最近五胡十六国〜南北朝について調べてるんだけど面白いな
この時代ってユーラシア全体で蛮族が先進文明で暴れてた印象 王敦「うぉぉぉ!やってられるか!!」→反乱
劉隗、ちょう協「元帝、王一族ヌッころしまひょー!王導もやっちゃいまひょー!!」
元帝「・・・」
その頃王導は・・・
王導「一族のみんな、今日も法務府に散歩だ!」
一族「今日もかよ、ってかヤラレルんじゃね」
王導「つべこべ言うな。あっ!周」
王導「周、俺殺されて当然だけど、残ったこいつらマジ頼む」
周「ふ〜ん」 スタスタスタ
朝廷では
元帝;王導の処分は・・・「おお!周どうした?」
周「王導の忠誠心マジスゲー!ちょーリスペクトっす!DQN王敦と一族ってありえねー」
元帝「マジwww」
周「マジwww」
元帝「許す」
一方王導
王導「一族までやられっかなー。あっ!周」
王導「周!周!周!」
周「手下ども!今年は賊ちょー殺しまくって、ちょー出世しよーっと」
王導「周・・・」
周帰宅後・・・
周「元帝にメールしよーっと、元帝え、王導はぜっっっったい無実だかんね。殺しちゃやーよはぁと」
そのころ
王導「周・・・・・・・許さん!」 その後、周は王敦に捕らわれた。王敦は周殺したくて王導に聞いた。
王敦「王導、周って三公なるかな?」
王導「・・・」
王敦「王導、周って宰相なるかな?」
王導「・・・」
王敦「王導、周殺せってこと」
王導「・・・」
王敦「じゃー殺す」
こうやって周は殺された。
その後、王導はメールボックス整理係についた。
王導「元帝、古いメール整理しろよ・・・」「あっ死んだ周のメールだ!ざまぁみろ!あいつどんな悪口を書いてたんだ?」
---元帝え、王導はぜっっっったい無実だかんね。殺しちゃやーよはぁと--- 王導って悪行って言われる程の事はやってないと思うが 某翻訳サイトの石虎さんの台詞、
全部「・・・!!」でワロタ この時代の成り上がり四天王って
石勒
劉裕
陳覇先
YAZAWA
でいいの?
>>323
証拠が見つかってないので、今のところ否定
ゼロからの作り直しっていう意味で道武帝もありじゃね? 漢民族もありなら孫秀も追加
声優ユニットにアイドル崩れ1人がいてもいいじゃんの理論で
唐王朝皇帝代わりすぎで分かりにくすぎ。ワロタ。
王朝末期は皇帝が頻繁に交代することが多いけど、限度があるだろWWWW
唐後期の105年間で皇帝が12人か。思ったほど多くなはないか。
五胡十六国の本、小説って楽天ブックスで探してもほとんどないね
そりゃ人気出ないよ
最下層から身を上げた石ロクと
神のごとく平等慈愛主義の符堅
この二人はマジで魅力的すぎるな このあたりの歴史小説書いたら
一発当てられるかもね
「劉淵と石勒」 芝亮太朗
「符堅と劉裕」 芝亮太朗
なんてどうかな
符堅は「神の如く」っていうか「自分が神だと錯覚した」タイプで、割とありがちな独裁者だと思うぞ
独裁の方面が分かり易く暴力とか悪逆とかでなかっただけで
自分に酔ってて、本人は酔ってることに気づいてない符堅
符堅が酔ってる事に警鐘を鳴らしながら、符堅と酔うのが楽しかった王猛
それを外から見ていた慕容垂、酔いから覚めざるを得なかった姚萇
>>333
独裁も糞も、皇帝体制自体が専制政治ですがな
漢人知識人層の幅広い支持を受けていた、という意味で使っていたなら謝る 趙匡胤も朱元璋も同じ皇帝で独裁者だがタイプが違う、そういう意味だ。
あと厳密な皇帝独裁体制は明からだろ。それ以前の皇帝なんて2日に1回朝廷に顔出せばいい方 >>335
俺が思っていた「独裁」の意味が違っていたようなので、やっぱり謝る
イミフな横槍して、ごめん
しかし、前秦崩壊後のgdgdっぷりが酷い
前秦崩壊〜北魏の華北制圧までが、魏晋南北朝でもっともカオスな時代だと思う 陳って何気に呉よりも支配地域が狭かったんだな
これでは国を保つだけでも至難の業 反米の闘士たるオサマ・ビンラディン氏が鬼畜米兵に討ち取られたそうです。
ここに哀悼の意を示し、その功績を讃えようではありませんか!
あの状態で北斉の軍と梁滅亡後の地方軍閥を同時に相手取り
さらには北斉を圧倒したんだぜ……
この瞬間風速的な強さが何処から来るのか不思議で仕方がない >>338
実質的な支配地域が全然違うんだが…
無法地帯だった呉と、ある程度整備された陳を一緒にするなよ >>341
皇帝の直轄軍の強さ、じゃねえかな>陳
東晋〜梁に置ける貴族・豪族っていう政治の二重構造と
新興豪族、新興商人である恩倖の皇帝への接近
これらが解消されて一本化された結果、軍人皇帝陳覇先の旗下で自在に動ける国家が成立した。
南朝と北朝では一世紀以上組織構造が離れていると言われてるね
軍人貴族のバランスの上に立っている北朝の体制に対して、唐の節度使が登場するようなもの 既に軍部が崩壊状態だった北斉を圧倒、って言われても、凄いのかねえ… 陳覇先と文帝の時代は、北斉文帝が政治に興味をなくしていた時期で
宣帝が北斉を圧倒した時期は、蘭陵王と斛律光が処刑された隙をついているのな
どちらにしろ、陳覇先と文帝の時代は
王僧弁派の軍閥・北周・北斉と敵に囲まれてよく生き残ったよ 新田遠江又五郎経政が居る (元弘3年8月熊谷直経軍忠状・熊谷家文書)。彦五郎・又五郎は田島氏の諱名であろう。
この経政は、南北朝内乱初期に、陸奥南部で親類の相馬氏と共に活動する新田左馬亮経政である(相馬文書)。
また「新田左馬亮経政代田島小四郎」(相馬文書)という記述から、経政の代官として田島小四郎なる人物が派遣されている。
代官には普通一族の者がなる場合が多いから、この史料は経政か田島氏であることを裏書するものである。
ところがこの経政は、史料上では建武2年(1336)に姿を消し、暦応元年から岩松頼有が伊予国守護、その後備後国守護として活躍する。
岩松氏惣領家は岩松経家が建武2年に中先代(北条時行)の乱で戦死してから、岩松三郎直(正木文書22)国が跡を継いで活躍する。そのように考えると、
この岩松頼有は岩松経政(田島系)の出家した姿か、あるいはその後継者である可能性が強い
『新田町史』 前秦滅亡から隋により統一までの
歴史小説はないかな
ちなみに陳舜臣の小説18史略みたいな
ダイジェスト版は読みましたけ 王導の功績は、
早い時期に司馬睿に東南への出鎮を薦めて、後の東晋建国の基礎を築いたこと。
その善良な人柄ゆえに、名士連中の顔役になったこと。
不安定な東晋政権の権力中枢にありながら、忠義を尽くし続けたこと。
だけど、本人の列伝以外のところでは問題点が多々描かれている。
張昭の強化版なんかじゃないよ。 王導の施策がそのまま東晋120年を決めたところがあるなあ
ユ亮とか司馬道之とか司馬元顕とか例外はあるけど >>356
桓温さんを忘れてもらっては困ります。
謝安VS桓温はあれで一冊小説書けるくらい濃い政治バトルだよなあ。
謝安は博打はそこまで強くなさそうな描写が多いが、実際は桓温、
苻堅相手に勝利を収めている強心臓の持ち主、本人は武力をほとんど
持ち合わせていないので、イメージ的には嘘喰いの獏さんみたいな感じ。 各時代の主要人物達を一つの時代に押し込めたらおもしろそうだな 皇帝のいた太極前殿は荒らされてないので、
王導以下、皇帝の側にいた連中はマッパになってないと思う >>361
王導伝
>峻以導徳望,不敢加害,猶以本官居己之右。
蘇峻は王導の徳望を顧慮して危害を加えず、官位も自分より上位に置いたままにした。
褚翜伝
>司徒王導謂翜曰:「至尊當禦正殿,君可啟令速出。」翜即入上大閣,躬自抱帝登太極前殿。
>導升禦床抱帝,翜及鐘雅、劉超侍立左右。時百官奔散,殿省蕭然。峻兵既入,叱翜令下。
>翜正立不動,呵之曰:「蘇冠軍來覲至尊,軍人豈得侵逼!」由是兵士不敢上殿。
(意訳)
王導と褚翜とで帝を太極殿に連れ出し、鐘雅、劉超らと守った。
百官は逃げ出し、蘇峻の兵が乱入してきたが、褚翜が一喝すると兵は上殿しなかった。 マッパじゃなくてよかったのう
逃げ出した百官は自業自得だが 自分よりも優れた徳のある人物に危害を加える訳にはいかなかったんだろ
人心も離れてくし
孫皓が陸凱だけは最後まで処罰しなかったのと同じ事だと思う >>368
「エクスカリバー」とか名前ついてたのですか?宰相の剣に。 すごく厨二臭いです……と思ったら本当にあって吹いた
さすが晋書だ、レベルが違うや >ヒット小説
わざわざ2chでたずねるレベルなんだからお察しくださいというしか……
上手く料理できれば面白い時代なんだがなー 日本男がモテないのは少なくとも20年前から言われてるよ。
偉そうで気遣いができない、いわゆる亭主関白気質は外人には受け入れられない。
逆に女は男を立てる、優しい、愛想がいいから強い女が多い外人にモテる。 ただし、ここで言ってる「外人」は欧米白人だからな
中華人やキムチ人じゃね〜ぞ まもなくここは 乂1000取り合戦場乂 となります。
\∧_ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,,、,、,,, / \〇ノゝ∩ < 1000取り合戦、いくぞゴルァ!! ,,、,、,,,
/三√ ゚Д゚) / \____________ ,,、,、,,,
/三/| ゚U゚|\ ,,、,、,,, ,,、,、,,,
,,、,、,,, U (:::::::::::) ,,、,、,,, \オーーーーーーーッ!!/
//三/|三|\ ∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
∪ ∪ ( ) ( ) ( ) )
,,、,、,,, ,,、,、,,, ∧_∧∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
,,、,、,,, ( ) ( ) ( ) ( ) >>377
キムチ人は人ではない
チョウセンヒトモドキ >>384
簒奪に先立って陳覇先が封じられた国が
たまたま陳国の領土だったんだろうけど
たしかにちょっと珍しいな
類例があるのかどうか自分は分からないが
同じ国名で封じるのは避けられそうだけど
あの位置だったら他に、宋や蔡、マイナー所で徐がある訳だし >>385
この時代唯一の江南出身者の王朝なんだっけ
おれが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしい
もう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうだ
その世界では有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報だよ
まあお前ら頭の良い連中には、今さらなくらいのネタだね、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識だろ?
>>386
劉裕は曽祖父の代から江南に移ってるから南方人としても良いと思うけどなあ
蕭道成は、江南で生まれたっぽいけど、一族はもともと斉の人だったとは……
南斉ってそれも踏まえた名称だったのかな この時代には本貫を江北にしている人物は多いな
琅邪王氏もそうだっけ? 周キの例をみてもわかるとおり江南の貴族は虐げられたからな 立ったまま肉を食わされた高歓
周の政治を理想としながら五胡の慣習を復活させた宇文泰
ここらへんも面白いよな
韋孝寛、尉遅迥の関係とか斛律光
ある意味一番有名な高長恭とかいるし
おれが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしい
もう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうだ
その世界では有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報だよ
まあお前ら頭の良い連中には、今さらなくらいのネタだね、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識だろ?
韋孝寛の三策のうち武帝がとった策より、
陳と組んで北斉滅ぼすほうが良かった気がするんだけど
陳も当時は宣帝だったわけだし
一策目;陳を滅ぼし、その地を基盤に剛強な兵士を募る
二策目;陳と結んで北斉を挟撃する
三策目;国力を蓄え天命を待つ
この三つ
結局三つ目が採用された まぁ引退を申し出てて、陳制圧までは待ってと言われていたのもあったんだけどね 五胡の初期って王浚王弥王導王敦って王のつくひと多いね