易の解説文を書いた人は孔子という人ですが彼が易経のすべてを発明
した訳ではなく
儒学の孔子が論語を書いたのも学問という視点ですから宗教とは違います。
易経を宗教のように勘違いしているのでしたら、それは間違いです。
聖人に至るという考え方も違っていて、儒教というものが示す四書五経
は宗教ではなく今で言うビジネス書に近いものです。
学ぶという姿勢が大切なのであって聖人を目指すことを目的としていません。

易経の読み方も様々に読めますので100人居れば100通りの解釈もある
でしょう。
筮竹を用いてもイーチンダイスを用いても銅銭を用いても変わらず結果は
出ます。その結果をどう理解し判断するのかが人間側に求められるのです。
人類の英知云々とか易経を宗教のように特別に持ち上げて理解する人達より
はスマホのシミュレーションゲームで遊ぶ現代の人のほうがはるかに易経の
本質に近いのです。

聖人への絶対的な道が最後にサイコロでしたら最高の皮肉でしょう。