>>582=586です
360さんお返事ありがとうございます
ひとつだけ申し上げますが、>>587さんは私とは別人です。587さんすみません

繁辞上伝十一章には
>孔子がいう、そもそも易は何のためのものか。そもそも易は物事を開いて、やらねばならない仕事を成し、
>天下の道をおおうものである。このようなものだけである。
なので、易経そのものが聖人になるためのものだとは記載はないかと存じます
他にあったら浅学な私のためにご教示お願いします

以下は私の主観的意見でしかないのですが、中国儒教の教えでは聖人とは
>一般的に徳が高く、人格高潔で、生き方において他の人物の模範となるような人物のことをさす。
とWikipediaにあり、易経に書かれている卦辞の内容も(私の意訳になってしまいますが)
小人のごとく無知であったり恐れを知らなかったりすると悪い結果を招き、
大人=聖人であれば災いを逃れる、咎なし。とあるものが多いです
これは導かれた卦辞の教えに従うことで災いを避けられるということだと理解しています
なので360さんの仰るように、
>百姓(ひゃくせい)の心が聖人に近づくために示される
というのはごもっともだと感じます
お百姓さんが易に触れ、立派な心掛けで過ごすことにより精神的に聖人になるためのものだと思うと易は素晴らしいです

そしてこれも私の感じ方の話になってしまうのですが、例え古代中国の無学なお百姓さんであっても
易に触れ、学ぶことで自身の精神を高貴なものとし、自己を高めるために易を利用するのであれば
易経は>>587さんが仰るビジネス書または現代の自己啓発書に近いものと受け取るとあながち間違っては
いないように感じるのですが、いかがでしょうか?
そのような柔軟さを見せていただけると、スレを読んでる他の方にも360さんのお話しを受け入れやすく、
また私のように易について勉強させて頂く機会になり、360さんはご自身の仰る正しい易を理解してもらうための
足掛かりになるように私は感じております