乱世に必要なのは慰安婦 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>618 >集団多勢暴行のパワハラは昭和期にゃ無かったし、 >当時日本女性と広島平和公園で貸しボートでアベック岩国米兵( 今ならカップル)も、 >子供らの石投下に怒り子供らにも殴りかかって来炊けど、 >子供のスネへの一撃でダウンし倒れた処を棒で叩かれ放題で横たわったダウンじゃし、 >岩国米兵子弟らも、日本の子供との喧嘩も個人戦じゃったし、少年と米兵の喧嘩も >個人戦で集団で襲うこたぁ、まずあり得んよ。彼奴らも意地があるけぇのう。 …あのー 米 国 兵 ? 豪州の話をしてて、何で 米 国 (※アメリカ大陸にある国の事です)の話が 出てくるのか書いてみて。 散々、豪州軍は 広 島 将兵の区別が着くとか言っときながら関係ない国の 話を出すとか、どれだけ判断能力が欠落してるの?あるいは自分の評価の 付け方は物凄く甘い事を理解してないボケナスか…両方かwww >ビール瓶は割れ易いけぇ、割って破片を顔面突き刺したら脅し効果にゃ成るけど恨みの >復讐心リスク請け負う覚悟は必要じゃのう。 その程度の”気概”、は持ってると思うぞ?何せお前の言う日本の何やらとは違って ”貧弱”じゃないんで。 週三回(火木、後土曜日)のスポーツ活動しかしてないけど、軍事教練やら前に述べた 野外キャンプ(もちろん天幕)やらで毎年2〜3週は修学旅行等と言う単なるお遊びとは 全く違う、自然環境でのサバイバルスキルとやらをしゅうがくさせられ、後は社会福祉だ 聖歌隊への参加だ(流石に逃げました)、聖ヨハネ騎士団の病院か何かでの奉仕活動だ (こちらはお呼びが掛からなくて良かった良かった)、いろいろ勉強以外の義務を課せられる (色んな階層そして今は人種にオープンな)パブリックスクール、て所の話なんでね。(ナガッ! そういや何かノブレスオブリージェの話をしてたっけ…徴兵制もないのに”偉大な戦争”に こぞって参加して半数以上が戦死し、その後も色んな戦争に志願してる話でもする? あるいは、寮があるわけでもないのに帰宅部が存在せず、全員スポーツ参加が義務付けられてる 話とか。 牛ださんだと半年、まあ一学期も持たないだろうな。 「冬」のスポーツだとクロスカントリー部以外は集団系のスポーツは存在しないし、ベドウィンの話持ち出す、 集団生活に如何にも適合出来ない馬鹿や牛畜生なものだと、目の敵にされるからね…崩壊щ(゚Д゚щ)カモーンwww >>616 反論に窮して支離滅裂な事を喚き散らしても、無駄。 韓国人が、自分の意思で日本に来て違法な売春をしているのに、 それを放置している韓国政府が、どの面下げて従軍慰安婦問題を語るのかw だから、韓国は世界中から信用されなくなってきてるだろ? >>621 米兵も価値観として、西部のガンマン的一対一のタイマン勝負への美学があるし、 西洋の騎士道精神根源価値観は、米豪も植民地国ながら侠の意地云うもんが あるんじゃし、昭和の日本人だけの一対一一騎討ち価値観の狭い問題じゃ無ぁんよ。 まあ、昭和期にも数に頼る集団暴行もあったけど、個人対抗でも負けたら敗者じゃし 言い訳は出来んが、不利な状況で平気で損が出来るんが侠云う美学が あったけぇのう。集団のリーダーを如何に倒し戦闘主導権を奪えるかの駆け引きも あった時代じゃし。 また、ビール瓶で顔壊されるもんは卑怯なもんだけで、通常の数使わん喧嘩なら 割れにくいコーラ瓶で解らせるだけよのう。 集団で個人襲うたら汚名付きまとうけぇ、誰からも軽蔑されるし、個人武勲で のし上がるしか無ぁんよ。戦前の軍隊で上官暴行の悪兵も、同僚集い卑怯な 集団リンチじゃのしたら。汚名で誰も付いて来んよ。個人の上官暴行ゆえの 価値なんじゃし。 軍事教練なら顎あげて倒れた落伍兵殴打で、軍隊はキャンプ遊戯の 甘い世界ゃ無ぁよ。まあ、英国式パブリックスクール方式なら、貧弱に日本の 上層部たぁましに成るが、旧日本軍の軍事教練じゃ無理でパブリックスクール出の 大抵が落伍し、班周りで各班兵士から体罰鉄拳制裁でダウン気絶しても起こされ 鉄拳制裁の地獄に寝させて貰えず不寝番として夜間立たされ、他班からさしくり 盗まれたら鉄拳や鋲の付いた軍靴殴打で欧米人のほとんどは付いていけんよ。 >>621 昔の旧日本軍の方が 今たぁ比べようが無ぁほど初年兵を虐めよったし、今の自衛隊の ように志願で何時自衛官辞めてもええ自由の無ぁ徴兵制ゆえ、兵隊は毎年来る消耗品 ゆえ、虐めや訓練の厳しさで自殺者が毎年 ある程度出るんが当然の時代じゃったし、 戦後自衛隊の幹部に成ったかつての部隊の戦友が自衛隊の訓練が優し過ぎ貧弱な 人間しか育たん云うた処、自衛隊の幹部は「昔の旧軍時代のようなことしたら、皆な 自衛官を退職しますわ」云うくらい、訓練も虐めも酷かったんよ。 「軍靴をつぶした営内靴で、また銃剣の鞘で殴られる、瞬間目の前が真っ暗になり、 星の火が飛ぶ。 だれしも経験したことだが、歯を折り、また鼓膜が破れて入院する 兵が続出する。 あまりの私的制裁に堪えかねて弾薬倉庫の裏で首を吊った兵」 暖炉用のスコップが頭に飛び、銃を逆手に持って全身をめった打ちにする。零下 何度の屋外に 数時間直立不動の姿勢をとらす。狂暴なものから陰湿なものまで、 鬼の様相であった。」 「「対抗演習をはじめる。向かい合った二人でお互い気合い入れるんだ。」私も夢中 で 張り飛ばし、相手も怒って殴りかかってきた。二年兵も新兵のなかへ暴れこんで あたりかまわず張り飛ばした。他班の編上靴を首から胸に吊るした新兵が、わが班に やってきた。 「ようし」「よう来た」二年兵がよってたかってパンチを食らわして から次の班に回す。 「殴りながら聞け。怠けるやつはあのように中隊じゅうを回ら せるぞ! 」 凶暴な体罰が終わり、新兵はすっかり伸びた。」 乱世にも治世にも白馬青牛は無用。 これは揺るぎない事実である。 >>624 … >米兵も価値観として、西部のガンマン的一対一のタイマン勝負への美学があるし、 >西洋の騎士道精神根源価値観は、米豪も植民地国ながら侠の意地云うもんが >あるんじゃし、 あのー、 豪州人の話だよね?で西部の一対一のガンファイターないしはガンスリンガー勝負って 一 体 な に よ ? そもそも、お前の言う所の”タイマン”勝負なんてどれだけあめりか西部にあったのか、 ダイム小説やハリウッド着色があんまなさそうな事実を出してみ。 で、豪州人はアイルランド系が多いのは理解してるようだが、彼等の彼の地での境遇や 反逆とか理解してるのかな …侠とか正直言って馬鹿じゃないの、いや牛畜生か、て類の笑い種だよw お前の大っ嫌いな https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%AA%E3%83%BC を見れば分かると思うが >オーストラリアは囚人たちの新たな流刑地となり、その監視として軍隊もまた派遣された。 >だが軍の一部はオーストラリアに定住し、土地と羊を専有して囚人を労働力として私物化した。 >彼らは地主階級となってオーストラリアの支配層を形成したが、そのために囚人たちは小農民 (セレクタ)としての生活が強いられた。 >1851年からはゴールドラッシュによって自由移民が押し寄せ、植民地としての統治体制が >急速に整っていく。 >経済面でも鉄道や銀行といった流通と経済のインフラが整い、牧羊業中心の経済からの転換と >発展が徐々に進んでいた。しかし元囚人とその子孫は恩恵を受けることができない白人の >最下層であり、ほとんどの者が厳しい生活を送っていた のが20世紀建国に至るまでの豪州の歴史であり、そのような底辺が住んでた地区は都市部にも 前世紀の後半くらいまではあった(だいぶきれいになったが)。 それこそ人種レベルで生活が違うんで、正義とか卑怯とか価値観があまりかぶらないんだよな。 制服姿でうろつくのは正直目障りで狩られる事もあるし、自衛措置をしつつ逆浸出、 要は速やかに逃げ出すことも必要だ。 まあそんな所に制服着たままうろつくなよ、て所だが幾つかの(スポーツの)対戦校はそう言った 都市部にあるし、まあ試合あるのは土曜だし(あそこは昔から週休二日ね?w >>624 >軍事教練なら顎あげて倒れた落伍兵殴打で、軍隊はキャンプ遊戯の >上層部たぁましに成るが、旧日本軍の軍事教練じゃ無理でパブリックスクール出の >大抵が落伍し、班周りで各班兵士から体罰鉄拳制裁でダウン気絶しても起こされ >鉄拳制裁の地獄に寝させて貰えず不寝番として夜間立たされ、他班からさしくり >盗まれたら鉄拳や鋲の付いた軍靴殴打で欧米人のほとんどは付いていけんよ。 それが正当化されるの? 実は日本の戦争犯罪の問題が長い間解決されなかったのは、正にその辺の 阿呆な認識から来てるんだが …お前、日本の戦犯叩いてなかったか?自分でナニ言ってるのか、なんも 分かってないのかなw >625 > 「殴りながら聞け。怠けるやつはあのように中隊じゅうを回ら >せるぞ! 」 凶暴な体罰が終わり、新兵はすっかり伸びた。」 実際にどんな風に兵が伸びたの? 戦争 素 人 な国だったんで先まで読んではなかったのだろうが、 お前なりの考えを書いてみろよw >>627 豪州きアイリッシュ系含めケルト系が多いいけぇ豪州兵は気性が荒い云われるん じゃが、新大陸移住自体ケルト系の割合は多いいし、アメリカやカナダでも 今は分からんが昭和期なら、4人に1人はケルト系じゃったろう。 西部劇は小説や映画じゃし、集団リンチなら19世紀でも南部や東部の都市部の方が 多かったわけで、田舎の西部でも集団強盗するけど、一方酒場や路上の喧嘩じゃ 一対一の決闘勝負で決めようとする作法概念もあったし早撃ちガンマンは知られる ように成るわけじゃし。 ほいから、アメリカのアイルランド系云うたらステレオタイプの警察官で、警察官に 成ると非アイリッシュ系でもアイルランド系性格に成るとも云われるけぇのう。 警察官任務である以上犯罪者との個人、集団の銃撃戦もやるわけじゃが、一対一の 素手の殴り合いの喧嘩もアイルランド系の好むもんじゃけぇのう。 時と場所、状況で戦闘対応も変わるんが人間なんよ。 >>628 ほうよ、日本の軍隊じゃ事実上正当化される云うか、部隊内の不祥事は部隊内処理が 基本で、公にしたら、部隊長の管理責任問われるし、兵隊が暴れて上官殴っても 公にしたら、軽うて営倉監獄で重罪認定されたら軍法会議で反乱罪の処刑処分 じゃが、殴られた上官は貧弱な軍人不向き烙印にも成るけぇ、訴えず恥晒す真似は、 やらんもんが多いいし、そもそも日本軍は「星の数(軍隊の階級)よりも味噌汁の数 (軍隊生活経験数)で、階級が下の部下でも、味噌汁の数の先輩古参にゃ気を使わにゃ いけんのんよ。西洋の軍隊は階級縦組織で決まるけど日本軍は年齢階梯の先輩、 後輩関係や経験数も左右するけぇのう。 日本の軍隊は娑婆のカタギの世界たぁ違うことを強調し班同士のさしくり窃盗、 強盗奨励で「他人の物は自分の物、自分の物は自分物」じゃし、上官が部下に 殴られても、「貴様それでも武士か!」と更に上官から罵られ、殴られた上官は、 「貴様も、足軽兵卒に殴られたら逃げる癖に」心の中で憤りながら、忖度に従い 従順な逆らわん真面目な兵隊虐めることでストレス解消するんじゃし、気の弱い 末端兵士は毎年の首吊り自殺や営庭から逃げ列車に投身自殺で同郷のもんが 自殺遺体運びやらされ、自殺した兵士の両親にお詫びするわけじゃし、日本軍の 上官に屈さん強さと、虐め体質の弱さの両方含んどるけぇのう。 「伸びた」んは、ダウンや気絶状態で、しばらくして、ウンコラウンコラ唸りながら 苦痛に悶え、寝る場所に戻っても悔し涙に枕濡らすんが日常よのう。 行軍訓練でも倒れとる兵士から軍刀の鞘で叩きあげるわけで、都会育ちなら トラック平地身体能力の高いスポーツ選手すら顎出して落伍ダウンするけぇのう。 まあ、わしん祖父は、登り道で隊列から離れ、戦友と一緒にタバコ吸いよって、 帰りの下山で隊列に混じり、恫喝で密告はさせなんだよ。まあ、軍隊はそがぁな 適応要領も必要じゃし、上官や古参にも逆らう兵士は、仲間からも見て見ぬフリや 上官、古参の虐められよん助けた恩義も密告抑制させるわけじゃし。 元阪神のマートンも、敬虔なクリスチャン宣教師じゃが危険タックルの常習犯じゃったけんのう。 まぁ、ルール上あの時代はタックルも仕方なかったんじゃが。 どうやら牛ちゃんの大好きな広島師団では、かなりの虐めがあったようですな 熱く語る軍記厳正な広島師団ドキュメントありがとうございました。 どうやら牛ちゃんの大好きな広島師団では、かなりの虐めがあったようですな 熱く語る軍記厳正な広島師団ドキュメントありがとうございました。 どうやら牛ちゃんの大好きな広島師団では、かなりの虐めがあったようですな 熱く語る軍記厳正な広島師団ドキュメントありがとうございました。 >>629 >豪州きアイリッシュ系含めケルト系が多いいけぇ豪州兵は気性が荒い云われるん >じゃが、新大陸移住自体ケルト系の割合は多いいし、アメリカやカナダでも >今は分からんが昭和期なら、4人に1人はケルト系じゃったろう。 ん?ドイツ系が多いアメリカの話をしたいの? で >西部劇は小説や映画じゃし、(中略)田舎の西部でも集団強盗するけど、 >一方酒場や路上の喧嘩じゃ一対一の決闘勝負で決めようとする作法概念もあったし >早撃ちガンマンは知られるように成るわけじゃし。 ↑ これと豪州とどんな関係があるのっと。 酒場や路上での一対一の勝負?ボクシングか何かか?ガンマンなんて地主(Squatter)層を 襲いそうな連中が野放しにされると思ってるのか? 一応オーストラリアは新大陸とされているものの、そこは純然たる国王又は女王陛下の ”植民地”であり、地主層はその政府によって優先的に守られている存在である。 何か略奪が起きそうなら警察ないしは植民地軍(Trooper)が守る訳で、一人狼的な 助けは必要とされていないんだよ。 逆にその官憲なり軍と結びついた現地支配層に底辺層は虐げられているわけで、 その層から立ち上がって金やら資産やら踏んだくろうとする武装集団、つまりは ブッシュレンジャーなる悪党どもが暴れるようになる訳で、これを列車による機動や 電信による通信網の整備で(先にも上げたネットケリー等)を1870年代に撃滅するのが 簡単な豪州のアウトロー史になる …以後は既に明治開化後台頭した上のライジングサンな国や眠れるチャイナなど 強力なアジア諸国が生まれたり(生まれなかったり)する時代に突入するわけで、 個人のタイマンとか牧歌て言うかお花畑な中二病になる前に近代国家としての豪州を 立ち上げるフェーズに入るわけだな… 時と場所、状況で戦闘対応も変わるんだっけ…一対一の戦いって重要視されたことあるの?w >>630 >ほうよ、日本の軍隊じゃ事実上正当化される云うか、部隊内の不祥事は部隊内処理が >基本で、公にしたら、部隊長の管理責任問われるし、兵隊が暴れて上官殴っても >公にしたら、軽うて営倉監獄で重罪認定されたら軍法会議で反乱罪の処刑処分 で、海外も当然そう思ってるわけだがどうもその辺は何の整理もできてなく、 海外の区別も付いてなく弱い立場にある海外の兵士などを虐待したと …戦いに敗れて、当然報復される事になる訳だが、そこまでは頭は回らんかったか? 馬鹿だな。 で >まあ、わしん祖父は、登り道で隊列から離れ、戦友と一緒にタバコ吸いよって、 >帰りの下山で隊列に混じり、恫喝で密告はさせなんだよ。まあ、軍隊はそがぁな >適応要領も必要じゃし その手の要領ねえ…くだんのキャンプじゃ最初はベース周りで自然の事とか学んだり する訳だが高校(まあ中三からその扱い)になれば夜間に雨降り風吹く中にコンパス持って ランデブーポイントまで足場の見えぬブッシュ突っ切ってビバーク、日本語で言えば 不時泊?てのを4マンセルでやらせたりする。 怠けたりするのは不可能なんだが…やはりお前系統のダメ人間なら逃げたりするのかな?w >>633-635 短時間で同じ書き込み繰り返し、白馬の真似かいのう。 牛ちゃんがゴミクズなんは、クズなジジイからの遺伝なんじゃのう。 >>632 アイルランドとスコットランドは赤毛地域じゃけぇ。カナダ東部やアメリカ南部 山岳部もスコットランド系、オレンジのスコッチ・アイリッシュ系移民が多かった 赤毛地域よのう。ほいじゃが非ケルト系で、ロシアのウラル、カザン地域も 赤毛地域じゃのう。 >>633-635 広島師団でも他地域同様営庭の虐めはあったよ。じゃが営庭虐めも九州兵が 酷いけぇのう。全国将兵集う弱い混成部隊も、古参先輩が九州出身なら理不尽 丸出し雑用使用、体罰も最悪じゃけぇ。 >>636 アメリカなら、ドイツ系とアイルランド系の移民数あんまし変わるまあ。イギリス系 移民の中の、スコットランド系やウェイルズ系含めたら、ドイツ系たぁ多かろう。 ピストルでも、素手でも一対一でせにゃあ恥辱じゃけぇのう。豪州のオージーらも、 価値観は違わんし、統治の事情じゃ変わらん生物としての人間の本能行動の 一つじゃけぇのう。 >>637 海外云うか西洋の軍隊なら、上官命令の規律は絶対じゃが、その代わりに 高級将校が後方戦闘見学の日本と違い、西洋はノブレスオブリージュ(高貴な義務)で 高級将校も前線へ出るし、そうせんと西洋の兵隊は付いて行かんよ。 日本軍の場合は、下っ端から死ね方針で、高級将校は部下見捨てて逃げたりする わけじゃが、下級将校の場合は前線で指揮採る建前じゃけぇ、特に小隊長の場合は 立場が辛い。陸士出身で教習マニュアル通り作戦を下士官、兵に押し付け 強制したら、部下は誰も付いて来んで、勝手に小隊長一人玉砕で神輿が新任の 小隊長に変わるだけで、新任の小隊長が味噌汁の数から戦闘慣れした下士官や 古参兵の進言通りに指揮すりゃあ、部下が勝手に戦闘してくれるけぇのう。 日本軍全てが他国兵捕虜虐待したわけじゃ無ぁし、善意でも食文化なんか誤解 され易い。牛蒡は木を食わすつもりか何癖つけられたり、滋養の為の内臓肉の ホルモンも特にアングロ・サクソン系にゃ奴隷食と嫌われ、虐待と何癖つけられる。 アジア系やラテン系なら内臓肉ホルモン食うけど、アングロサクソンじゃ内臓肉は 放る捨てるホルモン価値観じゃけぇ。まあ、その価値観は戦前の日本でもアングロ的 内臓肉下等価値観は一部伝わったけど、日本を含めたアジア系の内臓肉好き 価値観で捕虜の食事も決めるけぇのう。 >>637 ほいから、虐待云うたら、英国本国のイギリス軍憲兵らは、ヤンチャな豪州兵 取り締まり逮捕も、滅多打ちにして虐めるんも、英連邦植民地軍への未開人扱いの 見下した侮蔑表情で、逮捕された豪州兵バツが悪そうにしよるけぇ、半殺しのリンチ 逮捕される関係性も虐めじゃのう。英連邦直轄じゃ無ぁ傀儡国のアメリカ兵すら 植民地兵の未開侮蔑が宗主国様のイギリスにゃ根強いけぇのう。 ほいから、わらボーイスカウトの話しよんか? コンパスなら10隊あるなら、 コンパス9隊分で、ドンくさい隊は盗ることが出来んが、追跡し襲うて奪う事から 教えにゃあ、日本式軍隊の要領にゃ成らんよ。しかも夜間行軍なら、居眠り行軍で ウトウトしながら落伍せんよう身体に覚えさせにゃあ。 怠けれるんは実力と要領じゃし、不可能と諦めたもんは戦場激戦でも諦める 負け犬と成るよ。 >>639 曽祖父や祖父も従順で真面目な弱兵タイプじゃ無ぁけんのう。祖父なんかも、 真面目な人間の失態をバカタレがと、笑う方じゃったし、軍隊じゃカタギな 真面目なほど屑で虐められりするけぇのう。曽祖父も営庭から抜け出し遊郭で 遊んで帰りは、門番当番に酒土産の思いやりもあったけぇのう。規律違反でも 見て見ぬ振りよ。 白馬青牛のお祖父さんが喋る広島弁はほんま、かっこえかったけんのう。 >>640 >アメリカなら、ドイツ系とアイルランド系の移民数あんまし変わるまあ。イギリス系 >移民の中の、スコットランド系やウェイルズ系含めたら、ドイツ系たぁ多かろう。 >ピストルでも、素手でも一対一でせにゃあ恥辱じゃけぇのう。豪州のオージーらも、 >価値観は違わんし、統治の事情じゃ変わらん生物としての人間の本能行動の >一つじゃけぇのう。 今度は生物学の話になりましたか…それこそ過去はリンチングモブが犯罪者や ネグロイドさん吊るしたり魔女裁判で池に放り込んで魔女でないか証明しようとしたり (浮いてきたら魔女、浮いてこなかったら…死ぬんじゃね?)異物の排除にイチイチ 一対一で解決しようとしなかったりした歴史があるって言うに。 で、 >>641 >高級将校が後方戦闘見学の日本と違い、西洋はノブレスオブリージュ(高貴な義務)で >高級将校も前線へ出るし、そうせんと西洋の兵隊は付いて行かんよ。 ん? 高級将校ってどの辺りを書いてるわけかねぇ。 ノブレスオブリージェについては恵まれた階級に所属する子弟が有事の際に「いざ鎌倉」 で軍隊に登録して一兵卒だろうが一パイロットだろうが(これはロアルド・ダールが有名だな) 義務を遂行するしきたりを指すものだが…何時から軍隊の階級を指すようになったんだ? >>642 >ほいから、虐待云うたら、英国本国のイギリス軍憲兵らは、ヤンチャな豪州兵 >取り締まり逮捕も、滅多打ちにして虐めるんも、英連邦植民地軍への未開人扱いの >見下した侮蔑表情で、逮捕された豪州兵バツが悪そうにしよるけぇ、 いやそれさ…犯罪犯してないか?ヤンチャじゃふつう許さんぞ?こんな光景は普通にあったんだから https://en.wikipedia.org/wiki/Cat_o%27_nine_tails#/media/File:A_sailor_is_stripped_to_the_waist,_tied_to_a_ladder_and_bein_Wellcome_V0041675.jpg また普通に反乱が起きれば普通に鎮圧する、それだけの事だよ。 >コンパス9隊分で、ドンくさい隊は盗ることが出来んが、追跡し襲うて奪う事から >教えにゃあ、日本式軍隊の要領にゃ成らんよ。 もっと別の事を教える必要があると思うが…例えば、コンパスで道なき所を迷わず走破する訓練とか >しかしかも夜間行軍なら、居眠り行軍でウトウトしながら落伍せんよう身体に覚えさせにゃあ。 その程度の事しかしなかったから、迷子ちゃんになったの?弾を一発も撃てずに敵を見失ったの? よくよく使い物にならない、第41連隊ちゃんsはw >Horii decided to commit the 2/41st, under Major Mitsuo Koiwai,] >with the aim of conducting a wide arc to the west and emerging on the track to the south of Alola. >They too eventually became lost, and in fact did not regain contact with the main Japanese force >until after the battle, without firing a single shot. ↓ →堀井は小井光雄少佐指揮下の2(大隊)/41連隊を投入することにした。 →目的としては41西側に大きく弧状に動きながら、アロラ南部に配置。 →(だが)彼らもやがて迷子になり、実際には日本の主要部隊との接触出来なかった →…戦いの後まで、しかも弾を一発も打たずに。 https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Isurava イスラバの戦い >怠けれるんは実力と要領じゃし、不可能と諦めたもんは戦場激戦でも諦める >負け犬と成るよ。 戦う実力なく方向センスもなく、更には怠けてる間違いなくココダ方面の「穀潰し」、の41連隊については どうすれば良いんでしょうか…英国に倣って、猫九で誰だかを鞭打ちにする?w >>642 >曽祖父や祖父も従順で真面目な弱兵タイプじゃ無ぁけんのう。祖父なんかも、 >真面目な人間の失態をバカタレがと、笑う方じゃったし、軍隊じゃカタギな 英語で言う所のスマートアースってタイプかな …スペルはこれね?”Smart Ass(hole)" まあ小賢しいと言うか、適当なBullshit(たわ言)扱いてやるべき事やらんと。 …なんと、牛畜生の牛田さんと同じゴミくずやん!w 先のコンパス使ってのブッシュ走破だが、4マンセル(4 Man Cell=4人チーム)は 先を見通せないジャングルにて行動する必要最低の人数であって、それを欠けると 途端に行動に支障を来たすようになる…何か想定外の事が発生すれば。 まあそれでも想定されていたのは一人が負傷なり障害を起こした場合で、まず 一人が残って看護をし、その間に二人が元来た道を戻って助けを求める事になる。 で、それ馬鹿にして参加しないバカタレSmart Assする訳ですかゴミ爺さんか後 ゴミひい爺さんは… 実際に喘息の発作等を起こす奴もいる訳で(入る者は拒まず、なパブリックな側面がある故 避けがたい事態)、人が死ぬ可能性があっても何も考慮しなさそうだな、笑う方のようだし。 その辺は想像力が欠けてる判断に甘いお前に言ってもしょうがないかも知れんが、このような 状況で、喘息で致命的な事態が発生した場合、実際にこのチーム内で死に至るのは一人に とどまらず二人位になるんじゃないかと思う訳よ。 想定外の事が更に起きて、何処かに消えてたのでなくて実際に近くにいたダニー牛田さん (前世紀のひと)がクリーク(小川)で溺死してるのも見つかったりするだろうから。 Hiroshima出身で水泳は上手かった筈なんだが、助けを呼びに行く最中に山から転げ落ちて、 水深5cmの水たまりで溺死したらしい。 何で転げ落ちた位で両手足骨折してるのか?後頭部にブーツで2−30分で押さえつけられた跡がある? その、そんな細かい事は イチイチ 気にするなw (4人チームの軍事的利点はこの辺り参照↓) http://www.eliteukforces.info/special-air-service/4-man-patrol/ >>644-645 集団リンチは自己を持たんもんが、集団心理でやりたがるよ。おどれら ネトウヨ君らのヘイト感情も同様じゃけぇ。実際の糞丁稚らの集団リンチも、 周りの空気が過剰にして仕舞うし。 西洋は恵まれた階級が将校以上に成るし、日本の華族出身が兵卒じゃの ほとんどあるまあ。日本は貧農出身でも高級将校に成れるが、日本の上層体質の 世界に染まり無能な上層部の人間に成って仕舞うけぇのう。職種の世界で変わるんが 日本人じゃし、階級社会の西洋じゃ、自分の属す階級で人間が作られる。 パイロットの地位も、日本じゃ特攻隊自爆で末端や、操縦訓練形式上やったら 自爆消耗品要員じゃけぇ、西洋の選ばれた高等専門職地位たぁ違うけぇのう。 キャンプ脱走で街へおった豪州兵を滅多打ちするんは、犯罪じゃろうと、。 やり過ぎよのう、自国英国本国兵にゃやるまあ。 ほいから、イギリス将校は相手の階級で待遇決めるけぇ、捕虜の日本軍でも 将校以上は丁重に扱うけど、日本軍兵士にゃ過酷な奴隷労働させるんじゃけぇ。 その点じゃ、アメリカ将校は日本の高級軍人は阿諛の媚び諂い幇間根性と見抜い とるけぇ、日本の高級将校は恫喝したら戦友を売って自己保身したり、日本軍の 機密でも、饒舌に話し点数稼げた表情しよるレケェ、人間の屑と侮蔑の眼差しで 観よったし、逆に日本の下士官、兵卒の方が誇り高いもんが多いいと 観とったけぇのう。まあ、アメリカは江戸末期の黒船以来、日本の上層部にゃ恫喝が 一番有効なこたぁ知っとるし、「鳴かぬなら、脅してしまえホトトギス」方針よ。 >>645-646 実際にゃ、>>577 の福山41i2Bnの到着1日でイスラバ陥落じゃし、攻略も出来ん 高知144iが不甲斐なぁわけで、堀井も豪州側の言い訳ばっかしよのう。 ほいから、戦闘は参謀作戦指導通りに進まんけぇ、時、場所も思いがけん処で 突然遭遇し遭遇戦からスタートじゃけぇのう。 もし、高知連隊たぁ福山連隊が先発の正面激突なら短期間で豪州軍壊滅させとった ろう。 わしん親族を小賢い云うても、上官や古参殴って他の戦友兵隊を助けたことも あるし、損や命のリスク恐れたらカタギじゃ無ぁ、いくさびと(戦闘者)にゃ 成れんよ。行軍訓練サボったり、他人の物さしくる「得」は、「損」も 引き受けにゃいけんけぇのう。 >>646 広島師団は負傷者も見捨てんよ。 伊藤桂一氏は、「広島編成第七十師団は、負傷者はつとめて救出したが、一個分隊 十名で行動していたとして、もし一名の負傷が出た場合、これを後続部隊に任せて 放置して行くとすれば、分隊の戦闘員はなお九名残されている。 しかし、この負傷者を救出収容してゆくとすると、担架係に四名とられる。 (二人では無理である。装具もあるのだから)。 すると残された戦闘員は半数と減ってしまうのだ。さらにもう一名負傷が出たら どうなるか。戦闘員はいなくなってしまうことになる。だが、救出された負傷者の 身になってみれば、戦友の愛情、郷土兵団の気質に泣くだろう。そうして再び善戦 すべき決意を固めるだろう。同時に、この思いは、まだ負傷していない分隊員にも、 共感として伝わるはずである。こうなると、負傷者の処置に対する考え方は むつかしくなり、要するに{その兵団の気風}によって解決すべき問題であると いえよう。 広島編成の部隊は、もっとも人情味に厚い連帯感を持っているが、そういう 連帯感に支えられているからこそ、思いきった挺身行動(特殊部隊の敵撹乱や 遊撃ゲリラ戦)もできるのである。」 その郷土兵団の気風の問題じゃが、伊藤桂一の属した関東地方兵団なら、 「弱者必滅の自然淘汰」させるんじゃが。 >>646 担架で負傷兵護送し山登り降りするんは、疲労困憊の敵を求めた行軍進行たぁ 過酷じゃが、広島将兵は一人一人の貴重な兵士として助かる可能性があるんなら 助ける郷土伝統じゃけぇのう。 伊藤桂一氏は、ご自身の関東地方兵団について、「兵営生活も、悪どくは無いに しても、底に人情が通うということも無い。筆者自身、関東兵団に、兵隊として 七年間身を置きながら、その性格を、どう説明してよいか、正直いってわからない のである。」 伊藤桂一氏の関東兵団の例なら、駐屯訓練リンチで、 「肺炎で就寝中の初年兵を、意気地が無い、という理由で、営庭へ引きずり出して 銃剣術させた。その夜、亡霊のような姿で厠へ行くその兵隊を下士官が見つけて手当 したが死亡した。…これではまるで初年兵を殺すために教育しているようなもので ある。残酷であるーと思われるかもしれない。しかし、一歩駐屯地を出ると、 そこでの状況はさらに残酷であった。…戦闘へ出せば、見る間に死んでゆくことを 古参兵は知っているのである。何度補充をもらっても、死ぬのは初年兵ばかりで、 あやふやに生き残った者だけが、精鋭としての道をたどる。そしてそのような 初年兵は、少々の教育では絶対に音をあげないのである。弱者必滅の深刻な真理 だけがそこにあった。すさまじい自然淘汰なのである。 そうした自然淘汰から、 つねに巧みに身をかわしてきた古参兵は強かった。そうでなければ剽悍な中共兵とは 戦えない。」 伊藤桂一氏も、関東兵団弁護の「自己責任論」淘汰肯定じゃが、広島兵団なら 弱兵でも戦場でも助けて育てるけぇのう。広島の元弱兵一人の方が弱兵の 産地関東兵団の自然淘汰に勝ち残った精鋭古参兵の五人よりかはるかに強兵よ。 広島では強姦、住民虐殺、捕虜虐殺せんかった真面目君は笑われるから、戦場での戦争犯罪はせにゃ損と我先に行ってたんよ また、広島の兵隊さんはケツの穴を貸し借りしてる性的な互助会仲間であって、一方的に債務放棄は許されん 命をかけてでもそっから抜けさせんようにしてた それに、強姦、捕虜虐殺や住民虐殺に興じた仲間でもあるし、戦闘が終わった後の楽しみも兵隊が多いほどやりやすい 強姦や虐殺するのも一人でやるより複数でというわけよ そういうわけで仲間を見捨てたりはせんよ 広島兵が進軍速度重視の大陸打通に向いてなかった理由はここにあった 牛ちゃんのジジイみたいなクソがたくさん居たから、 日本軍はクソだったという事か。 祖父をクソ扱いしてまで日本を貶したいか? 白馬青牛の祖父がしゃべる広島弁はほんまにかっこえかった! さすが江戸時代生まれ! まずこれから書くか… >>648 >実際にゃ、>>577 の福山41i2Bnの到着1日でイスラバ陥落じゃし、攻略も出来ん >高知144iが不甲斐なぁわけで、堀井も豪州側の言い訳ばっかしよのう。 こんな感じ? https://anzacportal.dva.gov.au/history/conflicts/kokoda-track/events/mountains/stand-isurava/stand-isurava 言い訳してるのは一体、誰なんだ? The stand at Isurava August 26-31 1942 イスラバでの立ち合い 8/27 デニキからの砲撃とともに144連第1大隊が豪39大隊に攻撃開始。41連隊の第二大隊が到着 8/28 144連第3大隊が砲撃とともに豪39+2大隊に右翼から攻撃開始。144連第2大隊が左翼の豪2大隊攻撃 8/29 正面からの144連第1大隊の攻撃と右翼からの第3大隊の攻撃により豪39+2大隊が後退 8/30 後退した豪39+2大隊が砲撃を行い、攻撃を行う。144連第3大隊も迂回して右翼から攻撃 8/31 迂回した後方からの攻撃を恐れポッツ准将が後退。…で、ここで初めて41連隊が再登場。 どうも少し前に堀井少将から迂回して豪州軍を攻撃してちょーだいと言われたそうだけど、初めての 御使いで迷子になっちゃったんだよね(><) まあ一人も犠牲者出なかったからチョーまじラッキー(≧▽≦) 豪州側の記録→8/31 Japanese 3/144 occupies Australian position --- 2/41連隊 arrives late after getting lost trying to outflank the Australians. 日本軍第3大隊/144連隊が豪州軍の陣地を占拠--- 2大隊/41連隊は豪州を追い越そうとして迷子になって(getting lost)遅れて到着した。 あ、gov.auはどんなソースを意味するかは、流石に認識できるよね? 別のソースの場合だと http://nposensi.com/c01.html >41連隊の >戦闘慣れした兵士たちは、敵の食糧を奪えばいい、と各自に分配された米の半分ぐらいを船に残して上陸したという。 >しかし、ニューギニアにきてみれば、山岳地帯のジャングルの想像を絶する濃密さに、敵を発見する前に自分の位置を見失いそうだ。 >手さぐりで稜線を登り、迂回前進していた小岩井大隊は、30日夕方、予期していなかった道に進出したが、 >敵影はなかった。 >その夜はそこで過ごし、翌31日、さらに前進してイスラバを占領した。豪州軍の姿は見えず、多量な弾薬と食糧(乾パンと缶詰)が >残置されており、144連隊にも分配した。144連隊は、死傷と病気で一個中隊5?60名(上陸時180名前後)になっていた。 …なにこれ?↑ >>647 >集団リンチは自己を持たんもんが、集団心理でやりたがるよ。おどれら >ネトウヨ君らのヘイト感情も同様じゃけぇ。実際の糞丁稚らの集団リンチも、 >周りの空気が過剰にして仕舞うし。 男の集団では往々にして起こるよ?まあパージとか言ったりするし、”気合入れたりする”とか 言ったりもするらしいがw で、 >西洋は恵まれた階級が将校以上に成るし、日本の華族出身が兵卒じゃの >ほとんどあるまあ。 上に出てくるポッツ准将はこの後首になり、その後のブーゲンビル戦線で汚名返上する訳だが …グラマースクールと言ういわゆるパブリックスクールを構成する学校の一部に入るわけだが ほぼ一兵卒からの成り上がりよ? まあ、第一次世界大戦の豪州参加時の話だが、あまり配慮はしてもらえなかったようだ。 https://en.wikipedia.org/wiki/Arnold_Potts >progressing on to Guilford Grammar School. During his formative years he was a keen sportsman, >even despite his short stature, representing Guilford in rowing, football, shooting and athletics. >A natural leader, he became a prefect and rose to the rank of colour sergeant in the school's Cadet unit. ↓ >Following the outbreak of the First World War Potts requested to the join the Australian Imperial Force (AIF), >a volunteer force that was being formed for active service overseas. On 26 January 1915 he was called up and >he was quickly promoted to acting sergeant while still only 18 軍事教練では准士官だった(あとパブリックスクール/グラマースクールでは極めて重要な風紀員でもあった)が、WWI への志願時は軍曹から階級始めたんだと。 同じような経歴持ってると更に言えばイギリスの名門ラグビー校でテニスやクリケットやクロスカントリーばかりしてたこの人は https://en.wikipedia.org/wiki/Arthur_Percival ↑ 第一次世界大戦時に英軍に入隊した際は一兵卒から始めている。まあその後すぐに少尉に繰り上げされているが、彼も 上のポッツ准将と同じく、ラグビー校時代は軍事教練にて准士官をしてたので、直ぐに昇進出来たのも納得と言えようか。 空軍のパイロットになると、英国の場合はフットボール選手、Adrian Goldsmithとか言う政府の事務員、宝石店の店員、 不動産の書記、後はコールドウェル中隊で有名となる、名門校は中退で保険セールスマンになる人など、色々な階層から 選んでいるのが英国の特徴だ…と言うより自由ポーランド、チェコ、フランスやノルウェー空軍の何処の馬の骨とも知れん 連中を義勇軍人として取り入れてるのに、何で高等専門職云々で区別しようと知るかねw >キャンプ脱走で街へおった豪州兵を滅多打ちするんは、犯罪じゃろうと、。 何時合ったのかも当然だが、何の犯罪なのかな?軍法ってどの国でも別にあるわけだが、何を違反してるのか書いてみw 更に続けるか >>647 >ほいから、イギリス将校は相手の階級で待遇決めるけぇ、捕虜の日本軍でも >将校以上は丁重に扱うけど、日本軍兵士にゃ過酷な奴隷労働させるんじゃけぇ。 これは何時の話の事かな? ちゃんと書いてみて。 この辺りは把握してるよね?キムチ好きそうだし↓w https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%A0%B9%E7%9A%99 >その点じゃ、アメリカ将校は日本の高級軍人は阿諛の媚び諂い幇間根性と見抜い >とるけぇ、日本の高級将校は恫喝したら戦友を売って自己保身したり、日本軍の >機密でも、饒舌に話し点数稼げた表情しよるレケェ、人間の屑と侮蔑の眼差しで >観よったし、逆に日本の下士官、兵卒の方が誇り高いもんが多いいと 今度はどんなソースを見せてくれるかな? こんな所かw↓ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E6%88%A6%E4%BA%89%E6%8D%95%E8%99%9C%E5%B0%8B%E5%95%8F%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88_No.49 それと >>649 >>650 今度のソースはこの人一人か? >1938年より習志野騎兵隊に入隊、1939年に北支に出兵、この間も詩作を続け、短歌数百を作った。 >1941年に除隊し、詩誌『馬車』などで詩作。1943年に再度召集されて佐倉歩兵連隊入隊、南京などに >配備され、上海郊外で伍長として終戦を迎える。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ 伊藤桂一 海軍になるとそれこそ下士官で活躍した小林 孝裕の海軍よもやま物語シリーズ等がある訳だが そこにいた人によってもどんな経験をしたか、どんな虐待をしたかあるいはケアをしたか違って来る。 …お前の場合、都合の良い話ばかり集めてないかな?そろそろマレー作戦の評価に移るつもりではあるが、 その前にそれは、確認させてもらうよw >>648 あ、これに返答してなかったな >わしん親族を小賢い云うても、上官や古参殴って他の戦友兵隊を助けたことも >あるし、損や命のリスク恐れたらカタギじゃ無ぁ、いくさびと(戦闘者)にゃ >成れんよ。行軍訓練サボったり、他人の物さしくる「得」は、「損」も >引き受けにゃいけんけぇのう。 ウソだろ?これ↑ どうも話を適当に捻じ曲げて記憶する習性が一族単位で染みついてそうだし、 適当な逃亡劇を美談めいて誤魔化してるんだろ?お前の先達は。 戦闘能力(きちんと場所に出向くのもその一つです)とか、まるで重視しなさそうだしw 朝鮮兵と広島兵が虐殺、強姦、略奪でシンクロしてるから ベトナムでの韓国兵が牛くんの脳内で美化されてるんですのう >>654-655 最初に豪州側の福山41iの日付たぁ、後の日本側の 戦闘4日目の「30日、 主力を追求してきた第41連隊主力が到着した。」が正しい。 敵影が見えず云うても銃撃の音で分かったし、右翼側から退路進出火力攻撃した後に 豪州軍が逃げたけぇ敵側の弾薬糧秣が残されとったんよ。 まあ、福山41i2Bnの高知144iへの糧秣分配は当然じゃが、帰りの福山41i2Bnの 食糧が枯渇して、飢餓、病人兵続出で福山41iの唯一の戦闘編成の2Bnが機能出来ん ように成ったけぇのう。戦死傷タメージは正面先発の高知144iが多いいんは 当たり前じゃなぁか。歴戦の正面激突武勲実績の福山41iが九州先方の迂回に 回されたんじゃし。 西洋も日本の幹候志願も訓練じゃ一兵卒からよ。じゃが西洋は出身階級昇進じゃし、 日本の幹候、下士候志願せん華族や戦前の大学出で武功昇進が無ぁと一等兵の兵卒の まま除隊か終戦でそのままよ。 イギリスのイートン校が、洗練貴族校風で、ラグビー校は、地方地主の爵位を持たん ジェントリー紳士階級やアッパーミドルの中流上層階級(大学教授、薬剤師、眼鏡商、 測量技師)の子弟が集う地方粗野と高等専門職許容の校風じゃったけぇのう。 准士官や昇進下級将校なら、社会的上位25%のグラマースクール出身階級出身に 相応よのう。 営庭脱走なら、どこん国でも営倉監獄に監禁される建前じゃが、日本軍の場合は、 見て見ぬ振りでチンコロ密告させんかったら済む事で戦地でも西洋じゃ軍隊の 秩序保つ為の憲兵MPに捕まると制裁され拘束されるが、日本は汚職まみれの 憲兵ゆえに、憲兵の弱み握る兵は見て見ぬふりや、軽犯罪扱いにされるけぇのう。 牛ちゃんは朝鮮生まれのようだから、出自、家系捏造のうえ、徴用で虐待された九州に うらみをもち、広島育ちだろうだから偏屈な郷土愛をもって大言壮語とウソで 自慢しようとする、ネット老害だと見込んでいる。 >>660 >最初に豪州側の福山41iの日付たぁ、後の日本側の 戦闘4日目の「30日、 >主力を追求してきた第41連隊主力が到着した。」が正しい。 >敵影が見えず云うても銃撃の音で分かったし、右翼側から退路進出火力攻撃した後に >豪州軍が逃げたけぇ敵側の弾薬糧秣が残されとったんよ。 食えなくなってたレーションの事かい?あ、違うの?w 実は>>654 には間違いがあってだね… >8/30 後退した豪39+2大隊が砲撃を「受け後退する」。144連第3大隊も迂回して右翼から攻撃 ↑ フラッシュの4枚目ね?でこの時は豪州軍を迂回背後から攻撃するするはずだった144連隊の第3大隊が 迷って豪39+2大隊の真横(左翼)に出たのも豪州軍を後退させる原因になったと分析してるな。 牛だ君、何か証拠出して返答できるの? どんな火力を使って攻撃したか(あるいは豪州側が攻撃を受けたか)も含め、ちゃんと根拠付きで答えてみて? 何時も、どうでもよい細部を付けて誤魔化そうとしてるけどw >帰りの福山41i2Bnの食糧が枯渇して、飢餓、病人兵続出で福山41iの唯一の戦闘編成の >2Bnが機能出来ん …のちに144の後衛もせずにサッサと 逃 げ 出 し た 事の言い訳かな?これは。 どんな食料を分配したのか書いてみてね?どんなものを置いて行ったかは、あちらに記録が残ってるんでwww >イギリスのイートン校が、洗練貴族校風で、ラグビー校は、地方地主の爵位を持たん >ジェントリー紳士階級やアッパーミドルの中流上層階級 今度はどんな話に限定しようとしてるの? パブリックスクール、と言ってみても元々は家督継げない次男三男が行く悪の巣窟だったのが歴史が 語る所であって、トマス・アーノルド等の改革や”ラグビー”などの他の同類校と出来るスポーツの発展が いわゆるパブリックスクールの気風を生んだわけだが…逆に言えば家督継ぐ長男には意味あったの?(家庭教師でええやんw 何かさ、適当な話でっち上げようとして、ドツボにはまってないかね。 >西洋じゃ軍隊の秩序保つ為の憲兵MPに捕まると制裁され拘束されるが、日本は >汚職まみれの憲兵ゆえに、憲兵の弱み握る兵は見て見ぬふりや、軽犯罪扱いにされるけぇのう。 拘束され処罰、じゃないの?銃殺とか。第一次世界大戦の”ガチの白兵戦”だと逃げ出す輩も多いわけで …牛だ家だったら何人生き残っただろうね?まあ、銃殺される方が多いだろうが、家族の男衆が全滅するまで どれ位掛かったかな…第一次世界大戦基準なら、ソンムの会戦の後あたりかねw http://www.longlongtrail.co.uk/soldiers/a-soldiers-life-1914-1918/military-crimes-1914-1918-british-army/ >>660 でまあ実際の西部戦線での余命は2週間とか言われてたものの…牛だ君一家の人間だったらその間にどれだけ暴れられたかねぇ… 下記行為とか全部コンプリート出来そうかな?一体一族に何人居るかは知らんけどwww http://www.longlongtrail.co.uk/soldiers/a-soldiers-life-1914-1918/military-crimes-1914-1918-british-army/ 第一次世界大戦時の英国連邦陸軍における軍人の犯罪行為と見なされたもの、およびに刑罰の一部 最大刑_罪状 死刑_恥ずべき事として敵に守備隊を引き渡した 死刑_恥ずべき事として敵からのプレッシャーにより自らの兵器を棄て去った 死刑_敵前で臆病を示すような振る舞いを行った 死刑_指揮官を残して略奪しに行った 死刑_勤めている国の居住者の人に対して犯罪を犯した 死刑_略奪を求めて家に侵入した 死刑_自らの上官を打った 死刑_意図的に権威の反抗を示すような形で上官から個人的に与えられた合法的な命令に背いた 死刑_軍から逃亡、または逃亡しようとした 死刑_殺人の罪を犯した >>657-658 伊藤桂一は戦記作家じゃけぇ、自身の体験と共に多くの他部隊の戦闘体験者を 取材しとってじゃけぇ、郷土部隊の地域ごとの性格、気質の違いも云うとってんよ。 まあ、伊藤桂一氏は東北地方兵団贔屓で極端に大阪兵団を兵隊向きじゃ無い等、 戦闘実績考慮せず云うてん所があるけぇのう。 ウソじゃのうて、わしん親族んも事実で、旧日本軍の特に西日本の兵団なら 班どうしの盗み合いでサシクル門の勝ちじゃし、わしの曽祖父もゲートル(脚絆)を、 まず同班のもんから恐喝して、同班のもんにゃ他班から予備も含め サシクッテ来いや、じゃし、戦場の戦闘じゃ真っ先に突進せにゃあ、地位は 守れんし、曽祖父が夜間営庭から脱走し遊郭通い、帰りしな門番当番に酒を 土産で遅く帰り、翌日の演習訓練サボっても文句云うもんはおらんよ。古参兵の 知ったげな(生意気な)んは暴行制裁し、上官も同様なんは暴行制裁しよっちゃったん じゃけぇ、軍隊はカタギじゃ無ぁ、武闘派の「侠」ほど大きな顔が出来るんじゃし。 まあ、真面目に軍務遂行するタイプは敵さんとの戦闘駆け引きも下手で頑迷な 性格じゃけぇ、カタギ世界と違う軍隊にゃ不向きで拙劣な作戦行動しか出来んが、 上官暴行や叩けば埃の上官、憲兵の弱みを握る兵隊は作戦行動も敵さんの 意表を突く戦理無視の大胆な戦闘行動が出来るけぇのう。下士官分隊単位の彼我の 戦闘が陸軍軍隊の戦闘の基本ゆえ、上官に逆らう元気ええもんがリーダーに 成るんよ。 >>656-657 日本軍の高級将校の阿諛、媚び、諂いなら取材から伊藤桂一氏も指摘しとろう。 [50 :白馬青牛:2008/01/05(土) 01:56:03 負け戦さは、離隊逃亡は普通にあるが、マニラの弘前第八師団の斉藤隊などは 立派なもんじゃ。 参謀たちが、降伏する意図のもと、斎藤隊に洩らさぬよう 指示していた。 このような卑屈で意地の悪い行為が行われたのは、かわらぬ団結を 持って 行動してきた斉藤隊、及び斉藤大尉に対し、嫉妬と憎悪の感情から「斉藤隊 は放置して行け」という方針になったのだろう。と、伊藤桂一氏は云われる。 「軍全般が飢饉による錯乱ーに陥ちていた状況の中、斉藤隊は終始、 団結よく 行動し、相互扶助の精神、連帯感を失ってなかったが、隊長である斉藤大尉が卓越な 統率力を持ちながら、自身を、「隊長というのは部下に養われているだけの存在だ。 いわば部下にかつがれているお神輿のようなものだ」という見解で律していたからで ある。権力でなく、隊長自身の人間性によって、部下全員を蔽わなければ ならなかったのである。 日本軍は一たん降伏して収容所入りすると、意外な懦弱性を発揮して、高級将校ほど、 米軍に阿諛(おべっか)してしまう者も多かったが、斎藤大尉は意志の通じる仲間と ともに、復員に至るまで、自身の節は枉げ (まげ)なかった。」伊藤桂一氏著、 「かかる軍人ありき」(飢餓の中ー 兵団の栄光を守る)から引用。 ] まあ、捕虜収容所の日本軍の高級将校の見苦しい阿諛、忖度奴隷根性は、広島県の 戦闘体験者も痛感しとることじゃし、広島の第五師団出身云うと豪州将校らも、 マレー戦の経験から一目置いたけぇのう。 >>659 >>661 韓国兵に転嫁したい同地方の慶尚極南道の九州人かいのう。まあ、韓国兵も、 強姦ほとんどせんインポ気味の中国兵たぁ強姦するけど、強姦世界一の 歩く生殖器九州兵ほどは強姦や住民虐殺やらんよ。 ベトナム戦争でも韓国軍たぁ米軍の住民虐殺の方が惨買ったけぇのう。 >>662 豪州軍の弾薬糧秣放棄で福山41i2Bnが高知144iに分け与えとることからも、福山41iにゃ マレー戦経験勝負付けから豪州軍逃げ腰ゆえ、豪州側は高知144iとは、真っ当に戦うた ことを強調したいだけじゃなぁか。 わら、福山連隊到着に、弾薬糧秣捨てて逃げる豪州軍の言い訳代弁してどうすんなら。 >>663 「自らの上官を打った」も、わしん親族の人らは、殴ったり、道具で叩いた 程度じゃし、ほとんど該当せんのう。 >>664 >ウソじゃのうて、わしん親族んも事実で、旧日本軍の特に西日本の兵団なら >班どうしの盗み合いでサシクル門の勝ちじゃし、わしの曽祖父もゲートル(脚絆)を、 >まず同班のもんから恐喝して、同班のもんにゃ他班から予備も含め 相変わらず吹きまくってるのか、Bullshitさんは。 メタンガス出しまくりって感じかな_ >サシクッテ来いや、じゃし、戦場の戦闘じゃ真っ先に突進せにゃあ、地位は >守れんし、 戦場で突撃する機会なんてどんだけあったのかねえ…(どんな)敵がいるかも さっぱり不明だしw >上官暴行や叩けば埃の上官、憲兵の弱みを握る兵隊は作戦行動も敵さんの >意表を突く戦理無視の大胆な戦闘行動が出来るけぇのう。下士官分隊単位の彼我の >戦闘が陸軍軍隊の戦闘の基本ゆえ、上官に逆らう元気ええもんがリーダーに >成るんよ。 戦場の事がチャンと分かってるならな?w 実際には先ずもって自然環境との戦いが待ってるのは誰でも簡単にわかりそうだが …何だっけ国内でもろくに登山をしないナマケモノが何で海外に出たらちゃんとするように なるの?どんな地形かも、どんな言葉使うかも良く分からないのに、て語学は出来る設定が 追加されるのかねえ(ガチャすらオプションパックで使えるようになりますwww で、相変わらず自分の過去レス(…2008年?)貼り付けてるようだが >>665 >広島の第五師団出身云うと豪州将校らも、マレー戦の経験から一目置いたけぇのう。 何でそれが分かるの?マレー戦の”経験者”については >>601で書いたわけだが、該当する豪州第八師団は →https://en.wikipedia.org/wiki/8th_Division_ (Australia) ベネット将軍が抗命して豪州まで逃げ延びた以外は、ジャワ(アンボン)に派兵されていた 部隊位しか豪州にたどり着けておらず、日本軍と直接対戦した将兵はその後1/3で殺される 捕虜となっている…生きていればの話だが、捕虜収容所の中にしかいないのに、語ったと申すか あ、それともベネット将軍が何かHiroshima出身の兵隊について語ったの?お前の話ぶりだと。 ぜひともソース付きで出してみてね。 …ネットを見てれば分かるが、第二次世界大戦の手記などは簡単に手に入るようになっていて https://thewarinmalaya.wordpress.com/ ↑のアーサー・アーネスト・パーシバル”THE WAR IN MALAYA”著のように、原文を参照する事ができる。 上記豪州第八師団司令官のゴードンベネット将軍も、当然そのような手記(パーシーちゃんには批判的)が あるはずだが、証拠をちゃんと出してみてね? 嘘 を 付 い て た ので無ければねw牛畜生さんw >>666 豪州軍の弾薬糧秣放棄で福山41i2Bnが高知144iに分け与えとることからも、福山41iにゃ >マレー戦経験勝負付けから豪州軍逃げ腰ゆえ、豪州側は高知144iとは、真っ当に戦うた >ことを強調したいだけじゃなぁか。 砲撃の話はどうなってるのかな…たったこれっぽっちも出てこないけど、それは一体どんな無知 および無恥な思考パターンから導き出せる言動パターンなんでしょうかぁ?w マレー戦は多くの豪州人については知りえなく、”ジャップ”全般のくくりでしか理解出来ない訳だが 牛だ畜生さんの場合、なぜ自分に都合の良いような説明しかできないのかな? 先に書いたニューギニア戦線での砲撃については、豪州軍には25ポンド砲はあっても山に持ち込める 山砲または歩兵砲の類を有しておらず、正確な射撃による火点の制圧及びに将兵の殺傷(半数強)を 恐れていた。だから繰り返し戦記の記載に出てくるわけなんだが…第144連隊と戦ってた事を強調? 砲兵と、て事で良いのかな…それとも41ぐ連隊が持ってきてた歩兵砲の話をしたいの? こっちの場合はのちの戦いで真っ先に放棄してとんずら扱いたから(144連隊の後衛?んな事知らねw wwwwwwwww(中略)wwwwww(後略 出来れば触れて欲しくないのかねえ…豪州軍は当然、喜んでたけどねw https://anzacportal.dva.gov.au/history/conflicts/kokoda-track/events/tide-turns/battle-gorari ゴライの戦い >On the hills above Oivi 41 Regiment was in an entrenched position carefully prepared several weeks before. >They had seven guns and their task was to halt the Australian advance. →オイヴィの上の丘では、第41連隊が〜数週間前に慎重に準備されたしっかりした陣地に陣取っていました。 →彼らの任務は7門の砲(Gun)を持って豪州軍の前進を止める事にありました。 ↓ >Colonel Yazawa, commanding at Oivi, ignored Horii's order to serve as a rearguard while the rest of the force >retreated. Instead he slipped out of Oivi undetected by 16th Brigade, took his regiment north across Oivi Creek >and, avoiding contact with the Australians, eventually made it to the coast. →オイヴィの陣地を指揮しているカーネル・ヤザワは、残りの部隊が後退している間に後衛としての役割を果たすという →堀井少将(※南海支隊長の事デス※)の命令を 無 視 しました。 →代わりに彼は第16旅団に気付かれずにオイヴィから抜け出して(slipped out)、オイヴィ小川を越えて北に41連隊を連れて行き、 →豪州軍との接触を何とか避けて、やがて海岸にたどり着きました。 >All 15 Japanese artillery pieces were lost as, in the chaos of retreat →後退の混乱の中で、日本の砲15門のすべてが失われました。 >These guns had given the Japanese a great advantage in the fighting in the Owen Stanley Range and were to be sorely missed by the Japanese in the fighting to come at Buna-Gona. →これらの砲はオーウェンスタンレー山脈での戦闘時に日本軍に大きな優位性を与えていたため、 →来るブナゴナの戦いでは(その無存在が)日本軍に渇望される事になる だとよ?まあ、牛畜生ってのにはどうも機械の事が認識出来ないので、素通りされてるけどなw で >>666 の41連隊の面々の行動について663 →死刑_恥ずべき事として敵からのプレッシャーにより自らの兵器を棄て去った →死刑_敵前で臆病を示すような振る舞いを行った →死刑_意図的に権威の反抗を示すような形で上官から個人的に与えられた合法的な命令に背いた →死刑_軍から逃亡、または逃亡しようとした http://www.longlongtrail.co.uk/soldiers/a-soldiers-life-1914-1918/military-crimes-1914-1918-british-army/ まあ日本軍について否定的な牛畜生さんの事だ 、確実に41連隊の何人かは処刑されないといかん訳だが、これについて反論出来ます? >667 >「自らの上官を打った」も、わしん親族の人らは、殴ったり、道具で叩いた >程度じゃし、ほとんど該当せんのう。 Strike、って叩く意味があるんだけど… (死刑_自らの上官を打った、の原文はDeath_Striking his superior officer) さっさとブチ殺して良いよね?十分合理的だよね? 弾が勿体ないから、銃殺じゃなくてバット使った撲殺にした方がもっと合理的か Part of a TEAM! そして牛田シニアは叩きになる訳な wwww https://www.youtube.com/watch?v=QHH9EYZHoVU >>668 つまらんのんは、マイドリネトウヨ君共通パターンのWiki貼り付けで、引用著書すら 読まずっと、カバチ垂れよるもんよのう。 >>669-671 行軍登山訓練サボった程度で、平地り少ない土砂災害でも山がずえる(崩れる)土地柄の 兵が、まさか平野の多いい関東地方兵たぁ劣るわけも無ぁわのう。 ニューギニアのサラワケット山越えでも、関東の宇都宮51D配属の広島5D島根県の 浜田21iの3Bnも、宇都宮51D中野師団長から「君等の部隊は実に羨ましい。…全員 あの難行軍を武器を捨てずに持っている」と激賞された。 北関東の宇都宮師団将兵は「難行軍に小銃すら携行する兵は稀であった。」 まあ、北関東の宇都宮師団(群馬、栃木、茨城将兵)も、海軍陸戦隊たぁ、ましな 程度じゃが、山越え行軍に苦しいけぇ背負い袋から身を守るべき小銃すら捨てて 仕舞う。小銃も天皇陛下から、預かったもんで捨てるんなら死ねと日本帝国は 教育したけど、広島師団は、天皇権威たぁ、自らの身を守る装備こそ命を救う 教育したけぇのう。 「→死刑_恥ずべき事として敵からのプレッシャーにより自らの兵器を棄て去った 」 云うても、平野の多いい関東地方兵にゃ無理じゃし、広い土地柄の欧米のほとんどの 将兵も小銃すら捨てようで。彼等欧米人は平坦トラック向きで、山岳戦は体力的にも 難儀なけぇのう。 >>669-671 >>672 の広島5Dから派遣された浜田21i3Bnを激賞した宇都宮51D中野師団長からは 賞詞を貰うた。 「 賞 詞 歩兵第二十一聯隊第三大隊 「(中略)歴戦ノ戦闘部隊トシテ特ニ欲セザル任務ニモカカワラズ、一糸乱レヌ 統率ノモト大隊長以下栄養失調ニ犯サレタル全将兵一丸トナリテ背負袋ヲ担イ、 悪路ノ敵中ヲ突破大任ヲ果シ、危急ノ戦局ヲ有利ニ導キタリ。コレ偏エニ光輝アル 歴史ヲ有スル百戦錬磨困苦欠乏ニ耐エ抜ク伝統ノシカシムルトコロニシテ、オヨソ 長途ノ行軍ニオイテ体力ヲ消耗シ尽キタ部隊トハ想像ダニデキズ、ソノ行動タルヤ 真ニ犠牲的精神ニ他 ナラズ(中略)貴隊ノ行動コソ将ニ大隊長以下全員ヲ似ッテ 之ヲ立証 シタルモノニシテ我ガ師団将兵ノ範トスルニ足ル。 昭和十八年五月三十日 第五十一師団長 陸軍中将 中野英光」 中国地方山岳兵ならではよのう。宇都宮師団将兵の背負い袋も捨て小銃すら捨てたり、 途中自決自殺者も大勢出したゆえ、浜田聨隊の小銃も捨てず、難行軍に耐えたこたぁ、 想像だに出来ず、我が宇都宮師団の将兵の模範にも成ると、誉めてじゃが、 関東地方兵にゃ育った土地柄から難しいじゃろうて。苦しさから「もはやこれまで。 潔く自決散華の散り際よ」を選ぶじゃろうし、浜田聨隊将兵が広島師団共通の 「死中に活」のしぶとい精神との違いよのう。 >>670 牛先生は、過去に大砲のホラ話で機械に疎いのが判明してるでな。 軍事板の大砲スレにまで質問しに行ったけど、相変わらずの態度で 間違いを認めないので、スレ民に無視されちゃって逆ギレしてたような(笑) 吐いた唾呑んで話逸らす白馬青牛さん平常運転ですな まあ今更なんだが、証明、証拠は公刊史やWIKIや外国の戦記は信用できないと白馬青牛自身が豪語してましたから仕方ないですな 吐いた唾呑むたぁ、白馬青牛用語じゃのう。 >>674 機会に疎いんは自ら云うとろう。スマホじゃの携帯じゃの使えん云うてのう。 まあこれからかなあ… >>672 >ニューギニアのサラワケット山越えでも、関東の宇都宮51D配属の広島5D島根県の >浜田21iの3Bnも、宇都宮51D中野師団長から「君等の部隊は実に羨ましい。…全員 >あの難行軍を武器を捨てずに持っている」と激賞された。 最初にだが、第51連隊の場合は連隊砲捨てるべきだったろうよ。サラワケット山越えの際は …41g連隊はサッサと 捨 て て 逃げ去ったよね? その事に関する回答を得てない訳だが、今度は1943年のコピペ、を貼りたい訳か、牛畜生脳さんは。 つくづく、鎮火に逆効果のネタを投入するボケナスなんだな…まあ畜生やから、言ったらそこまでだがw >云うても、平野の多いい関東地方兵にゃ無理じゃし、広い土地柄の欧米のほとんどの >将兵も小銃すら捨てようで。彼等欧米人は平坦トラック向きで、山岳戦は体力的にも >難儀なけぇのう。 平坦トラックって何すか、TruckオアTrack?後者にしてもねえ… サラワケット以前の戦闘、例えばナザブ上陸戦で機銃陣地に手榴弾二発放り込んだのちにブレンガン 撃ちまくって無力化し、銃撃受けつつも負傷した分隊長を連れ戻したケリハー二等兵(ヴィクトリア十字章) https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Kelliher まあ他にもイスラバの戦いで死すもブレンガン撃ちまくって日本軍を後退させた、キングズブリー(同VC) https://en.wikipedia.org/wiki/Bruce_Kingsbury フィンシュハーフェンの戦いで、機銃座7個を手榴弾とライフル狙撃で壊滅させたデリック少尉(またVC略) https://en.wikipedia.org/wiki/Tom_Derrick とか中東戦も経験した兵士/将校が豪州にもいた。まあそのような言わばエース級の素材はどの国にもいるものだが 彼らの場合は一つの特徴があって…大抵が10-20代の頃にスワッグマンと呼ばれる放浪生活を送っている。 https://eow.alc.co.jp/search?q=swagman& ;ref=wl >〈豪〉路上生活者、渡り労働者 https://en.wikipedia.org/wiki/Swagman まあそれはWikiに詳しい訳だが、要はこれら豪州兵の若い頃は丁度1929年から始まる世界恐慌と重なっていた。 都市部に仕事などろくにない訳で、広大なブッシュに点在する牧場などに仕事を求めるしかなかった …勿論、アメリカじゃないんだし自動車なんてガソリン消費する移動手段など持ってる訳がなく、馬なんてのも ないので、歩いて職を求めるしかなかったんだな。 さて歩く事に関して、Hiroshima出身の兵隊ってそんなに優位性持ってたと考えてるの? えっと山岳になると違ってくるんだっけ…迷子になり易いの?出来損ないの41st部隊がそうだったようにねwww >>673 >浜田聨隊の小銃も捨てず、難行軍に耐えたこたぁ あ、小銃はすてなかたの?えらいでちゅねえ…大砲等は数の内に入らんようだがw >>669-671 豪州将校らもマレー・シンガポール席捲した広島5Dのこたぁ知っとったし、 豪州の8Dがやられたことも名が知られた要因の一つじゃろう。 福山41iが七門の砲?そがぁにゃ持っとらんよ。 福山41iはニューギニアで、 {41式山砲一門、弾薬 60発}{94式37ミリ砲一門、弾薬 150発}のみじゃった けぇのう。 >>674 大砲のホラ話なんかしとらんが、軍板スレのやりとり提示してみんさいや。 パプアニューギニア原住民のパプア族がどがぁな戦いするんなら。 >>675 戦果においては、「どの国も同じように景気のいい数字を列べるが、どう計算しても 上記(武器装備、兵員数)の数字に合わないのは残念である。」と、公刊戦史じゃのは、 どこの国でも昔から合戦物語の踏襲様式ゆえ、大ボラこき、ラッパ吹きの ファンタジーに成るけぇのう。しかも軍の上層部が執筆するんじゃけえ、リアルな 兵隊目線と違うんよ。 >>677 41g聨隊たぁ何なら? 福山41iが自分の身を守る小銃なんか捨てるわきゃあるまあが。 トラックたぁ、われん云う後者の方よ。平野、都市部に育ったスポーツ万能選手も、 登山行軍じゃアゴ出して倒れとる方じゃが、普段の生活で山道を荷物担いで 登り下りしよったもんは、アゴ出さんし、平気でこなすけぇのう。兵隊と成り 背負い袋に小銃の重さも日常の事と一緒じゃけぇ。砲兵なんか特に分解、運搬とかも 山育ちの体力があるもんに向くけぇのう。 重量基礎体力に弱い近畿兵団じゃが、丹波篠山聨隊は鍛えられとったけぇのう。 盃山登山に丹波の山育ちのもんは重量基礎体力を兵隊に成る前から保持しとったが、 「しかし弱兵や、大阪、神戸などの都市部の兵には耐え難い苦行で、後ろから竹刀を 振るって追いたてる助手たちに怒鳴られながらも倒れる者が続出した。しかし段々と 体力がつき、皆んな完走できるようになり、七時の朝食に全員の顔が揃うように なった。」 >>677 わしん祖父が、仲がええ戦友と共に登山行軍での登り途中外れて、戦友と共に呑気に 横ん成ってタバコ吸いよって、下山する者らに混じるも軍隊営庭生活の機転 要領じゃし、真面目に登山行軍しよる兵隊も見て見ぬフリをしてくれるくらいの人望も 必要なんじゃが、途中まで倒れん体力もあったし、監視しよる古参は倒れとる兵を 体罰することに熱中しよるけぇ、隙ありでサボるよ。 関東地方兵の行軍ならほとんど弱い途中倒れる連中ばっかしじゃし、広島聨隊の 行軍訓練じゃの無理じゃのう。 ほいから、韓国ドラマ視よったら、兵役の訓練で、先輩古参兵が、 背負い袋に新聞紙のかたまりで重量を軽うサシクリ駆け足しよって、新兵は真面目に 装備通りの重い荷物の背負い袋でバテよったんじゃが、これも要領よのう。 営庭訓練から機転が利き要領のええ兵隊は、戦場でもええ兵隊に成って敵さんとも 戦闘駆け引きも上手に成るが真面目に任務遂行型の者は、戦場でも機転が利かんで 敵さんの術中にやられる頑迷さくらいしか持ち合わせとらんけぇのう。 ほいから、広島県の優秀最前線将兵は上官に逆らう不服従精神の強い、産地なら ヤクザ任侠業界輩出地域と重なるよ。他板過去スレでもそう云う地域は将兵の 出身地として云うたし、このスレの広島県の任侠産地地域も当然該当しとるよ。 >>677 宇都宮51Dに派遣された島根の浜田聨隊第三大隊も兵員数合計75名で、歩兵部隊 ばっかしで各中隊も定員にほど遠いいし、一小隊40名で一中隊200名ゆえ、 浜田聨隊派遣の75名は、2 個小隊程度で歩兵砲すら派遣増援じゃのしとらんよ。 聨隊本部の警備の中から軍の要請で各中隊から一桁数や二桁のや多いい派遣も 十数名じゃし、最初は糧秣搬送任務の浜田聨隊派遣からじゃが、宇都宮51D将兵に 陣地構築や戦闘指導も任されるように成ったけぇのう。 ほいで実戦戦場で中国軍から学んだ爆破寸前の手榴弾投下返しの機敏な神業や、 広島師団伝統の接近白兵戦闘で米豪軍撃退し、豪州兵に接近格闘で押し倒され 討ち取られよる体格に怯む関東地方兵団に模範を示したし、サラワケット 山越え でも小銃捨てず、日本最強師団のレベルの模範を示したわけじゃし。 >>>679 パプア族は、兵隊にほとんどおらん現地生活民じゃったけぇ、分からんよ。 >>681 グルカは山岳体力から、白兵戦に至るまで勇猛で鳴らしたけぇのう。 >>678 >豪州将校らもマレー・シンガポール席捲した広島5Dのこたぁ知っとったし、 >豪州の8Dがやられたことも名が知られた要因の一つじゃろう。 ナニを知ったのか、是非とも書いてみて なんのシッタカ、て所かな?w > 福山41iはニューギニアで、41式山砲一門、弾薬 60発}{94式37ミリ砲一門、弾薬 >150発}のみじゃったけぇのう。 何処の記述か出してみて? 何て言うか、ソース書かないよね?モウ田さんは。あいまいにしたがる習性があるの?w >680 >41g聨隊たぁ何なら? 福山41iが自分の身を守る小銃なんか捨てるわきゃあるまあが。 あ、41gu連隊ね?一つ文字が欠けててすまんねw で、米豪軍の自動小銃に対し旧式の三八式歩兵銃など戦力的には殆ど無力 、じゃないの?某小岩井光夫少佐、によればさ。上の41グ連隊の人だったかとw https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B2%A9%E4%BA%95%E5%85%89%E5%A4%AB#cite_ref-2 >どんなにふらふら歩いている兵隊も決して小銃を肩からはなさなかった。これは軍隊教育が徹底している証左だ。 >みだりに兵器を放棄すれば当然懲罰を受けなければならないことを、兵隊たちは骨の髄までも教えこまれているのである。 >「銃は捨てろ!」 >しかし当惑した兵隊は、訴えるような眼差しでチラリと私を見るが、小銃はやっぱり手からはなそうとしない。 >「おれは四一の小岩井少佐だ。銃はおれが預かってやる」私はむりやりに兵隊から小銃を奪った。そして >「もし中隊長が銃のことをきいたら、銃は小岩井少佐が責任をもって預かったと答えよ」といいきかせた。 >この日だけでも、このようにして私が手ずから小銃を処置してやった兵隊は十人と下らなかった 何か言いたい事ある? あ、こう言う利敵行為者アは銃殺!サッサと銃殺!ならいい鴨w >登山行軍じゃアゴ出して倒れとる方じゃが、普段の生活で山道を荷物担いで >登り下りしよったもんは、 迷子になったりしないですよね?自称でなく、ホントウニそんな事を常日頃ナサッてたのなら。 で今度は何の話を始めたのかな…走馬灯グルグル回ってる状態かね どうせなら、丹波でなく、キムチくさい半島の野砲兵第二十六聯隊の話でもしたら? チゲって食べ物?いや違うか、それ使って近くの山を山砲担いで超えてみたり、パラオについても ↑とリヤカーを使えばどれくらいの速度で行軍できるか測ってみたり(平地だが時速2km)、それより リヤカーが損傷しやすく戦場では使い物にならない事を痛感したりと、色々為になる経験を語れる筈よ? マラリアの危険性とか一定の予防法(地面で寝ないよう床のある所で寝たりとか)、前もって準備出来る話とかも 出来たかな?ドコゾのグ連隊じゃなくてさw >>682 >わしん祖父が、仲がええ戦友と共に登山行軍での登り途中外れて、戦友と共に呑気に >横ん成ってタバコ吸いよって、下山する者らに混じるも軍隊営庭生活の機転 >要領じゃし、真面目に登山行軍しよる兵隊も見て見ぬフリをしてくれるくらいの人望も >必要なんじゃが、 そんなもんは只の 手 抜 き だろ? 別に戦争は日本国内でやってる訳でもないんだが、そこでも牛歩一族は怠けてるとか …人望とか言う言葉を使うなよ、牛 畜 生 なんだからさw >監視しよる古参は倒れとる兵を体罰することに熱中しよるけぇ、隙ありでサボるよ。 古参と言ってみた所で大した戦争経験ないことは、まあ第一次世界大戦の消耗戦 戦ってないから自明ではあるんだが、上のレスでも出した野砲兵第二十六聯隊の ナメてない面々のようにちゃんと準備もせずに >、敵の食糧を奪えばいい、と各自に分配された米の半分ぐらいを船に残 して戦闘に参加するからどこ行ってるか分からなっちゃったり汚染された食料に 拘ったり勝手に独断専行して逃げ帰ったり、あと大砲やら(大隊砲、でなく山砲モ?w) キュー式の三八式捨てちゃったりするの? ねえ、どうなのよ?牛だ畜生さん。 >営庭訓練から機転が利き要領のええ兵隊は、戦場でもええ兵隊に成って敵さんとも >戦闘駆け引きも上手に成るが真面目に任務遂行型の者は、戦場でも機転が利かんで さっさと銃殺した方が良くねえか?ココダでの出来事見るに、全くもって使い物にならん ゴ ミ ですわ。 >、広島県の優秀最前線将兵は上官に逆らう不服従精神の強い、産地なら >ヤクザ任侠業界輩出地域と重なるよ。他板過去スレでもそう云う地域は将兵の >出身地として云うたし、このスレの広島県の任侠産地地域も当然該当しとるよ。 任侠なんて虚業も良い所の、所詮都市部の人間なんて、あんまり選べない自然環境で 戦わなきゃならん兵士には一番向かないと思うの。 所詮は、に、NINKYO、その人間関係の事柄でしか 吠 え ら れ な い ものね(モーw >>683 >ほいで実戦戦場で中国軍から学んだ爆破寸前の手榴弾投下返しの機敏な神業や、 >広島師団伝統の接近白兵戦闘で米豪軍撃退し、 馬鹿? 結局追い散らされて…えっと最後何人になったのそれ。 戦争が所詮消耗戦だってこと、お前は理解しとらんのかなぁ あ、NINKYO語り出す牛畜生にゃ、理解困難いや不可能な事だったかw 1943年は、サラワケット山系を越えてみた所で米豪軍はその先の フィンシハーフェンの戦いをすでに準備していた…そろそろ豪州らしい 戦いと言うか、戦車がこの戦場に登場しつつあって、ベトナム戦争の時、 あるいはマレー作戦での島田戦車隊同様、無力な歩兵相手に 猛威を振るうようになるが、>>517 のインパールの所でも広島師団なら 状況は全く違った、とか書いてたよな …ニューギニアで、広島の将兵なんて役に立ったの? https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Finschhafen https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Sattelberg 具体的な成果とか書いてみて? あ、それとも、消耗しちゃって云々の泣き言を法螺の間に語りだすかな?w シェルパのグルカ兵が強いけぇ、日本の歩荷も白兵戦に強いんか。 丹波篠山兵は山でイノシシを捕り生活しよる故じゃのう。 神戸でも山の街ゆえ坂が多いいわけで、六甲山兵はおらんのか。 >>684 マレー・シンガポール戦後の豪北諸島でも、「あの山の向こうには第五師団がおる」 云うたら、豪州の連中は怖れたけぇのう。 ニューギニアの福山連隊の編成の人数から砲、弾薬数まで「広島師団史」に 出とるよ。 ほいで小岩井氏は陸士出で佐官以上の神輿階級の「良きに計らえ」の人で。 当時、天皇から預かった銃を聨隊指揮官が兵に捨てさせるじゃの重犯罪の 軍法会議もんよ。戦後も生きた小岩井氏が兵を粗末にした責任言い訳の為に 云うたんじゃろう。米豪軍の自動小銃に旧式が無力じゃの無ぁし、距離詰めたら ええ戦術的なことを最前線の実戦も知らんで後方司令部で地図眺めよるか後方から 他人事のように観戦する立場の部外者の神輿の小岩井氏が判断することでも無ぁわ。 しかも他部隊の銃捨てて、ヨタヨタしては倒れる南方戦線の通例を福山連隊に 不名誉押し付ける小岩井氏の神経もどうかしとろう。 実際、宇都宮51Dに派遣された広島5Dの浜田聨隊は、数十倍の米豪軍を陣前に 引きつけ一斉射撃で撃退し、北関東の宇都宮師団兵らにも広島師団方式を 教えとんで。まあ、宇都宮51D師団長の中野氏は、運搬搬送派遣の浜田聨隊将兵の 体力と機敏な行動から、戦闘の最前線に起用する見る目があったが、 福山連隊は、神輿の上層指揮官や格下の高知連隊の指揮官らも福山連隊の歴戦の 武勲無視の扱いされた悲劇でもあるんよ。昭和16年頃から郷土部隊解体化の 日本国軍強調が、武勲実績無視の傾向に繋がったけぇのう。 >>685-686 その手抜きすら、平野部育ちのもんは出来んけぇのう。背負い袋重量駆け足登山行軍に 倒れ竹刀や軍刀の鞘でダウンし横たわったんを体罰されよんじゃけぇ。弱兵虐め熱中の 隙に隊列から自己判断落伍で休憩し帰路部隊合流こそ軍隊の要領に合わせとんじゃし。 小岩井の大法螺言い訳に頼ってもつまらんよ。旧式銃で戦うた将兵が銃捨てたら 敵さんに全面降伏同然じゃし、防衛本能からも歴戦部隊じゃやらんよ。 任侠が都市部云うて、広島県は都市部の周りは山だらけで。都会兵概念なら 戦前六大都市の東から東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸で、九州北部の 菊門オカマ久留米師団からしたら、奈良県すら都会兵で博多や八幡、小倉の 田舎兵概念で現在なら、福岡市、北九州市は田舎で奈良市は都会なんか 云うことんなるけぇのう。都会兵、田舎兵にゃ日本の中央地域、地方地域の 違いも含むわけじゃし。 まあ、広島県じゃ、広島市、呉市、旧安芸郡、佐伯郡、賀茂郡や備後の三原とか 県南じゃが県北、芸北山県郡も広島聨隊だけじゃのう、島根浜田聨隊入隊組含め 強兵の産地よのう。それらの中でも任侠業界排出地域兵は強いよ。 島田戦車隊の茶釜と一緒んすなや。島田戦車隊は具体的な武勲書けんけぇ、 シンガポールにも「堂々と入城」と抽象的な表現しか出来んのよ。 >>689 山岳育ちは重量背負う基礎体力があるし、一般的に接近の射撃や斬り込み白兵戦は、 山岳陣地攻城、防御守城戦に多く、野戦は平坦な広い土地の砲撃、射撃火力戦比重が 強いけぇのう。じゃが重量背負い基礎体力の甲種合格率上位独占の東北兵も、 山も高いが平地土地も広い土地柄ゆえ、鈍重でのんびりした性格ゆえ、コンパクトな 土地柄の平地の少ない西日本兵ほどの機敏な行動も出来んし、野戦向きなんよ。 東北、越後の兵が中国南部の機敏な広西軍の夜間奇襲で首切られ守備隊全滅の 失態も、鈍重性ゆえよ。 >>690 鬼の篠山聨隊は、基礎体力の丹波山猿兵に欠ける、沿岸進取の気風を神戸、尼崎の 沿岸沖仲仕気質でカバー出来るけぇのう。バランスが取れとるよ。 神戸の山に近い台地はお金持ち外国人住宅で戦前の神戸金持ち商人は、平地の 客通りの地域に店構えて、自宅も奥に作りよった側じゃけぇ。 >>691 確かに広島師団は逆境奇跡の大逆転戦闘実績じゃけぇ、散り際の滅びの美学の 日本ローカル負け犬根性価値観を超越しとる実質勝利実績。 詳細の資料を求められると一緒くたにして逃げる弱腰青牛(笑) もうホラ吹きっては分かってるけどね なんとか育ちっつうのも大雑把で具体性もない 広島も含めて日本に山岳育ちなんぞは殆どおらんし、体力面においては農業、林業等々肉体労働従事者か、そうでないかの違いしかない 新兵の初期段階でそれが顕著に現れるだけのこと 軍人に必要な体力は健康体なら訓練でなんぼでも作れるし、新兵ちゃんも適応可能で、そのための訓練よ もしも関東歩兵が任務に必要な基礎体力がないとするなら、それは訓練を怠ったからに過ぎない そして余談かも知れないが、白馬青牛の父祖は訓練に脱落したんをカッコつけて誤魔化したんよ 何もわかっとらん 広島名物サシクリよ。広島じゃ、サシクったもん勝ちじゃけぇ。 >>694 おいおい、広島神兵伝説は広島新兵の白馬青牛伝説じゃないのか? ヤクザ上がりの新兵が上官のいびりに対して腹いせに武器庫から 大砲持ち出してきて上官を脅したと語った白馬青牛お得意の伝説だろ? >>695 逃げよんは、トンデモ言い訳の小岩井さんに、小岩井の言い訳を鵜呑みにする 低脳お馬鹿さんじゃけぇ笑うたよ。 火力装備の差で銃を捨てるんなら、火力装備の劣る日本軍がマレー・ シンガポール戦で勝利以前に銃放棄降伏した方が正しかった云うとんと一緒じゃけぇ。 中国軍は装備が日本軍に劣っても長期戦戦い続けたわけで、言い訳の時は 合理主義じゃの日本の上層部らしい言い訳よのう。 鵜呑みに騙される、おどれらも、今なら幼稚な官僚の駄文や隠蔽黒塗りの報告が 正しい云うとる政治屋並みの茶番演じよるんじゃけぇ、爆笑もんよのう。 まあ、おどれら小岩井氏鵜呑みの騙され易いお人好しなんか、思考力ゼロの 低脳なんか、お笑い爆笑モンを真面目に云うとんじゃけぇ可笑しゅうてならんのよ。 公刊お役人黒塗り隠蔽執筆を権威として水戸黄門ドラマの印籠と勘違いしよん じゃけぇ。腹抱えて笑えるネタ提供のサービス精神は認めてあげるけど、 本質は虚言肯定したがるネトウヨ共通パターンじゃけぇ、馬鹿げなよのう。 >>696 われん、具体性も無ぁ、抽象的思い込み感情文じゃ、つまらんよ。 >>697 誰しも解る小岩井氏のサシクリ言い訳も下手過ぎて、小岩井氏が一兵卒なら 要領が悪りいけえ、体罰で各班回され集団暴行されながら謝罪行脚もんで >>698 戦後、瀬戸内の海賊として、任侠右翼として知られるD手氏の広島聨隊での体験談を 大竹海兵団出身の笠原和夫氏が著書に載せたもんじゃのう。 D手氏は、悪兵の道に進んだゆえ、別格扱いゆえ、原爆投下の時も集合サボって、 爆死せずに済んだんよ。広島聨隊名物の毎年悪兵輩出の伝統を守った人じゃった けぇのう。弾薬庫から装備で上官、古参対抗じゃの当たり前過ぎる。 D手氏以上のぶちキレるもんなら、上官、古参に殴られた怒り以前に権威で 威張った時点で上官、古参らを半殺しにするけぇのう。 ズンダンズンダンズンダンズンダン ズンダンズンダンズンダンズンダン♪×2 スターカラー、ペンダント!カラーチャージ!! ルールッルルー ルッルッ ルールールルルー♪ルールールールールルッルルルー ルールーラララララーラッラッラー ♪ きーらーめーくーほーしーの力でー♪ あこがーれのーわーたーしー描くよー♪ (テットゥッテットゥッテレッテッテッテテ テットゥッテットゥッテレッテッテッテテ♪) トゥインクル トゥインクルプリキュア♪×3 スタートゥインクル スタートゥインクルプリキュアー♪ああ〜♪ 悪兵、反逆、強姦大好き青牛が小説を真に受けて大砲強奪トンデモストーリーを 検証せずに吹いてしまったんだよねえ。 裏を取れずに偏屈な感情論で反発する老害さんは、認知症の診断が必要かもねえ。 >>692 >マレー・シンガポール戦後の豪北諸島でも、「あの山の向こうには第五師団がおる」 >云うたら、豪州の連中は怖れたけぇのう。 ん?何処に書いてあるの?それ …コレ?↓ >ニューギニアの福山連隊の編成の人数から砲、弾薬数まで「広島師団史」に >出とるよ。 →https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=244876913 →陸上自衛隊第13師団広島師団史研究委員会 →昭和44年 大丈夫?これ…ダレに聞いて作ったのかな? 先の小岩井少佐の話だけど、書いてなかったけどソースはこれね→「戦史叢書 南太平洋 陸軍作戦(2)」 君の大っ嫌いなWiki先生によると https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9B%B8 >一般では『公刊戦史』と呼ばれる。冊付録の表記は『大東亜(太平洋)戦争戦史叢書』。刊行の目的としては >「自衛隊教育又は研究の資とすることを主目的とし、兼ねて一般の利用にも配慮した」とされている。 まあ公的な資料ね。 >しかし当惑した兵隊は、訴えるような眼差しでチラリと私を見るが、小銃はやっぱり手からはなそうとしない。 >「おれは四一の小岩井少佐だ。銃はおれが預かってやる」私はむりやりに兵隊から小銃を奪った。 もう一度…何か、言いたい、事、あ・る・の? 火砲の件については、まあWikiでも「大体」あ間違った大隊砲を埋めた、と出ているがこれは誰の大砲なんでしょうか 第二大隊、のじゃなくて144連隊の物なの?↓見ると > 福山41iはニューギニアで、41式山砲一門、弾薬 60発}{94式37ミリ砲一門、弾薬 装備してる筈無いよね? 該当箇所、ぜんぶ書き出してみて? ちょっと検証必要かも知れんから。 …まあS44な「広島師団史」について、 い い 加 減 な事が書かれていたとしても、 誰の、どの腐れ帰還兵ないし将校の根性叩き直したら良いのか分からんけど、それも 必要か知れんから、 存 命 の執筆関係者も、出来れば教えてね?w >>692 で >米豪軍の自動小銃に旧式が無力じゃの無ぁし、距離詰めたら >ええ戦術的なことを最前線の実戦も知らんで後方司令部で地図眺めよるか どんな風に闘ったの? 広島師団”史観”のにほんへー達は。 豪州側の記録 ‘Armies of Empire: The 9th Australian and 50th British Divisions in Battle‘ に出てくる訳だが、お前も前書いた通りパトロール等での遭遇戦がニューギニア戦線では 主体だったと「ジャングル師団」に改変した豪第9師団の将兵が語っている…師団レベルの 攻撃など希であったと。 また中東の砂漠で接したドイツ軍兵と違い、日本はそれほど戦闘巧者でなかったから もっと大胆(take risks that were unacceptable、要は独軍相手では取りえないリスクを取れるw) に行動を取れたらしいな。 各分隊にSMG二丁、小隊なら中機関銃(ビッカースね)4丁、あとライフル手榴弾や5cm迫やら ヤバそうな兵器持って日本軍掃討してたようだけど…中国人の主兵器(手榴弾)なら対処出来た Hiroshimaヤクザ戦法、何処まで対抗できたのかな あ、900gラムだたかな?そんな重さの砲弾打ち出す”戦場の女王”様への対処法も是非とも 教えてくれ…それとも、戦車って敵に回すと何の対応もできなくなっちゃう厄介者だと認めて くれる?英豪印軍は、マレー防衛で嫌と言うほどその事実を突きつけられたようだけどね? ボケナス脳の某師団のメンメンはそうはとらえてなかったかもしれないけどなw >>693 >その手抜きすら、平野部育ちのもんは出来んけぇのう。背負い袋重量駆け足登山行軍に >倒れ竹刀や軍刀の鞘でダウンし横たわったんを体罰されよんじゃけぇ。弱兵虐め熱中の >隙に隊列から自己判断落伍で休憩し帰路部隊合流こそ軍隊の要領に合わせとんじゃし。 ニューギニアとかガダルカナルじゃ丸で役に立たん、こくないの自然のげんじつベースの 話をされてもねえ…蚊に刺された程度で生死さまよったり、変な水飲んで死ぬまで下痢 し続ける事なんて無いでしょ?まあヒルがぼたぼた落っこちて来てイヤな思いする位?w 要領って奴も、何が起きえるか分かってやってるならええんだけど、何だっけ? 相手から食糧ubacchaeっばOKって要領で半分モノ持参せんで戦場に赴いたんだっけ? マジで全員物故ろした方が良くね?まあ逃げ足めっさ早くてそれも無理そうだけど、 これもまた、 要 領 って奴かなぁぁ?www >>694 >山岳育ちは重量背負う基礎体力があるし、一般的に接近の射撃や斬り込み白兵戦は、 >山岳陣地攻城、防御守城戦に多く、 あのお、何時の時代の話でしょ て言うか、どの動画かMovieのおはなしかなあ?w >土地柄の平地の少ない西日本兵ほどの機敏な行動も出来んし、野戦向きなんよ。 妄想は相変わらずのようでw >マレー・シンガポール戦後の豪北諸島でも、「あの山の向こうには第五師団がおる」 >云うたら、 なんて特にそうなんだけど、こう言う敵のいかにもな評価って奴が一番胡散臭い事は 理解してる? 相手が躍起にあるいは怯えて行動した、なんて大抵はその相手側に証拠が残ってなかったり するもんで、大した価値なんて普通はないと分かってるよね? まあこんな感じの例外もいたりするけど、この程度の具体的な評価を出してもらえる? 発言者なんかも含めてねw https://www.ie.emb-japan.go.jp/itpr_ja/00_000112.html >国交樹立後,暫くの間オランダから兼任だった大使館が1964年にダブリンに常駐になってから, >最初の天皇誕生日レセプションで,トム・マリンズという人に会いました。私の方に歩いてきて,彼は言いました。 >「俺は1920年代にコークで英国軍によるIRA(アイルランド共和国軍。現在のいわゆる「IRA暫定派」とは別)の弾圧を指揮していた >パーシバル(注:当時はエセックス連隊第一大隊の中隊長,後に情報将校)を何度も暗殺しようとしたが,成功しなかった。 >ところが20年後にシンガポール陥落で山下奉文中将が彼を捕まえてくれた。 >あんまり嬉しいので(戦時中日本のダブリン領事として駐在していた)別府氏(後に駐ラオス大使)を >囲んでダブリン中のコメを買い集めてお祝いをしたんだ」 シンガポール攻略の話なら、まずはこれかな? >>699 >火力装備の劣る日本軍がマレー・ >シンガポール戦で勝利以前に銃放棄降伏した方が正しかった云うとんと一緒じゃけぇ。 一応ユニバーサル・キャリアはあっても戦車戦力は全くなく、アメリカのダメなビア樽機 (フィンランドでの状況と違い、オーバーヒート等が本当に問題だった)に頼って制空権 失った、単に舐めたのか、あるいは正しくはシンガポールの防御に”ソ連への援助”以下の 優先順位しか与えなかった大英帝国の戦略的杜撰さを理解してる?あるいはパーシヴァルの考えとかw まあマレー領のあっさりした攻略については パーシヴァル自身の戦後の手記 ( https://thewarinmalaya.wordpress.com/ にあり) や彼の過去の経歴を、出来れば英語版のリンク ( https://en.wikipedia.org/wiki/Arthur_Percival ) に目を通しておくべきだと思うがその前に …ジットラ陣地ってどうやって攻略したのかな? で、 >>699 >戦後、瀬戸内の海賊として、任侠右翼として知られるD手氏の >D手氏は、悪兵の道に進んだゆえ、別格扱いゆえ、原爆投下の時も集合サボって、 >爆死せずに済んだんよ。広島聨隊名物の毎年悪兵輩出の伝統を守った人じゃった >けぇのう。弾薬庫から装備で上官、古参対抗じゃの当たり前過ぎる。 これって普通(ふつう)の国じゃ銃殺だよね。 AWOLで肝心な時にいないとなれば敵前逃亡と同意語、それに「弾薬庫から装備で上官、古参対抗」か →死刑_意図的に権威の反抗を示すような形で上官から個人的に与えられた合法的な命令に背いた 集団で抵抗する?それなら反乱罪も適用できるなw まあ海軍にいりゃ https://en.wikipedia.org/wiki/Cat_o%27_nine_tails#/media/File:A_sailor_is_stripped_to_the_waist,_tied_to_a_ladder_and_bein_Wellcome_V0041675.jpg のむち打ちになるのかな? その場合、で反乱を企てたとなりゃFlogging round the fleet、つまり例えば停泊してる艦艇のすべて、とはいかないでも 数多くのふねの上で公開むち打ちを200から250回受ける事になってたはず。犯罪者に対する刑も終わるのに数か月かかり …まあ衛生のあんまり発達してない近代の話なんで大抵は途中で感染症により死ぬことになったようだが https://en.wikipedia.org/wiki/Cat_o%27_nine_tails さて、連中言う所の腐ったオレンジ、あるいは林檎のD手さん、何か月、あるいは何十発持ったと思う? 戦争が8月15日に終わって広島の連隊なんてどうだって良くなって、本当に 良 か っ た ね ? まあ、広島はこんないい加減なゴミが普通に暮らせる、当然師団なんてのも適当な言ばかり吹いてる 出来損ないって事を教えてくれて、本当に 有 難 う よ? 牛 The 畜生 さんwww >>701 検証じゃの検証者の主観じゃけぇ、黒塗り隠蔽やらかす官僚でも出来るわけで、 最近は、世界に通用せん日本軍犯罪隠すトンデモ歴史修正主義者ほど「検証」の結果、 南京虐殺も慰安婦強制連行で日本軍の関与は無かったじゃ、産経の鹿内元社長の 日本軍の慰安婦管理や中曽根大勲位殿の自慢げに慰安所作った自慢も知らんぷりで、 「検証」対象に無かったかいのう。 まあ、世情描いた小説の方が権力側の隠蔽捏造放題の公文書たぁ信憑性が強いし、 近代のように個人の回想、証言が残る時代以前の近世、中世なら小説や 庶民の詩の方が歴史事実を語っとし、歴史考察の基礎でもあるよ。 軍関係書物でも、国家の公文書公刊史たぁ、地域師団史の方が価値が高いし、 師団史たぁ、聨隊史の方が詳しいし、聨隊史たぁ、中隊戦記の方が具体的な 事実が書いてあるよ。 >>702-703 公刊史の戦史叢書なんか、広島師団の南寧攻防戦の記述すら隠蔽し書いとらんよ。 蒋介石が雲南〜ビルマのルート輸送作ったけぇ広西省の崑崙越え南寧占領が 無意味に成ったけぇ、戦史に残さんじゃのお得意の「検証」知らんぷりなんよ。 戦史叢書じゃ、広島39Dの比類なき宜昌防禦については、国軍の戦史に残る快挙で、 大陸打通戦兵力抽出し、宜昌の広島39Dが崩されたら南京総軍まで総崩れの 壊滅じゃったけぇ、隠蔽せず云うても、あくまで指揮官クラスの証言だけ 取り上げて、書いとるけぇ出来栄えは良う無ぁのう。 まだ、「広島師団史」の方が具体的じゃし、中隊戦史となれば尚更よのう。 「広島師団史」の執筆者は玉井光氏と>>207 -208 及び>>680 の「どの国も同じように 景気のいい数字を列べるが、どう計算しても 上記(武器装備、兵員数)の数字に 合わないのは残念である。」の文も引用した 松下葆氏よ。 「広島師団史」じゃ松下氏も上記の具体的なことは語ってん無ぁけど、装備数は 知る限りきちんと書いとってよのう。 公刊史なんかは、どの国でも>>496 の戦果過大の三倍以上の敵兵死傷者の捏造数字が 垂れ流され喧伝されるわけじゃし。 ほいから、師団レベルの攻撃たぁ何なら。軍隊は分隊単位の下士官指揮単位が基本で。 相変わらずWiki鵜呑みの低脳ぶり発揮しよるのう。 >>707 >検証じゃの検証者の主観じゃけぇ、黒塗り隠蔽やらかす官僚でも出来るわけで、 >最近は、世界に通用せん日本軍犯罪隠すトンデモ歴史修正主義者ほど「検証」の結果、 >南京虐殺も慰安婦強制連行で日本軍の関与は無かったじゃ、産経の鹿内元社長の >日本軍の慰安婦管理や中曽根大勲位殿の自慢げに慰安所作った自慢も知らんぷりで、 >「検証」対象に無かったかいのう。 今度は何の話を始めたの?牛Theさんは。まじ畜生の思考って話が飛びすぎるから人類が 付いていくは中々面倒な訳だが、慰安所なり売春宿の話をしたいの?借金持った武家の 娘にハアハアしてたりと凡そヤクザな人身売買をかなり肯定してたようなんだが、自身の コンプレックスなり欲求に忠実な畜生さんの、えっと何だっけ?「強制連行」の糾弾話持ち出されても、 その、阿呆すぎて困りますw >まあ、世情描いた小説の方が権力側の隠蔽捏造放題の公文書たぁ信憑性が強いし、 >近代のように個人の回想、証言が残る時代以前の近世、中世なら小説や >庶民の詩の方が歴史事実を語っとし、歴史考察の基礎でもあるよ。 こう言うのはOK? →「ここを南海支隊がこえたのか」 →私自身が過ごしていたジャングルでの日々が蘇ってきました。そこは、人間の立ち入る場所ではありませんでした。 →いや、人間が踏み込むことを頑として峻拒していた魔境でした。猛烈な雨と瞬時に氾濫する河川。 →日のまったく射さない密林。 →所嫌わず吸い付いてくる山蛭やブヨ。 →ウンカのように集中してくるアノフェレス蚊。 →限りなく続く大湿地帯──。 飯田進著「.地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相」 何かとても安っぽい部勇談よりこう言う苦労話の方が性にあってるが、脚色度が足りないから却下したいかな? 牛The畜生さんはw で >>708 >まだ、「広島師団史」の方が具体的じゃし、中隊戦史となれば尚更よのう。 >「広島師団史」の執筆者は玉井光氏と>>207 -208 及び>>680 の「どの国も同じように> >景気のいい数字を列べるが、どう計算しても 上記(武器装備、兵員数)の数字に >合わないのは残念である。」の文も引用した 松下葆氏よ。 >「広島師団史」じゃ松下氏も上記の具体的なことは語ってん無ぁけど、装備数は >知る限りきちんと書いとってよのう。 知る限り…え? 例えば以前出した一木支隊も編成上は連隊砲中隊(75mm山砲×4)速射砲中隊(37mm×4)を 持っていたわけだが速射砲が分解可能でなかったドイツ鹵獲のものであった事情などもあり 大隊砲を持って攻撃している。 で上述したが極めて険しく人間にとっても有害なココダ周りの環境で、第144聯隊と連携していた 第41連隊は山砲1門速射砲1門、60発と150発の編成だったの? 大隊砲とかでなくて。 でイスラバでは山砲2、速射砲2、大隊砲2で最終的に攻撃したようだが https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Isurava 第144連隊は大隊砲を余分に持ってきたのかな? あるいは、「広島師団史」 ガ その辺を歪ませようとしてるのかな? そうする動機、あるでしょうよ >>708 >戦史叢書じゃ、広島39Dの比類なき宜昌防禦については、国軍の戦史に残る快挙で、 >大陸打通戦兵力抽出し、宜昌の広島39Dが崩されたら南京総軍まで総崩れの >壊滅じゃったけぇ、隠蔽せず云うても、あくまで指揮官クラスの証言だけ >取り上げて、書いとるけぇ出来栄えは良う無ぁのう。 これ、証明できるの?志那戦線だったら相手の 被 害 とかかなりいい加減のようだが。 以前あったちょっとは活躍したラシイ第11連隊だが、これに対して何か行動したの? >小銃も天皇陛下から、預かったもんで捨てるんなら死ねと日本帝国は >教育したけど ↓ →九月十四日夜、(中略)兵隊は残された糧秣を持てるだけ持ち出発した。しかし道は →俗にいう胸つき八丁の急斜面があり、そして下るという難コースでした。これでは →重い荷を持った行軍はとてもムリでした。 →私は私の独自の判断で、無事山越えする方法として、小隊全員にまず鉄兜を捨てさせ、 →次に軽機も三丁のところ一丁に減らし、さらに分解して四人で運ぶようにしました。当時、 →兵器を捨てることは死刑に価するほどのものでしたが、私一人の判断で、これから先 →一カ月以上もの山越えでは、自分の体を運ぶことだけで精一杯と考えたからです。 →そして一週間後には小銃も二人に一丁と決め、二人が交替でかつぐようにしました。 飯島誠『南十字星とわが青春』 こう言う方がニューギニア戦線の様々な記述から妥当な行動だと思うんだが、先の小岩井光夫少佐の 行動と言い、ファンタジーの領域に達している(山砲持ってるけど大隊砲は持ってきませんでした(*´σー`)エヘヘ) 「広島師団史」の方が現実をちゃんと検証してると思うのか …そういや、(やる気なさそうな)中国戦線ならありそうな擲弾兵戦術を駆使して一寸先は茂みの ジャングルで同士討ちもなく白兵してたんですかね?あちらさん、インパールの英印軍と同じで ジャングルの中に戦車持ち込んで蹂躙してたのにw マチルダ戦車とかは16トン程度と97式とそう重量は変わらないのに山砲や37mm速射砲じゃ撃ち抜けない 70mm強の装甲持ってたんで、50発位砲弾やらアンパンやら手榴弾やら食らっても平気のへいさで 日本軍を壊滅させてたんですが、Hiroshimaピープルは何してたの?もうすでに壊滅? と言うか、大した兵器も出てこなかった中国戦線の知識 し か 無かったから、その辺は師団史に 書き込む事が出来んかったかな?大戦中は楽して帰国した国辱兵さん達は。 実際、戦争があのまま続いてたら第11連隊の皆しゃんはどう言う扱いになってたんだろうねえ。 ちなみに、例の海賊行為まで手を染めてたキング・オブ・ごみくず、D手さんの事って昭和44年発行の 例の本では出てこないの?小隊単位まで落ちなきゃいかんのか、黒塗り隠蔽レベルの処分案件だから、 載せられないって所かな(ナイス・BOOOMERRANGGGG!www あ〜あ、いつも通りの白馬青牛くんになってしまったなw 脳内妄想のネタをつつかれて、逆ギレして逃げるいつもの牛くんだ。 脚色入れすぎるからグルカ兵にしろ強姦九州世界一にしろ広島師団大活躍にしろ ファンタジー満開でしか映らないよ 白馬青牛くんにとっては馬の耳に念仏だがw >>703-705 距離の詰め方なら、>>540 にも書いとろうが。ニューギニアで広島師団の浜田連隊が 宇都宮51Dに戦闘指導し、沖中尉が戦闘指揮した時も、敵の侵入時「おびき寄せ、 敵が重機関銃陣地の直前に迫るや一斉射撃を命じ敵の意表をついて狼狽させ、 敵を小銃、軽機関銃で狙い射ちにし…」と、駆け引きと距離詰めが大切なんよ。 また、戦闘距離感覚も育った地域将兵で違う。 九州兵は幕末に「薩摩の立ち撃ち」で知られるよう、銃撃が届く距離からドンパチ やらかすし、九州の戦記に白兵戦の記述が夜襲以外ほとんど無ぁし、熊本58D 鹿児島聨隊の川崎春彦氏も白兵戦はほとんど無かった云われるが、距離感覚が狭い 広島師団は、距離詰めた接近射撃から白兵戦の機会が増えるし戦記記述にも 反映しとるよ。九州や東北、関東らの将兵は土地柄から広島師団みたぁに 距離詰めんけぇのう。 ドイツのどこが戦闘巧者なんか具体性話皆無たぁのう。Wiki受け売り ネトウヨ君らは、百田のWiki拾いのトンデモ「日本国紀」レベルじゃけぇ つまらんのよ。 >>704-705 郷土兵団による性格や戦闘の違いは他板過去スレにも書いとるよ。九州から。 [九州人は臆病じゃけぇ、広島のもんみたぁな正面ガチンコ白兵戦攻撃はようせんよ。 熊本師団、鹿児島聯隊の川崎春彦氏も、ほとんど白兵戦はせんかった云うとられる よう、幕末戊辰の薩摩の立ち撃ちのように、射撃火力戦で見栄張るだけで、広島将兵の ように白兵戦に持ち込むまで我慢して距離詰めたりせんけぇのう。九州兵は鉄帽脱いで 立ち撃ちゆえ、見た目のイメージで勇猛なだけなんよ。 鉄帽を脱いで戦闘することを、 福岡124iの兵士であった高崎伝氏が解説されとる。 「−なぜ鉄帽をかぶらないのか? そう疑問をもたれるだろうが、兵隊たちはあの戦闘の 中で、 初年兵と将校をのぞいて、古参兵たちは、早々に鉄帽を捨ててしまって、誰も かぶっているものはいなかったのだ。 私たちの連隊は、日華事変いらい、作戦に出る ときは、軍装検査の終了と同時に、重い鉄帽と防毒面をすててしまうのだ。そして 作戦が終わって、ふたたび軍装検査があるときには、みんな鉄帽と防毒面をきちんと 持っているのだから不思議である。 鉄帽といえども、弾丸の貫通することを、 兵隊たちはよく知っているので、当時はさほど重要視していなかった。なにしろ 私たち博多の「ゴロツキ連隊」の勇士たちは、戦闘になるとねじり鉢巻の方が性に あっていた。だが、その鉄帽も、後日おこなわれたインパール作戦では、戦場の 熾烈がいままでとはがらりと変わって、敵の集団砲撃にさらされる場合が多くなった が、その砲弾の破片には、けっこう鉄帽は役に立つことと、風穴をつぶして鍋代りに したり、米をひくウスがわりにしたり、穴掘りのシャベルの代用と、ずいぶん役に 立ったのは皮肉なことだった」と、云われる。 至近距離を詰める広島師団と違う性質で、幕末の薩摩の立ち撃ち、その鹿児島より勇猛な 肥後熊本連隊の立ち撃ちなんかも、九州兵の馬鹿げな処で案の定インパールじゃ困ったろうが。 広島師団は距離詰めて至近距離で白兵戦闘するけぇ、鉄帽の役割は知っとるよ。 >>904-905 [広島兵団ならどうか云うたら、元広島第11聯隊の越智春海氏は、鉄帽に関して、 「鉄帽は、あまりしっかりと装着すると、頭の角が痛くなるし、死傷率も多い。固定し ていると、弾丸が貫通しやすいのだ。ぶらぶらにしておくと、弾丸が命中した瞬間、 ころんと鉄帽が落ちたり、弾丸が、ひょいッと方向を変えて飛び去ったりするので、 助かる場合が多い。なかには、鉄帽の内側をくるくるすべって、ぼっと眼前に落ちる 弾丸もある。その一周する弾丸は物凄い熱を持っているので、頭を鉢巻き状に火傷 した兵もある。その一線、髪が生えず、後のち冷やかされていたが、たぶん死ぬよりは ましだった。」と、云われるよう、広島兵団では鉄帽は、だらしのうぶらぶらに かぶる。 広島39Dでも、{先頭を行く岩岡軍曹も撃たれた。鉄帽を機銃弾が貫いた。眼から火を 吐くような衝撃を受けたが、岩岡(代理)小隊長は屈しなかった。…銃弾は岩岡軍曹の 鉄帽の中を一周して、再び射入口から外部に飛び出した模様で、残弾はなかったが、 右耳を擦過して射出したらしく、血が噴き出した。} 至近距離戦闘に持ち込み、敵さんの最も強固な正面に突撃し、白兵攻撃する 広島師団ゆえ、鉄帽の利便性は熟知しとるけぇのう。頭が悪りい集団の見栄っ張りで 鉄帽脱いで、虚勢張って遠距離から射撃戦する九州兵たぁ、戦闘方式の伝統が違うよ。 >>904-905 [広島兵団ならどうか云うたら、元広島第11聯隊の越智春海氏は、鉄帽に関して、 「鉄帽は、あまりしっかりと装着すると、頭の角が痛くなるし、死傷率も多い。固定し ていると、弾丸が貫通しやすいのだ。ぶらぶらにしておくと、弾丸が命中した瞬間、 ころんと鉄帽が落ちたり、弾丸が、ひょいッと方向を変えて飛び去ったりするので、 助かる場合が多い。なかには、鉄帽の内側をくるくるすべって、ぼっと眼前に落ちる 弾丸もある。その一周する弾丸は物凄い熱を持っているので、頭を鉢巻き状に火傷 した兵もある。その一線、髪が生えず、後のち冷やかされていたが、たぶん死ぬよりは ましだった。」と、云われるよう、広島兵団では鉄帽は、だらしのうぶらぶらに かぶる。 広島39Dでも、{先頭を行く岩岡軍曹も撃たれた。鉄帽を機銃弾が貫いた。眼から火を 吐くような衝撃を受けたが、岩岡(代理)小隊長は屈しなかった。…銃弾は岩岡軍曹の 鉄帽の中を一周して、再び射入口から外部に飛び出した模様で、残弾はなかったが、 右耳を擦過して射出したらしく、血が噴き出した。} 至近距離戦闘に持ち込み、敵さんの最も強固な正面に突撃し、白兵攻撃する 広島師団ゆえ、鉄帽の利便性は熟知しとるけぇのう。頭が悪りい集団の見栄っ張りで 鉄帽脱いで、虚勢張って遠距離から射撃戦する九州兵たぁ、戦闘方式の伝統が違うよ。 >>713 >敵の侵入時「おびき寄せ、敵が重機関銃陣地の直前に迫るや一斉射撃を命じ敵の意表をついて狼狽させ、敵を小銃、 >軽機関銃で狙い射ちにし…」と、駆け引きと距離詰めが大切なんよ。また、戦闘距離感覚も育った地域将兵で違う。 そんなもん地域限定ってものでもないだろうに…ラエ上陸の後6回日本軍の 中隊規模の突撃を阻止した相手だっている訳だしな?あ、ウィキはダメなんだっけ?w https://en.wikipedia.org/wiki/Landing_at_Lae >The Japanese company, numbering about 60 men, subsequently fell back towards Lawrie's platoon near >the Bunga. Positioned on the Japanese line of retreat, the Australian platoon was subjected to six attacks. 実際の所ニューギニア辺りの戦闘については壊滅した日本軍の部隊展開等豪州の方が記録が残っていたりする。 レス620(そう言えばアンカ付いてないな?w)の「ニューギニア砲兵戦記」等では精鋭の野戦砲→山砲転換の野砲兵 第26聯隊第3中隊、の馬場小隊が豪州軍に包囲されてその後どうなったかは、日本軍側は誰も知らんかったりする。 でこれ↓ >The 2/12th struggled over the river amidst heavy rain, and then established themselves on >Canning's Saddle, the following day they attacked Prothero I. Advancing silently up the steep slopes, >they were able to surprise the Japanese defenders, creeping to within 100 yards (91 m) of the objective >before they were noticed by the Japanese defenders, at which point the Australians charged the position. >Heavy fighting followed with units to the flanks; however, by night fall on 21 January, the 2/12th had >secured Prothero I, silencing a Japanese mountain gun which had fired at them at point blank range from >the back door of a bunker, causing 50 casualties, including the battalion commander, >Lieutenant Colonel Charles Bourne. →豪州12師団2大隊は大雨の中川を渡り歩き、プロセロ Iを攻撃し、カニングス鞍部に陣取った。奇襲攻撃のため急な →斜面から忍び寄り、100ヤードまで忍び寄れたのですが防御してた日本軍兵に気づかれて白兵戦に移行しました。 →側面に展開してた部隊との間で激しい戦闘が展開されたが、豪州12師団2大隊は1月21日の夜の秋までに →プロセロ Iを確保した;塹壕の後ろ側から射撃された日本の山砲に零距離射撃を食らい大隊長の →チャールズ・ボーン中佐を含む50人の損害が出ましたが、沈黙させました。 https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Shaggy_Ridge まあこの本↓ Bradley, Phillip (2004c). "Prothero". The Australian Army in Profile: 2004. に記載があるようだが、この著者が上記中隊の長の大畠氏と当時の情報の交換を行い、上記のような話も提供したらしい。 馬場小隊については大畠氏も後方に砲撃したのを把握していたりと、照合出来る個所があり(結末は皆殺しなのだろうが) 状況は把握出来るようになってるんだよねえ…もう月日もかなり立ってて、遺族などもお互い語り合えるになってるので …何とかgu聯隊の場合はどうなの? 相変わらず、照合できそうな細部の話が出てこないんだが、あいまいに誤魔化すのは癖なのか? オマエ、にも限らんか、ごくつぶし師団なんかもさw >>714 >郷土兵団による性格や戦闘の違いは他板過去スレにも書いとるよ。九州から。 別にお前の話を延々と聞かされてもなあ …何かソース付きで出してみて?公的なものに関してはナゼカ(当然)、広島の師団に 対して批判的かもしれんけどw >肥後熊本連隊の立ち撃ちなんかも、九州兵の馬鹿げな処で案の定インパールじゃ困ったろうが。 結局、ニューギニアでもM4というよりM3中戦車より更に旧式なマチルダ戦車に一方的にやられてたが、 Hiroshimaピーポーはなんか一矢むくえたのかい? 確かニューギニアにいたようなんだが、相変わらず回答とかないよなあ >>715 >>716 どうしたの?オナジ内容を連投?相変わらず詳細の記載はないけど 誰かの書いたオナニーを繰り返し掻いてるの?www >>706 ジットラ突破は福山41iの猛攻の手柄よのう。広島県の安芸の賀茂、豊田の芸南と 備後の壮丁の福山連隊も、無謀な正面激突で激戦で勝利したし。 越智春海元陸軍大尉の「マレー戦記」からも。 「四十一連隊(福山)は工業都市風に万事が荒削りだ。シンゴラで、タイ軍連隊夫人の 尻を射って、程度を下げていたので、ここでは闘牛のように暴れ回った。敵前で橋を 渡るなどということは、常識はずれだ。 せっかく連隊主力が上流で渡河したのだから、そのコースを利用するのが常道である。 が、本道上に待機していた一部隊は、本隊が対岸で戦闘を始めると、やにわに橋を 突っ走って行ったのである。どういう考えだったのか、それは判らない。 「たいしたこたァ、にゃァ(ない)」と、思ったのだろう。しかし、この無謀な突撃 で、橋梁付近が一大乱戦場になったのは事実だ。大戦果には必ず、こういう 常識はずれの行動が付随していることが多い。捨て身になって奮戦していたグルカ兵 が、この緒戦に敗れてからは、日本軍の姿さえ見れば、逃散するか、両手を頭上に 上げてゴム林から 出て来たのは、この最初の一撃がいかに痛烈であったかの 証明であろう。」 >>719 >ジットラ突破は福山41iの猛攻の手柄よのう。広島県の安芸の賀茂、豊田の芸南と >備後の壮丁の福山連隊も、無謀な正面激突で激戦で勝利したし。 >越智春海元陸軍大尉の「マレー戦記」からも。 相手側の検証できるソースは? >「四十一連隊(福山)は工業都市風に万事が荒削りだ。シンゴラで、タイ軍連隊夫人の >尻を射って、程度を下げていたので、ここでは闘牛のように暴れ回った。敵前で橋を >渡るなどということは、常識はずれだ。 ゆたかな自然環境でどうこうするには向いてないんじゃない? http://factsanddetails.com/asian/ca67/sub427/entry-5330.html >In general, the Japanese troops knew very little of jungle warfare. The Japanese Army >did not embark on conducting research with jungle warfare until Dec 1940, and even then >the effort was not fruitful, as the responsibility of the research was given to the Taiwan Army, >and the island of Taiwan lacked any jungle for this purpose. Furthermore, Japanese intelligence >only detected 30,000 to 50,000 British and Commonwealth troops in Malaya, when in fact there were >about 88,600 men; this under-estimation could have easily caused →一般的に、日本軍はジャングル戦争をほとんど知らなかった。 →日本軍は1940年12月までジャングル戦での研究に着手せず、その後も研究は台湾方面軍に委ねられたが →台湾島はこの目的のためにジャングルを欠いていたので、その努力は実りがなかった。 →さらに、実際にマラヤに約88,600人の兵士がいたにも拘わらず、日本の諜報機関は →3万人から5万人の英軍および英連邦軍のみを検出した。 この過小評価は …無謀な突撃の原因?無知は力とは言うもののねえ…ま、この話は続けるけど >Japanese troops, originally thought as inferior in jungle warfare, continued to surprise British troops as they >moved quickly down the peninsula. Part of the Japanese secret was bicycles, providing Japanese soldiers >great mobility in the rubber plantations. ジャングル戦はダメでも、チャリに乗って機動戦展開されて、パーシヴァル君もがっくり! この”辺り”が、マレー戦があっさり勝利に終わった要因なんじゃないかねw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる