>>12続キ
2.<神武天皇>は首露王の6代(または7代)の孫
『古事記』と『日本書紀』の話を総合すれば、次のような事実が浮び上がる。
@<神武天皇>は<ヒグマの村 大?の里>で育った
日本の人々は<ヒグマの村>を<大?の里>と表記するが、元々は<大きい金の村>、すなわち、日本に渡って来た首露王の七息子の中で一番上の子である四番目の息子が定着した所を<ヒグマの村>といったことが分かる。

A西紀370年(庚午年)に生まれた彼が第1次<大和王朝=ウガヤ王朝>を征服しようと<日向>を去ったのは西紀414年10月(甲寅年)なのに、その時彼の年は計算すれば45を数えたと言う。
首露王が世を去ったのは西紀199年なので、彼は首露王が逝去してから約170年後にテオエナンつもりだ。
一世代を30年と見たら、彼は首露王の5代孫の息子であり、結局首露王の6代の孫であるわけだ。