新幹線が売れない理由の一つであった安全基準の違いは、「安全」に対する日本人の感覚の特殊性にも由来する。

世界一安全な日本の新幹線が、安全設計上の問題で売れないというのは不思議に思われるかも知れないが、これもまた事実である。

新幹線は絶対に事故が起きないことを前提にして制度設計がなされている。
そして開業以来五十年、衝突事故どころか、人身事故も一度も起こしていないという素晴らしい成果を上げている。
一方で、欧米の高速鉄道は、おそらく事故が起きた際に最悪の事態を避けるように、あるいは被害が最小限で食い止められるように設計がなされている。

「だって原発は事故を起こしたじゃないですか」
いや、原発事故を引き合いに出すまでもなく、JR西日本は、2005年の福知山線脱線事故で107名の死者を出している。
これは先進国で起きた列車事故の中でも、相当に大きな事故であった。

よく言われることだが、例えば零戦。

1940年の時点で、零式艦上戦闘機いわゆる零戦は、たしかに世界最強だった。
一対一でのドッグファイトでは、パイロットの技量が同等なら、絶対に負けることがない無敵の戦闘機だった。

しかし、零戦には、徹底した軽量化のために防御機能を極端に減らしたという弱点があった。
特にパイロットを守るための防御が弱かったとされている。
私は、基本的には、ここでも制度設計の文化の違いがあったように思う。
陸軍も海軍も、決して単純な意味で、最初から人命を軽視していたワケではないだろう。
優秀なパイロットを育成するには、最低でも3年程度の時間を要するのだから、それをムダにして良いわけがない。
それよりも、「絶対に負けない」という設計思想に問題の本質があるのではないか。
絶対に負けない飛行機を作れば、確かに防御の必要はない。だが、そのような無敵の戦闘機は、この世に存在しない。

「絶対に事故が起きない」「絶対負けない」という安全神話・不敗神話は、日本文化の特質である。
しかし、事故は起き、零戦は敗れた。