>>308の大西政寛氏の義理の父の石田鶴吉さんの武勇伝。
「石田鶴吉。大正九年(1920年)、山口県岩国の飯場で用心棒の時、木野川の堤防で
殴り込みに来たものたちを、たった一人で迎え討って、日本刀で四人を斬り殺す。
「岩国事件」のツトメ(刑期)を終えたあとは客馬車営業もしていた。」
まあ、広島人は喧嘩売られるとスイッチが入るけぇ、江戸期でも、
 22 : 白馬青牛 ◆MSPArYuLmJK6 2016/10/15(土) 13:18:13.87
>19
剣士じゃの、道場のみ強い竹刀曲芸芸能人は広島にゃ少なぁよ。
広島でも、江戸期から役人武士たぁ町人街のもんが喧嘩じゃ強かったけぇのう。
その広島じゃ弱い方の広島藩士からしたら、薩摩はごっぱ弱わぁわ。
「甲子夜話」二十四巻第八話の文政六年(1823年)の川崎大師河原での、広島藩士一人
と鹿児島人三人との喧嘩。
大森の路店で薩摩侯の士の三人らが安芸侯士一人に喧嘩を売って尾張藩の士が
仲裁したが、薩摩の士らは聞き入れず、勝負することに成ったが、結果は薩摩藩士の
一人は、安芸の士に 「袈裟に切られて死す」もう一人「又一人は真向を切られて
倒れ死す」 この間初めに右手切られたる者は「はや逃矢て在らず」
と、広島のもんに喧嘩売って切られる鹿児島もんの自業自得じゃのう(笑)。