昭和天皇は、昭和21年1月、一般に「人間宣言」と称される「新日本建
設に関する詔書」を発しました。昭和52年8月23日、天皇は、その詔
書の真意について記者団に述べました。「民主主義を採用したのは、明治
大帝が思召しである。しかも神に誓われた。そうして『五箇条御誓文』を発
して、それがもとになって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決
して輸入のものではないことを示す必要が大いにあったと思います」
ここにいう「民主主義」とは、民を大切にする、民の幸福を政治の根本に
おくという意味でしょう。これは、神武天皇が国民を「大御宝」と呼び、
その後の天皇が国民に「仁愛」を注いできた伝統に根ざすものです。明治
天皇は、近代日本の創始にあたり、こうした伝統に基づいて、「民主主
義」(デモクラシー)を採用したのです。そして、昭和天皇は、「御誓
文」における明治天皇の考えを継承・実行しようとしたのでした。
昭和天皇は、次のように語っています。「もっとも大切なことは、天皇と
国民の結びつきであり、それは社会が変わっていってもいきいきと保って
いかなければならない」「昔から国民の信頼によって万世一系を保ってき
たのであり、皇室もまた国民を我が子と考えられてきました。それが皇室
の伝統であります」(ニューヨーク・タイムス、ザルツバーガー記者との
単独会見、昭和47年)ここに見られる天皇と国民の間の親子のような結び
つきこそ、わが国の国柄の基礎にあるものであり、日本的デモクラシーはそ
うした国柄の上に花開いたものだったのです。昭和天皇は、国際的にも
日本の象徴として敬われ、アメリカ・イギリスなど多くの国を歴訪し、
歓迎を受けました。昭和64年1月7日、天皇が崩御すると、ご大葬には、
世界約160国の代表が参列し、哀悼と敬意を捧げました。昭和天皇は、
日本の心を伝える存在として、内外の多くの人々の敬愛を集めたのです。
そして、それは、天皇の心底に、「民の父母」たらんとする意志があればこ
そのことだったでしょう。