日本は諜報局を何故持たないのか?
0001名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2009/03/26(木) 03:21:47ID:JWFBSx/V
諜報は戦争を未然に防ぎ平和を保つために必須のものだ。
例えば、諜報機関がなかったために国家を破滅させた典型例が大東亜戦争である。
当時厭戦ムードの漂っていたアメリカ国民を戦争へと駆り立てるためには、
日本から宣戦してくると非常に都合が良かった。
何故なら優れた情報網を持つドイツは元々厭戦ムードのアメリカへの宣戦布告などしない筈だからだ。
ABCDライン等もその一環であり、諜報機関も持たぬ大日本帝国はその程度の事にも気付けなかった。
その結果アメリカへ宣戦、敗北へ進んでしまった。
周辺国との有利な外交・未来への政治の為にも情報機関は必須である。
今日本が世界第二位の経済大国となっているのは、
企業が優れた情報収集能力を持っていたおかげだ。
ソマリア内戦という国際情勢でさえ国より早く察知していた企業があるらしい。
しかし企業は企業の為の情報収集しか出来ない。
日本が生き残る為には、国の諜報局が必要だと思う。
皆さんはどうだろうか?
0101名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2009/11/09(月) 20:17:55ID:xIQ0AbWN
 満州では、石油が見つからなかった。だが、航空隊は当時、
満州領だった現中国の大慶油田の上空を度々飛行し
眼下の湖沼にギラギラと黒く輝く油膜のようなものを認め、
満州鉄道に報告していた。
満鉄は「石油が出る地層にあらず」と回答をよこし、
一度も現地調査を行わなかった。
 中国は約20年後、その場所に大油田を発見し大慶と命名。
ピーク時には、年間5000万トンの産油量を誇った。
これは第二次大戦開戦時の日本の年間消費量の10倍にあたる。
「調査さえしていれば、日本は事件後、資源を求めて南方に進出し
米国と衝突しなくてもすんだのかもしれない。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/091008/acd0910082057005-n3.htm
満鉄調査部顧問 尾崎秀秋が握り潰したという訳でんな

詳しい地図
http://www.teamrenzan.com/archives/writer/saito/warandoil10.html
 昭和9年から19年にかけて、満州各地で石油探鉱を実施
その中で、大慶油田周辺でも掘削を行った
実際に掘削した深度:1000m(600mではありません)
 その井戸で若干の油を発見したようです
 油の流動性が悪く(流れないために)諦めた
その他、日本の小規模油田でも、昭和15年ごろには
いずれも1000mを越えて掘削しております
従いまして、600mしか掘れなかったから、
大慶油田を見つけることが出来なかったというどなたかのご理解は、
やはり間違っております。
しかし、昨日申し上げましたように、仮に日本が大慶油田を見つけたとしても、
常温で固まってしまう特殊なオイルのため
当時の日本の技術では大規模な開発は難しかったと思われます。
(大慶から日本までの、パイプライン、タンカー、貯蔵タンク、製油所施設を、
全て24時間間加熱しておかねばならない
出光オイルアンドガス開発株式会社 
 取締役副社長 美谷島
http://blog.goo.ne.jp/kowmurak/e/d4351916a992f1efe1d5d2809ba26581
0102名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2009/11/09(月) 21:15:34ID:xIQ0AbWN
6、現地の資料にある「油徴地」の記載を見落としています。
実に単純なミスです。
台湾での日石の試掘からすれば、満州での試掘などレベル
が違います。
http://www.warbirds.jp/ansq/6/F2000650.html

満州事変以前にアメリカは大規模な調査を実施
公式には満州には石油は存在しないと報告
もちろん大ウソですが (^^;)
0103名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2009/11/09(月) 23:04:11ID:xIQ0AbWN
>>101
×秀秋

○秀実(ほでみ)


・ジャーナリスト・共産主義者。朝日新聞社記者、内閣嘱託、満鉄調査部嘱託職員を務める。

近衛文麿政権のブレーンとして、政界・言論界に重要な地位を占め、軍部とも独自の関係を持ち、日中戦争(支那事変)から太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直前まで政治の最上層部・中枢と接触し国政に影響を与えた。

共産主義者、革命家としてリヒャルト・ゾルゲが主導するソビエト連邦の諜報組織に参加し、スパイとして活動したが、最終的にゾルゲ事件として発覚し、首謀者の1人として死刑に処された。

Wikipediaより

延辺の石油、天然ガス開発は、実は日帝満州時代から始まったといえる。延辺で最初に石油が発見された場所は、 延吉だ。 州鉱業経済弁公室で提示された資料によると、延吉盆地で石油が露出した場所を見つけた時期は、日帝満州時代と 記載されている。

http://www.warbirds.jp/ansq/6/F2000650.html
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