>>609

付け加える。五輪の話だから易で試しに見てみよう、当たるかなどうかなとか
子どもみたいなバカな動機で易という名づけをしたアホな妄想遊びで筮具を
弄ぶな。バカ者。

畏れ多くも繋辞下伝の第5章に、小人は不仁を恥じず、不義を畏れず、利を見ざれば
勧まず、威さざれば懲りずとあるが、まさにお前のことだ。こうして正面から威すれば
無言になり、礼儀正しい問い質しもできず、匿名で悪口を言うだけで、易の道に
最も反しているのはアホなお前だ。


それで、くれぐれも誤解しないでほしいが、「五輪開催をきっかけにして筮を
取ってはいけない」などとは全く言っていない。
よくよく615を読んで欲しいが、「自分から切り離されたものを妄想する」風に
問いを扱うことがおかしいと言っている。示された卦は五輪でなく、五輪を考える
ばかなお前を表すんだと言っている。聖伝に書いてある通りのことを言っている。

五輪に対してどうだろうと思う、ということは、「自分から切り離された五輪
の行く末を予測する」などということはどうでもよく、そういう妄想がしたければ
勝手にしろ。ただし、それは易ではない。
そうではなく、「そういうことを気にした自分」に、畏れ多くも繋辞伝第五章の
百姓の心が相違として露見しており、つまり違う聖人の心があり、認識しやすい
状態になっている。

だから、易は本卦と変卦の2つが表され、それに気づく機縁となる。
易として与えられたその気づきの機縁をくれぐれも無視するな。
略筮はするな。
衷心から伝えている。わからなければ質問しろ。
耳を塞いで無視するな。