>>362
どこんさしくりよんか具体的に云えんのかいのう。
>>360-361の博打場荒らしの続きで、元広島39D森金千秋氏も、終戦時の収容所に
おいての事を書いとられる。
「朝鮮連盟の朝鮮人といえども、元を貸せば日本軍の占領バスに乗って、昨日まで
日本人として中国人の上にあぐらをかいて生活をしていた人種で、日本の敗戦と
同時に昨日まで 日本軍を背景に生きて来た事実を否定し、掌を返したように
昨日まで同胞であった日本人に敵対して、国府に日本人を売りつけるような行為は
低劣非道な背信行為として、収容所内の全日本人から腹わたが煮えかえるような
憤りを買った。善後策について協議した三村隊では、予て首領の李一味が、外部の
中国人と一緒に丁賭博を開帳していることを内定しており、報復として機を看て
賭場を襲撃することにした。襲撃隊は、三村、竹山、石部、富田の四人で、
全員拳銃を持ち、午前二時賭場を襲撃した。三十人程が車座になり、サイコロ
丁半賭博の開帳中だった。降って湧いたような、覆面の拳銃男の出現に、
皆が仰天し、ポカンとしていた。「同じ狢のくせに、裏切り行為は許せんぞ、
いい気になりやがると、叩き殺して揚子江に放りこむぞ」 三村がどすの利いた声で、
李と思われる男の胸に拳銃を突きつけ、李を張り倒して、軍靴で顔の形が変わる程
踏みつけた。竹山と富田が持参した袋に場銭をかき集めて詰め、富田と石部が
その袋を持って外に出た。 三村と竹山はなお暫く賭場に残って朝鮮人たちを
監視した。三村をかえした後、竹山がなお一人残っていたが、腰が抜けたような
朝鮮人たちに、天井に向かって脅しの一発打っ放し、竹山も賭場を出た。
 朝鮮人たちはその後も場所を変えて賭場を開帳していたが、二度、三度と生命を
張って 襲撃する三村隊に怖れをなして、その後は賭場を張らなくなり、日本人会に
対しておとなしくなった。」