がニューギニア戦線の様々な記述から妥当な行動だと思うんだが、先の小岩井光夫少佐の 行動と言い、ファンタジーの領域に達している(山砲持ってるけど大隊砲は持ってきませんでした(*´σー`)エヘヘ) 「広島師団史」の方が現実をちゃんと検証してると思うのか …そういや、(やる気なさそうな)中国戦線ならありそうな擲弾兵戦術を駆使して一寸先は茂みの ジャングルで同士討ちもなく白兵してたんですかね?あちらさん、インパールの英印軍と同じで ジャングルの中に戦車持ち込んで蹂躙してたのにw マチルダ戦車とかは16トン程度と97式とそう重量は変わらないのに山砲や37mm速射砲じゃ撃ち抜けない 70mm強の装甲持ってたんで、50発位砲弾やらアンパンやら手榴弾やら食らっても平気のへいさで 日本軍を壊滅させてたんですが、Hiroshimaピープルは何してたの?もうすでに壊滅? と言うか、大した兵器も出てこなかった中国戦線の知識 し か 無かったから、その辺は師団史に 書き込む事が出来んかったかな?大戦中は楽して帰国した国辱兵さん達は。 実際、戦争があのまま続いてたら第11連隊の皆しゃんはどう言う扱いになってたんだろうねえ。 ちなみに、例の海賊行為まで手を染めてたキング・オブ・ごみくず、D手さんの事って昭和44年発行の 例の本では出てこないの?小隊単位まで落ちなきゃいかんのか、黒塗り隠蔽レベルの処分案件だから、 載せられないって所かな(ナイス・BOOOMERRANGGGG!www あ〜あ、いつも通りの白馬青牛くんになってしまったなw 脳内妄想のネタをつつかれて、逆ギレして逃げるいつもの牛くんだ。 脚色入れすぎるからグルカ兵にしろ強姦九州世界一にしろ広島師団大活躍にしろ ファンタジー満開でしか映らないよ 白馬青牛くんにとっては馬の耳に念仏だがw >>703-705 距離の詰め方なら、>>540 にも書いとろうが。ニューギニアで広島師団の浜田連隊が 宇都宮51Dに戦闘指導し、沖中尉が戦闘指揮した時も、敵の侵入時「おびき寄せ、 敵が重機関銃陣地の直前に迫るや一斉射撃を命じ敵の意表をついて狼狽させ、 敵を小銃、軽機関銃で狙い射ちにし…」と、駆け引きと距離詰めが大切なんよ。 また、戦闘距離感覚も育った地域将兵で違う。 九州兵は幕末に「薩摩の立ち撃ち」で知られるよう、銃撃が届く距離からドンパチ やらかすし、九州の戦記に白兵戦の記述が夜襲以外ほとんど無ぁし、熊本58D 鹿児島聨隊の川崎春彦氏も白兵戦はほとんど無かった云われるが、距離感覚が狭い 広島師団は、距離詰めた接近射撃から白兵戦の機会が増えるし戦記記述にも 反映しとるよ。九州や東北、関東らの将兵は土地柄から広島師団みたぁに 距離詰めんけぇのう。 ドイツのどこが戦闘巧者なんか具体性話皆無たぁのう。Wiki受け売り ネトウヨ君らは、百田のWiki拾いのトンデモ「日本国紀」レベルじゃけぇ つまらんのよ。 >>704-705 郷土兵団による性格や戦闘の違いは他板過去スレにも書いとるよ。九州から。 [九州人は臆病じゃけぇ、広島のもんみたぁな正面ガチンコ白兵戦攻撃はようせんよ。 熊本師団、鹿児島聯隊の川崎春彦氏も、ほとんど白兵戦はせんかった云うとられる よう、幕末戊辰の薩摩の立ち撃ちのように、射撃火力戦で見栄張るだけで、広島将兵の ように白兵戦に持ち込むまで我慢して距離詰めたりせんけぇのう。九州兵は鉄帽脱いで 立ち撃ちゆえ、見た目のイメージで勇猛なだけなんよ。 鉄帽を脱いで戦闘することを、 福岡124iの兵士であった高崎伝氏が解説されとる。 「−なぜ鉄帽をかぶらないのか? そう疑問をもたれるだろうが、兵隊たちはあの戦闘の 中で、 初年兵と将校をのぞいて、古参兵たちは、早々に鉄帽を捨ててしまって、誰も かぶっているものはいなかったのだ。 私たちの連隊は、日華事変いらい、作戦に出る ときは、軍装検査の終了と同時に、重い鉄帽と防毒面をすててしまうのだ。そして 作戦が終わって、ふたたび軍装検査があるときには、みんな鉄帽と防毒面をきちんと 持っているのだから不思議である。 鉄帽といえども、弾丸の貫通することを、 兵隊たちはよく知っているので、当時はさほど重要視していなかった。なにしろ 私たち博多の「ゴロツキ連隊」の勇士たちは、戦闘になるとねじり鉢巻の方が性に あっていた。だが、その鉄帽も、後日おこなわれたインパール作戦では、戦場の 熾烈がいままでとはがらりと変わって、敵の集団砲撃にさらされる場合が多くなった が、その砲弾の破片には、けっこう鉄帽は役に立つことと、風穴をつぶして鍋代りに したり、米をひくウスがわりにしたり、穴掘りのシャベルの代用と、ずいぶん役に 立ったのは皮肉なことだった」と、云われる。 至近距離を詰める広島師団と違う性質で、幕末の薩摩の立ち撃ち、その鹿児島より勇猛な 肥後熊本連隊の立ち撃ちなんかも、九州兵の馬鹿げな処で案の定インパールじゃ困ったろうが。 広島師団は距離詰めて至近距離で白兵戦闘するけぇ、鉄帽の役割は知っとるよ。 >>904-905 [広島兵団ならどうか云うたら、元広島第11聯隊の越智春海氏は、鉄帽に関して、 「鉄帽は、あまりしっかりと装着すると、頭の角が痛くなるし、死傷率も多い。固定し ていると、弾丸が貫通しやすいのだ。ぶらぶらにしておくと、弾丸が命中した瞬間、 ころんと鉄帽が落ちたり、弾丸が、ひょいッと方向を変えて飛び去ったりするので、 助かる場合が多い。なかには、鉄帽の内側をくるくるすべって、ぼっと眼前に落ちる 弾丸もある。その一周する弾丸は物凄い熱を持っているので、頭を鉢巻き状に火傷 した兵もある。その一線、髪が生えず、後のち冷やかされていたが、たぶん死ぬよりは ましだった。」と、云われるよう、広島兵団では鉄帽は、だらしのうぶらぶらに かぶる。 広島39Dでも、{先頭を行く岩岡軍曹も撃たれた。鉄帽を機銃弾が貫いた。眼から火を 吐くような衝撃を受けたが、岩岡(代理)小隊長は屈しなかった。…銃弾は岩岡軍曹の 鉄帽の中を一周して、再び射入口から外部に飛び出した模様で、残弾はなかったが、 右耳を擦過して射出したらしく、血が噴き出した。} 至近距離戦闘に持ち込み、敵さんの最も強固な正面に突撃し、白兵攻撃する 広島師団ゆえ、鉄帽の利便性は熟知しとるけぇのう。頭が悪りい集団の見栄っ張りで 鉄帽脱いで、虚勢張って遠距離から射撃戦する九州兵たぁ、戦闘方式の伝統が違うよ。 >>904-905 [広島兵団ならどうか云うたら、元広島第11聯隊の越智春海氏は、鉄帽に関して、 「鉄帽は、あまりしっかりと装着すると、頭の角が痛くなるし、死傷率も多い。固定し ていると、弾丸が貫通しやすいのだ。ぶらぶらにしておくと、弾丸が命中した瞬間、 ころんと鉄帽が落ちたり、弾丸が、ひょいッと方向を変えて飛び去ったりするので、 助かる場合が多い。なかには、鉄帽の内側をくるくるすべって、ぼっと眼前に落ちる 弾丸もある。その一周する弾丸は物凄い熱を持っているので、頭を鉢巻き状に火傷 した兵もある。その一線、髪が生えず、後のち冷やかされていたが、たぶん死ぬよりは ましだった。」と、云われるよう、広島兵団では鉄帽は、だらしのうぶらぶらに かぶる。 広島39Dでも、{先頭を行く岩岡軍曹も撃たれた。鉄帽を機銃弾が貫いた。眼から火を 吐くような衝撃を受けたが、岩岡(代理)小隊長は屈しなかった。…銃弾は岩岡軍曹の 鉄帽の中を一周して、再び射入口から外部に飛び出した模様で、残弾はなかったが、 右耳を擦過して射出したらしく、血が噴き出した。} 至近距離戦闘に持ち込み、敵さんの最も強固な正面に突撃し、白兵攻撃する 広島師団ゆえ、鉄帽の利便性は熟知しとるけぇのう。頭が悪りい集団の見栄っ張りで 鉄帽脱いで、虚勢張って遠距離から射撃戦する九州兵たぁ、戦闘方式の伝統が違うよ。 >>713 >敵の侵入時「おびき寄せ、敵が重機関銃陣地の直前に迫るや一斉射撃を命じ敵の意表をついて狼狽させ、敵を小銃、 >軽機関銃で狙い射ちにし…」と、駆け引きと距離詰めが大切なんよ。また、戦闘距離感覚も育った地域将兵で違う。 そんなもん地域限定ってものでもないだろうに…ラエ上陸の後6回日本軍の 中隊規模の突撃を阻止した相手だっている訳だしな?あ、ウィキはダメなんだっけ?w https://en.wikipedia.org/wiki/Landing_at_Lae >The Japanese company, numbering about 60 men, subsequently fell back towards Lawrie's platoon near >the Bunga. Positioned on the Japanese line of retreat, the Australian platoon was subjected to six attacks. 実際の所ニューギニア辺りの戦闘については壊滅した日本軍の部隊展開等豪州の方が記録が残っていたりする。 レス620(そう言えばアンカ付いてないな?w)の「ニューギニア砲兵戦記」等では精鋭の野戦砲→山砲転換の野砲兵 第26聯隊第3中隊、の馬場小隊が豪州軍に包囲されてその後どうなったかは、日本軍側は誰も知らんかったりする。 でこれ↓ >The 2/12th struggled over the river amidst heavy rain, and then established themselves on >Canning's Saddle, the following day they attacked Prothero I. Advancing silently up the steep slopes, >they were able to surprise the Japanese defenders, creeping to within 100 yards (91 m) of the objective >before they were noticed by the Japanese defenders, at which point the Australians charged the position. >Heavy fighting followed with units to the flanks; however, by night fall on 21 January, the 2/12th had >secured Prothero I, silencing a Japanese mountain gun which had fired at them at point blank range from >the back door of a bunker, causing 50 casualties, including the battalion commander, >Lieutenant Colonel Charles Bourne. →豪州12師団2大隊は大雨の中川を渡り歩き、プロセロ Iを攻撃し、カニングス鞍部に陣取った。奇襲攻撃のため急な →斜面から忍び寄り、100ヤードまで忍び寄れたのですが防御してた日本軍兵に気づかれて白兵戦に移行しました。 →側面に展開してた部隊との間で激しい戦闘が展開されたが、豪州12師団2大隊は1月21日の夜の秋までに →プロセロ Iを確保した;塹壕の後ろ側から射撃された日本の山砲に零距離射撃を食らい大隊長の →チャールズ・ボーン中佐を含む50人の損害が出ましたが、沈黙させました。 https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Shaggy_Ridge まあこの本↓ Bradley, Phillip (2004c). "Prothero". The Australian Army in Profile: 2004. に記載があるようだが、この著者が上記中隊の長の大畠氏と当時の情報の交換を行い、上記のような話も提供したらしい。 馬場小隊については大畠氏も後方に砲撃したのを把握していたりと、照合出来る個所があり(結末は皆殺しなのだろうが) 状況は把握出来るようになってるんだよねえ…もう月日もかなり立ってて、遺族などもお互い語り合えるになってるので …何とかgu聯隊の場合はどうなの? 相変わらず、照合できそうな細部の話が出てこないんだが、あいまいに誤魔化すのは癖なのか? オマエ、にも限らんか、ごくつぶし師団なんかもさw >>714 >郷土兵団による性格や戦闘の違いは他板過去スレにも書いとるよ。九州から。 別にお前の話を延々と聞かされてもなあ …何かソース付きで出してみて?公的なものに関してはナゼカ(当然)、広島の師団に 対して批判的かもしれんけどw >肥後熊本連隊の立ち撃ちなんかも、九州兵の馬鹿げな処で案の定インパールじゃ困ったろうが。 結局、ニューギニアでもM4というよりM3中戦車より更に旧式なマチルダ戦車に一方的にやられてたが、 Hiroshimaピーポーはなんか一矢むくえたのかい? 確かニューギニアにいたようなんだが、相変わらず回答とかないよなあ >>715 >>716 どうしたの?オナジ内容を連投?相変わらず詳細の記載はないけど 誰かの書いたオナニーを繰り返し掻いてるの?www >>706 ジットラ突破は福山41iの猛攻の手柄よのう。広島県の安芸の賀茂、豊田の芸南と 備後の壮丁の福山連隊も、無謀な正面激突で激戦で勝利したし。 越智春海元陸軍大尉の「マレー戦記」からも。 「四十一連隊(福山)は工業都市風に万事が荒削りだ。シンゴラで、タイ軍連隊夫人の 尻を射って、程度を下げていたので、ここでは闘牛のように暴れ回った。敵前で橋を 渡るなどということは、常識はずれだ。 せっかく連隊主力が上流で渡河したのだから、そのコースを利用するのが常道である。 が、本道上に待機していた一部隊は、本隊が対岸で戦闘を始めると、やにわに橋を 突っ走って行ったのである。どういう考えだったのか、それは判らない。 「たいしたこたァ、にゃァ(ない)」と、思ったのだろう。しかし、この無謀な突撃 で、橋梁付近が一大乱戦場になったのは事実だ。大戦果には必ず、こういう 常識はずれの行動が付随していることが多い。捨て身になって奮戦していたグルカ兵 が、この緒戦に敗れてからは、日本軍の姿さえ見れば、逃散するか、両手を頭上に 上げてゴム林から 出て来たのは、この最初の一撃がいかに痛烈であったかの 証明であろう。」 >>719 >ジットラ突破は福山41iの猛攻の手柄よのう。広島県の安芸の賀茂、豊田の芸南と >備後の壮丁の福山連隊も、無謀な正面激突で激戦で勝利したし。 >越智春海元陸軍大尉の「マレー戦記」からも。 相手側の検証できるソースは? >「四十一連隊(福山)は工業都市風に万事が荒削りだ。シンゴラで、タイ軍連隊夫人の >尻を射って、程度を下げていたので、ここでは闘牛のように暴れ回った。敵前で橋を >渡るなどということは、常識はずれだ。 ゆたかな自然環境でどうこうするには向いてないんじゃない? http://factsanddetails.com/asian/ca67/sub427/entry-5330.html >In general, the Japanese troops knew very little of jungle warfare. The Japanese Army >did not embark on conducting research with jungle warfare until Dec 1940, and even then >the effort was not fruitful, as the responsibility of the research was given to the Taiwan Army, >and the island of Taiwan lacked any jungle for this purpose. Furthermore, Japanese intelligence >only detected 30,000 to 50,000 British and Commonwealth troops in Malaya, when in fact there were >about 88,600 men; this under-estimation could have easily caused →一般的に、日本軍はジャングル戦争をほとんど知らなかった。 →日本軍は1940年12月までジャングル戦での研究に着手せず、その後も研究は台湾方面軍に委ねられたが →台湾島はこの目的のためにジャングルを欠いていたので、その努力は実りがなかった。 →さらに、実際にマラヤに約88,600人の兵士がいたにも拘わらず、日本の諜報機関は →3万人から5万人の英軍および英連邦軍のみを検出した。 この過小評価は …無謀な突撃の原因?無知は力とは言うもののねえ…ま、この話は続けるけど >Japanese troops, originally thought as inferior in jungle warfare, continued to surprise British troops as they >moved quickly down the peninsula. Part of the Japanese secret was bicycles, providing Japanese soldiers >great mobility in the rubber plantations. ジャングル戦はダメでも、チャリに乗って機動戦展開されて、パーシヴァル君もがっくり! この”辺り”が、マレー戦があっさり勝利に終わった要因なんじゃないかねw >>706 集団で上官暴行したら「侠」の立場が無うなるわ。上官暴行は個人に決まっとろうが。 >>715 の岩岡氏の弟分の>>364 の三村氏の上官暴行にらしてものう。悪兵から、 [三村一等兵は帯剣を略吊りしただけで外に走り出した。 「そこの兵隊、その服装は何んだ。官姓名を名乗れ! 」酒を飲んで兵にからんでいる。 三村一等兵は押さえ難い義憤を覚えると、俄にこの乗馬将校を撲りたくなった。この将校は四十年輩の男で中佐殿である。将校の殴打第一号が高級将校の中佐殿に なるとは考えてもいなかったが、中佐であろうと一等兵でほあろうと人間に変わりは ない。三村一等兵は物も云わずに中佐の長靴をつかむと、引き摺り下ろして、 中佐の赤顔を二、三発思いきりぶん撲って遁げた。 軍法会議に付されるのではと、なんの取り調べも無かった。 ずっと後、三村一等兵が関中佐の当番兵から聞いた話によると、 「中佐が一等兵に撲られたとあっては面目ないので、悔しいが、奴の度胸に 免じて眼をつむるよ」酔って巡察中に、兵に撲られたという不名誉を公に したくない気持ちから、関中佐は、三村一等兵の告訴をとり止めたのである。… 見習しかんが、三村一等兵を睨むように威嚇した。 「貴様ッ、将校に反抗する奴は切り捨てご免ということが分かっているか! 」 見習士官は本気で軍刀を抜いた。 「兼門(古刀、三村氏が実家から持って来たが、帯剣は曹長以上ゆえ兵卒の帯剣は 軍じゃ違反)の方がよう斬れるかも知れんぞ! 」三村一等兵も鞘を払った。 松井中尉が「三村、止めんかッ!」三村一等兵も松井中尉の顔を立てて下がろうとして いたが、将校の特権にあくまで物をいわせようとする、見習士官の横暴な態度に、 三村一等兵は堪忍袋の緒を切り、突進した。見習士官は蒼白となって逃げだした。 三村一等兵はすかさず後を追い、見習士官の尻を突き刺した。」] >>706 続き。[松井中尉説得による、部隊内の事件を外部に公表することではないという 高度な配慮で、三村一等兵が軍法会議送りにならずに済んだ。… 「小隊長が見えん! 」栗根軍曹が三村一等兵に告げた。 「栗根、臆病者を待っていたら夜が明ける。突っ込むぞ! 」四名で突撃したが 山頂の敵兵は一足違いで退却した後であった。壮絶な白兵戦覚悟で突入したが、 無血占領した。 「よくやった、よくやった! 」小隊長の井下吾一少尉がばつ悪そうに登って来た。 「将校の資格無しッ! 今度、卑怯な真似をしやがったら、射ち殺すぞ! 」三村一等兵が 罵声を浴びせた。] 日本軍は階級が上がるほど、臆病な将校が増えるわけじゃし、上官暴行するもんは、 戦場でも勇敢じゃけぇ、上官反抗暴行罪じゃの部隊内、中隊内で済まされ、告訴の 表沙汰までは行かんケースが多いいんよ。 西洋は将校クラスの臆病も処罰じゃが、日本じゃ神輿指揮官が臆病でもお咎め無しで、 神輿は戦う人じゃ無ぁし、兵、下士官、下級将校でも勇敢なもんが戦うもんじゃけぇ、 臆病な上官が貴重な戦力の兵に殴られても表沙汰にゃせんよ。 >>706 続き。[松井中尉説得による、部隊内の事件を外部に公表することではないという 高度な配慮で、三村一等兵が軍法会議送りにならずに済んだ。… 「小隊長が見えん! 」栗根軍曹が三村一等兵に告げた。 「栗根、臆病者を待っていたら夜が明ける。突っ込むぞ! 」四名で突撃したが 山頂の敵兵は一足違いで退却した後であった。壮絶な白兵戦覚悟で突入したが、 無血占領した。 「よくやった、よくやった! 」小隊長の井下吾一少尉がばつ悪そうに登って来た。 「将校の資格無しッ! 今度、卑怯な真似をしやがったら、射ち殺すぞ! 」三村一等兵が 罵声を浴びせた。] 日本軍は階級が上がるほど、臆病な将校が増えるわけじゃし、上官暴行するもんは、 戦場でも勇敢じゃけぇ、上官反抗暴行罪じゃの部隊内、中隊内で済まされ、告訴の 表沙汰までは行かんケースが多いいんよ。 西洋は将校クラスの臆病も処罰じゃが、日本じゃ神輿指揮官が臆病でもお咎め無しで、 神輿は戦う人じゃ無ぁし、兵、下士官、下級将校でも勇敢なもんが戦うもんじゃけぇ、 臆病な上官が貴重な戦力の兵に殴られても表沙汰にゃせんよ。 >>720 マレー・シンガポール戦後は、広島第五師団単位の派遣は無う成っただけのことで、 弟の広島39Dは、>>708 の戦史叢書にも記載された、昭和19年の宜昌防禦戦は、 戦史叢書内容たぁ具体的に>>290-292 や>>350-352 にも書いとるよ。 黒歴史なら、ビルマ雲南敗戦で滅びの美学の負け犬根性に酔う、九州久留米の 菊龍兄弟師団なんか黒歴史の連続ゆえ、負け犬敢闘賞狙いよのう。広島師団みたぁに 勝たにゃ意味は無ぁわ。 菅沼遼太クンこんな所に居たのかw 全く変わらないねえ。 >>722 >集団で上官暴行したら「侠」の立場が無うなるわ。上官暴行は個人に決まっとろうが。 鞭打ちで決まりか?上官への反抗。 で、集団でやらんのは普通に反乱になるから、じゃないの?寄生虫にゃ「任侠」なんてもんより 上位に持ってくる概念があるだろうにw(自己保全 >中佐の赤顔を二、三発思いきりぶん撲って遁げた。 >軍法会議に付されるのではと、なんの取り調べも無かった。 戦争に負ける訳だねw >>723 >日本軍は階級が上がるほど、臆病な将校が増えるわけじゃし、上官暴行するもんは、 >戦場でも勇敢じゃけぇ、 どういう所で活躍したのかな …敵側に戦車以外で丸で印象に残らなかった、マラー屋って所かな? 腹いっぱい食って満福満福? >>724 マタ、同じコピペですかw>>723 >>725 >弟の広島39Dは、>>708 の戦史叢書にも記載された、昭和19年の宜昌防禦戦 戦争犯罪を自白しちゃった師団のお話かな? >広島第五師団単位 使い物にならん、どうも一人が延々と武勇伝語る程度の勘違い師団は、あまり お呼びで無かったとかw >>706 >>727 >>723 の続き。 [ 戦闘で、小隊の指揮が執れなかった反省もなく、其の後も依然部下に威張り、 理由もなく兵たちを殴打する井下少尉を呼び出した三村一等兵は、 「無能な将校のくせに、兵を何と思っている、貴様のような国賊は、生かしておけん。 殺してやるから覚悟しろッ! 」と、手榴弾を発火させ、井下少尉の眼前につきつけた。 信管が発火すると七秒で爆発する。無論、三村一等兵も吹き飛ぶ。 「三村さん、た、助けて下さい! 」井下少尉が蒼白になって、三村一等兵の下に 膝まづいて哀願した。「よしッ、その気持ちを忘れるな! 」三村一等兵は、手榴弾を 遠くに投げた。この手榴弾は、三村一等兵が予め中の火薬を抜いており、威嚇する だけの物であったが、井下吾一少尉は、三村一等兵に本当に助けて貰ったように 思えて、涙を流しながら何度も頭を下げた。] >>706 >>727 [三村一等兵は私物のモーゼル拳銃二号を持っていた。兵が拳銃を所有することは 規則違反で、曹長になって初めて官給の拳銃が支給されるのであるが、三村衛生兵は 誰にはばかることなく持っていたが、将校も黙認していた。 三村「当番、軍医はいま何しとるんか」当番兵「独りで酒飲んどるよ」 三村「ほう、ええご身分じゃのう、朝っぱらから庄助さんかあ。ひとつ酒肴でも 見舞ってやろうか」「ダーン」村上軍医の居室に向け銃弾を一発撃ちこんだ。 「誰だ、あ、危ないじゃないかー」隣室で、村上軍医の悲鳴に似た声があった。 「ダーン」返事の代わりに、三村衛生兵が二発目を射撃した。 隣しつでは村上軍医が腰でも抜かしたのか、今度はひと言の声もあげない。 命中しないように、射角を上げて撃ったのでまさか中ってないと思ったが、 村上軍医の居室に入った。日頃兵たちに空威張りはしていても腰抜け男で、床に へばりついて蒼白になっていた。 「軍医殿、拳銃を手入れしてたら暴発しました。おケガはなかったですか!? 」 二発の拳銃弾で完全に度胆を抜かれたらしく、蒼い顔をしてチラっ三村衛生兵を 睨んだだけで、村上軍医は何も云わなかった。] >>728 同様、三村氏の陽気なイタズラ好きエピソードよのう。 >>727 >>350-352 の通り、広島39Dの犯罪数は少なかったよ。[元広島39D(藤部隊)長の 澄田氏も、「中国において「作戦間、糧まつ 補給が絶えたためやむなく徴発 (住民不在のため購買票を残すが、敵地域のため作戦終了後も代金をとりに来る者 なく支払うすべもなかった。まず徴発とは体裁のよい奪掠であった。)させたり したものを除くと 真に部下が行った犯罪と思われるものは二十件内外に過ぎな かったと記憶する。この数字は私の三年有余の在職間の累計であり、他師団の 犯罪数 (中国側から見せてもらった)に比べると実に九牛の一毛である。 藤部隊(広島)の軍紀、風紀が他師団に比べて一等地を抜いていた証左であると 断言してはばからない。」 広島39D将兵3分の2の将兵がシベリア抑留と成り、その中で戦争中の犯罪歴ある 将兵がソ連から中共へ引き渡され、後に中帰連として日本でも犯罪告白した わけじゃがのう。支那派遣軍のほとんどの師団、部隊は、シベリア抑留されとらん けぇ、多大な犯罪隠せたまま帰国出来たけぇのう。 ほいで、中共に逆洗脳された中帰連の人らは、日本軍じゃ真面目な皇国思想に 洗脳された命令に忠実な将兵ゆえ、残酷な虐殺犯罪が出来るんよ。敵さんに、 なびく住民を見逃す武士の情けの情義や個人の一分を守ることすら喪失しとん じゃけぇ。 >>728 >「無能な将校のくせに、兵を何と思っている、貴様のような国賊は、生かしておけん。 >殺してやるから覚悟しろッ! 」と、手榴弾を発火させ、井下少尉の眼前につきつけた。 >信管が発火すると七秒で爆発する。無論、三村一等兵も吹き飛ぶ。 …吹き飛んだ方が良くなかったか?コイツ。 >>729 >三村「ほう、ええご身分じゃのう、朝っぱらから庄助さんかあ。ひとつ酒肴でも >見舞ってやろうか」「ダーン」村上軍医の居室に向け銃弾を一発撃ちこんだ。 にしてもそうだが、美化して話してるだけだろ。 >[三村一等兵は私物のモーゼル拳銃二号を持っていた。兵が拳銃を所有することは >規則違反で、 普通に軍規を違反してる訳で、 当 然 、 造 反 する可能性があるよね? 日本人が軍人であってもあまりにもお人好し過ぎると言うか、性善説過ぎると言うか …牛The畜生さんは、それをわざわざ伝えたかったの?w >730 >広島39Dの犯罪数は少なかったよ。[元広島39D(藤部隊)長の >澄田氏も、「中国において「作戦間、糧まつ 補給が絶えたためやむなく徴発 結構レイプしてたんだっけ? …お前さ、証言はそのまま証拠として使えると書いたよな? >ほいで、中共に逆洗脳された中帰連の人らは、日本軍じゃ真面目な皇国思想に >洗脳された命令に忠実な将兵ゆえ、 畜生脳にとっちゃ、韓国人の”証言”ならオッケーで日本人が同じ立場に立たされれば …洗脳差されたんですかw >>727 >>731 三村一等兵は、上等兵と成り、>>715 の岩岡氏と同じく遊撃特殊部隊の桜挺身隊に 入った。 [呉市出身の岩岡氏は戦闘のプロで常に先頭に立ったが、上官から嫌われ、桜挺身隊 (広島39Dの上官に嫌われたり、上官に暴行した者、志願した成績優秀な兵の 広島師団組と拓大武道高段者の陸軍中野学校出身者で構成された)に、そこでも、 上官に嫌われた広島師団悪兵追放組が一番勇敢で、次に広島師団の志願者で、逆に 一番駄目じゃったんが陸軍中野学校出身の武道達人猛者じゃったよ。 特に最も勇敢な岩岡氏は常に先頭で、 「「突撃ー」佐竹中尉の号令で着剣して突撃に移った。先頭を走る岩岡曹長のまるい 体が 三村上等兵の眼には猛牛のように映った。三村上等兵も伝家の濃州作関之住人 兼門の宝刀を抜いて駆けた。早くも岩岡曹長が裂帛の気合いをかけて刺突している。 小隊の兵たちも、それぞれの生きた標的に向かって次々と突っ込んで行った。 三村上等兵は、チェコ機銃を担いで山を登ろうとしている兵を見つけて猛然 ダッシュし、背中越しに刀を下から斜め上に斬り上げた。すかさず二の大刀を首に 叩きつけた。ポキッと異様な音がして首がぶら下がり、大量の血が噴き出して 山の赤土に吸収された。 続いて、腰でも抜けたのか坐りこんで命乞いしている 兵の首に斬りつけた。その首は胴から離れ落ちた。二条の血潮が噴水のように 二メートルも噴き上がった。首の無い胴体が、膝で立ちかけたがそのまま前に 倒れた。」 ] >>727 >>731 桜挺身隊の戦闘から。 「西川中尉(陸軍中野学校)は、敵を怖れて出動しないので、佐竹中尉(広島第231聯隊) が 常に中小隊長を兼務した。 三村上等兵が家の中に飛び込もうとしたとき、「三村、入るなッー」岩岡曹長が 怒鳴った。 家の中には敵兵が残っており、騒然とした様子が壁越しに聞こえて来る。 この残敵を目標に、再び手榴弾が次々に投げ込まれてた。挺身隊の奇襲による 戦果は、チェコ機銃 四、擲弾銃四、自動小銃二、小銃、弾薬多数。遺棄屍体約五◯、 戦傷二◯であった。」 と、陸軍中野系は、戦場じゃ主役に成れんよ。歴戦の広島師団に戦闘を任せるだけで、 じゃが動かん捕虜の首を斬ることや中国兵や非戦闘員の中国住民への、青酸カリ 人体実験虐殺にゃ陸軍中野の連中は張り切るけぇのう。 元々は陸軍中野学校も、広島県人の岩畔豪雄氏のアイディアが元の諜報、 ゲリラ遊撃戦、憲兵学校まであったんじゃが、広島県以外の者も集うと、広島精神が 失われるけぇのう。 ほいで、皇国思想に洗脳され、中共逆洗脳された兵は、桜挺身隊にもおってじゃが、 佐竹中尉にまで、陸軍中野学校出身者の犯罪押し付け、日本将兵全体が殺人鬼の 上官命令に忖度絶対服従物語に描くんが間違うとるし、他の広島39Dの戦犯犯罪の 将兵らも、中隊記の証言の情義で住民見逃した事実と違い、将兵全体が上官命令忖度 殺人機械みたぁに捏造じゃ個人の葛藤や見て見ぬふりの思いやりすら無視して、 集団全体に転嫁する、ご自身の日本国家に洗脳された恨みをソ連抑留に比べ待遇の 良かった中共側の恩義で中帰連の人らは、日本軍全体の犯罪に転嫁強調するけぇ、 わしゃ、そりゃ違う云うとんよ。 中共側 >>731 >>207-208 >>213 は、日本将兵の立場としての朝鮮人慰安婦強制連行の実態じゃし、 韓国人慰安婦の方々の証言と同様よ。不人情な慰安婦強制連行の日本軍関与自慢なら、 >>70 の中曽根元首相、大勲位殿や産経新聞元社長の鹿内氏に成るだけで、 人間を個人の人道や情を無視して、集団として捉える視点は、中共に逆洗脳され、 元は日本の皇国思想に洗脳された真面目な国家忠誠心の強よかった中帰連の人らも、 おどれらネトウヨも集団全体主義思考で同様じゃし、自由主義の個人云うもんが 欠如しとる糞パヨクなんよ。軍隊も集団じゃが、個々の将兵の戦力や機転が勝敗を 決めるんじゃし、上官忖度や集団心理に流されん、確固とした個を持つ将兵が 多いいほど、精強な部隊と成るんよ。 >>732 >三村一等兵は、上等兵と成り、>>715 の岩岡氏と同じく遊撃特殊部隊の桜挺身隊に >入った。 >[呉市出身の岩岡氏は戦闘のプロで常に先頭に立ったが、上官から嫌われ、桜挺身隊 >(広島39Dの上官に嫌われたり、上官に暴行した者、志願した成績優秀な兵の >広島師団組と拓大武道高段者の陸軍中野学校出身者で構成された)に、そこでも、 >上官に嫌われた広島師団悪兵追放組が一番勇敢で、次に広島師団の志願者で、逆に >一番駄目じゃったんが陸軍中野学校出身の武道達人猛者じゃったよ。 ん? これさあ…ナニ達成したの?>733だが >この残敵を目標に、再び手榴弾が次々に投げ込まれてた。挺身隊の奇襲による >戦果は、チェコ機銃 四、擲弾銃四、自動小銃二、小銃、弾薬多数。遺棄屍体約五◯、 >戦傷二◯であった。」 敵の兵器鹵獲が目的だったのかな?挺身隊って要は英語で言う所のコマンドゥ部隊だけど、 何の戦略…でなくても良いや、戦術的目的を達成できたの? まあ昨今話している豪州軍についてだが、例えばこれは1902年、日本で言えば日英同盟が 締結されてようやく伊藤博文辺りの長州な慎重派も日露戦争を覚悟するようになる(手前の) 時期の話で、ボーア戦争における非正規戦用の英国傘下豪州軍の活躍ぶり↓ https://en.wikipedia.org/wiki/Breaker_Morant イングランド出身でジョージ.モラント提督の不義の息子と称する、ハリー”壊し屋”モラント少尉は 320仁侠、じゃねーや320人強のブッシュヴェルトライフル騎乗連隊(Bushveldt Carbineers)にて 己の朋友?のパーシヴァル・ハント大尉が(元祖)ボーアコマンドゥ」部隊の夜襲に失敗、遺体が 損壊されたのを発見したのに至り、前年の1901年にアフリカ”暗黒”大陸で ・襲撃をかけとらえたボーアコマンドゥ(Visserなる人物)一名を射殺 ・別のコマンドゥ部隊を襲撃して射殺(8名の捕虜) ・邀撃のすえ、投降してきたボーアコマンドゥ3名を射殺 ・アイリッシュボーア人のボーアコマンドゥ、”将校”ケリーの部隊を210Km追撃のすえ奇襲をかけて捕らえ、 そして英国部隊にチームごと引き渡した で、この長々と説明した活躍がどうしたって?…結末はこれね↓ https://youtu.be/BI7KJnRlsS4?t=54 https://www.youtube.com/watch?v=BI7KJnRlsS4 (フルはこちら) 1902年2月27日、”壊し屋”モラントと同僚のピーターハンコックは無抵抗の捕虜の”早期”処刑の罪で 軍法会議にかけられて銃殺。戦争犯罪に関する件では英軍でもごく初期の試みで英豪関係悪化につながる、が 壊し屋やサイコパスはマジいらんのよ、マジで。余計な感情の爆発で余計な死をもたらし、戦争終結の邪魔になる…三村なんかも、銃殺にしたら?w >>734 >>>207-208 >>213 は えっと軍の強制連行の話をしたいように見えるのだが、”何処”が”強制”に”連行”してる部分になるのかな? 価格表を作った部分か?それとも巡査の話か。 トラックに乗せられた?何処の部隊の車輌かな?独立g連隊とかかw(実際にツベにあるのは大陸移動中の話か) 中曽根康弘元首相の話をしたいの? 普通に考えて「どうして」原住民の女を集めたか、とかでなく「どうやって」現地女を集めたか、書いてくれる? 海軍の誰が集めたかもね …当然、それを物理的に実行できる部隊(暴力装置と言うか)を指揮していたんだよね?ん?そんなんサッと取計ればおk?w ここで広島師団の話とか出てくるのかな?いたか、と言うかそもそも”陸軍”の部隊だから指揮下にないかw https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E8%BB%8D%E5%B0%86%E5%85%B5%E7%94%A8%E5%A3%B2%E6%98%A5%E5%AE%BF ドイツなら上記”Wiki”先生のサイトにあったりするが、フランスなどでは既存の官営の売春宿を利用して100以上設置したが これは強制”連行”、じゃないからおk? "過剰性欲"防止の観点から毎週売春宿を利用するよう奨めている、のは道徳的はともかく、兵隊に優しいナチスドイツだから 見逃しても良いのかな …で増長するとトルコ風呂とか、作ってたりするのかな?w >>731 >>735 大陸打通作戦の為に編成された特殊部隊の桜挺身隊ついて書いとこう。 [訓練内容は、家屋侵入の方法、尾行、偵察の要領、中国人の風俗、習慣、変装等。 教練は、中国軍式の各個訓練、武器なしでの潜入、飛行場爆破、 倉庫爆破、 橋梁爆破、 護身術(空手、棒術)、秘密兵器としては、 万年筆型拳銃、缶詰型爆弾、 導火炸 (導火線の一種で、点火すると、 一秒間に60メートル走る。直径10センチ 程の材木なら、4、5回、 巻いて点火すると、真二つに切る威力があった。) 顔の洗い方は、両手を顔にあてて、顔を廻しながら洗面する。 間違っても手を 動かしてはならない、日本人ということが忽ち 見破られてしまうからである。他に、 用便後ペーパーを使用する習慣は なかった。(これは当時のロシア人も同じく、 大陸の民族は、余程高貴な階級でない限り、大便の後でも、チリ紙は使用しない。) また当時の中国人には、入浴の習慣はない等。 ] >>733 の一戦闘の局面成果だけが全てが如く、われが矮小化する必要もあるまあ。 >>735 桜挺身隊のこたぁ、過去スレにも書いたが、サイトが消えたりしとるのう。 [大陸打通作戦のS挺身隊や 陸軍中野学校出身の○○中尉が出ておる。このサイトの 久保田氏は、 挺身隊第一小隊(佐竹隊)の軍曹じゃった方。特務機関が指示したこの 任務で残虐な行為を繰り返したことは、その通りであろうが、久保田氏は 森金氏のように中国軍の自国民に対する蛮行を記しておられん。 447 :廣島・もみじ民:2006/11/13(月) 01:49:19 ID:PDseD7Rf0 続いて、南岳市の戦闘は霧煙の中敵の区別も出来んほどであったようで、佐竹少尉は 隊を正面攻撃と迂廻側面攻撃の二隊に分け、チェコ機銃で攻撃、敵が浮き足立った 処、正面隊は白兵戦となり、先頭を切って敵兵を刺殺したのは、前スレ647で 書いた、上官に従順で無く、不評を買い福山第232聯隊を追われた最も勇敢な I岡曹長であった。戦闘が終了し、I岡曹長が集めていた捕虜の一人が逃げようと したので、藤本上等兵が組み付いて倒したところ、一瞬の差で捕虜が自爆し、 藤本上等兵も散華された。と森金氏は書いておられる。また森金氏は、桜挺身隊の 犯罪も書いておられるが、桜挺身隊の弱兵は、陸軍中野学校出身の西川中尉だけ で、佐竹少尉、三輪少尉、I岡曹長以下一騎当千の猛者集団で、中国人協力兵も 信義で団結した勇者であったとされる。 佐竹少尉は『戦闘.jpg』の日本刀を立てておられる方。久保田氏は、捕虜を処刑 したのが、佐竹小隊長とされるが、 『虎の子奮戦記』では、中野学校出身の下士官が 介錯したとある。見解は違うても、撫順云々の影響があっても、久保田氏を 責めることは出来ません。日本軍の行為は過ちも多かった。久保田氏も前線で 戦われた勇士です。真面目な人ほど・・・現代でも、日本軍の全てを美化する人の 方が、立場が変わると祖国を恨むようになるんじゃないか。…」 >>737 >大陸打通作戦の為に編成された特殊部隊の桜挺身隊ついて書いとこう。 >[訓練内容は、家屋侵入の方法、尾行、偵察の要領、中国人の風俗、習慣、変装等。 >教練は、中国軍式の各個訓練、武器なしでの潜入、飛行場爆破、 倉庫爆破、 >橋梁爆破、 護身術(空手、棒術)、秘密兵器としては、 万年筆型拳銃、缶詰型爆弾 先に書いたボーアコマンドゥ辺りから始められた特殊部隊の作戦方法についてレクチャーしたいの? 確か日本にある中野学校ってのがその研究していたようだけど、彼らに話でも聞いてみる?w >>733 の一戦闘の局面成果だけが全てが如く、われが矮小化する必要もあるまあ。 何を達成したか、書いてみようよ? 実際に豪州の話に戻れば上記ボーア人の戦法に影響を受けた英国(チャーチル)、の影響を受けた 豪州軍もコマンドゥ部隊を設立したが当初(中東で)相手としてたナチスドイツやイタリア軍、でなく 日本軍(第144連隊?w)の侵攻をラバウルで食らって大損害を出すが https://en.wikipedia.org/wiki/Australian_commandos ・1個中隊がチモールでゲリラ戦を行い一個師団を1年間くぎ付けにした ・1個中隊が1943年のカイアピットの戦いにて(1個分隊にブレン1、ライフル擲弾1、オーウェンSMG4-5)が3個中隊+(計500名)を撃退 後方への浸透なら ・M部隊がコーストウォッチャーとして静かにソロモン諸島とニューギニアで日本軍の動きを報告 ・Z部隊がジェイウィック作戦においてシンガポールの船舶4隻をリンペット爆雷で沈めることに成功 まあ次のリマウ作戦で浸透中にマレーの官憲に見つかって銃撃の末に捕縛、処刑とあいまった事も記載するとして なんかおまえのあげた特殊ぶたい、上記のような戦略的あるいは戦術的な成果をあげたの? >>739 >桜挺身隊のこたぁ、過去スレにも書いたが、サイトが消えたりしとるのう。 あのさあ…いわゆるネットde真実のレベルのおはなしをしたいの? うし畜生さんはさw >続いて、南岳市の戦闘は霧煙の中敵の区別も出来んほどであったようで、佐竹少尉は >隊を正面攻撃と迂廻側面攻撃の二隊に分け、チェコ機銃で攻撃、敵が浮き足立った >処、正面隊は白兵戦となり、先頭を切って敵兵を刺殺したのは、前スレ647で >書いた、上官に従順で無く、不評を買い福山第232聯隊を追われた最も勇敢な >I岡曹長であった。 あのさあ…コンドハ 匹夫の勇のおはなしをしたいのですか? それのくりかえししか出来ないのですか? うしThe畜生さんはさw >佐竹少尉は『戦闘.jpg』の日本刀を立てておられる方。久保田氏は、捕虜を処刑 >したのが、佐竹小隊長とされるが、 『虎の子奮戦記』では、中野学校出身の下士官が >介錯したとある。 …介錯?要はとどめ刺さずに放置するのはOKと書きたいのかな 時々思うんだが、自分が何を書いているのか理解してる? 畜生(ちくしょう)に言ってみた所で、ろくな回答は得られないと思うけどさ(モォウー、w) >>735 >>732-739 の呉市出身の岩岡曹長が、何で福山第232連隊か、じゃが、呉市東部の 武闘派任侠輩出地域>>311 、呉越え東の旧賀茂郡の広出身ゆえ福山聨隊区。 西隣りの任侠業界輩出>>338-339 の阿賀は、広島聨隊区。 福山第232聨隊は、その後一県一聨隊制と成り、島根県西部の聨隊区の 浜田第232聨隊と成った。 桜挺身隊じゃ、第232聨隊出身は、岩岡曹長1 名だけで、広島第231聨隊から24名の 佐竹少尉以下合計25名で編成、第一小隊編成。第二小隊は三輪少尉以下、 山口第233聨隊の22名で編成で、広島39Dからの桜挺身隊は、合計47名。 実質47名は一個小隊の40名超え兵力じゃったが、強兵揃いじゃけぇのう。 >>735 >>570 の衡陽じゃ、桜挺身隊は、80名の配属部隊で来陽県城攻撃の救援へ行かされた。 [桜挺身隊の攻撃要領は広島231i主体の第一小隊が正面から攻撃し、山口233iの 第二小隊が側面から掩護し、城門突入に際しては、第一小隊に続いて第二小隊も 突入して、引き揚げる戦法である。 敵の兵力数も知らない城内の堅塁に、僅か八十名で殴り込みを掛ける、ヤクザの 出入りのような無謀な喧嘩戦法であったが、弱兵は陸軍中野学校出身隊長の西川中尉 だけで、佐竹少尉、三輪少尉、岩岡曹長以下一騎当千の猛者集団で、協力兵(中国人 帰順兵)も信義で団結した勇者で尻込みする者は一人もなかった。… 城内突入の第一小隊、四十発の手榴弾の威力は、数発の砲弾に匹敵するが、次々と 爆発することによって、心理的恐怖心が加わるために、敵兵にとっては砲弾以上に 怖いに違いない。しかし深追いは禁物である。生き延びた中国兵たちが、市外の 向こうに消えたことを見とどけた佐竹少尉は、「状況終わり。反転」と号令して、 城内に突入しなかった第二小隊も帰って来た。 「何故本隊の先頭に立たぬか"」三村上等兵が、憤慨して(陸軍中野出身)西川中隊長に 飛び掛らん勢いであったのを、岩岡曹長が制した。岩岡曹長も三村上等兵と同じ 気持ちであったが、三村上等兵を押さえることによって自分の心を制した。] >>742 >実質47名は一個小隊の40名超え兵力じゃったが、強兵揃いじゃけぇのう。 強兵? 成果ってこれか >>743 >敵の兵力数も知らない城内の堅塁に、僅か八十名で殴り込みを掛ける、ヤクザの >出入りのような無謀な喧嘩戦法であったが、(また嗜好の話なので中略) >佐竹少尉、三輪少尉、岩岡曹長以下一騎当千の猛者集団で、協力兵(中国人 >帰順兵)も信義で団結した勇者で尻込みする者は一人もなかった。… 信義?中国人の、協力兵? >城内突入の第一小隊、四十発の手榴弾の威力は、数発の砲弾に匹敵するが、次々と >爆発することによって、心理的恐怖心が加わるために、敵兵にとっては砲弾以上に >怖いに違いない。 また、ろくに火砲も持ってない中国の革命軍隊、の基準の話かw で、普通に重機迫撃砲のみならず37mm速射砲みたいなもん持ち込んだアメリカ兵相手なら どうなるのそれ。 https://youtu.be/ic0U9EeJMEI?t=94 こんなもん3秒に一発ぶち込めるキャニスター弾に対して信義ダー任侠メンはどう立ち向かうの? 件の志那チック協力マンよろしく、利に合わんので逃げ出すか、素直に前に進んで佐竹/三輪/岩岡 印のジューシーな挽き肉(ひきにく)、提供してくれるかな?どうよw >>744 百田Wikiコピーアタッカー真似ネトウヨ共通パターン相手も、それなりにゃ面白い けぇのう。結局、西洋式の軍隊組織価値観で日本軍貶める立場に成りよんじゃけぇ。 >>745 中国帰順兵は、戦闘慣れしたベテラン選手じゃけぇ、学習演習要領で実戦知らん、 陸軍中野学校出身者セミプロ紛いたぁ余程能力が高いよ。 ほいじゃが、われん、臆病な指揮官弁護も星の階級差別意識で欧米や中国の考え方で 日本的じゃ無ぁけんのう。 短気な三村上等兵も、桜挺身隊時代に、捕えた中国軍俘虜少将の横柄な態度に怒り、 拳銃で殴殺したことものう。 [中国人には、面子が大切であるから、少将が下級兵卒から武装解除を受けることを 最大の恥辱と考え、素直に拳銃を渡そう士としなかった。 「乞食兵卒<花子、乞食>、汚らわしい! 」趙少将が侮辱をこめて、早口で詰った。 三村上等兵が怒って、持っていた拳銃で頭を撲った。… 終戦になったとき、この俘虜たちが連名で趙少将を殺害した三村上等兵を引き渡せと 師団長に迫った経緯がある。] 中国も西洋同様に階級意識は強いし、日本的な星の数(軍隊の階級)より味噌汁の数 (戦闘経験)の戦場現場ベテラン経験重視で勇士ならわがまま放題も見て見ぬ振りの 暗黙の了解は、特に西日本、とりわけ広島部隊の方針たぁズレとるけぇのう。 おどれらネトウヨらは、権力迎合ゆえ、星の数への媚び諂い連中じゃけぇ、 階級秩序の西洋や中国的で反日的なんよ。 >>745 奇襲し引き揚げる遊撃戦の場合は戦果や兵器確保なんか無ぁんは当然よ。 桜挺身隊の>>746 の俘虜(捕虜)1300名捕獲戦果の中国兵捕虜の中から、20名を厳選して 桜挺身隊員に加えたんも、日本的で、明治の西南戦争でも西郷軍の捕虜を 明治政府軍の兵士に主人変えさせたんも、日本の将棋の駒同様、得た駒は自軍兵士 希望なら、その駒を使うルールじゃし、終戦時、日本の将兵が捕虜待遇のえかった 中国国府軍兵士志願が多かったんを中国国府軍側が断るんも面白い。 日本将兵は、国府軍兵士として中共軍や祖国日本軍とでも戦う意志じゃったが、 中国人は、日本の将棋思考を知らんけぇ、漢奸同様の祖国の裏切りを日本人が で云う心情が理解出来んけぇのう。中国人だけじゃ無うて、西洋人にも日本人の 将棋の駒精神は理解出来んじゃろう。 >>736 異民族女性や同胞の日本女性まで騙したり強制連行するんも日本のお家芸で、 他にナチスドイツ以外やった国なんかあるんかいのう? 日本の戦後のRAAにしいも、日本の官僚らが自国の日本女性に「事務員募集」広告で 騙して、実は股の力を必要とする、進駐軍相手に春を売る売春業じゃったわけで、 米軍から依頼されたわけじゃ無ぁんじゃし、日本軍の慰安婦強制連行否定的 問題発言の維新の橋下元大阪市長も、海外記者に米軍が強制的にか、日本側からからの 要望かと具体的に突っ込まれ、日本側からですと、認めざる得ん買った恥晒しの件も あったのう。自国で末端ネトウヨ煽りも、世界にゃ通用せんことを、Wikiコピー アタッカーのわれが、トンデモ捏造、隠蔽の歴史修正主義やらかしよんじゃけぇ 可笑しいんよ。 ほいじゃが、陸軍中野学校出身は西川中尉、小野田少尉にしても外道が多いいもんよ。 陸軍少尉 小野田寛郎 https://academy4.5ch.net/test/read.cgi/history/1126713027/ 147 :日本@名無史さん:2005/11/22(火) 00:12:45 [谷口義美少佐は、元支那駐屯軍の通信隊長でしたが、戦地の事を話されなかった そうですか。 支那駐屯軍、後の第27師団の戦友会・師団会の(写真で谷口氏と ともに写っておられる)方が、小野田氏を 「彼が帰順して内地に帰った時、国民や大企業は英雄としてこれを誉め称え多額の 同情金を贈って慰めた。彼は将校としての権威を利用して部下を威圧し、現地民の 食糧略奪を命じ、現地民の食糧を奪い生活していた。敗戦により命令権の消滅した 当時でも命令権を発動され死んでいった兵卒こそ哀れであり、これこそ英雄どころか 重罰に処すべきであろう。また国民の評価はまことに不合理なものといえよう。」 と批判されておられます。概ね戦争体験者からの意見では、小野田(少尉)氏の 評判は悪い。] 344 :白馬青牛:2006/01/07(土) 23:41:17 「横井庄一兵長は、グァム島玉砕の生き残りの一人で、国民のなかには卑怯者とか 逃亡兵とか罵る者もいた。しかし、これを罵るものたちこそ真に迫る玉砕的激戦に 遭遇した経験のない者たちの発言であろう。彼はよく奮戦し、ただ運よく生き 長らえたもので、同情かつ誉め称えるべきである。横井兵長は、生死をさ迷う激戦、 玉砕のグァム島であった。 小野田少尉の場合は爆撃、艦砲射撃はもちろん銃撃戦もなかった平穏な孤島に配備 された部隊であった。敗戦後、彼は部下兵卒を率い現地民の食糧を奪い生活して いた。部下の兵卒は島民の食糧略奪を命じられ、フィリピン軍に射殺された。彼が 発見された時点で彼ただ一人生き残っていた。」と戦闘体験者は、述べられた。 現代では、小野田氏世渡り上手が評価されとるようじゃのう。 ] >>748 の過去スレじゃ、わしゃ最初、名無しで書きよったが、途中からコテで書いた。 まあ、小野田氏も戦闘体験者らの、「部下を見殺しに、のうのうと日本へ一人 帰ってきよった、小野田みたぁな卑怯なもんは絶対許せん」云うての鋭い憎悪敵愾 視線に、小野田氏は怖れたせえか、日本じゃ恐怖の日々ゆえ、ブラジルへ 逃げよったのう。 >>750 違う、748の過去スレ読むと分かる。 言葉遣いも今より激しい時もあれば丁寧なのもある。人に歴史あり。 >>747 >奇襲し引き揚げる遊撃戦の場合は戦果や兵器確保なんか無ぁんは当然よ。 ボディカウントとどう違うの?答えられる?凄く否定してたけど、信義ダー言えば此方はおkになるのか? 牛The畜生脳だったらw >桜挺身隊の>>746 の俘虜(捕虜)1300名捕獲戦果の中国兵捕虜の中から、20名を厳選して >桜挺身隊員に加えたんも、日本的で、明治の西南戦争でも西郷軍の捕虜を >明治政府軍の兵士に主人変えさせたんも、 あのー その程度の事は何処でもやってるけど?有名なのはヒトラーは嫌ってたけどロシア解放軍(ウラソフ司令官) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E8%A7%A3%E6%94%BE%E8%BB%8D 、あるいは悲劇的なワルシャワ蜂起において残虐行為を繰り返したカミンスキー旅団とかな? https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E6%97%85%E5%9B%A3 それ以外でもインド国民軍ならぬSS義勇インド軍団なんて物騒な名前の中東捕虜転向の部隊作ってるし。 >日本将兵は、国府軍兵士として中共軍や祖国日本軍とでも戦う意志じゃったが、 >中国人は、日本の将棋思考を知らんけぇ、 えっと、日本限定なの?それ。 チェスだと当然、取った駒なんて使いまわし出来ないけど欧州人はそれに制約受けんかったの? あるいは…例のごとく牛だ畜生さんが浅い知識から勝手に敵味方の行動にルール付けてなにか 吹かしてるのかな?現実なんてそんな甘っチョロい考えじゃ渡り合えないけどさw >>747 >異民族女性や同胞の日本女性まで騙したり強制連行するんも日本のお家芸で、 >他にナチスドイツ以外やった国なんかあるんかいのう? 異民族だったら韓国がやってるだろ?ベトナム戦争でさ。…確か現地ではとるこ風呂って言ってたんだっけw 一般的に戦地じゃヤリ捨てが基本で、どうもお前がまるで回答していないソ連軍の蛮行などを 見れば分かる通り、 金 なんか払いたくもないし戦地でレイプしては新たに調達してレイプ(以下続く 等となっている。 RAAが出来た経緯などを見ても、 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E6%85%B0%E5%AE%89%E6%96%BD%E8%A8%AD%E5%8D%94%E4%BC%9A ・ヨーロッパの戦場で、アメリカ軍将兵によるレイプの被害者が14000人(ドイツ人女性 11040人)いたこと[7]。 ・沖縄戦では連合国軍の上陸後強姦が多発したこと。アメリカ軍兵士のみにより強姦された女性数を10000人と推定する見解もある。 “In Okinawa, US troops are estimated to have raped 10,000 Japanese women during World War II”。[10][† 1][11] ・連合国軍が日本に進駐した際、最初の10日間、神奈川県下では1336件の強姦事件が発生したこと[5]。 占領直後の性的暴行や強姦の件数については確定していないが、藤目ゆきによれば上陸後1ヶ月だけでも最低3500人以上の女性が連合軍兵士によって被害をうけた[12]。 で、今度は何の話をしたいの…あの軽率な大阪市長だか府知事だか都知事(それまだやw)の話にすり替えたいのかな?上記穴だらけな認識しか持ってないのにw >>748 で、また前書いたことのリサイクルを持ってきたの? >[谷口義美少佐は、元支那駐屯軍の通信隊長でしたが、戦地の事を話されなかった >そうですか。 支那駐屯軍、後の第27師団の戦友会・師団会の(写真で谷口氏と >ともに写っておられる)方が、小野田氏を >「彼が帰順して内地に帰った時、国民や大企業は英雄としてこれを誉め称え多額の >同情金を贈って慰めた。彼は将校としての権威を利用して部下を威圧し、現地民の >食糧略奪を命じ、現地民の食糧を奪い生活していた。 これを検証したのは誰。…この場合は洗脳云々とか出てこないのか、あるいは私怨がとかも 出てこないのかな?>>630 の「恫喝で密告はさせ」ない要領を得れば、戦地のどんな法螺でも デッチ上げられるからな?牛だ畜生さんw また違う状況を持ち出して話そらしてるしなw >小野田少尉の場合は爆撃、艦砲射撃はもちろん銃撃戦もなかった平穏な孤島に配備 >された部隊であった。敗戦後、彼は部下兵卒を率い現地民の食糧を奪い生活して で>>749 >小野田みたぁな卑怯なもんは絶対許せん」云うての鋭い憎悪敵愾 視線に、 て何? 要領は良くさっさとニューギニアでの後衛任務からトンずらこいた 第41連隊の 話 をまたしたいのかな? この連隊の生き残りについては戦後、ここで何度も話題になっている 第144連隊からそれこそ憎悪の眼を向けられていて、あの敗戦について語る 高知の生き残りと、えっと何だったっけな ハ、ハハ「敗軍の将は語らないから」(ガクガクブルブル な玉無し連隊との間でやり取りがあったと書かれている。 この玉無しゴミくず連帯についてはどうすべきだったと思うよ? 30人は帰ってキチマッタようだが。 まあ連隊規模としてはあんまり大きくないから放置しときますか? 広島師団の恥さらし!、と言ってみた所で他にもそんなの ゴ ロ ゴ ロ いそうだしなw >>750 歴史系スレじゃ、ちいと前からじゃのう。 >>752 引き揚げた場合は、敵兵死傷カウントん成らんし、後で占領した多数の正規部隊の トリプル水増しカウントに成るよ。 日本以外じゃと、自国軍が後方で督戦して戦場奴隷を逃げられんようにして 戦わす例が多いいし、自国軍の撤退時間稼ぎにも使われるんよ。 中国国府軍や地方軍閥軍も他地方じゃ督戦やりよったし、日露戦争じゃ ポーランド人を逃げれんようにして、塹壕に縛りよったわけで、日本人の場合は 志願者が集うんじゃけぇ、性格が異なるけぇのう。 まあ、督戦云うたら、マレー戦すら、英国本国軍はグルカ・インド兵に殿やらして、 英国本国軍逸早う逃げたけぇのう。シンガポールじゃ英国本国軍も逃げれんけぇ 降伏選ぶしか無ぁわのう。 まあ、世界中軍隊言うんは醜い差別ヘイト感情丸出しに成るわけじゃが、 日本は自国の前線将兵見殺しで上層部から逃げるが、西洋は自国将兵見殺しじゃ、 メディアや世論に叩かれ軍法会議で処罰されるんじゃが、植民地軍や現地確保の 奴隷兵はヘイト感情で見殺しにして逃げるけぇのう。 >>752-753 >>754 そもそも、RAA設置計画は米軍上陸進駐以前のことじゃし、米軍による 強姦対策じゃ無ぁし、そんことくらい橋下も解っとるけぇ、日本側からと 海外記者会見じゃ云うたんよ。騙せる洗脳されたネトウヨや日本国民扇情の 反知性主義は世界に通用せんのよ。 谷口氏(少佐)と写真に写り小野田氏について書いたんは、元東京27Dで金鵄勲章 叙勲者の広島県人の道岡氏よ。東京27Dは、支那駐屯軍時代広島師団管区から 兵隊募った年があったし、古参先輩の関東、九州地方兵世代たぁ強かったけぇのう。 後輩は貧弱な関東の大学出のエリート出身者が多かった。じゃが岡村寧次大将が、 東京27D武勲誉めた時は、関東一円のエリートの体力資質は疑ったが良くやった。と 誉めよんじゃけぇピンボケしとるのう。先輩古参の広島勢の活躍が真実じゃし。 ほいで、「検証」たぁ、客観性の無ぁ、主観による都合の悪りい資料は隠蔽のヘイト 歴史修正主義者の常用句じゃが、道岡氏は、最前線戦闘体験者で、ヘイト、 ネトウヨの戦後の歴史修正主義者じゃ無ぁんじゃし。 小野田氏がニューギニアみたぁな飢餓地獄地域に行ったわけじゃあるまあし。 戦闘部隊兵士が戦後も小野田氏と行動共にしたら、小野田氏の卑怯な行為の 言いなりにゃ成らんし、小野田氏は部下兵に殺される確率が高う成るのう。 小野田氏のトンズラも無かったろうて。 >>751 ええ?これが白馬青牛!? 0020 日本@名無史さん 2005/09/17 11:35:56 自然のままで生きのびる力なら横井庄いっさんの方が強い。住民に危害加えないで 隠れて生きていた。一方、小野田少尉らは食料調達に行き見つかると追っかけてきた 原住民を銃で撃ち殺して逃げていた。銃の力で生き延びた。まあ、山賊の類 庄いっさんはも銃は持ってたが使えるうちは狩猟に遣っただけ 0029 日本@名無史さん 2005/09/17 17:49:46 >>23 日本の捜索隊がいくら「あなたの身の安全は守られているから出てきてください」と言っても 出てこず、元上官がわざわざ出向いて「任務解除命令」を出して 初めてフィリピン軍に投降したわけだが。 だからあんたらの言うような、 「出てきたら殺されるから出て来られなかった」というのは真相では有り得ない。 朝鮮戦争やベトナム戦争を知りながら敗戦を認めなかったのはアホすぎる、という批判は じゅうぶんに有り得るし、それは本人も認めるだろう。 まあそれこそ、後付けの結果論の批判だが >>757 の続き 0038 日本@名無史さん 2005/09/17 19:31:39 >>35 命令の有無に固執していたというよりも、 信頼できる上官に直接言われない限り 日本の敗戦を確信できなかった、ということらしい。 だからもし谷口少佐が死んでいたら、 本当に今でも山から出てきていなかったかも知れん。 0064 日本@名無史さん 2005/09/19 01:32:18 確かに「狂気」的なものも多分に持ち合わせていた人なんだろうな、 とは思う。最初に戦友の赤津一等兵が脱走した時にも、 「生かしてはおけない。見つけ次第絶対に射殺してやる」なんて言っている。 後に小塚上等兵が戦死した際には、仕返しに島民たちを皆殺しにするつもりだった、 とも言っている。 まあ確かに、>>61 の思う「英雄」の観念とは程遠い人物であることは、 間違いないだろう。 0092 日本@名無史さん 2005/09/20 21:17:43 ルバン島赴任直後の昭和20年1月10日に少尉に任官しているから、 いわゆるポツダム進級ではないね。 上官の谷口少佐も「少佐」のままみたいだから、ポツダム進級はしなかったものと見える。 お兄さんのことは知らん。 0175 白馬青牛 2005/11/26 22:48:40 >>170172 ええか、最初わしが、戦争体験者の意見として「命令権を発動され死んで いった兵卒こそ哀れであり」と書いたんに因縁をつけ、本人以外誰も 判断出来んじゃとほざいとるが、小野田氏ご本人が真実を語られると思う とるんか?まず強盗したんを正当化するんか?それを日本人として誇りに 思うんか?わしは、挺進隊の事例をあげ、こういう面があったと言う とるんに、命令権を発動せず部下だけで行動し、現地民から略奪した 食糧を何の疑問もなく指揮官がいただくか? そのような事例でもあるんならその例を言えい。 >>173 白馬青牛は、古代中心のスレで名乗っとるもんじゃが、まあここでも そうしとくか。 話題を微妙に逸らして、逃げる青牛。 無知が吠えているな、とすぐ分かる >>755 >引き揚げた場合は、敵兵死傷カウントん成らんし、後で占領した多数の正規部隊の >トリプル水増しカウントに成るよ。 あのさあ、どれだけ敵を釘付けしたかの把握もしてないの? 偽造し放題じゃんwww他にどう評価しろとwwwwwww >まあ、督戦云うたら、マレー戦すら、英国本国軍はグルカ・インド兵に殿やらして、 >英国本国軍逸早う逃げたけぇのう。シンガポールじゃ英国本国軍も逃げれんけぇ >降伏選ぶしか無ぁわのう。 これ、出して?何か根本的な概念の欠落があるようなんで、どう間違っているか 示させるベースが欲しいんでw(ジャップさん達はは何処から攻めてくると思われてたのかな?w >西洋は自国将兵見殺しじゃ、メディアや世論に叩かれ軍法会議で処罰されるんじゃが、 >植民地軍や現地確保の奴隷兵はヘイト感情で見殺しにして逃げるけぇのう。 本当にこう言い切れるか、今のうちに明記しといて? 言うまでもない事だが、”妥当な”根拠が示せなければそれ>醜い差別ヘイト感情丸出し<だよ? 牛打算。 言っても分からない畜生だとはわかってるつもりだけど、一回はチャンスを上げないとねw >>756 >そもそも、RAA設置計画は米軍上陸進駐以前のことじゃし、米軍による >強姦対策じゃ無ぁし、そんことくらい橋下も解っとるけぇ、日本側からと >海外記者会見じゃ云うたんよ。騙せる洗脳されたネトウヨや日本国民扇情の >反知性主義は世界に通用せんのよ。 整合性が全くもって示せず、詰まる所誰かの伝聞しか書けん畜生さんが、 えっとなんだ、知性の話をすると?w 米軍の事については具体例が戦時中の話から出てるしノルマンディ、あとは 戦時中に駐留の米国兵に奥さんをレイプされたアンソニー・バージェスのいた英国、 強姦がきっかけで現地兵と暴動が起きた豪州、それに青い牧場(Blue Coral)と言う 現地での慰安所を作る計画が上層部で止められてからレイプが多発したフランス、 等など米国兵が〜まあ日本に駐留した豪州兵もそうだが〜その手の問題を多く 起こしているのは世界的な 常 識 だ。 実際、21世紀最初の十年のイラクへの駐留でも娘を強姦した挙句に家族皆殺しした 事件とかあったしな。 …上記のような状況がある中で、何で今更な”従軍慰安婦”が今世紀初頭に騒がれたと思ってるの? あるいは逆に、今 全 然 話題になっていないか、とかw 橋下については、まあ沖縄に行っての発言が発端だからなあ…あの男、2009年の政権交代後も 沖縄の米軍施設を引き取る、とか言った後でやっぱりやめたw的な対応してたので、慰安婦関係で 腰砕けになるのはある程度想定はしてたぞ?当時(2013年)の米軍のヤバさも把握してないで突っ込むから ああなるとしか言えんw >谷口氏(少佐)と写真に写り小野田氏について書いたんは、元東京27Dで金鵄勲章 >叙勲者の広島県人の道岡氏よ。東京27Dは、支那駐屯軍時代広島師団管区から >兵隊募った年があったし、古参先輩の関東、九州地方兵世代たぁ強かったけぇのう。 何で小野田たんの事を話す事が出来るの? 経歴とか全然違うのに、接点があるかすら正直不明だw 彼の自叙伝とか見れば出てくるが元々彼は民間の商社に勤めていた人間で、恐らく件の中野学校で ボーアコマンドゥとかの戦い方を学んで戦地に赴いたと思わるな。 …この手の戦い方はアメリカだったらOSS、イギリスだったらSOEが敵地背後で行っていた事で、湾岸戦争等でも 軍部隊のSASがジープみたいなもん(レンジローバーね)でスカッド狩りとかで奥地まで浸透している。 その時はイラク現地の羊飼いに見つかり、さっさと処分しなかったからイラク軍に通報されて結果捕らえられてしまったと。 こう言った場合、殺さなかったのは甘ちゃんとか言ったりするのかな?基準が結構ユリ動く牛打算はさw あと、ボーア戦争の際は世紀戦をあっという間に片づけたが残った1万人余りのコマンドゥに45万人の英軍がくぎ付けされてたな …件の何だっけ、金鵄勲章さんならそれどう評価するのかね?キッチナーよりまともな判断、できる? 鋭い憎悪敵シッセーンだっけ?何かのレーザービィムみたいのもんが出せるの? え、物理的ではないと…そんな糞役にも立たん能力持ちが賞貰うとか…せーんそうに負けた理由が容易に理解できそうだなオイwwwww >>760 無知ならWikiコピー百田アタッカーネトウヨ脳の>>761 >>763 よのう。 >>761 >>763 概念たぁ類型よのう。われん主観的な「妥当?根拠」抽象的表現の「整合性」たぁ 何なら。主観産物の「検証」多用同様、用語多用で内容が無ぁネトウヨWiki 百田脳じゃつまらんよ。日本側からのRAA設置で米国が要求したわけでも無ぁ 事実は、橋下でもわれでも覆せんわけで、日本側は「事務員募集」広告で、 実は肉体提供する職種で自国日本女性を騙しよった詐欺師の日本腐れ政府を 弁護する自体、われん反日売国行為に他ならんよ。 日本国家が「旦那、日本にゃいい女が選り取りですぜ」で日本のエリート官僚は、 売春宿の客引き役やりよんじゃし。自国女性売春強要騙しも、自国将兵の餓死 ワースト世界記録の日本の前近代的奴隷社会体質体現の恥部すら 隠蔽してどうすんなら。バレることを白々しゅう隠す根性も卑しい反日行為じゃ 思わんネトウヨ脳の呆れるけど。 >>764 >概念たぁ類型よのう。われん主観的な「妥当?根拠」抽象的表現の「整合性」たぁ >何なら。主観産物の「検証」多用同様、用語多用で内容が無ぁネトウヨWiki >百田脳じゃつまらんよ。 …? 単に広島、に親しみのある人物による証言しか出せない牛ださん、何言っとるの? どう言う人物があってるか打算はできる模様w >日本側からのRAA設置で米国が要求したわけでも無ぁ事実は、橋下でもわれでも >覆せんわけで、日本側は「事務員募集」広告で、 まず最初にだが、>761って慰安婦や売春婦にかんする記載があったっけ? 余り自分自身のレスにアンカーするのは好みではないんだが、そのような”主観”は さておき、議論と全く関係ないでしょ? >>755 >引き揚げた場合は、敵兵死傷カウントん成らんし、後で占領した多数の正規部隊の >トリプル水増しカウントに成るよ。 と >まあ、督戦云うたら、マレー戦すら、英国本国軍はグルカ・インド兵に殿やらして、 >英国本国軍逸早う逃げたけぇのう。シンガポールじゃ英国本国軍も逃げれんけぇ >降伏選ぶしか無ぁわのう。 について、回答なんてお前はしてないんでそれにこたえてね?どうしてもアンカー付きで 否定したいんなら。 出来る?Wikiソースでなくてもよいが、 無 理 かw RAAについてもそうだが >>747 >異民族女性や同胞の日本女性まで騙したり強制連行するんも日本のお家芸で、 >他にナチスドイツ以外やった国なんかあるんかいのう? これは前にも書いた通り、韓国(大韓民国)がやっているし、追加するなら歴代の 朝鮮半島王朝が妓生と言う市場で売買可能な奴隷を用いて中国のオーバーロードまあ ご宗主様のこれまた歴代の中国王朝の使者様向けに行っている。何かその話からそらしてるけど 見逃しているとでも思ってるの?w >>764 で >百田脳じゃつまらんよ。日本側からのRAA設置で米国が要求したわけでも無ぁ >事実は、橋下でもわれでも覆せんわけで、日本側は「事務員募集」広告で、 >実は肉体提供する職種で自国日本女性を騙しよった詐欺師の日本腐れ政府を >弁護する自体、われん反日売国行為に他ならんよ。 われって俺の事? 売国とか反日と言葉くっつけていれば自身の誤魔化しを覆いかぶせるとか思ってるのかね? 牛だ畜生さんはw 上に引用した>>747 >異民族女性や同胞の日本女性まで騙したり強制連行するんも日本のお家芸で、 >他にナチスドイツ以外やった国なんかあるんかいのう?から 上記韓国の件もそうだが他国に類似系があまりない (…フランスはBMCと称する軍が運用する https://en.wikipedia.org/wiki/Bordel_militaire_de_campagne 植民地軍、およびそれが参加した際の第一次世界大戦の売春宿が存在するし、 http://www.journalducanada.com/le-bordel-militaire-de-campagne-ferma-en-1995-2424-2014/ >Le dernier bordel militaire de campagne Francais a ferme ses portes en 1995. →フランス軍の売春宿(bordel militaire de campagne )は1995年を最後に閉じました、とさ。 仏領アルジェリアには1870年頃までには設立されていた模様 http://www.journalducanada.com/wp-content/uploads/2014/05/Le-Bordel-militaire-de-campagne-ferma-en-1995-600x330.jpg ちなみにディエンビエンフーには”看護婦”としても働いていた アルジェリア 人女性がいたそうだが、どうやって渡航した?w) のは、実際にレイプ等、まあ言わば無銭性行為が横行してたのは前に書いた通り。ボーア戦争のリンクも見れば出てくるが イギリスの大佐が現地ボーア人女性を強姦した事件を明るみにする前に軍を除隊していたりする。 その辺の事情を書いたはずだが >>756 >そもそも、RAA設置計画は米軍上陸進駐以前のことじゃし、米軍による >強姦対策じゃ無ぁし、そんことくらい橋下も解っとるけぇ、日本側からと >海外記者会見じゃ云うたんよ。騙せる洗脳されたネトウヨや日本国民扇情の >反知性主義は世界に通用せんのよ。 RAAに話をすり替えたい?まあこれはまだしばらく続けようと思っているのだろうが >>764 >日本側からのRAA設置で米国が要求したわけでも無ぁ >事実は、橋下でもわれでも覆せんわけで、日本側は「事務員募集」広告で、 >実は肉体提供する職種で自国日本女性を騙しよった詐欺師の日本腐れ政府を >弁護する自体、われん反日売国行為に他ならんよ。 …その、「弁護」って何?上記、金払わんで性行為を行う(これはイラク戦争でもあり結末は証拠隠滅の一家皆殺し)を 他の国が行っていた(これは当然日本あった)、あるいは行っている訳だが何で話をすり替えたわけ? 牛だ畜生さんよ…最早軍事行動の話はできないから、似非右翼風に”政府”の失態叩きたくなったの?(パヨパヨw 白馬青牛は、女性と合意で通常の性交するのも強姦レイプに感じて罪悪感で勃起不全インポテンツになるから自らの男という立場を排除するために女装して女となって女同士の体裁でチョメチョメするらしい。 どこの風習なんこれ?白馬家の躾で教わったんか、強姦世界一の九州人への嫌悪ゆえか、変わった風習よのう。 752 名無しさん@1周年 2019/06/09(日) 16:36:29.06 ID:V3o8x86R0 【中国】中国のネットメディアが「満州国崩壊にソ連軍が実際に何をしたか知ってる?」という記事を掲載 第二次世界大戦が勃発し、中国は戦場となった。清朝政府の失策により中国は日本の侵略を許し、無数の国民が苦難を強いられる中、 反ファシスト戦争の勃発により中国はいくつかの国の支援を得ることができた。その中の一つがソ連だ。 ソ連軍は終戦間際に満州と朝鮮半島に出兵し、日本軍を追い出す手助けをしてくれ、地元の中国人は大喜びだったと広く認識されているが、果たして事実はどうだったのだろうか?日本軍は中国に多大な被害を与えたが、ソ連軍は日本軍だけに被害を与えたのだろうか? ソ連軍は全く規律が取れておらず、駅、バス停など街中のいたるところで若い中国人女性を暴行した。そしてソ連軍は地元政府に対して毎日一定数の若い女性を差し出すように命令した。一人欠けることすら許されなかった。 中国人の家にトラックで乗り付け、古くて使えそうもない家具以外のすべてのものをトラックに乗せて略奪するという行為が横行した。ソ連軍の上官は取り締まるどころか自らその行為に参加した。 中国に入ったソ連軍のうち、いい人の割合は20人に1人程度だったという。遼寧省瀋陽市(旧奉天市)ではソ連軍の「援助」を受けてから6ヶ月間で972個の工場が略奪により破壊され、上下水道システムが完全に崩壊した。 そしてソ連軍は撤退する際に街に火をつけ、抵抗する中国人は全てその場で射殺された。中国人の我慢の限界を超えるころにはソ連はすでに中国から撤退を終えていた。 ソ連撤退後、中国各地にソ連に感謝をする記念碑が建てられたが、そこにはもちろんこういった行為については一切書かれていない。ソ連の「援助」期間中、中国では9.5億ドルの損失が出たという。 中国ではほとんど知られていないこの事実をどう思うだろうか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる