失礼しました。 >>421 でした。

繋辞上伝第2章8節からの意訳を再掲する。

>易における判断原則は次のようなものがある。
行動の良し悪しは、今持っていない認識と誤っている認識に気づくことで把握できる。
気づきを得ることによって、今の自分への反省点や囚われを見出すことができる。
こうして得た気づきをもとにして行動することの詳細が、物事の変化や行動の方針
として、また自然界や社会の現象の表れとして、易経に記載されている。

このようにあるように、易では「悩んでいる自分の心と、本当はその下にある悩んでいない
自分の心」が卦によって示され、その違いから気づきをもたらすことができるのであって、
また、それだけでしかない。
そのためには真摯誠実で自然な、自身の心の気になること・悩みをそのままに問うだけであって、
外部の事象の行く末を易で予測機のように示すなどということは、そもそも易を作成した聖人が予定していない。