>>269
ごめん、「おいら」という口語の一人称単数形で入れようとしたら、自動修正されて「俺等」(おれら)になってたw
ソース主義には理性的な議論の混乱を避ける点でとても大きなメリットもあるのだけど、しかし官僚制的な権威主義、先例主義でもある
知の枠組みじたいが変わっていく、二、三日でそれまでの常識がまるっきり非常識に変わっていくここ四ヶ月には、いつも正しいとは言えないやり方だろう

良し悪しはともかく、ここ20年の欧米そしてここ10年の中国やインド、アフリカ諸国の中産階級以上の人々が思い描いていた(政治経済社会だけでなく、文学やマンガ、アート全般でもそれはよく言われてきたし、
アーティスト、クリエイターはその未来に向かって活発に創作し続けてきた)ように、トランスヒューマニズム、ポストヒューマニズムの世界へ、いわゆるポストモダンの世界へと、コロナ禍は世界を押しやっている
15年前からグローバリズムと肥大化する巨大企業の力に抗してナショナリズムと近代国家ー政府の力を強めようとする世界主要諸国の協調行動の主体には、
それが都合いいから、コロナ禍を最大限利用しようとしている

高度な科学技術を駆使した人々の自由の拡張と、それを一定の枠内に収め続ける高度な監視社会化がどんどん進む、
(1968年世界革命の時代、仙人が言っていたような自由な表現と商業主義、権威主義体制との関係がその雛形だな)
ポストモダンの「管理社会」(ドゥルーズ)が、決定的にはじまった歴史的瞬間が、水瓶座時代のはじまりである今なんだ