●領土問題の世界的権威、半月城教授の最新見解 半月城教授GJ!
1900年大韓帝国勅令41号に欝島郡の管轄区域として記載された「石島」の比定問題における日本の動向は次のとおり。
下條正男はかつて「島項(観音島)」説を主張したが、『100問100答』では自説の根拠を踏襲しなかった。自説を撤回
したといえる。塚本孝や山崎佳子は新聞記事に書かれた「該島地方」などを「欝島郡」と勝手に解釈し、石島は竹島
=独島でないとしていて適切ではない。池内敏は竹島=独島を「石のようだ」とする文献史料がないので同島を石島
と呼んだと論じるのは困難と述べるが、『朝鮮水路誌』(1894)には同島を「石のような島」と見た記載がある。同書
は勅令における石島の記載に影響を与えたといえる。資料を総合すれば、勅令の「石島」は実在する竹島=独島以外
には考えられないという結論になる。

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