最近五胡十六国〜南北朝について調べてるんだけど面白いな
>>83
多分孔明と曹操は演義だろう
そのブースト分を見ても魅力100は高杉だが
趙雲が高井というか馮異が低い
康熙帝、趙匡胤はひどすぎて笑った 評価は誰でもできるから
とんでも評価があってもおかしくはないな
中国人が評価してるって聞くと日本よりちゃんとしてんじゃないかって印象を持っちゃうけど
一般中国人より中国史オタの日本人のほうが詳しそうだw つ 255−255−255−255−255
「彼の父親はボンクラで兄貴は女好きの酒好きで
彼が一人で天下統一したようなものです。ええ。はい」 (v=ФωФ)ρ ですよねー、でも255ってドラクエじゃないんだから・・・ >>86
下載とか書いてあるところで、三国志11のシナリオなんかのファイルが入ったものが落ちてる。
ただし、中国語版なので適用はしない方が無難。
中にある中華ツールで数値を覗いてみよう。
>>87
統率 武力 知力 政治 魅力
94 66 88 95 100 魅力100は無いと思うが他の数字はそこそこ的を射ている・・・のか? >>91
まぁ的を射ているんじゃないかな。
魅力は劉秀や姫昌、姫旦も100なんで、まぁ要するに統一事業に功績大きく
粛清は少なくかつ内治にも功績の大きいタイプかな。
…康熙帝はやっぱ異民族だからかなぁ…
その割に五胡の北方異民族とかやたら高評価だが… >>79
この人宋が嫌いなのかな。
趙普が政治80とか有り得ないだろ。
文天祥に至っては知力1とかwwww >>90
(v=>ω<)ρありがとー、魅力100は高すぎだろと思ったけど>>92の解説に納得
>>93
なんか中国人って総じて宋を過小評価してる気がする
偉大な文化が花開いた時代なのに、軍事的に弱かったっていう理由だけで嫌ってるっていうか・・・
異民族の遼とか金、元にボッコボコに虐められたのが余程気に入らないのかも・・・
そのぶん岳飛とかめちゃくちゃ評価されてるしね 遊牧民族最盛期なんだから軍事力整えてたって喧嘩すりゃボコボコにされてたのにな 糞コテが来るとスレは腐る
明らかに>>87あたりから流れがおかしくなってるしなw このスレに出会って、俺の中の五胡十六国がビクンビクンして目覚めちまいそうなんだが。
>>71じゃないが、マジおまえらの知識はどこから来てるんか教えてほしい。 >>29
「酒は百薬の長」とか
言ってるし
五胡十六国皇帝の名言とかキャッチコピーある?「貧乏人は麦を食え」みたいなやつ
前秦の「光武帝なら中原に鹿を追う」しか知らないや しかも「光武帝うんぬん」は後趙の石勒だった(>_<) >>100
世説新語あたりにいっぱい載ってる。
好きなのは、石勒による断罪の一言シリーズかな。
「天下を滅ぼしたのは、てめえ以外ほかに誰がいやがるってんだ!」(王衍)
「てめえなんぞ生かしておいて、天下のためになるわきゃネーだろ!」(王浚)
悪党度合いではお互い大差ないはずなのだが、どうしてここまで自信満々に断罪できるんだか。
嫌いじゃないけどね。 >>103
桓温ひとりで
「断腸」(母ちゃんの息子を思う気持ちは、腸が捻じ切れるほど烈しいものなのだ。)
「竹馬の友」(あいつはガキの頃、いっつも俺の後塵を拝しておったわ。)
「臭を万に残すべし」(歴史に芳名を残すことが出来ぬのであれば、せめて悪名を残してやろう。)
三つも稼いでるからな。
苻堅は、「投鞭断流」・「草木皆兵」・「風声鶴唳」があるけど、どれもネガティブすぎる。
祖逖の「先鞭つける」・「聞鶏起舞」はカッコいいね、生き様と完全にマッチングしてる。 桓温の三国志絡みの発言
ttp://d.hatena.ne.jp/mujin/20080207/p3 天下分け目の戦中、客と碁の対局中
「何っ、手紙だと?」(平然として)
客が帰ったあと
「やった♪やったあ(^-^)」
(飛び上がって喜ぶ)
「下駄の歯折れたを知らず」とかいうエピソード
もツンデレみたいで可愛い >>112
石勒は、基本的に戦争には強くない。
載記読めば分かるけど、この時代の群雄・君主の中でも敗戦・撤退の記述が
かなり多い方、軍団の崩壊は306年と311年の2回確認できる。
(飛龍山の戦いも冀州攻略頓挫のきっかけとみるならば、手痛い敗戦のひとつ)
「名将」や「猛将」という評価は、かなりイメージ先行という感じがする。
まあ、周囲の群雄から見れば、叩いても叩いても絶対に死なないで復活してくる
気味の悪い化け物って感じだったんじゃないかな?
異常なまでの頑強さと回復力としか言いようがないほど捲土重来しまくってる。
五胡〜南北朝含めても、石勒に勝利を収めれる将軍は結構いるかもしれない、
ただし、二戦目、三戦目は絶対石勒が巻き返すという構図に持ち込まれる、
単純な強さで測れない部分こそ、石勒の本当に恐ろしいところだと思う。
ゴキブリ並みの生命力という言葉は、こいつのためにあると言っても過言ではない。 石虎のキチガイぶりは誇張されすぎだろう
敬虔な仏教徒だったんだろう? >>113
石勒の詳しい戦歴知りたいな
詳しいサイトあるかな? 最強というより、最凶という言葉がふさわしいな。石勒 >>112
>劉裕
単騎突撃で数千の軍を引っ掻き回して援軍で撃破だったか。
正気の沙汰じゃない。 劉裕は一兵卒からの戦功の積み重ねで大将軍にまでなったバトルマスター 宴会の席で酒に酔って上機嫌になり、皆の前で詩を詠もうとしたら、
主君に恥をかかせちゃいかんと慌てて側近が代作したという逸話のある劉裕さんね。 字の汚さを指摘されて、大きく書くと綺麗に見えると言われたから巨大な字を書いたことでも有名。 前王朝の皇族を殺戮し尽くす前例を作ったのは劉裕なのか?こえーぜ 曹操vs司馬炎vs石世龍vs桓温vs劉裕vs梁武帝vs陳覇先 曹操 28,7倍
司馬炎 40,1倍
石虎 17,8倍
桓温 5,8倍
劉裕 3,1倍
蕭衍 8,,7倍
陳覇先 13,5倍 五胡〜南北朝の軍人の単純な強弱であったならば
1 韋孝寛
2 劉裕
3 冉閔
これぐらいで落ち着きそう、宇宙大将軍は出オチすぎるだろう、戦績的に考えて
曹操や石勒も上記三名の神懸り的強さとと比べたら、一歩譲らざるを得まい
個人的には、三国鼎立してたときの慕容恪、桓温、王猛のガチ対決が見たかった
そして、やっぱり陳覇先は過小評価されすぎ >>146
宇宙大将軍さまは空前絶後の実力を持っているので比較にならない。
むしろ比較しないことこそ他の木っ葉将帥に対する慈悲であるといえよう。 陳覇先は地味に名将なんだよな
宇宙大将軍さまや王僧弁を撃破しているし >>147
ガチ勝負したら負けたほうが袁紹扱いされますよ >>151
能力は十分すぎるほど高い、ただし協調性のなさは最悪
慕容評が奸臣として評されることが多いが、ありゃあ単純な善悪二元論じゃなくて
慕容垂との熾烈な権力抗争だったと見るべきでは?
そもそも、財貨に貪欲だったとか何とか言われているが、腐敗国家前燕では、豪族や
権力者たちによる荘園経営が盛んで、零落した庶民の囲い込みが酷かった。
慕容評ひとりだけの問題ではなくて国家全体での問題だったのに、よくもまあ個人に
罪を擦り付けたもんだよな、とは思う。
で、慕容評が慕容垂に対して激しく悪感情を抱いていた理由は、(慕容垂本人の
意思とは無関係だが)彼が第2の慕容翰・慕容仁になることを恐れていたからじゃ
ないのかな?慕容評は兄たちの骨肉の争いにより、兄弟のほとんどを失ってしまっている。
国家経営の面で見ても、この時の損害はその後に大きな影響を残している。
「お前は、どうして慕容恪のように慎ましく陛下に仕えることができぬのだ。」
慕容評にしてみれば、折角自分や慕容恪が身を引いて幼帝を尊重しているという
のに、なぜ慕容垂に限ってこんなにも自己主張が強く、才気煥発なんだか、
内心苦々しく思っていたことだろう。
慕容恪の寿命がもう少しだけ長ければ、何とか人間関係は破綻せずにすんだろうに。 >>147
韋孝寛が戦場では歯が立たなかった斛律光が最強だな。 >>153
戦場で勝てないと分かるや否や、搦め手から情報戦を仕掛けて
北斉の君主自らに粛清させるんだから、韋孝寛どんだけ化けモン
なんだよ、って話だと思うんだが。
「天才軍師」という「幻想」に最も実像が近い人物だと思う。 慕容垂は息子が戦いで大敗して
その尻拭いの最中に死んだり大変だよな
苦労しすぎ
前に苦難スレがあったな>慕容垂と共に苦難を乗り越えていくスレ 西晋vs前趙
前趙
前趙vs後趙
後趙
gdgd
前燕vs前秦
前秦
gdgd
北魏vs夏
北魏
東魏・北斉vs西魏・北周
北周
隋 西晋
西晋vs前趙
前趙
前趙vs後趙
後趙
gdgd
前燕vs前秦
前秦
gdgd
北魏vs夏
北魏
東魏・北斉vs西魏・北周
北周
隋 この時代って三国時代より生き抜いたり出世したり実績残したりするの難しそうだな 支配領域の広さだと
宋>東晋>斉>梁>呉>陳
って感じかな? >>163
南朝の最大版図は、劉裕が東晋の武将だった頃(後秦併呑後)だから
あながち間違ってもいない。
陳はぶっちゃけ、広東からあそこまで領土広げているから、別の意味で凄い
段韶は北斉最強クラスの将軍だし、一回負けたところで評価は下がらない。
つか、考えてみたらこの時代は歴史的名将がやたらと多いな。 >>169
いや、東西両魏の対立期は両国とも国力の疲弊が頂点に達して
決着をつける体力すら尽きて、決定打がついぞ出なかった消耗戦
決定的な名将が出なかった、というか小粒揃いだったと言わざるを得ない。
そんな中で、斛律光・韋孝寛の両名はかなりの高レベル 地味だけど陳の呉明徹て武将が蘭陵王撃破しているらしい 216 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2009/06/03(水) 00:23:40
Wなんとかに大敗することで三戦の歴史の表舞台に現れたうんぴは、
八戸のぶながとともに三戦だけでなく夢板や電波板を荒らしまわりアンジェに諌められる。
その後、三戦皇帝クマッタに挑むも一敗地に塗れたことでアンジェを裏切りクマッタに従属、
再び横暴の限りを尽くすも最期は朋友と信じていたひょーりみによって息の根を止められた。
五胡十六国時代にいそうだな、こういう奴。
218 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2009/06/03(水) 00:29:10
>>216
新党党首失脚時
選定侯案審議時
アンジェを都合二回裏切ってるよな
221 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2009/06/03(水) 00:36:00
>>218
トラビアンでも裏切ってるから計三回だな でも宇宙大将軍のおかげで梁が分裂して益州方面や江陵を失ったからな
実質南朝崩壊の立役者の宇宙大将軍 274年・・・羯族の部落小帥・周曷朱の子として誕生。
漢人に能力を認められていたが、并州の飢饉戦乱で部落離散し洛陽に行商となる。
(このとき王衍とニアミス)
?年・・・司馬騰捕らえられた後、師懽(山東の民家)に奴隷として売られる。
しかし、師懽認められ自由の身となる。汲桑(師懽の知人)の元に身を寄せる。
301年・・・八王の乱に乗じて、群盗となり各地を転戦。
(この時の仲間が後の十八騎となる。)
305年・・・司馬穎配下の公師藩が起兵すると汲桑と共に合流。石勒と名乗る。
306年・・・公師藩が苟晞に討たれ、逃亡。
307年・・・司馬越と司馬騰打倒を名目に反乱。司馬騰を敗死させるが、苟晞に敗れ逃亡。
劉淵に帰順し、輔漢将軍・平晋王となる。更に烏丸を帰順させ、督山東征討諸軍事を加号される。
同年、汲桑は晋軍によって敗死。
308年・・・劉聡の先鋒として壺関を陥落させる。劉淵が皇帝を名乗ると、平東大将軍となる。
漢人の張賓が参謀として加わる。
309年・・・劉淵から安東大将軍とされて開府した。鉅鹿・常山を攻め、君子営を作って漢人の知識人を集める。
段務勿塵に大敗するも、その後の洛陽からの討伐軍に勝利し、劉淵から鎮東大将軍とされた。
310年・・・劉淵死去。劉聡が即位すると并州刺史となり、汲郡公に封ぜられる。襄陽を攻略。
311年・・・洛陽を攻める。(永嘉の乱)東海王司馬越の葬列を襲って、西晋の太尉王衍を捕らえて殺した。
他、10万人近くを殺害し、司馬越を棺ごと焼き払う。劉曜と王弥と合流し、洛陽を陥落。
苟晞を破り配下にするも、謀反を起こしたため殺害。また王弥が自分を殺害しようとしたので、
王弥を誘い殺し(宴会)てその部下を併せ、襄国を拠点として幽州・并州の経略にあたる。劉t(を破る。
劉t(が、母の王氏と養子(石虎)を手に入れ、石勒の元へ送り届けて晋への帰順を促したが、
帰順はせず、珍宝でもって返礼とする。
312年・・・王浚の命をうけた段疾陸眷らと対決、段末波を捕らえる。段疾陸眷は段文鴦
の反対を聞かず、段末波との交換で和睦に応じる。
314年・・・張賓の助言もあり、偽りの帰順で王浚を滅ぼして河北を平定。
318年・・・劉t(を滅ぼす。劉聡死去。大司馬・大将軍となる。後継ぎの劉粲が耀準に殺され
討伐に向かった。耀準の後を継いだ、耀明を破ると劉淵と劉聡の墓を修復し、劉粲を葬った。劉曜が即位する。それにより、趙公となる。
319年・・・帰順の使者が讒言を信じた劉曜によって殺害されたため劉曜と対立し、
趙王を称する。
323年・・・青州の曹嶷を滅ぼす。
324年・・・劉曜の前趙と交戦状態となる。
325年・・・洛陽を領有。
328年・・・洛陽で前趙軍を破る。(329年?)捕らえた劉曜を処刑する。
329年・・・前趙を滅ぼす。天王を称する。
330年・・・皇帝に即位する。
333年・・・死去。 ※石勒が行商人の頃、王衍が通りかかった。通り過ぎた後しばらくして、”さっきの行商人の面構えが気になる。
晋に災いをもたらすかも知れない。”と考え捕まえようとしたが、既にいなかった。
※王衍が捕まったとき”私に出来ることはなかった、よって罪はない”と、
ありえない保身の弁明(王衍は大尉で晋の重臣)をするが、
”いや、お前が原因だから”と言って殺害。
※劉コンが母と養子を送り届け帰順を促した時は、宝物を渡し、使者を丁重にもてなし
”人には人それぞれの生き方がある、あんたは晋に尽くせ、俺は夷狄”
※劉曜が讒言を受け、石勒の使者を殺したときは
”テメー俺がどんだけ劉家に尽くしたか知ってんのか?もともとお前の基盤も
俺が作ったんだぞ!それが皇帝になった途端、邪魔者扱いかよ。趙王も趙帝も、
俺が自分でなってやるわ”
※部下に自分の実力は?と聞いたとき、漢の高祖以上です、と答えられ
”それはいい過ぎ、もし朕が高祖に会ったら、部下になる
光武に会ったなら、張り合って雌雄を決するだろう。(しかし)大丈夫(立派な男)たる者、
磊磊落落(「磊落」の強調)、日月が明るく輝くように物事を行うべきであって、
曹操や司馬懿親子のように、孤児(献帝)や寡婦(郭太后)を欺き、
狐のように媚びて天下を取るような真似は絶対にできない」と。
※段末破を捕らえた時、丁重にもてなし
"俺たちはもともと仲間だ。何で晋の為に戦うのかよ"
と言って父子の契りを結んだ
段末破は死ぬまで石勒の方角を向いて小便しなかった
※劉曜は捕まった時、以前に戦争で捕らえられた親族(劉胤)が生きているのを知り
"俺がこうなったのは当然だ。石勒は慈悲深い、俺はヤツの親族殺したのに"と言った
※石勒は字が読めなかったので人に読ませて聞いていた
ある日高祖の伝を聞いているとレキイキが高祖に各地に散らばった王族の子孫を
各地に封じるよう助言した話が出た。それを聞いた石勒は
"それは間違いだろう。そんなことしてどうやって天下取れるのか?"
と言った。張良の助言で取り止めになった、と聞くと
"それでこそ" 石勒はなぜ石虎のような基地外を可愛がったのだろうか 徐光が石虎は危険だから誅殺するように、との意見も無視したしね
石勒も一応死ぬ前に釘さしてるけど
石勒は親征あまりしなかったから、身内で使える石虎は大事だったのかも
>>179
石虎の軍功が抜群だからだろうな。
耄碌してから惨敗の繰り返しだったが、少なくとも石勒の片腕として働いていたときは、
幽州での段部攻略を筆頭に、青州、徐州、豫州そして劉曜敗亡後の関中併合と
凄まじい活躍のしすぎ、ぶっちゃけ夏侯淵や杜預なんて格下と言っても良いくらいだ。
後の時代を見ても、慕容兄弟ですら石虎の獲得した領土は切り取れていないんだから、
この時代のトップクラスの猛将として扱ってやって然るべき。
簒奪後の駄目っぷりとロリコンは擁護しきれないが。 石虎は切り札的に考えていたんでないか、石勒としては。自分なら制御できるという自
信があったからかも。 劉曜もスゲーよ
白髭に赤目、神射と呼ばれる弓の達人
アル中で戦の最中でも呑んだくれ
石勒との決戦の時も飲み過ぎで酩酊、敗れる原因に