最近五胡十六国〜南北朝について調べてるんだけど面白いな
このスレに出会って、俺の中の五胡十六国がビクンビクンして目覚めちまいそうなんだが。
>>71じゃないが、マジおまえらの知識はどこから来てるんか教えてほしい。 >>29
「酒は百薬の長」とか
言ってるし
五胡十六国皇帝の名言とかキャッチコピーある?「貧乏人は麦を食え」みたいなやつ
前秦の「光武帝なら中原に鹿を追う」しか知らないや しかも「光武帝うんぬん」は後趙の石勒だった(>_<) >>100
世説新語あたりにいっぱい載ってる。
好きなのは、石勒による断罪の一言シリーズかな。
「天下を滅ぼしたのは、てめえ以外ほかに誰がいやがるってんだ!」(王衍)
「てめえなんぞ生かしておいて、天下のためになるわきゃネーだろ!」(王浚)
悪党度合いではお互い大差ないはずなのだが、どうしてここまで自信満々に断罪できるんだか。
嫌いじゃないけどね。 >>103
桓温ひとりで
「断腸」(母ちゃんの息子を思う気持ちは、腸が捻じ切れるほど烈しいものなのだ。)
「竹馬の友」(あいつはガキの頃、いっつも俺の後塵を拝しておったわ。)
「臭を万に残すべし」(歴史に芳名を残すことが出来ぬのであれば、せめて悪名を残してやろう。)
三つも稼いでるからな。
苻堅は、「投鞭断流」・「草木皆兵」・「風声鶴唳」があるけど、どれもネガティブすぎる。
祖逖の「先鞭つける」・「聞鶏起舞」はカッコいいね、生き様と完全にマッチングしてる。 桓温の三国志絡みの発言
ttp://d.hatena.ne.jp/mujin/20080207/p3 天下分け目の戦中、客と碁の対局中
「何っ、手紙だと?」(平然として)
客が帰ったあと
「やった♪やったあ(^-^)」
(飛び上がって喜ぶ)
「下駄の歯折れたを知らず」とかいうエピソード
もツンデレみたいで可愛い >>112
石勒は、基本的に戦争には強くない。
載記読めば分かるけど、この時代の群雄・君主の中でも敗戦・撤退の記述が
かなり多い方、軍団の崩壊は306年と311年の2回確認できる。
(飛龍山の戦いも冀州攻略頓挫のきっかけとみるならば、手痛い敗戦のひとつ)
「名将」や「猛将」という評価は、かなりイメージ先行という感じがする。
まあ、周囲の群雄から見れば、叩いても叩いても絶対に死なないで復活してくる
気味の悪い化け物って感じだったんじゃないかな?
異常なまでの頑強さと回復力としか言いようがないほど捲土重来しまくってる。
五胡〜南北朝含めても、石勒に勝利を収めれる将軍は結構いるかもしれない、
ただし、二戦目、三戦目は絶対石勒が巻き返すという構図に持ち込まれる、
単純な強さで測れない部分こそ、石勒の本当に恐ろしいところだと思う。
ゴキブリ並みの生命力という言葉は、こいつのためにあると言っても過言ではない。 石虎のキチガイぶりは誇張されすぎだろう
敬虔な仏教徒だったんだろう? >>113
石勒の詳しい戦歴知りたいな
詳しいサイトあるかな? 最強というより、最凶という言葉がふさわしいな。石勒 >>112
>劉裕
単騎突撃で数千の軍を引っ掻き回して援軍で撃破だったか。
正気の沙汰じゃない。 劉裕は一兵卒からの戦功の積み重ねで大将軍にまでなったバトルマスター 宴会の席で酒に酔って上機嫌になり、皆の前で詩を詠もうとしたら、
主君に恥をかかせちゃいかんと慌てて側近が代作したという逸話のある劉裕さんね。 字の汚さを指摘されて、大きく書くと綺麗に見えると言われたから巨大な字を書いたことでも有名。 前王朝の皇族を殺戮し尽くす前例を作ったのは劉裕なのか?こえーぜ 曹操vs司馬炎vs石世龍vs桓温vs劉裕vs梁武帝vs陳覇先 曹操 28,7倍
司馬炎 40,1倍
石虎 17,8倍
桓温 5,8倍
劉裕 3,1倍
蕭衍 8,,7倍
陳覇先 13,5倍 五胡〜南北朝の軍人の単純な強弱であったならば
1 韋孝寛
2 劉裕
3 冉閔
これぐらいで落ち着きそう、宇宙大将軍は出オチすぎるだろう、戦績的に考えて
曹操や石勒も上記三名の神懸り的強さとと比べたら、一歩譲らざるを得まい
個人的には、三国鼎立してたときの慕容恪、桓温、王猛のガチ対決が見たかった
そして、やっぱり陳覇先は過小評価されすぎ >>146
宇宙大将軍さまは空前絶後の実力を持っているので比較にならない。
むしろ比較しないことこそ他の木っ葉将帥に対する慈悲であるといえよう。 陳覇先は地味に名将なんだよな
宇宙大将軍さまや王僧弁を撃破しているし >>147
ガチ勝負したら負けたほうが袁紹扱いされますよ >>151
能力は十分すぎるほど高い、ただし協調性のなさは最悪
慕容評が奸臣として評されることが多いが、ありゃあ単純な善悪二元論じゃなくて
慕容垂との熾烈な権力抗争だったと見るべきでは?
そもそも、財貨に貪欲だったとか何とか言われているが、腐敗国家前燕では、豪族や
権力者たちによる荘園経営が盛んで、零落した庶民の囲い込みが酷かった。
慕容評ひとりだけの問題ではなくて国家全体での問題だったのに、よくもまあ個人に
罪を擦り付けたもんだよな、とは思う。
で、慕容評が慕容垂に対して激しく悪感情を抱いていた理由は、(慕容垂本人の
意思とは無関係だが)彼が第2の慕容翰・慕容仁になることを恐れていたからじゃ
ないのかな?慕容評は兄たちの骨肉の争いにより、兄弟のほとんどを失ってしまっている。
国家経営の面で見ても、この時の損害はその後に大きな影響を残している。
「お前は、どうして慕容恪のように慎ましく陛下に仕えることができぬのだ。」
慕容評にしてみれば、折角自分や慕容恪が身を引いて幼帝を尊重しているという
のに、なぜ慕容垂に限ってこんなにも自己主張が強く、才気煥発なんだか、
内心苦々しく思っていたことだろう。
慕容恪の寿命がもう少しだけ長ければ、何とか人間関係は破綻せずにすんだろうに。 >>147
韋孝寛が戦場では歯が立たなかった斛律光が最強だな。 >>153
戦場で勝てないと分かるや否や、搦め手から情報戦を仕掛けて
北斉の君主自らに粛清させるんだから、韋孝寛どんだけ化けモン
なんだよ、って話だと思うんだが。
「天才軍師」という「幻想」に最も実像が近い人物だと思う。 慕容垂は息子が戦いで大敗して
その尻拭いの最中に死んだり大変だよな
苦労しすぎ
前に苦難スレがあったな>慕容垂と共に苦難を乗り越えていくスレ 西晋vs前趙
前趙
前趙vs後趙
後趙
gdgd
前燕vs前秦
前秦
gdgd
北魏vs夏
北魏
東魏・北斉vs西魏・北周
北周
隋 西晋
西晋vs前趙
前趙
前趙vs後趙
後趙
gdgd
前燕vs前秦
前秦
gdgd
北魏vs夏
北魏
東魏・北斉vs西魏・北周
北周
隋 この時代って三国時代より生き抜いたり出世したり実績残したりするの難しそうだな 支配領域の広さだと
宋>東晋>斉>梁>呉>陳
って感じかな? >>163
南朝の最大版図は、劉裕が東晋の武将だった頃(後秦併呑後)だから
あながち間違ってもいない。
陳はぶっちゃけ、広東からあそこまで領土広げているから、別の意味で凄い
段韶は北斉最強クラスの将軍だし、一回負けたところで評価は下がらない。
つか、考えてみたらこの時代は歴史的名将がやたらと多いな。 >>169
いや、東西両魏の対立期は両国とも国力の疲弊が頂点に達して
決着をつける体力すら尽きて、決定打がついぞ出なかった消耗戦
決定的な名将が出なかった、というか小粒揃いだったと言わざるを得ない。
そんな中で、斛律光・韋孝寛の両名はかなりの高レベル 地味だけど陳の呉明徹て武将が蘭陵王撃破しているらしい 216 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2009/06/03(水) 00:23:40
Wなんとかに大敗することで三戦の歴史の表舞台に現れたうんぴは、
八戸のぶながとともに三戦だけでなく夢板や電波板を荒らしまわりアンジェに諌められる。
その後、三戦皇帝クマッタに挑むも一敗地に塗れたことでアンジェを裏切りクマッタに従属、
再び横暴の限りを尽くすも最期は朋友と信じていたひょーりみによって息の根を止められた。
五胡十六国時代にいそうだな、こういう奴。
218 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2009/06/03(水) 00:29:10
>>216
新党党首失脚時
選定侯案審議時
アンジェを都合二回裏切ってるよな
221 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2009/06/03(水) 00:36:00
>>218
トラビアンでも裏切ってるから計三回だな でも宇宙大将軍のおかげで梁が分裂して益州方面や江陵を失ったからな
実質南朝崩壊の立役者の宇宙大将軍 274年・・・羯族の部落小帥・周曷朱の子として誕生。
漢人に能力を認められていたが、并州の飢饉戦乱で部落離散し洛陽に行商となる。
(このとき王衍とニアミス)
?年・・・司馬騰捕らえられた後、師懽(山東の民家)に奴隷として売られる。
しかし、師懽認められ自由の身となる。汲桑(師懽の知人)の元に身を寄せる。
301年・・・八王の乱に乗じて、群盗となり各地を転戦。
(この時の仲間が後の十八騎となる。)
305年・・・司馬穎配下の公師藩が起兵すると汲桑と共に合流。石勒と名乗る。
306年・・・公師藩が苟晞に討たれ、逃亡。
307年・・・司馬越と司馬騰打倒を名目に反乱。司馬騰を敗死させるが、苟晞に敗れ逃亡。
劉淵に帰順し、輔漢将軍・平晋王となる。更に烏丸を帰順させ、督山東征討諸軍事を加号される。
同年、汲桑は晋軍によって敗死。
308年・・・劉聡の先鋒として壺関を陥落させる。劉淵が皇帝を名乗ると、平東大将軍となる。
漢人の張賓が参謀として加わる。
309年・・・劉淵から安東大将軍とされて開府した。鉅鹿・常山を攻め、君子営を作って漢人の知識人を集める。
段務勿塵に大敗するも、その後の洛陽からの討伐軍に勝利し、劉淵から鎮東大将軍とされた。
310年・・・劉淵死去。劉聡が即位すると并州刺史となり、汲郡公に封ぜられる。襄陽を攻略。
311年・・・洛陽を攻める。(永嘉の乱)東海王司馬越の葬列を襲って、西晋の太尉王衍を捕らえて殺した。
他、10万人近くを殺害し、司馬越を棺ごと焼き払う。劉曜と王弥と合流し、洛陽を陥落。
苟晞を破り配下にするも、謀反を起こしたため殺害。また王弥が自分を殺害しようとしたので、
王弥を誘い殺し(宴会)てその部下を併せ、襄国を拠点として幽州・并州の経略にあたる。劉t(を破る。
劉t(が、母の王氏と養子(石虎)を手に入れ、石勒の元へ送り届けて晋への帰順を促したが、
帰順はせず、珍宝でもって返礼とする。
312年・・・王浚の命をうけた段疾陸眷らと対決、段末波を捕らえる。段疾陸眷は段文鴦
の反対を聞かず、段末波との交換で和睦に応じる。
314年・・・張賓の助言もあり、偽りの帰順で王浚を滅ぼして河北を平定。
318年・・・劉t(を滅ぼす。劉聡死去。大司馬・大将軍となる。後継ぎの劉粲が耀準に殺され
討伐に向かった。耀準の後を継いだ、耀明を破ると劉淵と劉聡の墓を修復し、劉粲を葬った。劉曜が即位する。それにより、趙公となる。
319年・・・帰順の使者が讒言を信じた劉曜によって殺害されたため劉曜と対立し、
趙王を称する。
323年・・・青州の曹嶷を滅ぼす。
324年・・・劉曜の前趙と交戦状態となる。
325年・・・洛陽を領有。
328年・・・洛陽で前趙軍を破る。(329年?)捕らえた劉曜を処刑する。
329年・・・前趙を滅ぼす。天王を称する。
330年・・・皇帝に即位する。
333年・・・死去。 ※石勒が行商人の頃、王衍が通りかかった。通り過ぎた後しばらくして、”さっきの行商人の面構えが気になる。
晋に災いをもたらすかも知れない。”と考え捕まえようとしたが、既にいなかった。
※王衍が捕まったとき”私に出来ることはなかった、よって罪はない”と、
ありえない保身の弁明(王衍は大尉で晋の重臣)をするが、
”いや、お前が原因だから”と言って殺害。
※劉コンが母と養子を送り届け帰順を促した時は、宝物を渡し、使者を丁重にもてなし
”人には人それぞれの生き方がある、あんたは晋に尽くせ、俺は夷狄”
※劉曜が讒言を受け、石勒の使者を殺したときは
”テメー俺がどんだけ劉家に尽くしたか知ってんのか?もともとお前の基盤も
俺が作ったんだぞ!それが皇帝になった途端、邪魔者扱いかよ。趙王も趙帝も、
俺が自分でなってやるわ”
※部下に自分の実力は?と聞いたとき、漢の高祖以上です、と答えられ
”それはいい過ぎ、もし朕が高祖に会ったら、部下になる
光武に会ったなら、張り合って雌雄を決するだろう。(しかし)大丈夫(立派な男)たる者、
磊磊落落(「磊落」の強調)、日月が明るく輝くように物事を行うべきであって、
曹操や司馬懿親子のように、孤児(献帝)や寡婦(郭太后)を欺き、
狐のように媚びて天下を取るような真似は絶対にできない」と。
※段末破を捕らえた時、丁重にもてなし
"俺たちはもともと仲間だ。何で晋の為に戦うのかよ"
と言って父子の契りを結んだ
段末破は死ぬまで石勒の方角を向いて小便しなかった
※劉曜は捕まった時、以前に戦争で捕らえられた親族(劉胤)が生きているのを知り
"俺がこうなったのは当然だ。石勒は慈悲深い、俺はヤツの親族殺したのに"と言った
※石勒は字が読めなかったので人に読ませて聞いていた
ある日高祖の伝を聞いているとレキイキが高祖に各地に散らばった王族の子孫を
各地に封じるよう助言した話が出た。それを聞いた石勒は
"それは間違いだろう。そんなことしてどうやって天下取れるのか?"
と言った。張良の助言で取り止めになった、と聞くと
"それでこそ" 石勒はなぜ石虎のような基地外を可愛がったのだろうか 徐光が石虎は危険だから誅殺するように、との意見も無視したしね
石勒も一応死ぬ前に釘さしてるけど
石勒は親征あまりしなかったから、身内で使える石虎は大事だったのかも
>>179
石虎の軍功が抜群だからだろうな。
耄碌してから惨敗の繰り返しだったが、少なくとも石勒の片腕として働いていたときは、
幽州での段部攻略を筆頭に、青州、徐州、豫州そして劉曜敗亡後の関中併合と
凄まじい活躍のしすぎ、ぶっちゃけ夏侯淵や杜預なんて格下と言っても良いくらいだ。
後の時代を見ても、慕容兄弟ですら石虎の獲得した領土は切り取れていないんだから、
この時代のトップクラスの猛将として扱ってやって然るべき。
簒奪後の駄目っぷりとロリコンは擁護しきれないが。 石虎は切り札的に考えていたんでないか、石勒としては。自分なら制御できるという自
信があったからかも。 劉曜もスゲーよ
白髭に赤目、神射と呼ばれる弓の達人
アル中で戦の最中でも呑んだくれ
石勒との決戦の時も飲み過ぎで酩酊、敗れる原因に コーエー風に分けると各部門トップは誰かな?
統率…慕容垂、石勒
武力…
知力…韋孝寛
政治…王導
魅力…
冉閔は姜維的な強さだから迷うよな 統率…拓跋Z、劉裕
武力…楊太眼、蕭摩訶
知力…王猛、陳慶之
政治…王猛、元宏
魅力…苻堅 その人物が一代で獲得した領土で比較するなら
華北制圧組
苻堅(ただし王猛のアシスト大)、石勒、拓跋Z
関東制圧組
慕容恪、王猛、慕容垂、拓跋珪、高歓、韋孝寛
関中制圧組
劉曜、苻健、姚萇、赫連勃勃、宇文泰
僻地遠征組
慕容恪(高句麗・宇文部・段部・烏桓)、呂光(西域)、斛律光(突厥)
北伐組(領土を分捕った人)
祖逖、桓温、謝玄、劉裕
分類不可(領土は取れてないが、変態的な強さ)
謝艾、冉閔、陳慶之、宇宙大将軍
国さえ崩壊しなかったら苻堅の功績は滅茶苦茶凄えんだよな、本人も決して戦下手ではないし。 項羽って何で字で呼ばれるんだ?
蒋介石って何で字で呼ばれるんだ? ふけんの目をこすって驚くシーンが何とも物悲しい・・・ >>171
呉明徹はうんこちゃん。最悪。名家の威光をかさに着て威張り散らすだけの小物よ。
部下にむりやり引き入れた蕭摩訶が頑張ったから、勝利の名誉を得られただけ。 司馬炎全国統一
司馬炎死去
八王の乱
劉淵が漢を建国、李雄が成建国、張軌が涼建国
劉淵が皇帝を名乗る
劉淵死去
漢の劉聡が晋(西晋)を滅ぼす
司馬睿が晋(東晋)建国
劉曜が漢を趙(前趙)に変更、出自が異民族であることを告白
石勒が趙(後趙)を建国
後趙石虎により前趙滅亡
李寿が成を漢(成漢)に変更石勒華北をほぼ統一、皇帝を名乗る
慕容【皇光】が燕(前燕)建国
石勒死去
後趙の冉閔により後趙を滅す
前燕が冉閔(冉魏)を滅す
苻洪(蒲洪)が秦(前秦)を建国
苻建が秦皇帝を名乗る
馬鹿と言えば
王猛の「攻めるなよ」を
ダチョウ倶楽部的に理解した苻堅 石虎で思うんだけど、漢民族って人口多いはずだよな?
懐柔する必要なかったの? 石虎「ところで「コロッセオ」ってさあ
「殺っせよ」ォォ
って 聞こえない?なあ〜?
国語の先生よォォォォォ
あんたを殺っす前に聞くけどよォ〜〜〜〜」 陳舜臣の小説十八史略でこの時代の流れ知ったけど、他は全然知らないな
歴史シミュで西晋末期〜北魏の河北統一あたりまで、シナリオ10個くらいに分けて作ってくれたら面白そうなのに
まあ商業的に売れなさそうなら、誰も作ろうとしないか……ゲームでも小説でもましてや映画(笑)とか 五胡は三国と違って民族同士の争いがあるから面白い
石虎と冉閔の関係なんて始皇帝と項羽みたいだ 河北 東漢⇒孫呉⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒西晋⇒東晋⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒劉宋⇒蕭斉⇒蕭梁⇒陳⇒⇒⇒⇒⇒隋
山東 東漢⇒孫呉⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒西晋⇒東晋⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒劉宋⇒蕭斉⇒蕭梁⇒陳⇒⇒⇒⇒⇒隋
河南 東漢⇒曹魏⇒⇒⇒⇒西晋⇒⇒⇒⇒漢⇒⇒石趙⇒⇒⇒⇒冉魏⇒前燕⇒苻秦⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒元魏⇒高斉⇒⇒⇒宇文周⇒隋⇒⇒⇒
関中 東漢⇒曹魏⇒⇒⇒⇒西晋⇒⇒⇒⇒⇒漢⇒前趙⇒石趙⇒⇒苻秦⇒⇒⇒⇒⇒⇒姚秦⇒⇒⇒⇒⇒元魏⇒宇文周⇒隋⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒
四川 東漢⇒蜀漢⇒曹魏⇒西晋⇒⇒⇒⇒成漢⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒東晋⇒⇒⇒⇒苻秦⇒⇒譙蜀⇒東晋⇒劉宋⇒蕭斉⇒蕭梁⇒宇文周⇒隋⇒⇒
江南 東漢⇒孫呉⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒西晋⇒東晋⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒劉宋⇒蕭斉⇒蕭梁⇒陳⇒⇒⇒⇒⇒隋
河西 東漢⇒孫呉⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒西晋⇒東晋⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒劉宋⇒蕭斉⇒蕭梁⇒陳⇒⇒⇒⇒⇒隋
後燕、南燕、西燕、北燕
大夏
張涼、拓跋涼、呂涼、沮渠涼、李涼 河西−−河東−河北−遼東
\ \ / \ /
関中−河南−山東
│ │ │
漢中…湖広 淮南
│ │ │
四川−湖広−江東
│ │ / │
南中−嶺南−−台湾 河西−−河東−河北−遼東
\ \ / \ /
関中−河南−山東
│ │ │
漢中…湖広 淮南
│ │ │
四川−湖広−江東
│ │ / │
南中−嶺南−−台湾 河西−−河東−河北−遼東
\ \ / \ /
関中−河南−山東
│ │ │
漢中−湖広 淮南
│ │ │
四川−湖広−江東
│ │ / │
南中−嶺南−−台湾 河西−−河東−河北−遼東
\ \ / \ /
関中−河南−山東
│ │ │
漢中−湖広 淮南
│ │ │
四川−湖広−江浙
│ │ / │
南中−嶺南−−台湾 >>210
斜め上の行動するヤツばっかだからみてて飽きないからな
そして同年代に生まれてたら絶対会いたくない こいつら基地外すぎだろw
この人時代の人々カワイソ〜
っていう感じ
絶対会いたくないというか塀の中に放り込む世の中であってほしいよ 虐殺しまくりの中国人と天皇をぶん殴る日本人
嗚呼素晴らしき南北朝 日本も中国も南北朝時代は結構面白いんだけど、全っっ然人気ないよね。 戦前は歪んだ形で人気あったぜ>太平記
でも主上に対する忠だの義なんざより
寄って至尊の馬車に矢駆けたり、他人の嫁寝取ったり、癇癪起こして火つけて回ったりするような連中の方が読んでて楽しい罠
改めてコイツらと比べて斯波高経のしょっぱい事、しょっぱい事 >>223
ただ単に有名な資料がないからでは
三国だって演義が無ければ五胡や南北朝と大して変わらない人気だったろう 斯波やんは新田義貞倒してるんだぜ。マグレで
でも観応の擾乱で直義に味方して大失敗するんだぜ
尊氏に帰順したら親族筆頭なのに管領やらされるんだぜ
だが尊氏死後は道誉と組んで政治を壟断するんだぜ
だが調子こいて道誉を蹴落としたら、蹴落とされ返されるんだぜ!
いやぁしょっぱいッスw
神木やってきただけでギブするあたりも そろそろ斯波厨ゼロセンチ先生の憤怒の擁護レスが付く頃だなw >>219
多分時代ごとの支配者の推移とかを示してるんじゃない?
なんで同じの四つ投稿したかはわからんが。 石勒、石生、石虎、苻堅、苻融、拓跋Z
慕容恪、王猛、慕容垂、拓跋珪、高歓、韋孝寛
劉曜、苻健、姚萇、赫連勃勃、宇文泰
慕容恪、呂光、斛律光
祖逖、桓温、謝玄、劉裕
謝艾、冉閔、陳慶之、侯景 >石虎と冉閔の関係なんて始皇帝と項羽みたいだ
始皇帝と項羽に比べると石虎と冉閔は小物感が >>75
>慕容垂も名将と言えば名将だが、枋頭の戦いの寸前まで、何の有効策も打ち出せて
いない時点で、兄貴や桓温に劣ると言わざるを得ん。
有効策を打ち出せなかったのは慕容垂ではなく皇帝である慕容暐の責任なのでは。桓温
が枋頭までやってきて前燕の存続が脅かされるような事態になってようやく垂に出撃が
命じられたわけで。用兵に関していえば恪や桓温にも劣らないと思うよ。
>>239
慕容垂の立場ってのは、本人の預かり知らぬところで千変万化しているからなあ。
幼い頃は、嫡子である慕容儁を差し置いて、危うく王位を継がされる可能性も
あったわけだし。
(慕容皝の嫌な部分が、この独善性というか俺流采配、自分がどういう風に骨肉の
争いで国力を減衰させたか理解しているのか?)
慕容儁が偉いのは、父親のように偏愛を受けていた弟に嫉妬心丸出しで粛清に
動かなかったところ、まあ、冷遇するだけはしているけど、殺されるよりマシだしな。
徹底的に犬扱いしないと家臣の中に慕容垂擁立派らが勘違いして、いつおかしな
行動に出るか分からない部分もあった。
慕容恪時代は、皇族としてそれなり扱われていたが、慕容評一頭輔政体制に
なってからは、冷や飯ぐらいに逆戻り。
慕容評が対桓温戦でにっちもさっちも行かなくなって、ようやく慕容垂起用
枋頭で勝つには勝ったが、その後専横するのではないかと疑われ、政争に巻き
困れるのを忌避して前秦へと亡命
政治的無能という意味では、実は韓信に匹敵していると思う。
もうちょっと如才なく世渡りできなかったのか?とやきもきする。 戦場では人の心理を完全に把握してる韓信でも
それ以外ではKYすぎるよな 五胡の連中を調べてみると、三国の連中って本当戦下手だな〜と思う >>249
いやそら単純に、戦術は常に進歩してるわけで…
三国末に登場し当時としては画期的でその後陣のスタンダードとして晋代に学ばれる諸葛亮の八陣も
唐代には学ぶべき「「古典」として扱われたりするわけで
三国時代の連中が五胡十六国時代の人に比べて戦術に劣るのは当然 誰だ?私になりすましてコピペを貼りまくっている奴は。
あっちのスレは復活してますよ。
>『岡田有希子個人だけが悪いというつもりはありません。
サンミュージック、マスコミをも含めて、結果的に後追い死を後押ししたじゃありませんか?
芸能人は公人であると思います。
いくら病気だと言っても社会的責任は大なのではないでしょうか?
起こってしまったことは覆水で片づけてしまう、嫌な人間の典型ですね。
他人事なのでいい加減な意見を言えて良かったですね。
偉そうに「全然違う」なんてバカみたいだわ。』
ちゃんと残ってますし。
私はしょぼい横浜のボートショー見学で昼間は忙しくて書き込みなんかしでませんよ。
それにしても支配されまくりの民族は性根が腐敗したキムチのような若者が多いのですなぁ。 >>249
五胡の連中も勝ったり負けたりだろ。
しかもちょっとした流民集団や、前線に孤立した西晋の遺臣にすら手を焼いてたり。
むしろ三国時代より劣化してる印象。 >>253
「軍隊」というシステムはかなり劣化した印象を受けるな、まあこれは三国時代
(と言うか後漢末の群雄割拠のときか)も似たり寄ったりだが。
兵戸なんて、こいつらどんだけ悲惨なんだよ、って思わず同情しちまうわ。
士気・戦闘技術という点では、古代の徴兵制度の方が優秀だったわけだし。
変わりに封建的な軍集団が登場してきて、そういう意味では中国史っぽくない、
そこが実に面白い。
姚氏集団は清河県摂頭に所領を拝領して代々後趙政権に忠節を尽くしていた
わけで、もしかしたら中国でも封建制が成り立つ可能性があったのかもねえ、と
思わずにはいられない。 『全受十一忠臣』
1.聖臣崇史 ◆Qkp4Ei7yxhvq
2.ロコ三郎@覇者 ◆WtHvCBV3ec
3.ロコグリーン ◆S0Y6frChLY
4.婿太郎 ◆2MaGImm7QI
5.毛利くりいむ ◆LcWo0af1rc
6.毛利ころっけ ◆JidtdsCF/k
7.学徒退陣 ◆/QdDAP1aoo
8.学徒出国@内大臣 ◆OFRXCy/wKA
9.ぴょこたん ◆oKiIL74RrU
10.婿サイド ◆lPagINbUhE
11.可児光線@長屋王 ◆x/0doukDZE 羊 献容たんの人生劇場(女の花道)
286年 生まれる
↓
300年 14歳で恵帝の皇后となる
↓
301年 司馬倫が皇帝位簒奪→皇后廃位
↓
301年 司馬倫あぼーん→復位
↓
304年2月 廃位
↓
304年7月 復位
↓
304年8月 廃位
↓
304年11月 復位
↓
305年4月 廃位
↓
305年11月 復位
↓
305年11月 廃位
↓
306年6月 復位
↓
306年11月 恵帝死去。皇后位を去る
↓
311年 洛陽が前趙の劉曜らの攻撃を受けて陥落 → 無理やり劉曜の嫁にされる。3人の子をもうける。
↓
316年 長安が陥落して西晋アボーン
↓
318年 劉曜が皇帝に即位。皇后に立てられる。
劉曜「俺と恵帝と比べてどう?」
羊「あなた最高よ。ワイルドな男って素敵!あなたに逢えて良かったわ。ああん、幸せ!」
↓
322年 享年36。劉曜マジ泣き。立派な墓を建てる。
>>258
>無理やり劉曜の嫁にされる
これはラッキーだったと思うけどな。
301年〜310年頃なんていつ殺されてもおかしくなかった。 >>258
劉曜は自らの容姿に結構コンプレックスがあったみたいだし、
劉聡以外の一族からの評価も低かったようだから、皇帝即位以前は、現在ほどの
評価は受けていなかったと見た方がいいと思う。
(宮崎市定先生は割かし高評価だったけどね。)
羊献容はそれこそ人間扱いなんかされていない、完全にモノだ、モノ
皇太后の座をゲットしようと画策して頓挫する場面なんか見てらんない。
バックも全滅しているから、実害なしと見積もられて生きながらえているし、
ここまで扱いの悪い(と言うか軽い)元皇后も珍しい。
人外扱いの堅物と道具扱いの小娘、異色ではあるがお似合いのカップルだな。 河西−−河東−河北−遼東
\ \ / \ /
関中−河南−山東
│ │ │
漢中−南陽 淮南
│ │ │
四川−荊楚−江東
│ │ /
南中−嶺南 河西−−山西−河北−遼東
\ \ / \ /
関中−河南−山東
│ │ │
漢中−南陽 淮南
│ │ │
四川−荊楚−江東
│ │ /
南中−嶺南 羊献容はカオスの中よく生き残って女の幸せを掴んだなあ 东汉桓帝时期到三国归晋时期,中国人口缩水了90%
而晋朝孝惠皇帝为了充实人口,收容了塞外异族充实人口,最后导致了后来的汉胡矛盾。
不过五胡时代的开启并不是异族取代了汉族,而是异族成为了汉族。
胡人进入了中国,最后却在相互的撕杀战乱中接受了中国的文化。
而在今天,中国国内汉族和少数民族都已经认同了大家属于共同的民族,那就是中华民族。 中国的国学也在历史不同时期兼容并蓄。
中国的国学,以商周易学为源头,先秦诸子百家为根本,涵盖了两汉经学,魏晋玄学,隋唐佛学,宋明理学。
集中体现出来的是以儒家,道家,释家的思想为本。
以名家,墨家,兵家,纵横家,阴阳家的理论为辅。
其中主要体现了“道コ为本,才智为辅”的文化特性。
而韩国所谓的儒学,不过是中国儒家学说的皮毛而已,而儒家学说,也是对中国最有影响的国学之一而已。 对了,还有法家,不过法家的代表人物名声都不太好,而且结局都不太好。
秦朝重视法家学说,商鞅李斯这些法家人物最后都被杀了,而曹操也是法家的代表人物,在中国名声总是不好。 王猛と慕容恪はどちらが優秀だろうか。
どちらも死ぬには早過ぎた。後10年長生きしていれば歴史も多少は変わったかも知れないし。
王猛と慕容恪の直接対決も実現したかも知れないしね。 >>270
>>267をエキサイト翻訳。
後漢の桓帝の時期に三国に着いて晋時期に帰って、中国の人口は90%水にぬれると縮みました
晋朝孝の恵みの皇帝は人口を充実させるため、長城の外の異なった民族を収容して人口を充実させて、最後に後から来る漢の胡矛盾を招きました。
でも5人の胡の時代の開くことは異なった民族が漢族に取って代わったのではありませんて、異なった民族が漢族になったのです。
胡人は中国に入って、最後に相互引き裂いて戦乱を殺します中で中国の文化を受け入れました。
ある今日、中国の国内の漢族と少数民族はすべてすでにみんなを認めて共通の民族に属して、それはつまり中華民族。
なんとなく意味が分かってくるから面白い。 >>271
王猛って石虎とか冉閔の時代は何してたんだろう? >>271
両名とも、実力・実績ともに文句なしの傑物だからなあ。
直接決戦があった場合は、マジで決着が読めない名勝負になりそう。
まあ、どんな苦境に陥っても精鋭数千騎で戦況を簡単に引っ繰り返してしまう
慕容恪の方がロマン度で一枚上手か?(こればかりは、本当に卑怯だと思う。
戦略を解し、戦術に通じ、用兵に長けた上で博打が打てるような人間だからだ。)
王猛の場合は、情報戦から戦場まで一挙に引き受けるオールラウンダー、
ある意味反則級なんだが、慕容恪相手にはすごく物足りない、分が悪い。
戦勢を支配することはできるが、戦勝の決を得るには決定力に欠ける。
まあ、この両名ともにNo2の座で光る人材だとは思うけど、こうなってくると
トップの采配如何のような気もしてくるな、そういう意味では苻堅率いる前秦が
有利か、つーか前燕は慕容恪一人で屋台骨支えている状況だから、総合力では
圧倒的に不利なんだよなあ。
限定的な局面では慕容恪、総合的には王猛が優勢となるンじゃないかな?
>>275
猛勉強の傍ら、畚(もっこ)を作り売り歩いて食い繋いでいた。
(典型的な上昇志向旺盛な寒門漢人)
当時、後趙の帝都に赴いても誰からもまともに相手をされなかった。
(まあ、何のコネも無い若造を引き立てるほうがどうかしているとは思うが。)
後趙の侍中まで登りつめた人物鑑定の名家であった徐統という人からは、その才能を
見込まれて登用されそうになったが、固辞して華陰山まで逃亡、隠遁生活に突入する
次第となる。
自分が仕えるに足る人物を捜し求めて隠遁していたようだが、桓温に失望してから
苻堅に仕えるまでの過程が納得いかないんだよな。桓温も一世の英傑であり、
苻堅のような甘ちゃんなんかより、ずっと覇者・天下人って感じなんだがなあ。
本人にしか納得いかない、譲れない部分があったんだろうな。 >>280
桓温≒曹操
苻堅≒劉備
ってことなら分かる
本当に才能があり、自分に自信がある人物なら、全てを委ねてくれる主君を選ぶ 曹操は息子が簒奪失敗死していないし
劉備も大敗後部下に独立されまくりで縊り殺されていない
ので>>281は俺にはよくわからない 横レスだが、劉備は「全てを委ねてくれる」タイプではないろう。
全部自分でやっちゃうタイプだもん。 五胡十六国は複雑すぎるから三国志ほどはウケないだろうなあ。
物語にするには主役を絞れないし。
楊堅が五胡十六国時代(南北朝時代含む)を終わらせたって認識でいいのか?
現在の中国人(漢民族)は五胡十六国時代をどう思ってるんだろうか?
「異民族に支配されてた屈辱の歴史」て感じなのかなあ。
元も異民族とはいえ、世界的英雄チンギスハーンの孫のフビライだからなんとなく許してるのかな?と思うし、
清はあんまり漢民族にも嫌われてないようなイメージがあるんだが、五胡十六国時代は? 五胡十六国時代の連中は同化しまくって、普通に今の中国人の先祖だし 宮城谷さんは今の三国志終わったら次は五胡十六国書くのかな? 550 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/10/09(土) 21:18:56
また蛆虫がどろんどろん沸いてきたよ
551 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/10/09(土) 21:20:54
蛆虫連呼厨は実は女子中学生
552 名前:こぎんだま :2010/10/09(土) 21:21:17
いいか、ウジ虫ってもんは一般的にワクもんだ。
ワかないウジ虫なぞウジ虫ではない
553 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/10/09(土) 21:22:11
楽天の監督は東尾かとおもった
554 名前:可児クリームころっけ ◆CrabxxSe.g :2010/10/09(土) 21:22:58
ウジは腐敗を連想させるがそれ自体は新しい命である
そして腐った部分だけを食べるため医療でも用いられている
我々糞コテより貴い存在である
555 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/10/09(土) 21:24:27
どろんどろん沸いてきたよ^^ >>292
王導には君主と喧嘩してたり邪険に扱われているイメージが無いので違うのでは。
呉でいえば一番近いのは陸凱では。 >>296
司馬叡は、調子付いて来たら躊躇無く王氏の抑圧に走っているぞ。
王敦の乱が勃発した原因のひとつ。
まあ、王導は何を考えているか分からない人間の典型例だよな。
凶悪調整型政治家って類型では他の追随を許さないくらいだから、○○タイプ
という表現には違和感がある。(むしろほかの人間が王導タイプと呼ばれるべきかと) >>298
そりゃ長城の内側でしか戦ってないからな この時代ってユーラシア全体で蛮族が先進文明で暴れてた印象 王敦「うぉぉぉ!やってられるか!!」→反乱
劉隗、ちょう協「元帝、王一族ヌッころしまひょー!王導もやっちゃいまひょー!!」
元帝「・・・」
その頃王導は・・・
王導「一族のみんな、今日も法務府に散歩だ!」
一族「今日もかよ、ってかヤラレルんじゃね」
王導「つべこべ言うな。あっ!周」
王導「周、俺殺されて当然だけど、残ったこいつらマジ頼む」
周「ふ〜ん」 スタスタスタ
朝廷では
元帝;王導の処分は・・・「おお!周どうした?」
周「王導の忠誠心マジスゲー!ちょーリスペクトっす!DQN王敦と一族ってありえねー」
元帝「マジwww」
周「マジwww」
元帝「許す」
一方王導
王導「一族までやられっかなー。あっ!周」
王導「周!周!周!」
周「手下ども!今年は賊ちょー殺しまくって、ちょー出世しよーっと」
王導「周・・・」
周帰宅後・・・
周「元帝にメールしよーっと、元帝え、王導はぜっっっったい無実だかんね。殺しちゃやーよはぁと」
そのころ
王導「周・・・・・・・許さん!」 その後、周は王敦に捕らわれた。王敦は周殺したくて王導に聞いた。
王敦「王導、周って三公なるかな?」
王導「・・・」
王敦「王導、周って宰相なるかな?」
王導「・・・」
王敦「王導、周殺せってこと」
王導「・・・」
王敦「じゃー殺す」
こうやって周は殺された。
その後、王導はメールボックス整理係についた。
王導「元帝、古いメール整理しろよ・・・」「あっ死んだ周のメールだ!ざまぁみろ!あいつどんな悪口を書いてたんだ?」
---元帝え、王導はぜっっっったい無実だかんね。殺しちゃやーよはぁと--- 王導って悪行って言われる程の事はやってないと思うが 某翻訳サイトの石虎さんの台詞、
全部「・・・!!」でワロタ この時代の成り上がり四天王って
石勒
劉裕
陳覇先
YAZAWA
でいいの?
>>323
証拠が見つかってないので、今のところ否定
ゼロからの作り直しっていう意味で道武帝もありじゃね? 漢民族もありなら孫秀も追加
声優ユニットにアイドル崩れ1人がいてもいいじゃんの理論で
唐王朝皇帝代わりすぎで分かりにくすぎ。ワロタ。
王朝末期は皇帝が頻繁に交代することが多いけど、限度があるだろWWWW
唐後期の105年間で皇帝が12人か。思ったほど多くなはないか。
五胡十六国の本、小説って楽天ブックスで探してもほとんどないね
そりゃ人気出ないよ
最下層から身を上げた石ロクと
神のごとく平等慈愛主義の符堅
この二人はマジで魅力的すぎるな このあたりの歴史小説書いたら
一発当てられるかもね
「劉淵と石勒」 芝亮太朗
「符堅と劉裕」 芝亮太朗
なんてどうかな
符堅は「神の如く」っていうか「自分が神だと錯覚した」タイプで、割とありがちな独裁者だと思うぞ
独裁の方面が分かり易く暴力とか悪逆とかでなかっただけで
自分に酔ってて、本人は酔ってることに気づいてない符堅
符堅が酔ってる事に警鐘を鳴らしながら、符堅と酔うのが楽しかった王猛
それを外から見ていた慕容垂、酔いから覚めざるを得なかった姚萇
>>333
独裁も糞も、皇帝体制自体が専制政治ですがな
漢人知識人層の幅広い支持を受けていた、という意味で使っていたなら謝る 趙匡胤も朱元璋も同じ皇帝で独裁者だがタイプが違う、そういう意味だ。
あと厳密な皇帝独裁体制は明からだろ。それ以前の皇帝なんて2日に1回朝廷に顔出せばいい方 >>335
俺が思っていた「独裁」の意味が違っていたようなので、やっぱり謝る
イミフな横槍して、ごめん
しかし、前秦崩壊後のgdgdっぷりが酷い
前秦崩壊〜北魏の華北制圧までが、魏晋南北朝でもっともカオスな時代だと思う 陳って何気に呉よりも支配地域が狭かったんだな
これでは国を保つだけでも至難の業 反米の闘士たるオサマ・ビンラディン氏が鬼畜米兵に討ち取られたそうです。
ここに哀悼の意を示し、その功績を讃えようではありませんか!
あの状態で北斉の軍と梁滅亡後の地方軍閥を同時に相手取り
さらには北斉を圧倒したんだぜ……
この瞬間風速的な強さが何処から来るのか不思議で仕方がない >>338
実質的な支配地域が全然違うんだが…
無法地帯だった呉と、ある程度整備された陳を一緒にするなよ >>341
皇帝の直轄軍の強さ、じゃねえかな>陳
東晋〜梁に置ける貴族・豪族っていう政治の二重構造と
新興豪族、新興商人である恩倖の皇帝への接近
これらが解消されて一本化された結果、軍人皇帝陳覇先の旗下で自在に動ける国家が成立した。
南朝と北朝では一世紀以上組織構造が離れていると言われてるね
軍人貴族のバランスの上に立っている北朝の体制に対して、唐の節度使が登場するようなもの 既に軍部が崩壊状態だった北斉を圧倒、って言われても、凄いのかねえ… 陳覇先と文帝の時代は、北斉文帝が政治に興味をなくしていた時期で
宣帝が北斉を圧倒した時期は、蘭陵王と斛律光が処刑された隙をついているのな
どちらにしろ、陳覇先と文帝の時代は
王僧弁派の軍閥・北周・北斉と敵に囲まれてよく生き残ったよ 新田遠江又五郎経政が居る (元弘3年8月熊谷直経軍忠状・熊谷家文書)。彦五郎・又五郎は田島氏の諱名であろう。
この経政は、南北朝内乱初期に、陸奥南部で親類の相馬氏と共に活動する新田左馬亮経政である(相馬文書)。
また「新田左馬亮経政代田島小四郎」(相馬文書)という記述から、経政の代官として田島小四郎なる人物が派遣されている。
代官には普通一族の者がなる場合が多いから、この史料は経政か田島氏であることを裏書するものである。
ところがこの経政は、史料上では建武2年(1336)に姿を消し、暦応元年から岩松頼有が伊予国守護、その後備後国守護として活躍する。
岩松氏惣領家は岩松経家が建武2年に中先代(北条時行)の乱で戦死してから、岩松三郎直(正木文書22)国が跡を継いで活躍する。そのように考えると、
この岩松頼有は岩松経政(田島系)の出家した姿か、あるいはその後継者である可能性が強い
『新田町史』 前秦滅亡から隋により統一までの
歴史小説はないかな
ちなみに陳舜臣の小説18史略みたいな
ダイジェスト版は読みましたけ 王導の功績は、
早い時期に司馬睿に東南への出鎮を薦めて、後の東晋建国の基礎を築いたこと。
その善良な人柄ゆえに、名士連中の顔役になったこと。
不安定な東晋政権の権力中枢にありながら、忠義を尽くし続けたこと。
だけど、本人の列伝以外のところでは問題点が多々描かれている。
張昭の強化版なんかじゃないよ。 王導の施策がそのまま東晋120年を決めたところがあるなあ
ユ亮とか司馬道之とか司馬元顕とか例外はあるけど >>356
桓温さんを忘れてもらっては困ります。
謝安VS桓温はあれで一冊小説書けるくらい濃い政治バトルだよなあ。
謝安は博打はそこまで強くなさそうな描写が多いが、実際は桓温、
苻堅相手に勝利を収めている強心臓の持ち主、本人は武力をほとんど
持ち合わせていないので、イメージ的には嘘喰いの獏さんみたいな感じ。 各時代の主要人物達を一つの時代に押し込めたらおもしろそうだな 皇帝のいた太極前殿は荒らされてないので、
王導以下、皇帝の側にいた連中はマッパになってないと思う >>361
王導伝
>峻以導徳望,不敢加害,猶以本官居己之右。
蘇峻は王導の徳望を顧慮して危害を加えず、官位も自分より上位に置いたままにした。
褚翜伝
>司徒王導謂翜曰:「至尊當禦正殿,君可啟令速出。」翜即入上大閣,躬自抱帝登太極前殿。
>導升禦床抱帝,翜及鐘雅、劉超侍立左右。時百官奔散,殿省蕭然。峻兵既入,叱翜令下。
>翜正立不動,呵之曰:「蘇冠軍來覲至尊,軍人豈得侵逼!」由是兵士不敢上殿。
(意訳)
王導と褚翜とで帝を太極殿に連れ出し、鐘雅、劉超らと守った。
百官は逃げ出し、蘇峻の兵が乱入してきたが、褚翜が一喝すると兵は上殿しなかった。 マッパじゃなくてよかったのう
逃げ出した百官は自業自得だが 自分よりも優れた徳のある人物に危害を加える訳にはいかなかったんだろ
人心も離れてくし
孫皓が陸凱だけは最後まで処罰しなかったのと同じ事だと思う >>368
「エクスカリバー」とか名前ついてたのですか?宰相の剣に。 すごく厨二臭いです……と思ったら本当にあって吹いた
さすが晋書だ、レベルが違うや >ヒット小説
わざわざ2chでたずねるレベルなんだからお察しくださいというしか……
上手く料理できれば面白い時代なんだがなー 日本男がモテないのは少なくとも20年前から言われてるよ。
偉そうで気遣いができない、いわゆる亭主関白気質は外人には受け入れられない。
逆に女は男を立てる、優しい、愛想がいいから強い女が多い外人にモテる。 ただし、ここで言ってる「外人」は欧米白人だからな
中華人やキムチ人じゃね〜ぞ まもなくここは 乂1000取り合戦場乂 となります。
\∧_ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,,、,、,,, / \〇ノゝ∩ < 1000取り合戦、いくぞゴルァ!! ,,、,、,,,
/三√ ゚Д゚) / \____________ ,,、,、,,,
/三/| ゚U゚|\ ,,、,、,,, ,,、,、,,,
,,、,、,,, U (:::::::::::) ,,、,、,,, \オーーーーーーーッ!!/
//三/|三|\ ∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
∪ ∪ ( ) ( ) ( ) )
,,、,、,,, ,,、,、,,, ∧_∧∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
,,、,、,,, ( ) ( ) ( ) ( ) >>377
キムチ人は人ではない
チョウセンヒトモドキ >>384
簒奪に先立って陳覇先が封じられた国が
たまたま陳国の領土だったんだろうけど
たしかにちょっと珍しいな
類例があるのかどうか自分は分からないが
同じ国名で封じるのは避けられそうだけど
あの位置だったら他に、宋や蔡、マイナー所で徐がある訳だし >>385
この時代唯一の江南出身者の王朝なんだっけ
おれが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしい
もう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうだ
その世界では有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報だよ
まあお前ら頭の良い連中には、今さらなくらいのネタだね、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識だろ?
>>386
劉裕は曽祖父の代から江南に移ってるから南方人としても良いと思うけどなあ
蕭道成は、江南で生まれたっぽいけど、一族はもともと斉の人だったとは……
南斉ってそれも踏まえた名称だったのかな この時代には本貫を江北にしている人物は多いな
琅邪王氏もそうだっけ? 周キの例をみてもわかるとおり江南の貴族は虐げられたからな 立ったまま肉を食わされた高歓
周の政治を理想としながら五胡の慣習を復活させた宇文泰
ここらへんも面白いよな
韋孝寛、尉遅迥の関係とか斛律光
ある意味一番有名な高長恭とかいるし
おれが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしい
もう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうだ
その世界では有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報だよ
まあお前ら頭の良い連中には、今さらなくらいのネタだね、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識だろ?
韋孝寛の三策のうち武帝がとった策より、
陳と組んで北斉滅ぼすほうが良かった気がするんだけど
陳も当時は宣帝だったわけだし
一策目;陳を滅ぼし、その地を基盤に剛強な兵士を募る
二策目;陳と結んで北斉を挟撃する
三策目;国力を蓄え天命を待つ
この三つ
結局三つ目が採用された まぁ引退を申し出てて、陳制圧までは待ってと言われていたのもあったんだけどね 五胡の初期って王浚王弥王導王敦って王のつくひと多いね >>406
王浚は太原王氏の王沈の庶子だな、結構強引に家督相続している
王彌は倭国に使節を派遣した玄菟太守王頎の子孫
王浚は賈皇后派で成都王派とは犬猿の仲、それなりに勢族と言ってもいいんじゃないかな?
王彌は、代々太守を輩出している家柄だけど、太原・琅邪の両王氏には到底敵わないな >>407
琅邪王氏と太原王氏は王氏のTOP2だからな
この時代のちょっと後王猛が琅邪王氏だな
>>408
王猛は北海王氏、王猛一代での出来星貴族だよ
もっこ売り歩いて苦学する琅邪王氏は見たくないなあ 五胡十六国時代に興った華北政権
国名* 始祖** 開始 --- 滅亡 民族
前仇池 楊茂捜* 296年 - 371年 氐
前涼* 張軌** 301年 - 376年 漢族
前趙* 劉淵** 304年 - 329年 匈奴
成漢* 李特** 304年 - 347年 巴賨
代** 拓跋猗盧 315年 - 376年 鮮卑(拓跋部)
後趙* 石勒** 319年 - 351年 羯
前燕* 慕容皝* 337年 - 370年 鮮卑(慕容部)
冉魏* 冉閔** 350年 - 352年 漢族
宇文部 葛烏菟* ???年 - 344年 鮮卑(宇文部)
段部* 段日陸眷 ???年 - 357年 鮮卑(段部)
前秦* 苻健** 351年 - 394年 氐 --------------------
西燕* 慕容泓* 384年 - 394年 鮮卑(慕容部)
後燕* 慕容垂* 384年 - 409年 鮮卑(慕容部)
後秦* 姚萇** 384年 - 417年 羌
西秦* 乞伏国仁 385年 - 431年 鮮卑(乞伏部)
後仇池 楊定** 385年 - 442年 氐
後涼* 呂光** 389年 - 403年 氐
翟魏* 翟遼** 388年 - 392年 丁零
南涼* 禿髪烏孤 397年 - 414年 鮮卑(禿髪部)
北涼* 沮渠蒙遜 397年 - 439年 盧水胡
南燕* 慕容徳* 400年 - 410年 鮮卑(慕容部)
西涼* 李ロ** 400年 - 421年 漢族
夏** 赫連勃勃 407年 - 431年 匈奴
北燕* 馮跋** 409年 - 436年 漢族(高雲なら407年-高句麗)
後蜀* 譙縦** 405年 - 413年 漢族
北魏* 拓跋珪* 386年 - 534年 鮮卑(拓跋部)
上記の国々は、漢族以外基本的に皇帝を名乗っている(追贈含む)
漢族は江南政権の手前、皇帝を名乗ることはない
但し、冉魏だけは皇帝を名乗っている
冉閔の政治音痴ぶりがわかる
北燕は高句麗の高雲を隠れ蓑にしているのでカッコ書きした 井波律子先生もおっしゃってたが、琅邪王氏って王導以降パッとしないよな
先祖の偉業を食い潰してるだけって感じ
その点、陳郡謝氏は謝安・謝玄・謝霊運と何代にもわたって傑物を出してる
井波先生は謝安を東晋きっての侠と絶賛してたけど、その遺徳が謝氏を
反映させたんだろうな
陳郡謝氏>>>(越えられない壁)>>>琅邪王氏 >>413
いや、前涼は張祚の代だけ皇帝を名乗ったはず。
つか上の表、翟魏みたいな泡沫政権をまともに数えていいのか?
三崎氏くらいだろ、「翟魏をきちんと数えろ!」って主張してるの。 漠然と地方政権として並べられても
どういう基準で認定してるのかわからない。
「皇帝を名乗ったかどうか」「天王を名乗ったかどうか」
で厳密に区別してほしい >>417
政治的視点では同意だけど
琅邪王氏の存在意義は王義之を輩出した事だから 馬鹿な司馬一族のせいでその後の戦乱も含めて何人の人が死んだんだろうな この書き込みって本当なの?
>100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/11(日) 18:28:46.67 ID:o9tow/ja0 返信 tw しおり しおりを削除する
>>>98
>調べた限り、苻堅の治世は同族との対立にかなりのエネルギーが注がれてたりします。
>苻堅の治世(357〜385)のうち、淝水以前(383)に限った上で前秦国内における内乱を
>まとめると、次のようになります。
>1:升平三年(359)/高離の乱 ※高離は前秦の平羌護軍
>2:興寧二年(364)/苻騰の乱 ※苻騰は苻健の子、苻生の弟で汝南公
>3:興寧三年(365)/苻幼の乱 ※苻幼は苻健の子、苻生の弟で淮南公・征北将軍
>4:太和元年(366)/斂岐の乱 ※斂岐は羌族、前涼に叛いた李厳【注】に呼応して略陽で挙兵
>【注】:李厳の「厳」は、本来ニンベンに厳の字
>(続く)
>101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/11(日) 18:29:27.84 ID:o9tow/ja0 返信 tw しおり しおりを削除する
>(続き)
>5:太和二年(367)/苻氏一門の乱
> →参加した皇族リスト
> 苻柳(征東大将軍・幷州牧・晋公) ※苻柳は苻生の弟、苻健の愛子
> 苻廋(鎮東将軍・洛州刺史・魏公) ※苻廋は苻健の子
> 苻武(安西将軍・雍州刺史・燕公) ※苻武は苻健の子
> 苻雙(征西大将軍・秦州刺史・趙公) ※苻雙は苻堅の同母弟、字は仲羣
>6:太元三年(378)/苻重の乱 ※苻重は苻健の兄の子、苻菁の弟
>7:太元五年(380)/苻洛・苻重の乱
> →二人の官位・鎮所について
> 苻重(鎮北大将軍・北海公) 鎮所は薊(旧前燕の要地)
> 苻洛(征北将軍・幽州刺史・行唐公) 鎮所は和龍(旧前燕の要地)
>8:太元七年(382)/苻陽・王皮の乱
> →二人の来歴について
> 苻陽:苻堅の異母兄で、苻堅の簒奪後に謎の死を遂げた苻法の子、苻堅の甥
> 王皮:王猛の子
> 二人の官位は、苻陽が大司農・東海公で王皮が員外散騎侍郎
>以上八回になります。1と4以外は全て苻氏によるもので、十六国最大の版図を現出した
>君主の治世としては些か異常な印象を受けます。
>1〜5と6〜8は前燕征服以前・以後で分かれますので、反乱に至る経緯はおそらく
>異なるとは思われますが。
>ちなみに、王猛や苻融があれほど騒いだ「危険分子の鮮卑ども」は、淝水の敗戦に至るまで
>一度も反乱を起こしていなかったりします。
>それどころか、実際に反逆しているのは王猛の息子だったという皮肉。
>苻堅は王猛に一言も二言もいいたいことがあったのではないかと。
>7と8に関しては他にも問題があるのですが、長くなりすぎるので今回は割愛します。
これだけの反乱を抑えてきたんなら苻堅の政治力ってかなり高いんじゃ?
あーぱーな理想主義者ってイメージが崩れそうだ
>>423
傍系から簒奪してるから、さすがにこれくらい反乱起きるわな つか同腹の弟と甥にまで反乱起こされてるのね……
唐太宗も真っ青な内ゲバだな まあ、苻堅は武闘派だからな
文弱な理想家という感じではないな
やっぱ、苻萇が継承すべきだったんだろうな
苻生が大将軍・持節大都督中外諸軍事とかで、苻堅が宰相でさ たしかにねー>苻萇が継承すべきだったんだろうな
苻萇が死んで太子の座がスライドしたのが、苻生の不幸の始まり
とゆーか、苻生に殺された東晋軍の将、應誕って應・の息子だったんだね あべ静江ちゃんって可愛。
大人の色気があってもう魅力的。
で結婚、出産を経て人妻としてのフェロモンが出てき来たね。
一番可愛くて好き。てか、大好き。
最後の望みで、仮性包茎でガンガン突きまくって種付けして差し上げますよ?
1年間限定でも構わないから、忘れて、お互い恋人として付き合って欲しいよ。切実に…
マングリ返しにしてケツの穴を嗅いだり舐めたりしてやりたい…
ズー チュパチュパ レロレロ
しーちゃんとヤリてえ
場末のソープ嬢みたいなエロい雰囲気がたまらん
ミニスカ姿がそそる
サービス精神旺盛なしーちゃんたん ハァハァ
しーちゃんのエロ可愛い顔で何発抜いただろうか
しーちゃんが大好物!し、しーちゃん〜シコシコシコシコ・ >>422>>423
これみるとけっこう前秦も内部で火種満載だな>< >>432
やっぱ簒奪した上に、兄貴を謀殺(疑いだが)して権力を奪取した苻堅が悪い
しかもその後にやったのが、自己の権力を強化するための氐族地位低下施策やら
異民族優遇施策(基本、苻堅の下における平等)だもの
下手に反乱首謀者(氐族の実力者)を処刑したら、ますます反感買うだろうし
苻堅も王猛も綱渡りしすぎだよなあ
行政能力は低くはないが、多数派工作や調整能力はお世辞にも上手とは言えないな、二人とも
(ここらへんは、謝安とか見習ったほうがいいと思う)
【サッカー】W杯アジア最終予選、日本はグループB!豪州、イラク、ヨルダン、オマーンと同居 グループAは4チームの実力が伯仲 ★7
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1331298982/
有力者登場
↓
皇帝が有力者に禅譲しその後一族もろとも殺される
↓
新王朝誕生し何代か続く
これの繰り返しだもんな…… >>435
そういう先入観がこの時代を敬遠する人を増やしている原因じゃなかろうか
前涼:西晋の地方官、西晋混乱のどさくさに紛れて甘粛に割拠
前趙:匈奴屠各種、成都王による軍事支援要請をこれ幸いに中原進出、西晋を放伐
成漢:もとは強制移住させられたチベット系少数民族?巴蜀における独立闘争を勝ち抜いて建国
後趙:もとは前趙の有力な将軍、その前は家内奴隷、前趙を放伐→華北の覇権国家樹立
冉魏:もとは後趙の有力な将軍であったが、自分以外の実力者をすべて敵に回したうえで後趙を放伐
前燕:冉魏を放伐
前秦:もとは後趙の有力な諸侯、後趙崩壊のどさくさに紛れて関中に割拠→華北の覇権国家樹立
後秦:もとは前秦の有力な将軍、禅譲を苻堅に強要したが断られたので放伐
後燕:前秦崩壊のどさくさに紛れて関東に割拠
後涼:もとは前秦の有力な将軍、前秦崩壊のどさくさに紛れて甘粛に割拠
北魏:鮮卑拓跋部、並み居る群雄を駆逐して華北統一
夏:もとは後秦所属の亡命諸侯、後秦を駆逐して関中に割拠
これ以外の弱小勢力は割愛
南朝のイメージだな、たぶん 五胡の方は
名君逝去→後継者殺され、傍系が即位。
そんなんばっかりのイメージだな。
この時代が敬遠されるのは、やっぱり国が多すぎて煩雑だというのが一番な気がする。 >>437
どいつもこいつも皇帝僭称しやがるからな
泡沫勢力風情が皇帝を名乗る風潮はどうかと思う
ぶっちゃけ、帝位を称するに足る人物って
石勒、石虎、苻堅ぐらいじゃねーかな?
三人とも皇帝在位期間が短いか皆無なのが気になるが 前燕の慕容カイ→慕容コウ→慕容儁→慕容イはこの時代にあっては貴重な良君リレーなんだけどな
慕容イも言うほど暗君ではないと思うのよ。恪叔父さん信用する度量は素晴らしいし、後釜の評の吝嗇贅沢は彼一人じゃなくて前燕貴族の問題だし
評その人も軍人としては戦果だしてる。前秦との戦いで慕容イは悪癖だした評を叱りとばしているし
相手が王猛じゃなければ前燕はまだ続いたろうに
しかし儁、恪、垂、徳って慕容コウの種スゲーな、改めて >>439
こういう時、いつもハブられる慕容納……
慕容儁が一番安定している君主だな
自分と弟たちの待遇・能力面における差について苦悩しつつも
良識の一線で踏みとどまっている感じが凄く好印象
慕容垂はもう少し儁の悩みに気づいてやるべき 「蛮族ですら天子を名乗ってるんだから俺が名乗っちゃ悪いかボケ!」
「悪いわボケ!天意が中原だけにあると思ってんのか!」
「天意なんざ関係ねぇんだよ!男と生まれたからには悪名だろうと歴史に名を残すんだ!」
三行で分かる五胡十六国時代 独立志向が強くて中央集権が瓦解すると同時に好き勝手始める華北軍閥
代々内地に住んでいたせいでスッカリ漢民族の思想に染まった異民族の方々
もはや王朝への忠誠心などなく自己表現の為に軍拡や清談に耽る貴族 異母兄の苻法殺したのは、符堅のお袋なんだろ?
何で犯人分かってるのに死罪にしなかったんだ? 南朝の方が正統っていう考えは根強かったからね。劉宋以降は薄れるけど
南朝の方が洗練された文化経済を持ってたのは揺るぎないし
どーでもいいが、苻堅、慕容垂、姚萇の三人の関係って幾らでも妄想できてドラマティック >>451
曹操とか現れなかったら、マジで五胡十六国前倒しがあったような気がする >>452
ない
仮に曹操がいなくても起こらない
何でかと言うと公孫サンがいたから 曹操は山西や河北に匈奴を引き入れて入植させているわけだが それは後漢の政策だ
後漢は匈奴他異民族を分断統治するために各地に分けて移住させてる 五胡十六国でも、氐や羌は史書では最初から漢姓で名乗ってしまい
もともとの2〜4音節ぐらいあるチベット系の氏族名がわからない。
蜀や魏の西のほうは、かなり胡族が定着していたみたいね。 そもそも五胡十六国は、異民族が強かったというより
晋の内乱が持続したことが大きい。
晋の政権がまともに機能していたら、劉淵も李雄も割拠できなかった。
>>453
袁紹は烏丸に下手に出ていたから、別の展開はあったかも知れない。
>>454
巴テイを関中に移住させたのは曹操だけどな。 異民族でも金日テイみたいなのばかりだったらいいのだが 地味に諡号が光文帝
存命中に統一できてたら、どういう史書の名前がどうなったのかなー
統一するには寿命が圧倒的に足りないけど >>463
漢(前趙)による統一は、劉淵に30年の寿命があったとしても100%不可能
「鮮卑との関係をどうするのか?」という問いを考えるだけでも無理ゲー
第一、西晋のように朝貢させる実力とか実績が、匈奴には無いわけだから >>464
劉淵にあと30年寿命残ってたら、王彌と石勒の不和や、石勒の自立とか
いろいろ未然防止できる要素が多すぎるんだが
(そもそも、前趙の君主で長く在位できたのは劉曜だけだからなあ)
石勒だったら慕容廆にも拓跋部にも勝てそうじゃね? 慕容廆は石勒と同じ年に死んでるから決着がつかなかった
石勒が長生きしてたら内紛をついて併合できたんじゃないかな 晋の二代目(恵帝)がまともだったら、五胡十六国時代はなかった?
>>467
その場合、後漢後期の羌族反乱鎮圧政策みたいな感じで、いつ終わるとも知れない
長期的な軍事支出が膨れ上がり、国家財政破綻→宗教的反乱・軍圧割拠という
三国志の繰り返しになった可能性が高いと思う
しかしながら、疲弊しきった中原の人口・生産力では各地をつなぎとめることは
ほとんど不可能になったんじゃねーかな、とは思う >>467
帰属化した豪族の間の政治的なバランスを取りつつ、それに乗れなかった寒門の反抗心を削ぎながら利用し
王族が増長しないよう適度に押さえながら寒門・異民族の受け皿とし
立法厳罰による官僚団を形成せずに皇帝の裁量で統治を行う
これが晋の皇帝に定められた責務
ぶっちゃけ鎌倉幕府の北条執権なみに激務。優秀じゃないのが出るとすぐに破綻して崩壊するシステムだが
司馬昭が政権とった手段が上の状況を是認することだったからどうしようもない 晋が一族に王にして権限を大きくしたのは、魏が皇族の力を抑えすぎて滅んだのを
教訓にしたのだろう
あと魏の不運は文帝、明帝が若死したのも
日本を統治するより中国を統治するのは難しそうだな ぶっちゃけほぼほぼ後付け>晋が魏を反面教師にして王族優遇
だいたい魏は準皇族には優しかったじゃん。曹真、曹爽、曹休、夏侯玄…
乗っ取りの可能性のある近い皇族はある程度制限つけて、そうでない身内は優遇は理に適ってる
徳川幕府だって大封の親藩は政権に参加できない。幕末で越前や会津が参政したのが異常事態だし
そも曹宇、曹植、曹彪なんかはそれなりに優遇されているし、冷遇とかないよ
そうやって曹家を守ろうとした準皇族クラスほど、司馬家がぶっ潰しただけであって
曹魏が滅びたのは王族に力なかったから!司馬晋はそうじゃない!ってマッチポンプすぎる主張 何晏とかも準皇族に入るのかな
曹丕が曹植や曹彪の所領を加増したり、曹叡の後見人を曹宇にしようとしてた辺りをみると
皇族体制という選択は曹丕の中にもあったと思う
それを潰したのが側近の劉放と孫資で、その後に通った案が準皇族の曹爽と士大夫代表の司馬懿の連合政権
このバランスは曹丕政権の曹真・曹休と陳群・司馬懿のバランスと一緒であって
曹丕自身は自分が皇帝じゃなければ別の体制を用意する必要があると考えたか
自分の死を切欠に自分でもどうにもならなかった政治バランスを変えたかったのかも知れない。 異民族って最初のころは遊牧民みたいんだけど
平和になると漢化されるのかしれないが武力が衰えてくる
契丹、清とか
平和時代になると男は弱くなるのかも?
五胡って今は漢化されている?
存在している?混血化している?
鮮卑は北魏、隋?、唐? >>469
賈氏専制の時代はそこそこ安定していたから
けっこうなんとかなったと思う >>475
その時代は銭々で病んだ時代だったと晋書で批判されてるぞ
社会全体の不満が膨らみきって八王の乱から五胡十六国の流れでしょ
あの時期は、社会の不満はあまり関係ないと思うなぁ
後漢も霊帝の時代はなんとかなってた
東晋も蘇峻の乱以降は安定期に入った
権力システムが不全を起こさなければなんとかなる
皇帝の意思不在の恵帝という状況で、専制していた皇后が排除されてから収集つかなくなった
次に権力を握った司馬倫には正統性も能力もなかったし
中央が不安定すぎたので地方の動揺に何の対策も出来ず この時代のことを横山光輝は漫画にすればよいのに
史記、項羽と劉邦、三国志はでているけど
登場人物の顔が似ているのはどうも
この時代は、豪族が貴族化していく時代
均田制が登場する時代
名のない庶民が政治家になろうとしたら宦官になるしかなかったようだ
おたくORどんでもないやつらだったらしい
>>478
既に亡くなられた方にそんなこと言っても… >>479
生前に書いてもらいたかった。
朱元璋(明の太祖)は興味深い素材らしい。
朱元璋も書いてもらいたかった。 本屋にいったら、
五胡十六国―中国史上の民族大移動 (東方選書)が再版していたので、age 宇宙大将軍、後に漢の皇帝を名乗る男である・・・
パネェっす南北朝 宇宙大将军
http://baike.baidu.com/view/4863757.htm
《梁书.卷第五十六.列传第五十.侯景》
げっ、マジで史書の列伝に書かれている! >>485
客を呼べない時代の講談なんて書くわきゃねーよ 歴史書に載ってる記述を緯(よこいと)に
そしてこの時代が仏教の伝来期であることを経(たていと)にして学べば
より面白くなるよ、仏教を軸に考えれば後漢、三国志とも繋がる
最初の本格的に仏教を信奉した中華皇帝は後漢のカン帝だから 日本は源平・戦国・幕末だが
中国の三大歴史伝記は封神演義(原作書経)項羽と劉邦(史記)三国志かな
三国志は小説吉川、漫画横山
項羽と劉邦は小説司馬遼、漫画?
封神演義は小説?漫画藤崎竜 >>478横山先生は事故が無ければ孫子を書くつもりだったらしい 吉川と横山が書いたのは三国志じゃなくて三国志演義だからなぁ
三国志の小説って意外と無いだろ >>490
>日本は源平・戦国・幕末だが
太平記の存在を忘れてもらっては困る
戦国や幕末の伝記物は小粒すぎて、平家物語や太平記に匹敵する物はないだろ
>中国の三大歴史伝記は封神演義(原作書経)項羽と劉邦(史記)三国志かな
日本でわりと出回ってるってだけだろそれ
東周列国志、隋唐演義、説岳全伝、飛龍全伝、万花楼演義、楊家将演義、
三侠五義…はちょっと違うか
っと、三国志演義に次ぐ、著名な歴史伝記小説は、オレが知る中だけでさえ沢山ある 高度な文明を築いた漢やローマも
五胡やゲルマンなどの蛮族にやられてしまったね >>496
地球規模での寒冷化が影響してると言われてるねあの時代は
ぶっちゃけどうしようもなかった気もする 昔からよく劉禅は叩かれるけど
凡君の器はあったと思う
西晋の恵帝の方がよほど暗君 蜀は劉備のカリスマ性と孔明の辣腕でなんとか保ってた国で、
これを魏相手に保持するのは二代目としたらあまりに条件が悪い。
しかし、親らの遺産を食いつぶした形になったとはいえ、40年も国を保持し、
しかも国を荒れさせることなく魏に降伏し、天寿を全うしたんだから、有能じゃないにしても無能でもない。
君主として中くらいのレベルを下回ることはないレベルだろ。 最後の方は宦官にお熱だったけどな
あれが無ければあそこまでイメージ悪くならなかっただろう >>485
作者は知らんが梁武帝演義(主人公は蕭衍)和訳は通俗南北朝軍談
四大続書に続三国演義(主人公は石勒)和訳は通俗続三国志、通俗続後三国志
がある この時代を知りたいならこれを読んでおけ(初級、中級編くらいで)って本はどれなの? >>503
宮崎市定『大唐帝国』(全集読めるのであれば6巻・7巻)
初心者であればこれ1冊で十分戦える
あとは三ア先生の『五胡十六国』とか福原先生の『西晋の武帝司馬炎』が入手しやすいかな
講談社学術文庫の『魏晋南北朝』も概説だが頼りになる
論文に当たろうとすると、なぜか六朝、北魏、仏教研究ばっかになるんだよな
五胡関係は意外と少ない、そのせいで資治通鑑とかに直接当たらないといけなくなる
(資治通鑑には晋書には出てきていない記述とかあるから、どうしても外せない) それって李氏の唐じゃないの?
五胡十六国の本が知りたいのに >>505
タイトルだけだと唐王朝の本に見えるが、実は後漢末から書き起こしているので
問題なし
サブタイトルの「中国の中世」の方が適切なタイトルの様な気もする 9月18日 中日×巨人
TBSチャンネル1 BS−TBS (最大21:54)
解説:小松辰雄 実況:久野誠 (CBC制作)
CBCテレビ19:00−最大21:00
解説:山田久志 衣笠祥雄 実況:角上清司
東海ラジオ・ニッポン放送 NRN全国29局ネット
解説:野口茂樹 実況:北山靖
CBCラジオ・TBSラジオ JRN全国3局ネット
解説:牛島和彦 実況:宮部和裕
ラジオ日本・ラジオ関西
解説:木俣達彦 実況:西村俊仁 (CBC裏送り) 桓温が洛陽ぶん取ったのって地味に物凄い事なんじゃなかろうか
流石に維持は出来なかったみたいだけど
三国志に例えるなら陸遜が呉から遠征して許都制圧するようなもんだろ >>509
姚襄の勢力は東晋から独立したばっかで基盤はほとんど築けていなかったから
陸遜のそのケースよりかは難易度は下がる
桓温自身は350~351年ころ(後趙末期)の北伐を熱望していたようだが
冉閔、慕容恪らが跋扈する中原に打って出るのは危険すぎだと思う >>511
不思議ちゃんの苻堅とうまくやってたんだから、桓温とだってうまくできそうなんだけどな>>王猛
王猛の師匠が言うには「似た者同士で両雄並び立たず」みたいな感じだったけど
その後の王猛の俺様っぷりを見ていると「こいつ、誰とでも衝突するんじゃねーのか?」と思わずには
いられない、師匠、絶対に人物鑑識間違ってるだろ >>31
いやお前はもう下駄の雪…
つかよぉ、打倒するならこう大義名分をブチ上げないとダメだろ四郎 >>510
漢民族至上主義の冉閔は味方に引き込めるんじゃないの?と思ったけどそう単純な問題でもないのかな
そういや冉閔が東晋に共闘申し入れて断られた事があったような… 冉閔に言語が通じる気がしないw
同志であった元乞活の李農ですら排除してるのに
どうやって連携するんだ、あのアホと
桓温は割と常識人だよね
大虐殺とか粛清しないし >>516
あなた、その申し出受け容れることできます?
候景を庇護すること並みに危険ですよ
微妙に似てるな、この愛すべきバカ二人 406 :学徒出国@西国宮 ◆OFRXCy/wKA :2013/10/06(日) 08:30:44.56
閣下がいらっしゃらないことを良しとして
皆横暴を振るいおって
閣下の任命なされた臨時党首を勝手に解任する
これは許されるべき行為ではないボケナス
必要であるならば俺様が立つことも考えねばなるまい
閣下のお立場を守ろうとするものが少なすぎる 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビを探しています。どなたかお持ちの方はいませんか?少しでもお持ちの方いましたらpink3orimo@ezweb.ne.jpにご連絡ください。 三国志って完全にバッドエンドだよな
天下を取ったのが魏でも呉でも蜀でもなく
ぽっと出の晋
仕舞には内輪揉めと異民族の蜂起でアボーンという最悪の幕引き 劉氏(漢)の継承者を標榜して晋に対して挙兵した劉淵の後継者が
なんで禅譲を挙行して司馬氏の継承者にならなくちゃいけないの? 魏・呉・蜀→晋が統一
北周・北斉・陳→隋が統一
宋・遼・西夏→元が統一
なぜなのか? >>512
桓温が王猛を得たなら中原を取り戻す事も可能だったかも知れんね
一度は洛陽を奪還してる訳だし
王猛は宰相のイメージが強いけど、武将としても滅茶苦茶優秀なんだよなぁ 司馬懿は軍師のイメージが強いけど実際は将軍という感じ 魏・呉・蜀→晋が統一
北周・北斉・陳→隋が統一
宋・遼・西夏→元が統一
なぜなのか? 漢 vs 匈奴
ローマ vs ゲルマン
文明と野蛮の戦い ネームバリューゆえの客寄せパンダ的な意味合いが大きいだろうけど
トレードならともかくFAで自分の意思で巨人出て行った人間にな
しかも向こうではアンチ読売の広報とつるんで
日本軽視な発言やWBCボイコットしたり、日本(巨人)には未練見せてなかったのに
今更・・・松井サイドがきっちりお断りしてもらいたいわ 【今日は何の日】三国志の魏が滅亡。司馬炎が晋を建国(泰始2年=266年3月10日)
歴史人 1月17日(金)11時42分配信
【今日は何の日? 歴史人カレンダー】
1748年前の今日(旧暦)、曹丕(そうひ)が建国したことで知られる「魏」が滅亡。司馬炎(しばえん)が曹奐(そうかん)から帝位を奪い、晋(※)を建国した。
※後世の晋と区別するため、司馬炎の晋は『西晋』と呼ばれる。
三国時代で最強の勢力を誇った魏は、曹操(そうそう)がその礎を築き、息子の曹丕が後漢の皇帝(献帝)から帝位を奪って220年に建国した。
その後、2代目・曹叡(そうえい)、3代・曹芳(そうほう)と続いたが、曹芳の時代になると将軍の司馬懿(しばい)が魏国内で権力を強め、
しだいに曹一族を圧迫するようになる。
4代・曹髦(そうぼう)は、司馬懿の子である司馬昭の完全なる傀儡(かいらい)と化した。
260年、曹髦は司馬昭の専横に憤り、司馬昭を取り除こうとしたが、逆に殺害されてしまう。
その後継として即位したのが5代目の曹奐(そうかん)だったが、これもまた司馬昭の傀儡に過ぎなかった。
265年、司馬昭は死去するが、その権力を引き継いだ司馬炎(しばえん)により曹奐は禅譲を強要される。曹奐は従うほかなく、
これによってわずか45年で魏は滅びたのである。
司馬炎は新たに「晋」を建て、280年に呉を征服し、三国時代を終わらせた。
曹奐は賓客として陳留王に封じられ、天寿を全うしたが、八王の乱の最中の太安元年(303年)に58歳で死去する。
一方、司馬炎は天下を取るまでは英君だったが、その後は政治への興味を失い、女色に溺れるなどして堕落していく。
曹奐より早い290年に死去し、西晋も316年、4代・愍帝(びんてい)の代に北方民族に攻撃され滅亡する。
中国は『五胡十六国』に入り、589年に文帝が隋を建国されるまで混乱状態が続くのであった。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140117-00010001-rekishi-life デラックスのアナウンサー大喜利は面白かったな
6代目円楽(楽太郎)と小遊三が司会なのは変わらないが
座布団運びが歌丸とこん平だから、歌丸が楽太郎の座布団を取り上げるシーンがあるな
〜アナ(女、名前忘れた)「時が過ぎたと感じるとき、久しぶりの同窓会でみんな(結婚して)苗字が変わっていたとき」
歌丸「名前は一生変わらないほうが良い」
楽太郎「自分は(死んで)戒名に変わるくせに」
歌丸「てめー、このやろう」
楽太郎が逃げて、歌丸が楽太郎の座布団を取り上げる 淝水の戦いで前秦が勝利していれば
平和ないい時代が来てハッピーエンドだったかもね
英雄だったよ ふけんは
それに比べて司馬一族の不甲斐無さと言ったら・・・ >>540
でも一回負けただけで国内がユーゴスラビア紛争化だから
チトー未満の苻堅 中国の有名な暗君
幽王-西周最期の君主。寵妃である褒姒を笑わせるために、諸侯の軍を参集させる烽火を乱用。
結果、本当に異民族の侵攻があったにも関わらず誰も助けに来なくなると言うイソップ童話を字で行く逸話を残す。
劉禅-蜀漢最後の君主。その幼名「阿斗」が中国ではどうしようもない人物を指す言葉になるほどの人気のなさ。
日本においては「在位40年は歴代皇帝トップクラス」「そもそも蜀は無理ゲー」と言う評価が強く、
彼の記事を見ても分かる様にその評価をどうするか考えることは三国志ファンが必ず通る道である。
恵帝-西晋の二代目。あの司馬懿の子孫で司馬炎の息子とは思えないほどの超絶暗君。
マリーアントワネットより千五百年前に「穀物がないのならば肉粥を食べればいいではないか」
と言う言葉を吐いたと言う。西晋が短命王朝で終わったことや、
異民族時代である五胡十六国時代の遠因となった人物。
蕭宝巻-南朝斉の第6代皇帝。内向的性格で、幼馴染の寵妃のために無茶苦茶な後宮工事を施す。
反乱のさなか、衛兵に殺害され首を蝋で固められて反乱勢力の手土産にされると言う屈辱的な最期を迎える。
死後、諸侯に落とされ「愚かな東の侯」という意味で東昏侯の号を与えられた。
後主(高緯)-北朝北斉の第5代皇帝。奸臣を近づけ忠臣を退けた典型的な暗君。
次々に国土を失う中にあっても「まだ一生遊ぶには十分な国土がある」と言う奸臣の甘言(?)に納得してしまい、
結果自分も含めた一族皆殺しの結果を招く。
後主(陳叔宝)-南朝陳の最期の皇帝。隋軍に宮廷を包囲された際も逃げ隠れするなどの醜態をさらす。
亡国を招いたことやその過程で妃が殺されたにも関わらず、何ら恥じる様子もなく連行先の長安で楊堅に仕えた。
あまりの情けなさに殺されることもなく天寿を全うすることができたと言う。 『サヨナラ私の池田大作--女たちの決別--』
が7月3日出版されました。
「婦人部よ!目を覚まして!」:元婦人部員の叫び!
池田大作のカリスマとその支配は終わった!!
創価学会の最強組織「婦人部」元幹部18名の体験集! 石勒曰く、
「朕若逢高皇、當北面而事之、與韓彭競鞭而爭先耳。
脫遇光武、當並驅于中原、未知鹿死誰手。
大丈夫行事當礌礌落落、
如日月皎然、終不能如曹孟コ、司馬仲達父子、
欺他孤兒寡婦、狐媚以取天下也。朕當在二劉之間耳、軒轅豈所擬乎」
「高皇に会ったら、(その部下となり)韓信や彭越と先陣を競うだろう。
光武に会ったなら、互いに中原の鹿を追い(天下を争い)雌雄を決するだろう。
(しかし)大丈夫(立派な男)たる者、磊磊落落(「磊落」の強調)、
日月が明るく輝くように物事を行うべきであって、曹孟徳や司馬仲達父子のように、
孤児や寡婦を欺き、狐のように媚びて天下を取るような真似は絶対にできない」 三国志に当てはめると
北周→魏
北斉→蜀
陳→呉
隋→西晋
って感じか 中国皇帝の暗君連中で打順組んだ
1(中)蜀漢孝懐帝
2(二)後漢霊帝
3(三)北宋徽宗
4(一)西晋恵帝
5(遊)明万暦帝
6(左)南斉昭粛帝
7(右)陳後主
8(捕)北斉後主
9(投)北周宣帝 それこそいいとも本番でウケないボケを延々やったり、
ドラマ特番で「尺八がしつこくてウザイ」と言われてた頃の
タモリが戻ってきたって感じで俺はアリだわ。 >>520
漢民族主導で国盗り合戦やった最後の時代って見方でいいのかね、三国志って。 >>553
元末辺りでも普通に三つの漢民族勢力が覇権争ってるぞ
漢民族は五胡時代以前も異民族と混血繰り返してるので
梁啓超の言葉借りれば「自分が漢民族だと反射的に思う人が漢民族の範囲である」
祖先がどんなルーツの異民族でも漢民族の文化伝統を受け入れれば漢民族とみなされるのが前提で 先祖は有能なのに、そいつは無能っていうのは、やはり育つ環境が大きいのかな。 ぬくぬくした環境で生まれれば緩む
今のイタリア人もローマ帝国の末裔とは信じられないぐらい戦争弱い この時代の代名詞、代表となる小説があればもっとメジャーになるんだろうけどね 大国に囲まれたほぼ無勝、千敗の超〜賎な民は馬や船に乗って押し寄せたヒャッハーなお兄
さん達にGo韓され続けたため、その末裔こそが周辺より気性の激しい△△魔となってしまった
のは無慈悲な地政学的宿命。リアル性器待つ覇者○○○○ハーンのYを継ぐ者が現在全世界で
1600万人もいるが貢献大。 恨の文化や歴史捏造癖は、ドラマと異なり惨めな歴史故だがお陰
で若干体格は良くなりましたとさ。あ〜キムい、キムい。 ナンチャン的なポジションになるんじゃない。
坂上の下で日替わりで芸人や局アナが実質MCとして進行するようになるとか。 モンゴルくらいかな中原に入っても漢化されなかったのは
五胡、契丹、女真、満州は殆ど漢化されてしまったしね
もっともモンゴルの場合は中原に入る前の段階で既にイスラムやヨーロッパの文明に接したこともあって
中華文明を相対的に捉えることができたのが独自性を保てた大きな要因だと思う ↑同意
そのおかげで相撲が強い面もある
今の中国人で大相撲で横綱なれそうなのいないだろ 内陸の四川省とか雲南省でキルギススタイル(土俵がある)の相撲やっているからわからないよ。
羌や?といったチベット系の遊牧民が持ち込んだもの。
亀茲から鳩摩羅什を連れてきたのも胡族の羌や?。
彼等は5世紀頃にイラン・タジクやヨーロッパと交流して
ゾロアスター教っぽいものも持ち込んでいる。 昨日も和泉節子とくわばたの2人だけだから、
年齢と性格で上下関係のようなものが番組の最初から出来てしまい、
見ていて辛かった。
あと一人、例えば空気読めない天然系のゲストとかがもう1人いて、
えらそうな和泉にもおじけずにとんちんかんなこととか言って
上下も何も無くぐちゃぐちゃにしてくれたらいいのになあ、と思った。 別にケロンパなんか見たくない
あんなババア見て喜ぶやつなんて存在すんのか? >>559
今のギリシアもあのスパルタが有ったとは思えないぐらいの堕落ぶり 新入社員が39歳の事務員のお姉さんに爆弾発言
雑談してて新入社員に そーいえば○○君彼女とかいんの?って俺が聞いたらいやーいないっすって言ったから
事務の人が冗談で おっとー!チャンスありー?みたいな感じで言ってみんな笑ってたら
新入社員が笑いながら でも自分やっぱ子どもは欲しいですからねーとか言ってシーンってなったわ 不快な奴に気づいてない人って、
単に自分がそいつから嫌な思いをさせられてないのと、
観察力が無いから嫌な奴に気づいてないだけです。
人格者だから誰とでも仲良くすべきだとか言ってる訳では無いんですよ。 返す返すも
フケンの惨敗が残念
司馬一族なんかの百倍、善政を行ったと思うんだが >>573
符堅は余りに早く生まれ過ぎたとは思うな
。
後王猛が早死したのも痛い。
陰険極まりない司馬一族よりは余程マシだったろう。
陰険さでは司馬一族と朱元璋は甲乙付けがたい。 08/30(日) 笑点は17.9%と久々の高視聴率。
17.9% 17:30-18:00 NTV 笑点 苻堅は一度の負けで政権崩壊だから
チトーほどの求心力も無かった
結局王猛のおかげでしたハイ 苻堅がもし東晋を滅ぼして中華統一してたら
李世民クラスの名君として歴史に名を残したかな? 東晋を攻めるにしてももう少し弱体化した瞬間を突けなかったのかなぁ
まぁ何を言っても結果論だけど >>580
桓温が死んで十分弱体化してたと思うぞ
後を継いだ謝安一族が予想以上に強力だっただけで 荊州南部を制圧して固めることを優先できなかったのか >>580
桓温が死んで王猛が死ぬまでの間しかいいタイミングが浮かばない
前涼放置してすぐ攻め込むしかなかったな この時代で最も残忍だった君主といえば、
誰でしょうか? >>587
王猛が反対したのは桓温と王猛の間に虱潰の交わりがあったから ゲルマンに蹂躙されるローマ、五胡に中原を奪われる漢族
堕落した文明は野蛮に負ける ;' ゝ‘,,ェ)
; '( ゚Д゚)
゙;(ノ ';)
ヾ,;' ';
''∪''∪
羊皇后曰く
異民族のぶっといチ○コカモーーーーン 落合が監督の時は中継ぎは高橋だの小林とか左だけで
いっぱいいた。小林が左のアンダーでカープの前田が1割も打ってない。 ______
´ `丶、
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,ニ -─━━‐<_〉
,ニ / `丶
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,ニ ∨// | i 八ー- |\// ̄/∧ │ ̄
,ニ 〈_,/ | レ| i仁.,,\ | \ ´\ |∧| ∩
,ニ⌒フ^(| :八 | |ケ人ト<\ ,,≫ケヘ│ ゙ | |、__ 誤爆?!
〈ニニ7 /| : : rヘ. レ代Yソ '´ | ∧| (\| {ノJJ
 ̄{ ´/|/ : 人__、 `、'' __ '' j/ ヽ )´ } _
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/ . /厶-=¬ァ≦〔__|斗--‐─┴‐━宀冖ト---r'′ r―‐'’
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/ /. . : :/ : :/ : : / :::::::::::: /. : :/ | | :│
/ / . . : : / : :/ : /:::::::::::::::厶ィ / / /∨: / 夷狄は天子になれないという当時の中華思想を覆した五胡 後漢→曹魏→西晋と建前上は禅譲で続いてきた流れは八王の乱と劉聡の侵攻で断絶して
代→北魏→西魏→北周→隋の流れが統一王朝になり替わったな
東晋の流れを汲む南朝は陳で断絶したし 何度でも繰り返す、アダルトは荒らし
絶対に構ってはいけない 劉淵一派、苻堅、孝文帝の胡漢融合への葛藤を経てこそ異民族の日本人も官僚になれたオープンな唐王朝がある >>607
李淵自体も北方系らしいしな。
まぁ、余りにオープン過ぎて節度使にも異民族を
ガンガン登用したのが唐の滅亡要因の一つでは
有るけどさ。 >>603
南朝は後梁で隋に吸収されたと思えば断絶ではないな
日本の南北朝時代みたいに南朝が北朝に吸収されたが
後で南朝が正統と認められた例もある 黄帝、天照の末裔を称して多くの先祖に皇帝の追尊を行い南朝と張り合う北魏と隋唐に張り合う日本はそっくり 死ねと言われて頭に血が上るほど腹が立つほど国が大事だったら
まず己がその国にいて恥じないよう努力すべきで
他人の言動でいちいち腹を立ててギャアギャア言うだけの
己に何の取り柄もない密告者だけにはならないようにって事だわな みーけちゃん、おーはよ、おーはよ、おーはよ、おーはよ、いいこだね〜 なぜ異民族は仏教にはまったのか
儒教は漢人のものとして嫌ったのか? 始皇帝 カエサル
劉邦 アウグストゥス
項羽 アントニウス
武帝 トラヤヌス
光武帝 コンスタンティヌス
司馬衷 ホリノウス
劉聡 アラリック
孝文帝 テオドリック
蕭衍 ユスティニアヌス
陳慶之 ベリサリウス
李世民 カール大帝 私に対しては本性を出せと言う癖に
自分達はボロを出さない内に「死んだ」事にしようというんだから虫が良い >>614
漢人と仏教が相性悪いんかも
三国時代にも仏教伝来してたけど広まらなかったらしいし あたるがバイトから帰ると、バスロープを着てソファでワインを飲むルナと出くわす。
うなじの匂いを嗅げば、「私もあたる君の匂い嗅いじゃおうかな」と顔を近づけられ、唇を奪われる。容子が風呂から上がって、慌てて取り澄ます。
スリップを着てベッドに横たわるルナは、あたるのキスを想い出し、乳揉み、マンズリ。
あたるもルナの唇を忘れられず、客間を覗く。オナニーするルナと目が合う。
ソファで水を飲むルナに、「見られちゃったね」「あ、はい」「あたる君も飲む?」と水を口移しされる。
「おばさんにも飲ませて」とねだられ、口移し。好きな人はルナだと告白すると、舌を絡められ、乳揉み、乳吸い。ショーツを脱がせ、パイパンに驚く。
「ヨーロッパではけっこう女性で剃ってる人が多いの」と言い訳するルナの、陰核やアナルを舐め、フェラ、手コキ。正常位で筆下ろしされ、屈曲位、後座位、後背位、騎乗位、前座位、正常位で腹射。
翌日、ルナと容子が同窓会に出かけると、あたるはルナのトランクを物色。ショーツを見つけてベッドで嗅ぎながらセンズリ。
同窓会から帰ったルナは、携帯で夫と通話。フランスを発つとき喧嘩した夫に、早く帰ってきてくれと懇願され、涙ぐむ。盗み見たあたるは、
嫉妬に駆られてキッチンでキス、ネッキング、乳揉み、乳吸い。流し台の陰にしゃがんだルナに、即尺される。風呂から上がった容子に、
「あ、あたる、どうしたの?」「え? あ、いや、ちょっと、喉乾いちゃって」「あれ、ルナさんは?」「ああ、トイレじゃないかな」。その間も睾丸や陰茎をしゃぶられ、口内射精。 ____,, ---−⌒ヽ…―‐- /ニニヽ__,
/ニ/: :/ ̄````ヽ:\‐ 、:.:.:.:.:.:.\ /ニニニニ/ニ{
/ニ/: :/ \} \:.:.:.:.:.:.:\二二/ニニニ\
「二ニ/:.{/ \}:.:.:.:.:.:\ニニニニニニ} アハハ、
}ニ /.:/ / \:.:.:.:彡:,ニニニニ∧
}=/:/:/′ } ! ,. "_______ リ、:.:.:.:.:∨¨¨¨´:.:.:゚。 ちょー楽しいねぇ〜♪
/:/:/:′ -‐…''″ `¨¨´/¨¨¨¨¨¨_ }: : : :{,: : :.:.:.:.:.:.:.:
. /:/:/:.{ -==ミ : : : : : : : ____(炒 》 }: : : :| 、:.:.:.:.:.:.:.
{ {{ {:.:.{ 〃 (炒 : : : : : : : : : : :  ̄¨¨ ミ }: :.:.:., \: :_:_:_ 私ら南匈奴を見下していた
/リリ:.:.:. { _/ ̄ 、 :.:.:.:.:.: |彡:.:′ ー
/: : : : : :∧: : ------- _} リ⌒ヽ 司馬一族に
. ′/ イ: :j } r ´  ̄ ̄ ̄ ̄`ー┤ \ } }
---- /:.:/://:/ /} ∨´: : : : : : : : : --- :} 、__ `ー=ミ 泣きを入れさせるのはね〜。
彡===ミ: : : :彡′, ' 、 :. : : / ̄´ / .,___/ ヾ
 ̄ / \ ':/ { // /´ ノ
′ \ 丶二二二´ /{ー‐ 、 γ´ ̄ ホラ、鮮卑や鳥恒のみんなも
{ 丶 ,. ´ | ‘。
` ‐、‐ ´ | } 笑ってやんな!
:, __ :,__
南匈奴単于 劉聡 この時代を題材にした漫画、誰か書いてくれないかな? 三国志は正直飽きた。 死ねや
きめぇんだよ
お前キモレス書き込みながらシコってんだろ? akasango no nextukuresu^^^ 五代十国の方が酷くね?
まあ五代十国はぐう聖に統一されるオチがつくけど ふなっしーはライセンス契約する時に使用料を東北震災孤児みちのく未来基金に募金をしてもらう約束をする
千葉県警や船橋市の仕事も無償協力で寄付
ふなっしー自らはあまり言わないけど船橋情報誌、メーカーが受領証コピーをあげてくれてる
船橋の本を書いた吉本ばななさんも声をあげてくれてた
だからふなっしーが出来る方法で協力するはず >>634
宦官ばかりの国は宮仕え希望者には悲惨な時代
まあ一部の変態には楽園だったろうがw >>1
南北朝は十分面白いよ。
チャイナ史は後漢の文化技術史
三国志
南北朝
あたりが面白く見るものがある。そして唐で政治停滞と王政権威の失墜が起きて、官僚傀儡王政が復古して以後ずっと1000年以上も政治が停滞する。
南北朝の南朝は日本の政治上の盟主と位置づけれて、南北朝は実は潜在的に日本をも巻き込んだ国際紛争性もあったと解釈できる。
だからこそこの間に(というか晋の頃から)日本への技術移転と軍事力強化や漢文化の浸透がシナの安全保障政策上必要だったと解釈できる。
とくに5世紀は十分同盟的活躍をしていて、その関係は390-450年頃がピーク
以降は、南朝が50年粛清に突入してしまうので国家関係そのものが消失する。
日米関係と冷戦の下りで実際紛争がおきたようなイメージだろうか?
チャイナの南北朝あたりまでの歴史を見ると古代天皇史が十分ファンタジーでなくいわゆる神功皇后実在史観
(江戸時代からある)が確実視されるんだよな。
但しぎし倭人伝が人物や時系列を正確な資料と情報をもとにしてない一種外典として書かれてるから、矛盾があるんだよな 邪馬台国こそ日本最古の統一政権
倭国、大和国、日本国は邪馬台国から発祥したからヤマト国なのです ふなっしーはライセンス契約する時に使用料を東北震災孤児みちのく未来基金に募金をしてもらう約束をする
千葉県警や船橋市の仕事も無償協力で寄付
ふなっしー自らはあまり言わないけど船橋情報誌、メーカーが受領証コピーをあげてくれてる 信長も毛利攻めでまさかの大敗してたら同じような運命だったのかな >>641
ヒ水の戦いは秀吉の小田原攻めぐらい差があるだろ 兵力数だけでなく
旧勢力を温存させて配下にした秀吉政権の方が
おおきなつまづきで一気に崩れやすい
というか、崩れたけど >>641
戦局の見極めがうまいから、
痛手になりそうならその前に引き上げると思う >>643
秀吉が毛利や島津の宗家を倒してしまったら、住民の宣撫が大変だぞ。
宣撫工作のために、分家筋からの傀儡を置くのを秀吉はやらなかったけど
秀忠あたりだと、後継者問題に介入してやっているんだよな。 彡イ ̄`ヾ《トヾ|リ/リノ/,ィ彡=<三ミヽ≦ミヽ,
彡! 、 \ヾ川リ_/ |ミ三≧三三ミヽ
ノノ \ `ー'¨./ , Uミ三三彡ニミヾ|
',ィ三ヽ 〉 / / \彡イ三ミヾリ 劉邦に会ったら韓信や彭越と先陣を競うだろう
〈!⌒ヾミ\_」 ,′ ,/__,.イ三ミヽ トニ三ミミ}({
弋辷xミ_| | ,/彡三彡'´ ̄`ヾ |辷彡'ミミ|ノ`ー' 劉秀に会ったら雌雄を決するだろう
 ̄´ ヽ レ'´.<弋t三ァオ'´ リラ./ミヾミヽ
.} `  ̄´ / /!ヾ、トミ三彡'⌒
/´_,ノ l'¨ /_ -、 ヽ , イノ .ト} ||ミ三≧ヽ 大丈夫たるもの日月が明るく輝くように物事を行うべきである
/ r‐' `(_)、..ノ \_ /,イ} ト巛ミ三≦三ミヽ
∧. {〈__,x─-'-、 、`ヽ/)_ノ lヾミ三三ミヾ}} ヾ! 曹操や司馬仲達のように孤児や未亡人を欺き
∧ `iヾニニ:.ミヽ___,リ /'´ .∨リ))ミ))ヾ川ト、_
∧ `ー--‐'´ // .| ̄\‐、ノ((ミ三彡'⌒ 狐のように天下を取る真似はこの俺は絶対に出来ねえ!
∧ /´ ̄ ̄ヽ , イ ト、 |::..\ミ三彡'⌒
━━━━━━━━━━━━━━━━━
石勒(274〜333)
後趙初代皇帝 奴隷出身で文盲のハンデを抱えながら華北を制圧し帝位に就いた傑物
熱心な仏教徒で仏図澄を保護したり国史の編纂を推奨するなど文化事業にも
熱心な名君 唐が北魏〜隋(北史)と宋〜陳(南史)を分けて正史を作ったから両朝正統だお >>656
司馬「だが断る」
拓跋「だが断る」
慕容「だが断る」 >>658
司馬一族はその辺性根が陰湿な奴が中心になったし、
腹心の賈充・賈南風親娘はそれに輪を掛けて陰湿だからなw 警察介入させなくても弁護士同士で示談できるよそれは脅迫じゃない
知人の身元があやしい人なら警察介入させるメリットがない
通報者も警察で調べられるから 原が監督なら嫌味ばっかり言われてメンタル完全崩壊だったろうな 晋が平和な時代だったら今の中国人の人種も大きく変わってたんだろうね
純血の漢民族に近い方に >>664
華夏族の事かね?
秦が中華統一した時点でもう混血進んでいたから(秦は異民族)
晋が平和で五胡十六国時代が無くても純血の漢民族は居なかっただろうね 漢族の文明を身につけた五胡、高句麗、倭の勢力が拡大していくのも、三国志が蛮族と接触して文明を授けたから 指導層は五胡でも圧倒的に漢民族が多かったから
大差ないんじゃないかな この人視聴率40%越えに文句言うほど視聴率とれないだろ
前から思ってたけどこいつ何様なの?
何の芸もない評論家気取りのクソ豚は死ね 七光り つまらない バカ三平 父親のモノマネ 笑点を私物化 子供の名前も付けれない
芸無し 能無し 人気なし 仕事の依頼が全く無い 家族ネタばっかり マザコン
水戸黄門を終了させた男 座布団ゼロ 全国民から嫌われ者 落語界の恥 フケンの最後が
信長の本能寺みたく衝撃的だったらよかったんだけど
なんか捕まって縛り首ってのがねぇ・・・ 皇紀2600年とか捏造見え見えで恥ずかしすぎる。
日本の歴史は三国志から参入した五胡の始祖達と同じく卑弥呼からでFA 近藤真彦、内海光司、佐藤アツヒロ、岡本健一、生田斗真、内博貴、中山優馬、風間俊介、屋良朝幸、長谷川純、佐野瑞樹 結局300年近い動乱の時代で尚且つ主人公となるような一族がいないからなぁ
精々後半に入って北魏〜隋唐って持っていく感じか
前半は完全に群像劇だしな 赫連勃勃の夏が統一してれば匈奴征漢記みたいな感じで劉淵が前半の主人公、赫連勃勃が後半の主人公って感じで行けたのに
匈奴が起こした争乱を最終的に制したのは序盤おとなしい鮮卑だもんな 昨日くらいから初めてたったスレに
生まれて初めてって
先に偉そうに言っておき泣けてくるって
アスペ?2ちゃんで泣いてたらリアルで人と
接する事ができないコミュ障害で社会人じゃないなw
ニートだろうから親に迷惑かけるなよ >>4
暗部で否定だから
裏三国志なんかもってのほか、劉淵は劉家じゃなくただの蛮族
息子の劉聡はねどりが趣味のレイプマンで、普王族を奴隷にして、漢正当の末裔、王族劉秋を故意に一族郎党処刑して、正当の末裔を滅ぼしたカス
でしかもこいつ散々紂王、紂王避難されて、紂王と同じ負け方で死んで、死んだあとも紂王って言われてたんだ
でその後劉淵のいち族は石録に駆除され、それからクソごちゃごちゃしまくって壊滅
南朝はマシだが、所詮初代南朝東普の伝統的皇族、貴族を大粛清して、ぼんくらが宋を立てたらまた親族大粛清、一時期領土がアンビ省以外ないくらいまで後退する始末で
末期になぜか車騎将軍などと同ランクの三大将軍として東征将軍天皇家を採用する始末
それくらいおいこまれてグダグダ
結果それから何回か政変したあと、一旦数十年安定した時に文化発展して、これ隋が南朝を滅ぼして気づいたくらい価値のあったもので
後の隋唐文化のルーツだった
北朝はそもそも朝じゃないだろくらいクソぐだぐだで、野蛮人は中華を平定できないアホの集まり
あとこの時期に高句麗が百済に南信してるけど、その前に北朝に朝貢臣従してて、それで生存圏追われて百済に南侵舌っていう経緯がある
あれ完全に北朝の影響力に引きづられて、半島まで勢力を南下させた経緯がある
あとは南朝と東征将軍で面白いエピがあるだけではっきり言って中国にとっての黒歴史 でも晋って西東合わせて155年も存続してたんだな
三国やその後の南朝が40〜60年程度だしなんで晋だけ【こんなにもったのだろう】って思ってしまう スターウォーズ史上最大の衝撃→ルークがフォースと一体化でした まさか井上順と堺正章が同じグループで歌手だったとは当時知らなかった 南北朝時代はなんか北部覇権、南部亡国みたいなイメージを抱かれがちだけどそれは大きな誤解
南部は貴族の大粛清などの政争ゴタゴタだけはひどかったが、主要農地は賢治したこと
一時期短期間を除き領土を維持して攻め込まれす回数が少なく、内戦はすくない(内乱は多い)
飢饉がすくない
などもあって農業経済と人口は順調に発展して人口は2000-3000万あった
たいして北部は実はあの中国の華南、華中、河北とされるあの北部帯ってやっと曹操の時代に人口200万規模、全北部領域で300万くらいに成長できたくらいであり
北部を支配した遊牧民は農業経営できないくせに、搾取で人口や農業をなかなか発展させられなかった
曹操ー北普の時代に北部じんこうは400万まで発達しても、4世紀は増えるばかりか難民と餓死で人工減ってよかった
そして政権はのうぎょう、税レベルで社会を維持できないから、北部掌握できなくて五代十六国なんて地方政権がらんりつするの
でそれがまともな農業経営+徴税できるようになったのは5世紀後半からだが、その頃南部は内乱が落ち着いて安定成長期に入ったから、輸出するくらい米が余ってた
そしてその時期外交面で天皇同盟と百済という遊牧包囲編みを完成させて余裕があったから、積極的に北部に米を輸出、供出してた可能性が大きい
それありきで北部政権は持ってたが、北朝は最後まで不安定で常に農業経済力不足を理由に北部貧困領土紛争を繰り返した。
その果に隋の統一があるんだけど、隋の河北統一時代においても北部じんこうは500万、上場で600万くらいだった
尚中国の北部人口は以後の歴史でもすくない。
北宋、金にいたっも中国人口の20%も人口いないままで、清時代は1500年の遊牧騒乱が収集したから安定的に北部華中が開拓された
それでも華南ー華北の人口は全土人口の25%もいなく、全北部で30万
日本帝国当地じだいで満州大開拓が起きたがそれでも、北部じんこう35%もいかなかったはず
この人口バランスはやっと1980-1990年代になっていまの人口バランスになった
よって中国は清の時代まで原則長江領域南部農業人工圏社会であり、元以降の北京北朝時代ですら、人口と農業は南部中心だった 漢帝国の時点で人口は5000万いたのに
いくらなんでも無知すぎるでしょう よって中国はなぜ歴史上長々と北部遊牧民を征伐せず放置したかと言ったら
@北部の実情は少ない人口と農地で食料を取り合う原始人の内ゲバ抗争状態にすぎず、短期間長江領域を侵略してもそれを維持したりできない原始人に過ぎない
A北部に国軍が行くことは食料供給上もんだいがあり、苦しい消耗戦になる。
そして南北朝時代北部(満州を除くせいぜい両党半島まで)の遊牧集団は10-20万に過ぎないだろうが
それらを制服できたとて、莫大な食料輸送消耗を強いられる。
遊牧を華北から放逐するまで30万の兵力をだし、その食費は年50万石(日本単位30万石)似すぎないからその程度は許容できる
しかし1000kmもの補給線維持、南部防衛にさらなる追加兵力と兵糧が必要で、輸送線維持のための食料集積をやったり
略奪対策と食料供給安定、現地農民対策のために
年100万石の食料消費需要があっても、供出量は150万両継続してひつよう
これは南朝農業生産の5-10%で飢饉がおきれば15%規模の負担になる。だから大規模な“北伐”は農業経済上きょようできない
B莫大な農業負担の北伐はできなくとも、南部にとどまる限り、北夷はせめてこず内ゲバになるのなら、防御を固めて自滅をまち
温情で食料を輸出してイニシアチブを握ろう
こういう制作だった。ところが6世紀安定した食料輸出は北部統一と北部の成長を招き南朝は討たれて終わった
尚歴史上北伐らしき北伐を行ったのは明のみで、明は大規模な北部征伐を行い
恒久兵力として万里農民人足こみで50万人を常に動員した。また行政その他北部防衛力の維持に食料100-150万石を強制的に要求した
結果末端地域農業社会の飢饉崩壊が恒状化して、政権は独裁性質を強めた。
また明は大規模な徴農+国軍の維持で人口大国と誤解されがちだが、この指摘はただしくない
明のほとんどの年間は農業成長が伸びず、人口は3000-4000万程度しかないにもかかわらず負担を敷いて常時農業貧困を招いた
で結果末期ほんとの飢饉到来で壊滅状態になり内乱、餓死が大規模化して政権が崩壊した
そしてその明末期は飢饉+崩壊+農業と人口の成長が両立していたのだが
タッチの差で明は搾取独裁政権のしわ寄せで潰れた。
そして後の明は反乱を駆除したが、その最中も農業が自然的拡大していったので、政府の抜本的農業経済対策なしに国家が保全できた。
また同時期日本から莫大な銀が流出して、外国から食料を買いやすくなった
こレも人口経済を安定させる糧となった。
なんで明はタッチの差で独裁政権のしわ寄せで潰れたが、状況的に耐えきれぬ自体でもなかった 中国は南部の蛮族も形の上だけ従わせるばかりで統治はしなかったぞ
統治しても商人が肥え太るばかりだからだよ 河西−−河東−河北−遼東
\ \ / \ /
関中−河南−山東
│ │ │
漢中−湖広 淮南
│ │ │
四川−湖広−江東
│ │ / │
南中−嶺南−−台湾 >>645
おさわりまんこの人です!
∧∧.∩ ∩_ ・∵’、
( )/ ⊂/"´ ノ )
⊂ ノ / /vV
( ノ し'`∪
(ノ 誰でもできるPCさえあれば幸せ小金持ちになれるノウハウ
念のためにのせておきます
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
FSGBQ 魏晋南北朝時代って黄巾の乱から数えると、隋による全国統一まで約500年もあったんだね。
500年も戦争し続けてよく滅亡しなかったな、中国人。 そら各地から異民族が流入し続けてたからな
補充しながら消費してたんだろ ウィンブルドン現象ならぬ中原現象
活躍しているのは非漢民族ばかり 武川鎮軍閥が政権とっちゃうんだからな。
漢字の読み方も訛ってしまうし、××的みたいな言いかたするようになるわと。 河西−−河東−河北−遼東
\ \ / \ /
関中−河南−山東
│ │ │
漢中−湖広 淮南
│ │ │
四川−湖広−江東
│ │ / │
南中−嶺南−−台湾 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ ( *'-'*)底辺レベルの学歴を暴かれて笑い者にされてオメオメ逃げ帰ってしまうんですか? 【陰謀バレた、実話″】 警視庁とフジTVの保険金殺人、ユダヤ団体から脅迫状、ヒロヒトの戦争ゴッコ
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1532396257/l50
身近な病院で偽装殺人が行われている、安倍も関与か!? ( *'-'*)ネットにのめり込んだ落ちこぼれって身の程わきまえずに他人に物申したがるんですけどそういう習性なんですか Isee
susucoin:SVLQWn5PxieCBenyv71ddGRDwbhvhAy5Mi Isee
susucoin:SVLQWn5PxieCBenyv71ddGRDwbhvhAy5Mi i see
susucoin:svlqwn5pxiecbenyv71ddgrdwbhvhay5mi i see
susucoin:svlqwn5pxiecbenyv71ddgrdwbhvhay5mi よろけたりコケたりしないか危なかしくて自分でも「渡してください」って声かけると思うわ >>5
基地外の名に値するのは石虎・赫連勃勃・東昏侯くらいのもんだろ。 >>17
川勝義雄『魏晋南北朝』とか三崎良章『五胡十六国』とか 宇宙大将軍がいなければ
南北朝っていつまで続いたんだろうね 八王の乱は何をどうすればあそこまで破滅的な結末に至らないようにできたのか
なろう小説の主人公が晋朝末期に転生しても何をどうすればいいのかお手上げなレベルだ 今、GYAOで無料配信が始まった「孤高の花」って中国時代劇が五胡十六国時代だよね。
五胡十六国と五代十国時代が名前が似ていてややこしいな >>731
建康を都とする司馬氏の晋、慕容氏の燕、あと涼という国ともう1つモデル不明の国が出てくるけど、五胡十六国をモデルにしたと思われる架空の世界の話だよ。
本場・中国はどうか知らないけど、日本に入ってくるドラマでは南北朝はともかく五胡十六国と五代十国は殆ど聞かないね、今のところ。 五胡十六国時代の慕容氏の燕の末裔が「天龍八部」の
燕を復興しようとしてた慕容復か(小説だけど) サピエンス全史読んだら
人類みな兄弟
何族だの分けるのも馬鹿らしいけどね >>731
そんなドラマあるんだね。
ちょっと興味あるから見てみようかな? gyaoの孤高の花は
1〜3話までは見逃しても、常時無料配信してる
「孤高の花」で検索して「話数限定」の方で
4話からは、更新すると見れなくなっちゃう。
毎日(土日も)更新だから忙しい 怪我しなかったら、2000本安打は達成してたよ。
ヒーローインタビューでは、いつも難しいことば話してたけど、やはり進学校出身者は
違うと感じたよ。
ただ早く死んじゃったのが残念。 カオス過ぎてドラマとかの題材になりにくいんだろうな。 >>1
最初ゴチャゴチャし過ぎと敬遠してたけど分かりやすい纏めみたいの読んでハマり中 いや、全国ネットだと全盛期はそんなもんだよ。
考えてみろ。
東京のスポンサーはもちろん、それぞれの各地方局にも放映権売っていたらそこからの収益もあるわけ。
1日放送ごとに何千万〜何億円って売上あれば、
その金の成る木を維持するために浮気されないようMCに数百万くらいは払うよ。
とんねるずも全盛期は1本500万円とか言われてたもん。しかも一人でだよ。 >>729
北宮純が転生主人公のショートショートある 日本に頼らずに、韓国資本100%の企業がやればよかったとは俺も思うよ。
そうすれば、韓国は21世紀の今でも何の技術もなく何の産業もなく、発展途上国のままだったろうに 腿の毛姫^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ フケンの死にざまがちょっと寂しいね
信長みたいな華々しい最後だったらもっと輝いていたかも