>>385
昭和期は戦闘体験者が大勢おっての時代じゃったけぇ、戦闘の話は愉しそうにして
くれてんよ。子供の頃の「戦争ごっこ」も石の投げ合いの飛び道具火力戦から、
棒の叩き合いの白兵戦で決着付けるもんじゃが、戦闘体験者の人らはわしらん
作戦指導から、匍匐前進の指導や迂回に気を取られる相手にゃ正面攻撃で勝負付け
せえじゃの教わった世代ゆえ、平成育ちのネトウヨや自衛官ほどの平和ボケは
しとらんよ。
まあ、昭和期でも九州のもんらは、薩摩の「釣り野伏せ」戦法伝統土地柄ゆえ、
軍事教典通りの、側面、背後迂回の外側の外角攻めじゃろうけど、広島のもんは
軍事教典常道から非常識な正面激突の内角攻めじゃけぇのう。
その分だけ負けた敵さんと勝負付けが出来て、正面激突で負けた精神的
ダメージは回復出来んけぇ、戦闘のやり方も地域差があるわのう。
>>386
わしゃ、現実の事例云うとんじゃし、>>344の住民慰撫の広島師団と
>>383の住民虐めで人間の猟奇的な悪の限りやらかした九州久留米師団との違いよ。
久留米菊門オカマ師団の福岡聯隊の高崎伝氏の「戦争の非情さなど
今の若い人たちには想像も出来ないだろう。まして『人間料理』など想像も
つかないだろう」なんか、人肉食文化濃厚な九州の習俗で西南戦争の
九州輜重人夫も人肉好んだし、九州南部の熊本師団兵も捕虜太股の人肉食うたり、
妊婦の腹を切り、胎児も殺す人間の猟奇的悪行の全てをやりよったけぇ
残酷無比よのう。