>>68
桓温による地ならし(土断、軍人の地位向上、簒奪を容認する世論の醸成)が
なければ、劉裕の宋建国はまず有り得なかっただろう。
戦場での勇猛さ、軍事手腕は確かに劉裕が上かもしれないが、政治家としての
能力も加味してくると、桓温の方が圧倒的に上
仮に(桓玄ではなく)桓温が相手であった場合は、劉裕は「輿望」という点で全く
相手にならず、叛乱は失敗に終わっていたと思う。

>>73
と言うよりも、枋頭での撤退戦で敗れる直前までは、前燕は崩壊寸前だったのだが。
湖陸の戦い、林渚の戦いで前燕の防衛ラインは完膚なきまでに破断されている。
桓温が失敗したのは、後方支援態勢が「短期戦」のそれを想定したものであったのに
対し、前燕の首都を間近に控えて、敵の内部崩壊を待つべく長期戦への作戦転換に
色気を出してしまったことだろう。
(前燕は対王猛戦で見せた総兵力40万の大動員を、対桓温戦では実行に移す
余裕すらなかった。)
慕容徳が桓温の強気に押し負けずに、兵站線の打撃を実行したことは賞賛に値する。

慕容垂も名将と言えば名将だが、枋頭の戦いの寸前まで、何の有効策も打ち出せて
いない時点で、兄貴や桓温に劣ると言わざるを得ん。