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易占勉強スレ【二十五変】 2
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0597360
垢版 |
2020/06/19(金) 23:41:00.41ID:AkWTrAKA
>>594 さん
なるほど、587さんと別の方なのですね。だとすると、586については、易論そのものは
少ないですが、何か端的に間違っているという記載はないように思われますし、ご助言
ありがとうございました。

それでご質問の、聖人になるためのものだという記載は多数あるというか、繋辞伝には
そのことばかり書いてあると思いますよ。私見もありますので、ご一緒に検討できれば
とは思います。

繋辞上伝の7章 聖人として生きようとする者の徳を磨き行いを崇くするものだ
10章 易に聖人の道が4ありとして四聖道を記載
11章は、自分でない聖人が易を作った時のありようとして取ることも可能ですが、
   私としては易で至る所のありようを表すと考えたほうが良いと考えています。

また、特に象伝には、君子・聖人・聖王との記載が様々にされていますが、
詳論は省くものの、君子とは聖人へ向けて実践を積み重ねる最中の姿、
聖人は目指す姿そのもの、聖王はめざす姿を達成した後の事績と考えるのが
一番良いと思います。

これら全ての要素から言って、易は聖人を目指すもの、少なくともそれに近くなることを
志向するものだというのは疑い得ないのではないでしょうか。
0598360
垢版 |
2020/06/19(金) 23:46:00.11ID:AkWTrAKA
>例え古代中国の無学なお百姓さんであっても
>易に触れ、学ぶことで自身の精神を高貴なものとし、自己を高めるために易を利用するのであれば
>易経は>>587さんが仰るビジネス書または現代の自己啓発書に近いものと受け取るとあながち間違っては
> いないように感じるのですが、いかがでしょうか?

こういう趣旨であれば、私も同感です。

ただ587さんの内容を見ると、そういう趣旨は少ないように思われ、神聖性・精神性の
対極としての「単なる参考としての読み物」「合理性しかない」というような意味合いで
ビジネス書と書かれているようにしか読めないです。

なので、そういう意味合いでは全体として間違っているとしか言えませんし、ほかの
587さんの内容を見ると、あまりに易の捉えが主観的過ぎ、ほとんど何も原点を味読
していないのではという風に感じました。否定したのはそのためです。

繰り返しますが、594さんの仰る趣旨であれば、ビジネス書に似ているということに大いに
同意いたします。
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