最近五胡十六国〜南北朝について調べてるんだけど面白いな
石勒はなぜ石虎のような基地外を可愛がったのだろうか 徐光が石虎は危険だから誅殺するように、との意見も無視したしね
石勒も一応死ぬ前に釘さしてるけど
石勒は親征あまりしなかったから、身内で使える石虎は大事だったのかも
>>179
石虎の軍功が抜群だからだろうな。
耄碌してから惨敗の繰り返しだったが、少なくとも石勒の片腕として働いていたときは、
幽州での段部攻略を筆頭に、青州、徐州、豫州そして劉曜敗亡後の関中併合と
凄まじい活躍のしすぎ、ぶっちゃけ夏侯淵や杜預なんて格下と言っても良いくらいだ。
後の時代を見ても、慕容兄弟ですら石虎の獲得した領土は切り取れていないんだから、
この時代のトップクラスの猛将として扱ってやって然るべき。
簒奪後の駄目っぷりとロリコンは擁護しきれないが。 石虎は切り札的に考えていたんでないか、石勒としては。自分なら制御できるという自
信があったからかも。 劉曜もスゲーよ
白髭に赤目、神射と呼ばれる弓の達人
アル中で戦の最中でも呑んだくれ
石勒との決戦の時も飲み過ぎで酩酊、敗れる原因に コーエー風に分けると各部門トップは誰かな?
統率…慕容垂、石勒
武力…
知力…韋孝寛
政治…王導
魅力…
冉閔は姜維的な強さだから迷うよな 統率…拓跋Z、劉裕
武力…楊太眼、蕭摩訶
知力…王猛、陳慶之
政治…王猛、元宏
魅力…苻堅 その人物が一代で獲得した領土で比較するなら
華北制圧組
苻堅(ただし王猛のアシスト大)、石勒、拓跋Z
関東制圧組
慕容恪、王猛、慕容垂、拓跋珪、高歓、韋孝寛
関中制圧組
劉曜、苻健、姚萇、赫連勃勃、宇文泰
僻地遠征組
慕容恪(高句麗・宇文部・段部・烏桓)、呂光(西域)、斛律光(突厥)
北伐組(領土を分捕った人)
祖逖、桓温、謝玄、劉裕
分類不可(領土は取れてないが、変態的な強さ)
謝艾、冉閔、陳慶之、宇宙大将軍
国さえ崩壊しなかったら苻堅の功績は滅茶苦茶凄えんだよな、本人も決して戦下手ではないし。 項羽って何で字で呼ばれるんだ?
蒋介石って何で字で呼ばれるんだ? ふけんの目をこすって驚くシーンが何とも物悲しい・・・ >>171
呉明徹はうんこちゃん。最悪。名家の威光をかさに着て威張り散らすだけの小物よ。
部下にむりやり引き入れた蕭摩訶が頑張ったから、勝利の名誉を得られただけ。 司馬炎全国統一
司馬炎死去
八王の乱
劉淵が漢を建国、李雄が成建国、張軌が涼建国
劉淵が皇帝を名乗る
劉淵死去
漢の劉聡が晋(西晋)を滅ぼす
司馬睿が晋(東晋)建国
劉曜が漢を趙(前趙)に変更、出自が異民族であることを告白
石勒が趙(後趙)を建国
後趙石虎により前趙滅亡
李寿が成を漢(成漢)に変更石勒華北をほぼ統一、皇帝を名乗る
慕容【皇光】が燕(前燕)建国
石勒死去
後趙の冉閔により後趙を滅す
前燕が冉閔(冉魏)を滅す
苻洪(蒲洪)が秦(前秦)を建国
苻建が秦皇帝を名乗る
馬鹿と言えば
王猛の「攻めるなよ」を
ダチョウ倶楽部的に理解した苻堅 石虎で思うんだけど、漢民族って人口多いはずだよな?
懐柔する必要なかったの? 石虎「ところで「コロッセオ」ってさあ
「殺っせよ」ォォ
って 聞こえない?なあ〜?
国語の先生よォォォォォ
あんたを殺っす前に聞くけどよォ〜〜〜〜」 陳舜臣の小説十八史略でこの時代の流れ知ったけど、他は全然知らないな
歴史シミュで西晋末期〜北魏の河北統一あたりまで、シナリオ10個くらいに分けて作ってくれたら面白そうなのに
まあ商業的に売れなさそうなら、誰も作ろうとしないか……ゲームでも小説でもましてや映画(笑)とか 五胡は三国と違って民族同士の争いがあるから面白い
石虎と冉閔の関係なんて始皇帝と項羽みたいだ 河北 東漢⇒孫呉⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒西晋⇒東晋⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒劉宋⇒蕭斉⇒蕭梁⇒陳⇒⇒⇒⇒⇒隋
山東 東漢⇒孫呉⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒西晋⇒東晋⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒劉宋⇒蕭斉⇒蕭梁⇒陳⇒⇒⇒⇒⇒隋
河南 東漢⇒曹魏⇒⇒⇒⇒西晋⇒⇒⇒⇒漢⇒⇒石趙⇒⇒⇒⇒冉魏⇒前燕⇒苻秦⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒元魏⇒高斉⇒⇒⇒宇文周⇒隋⇒⇒⇒
関中 東漢⇒曹魏⇒⇒⇒⇒西晋⇒⇒⇒⇒⇒漢⇒前趙⇒石趙⇒⇒苻秦⇒⇒⇒⇒⇒⇒姚秦⇒⇒⇒⇒⇒元魏⇒宇文周⇒隋⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒
四川 東漢⇒蜀漢⇒曹魏⇒西晋⇒⇒⇒⇒成漢⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒東晋⇒⇒⇒⇒苻秦⇒⇒譙蜀⇒東晋⇒劉宋⇒蕭斉⇒蕭梁⇒宇文周⇒隋⇒⇒
江南 東漢⇒孫呉⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒西晋⇒東晋⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒劉宋⇒蕭斉⇒蕭梁⇒陳⇒⇒⇒⇒⇒隋
河西 東漢⇒孫呉⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒西晋⇒東晋⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒劉宋⇒蕭斉⇒蕭梁⇒陳⇒⇒⇒⇒⇒隋
後燕、南燕、西燕、北燕
大夏
張涼、拓跋涼、呂涼、沮渠涼、李涼 河西−−河東−河北−遼東
\ \ / \ /
関中−河南−山東
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漢中…湖広 淮南
│ │ │
四川−湖広−江東
│ │ / │
南中−嶺南−−台湾 河西−−河東−河北−遼東
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関中−河南−山東
│ │ │
漢中…湖広 淮南
│ │ │
四川−湖広−江東
│ │ / │
南中−嶺南−−台湾 河西−−河東−河北−遼東
\ \ / \ /
関中−河南−山東
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漢中−湖広 淮南
│ │ │
四川−湖広−江東
│ │ / │
南中−嶺南−−台湾 河西−−河東−河北−遼東
\ \ / \ /
関中−河南−山東
│ │ │
漢中−湖広 淮南
│ │ │
四川−湖広−江浙
│ │ / │
南中−嶺南−−台湾 >>210
斜め上の行動するヤツばっかだからみてて飽きないからな
そして同年代に生まれてたら絶対会いたくない こいつら基地外すぎだろw
この人時代の人々カワイソ〜
っていう感じ
絶対会いたくないというか塀の中に放り込む世の中であってほしいよ 虐殺しまくりの中国人と天皇をぶん殴る日本人
嗚呼素晴らしき南北朝 日本も中国も南北朝時代は結構面白いんだけど、全っっ然人気ないよね。 戦前は歪んだ形で人気あったぜ>太平記
でも主上に対する忠だの義なんざより
寄って至尊の馬車に矢駆けたり、他人の嫁寝取ったり、癇癪起こして火つけて回ったりするような連中の方が読んでて楽しい罠
改めてコイツらと比べて斯波高経のしょっぱい事、しょっぱい事 >>223
ただ単に有名な資料がないからでは
三国だって演義が無ければ五胡や南北朝と大して変わらない人気だったろう 斯波やんは新田義貞倒してるんだぜ。マグレで
でも観応の擾乱で直義に味方して大失敗するんだぜ
尊氏に帰順したら親族筆頭なのに管領やらされるんだぜ
だが尊氏死後は道誉と組んで政治を壟断するんだぜ
だが調子こいて道誉を蹴落としたら、蹴落とされ返されるんだぜ!
いやぁしょっぱいッスw
神木やってきただけでギブするあたりも そろそろ斯波厨ゼロセンチ先生の憤怒の擁護レスが付く頃だなw >>219
多分時代ごとの支配者の推移とかを示してるんじゃない?
なんで同じの四つ投稿したかはわからんが。 石勒、石生、石虎、苻堅、苻融、拓跋Z
慕容恪、王猛、慕容垂、拓跋珪、高歓、韋孝寛
劉曜、苻健、姚萇、赫連勃勃、宇文泰
慕容恪、呂光、斛律光
祖逖、桓温、謝玄、劉裕
謝艾、冉閔、陳慶之、侯景 >石虎と冉閔の関係なんて始皇帝と項羽みたいだ
始皇帝と項羽に比べると石虎と冉閔は小物感が >>75
>慕容垂も名将と言えば名将だが、枋頭の戦いの寸前まで、何の有効策も打ち出せて
いない時点で、兄貴や桓温に劣ると言わざるを得ん。
有効策を打ち出せなかったのは慕容垂ではなく皇帝である慕容暐の責任なのでは。桓温
が枋頭までやってきて前燕の存続が脅かされるような事態になってようやく垂に出撃が
命じられたわけで。用兵に関していえば恪や桓温にも劣らないと思うよ。
>>239
慕容垂の立場ってのは、本人の預かり知らぬところで千変万化しているからなあ。
幼い頃は、嫡子である慕容儁を差し置いて、危うく王位を継がされる可能性も
あったわけだし。
(慕容皝の嫌な部分が、この独善性というか俺流采配、自分がどういう風に骨肉の
争いで国力を減衰させたか理解しているのか?)
慕容儁が偉いのは、父親のように偏愛を受けていた弟に嫉妬心丸出しで粛清に
動かなかったところ、まあ、冷遇するだけはしているけど、殺されるよりマシだしな。
徹底的に犬扱いしないと家臣の中に慕容垂擁立派らが勘違いして、いつおかしな
行動に出るか分からない部分もあった。
慕容恪時代は、皇族としてそれなり扱われていたが、慕容評一頭輔政体制に
なってからは、冷や飯ぐらいに逆戻り。
慕容評が対桓温戦でにっちもさっちも行かなくなって、ようやく慕容垂起用
枋頭で勝つには勝ったが、その後専横するのではないかと疑われ、政争に巻き
困れるのを忌避して前秦へと亡命
政治的無能という意味では、実は韓信に匹敵していると思う。
もうちょっと如才なく世渡りできなかったのか?とやきもきする。 戦場では人の心理を完全に把握してる韓信でも
それ以外ではKYすぎるよな 五胡の連中を調べてみると、三国の連中って本当戦下手だな〜と思う >>249
いやそら単純に、戦術は常に進歩してるわけで…
三国末に登場し当時としては画期的でその後陣のスタンダードとして晋代に学ばれる諸葛亮の八陣も
唐代には学ぶべき「「古典」として扱われたりするわけで
三国時代の連中が五胡十六国時代の人に比べて戦術に劣るのは当然 誰だ?私になりすましてコピペを貼りまくっている奴は。
あっちのスレは復活してますよ。
>『岡田有希子個人だけが悪いというつもりはありません。
サンミュージック、マスコミをも含めて、結果的に後追い死を後押ししたじゃありませんか?
芸能人は公人であると思います。
いくら病気だと言っても社会的責任は大なのではないでしょうか?
起こってしまったことは覆水で片づけてしまう、嫌な人間の典型ですね。
他人事なのでいい加減な意見を言えて良かったですね。
偉そうに「全然違う」なんてバカみたいだわ。』
ちゃんと残ってますし。
私はしょぼい横浜のボートショー見学で昼間は忙しくて書き込みなんかしでませんよ。
それにしても支配されまくりの民族は性根が腐敗したキムチのような若者が多いのですなぁ。 >>249
五胡の連中も勝ったり負けたりだろ。
しかもちょっとした流民集団や、前線に孤立した西晋の遺臣にすら手を焼いてたり。
むしろ三国時代より劣化してる印象。 >>253
「軍隊」というシステムはかなり劣化した印象を受けるな、まあこれは三国時代
(と言うか後漢末の群雄割拠のときか)も似たり寄ったりだが。
兵戸なんて、こいつらどんだけ悲惨なんだよ、って思わず同情しちまうわ。
士気・戦闘技術という点では、古代の徴兵制度の方が優秀だったわけだし。
変わりに封建的な軍集団が登場してきて、そういう意味では中国史っぽくない、
そこが実に面白い。
姚氏集団は清河県摂頭に所領を拝領して代々後趙政権に忠節を尽くしていた
わけで、もしかしたら中国でも封建制が成り立つ可能性があったのかもねえ、と
思わずにはいられない。 『全受十一忠臣』
1.聖臣崇史 ◆Qkp4Ei7yxhvq
2.ロコ三郎@覇者 ◆WtHvCBV3ec
3.ロコグリーン ◆S0Y6frChLY
4.婿太郎 ◆2MaGImm7QI
5.毛利くりいむ ◆LcWo0af1rc
6.毛利ころっけ ◆JidtdsCF/k
7.学徒退陣 ◆/QdDAP1aoo
8.学徒出国@内大臣 ◆OFRXCy/wKA
9.ぴょこたん ◆oKiIL74RrU
10.婿サイド ◆lPagINbUhE
11.可児光線@長屋王 ◆x/0doukDZE 羊 献容たんの人生劇場(女の花道)
286年 生まれる
↓
300年 14歳で恵帝の皇后となる
↓
301年 司馬倫が皇帝位簒奪→皇后廃位
↓
301年 司馬倫あぼーん→復位
↓
304年2月 廃位
↓
304年7月 復位
↓
304年8月 廃位
↓
304年11月 復位
↓
305年4月 廃位
↓
305年11月 復位
↓
305年11月 廃位
↓
306年6月 復位
↓
306年11月 恵帝死去。皇后位を去る
↓
311年 洛陽が前趙の劉曜らの攻撃を受けて陥落 → 無理やり劉曜の嫁にされる。3人の子をもうける。
↓
316年 長安が陥落して西晋アボーン
↓
318年 劉曜が皇帝に即位。皇后に立てられる。
劉曜「俺と恵帝と比べてどう?」
羊「あなた最高よ。ワイルドな男って素敵!あなたに逢えて良かったわ。ああん、幸せ!」
↓
322年 享年36。劉曜マジ泣き。立派な墓を建てる。
>>258
>無理やり劉曜の嫁にされる
これはラッキーだったと思うけどな。
301年〜310年頃なんていつ殺されてもおかしくなかった。 >>258
劉曜は自らの容姿に結構コンプレックスがあったみたいだし、
劉聡以外の一族からの評価も低かったようだから、皇帝即位以前は、現在ほどの
評価は受けていなかったと見た方がいいと思う。
(宮崎市定先生は割かし高評価だったけどね。)
羊献容はそれこそ人間扱いなんかされていない、完全にモノだ、モノ
皇太后の座をゲットしようと画策して頓挫する場面なんか見てらんない。
バックも全滅しているから、実害なしと見積もられて生きながらえているし、
ここまで扱いの悪い(と言うか軽い)元皇后も珍しい。
人外扱いの堅物と道具扱いの小娘、異色ではあるがお似合いのカップルだな。 河西−−河東−河北−遼東
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関中−河南−山東
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漢中−南陽 淮南
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四川−荊楚−江東
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南中−嶺南 河西−−山西−河北−遼東
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関中−河南−山東
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漢中−南陽 淮南
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四川−荊楚−江東
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南中−嶺南 羊献容はカオスの中よく生き残って女の幸せを掴んだなあ 东汉桓帝时期到三国归晋时期,中国人口缩水了90%
而晋朝孝惠皇帝为了充实人口,收容了塞外异族充实人口,最后导致了后来的汉胡矛盾。
不过五胡时代的开启并不是异族取代了汉族,而是异族成为了汉族。
胡人进入了中国,最后却在相互的撕杀战乱中接受了中国的文化。
而在今天,中国国内汉族和少数民族都已经认同了大家属于共同的民族,那就是中华民族。 中国的国学也在历史不同时期兼容并蓄。
中国的国学,以商周易学为源头,先秦诸子百家为根本,涵盖了两汉经学,魏晋玄学,隋唐佛学,宋明理学。
集中体现出来的是以儒家,道家,释家的思想为本。
以名家,墨家,兵家,纵横家,阴阳家的理论为辅。
其中主要体现了“道コ为本,才智为辅”的文化特性。
而韩国所谓的儒学,不过是中国儒家学说的皮毛而已,而儒家学说,也是对中国最有影响的国学之一而已。 对了,还有法家,不过法家的代表人物名声都不太好,而且结局都不太好。
秦朝重视法家学说,商鞅李斯这些法家人物最后都被杀了,而曹操也是法家的代表人物,在中国名声总是不好。 王猛と慕容恪はどちらが優秀だろうか。
どちらも死ぬには早過ぎた。後10年長生きしていれば歴史も多少は変わったかも知れないし。
王猛と慕容恪の直接対決も実現したかも知れないしね。 >>270
>>267をエキサイト翻訳。
後漢の桓帝の時期に三国に着いて晋時期に帰って、中国の人口は90%水にぬれると縮みました
晋朝孝の恵みの皇帝は人口を充実させるため、長城の外の異なった民族を収容して人口を充実させて、最後に後から来る漢の胡矛盾を招きました。
でも5人の胡の時代の開くことは異なった民族が漢族に取って代わったのではありませんて、異なった民族が漢族になったのです。
胡人は中国に入って、最後に相互引き裂いて戦乱を殺します中で中国の文化を受け入れました。
ある今日、中国の国内の漢族と少数民族はすべてすでにみんなを認めて共通の民族に属して、それはつまり中華民族。
なんとなく意味が分かってくるから面白い。 >>271
王猛って石虎とか冉閔の時代は何してたんだろう? >>271
両名とも、実力・実績ともに文句なしの傑物だからなあ。
直接決戦があった場合は、マジで決着が読めない名勝負になりそう。
まあ、どんな苦境に陥っても精鋭数千騎で戦況を簡単に引っ繰り返してしまう
慕容恪の方がロマン度で一枚上手か?(こればかりは、本当に卑怯だと思う。
戦略を解し、戦術に通じ、用兵に長けた上で博打が打てるような人間だからだ。)
王猛の場合は、情報戦から戦場まで一挙に引き受けるオールラウンダー、
ある意味反則級なんだが、慕容恪相手にはすごく物足りない、分が悪い。
戦勢を支配することはできるが、戦勝の決を得るには決定力に欠ける。
まあ、この両名ともにNo2の座で光る人材だとは思うけど、こうなってくると
トップの采配如何のような気もしてくるな、そういう意味では苻堅率いる前秦が
有利か、つーか前燕は慕容恪一人で屋台骨支えている状況だから、総合力では
圧倒的に不利なんだよなあ。
限定的な局面では慕容恪、総合的には王猛が優勢となるンじゃないかな?