「ジョグジャカルタに日本軍がやってきて数ヶ月した時、日本の青年訓練所で
インドネシアの青年に軍事訓練を施すから希望者は集まれ、というビラが貼り出された(中略)
昭和18(1943)年1月、ルビスと3名はより本格的な訓練を受ける為に、
ジャカルタ近郊のタンゲランに新しく設置された青年道場に派遣された(中略)
選りすぐった20歳前後の青年47名が第1期生として入学し、
現場の責任者の柳川宗成中尉の訓示を受けた(中略)
アジアを解放するために日本軍はインドネシアに来た(中略)
日本軍は知っていることをすべて教える(中略)
インドネシアの歴史を初めて学んだ(中略)
教官と生徒の間の一体感も生まれていった(中略)
インドネシアの若者全員に知れ渡り、全員感動しました(中略)
いまはインドネシアが独立したときの要人を育成しているのだとか、
インドネシア国軍が創設されたとき中心になる軍人を育成しているのだ(中略)
スハルトも土屋中隊長からは深い感銘を受け(中略)
まず愛国心を育てたことであり、次に死を恐れぬ精神を植え付けたことです。
さらにいえば、向上心を涵養した」