Q)なぜ南雲長官は真珠湾攻撃の時、第二次攻撃をしなかったの?
A)色々理由があったようです。しかしこれは結果的に大失敗でした
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★なぜ第二次攻撃(第三波攻撃)をしなかった?

■淵田や源田のような下士官は南雲長官に第三波攻撃を具申した。燃料タンク、魚雷弾薬庫、
 整備所、ドックを目的としたものだ。特に空襲のあとハワイ占領を具申していた源田は、
 占領をしないのなら、可能な限り基地を破壊するため複数回の空襲は必要である、と確信していた。
 他の5空母の艦長も第三派攻撃をするつもりでいた。

■戦史研究家もこういった施設が破壊されていたら戦艦の損失よりも深刻なダメージを受けただろう、
 と語る。「太平洋艦隊の運用が最低1年は延期されていただろう」。ニミッツ提督は語る。
 「あと2年はかかっただろう」と。
 
■南雲は以下の理由で離脱を決断したと思われる:
 1)米国の対空砲火が第二次攻撃中飛躍的に向上し日本側損失の3分の2が二次攻撃だった。
  残った4分の3の航空機を危険にさらすことになる

 2)米空母の位置が不明だった。また基地航空隊の射程内にいる。どの位の航空戦力が残っているかも
  不明だった

 3)第三派攻撃は整備に時間がかかり攻撃後の空母着艦が夜になる。また天候が悪化していた

 4)機動部隊の燃料の状況があまり長期の滞留を許さなかった。おそらくは駆逐艦など途中で
  放棄することになったろう。

■山本長官は当初は南雲の決断を支持した。しかし後になると後悔した。
 これは大失敗であった、と。米艦隊は比較的素早く太平洋での活動を再開した。

https://en.wikipedia.org/wiki/Attack_on_Pearl_Harbor