最近五胡十六国〜南北朝について調べてるんだけど面白いな
曹操 28,7倍
司馬炎 40,1倍
石虎 17,8倍
桓温 5,8倍
劉裕 3,1倍
蕭衍 8,,7倍
陳覇先 13,5倍 五胡〜南北朝の軍人の単純な強弱であったならば
1 韋孝寛
2 劉裕
3 冉閔
これぐらいで落ち着きそう、宇宙大将軍は出オチすぎるだろう、戦績的に考えて
曹操や石勒も上記三名の神懸り的強さとと比べたら、一歩譲らざるを得まい
個人的には、三国鼎立してたときの慕容恪、桓温、王猛のガチ対決が見たかった
そして、やっぱり陳覇先は過小評価されすぎ >>146
宇宙大将軍さまは空前絶後の実力を持っているので比較にならない。
むしろ比較しないことこそ他の木っ葉将帥に対する慈悲であるといえよう。 陳覇先は地味に名将なんだよな
宇宙大将軍さまや王僧弁を撃破しているし >>147
ガチ勝負したら負けたほうが袁紹扱いされますよ >>151
能力は十分すぎるほど高い、ただし協調性のなさは最悪
慕容評が奸臣として評されることが多いが、ありゃあ単純な善悪二元論じゃなくて
慕容垂との熾烈な権力抗争だったと見るべきでは?
そもそも、財貨に貪欲だったとか何とか言われているが、腐敗国家前燕では、豪族や
権力者たちによる荘園経営が盛んで、零落した庶民の囲い込みが酷かった。
慕容評ひとりだけの問題ではなくて国家全体での問題だったのに、よくもまあ個人に
罪を擦り付けたもんだよな、とは思う。
で、慕容評が慕容垂に対して激しく悪感情を抱いていた理由は、(慕容垂本人の
意思とは無関係だが)彼が第2の慕容翰・慕容仁になることを恐れていたからじゃ
ないのかな?慕容評は兄たちの骨肉の争いにより、兄弟のほとんどを失ってしまっている。
国家経営の面で見ても、この時の損害はその後に大きな影響を残している。
「お前は、どうして慕容恪のように慎ましく陛下に仕えることができぬのだ。」
慕容評にしてみれば、折角自分や慕容恪が身を引いて幼帝を尊重しているという
のに、なぜ慕容垂に限ってこんなにも自己主張が強く、才気煥発なんだか、
内心苦々しく思っていたことだろう。
慕容恪の寿命がもう少しだけ長ければ、何とか人間関係は破綻せずにすんだろうに。 >>147
韋孝寛が戦場では歯が立たなかった斛律光が最強だな。 >>153
戦場で勝てないと分かるや否や、搦め手から情報戦を仕掛けて
北斉の君主自らに粛清させるんだから、韋孝寛どんだけ化けモン
なんだよ、って話だと思うんだが。
「天才軍師」という「幻想」に最も実像が近い人物だと思う。 慕容垂は息子が戦いで大敗して
その尻拭いの最中に死んだり大変だよな
苦労しすぎ
前に苦難スレがあったな>慕容垂と共に苦難を乗り越えていくスレ 西晋vs前趙
前趙
前趙vs後趙
後趙
gdgd
前燕vs前秦
前秦
gdgd
北魏vs夏
北魏
東魏・北斉vs西魏・北周
北周
隋 西晋
西晋vs前趙
前趙
前趙vs後趙
後趙
gdgd
前燕vs前秦
前秦
gdgd
北魏vs夏
北魏
東魏・北斉vs西魏・北周
北周
隋 この時代って三国時代より生き抜いたり出世したり実績残したりするの難しそうだな 支配領域の広さだと
宋>東晋>斉>梁>呉>陳
って感じかな? >>163
南朝の最大版図は、劉裕が東晋の武将だった頃(後秦併呑後)だから
あながち間違ってもいない。
陳はぶっちゃけ、広東からあそこまで領土広げているから、別の意味で凄い
段韶は北斉最強クラスの将軍だし、一回負けたところで評価は下がらない。
つか、考えてみたらこの時代は歴史的名将がやたらと多いな。 >>169
いや、東西両魏の対立期は両国とも国力の疲弊が頂点に達して
決着をつける体力すら尽きて、決定打がついぞ出なかった消耗戦
決定的な名将が出なかった、というか小粒揃いだったと言わざるを得ない。
そんな中で、斛律光・韋孝寛の両名はかなりの高レベル 地味だけど陳の呉明徹て武将が蘭陵王撃破しているらしい 216 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2009/06/03(水) 00:23:40
Wなんとかに大敗することで三戦の歴史の表舞台に現れたうんぴは、
八戸のぶながとともに三戦だけでなく夢板や電波板を荒らしまわりアンジェに諌められる。
その後、三戦皇帝クマッタに挑むも一敗地に塗れたことでアンジェを裏切りクマッタに従属、
再び横暴の限りを尽くすも最期は朋友と信じていたひょーりみによって息の根を止められた。
五胡十六国時代にいそうだな、こういう奴。
218 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2009/06/03(水) 00:29:10
>>216
新党党首失脚時
選定侯案審議時
アンジェを都合二回裏切ってるよな
221 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2009/06/03(水) 00:36:00
>>218
トラビアンでも裏切ってるから計三回だな でも宇宙大将軍のおかげで梁が分裂して益州方面や江陵を失ったからな
実質南朝崩壊の立役者の宇宙大将軍 274年・・・羯族の部落小帥・周曷朱の子として誕生。
漢人に能力を認められていたが、并州の飢饉戦乱で部落離散し洛陽に行商となる。
(このとき王衍とニアミス)
?年・・・司馬騰捕らえられた後、師懽(山東の民家)に奴隷として売られる。
しかし、師懽認められ自由の身となる。汲桑(師懽の知人)の元に身を寄せる。
301年・・・八王の乱に乗じて、群盗となり各地を転戦。
(この時の仲間が後の十八騎となる。)
305年・・・司馬穎配下の公師藩が起兵すると汲桑と共に合流。石勒と名乗る。
306年・・・公師藩が苟晞に討たれ、逃亡。
307年・・・司馬越と司馬騰打倒を名目に反乱。司馬騰を敗死させるが、苟晞に敗れ逃亡。
劉淵に帰順し、輔漢将軍・平晋王となる。更に烏丸を帰順させ、督山東征討諸軍事を加号される。
同年、汲桑は晋軍によって敗死。
308年・・・劉聡の先鋒として壺関を陥落させる。劉淵が皇帝を名乗ると、平東大将軍となる。
漢人の張賓が参謀として加わる。
309年・・・劉淵から安東大将軍とされて開府した。鉅鹿・常山を攻め、君子営を作って漢人の知識人を集める。
段務勿塵に大敗するも、その後の洛陽からの討伐軍に勝利し、劉淵から鎮東大将軍とされた。
310年・・・劉淵死去。劉聡が即位すると并州刺史となり、汲郡公に封ぜられる。襄陽を攻略。
311年・・・洛陽を攻める。(永嘉の乱)東海王司馬越の葬列を襲って、西晋の太尉王衍を捕らえて殺した。
他、10万人近くを殺害し、司馬越を棺ごと焼き払う。劉曜と王弥と合流し、洛陽を陥落。
苟晞を破り配下にするも、謀反を起こしたため殺害。また王弥が自分を殺害しようとしたので、
王弥を誘い殺し(宴会)てその部下を併せ、襄国を拠点として幽州・并州の経略にあたる。劉t(を破る。
劉t(が、母の王氏と養子(石虎)を手に入れ、石勒の元へ送り届けて晋への帰順を促したが、
帰順はせず、珍宝でもって返礼とする。
312年・・・王浚の命をうけた段疾陸眷らと対決、段末波を捕らえる。段疾陸眷は段文鴦
の反対を聞かず、段末波との交換で和睦に応じる。
314年・・・張賓の助言もあり、偽りの帰順で王浚を滅ぼして河北を平定。
318年・・・劉t(を滅ぼす。劉聡死去。大司馬・大将軍となる。後継ぎの劉粲が耀準に殺され
討伐に向かった。耀準の後を継いだ、耀明を破ると劉淵と劉聡の墓を修復し、劉粲を葬った。劉曜が即位する。それにより、趙公となる。
319年・・・帰順の使者が讒言を信じた劉曜によって殺害されたため劉曜と対立し、
趙王を称する。
323年・・・青州の曹嶷を滅ぼす。
324年・・・劉曜の前趙と交戦状態となる。
325年・・・洛陽を領有。
328年・・・洛陽で前趙軍を破る。(329年?)捕らえた劉曜を処刑する。
329年・・・前趙を滅ぼす。天王を称する。
330年・・・皇帝に即位する。
333年・・・死去。 ※石勒が行商人の頃、王衍が通りかかった。通り過ぎた後しばらくして、”さっきの行商人の面構えが気になる。
晋に災いをもたらすかも知れない。”と考え捕まえようとしたが、既にいなかった。
※王衍が捕まったとき”私に出来ることはなかった、よって罪はない”と、
ありえない保身の弁明(王衍は大尉で晋の重臣)をするが、
”いや、お前が原因だから”と言って殺害。
※劉コンが母と養子を送り届け帰順を促した時は、宝物を渡し、使者を丁重にもてなし
”人には人それぞれの生き方がある、あんたは晋に尽くせ、俺は夷狄”
※劉曜が讒言を受け、石勒の使者を殺したときは
”テメー俺がどんだけ劉家に尽くしたか知ってんのか?もともとお前の基盤も
俺が作ったんだぞ!それが皇帝になった途端、邪魔者扱いかよ。趙王も趙帝も、
俺が自分でなってやるわ”
※部下に自分の実力は?と聞いたとき、漢の高祖以上です、と答えられ
”それはいい過ぎ、もし朕が高祖に会ったら、部下になる
光武に会ったなら、張り合って雌雄を決するだろう。(しかし)大丈夫(立派な男)たる者、
磊磊落落(「磊落」の強調)、日月が明るく輝くように物事を行うべきであって、
曹操や司馬懿親子のように、孤児(献帝)や寡婦(郭太后)を欺き、
狐のように媚びて天下を取るような真似は絶対にできない」と。
※段末破を捕らえた時、丁重にもてなし
"俺たちはもともと仲間だ。何で晋の為に戦うのかよ"
と言って父子の契りを結んだ
段末破は死ぬまで石勒の方角を向いて小便しなかった
※劉曜は捕まった時、以前に戦争で捕らえられた親族(劉胤)が生きているのを知り
"俺がこうなったのは当然だ。石勒は慈悲深い、俺はヤツの親族殺したのに"と言った
※石勒は字が読めなかったので人に読ませて聞いていた
ある日高祖の伝を聞いているとレキイキが高祖に各地に散らばった王族の子孫を
各地に封じるよう助言した話が出た。それを聞いた石勒は
"それは間違いだろう。そんなことしてどうやって天下取れるのか?"
と言った。張良の助言で取り止めになった、と聞くと
"それでこそ" 石勒はなぜ石虎のような基地外を可愛がったのだろうか 徐光が石虎は危険だから誅殺するように、との意見も無視したしね
石勒も一応死ぬ前に釘さしてるけど
石勒は親征あまりしなかったから、身内で使える石虎は大事だったのかも
>>179
石虎の軍功が抜群だからだろうな。
耄碌してから惨敗の繰り返しだったが、少なくとも石勒の片腕として働いていたときは、
幽州での段部攻略を筆頭に、青州、徐州、豫州そして劉曜敗亡後の関中併合と
凄まじい活躍のしすぎ、ぶっちゃけ夏侯淵や杜預なんて格下と言っても良いくらいだ。
後の時代を見ても、慕容兄弟ですら石虎の獲得した領土は切り取れていないんだから、
この時代のトップクラスの猛将として扱ってやって然るべき。
簒奪後の駄目っぷりとロリコンは擁護しきれないが。 石虎は切り札的に考えていたんでないか、石勒としては。自分なら制御できるという自
信があったからかも。 劉曜もスゲーよ
白髭に赤目、神射と呼ばれる弓の達人
アル中で戦の最中でも呑んだくれ
石勒との決戦の時も飲み過ぎで酩酊、敗れる原因に コーエー風に分けると各部門トップは誰かな?
統率…慕容垂、石勒
武力…
知力…韋孝寛
政治…王導
魅力…
冉閔は姜維的な強さだから迷うよな 統率…拓跋Z、劉裕
武力…楊太眼、蕭摩訶
知力…王猛、陳慶之
政治…王猛、元宏
魅力…苻堅 その人物が一代で獲得した領土で比較するなら
華北制圧組
苻堅(ただし王猛のアシスト大)、石勒、拓跋Z
関東制圧組
慕容恪、王猛、慕容垂、拓跋珪、高歓、韋孝寛
関中制圧組
劉曜、苻健、姚萇、赫連勃勃、宇文泰
僻地遠征組
慕容恪(高句麗・宇文部・段部・烏桓)、呂光(西域)、斛律光(突厥)
北伐組(領土を分捕った人)
祖逖、桓温、謝玄、劉裕
分類不可(領土は取れてないが、変態的な強さ)
謝艾、冉閔、陳慶之、宇宙大将軍
国さえ崩壊しなかったら苻堅の功績は滅茶苦茶凄えんだよな、本人も決して戦下手ではないし。 項羽って何で字で呼ばれるんだ?
蒋介石って何で字で呼ばれるんだ? ふけんの目をこすって驚くシーンが何とも物悲しい・・・ >>171
呉明徹はうんこちゃん。最悪。名家の威光をかさに着て威張り散らすだけの小物よ。
部下にむりやり引き入れた蕭摩訶が頑張ったから、勝利の名誉を得られただけ。 司馬炎全国統一
司馬炎死去
八王の乱
劉淵が漢を建国、李雄が成建国、張軌が涼建国
劉淵が皇帝を名乗る
劉淵死去
漢の劉聡が晋(西晋)を滅ぼす
司馬睿が晋(東晋)建国
劉曜が漢を趙(前趙)に変更、出自が異民族であることを告白
石勒が趙(後趙)を建国
後趙石虎により前趙滅亡
李寿が成を漢(成漢)に変更石勒華北をほぼ統一、皇帝を名乗る
慕容【皇光】が燕(前燕)建国
石勒死去
後趙の冉閔により後趙を滅す
前燕が冉閔(冉魏)を滅す
苻洪(蒲洪)が秦(前秦)を建国
苻建が秦皇帝を名乗る
馬鹿と言えば
王猛の「攻めるなよ」を
ダチョウ倶楽部的に理解した苻堅 石虎で思うんだけど、漢民族って人口多いはずだよな?
懐柔する必要なかったの? 石虎「ところで「コロッセオ」ってさあ
「殺っせよ」ォォ
って 聞こえない?なあ〜?
国語の先生よォォォォォ
あんたを殺っす前に聞くけどよォ〜〜〜〜」 陳舜臣の小説十八史略でこの時代の流れ知ったけど、他は全然知らないな
歴史シミュで西晋末期〜北魏の河北統一あたりまで、シナリオ10個くらいに分けて作ってくれたら面白そうなのに
まあ商業的に売れなさそうなら、誰も作ろうとしないか……ゲームでも小説でもましてや映画(笑)とか 五胡は三国と違って民族同士の争いがあるから面白い
石虎と冉閔の関係なんて始皇帝と項羽みたいだ 河北 東漢⇒孫呉⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒西晋⇒東晋⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒劉宋⇒蕭斉⇒蕭梁⇒陳⇒⇒⇒⇒⇒隋
山東 東漢⇒孫呉⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒西晋⇒東晋⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒劉宋⇒蕭斉⇒蕭梁⇒陳⇒⇒⇒⇒⇒隋
河南 東漢⇒曹魏⇒⇒⇒⇒西晋⇒⇒⇒⇒漢⇒⇒石趙⇒⇒⇒⇒冉魏⇒前燕⇒苻秦⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒元魏⇒高斉⇒⇒⇒宇文周⇒隋⇒⇒⇒
関中 東漢⇒曹魏⇒⇒⇒⇒西晋⇒⇒⇒⇒⇒漢⇒前趙⇒石趙⇒⇒苻秦⇒⇒⇒⇒⇒⇒姚秦⇒⇒⇒⇒⇒元魏⇒宇文周⇒隋⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒
四川 東漢⇒蜀漢⇒曹魏⇒西晋⇒⇒⇒⇒成漢⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒東晋⇒⇒⇒⇒苻秦⇒⇒譙蜀⇒東晋⇒劉宋⇒蕭斉⇒蕭梁⇒宇文周⇒隋⇒⇒
江南 東漢⇒孫呉⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒西晋⇒東晋⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒劉宋⇒蕭斉⇒蕭梁⇒陳⇒⇒⇒⇒⇒隋
河西 東漢⇒孫呉⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒西晋⇒東晋⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒劉宋⇒蕭斉⇒蕭梁⇒陳⇒⇒⇒⇒⇒隋
後燕、南燕、西燕、北燕
大夏
張涼、拓跋涼、呂涼、沮渠涼、李涼 河西−−河東−河北−遼東
\ \ / \ /
関中−河南−山東
│ │ │
漢中…湖広 淮南
│ │ │
四川−湖広−江東
│ │ / │
南中−嶺南−−台湾 河西−−河東−河北−遼東
\ \ / \ /
関中−河南−山東
│ │ │
漢中…湖広 淮南
│ │ │
四川−湖広−江東
│ │ / │
南中−嶺南−−台湾 河西−−河東−河北−遼東
\ \ / \ /
関中−河南−山東
│ │ │
漢中−湖広 淮南
│ │ │
四川−湖広−江東
│ │ / │
南中−嶺南−−台湾 河西−−河東−河北−遼東
\ \ / \ /
関中−河南−山東
│ │ │
漢中−湖広 淮南
│ │ │
四川−湖広−江浙
│ │ / │
南中−嶺南−−台湾 >>210
斜め上の行動するヤツばっかだからみてて飽きないからな
そして同年代に生まれてたら絶対会いたくない こいつら基地外すぎだろw
この人時代の人々カワイソ〜
っていう感じ
絶対会いたくないというか塀の中に放り込む世の中であってほしいよ 虐殺しまくりの中国人と天皇をぶん殴る日本人
嗚呼素晴らしき南北朝 日本も中国も南北朝時代は結構面白いんだけど、全っっ然人気ないよね。 戦前は歪んだ形で人気あったぜ>太平記
でも主上に対する忠だの義なんざより
寄って至尊の馬車に矢駆けたり、他人の嫁寝取ったり、癇癪起こして火つけて回ったりするような連中の方が読んでて楽しい罠
改めてコイツらと比べて斯波高経のしょっぱい事、しょっぱい事 >>223
ただ単に有名な資料がないからでは
三国だって演義が無ければ五胡や南北朝と大して変わらない人気だったろう 斯波やんは新田義貞倒してるんだぜ。マグレで
でも観応の擾乱で直義に味方して大失敗するんだぜ
尊氏に帰順したら親族筆頭なのに管領やらされるんだぜ
だが尊氏死後は道誉と組んで政治を壟断するんだぜ
だが調子こいて道誉を蹴落としたら、蹴落とされ返されるんだぜ!
いやぁしょっぱいッスw
神木やってきただけでギブするあたりも そろそろ斯波厨ゼロセンチ先生の憤怒の擁護レスが付く頃だなw >>219
多分時代ごとの支配者の推移とかを示してるんじゃない?
なんで同じの四つ投稿したかはわからんが。 石勒、石生、石虎、苻堅、苻融、拓跋Z
慕容恪、王猛、慕容垂、拓跋珪、高歓、韋孝寛
劉曜、苻健、姚萇、赫連勃勃、宇文泰
慕容恪、呂光、斛律光
祖逖、桓温、謝玄、劉裕
謝艾、冉閔、陳慶之、侯景 >石虎と冉閔の関係なんて始皇帝と項羽みたいだ
始皇帝と項羽に比べると石虎と冉閔は小物感が >>75
>慕容垂も名将と言えば名将だが、枋頭の戦いの寸前まで、何の有効策も打ち出せて
いない時点で、兄貴や桓温に劣ると言わざるを得ん。
有効策を打ち出せなかったのは慕容垂ではなく皇帝である慕容暐の責任なのでは。桓温
が枋頭までやってきて前燕の存続が脅かされるような事態になってようやく垂に出撃が
命じられたわけで。用兵に関していえば恪や桓温にも劣らないと思うよ。
>>239
慕容垂の立場ってのは、本人の預かり知らぬところで千変万化しているからなあ。
幼い頃は、嫡子である慕容儁を差し置いて、危うく王位を継がされる可能性も
あったわけだし。
(慕容皝の嫌な部分が、この独善性というか俺流采配、自分がどういう風に骨肉の
争いで国力を減衰させたか理解しているのか?)
慕容儁が偉いのは、父親のように偏愛を受けていた弟に嫉妬心丸出しで粛清に
動かなかったところ、まあ、冷遇するだけはしているけど、殺されるよりマシだしな。
徹底的に犬扱いしないと家臣の中に慕容垂擁立派らが勘違いして、いつおかしな
行動に出るか分からない部分もあった。
慕容恪時代は、皇族としてそれなり扱われていたが、慕容評一頭輔政体制に
なってからは、冷や飯ぐらいに逆戻り。
慕容評が対桓温戦でにっちもさっちも行かなくなって、ようやく慕容垂起用
枋頭で勝つには勝ったが、その後専横するのではないかと疑われ、政争に巻き
困れるのを忌避して前秦へと亡命
政治的無能という意味では、実は韓信に匹敵していると思う。
もうちょっと如才なく世渡りできなかったのか?とやきもきする。