最近五胡十六国〜南北朝について調べてるんだけど面白いな
河西−−河東−河北−遼東
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関中−河南−山東
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漢中−湖広 淮南
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四川−湖広−江東
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南中−嶺南−−台湾 河西−−河東−河北−遼東
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関中−河南−山東
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漢中−湖広 淮南
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四川−湖広−江浙
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南中−嶺南−−台湾 >>210
斜め上の行動するヤツばっかだからみてて飽きないからな
そして同年代に生まれてたら絶対会いたくない こいつら基地外すぎだろw
この人時代の人々カワイソ〜
っていう感じ
絶対会いたくないというか塀の中に放り込む世の中であってほしいよ 虐殺しまくりの中国人と天皇をぶん殴る日本人
嗚呼素晴らしき南北朝 日本も中国も南北朝時代は結構面白いんだけど、全っっ然人気ないよね。 戦前は歪んだ形で人気あったぜ>太平記
でも主上に対する忠だの義なんざより
寄って至尊の馬車に矢駆けたり、他人の嫁寝取ったり、癇癪起こして火つけて回ったりするような連中の方が読んでて楽しい罠
改めてコイツらと比べて斯波高経のしょっぱい事、しょっぱい事 >>223
ただ単に有名な資料がないからでは
三国だって演義が無ければ五胡や南北朝と大して変わらない人気だったろう 斯波やんは新田義貞倒してるんだぜ。マグレで
でも観応の擾乱で直義に味方して大失敗するんだぜ
尊氏に帰順したら親族筆頭なのに管領やらされるんだぜ
だが尊氏死後は道誉と組んで政治を壟断するんだぜ
だが調子こいて道誉を蹴落としたら、蹴落とされ返されるんだぜ!
いやぁしょっぱいッスw
神木やってきただけでギブするあたりも そろそろ斯波厨ゼロセンチ先生の憤怒の擁護レスが付く頃だなw >>219
多分時代ごとの支配者の推移とかを示してるんじゃない?
なんで同じの四つ投稿したかはわからんが。 石勒、石生、石虎、苻堅、苻融、拓跋Z
慕容恪、王猛、慕容垂、拓跋珪、高歓、韋孝寛
劉曜、苻健、姚萇、赫連勃勃、宇文泰
慕容恪、呂光、斛律光
祖逖、桓温、謝玄、劉裕
謝艾、冉閔、陳慶之、侯景 >石虎と冉閔の関係なんて始皇帝と項羽みたいだ
始皇帝と項羽に比べると石虎と冉閔は小物感が >>75
>慕容垂も名将と言えば名将だが、枋頭の戦いの寸前まで、何の有効策も打ち出せて
いない時点で、兄貴や桓温に劣ると言わざるを得ん。
有効策を打ち出せなかったのは慕容垂ではなく皇帝である慕容暐の責任なのでは。桓温
が枋頭までやってきて前燕の存続が脅かされるような事態になってようやく垂に出撃が
命じられたわけで。用兵に関していえば恪や桓温にも劣らないと思うよ。
>>239
慕容垂の立場ってのは、本人の預かり知らぬところで千変万化しているからなあ。
幼い頃は、嫡子である慕容儁を差し置いて、危うく王位を継がされる可能性も
あったわけだし。
(慕容皝の嫌な部分が、この独善性というか俺流采配、自分がどういう風に骨肉の
争いで国力を減衰させたか理解しているのか?)
慕容儁が偉いのは、父親のように偏愛を受けていた弟に嫉妬心丸出しで粛清に
動かなかったところ、まあ、冷遇するだけはしているけど、殺されるよりマシだしな。
徹底的に犬扱いしないと家臣の中に慕容垂擁立派らが勘違いして、いつおかしな
行動に出るか分からない部分もあった。
慕容恪時代は、皇族としてそれなり扱われていたが、慕容評一頭輔政体制に
なってからは、冷や飯ぐらいに逆戻り。
慕容評が対桓温戦でにっちもさっちも行かなくなって、ようやく慕容垂起用
枋頭で勝つには勝ったが、その後専横するのではないかと疑われ、政争に巻き
困れるのを忌避して前秦へと亡命
政治的無能という意味では、実は韓信に匹敵していると思う。
もうちょっと如才なく世渡りできなかったのか?とやきもきする。 戦場では人の心理を完全に把握してる韓信でも
それ以外ではKYすぎるよな 五胡の連中を調べてみると、三国の連中って本当戦下手だな〜と思う >>249
いやそら単純に、戦術は常に進歩してるわけで…
三国末に登場し当時としては画期的でその後陣のスタンダードとして晋代に学ばれる諸葛亮の八陣も
唐代には学ぶべき「「古典」として扱われたりするわけで
三国時代の連中が五胡十六国時代の人に比べて戦術に劣るのは当然 誰だ?私になりすましてコピペを貼りまくっている奴は。
あっちのスレは復活してますよ。
>『岡田有希子個人だけが悪いというつもりはありません。
サンミュージック、マスコミをも含めて、結果的に後追い死を後押ししたじゃありませんか?
芸能人は公人であると思います。
いくら病気だと言っても社会的責任は大なのではないでしょうか?
起こってしまったことは覆水で片づけてしまう、嫌な人間の典型ですね。
他人事なのでいい加減な意見を言えて良かったですね。
偉そうに「全然違う」なんてバカみたいだわ。』
ちゃんと残ってますし。
私はしょぼい横浜のボートショー見学で昼間は忙しくて書き込みなんかしでませんよ。
それにしても支配されまくりの民族は性根が腐敗したキムチのような若者が多いのですなぁ。 >>249
五胡の連中も勝ったり負けたりだろ。
しかもちょっとした流民集団や、前線に孤立した西晋の遺臣にすら手を焼いてたり。
むしろ三国時代より劣化してる印象。 >>253
「軍隊」というシステムはかなり劣化した印象を受けるな、まあこれは三国時代
(と言うか後漢末の群雄割拠のときか)も似たり寄ったりだが。
兵戸なんて、こいつらどんだけ悲惨なんだよ、って思わず同情しちまうわ。
士気・戦闘技術という点では、古代の徴兵制度の方が優秀だったわけだし。
変わりに封建的な軍集団が登場してきて、そういう意味では中国史っぽくない、
そこが実に面白い。
姚氏集団は清河県摂頭に所領を拝領して代々後趙政権に忠節を尽くしていた
わけで、もしかしたら中国でも封建制が成り立つ可能性があったのかもねえ、と
思わずにはいられない。 『全受十一忠臣』
1.聖臣崇史 ◆Qkp4Ei7yxhvq
2.ロコ三郎@覇者 ◆WtHvCBV3ec
3.ロコグリーン ◆S0Y6frChLY
4.婿太郎 ◆2MaGImm7QI
5.毛利くりいむ ◆LcWo0af1rc
6.毛利ころっけ ◆JidtdsCF/k
7.学徒退陣 ◆/QdDAP1aoo
8.学徒出国@内大臣 ◆OFRXCy/wKA
9.ぴょこたん ◆oKiIL74RrU
10.婿サイド ◆lPagINbUhE
11.可児光線@長屋王 ◆x/0doukDZE 羊 献容たんの人生劇場(女の花道)
286年 生まれる
↓
300年 14歳で恵帝の皇后となる
↓
301年 司馬倫が皇帝位簒奪→皇后廃位
↓
301年 司馬倫あぼーん→復位
↓
304年2月 廃位
↓
304年7月 復位
↓
304年8月 廃位
↓
304年11月 復位
↓
305年4月 廃位
↓
305年11月 復位
↓
305年11月 廃位
↓
306年6月 復位
↓
306年11月 恵帝死去。皇后位を去る
↓
311年 洛陽が前趙の劉曜らの攻撃を受けて陥落 → 無理やり劉曜の嫁にされる。3人の子をもうける。
↓
316年 長安が陥落して西晋アボーン
↓
318年 劉曜が皇帝に即位。皇后に立てられる。
劉曜「俺と恵帝と比べてどう?」
羊「あなた最高よ。ワイルドな男って素敵!あなたに逢えて良かったわ。ああん、幸せ!」
↓
322年 享年36。劉曜マジ泣き。立派な墓を建てる。
>>258
>無理やり劉曜の嫁にされる
これはラッキーだったと思うけどな。
301年〜310年頃なんていつ殺されてもおかしくなかった。 >>258
劉曜は自らの容姿に結構コンプレックスがあったみたいだし、
劉聡以外の一族からの評価も低かったようだから、皇帝即位以前は、現在ほどの
評価は受けていなかったと見た方がいいと思う。
(宮崎市定先生は割かし高評価だったけどね。)
羊献容はそれこそ人間扱いなんかされていない、完全にモノだ、モノ
皇太后の座をゲットしようと画策して頓挫する場面なんか見てらんない。
バックも全滅しているから、実害なしと見積もられて生きながらえているし、
ここまで扱いの悪い(と言うか軽い)元皇后も珍しい。
人外扱いの堅物と道具扱いの小娘、異色ではあるがお似合いのカップルだな。 河西−−河東−河北−遼東
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関中−河南−山東
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漢中−南陽 淮南
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四川−荊楚−江東
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南中−嶺南 河西−−山西−河北−遼東
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関中−河南−山東
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漢中−南陽 淮南
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四川−荊楚−江東
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南中−嶺南 羊献容はカオスの中よく生き残って女の幸せを掴んだなあ 东汉桓帝时期到三国归晋时期,中国人口缩水了90%
而晋朝孝惠皇帝为了充实人口,收容了塞外异族充实人口,最后导致了后来的汉胡矛盾。
不过五胡时代的开启并不是异族取代了汉族,而是异族成为了汉族。
胡人进入了中国,最后却在相互的撕杀战乱中接受了中国的文化。
而在今天,中国国内汉族和少数民族都已经认同了大家属于共同的民族,那就是中华民族。 中国的国学也在历史不同时期兼容并蓄。
中国的国学,以商周易学为源头,先秦诸子百家为根本,涵盖了两汉经学,魏晋玄学,隋唐佛学,宋明理学。
集中体现出来的是以儒家,道家,释家的思想为本。
以名家,墨家,兵家,纵横家,阴阳家的理论为辅。
其中主要体现了“道コ为本,才智为辅”的文化特性。
而韩国所谓的儒学,不过是中国儒家学说的皮毛而已,而儒家学说,也是对中国最有影响的国学之一而已。 对了,还有法家,不过法家的代表人物名声都不太好,而且结局都不太好。
秦朝重视法家学说,商鞅李斯这些法家人物最后都被杀了,而曹操也是法家的代表人物,在中国名声总是不好。 王猛と慕容恪はどちらが優秀だろうか。
どちらも死ぬには早過ぎた。後10年長生きしていれば歴史も多少は変わったかも知れないし。
王猛と慕容恪の直接対決も実現したかも知れないしね。 >>270
>>267をエキサイト翻訳。
後漢の桓帝の時期に三国に着いて晋時期に帰って、中国の人口は90%水にぬれると縮みました
晋朝孝の恵みの皇帝は人口を充実させるため、長城の外の異なった民族を収容して人口を充実させて、最後に後から来る漢の胡矛盾を招きました。
でも5人の胡の時代の開くことは異なった民族が漢族に取って代わったのではありませんて、異なった民族が漢族になったのです。
胡人は中国に入って、最後に相互引き裂いて戦乱を殺します中で中国の文化を受け入れました。
ある今日、中国の国内の漢族と少数民族はすべてすでにみんなを認めて共通の民族に属して、それはつまり中華民族。
なんとなく意味が分かってくるから面白い。 >>271
王猛って石虎とか冉閔の時代は何してたんだろう? >>271
両名とも、実力・実績ともに文句なしの傑物だからなあ。
直接決戦があった場合は、マジで決着が読めない名勝負になりそう。
まあ、どんな苦境に陥っても精鋭数千騎で戦況を簡単に引っ繰り返してしまう
慕容恪の方がロマン度で一枚上手か?(こればかりは、本当に卑怯だと思う。
戦略を解し、戦術に通じ、用兵に長けた上で博打が打てるような人間だからだ。)
王猛の場合は、情報戦から戦場まで一挙に引き受けるオールラウンダー、
ある意味反則級なんだが、慕容恪相手にはすごく物足りない、分が悪い。
戦勢を支配することはできるが、戦勝の決を得るには決定力に欠ける。
まあ、この両名ともにNo2の座で光る人材だとは思うけど、こうなってくると
トップの采配如何のような気もしてくるな、そういう意味では苻堅率いる前秦が
有利か、つーか前燕は慕容恪一人で屋台骨支えている状況だから、総合力では
圧倒的に不利なんだよなあ。
限定的な局面では慕容恪、総合的には王猛が優勢となるンじゃないかな?
>>275
猛勉強の傍ら、畚(もっこ)を作り売り歩いて食い繋いでいた。
(典型的な上昇志向旺盛な寒門漢人)
当時、後趙の帝都に赴いても誰からもまともに相手をされなかった。
(まあ、何のコネも無い若造を引き立てるほうがどうかしているとは思うが。)
後趙の侍中まで登りつめた人物鑑定の名家であった徐統という人からは、その才能を
見込まれて登用されそうになったが、固辞して華陰山まで逃亡、隠遁生活に突入する
次第となる。
自分が仕えるに足る人物を捜し求めて隠遁していたようだが、桓温に失望してから
苻堅に仕えるまでの過程が納得いかないんだよな。桓温も一世の英傑であり、
苻堅のような甘ちゃんなんかより、ずっと覇者・天下人って感じなんだがなあ。
本人にしか納得いかない、譲れない部分があったんだろうな。 >>280
桓温≒曹操
苻堅≒劉備
ってことなら分かる
本当に才能があり、自分に自信がある人物なら、全てを委ねてくれる主君を選ぶ 曹操は息子が簒奪失敗死していないし
劉備も大敗後部下に独立されまくりで縊り殺されていない
ので>>281は俺にはよくわからない 横レスだが、劉備は「全てを委ねてくれる」タイプではないろう。
全部自分でやっちゃうタイプだもん。 五胡十六国は複雑すぎるから三国志ほどはウケないだろうなあ。
物語にするには主役を絞れないし。
楊堅が五胡十六国時代(南北朝時代含む)を終わらせたって認識でいいのか?
現在の中国人(漢民族)は五胡十六国時代をどう思ってるんだろうか?
「異民族に支配されてた屈辱の歴史」て感じなのかなあ。
元も異民族とはいえ、世界的英雄チンギスハーンの孫のフビライだからなんとなく許してるのかな?と思うし、
清はあんまり漢民族にも嫌われてないようなイメージがあるんだが、五胡十六国時代は? 五胡十六国時代の連中は同化しまくって、普通に今の中国人の先祖だし 宮城谷さんは今の三国志終わったら次は五胡十六国書くのかな? 550 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/10/09(土) 21:18:56
また蛆虫がどろんどろん沸いてきたよ
551 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/10/09(土) 21:20:54
蛆虫連呼厨は実は女子中学生
552 名前:こぎんだま :2010/10/09(土) 21:21:17
いいか、ウジ虫ってもんは一般的にワクもんだ。
ワかないウジ虫なぞウジ虫ではない
553 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/10/09(土) 21:22:11
楽天の監督は東尾かとおもった
554 名前:可児クリームころっけ ◆CrabxxSe.g :2010/10/09(土) 21:22:58
ウジは腐敗を連想させるがそれ自体は新しい命である
そして腐った部分だけを食べるため医療でも用いられている
我々糞コテより貴い存在である
555 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/10/09(土) 21:24:27
どろんどろん沸いてきたよ^^ >>292
王導には君主と喧嘩してたり邪険に扱われているイメージが無いので違うのでは。
呉でいえば一番近いのは陸凱では。 >>296
司馬叡は、調子付いて来たら躊躇無く王氏の抑圧に走っているぞ。
王敦の乱が勃発した原因のひとつ。
まあ、王導は何を考えているか分からない人間の典型例だよな。
凶悪調整型政治家って類型では他の追随を許さないくらいだから、○○タイプ
という表現には違和感がある。(むしろほかの人間が王導タイプと呼ばれるべきかと) >>298
そりゃ長城の内側でしか戦ってないからな この時代ってユーラシア全体で蛮族が先進文明で暴れてた印象 王敦「うぉぉぉ!やってられるか!!」→反乱
劉隗、ちょう協「元帝、王一族ヌッころしまひょー!王導もやっちゃいまひょー!!」
元帝「・・・」
その頃王導は・・・
王導「一族のみんな、今日も法務府に散歩だ!」
一族「今日もかよ、ってかヤラレルんじゃね」
王導「つべこべ言うな。あっ!周」
王導「周、俺殺されて当然だけど、残ったこいつらマジ頼む」
周「ふ〜ん」 スタスタスタ
朝廷では
元帝;王導の処分は・・・「おお!周どうした?」
周「王導の忠誠心マジスゲー!ちょーリスペクトっす!DQN王敦と一族ってありえねー」
元帝「マジwww」
周「マジwww」
元帝「許す」
一方王導
王導「一族までやられっかなー。あっ!周」
王導「周!周!周!」
周「手下ども!今年は賊ちょー殺しまくって、ちょー出世しよーっと」
王導「周・・・」
周帰宅後・・・
周「元帝にメールしよーっと、元帝え、王導はぜっっっったい無実だかんね。殺しちゃやーよはぁと」
そのころ
王導「周・・・・・・・許さん!」 その後、周は王敦に捕らわれた。王敦は周殺したくて王導に聞いた。
王敦「王導、周って三公なるかな?」
王導「・・・」
王敦「王導、周って宰相なるかな?」
王導「・・・」
王敦「王導、周殺せってこと」
王導「・・・」
王敦「じゃー殺す」
こうやって周は殺された。
その後、王導はメールボックス整理係についた。
王導「元帝、古いメール整理しろよ・・・」「あっ死んだ周のメールだ!ざまぁみろ!あいつどんな悪口を書いてたんだ?」
---元帝え、王導はぜっっっったい無実だかんね。殺しちゃやーよはぁと--- 王導って悪行って言われる程の事はやってないと思うが