最近五胡十六国〜南北朝について調べてるんだけど面白いな
>>38
王叡や王雄の一族が大いに栄えてるでしょう >>43
旧呉の権豪たちが東晋の政権運営を壟断できる可能性はかなり高かった。
むしろ、どんな名政治家がいようが十中八九、北方貴族による政権の独占は
不可能だったと言っても良い。
王導という怪物がそれをやってのけたわけだが、調整型の政治家としては世界史級、
中国史なら他の追随を許さないレベル
個人的には、人間味のある謝安の方が好きだ。 >>40
士大夫→知識階級と言えるのは最低でも科挙が成立して以後でしょ。
それまではほぼ貴族が権力を握ってる。
少なくとも後漢から魏晋南北朝の士大夫→知識階級とは言えない。
>>43
抵抗して仲間割れしていれば北から侵略されるだけ。
南方の土豪にとっても北府の軍や皆をまとめる晋っていう大義名分が必要だった。
荊州ではひと悶着あったみたいだけども。
>>46
南方の土豪は実権ある地位に就き辛かったはずだけど。
朝廷では北方の言語を使って南方語と馬鹿にされてたし。
あ、そういう状況を王導が作り上げてみせたってことか
江南豪族の分断とかかなりの切れ者だよな >>47
後漢代は既に士大夫=知識階級と言っていいように思うがな。
太学の定員が大幅に増えて三万人に達していて、太学出で中央にコネもある曹操すら、
思った地位につけず、さらに郡国学などの地方教育機関もあったから、
一定階級以上はほぼ基礎教育のある状態と見ていいだろう。
さらに、それに加えてより知性を誇るための私塾ブームが起きていたわけだし。
そんな中、寒門の中から清代にいたるまで重要視される大儒の鄭玄が登場しているわけで。 王導ほどの政治力を誇る人物は三国志にはいない
三国志の名将以上の戦上手がごろごろいる
なのに人気は三国志以下
悲しいよね その時代のスーパースターのフ堅が曹操はおろか劉備にすらイメージで負けてる
実際はともかく無理もないだろう
統一してたら曹操なんかとは比較にならないとかいう儲がでまくりだろうけど
せめて自分の代で滅亡とかしてなければ・・・ >>49
構造的に全体を一つの話にはし難いしね。
一つのラインのある五代の方がストーリーは立てやすいぐらいで。 異民族に蹂躙されていく物語になっちゃうから、そりゃ人気出ないでしょ 符堅は王猛が死んだのは確かに痛いけど
ポストが出てこないほど人材難だったのかね?
曹操は郭嘉が死んだって他にも参謀がたくさんいたじゃない 符堅は最後、裏切された部下にくびり殺されてるからな
かっこ悪すぎる
信長の最期みたいなミステリアス性があれば少しはマシだったかもしれんが 前秦は各部族を征服したばっかりだったからねぇ
符堅は焦ったのか、お人よしだったのか 曹操がいなかったら五胡はあんなに栄えなかったというのに、石ロクの酷評は酷いよね いや石ロクは彼なりの筋を通した見解をしている
でもその見解だけが正解というわけではない 石勒のその評価は多分どっちかって言うと、紳士ぶって様子窺いながら
前王朝の名分に寄生し続けた(ようにみえる)ことに
「すっきりしねえ奴等だな!」
「男なら真っ向から反逆しろよ!」
つってキレてるだけかと。 三国志の群雄は魏呉蜀を除いたら冴えない連中が多いけど
五胡の連中はツラ構えが違うね 南朝に陳って王朝があるんだが、そこの皇帝は陳って名字なんだよ。
名字が陳だったから王朝の名前も陳だったのか? >>63
古代中国では、滅亡した国の王族がその国号を姓とするパターンが多々見られた
陳覇先はいわゆる寒門だったんだが、自分の陳という姓に権威をつけるために
古代の陳の後継者を自認して国号を陳にしたのかもしれない >>60
そういう石さん自身、野盗まがいのことやって天下とったんだから、曹さんや司馬さんも、奴にだけは言われたくねーだろうな >>61
慕容恪の方が上だろうな。
両名とも、関東の領土拡張で活躍を見せているものの、結局後趙・前秦崩壊の
ドサクサにまぎれての火事場泥棒でしかないからな。
そう考えれば、宇文部・段部・高句麗を討滅した慕容恪の方が功績としては、
慕容垂を圧倒している。
慕容垂は本人ではどうしようもない所が過分にあるにせよ、どうしても初動が遅い観が
否めない、対桓温、対拓跋部なんか特にだが。
まあ、流れをぶった切って桓温最強説を提唱してみる。 なぁ、このスレの住人って、どんな本読んでるの?
出版社と書名を教えていただけると、大変ありがたいんだけど。 >>71
おぉ、サンクス。
早速探しに行ってみます。 桓温は慕容垂にボコられた事以外は、結構凄い戦績残してるよね。
特にこの時代は漢人の名将が少ないから、尚更その凄さが際立つね。 >>68
桓温による地ならし(土断、軍人の地位向上、簒奪を容認する世論の醸成)が
なければ、劉裕の宋建国はまず有り得なかっただろう。
戦場での勇猛さ、軍事手腕は確かに劉裕が上かもしれないが、政治家としての
能力も加味してくると、桓温の方が圧倒的に上
仮に(桓玄ではなく)桓温が相手であった場合は、劉裕は「輿望」という点で全く
相手にならず、叛乱は失敗に終わっていたと思う。
>>73
と言うよりも、枋頭での撤退戦で敗れる直前までは、前燕は崩壊寸前だったのだが。
湖陸の戦い、林渚の戦いで前燕の防衛ラインは完膚なきまでに破断されている。
桓温が失敗したのは、後方支援態勢が「短期戦」のそれを想定したものであったのに
対し、前燕の首都を間近に控えて、敵の内部崩壊を待つべく長期戦への作戦転換に
色気を出してしまったことだろう。
(前燕は対王猛戦で見せた総兵力40万の大動員を、対桓温戦では実行に移す
余裕すらなかった。)
慕容徳が桓温の強気に押し負けずに、兵站線の打撃を実行したことは賞賛に値する。
慕容垂も名将と言えば名将だが、枋頭の戦いの寸前まで、何の有効策も打ち出せて
いない時点で、兄貴や桓温に劣ると言わざるを得ん。 後趙滅亡後、時を置かず情勢は三国鼎立へと傾くことになったが、河南諸州では
後趙の流れを汲む塢壁集団、その中でも羌族姚氏集団の領袖姚襄が最も強大
であった。
彼はかつて冉閔を撃破したことのある戦歴の持ち主であり、高い忠誠心と堅い
節義を持った傑物であった。一時は東晋に身を寄せるも、東晋首脳部の残酷な
裏切りによって河南に割拠するはめになってしまう。
桓温は、347年〜356年の短期間の間に、成都の李勢、関中の前秦、そして河南の
姚襄を次々と撃破して、東晋の勢力を河南まで一挙に盛り返した。
やがて、慕容恪・慕容評らの南下により、河南における支配権は若干減退したものの、
369年には5万の兵で北伐を企み、前燕を遼東まであわや遷都させるまでに追い詰め
ている。桓温の死後、東晋は成蜀を失陥し、江北まで前秦に圧迫されるという窮地に
陥っていることから鑑みるに、やはり桓温の存在は天下を左右するに十分な、まさに
天下人と言って申し分ないものだったと思料する。
王猛にしろ、慕容恪にしろ、さすがにここまでの存在感は持ち合わせていない。
(それに準じるものではあるにせよ、単独では天下を引っ掻き回せなかった。)
桓温こそこの時代の風雲児と言っても過言ではなかろう。 厨臭い強引なランク付けだが、この時代の人物たちを評価するならば
1:石勒(後趙高祖・明帝)
2:桓温(東晋大司馬)
3:苻堅(前秦世祖・秦天王)
4:劉裕(劉宋高祖・武帝)
5:慕容恪(前燕太宰・太原王)
6:王導(東晋司徒)
7:慕容垂(後燕世祖・成武帝)
8:王猛(前燕丞相)
9:劉曜(前趙皇帝)
10:拓跋珪(北魏道武帝)
個人的には、劉裕ぐらいまでが曹操に比肩するレベルだと考えている。
軍事手腕のランク付けだと、また微妙に変わってくるが。 中国人が評価した、曹操や慕容垂、慕容恪などの能力値
ttp://www.hksan.net/main/article.php?articleid=182 >>79
なぜ慕容の方々は、鷹と一緒なんだろうか。 >>79
慕容恪が凄まじく強いな。
他の人物の能力も見れるのだろうか。 >>79
三国志の部分で一番冗談じみてるのはここだな。
知力 政治 魅力
諸葛亮 100 100 100
趙雲 80
諸葛亮はもう存在がおかしい。お前帰れ。
趙雲が馮異と同じ知力というのはどういう了見よ。
政治
康煕帝 89
徐庶 90
賈詡 90
OKOK、有名な時代と人物、そして五胡以外を過小評価してるのはわかった。
何の冗談だよ。
曹操だけは魅力以外は納得。魅力はもっと高いだろう。 >>83
多分孔明と曹操は演義だろう
そのブースト分を見ても魅力100は高杉だが
趙雲が高井というか馮異が低い
康熙帝、趙匡胤はひどすぎて笑った 評価は誰でもできるから
とんでも評価があってもおかしくはないな
中国人が評価してるって聞くと日本よりちゃんとしてんじゃないかって印象を持っちゃうけど
一般中国人より中国史オタの日本人のほうが詳しそうだw つ 255−255−255−255−255
「彼の父親はボンクラで兄貴は女好きの酒好きで
彼が一人で天下統一したようなものです。ええ。はい」 (v=ФωФ)ρ ですよねー、でも255ってドラクエじゃないんだから・・・ >>86
下載とか書いてあるところで、三国志11のシナリオなんかのファイルが入ったものが落ちてる。
ただし、中国語版なので適用はしない方が無難。
中にある中華ツールで数値を覗いてみよう。
>>87
統率 武力 知力 政治 魅力
94 66 88 95 100 魅力100は無いと思うが他の数字はそこそこ的を射ている・・・のか? >>91
まぁ的を射ているんじゃないかな。
魅力は劉秀や姫昌、姫旦も100なんで、まぁ要するに統一事業に功績大きく
粛清は少なくかつ内治にも功績の大きいタイプかな。
…康熙帝はやっぱ異民族だからかなぁ…
その割に五胡の北方異民族とかやたら高評価だが… >>79
この人宋が嫌いなのかな。
趙普が政治80とか有り得ないだろ。
文天祥に至っては知力1とかwwww >>90
(v=>ω<)ρありがとー、魅力100は高すぎだろと思ったけど>>92の解説に納得
>>93
なんか中国人って総じて宋を過小評価してる気がする
偉大な文化が花開いた時代なのに、軍事的に弱かったっていう理由だけで嫌ってるっていうか・・・
異民族の遼とか金、元にボッコボコに虐められたのが余程気に入らないのかも・・・
そのぶん岳飛とかめちゃくちゃ評価されてるしね 遊牧民族最盛期なんだから軍事力整えてたって喧嘩すりゃボコボコにされてたのにな 糞コテが来るとスレは腐る
明らかに>>87あたりから流れがおかしくなってるしなw このスレに出会って、俺の中の五胡十六国がビクンビクンして目覚めちまいそうなんだが。
>>71じゃないが、マジおまえらの知識はどこから来てるんか教えてほしい。 >>29
「酒は百薬の長」とか
言ってるし
五胡十六国皇帝の名言とかキャッチコピーある?「貧乏人は麦を食え」みたいなやつ
前秦の「光武帝なら中原に鹿を追う」しか知らないや しかも「光武帝うんぬん」は後趙の石勒だった(>_<) >>100
世説新語あたりにいっぱい載ってる。
好きなのは、石勒による断罪の一言シリーズかな。
「天下を滅ぼしたのは、てめえ以外ほかに誰がいやがるってんだ!」(王衍)
「てめえなんぞ生かしておいて、天下のためになるわきゃネーだろ!」(王浚)
悪党度合いではお互い大差ないはずなのだが、どうしてここまで自信満々に断罪できるんだか。
嫌いじゃないけどね。 >>103
桓温ひとりで
「断腸」(母ちゃんの息子を思う気持ちは、腸が捻じ切れるほど烈しいものなのだ。)
「竹馬の友」(あいつはガキの頃、いっつも俺の後塵を拝しておったわ。)
「臭を万に残すべし」(歴史に芳名を残すことが出来ぬのであれば、せめて悪名を残してやろう。)
三つも稼いでるからな。
苻堅は、「投鞭断流」・「草木皆兵」・「風声鶴唳」があるけど、どれもネガティブすぎる。
祖逖の「先鞭つける」・「聞鶏起舞」はカッコいいね、生き様と完全にマッチングしてる。 桓温の三国志絡みの発言
ttp://d.hatena.ne.jp/mujin/20080207/p3 天下分け目の戦中、客と碁の対局中
「何っ、手紙だと?」(平然として)
客が帰ったあと
「やった♪やったあ(^-^)」
(飛び上がって喜ぶ)
「下駄の歯折れたを知らず」とかいうエピソード
もツンデレみたいで可愛い >>112
石勒は、基本的に戦争には強くない。
載記読めば分かるけど、この時代の群雄・君主の中でも敗戦・撤退の記述が
かなり多い方、軍団の崩壊は306年と311年の2回確認できる。
(飛龍山の戦いも冀州攻略頓挫のきっかけとみるならば、手痛い敗戦のひとつ)
「名将」や「猛将」という評価は、かなりイメージ先行という感じがする。
まあ、周囲の群雄から見れば、叩いても叩いても絶対に死なないで復活してくる
気味の悪い化け物って感じだったんじゃないかな?
異常なまでの頑強さと回復力としか言いようがないほど捲土重来しまくってる。
五胡〜南北朝含めても、石勒に勝利を収めれる将軍は結構いるかもしれない、
ただし、二戦目、三戦目は絶対石勒が巻き返すという構図に持ち込まれる、
単純な強さで測れない部分こそ、石勒の本当に恐ろしいところだと思う。
ゴキブリ並みの生命力という言葉は、こいつのためにあると言っても過言ではない。 石虎のキチガイぶりは誇張されすぎだろう
敬虔な仏教徒だったんだろう? >>113
石勒の詳しい戦歴知りたいな
詳しいサイトあるかな? 最強というより、最凶という言葉がふさわしいな。石勒 >>112
>劉裕
単騎突撃で数千の軍を引っ掻き回して援軍で撃破だったか。
正気の沙汰じゃない。 劉裕は一兵卒からの戦功の積み重ねで大将軍にまでなったバトルマスター 宴会の席で酒に酔って上機嫌になり、皆の前で詩を詠もうとしたら、
主君に恥をかかせちゃいかんと慌てて側近が代作したという逸話のある劉裕さんね。 字の汚さを指摘されて、大きく書くと綺麗に見えると言われたから巨大な字を書いたことでも有名。 前王朝の皇族を殺戮し尽くす前例を作ったのは劉裕なのか?こえーぜ 曹操vs司馬炎vs石世龍vs桓温vs劉裕vs梁武帝vs陳覇先