我、奇襲ニ成功セリ。太平洋戦争緒戦・真珠湾攻撃の成功を報告する電文である。
報告を受け、極秘裏に作戦を進めていた(積もりだった)関係者は、大きな開放感を
感じたことだろう。しかし、後の経緯は御存知の通りだ。奇襲とは結局、弱者の戦法
だ。多くの弱者は、当たり前の話だが、負ける。それ故か、弱者の軍勢には、裏切り
者が出易い。寄らば大樹の蔭とか云うが、「大樹」とは征夷大将軍の異称でもある。
幕府に楯突こうとしたが、裏切り者の密告によって失敗した奇襲事件を、読者は知っ
ている。<大塩平八郎の乱>だ。

 八犬伝読みの先人たちは、<画虎事件>に<大塩平八郎の乱>をも重ねて見てきた。
私も、半分だけ賛成している。事件解決後、一休宗純が唐突に現れて、虎の戻った画
幅を燃やす。そのとき一休さんは、事件の意味する所を彼一流に解釈する。画虎の出
現は、義政の驕った悪政が原因としつつも、虎自体に就いては否定的見解を示す。点
晴により画虎が実体化した事件は、学問を得たために従来は見えていなかったモノが
見えだし以て社会に不満を抱いた者が暴動を起こすのだ、と説明した。確かに平八郎
は、当時の篤学であったし、暴動を自ら経営する私塾の門弟によって組織した。一休
さんは、学問が社会不満を惹起した一例として捉えているのだろう。無知無学ならば、
社会に不満すら抱かないとの論理だ。必ずしも賛同できないが、まぁ、それは措く。
 一休さんが政治腐敗を批判する箇所と、学問によって社会不満を抱いたハネっ返り
を批判する部分とは、甚だ接続が悪い。まるで<取って付けた>ような印象だ。また、
登場人物の発話に著者は責任を持たねばならないが、著者の真意であるとは限らない。

ところで、画虎実体化事件に対する馬琴の態度を示した言葉「苛政は虎より酷しと
ぞいふなる、古人の格言思べし」は、礼記・檀弓下第四にある有名な句「苛政者猛於
虎(苛政ハ虎ヨリモ猛キ)」を出典としている。「檀弓」である。まぁ、この字句自
体は人名で、別に重要な人物でも何でもないのだが、「礼記檀弓」は言葉として有名
だったりする。また、礼記は武道の中で弓術を勧める書でもある。唐突だけど、そう
なのだ。戦争は別だが弓道の試合は、相手が如何