>>631
何度も言っている通り、易とは畏れ多くも繋辞伝に書かれている通り、聖人になるための道であり、それが唯一にして本来の捉え方だという主張です。

当て物がどうかというのは、その内容が何を指しているのかがよくわかっていません。
一つ一つの卦は連想ではなく、悩んでいる自身の捉えなおしをするためのものです。
そのプロセスで認識が真正のものになり、過去から未来まで見通せるようになります。
なので、未来予測的なものも効果に含まれるとは思います。

ただ、そこが中心ではなく、本文十翼の記載にあるわけですから、第一義は聖人の道であることです。
当然です。それ以外にはありません。

これは、あなたにとって「当てモノ」という機能を含みますか?含みませんか?
聖人への道のひとつとしての、畏れ多くも繋辞上伝第四章に言う、知幽明の故などに当たる感性は当然に出てくるものです。なので、色々見通せるようにはなりますね。