驚くべきことにサンフランシスコ講和条約の最後の一文は、こうなっています。
"DONE at the city of San Francisco this eighth day of September 1951,in the English,French,and Spanish languages,all being equally authntic,ando in the Japanese language."この一文を発見して私の正直な感想は「やられた!」です。
もしかしたらこのことに気がついた日本人は五五年たって私が最初ということなのでしょうか?

all being equally authenticつまり「全て等しく正文」であるのは、英語、フランス語、スペイン語版だけなのです。その後にカンマで区切られてand in the Japanese languageとなっています。
訳せば「一九五一年九月八日にサンフランシスコ市で成立した。英語、フランス語並びにスペイン語各版において全て等しく正文である。そして、日本語版も作成した。」と書かれているのです。つまり条約として有効なのは、英、仏、西語の文章のみであり、日本語訳はあくまで参考ということです。

ところが、和訳では、「一九五一年九月八日にサンフランシスコ市で、等しく正文である英語、フランス語及びスペイン語並びに日本語により作成した」とされている。これでは日本語版もまるで正文のように日本人に読ませる訳文です。「やられた!」です。

一九五一年十月二六日には、衆議院でこの日本向けの和訳文である講和条約の「日本語正文」が承認されていますが、実際のところは「日本語正文」というのは存在しないのですから、正式には国会はサンフランシスコ講和条約を批准してはいないということになります。

条約として有効な英語、フランス語、スペイン語版の条約原文と、日本人に「独立国」としての幻想を与えるための、条約文としては正文ではない、日本人向け超訳版というのが分けられて作られていたということでしょう。

これが憲法なら原文が英文でも日本の国会で成立すればその日本語訳が効力を持ちますが、条約は英、仏、西語のみが効力を持つのですから、条約の原文を読む限りでは、調印した国連各国は、日本を独立国家として承認しているとは、どうしても私には読むことができません。もちろん、連合国だけでなく当時の吉田内閣も、日本人には、独立国として認められたと思わせたかったのでしょう。