魯粛がもう少し長生きしていれば
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> そうなんだ、すごいね! <
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〉 ) ( ) 魯粛は天下をとろうなんて思ってない。
曹操に勝つのは不可能だから、長江を境にして南に新しい国を作ろうっていう戦略だよ。
統一をしようなんて思ってない。 嗚呼〜子敬兄
哀哉子敬、痛哉子敬、惜哉子敬(;_;)
スレタイ見て悲しくなった… 曹操「郭嘉が長生きしてくれれば」
劉備「ホウ統が生きていてくれれば」
孔明「法正が長生きしてくれれば」
孫権「兄上と周瑜が生きていてくれたら」 もう少し長生きしてたら、もっと種付けして血縁武将を増やせたのに〜 魯粛が生きてても天下は獲れないだろ
やっぱり魯粛は天下というよりの国の安寧を取りに行く武将だと思うが 魯粛がもう少し長生きしていれば
呂蒙が先に死んでた 魯粛が下ヒ、劉曄が淮南の出だから地理的にはそう遠くないというか隣接してるな
当時は名士ネットワークみたいなもんがあったし地理的にも近いなら友誼を深めていても不思議ではない 他の人も言ってるけど魯粛は最初から天下二分を考えていたので仮に長く生きても天下を統一することは無かったと思われる
魯粛にとって最も計算外だったのは劉備の狡猾さではなかろうか 劉備ってすぐ逃亡するから弱いイメージあるけどけっこう強いよな 周瑜がいなかったら、劉曄と一緒に曹操に仕えてたんだよな、魯粛 >>15
謎だ
魯粛は商人、劉曄は貴族だから名士でもあまり共通点なさそう
劉巴とかみえると貴族の平民に対する差別意識パネエ 魯粛は商人なのに家業の商売をせずに文武を磨いたり各地の名士と積極的に交流したりしてたんで「狂児」なんて呼ばれてたわけで 魯粛:徐州臨淮郡東城県
劉曄:徐州淮南郡成悳県
まあ近所になるか 魯粛の祖母ちゃんの葬儀で一回地元帰ってるけど
その頃徐州は危険地帯だったような 魯粛が祖母の葬儀で帰ったのは198〜200年のどっかだと思われるから呂布が滅ぼされて一応は徐州が平定されたあたりになるんじゃないかな
198年中だと呂布が最後の決戦してるとこではあるけど 魯粛が長生きなら取り敢えず関羽も長生きしてただろうな。
肩身の狭い余生を成都で過ごした事だろう。
そして後の神格化もなかった。 うん、よく分からん
実際暴力ふるわれたなら警察行きなさい
よく言われる言葉の暴力なら、コテ名乗る人なら少なからず誰でも何かしら受けてるんじゃないかな
それに耐えられないなら、貴方もう2Chやめなさい
ここまで言わせて分からないなら、もう彫刻の森美術館でも観るがごとく、只々眺めさせてもらう 魯粛も暗殺説とかあるのかな
劉備側に殺されたのか孫呉に殺されたのか 魯粛死んでも劉備側にも孫呉にもデメしかない
劉備側は孫呉最大の劉備側理解者を失い
孫呉は天下二分計の指針を示す預言者を失い でも魯粛の親劉備路線に腸煮えくり返ってた呉武将が居てもおかしくない 富豪だったらしいから金目当てで殺されたりしたのかもね
恐らく魯粛は呉のことを考えて親劉備路線だったんじゃないかと
演義を見たら思うけれど 親劉備というか、仮に曹操に味方した場合蜀を2分できたとしても呉の旗色が悪い
荊州攻めみたいに曹操を出し抜いて領土拡大できる見込みがないと後がなくなる 状況的に劉備と協力して中原の魏を弱らせることを最優先しないと
何の展望も開けないことを、シビアな計算で分かってたんだろうな 周瑜→魯粛→呂蒙→陸遜
やっぱ魯粛は他の3人と違って派手な勝ち戦がないから地味だな 周瑜の葬儀にて
孔明「これからは魯粛殿も責任重大ですな」
魯粛「まったく身の細る思いでござる」
デブのくせに何の冗談だ?w 勝つのが不可能な大敵相手に単独で別の王朝を築いて都合良く看過される筈がない
魯粛の親劉備の方針は唇亡びて歯寒しの故事を念頭に置いてのことだろう 1996年発売の三国志V・合戦FILEより
赤壁の戦い、最後のまとめの一節
※ちなみにこの本は正史に即した内容で、非常に読みごたえあった。
20年経つ今でも、うちの宝物的な本。
周瑜・黄蓋らの華々しい火攻めに目を奪われがちになるが、
忘れてはならないのは魯粛の働きである。
劉・孫同盟を成立させ、孫権に決戦を終始働きかけた彼なくして、
この戦いはあり得なかった。
魯粛こそが、三国時代を現出した真のキーパーソンなのである。 魯粛が長生きしていたら・・
荊州関羽に事を起こさなかった→劉備弔いしなかった→三国均衡続いた→??? 三国志V・合戦FILEより
208年・赤壁の戦い、序盤の一節(その@)…魯粛ベタ褒め
孫策の後を継いだ孫権には、漢室を復興し大業を成し遂げたいとの漠たる志はあったが、明確な戦略はなかった。
孫氏政権が三国時代の一角を占める帝国へと成長し得たのは、希代の戦略家・魯粛によるところが大きい。
彼は“三国志演義”では単なるお人好しであるが、実際には知勇ともに優れ、大局を見据えた戦略眼は、周瑜はおろか、
諸葛亮をもしのいでいた。
彼は周瑜の推挙を受けて孫権に謁見すると、漢室の復興は不可能であると断じ、にわかには曹操を除き得ないので、
荊州に勢力を拡張して長江流域を確保、帝位に登り機を見て天下を統一しべしとの、天下二分の計を献じた。
それは呉の国家戦略として採用され、孫権は黄祖を滅ぼし荊州を蚕食していった。
(続く) >>50
魯粛→アホの関羽を利用して魏を牽制しよう
呂蒙→アホの関羽を騙して領土拡大しよう
アホとは書いたが周瑜亡きあと関羽ほどの軍事能力を持つ人材は呉にはいなく、魏を脅かす唯一の存在。
その点で関羽を生かさす殺さずの魯粛ドクトリンは絶妙。 落語好きなら知ってるけどピンクの好楽さんはめちゃくちゃ優しいからな
あんなに優しい人いないってくらい一般人や弟子に優しい
ネットでおまえらに謂れのない悪評を立てられてるのが悲しい 魯粛ってかなり傍若無人だし歯に衣着せない言動するし独断専行もするしでよく孫権に殺されなかったなと感心するわ 魯粛がもう少し長生きしてたら呉との同盟も壊れなかっただろうに ただ関羽相手ですら一歩も引かないヤクザ魯粛が健在なら,
劉備は孫権の下風に立たざるを得ないのだが,
東征以前でそこまで割り切れるのだろうか。 魯粛が長生きしたなら、劉備は皇帝になれたかもしれない。
孫権の傀儡として。
そして劉備死後、劉禅から禅定を受け、孫権が皇帝となるのだ。
孫権も魯粛も劉備よりずっと若い。十分に可能だっただろうと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています