>>11続キ
そして、ここに見える<笠沙>は、今日の薩摩半島尖端にある港口だ。
すなわち、首露王の七息子たちは、雲に乗って空に上がったのではなくて、船に乗って大韓海峡を渡り、九州にある笠沙に到着したことが分かる。
その郷土誌編纂委員会が収集した資料には、彼らが初めて上陸する時、飛び石として踏んだという第一番目の岩の話を含めて、多くの遺跡が残っており、そのような事実を具体的に納得させてくれる(西暦1979年11月発行「笠沙の神話・伝説」参照)。

面白いことに、イギリスから号に乗って北米大陸に渡って来た102人の清教徒は、プリマスに上陸した1620年12月26日、初めて足を乗せたという岩が今も遺跡として保存されているという事実だ。
この<エピソ-ド>は、首露王の息子たちが初めて足を乗せたという岩の話とあまりにも似ていないだろうか!
日本の皇室の始祖の名前である<ニニギノミコト>は、<一番早い時に来た>+<神聖な人=王・天皇>を意味する言葉だ。