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陸軍第114師団(宇都宮、北関東)重機関銃部隊所属 田所耕造(茨城県神官)の証言。
「私らは下関(シャーカン)にいた。鉄条網の鉄条をはずして、つかまえた連中を10人ずつ
くらいに束にして、井げたに積み上げ、油をかけて燃やしちゃった。「俵しばり」と
いったな。豚を殺すのと同じ気持ちだったな。ああいうことをやっていると、人間を
殺すのは平気になる。日常なんだから。……それに命令だからなんとも思わなかった
ね。その中には非戦闘員もいたし、日本人もいたらしい。従軍記者もまちがって
やられたらしい。… しかし、女が一番の被害者だったな。年寄りからなにから、
全部やっちまった。… 支那の女は技術はうまいね。殺されたくないから、必死なん
だろうけど、なかなかいい。なにしろ上陸以来女の身体にさわったこともないん
だから、いじくりまわしたり、なめまわしたりする。私らは、よくなめ殺すといった
もんです。…捕虜を見せしめのために傷つけもしたな。耳をそぎとる、鼻を切り
落とす、口の中に帯剣をさしこんで切りひらく。目の下に帯剣を横にして突っ込むと、
魚の目のようなドロリとした白いものが、五寸くらい垂れる。こんなことでも
やらないと、ほかに楽しみがない。上陸以来久しぶりの遊戯なんだから、将校?
知らんふりをしていたな。… 強姦をやらない兵隊なんかいなかった。そして、
たいていやったあとで殺しちまう。パッと放すとターッと駆けていく。そいつを
後ろからパーンと撃つ。…」