ではいじめっ子がどういう意味で強者なのかと言うと、他人を完全に舐めきっているのである。
その僭越な態度が、人々を畏怖させるのである。
これは偏差値が低ければ低いほど強まる傾向である。
他人を完全に舐めている猿人は恐いわけである。
良心に訴えてもまったく通じないというオーラが、すごい特別な感じを生むわけである。

知能指数100未満でもDQNは知能犯なのである。
というより、むしろ知能が低い方が、他人を馬鹿に出来るのである。
低知能には野生動物のようなオーラがあるわけである。肉体と知性が対峙した場合、知性の方が弱者となる。
人間が野人にコケにされるという構図である。知能犯とは、数学が得意な人間のことではなく、まともな良心があったら絶対やらないことを平気で出来るということである。
他人を完全に舐めてるという強さの前では、試験で勉強したことなど何ら役に立たないのである。

これは「いい人」がモテないという問題にも繋がる。
よほどハイスペックな男性であれば、いい人は謙虚な人格だと褒められるが、そうでもない限りは、弱者のおもねりと解釈される。
他人に好かれたいというのは、カースト最底辺の発想である。
少女はそういう「おもねり」が嫌いである。そして人間を舐めきっている男に股を開くのである。DQNが女を抱ける仕組みである。
真面目な男性というのは、(イケメンである場合を除いて)若い女が蛇蝎のごとく嫌う対象である。
弱者が阿諛しているようにしか見えず、そこには束縛しか見えない。
これがおばさんになると、突然DQNを嫌いだし、自分の子どもをマザコン童貞にしようとするのが女の難しさである。
「いい人」はおばさんにモテるという側面がある。
人間を完全に舐めているというDQNの世界観は、少女にとっては好ましく、
その煌びやかで舶来品のような素肌を惜しげもなく捧げていくが、
そういう若さを失い、色気も艶も無くなり苔生してくると、
真面目な男性の世界観を渋々と受諾するようになる。