易占勉強スレ【二十五変】 2
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>>421
射覆はスレ違いって言われるぞw
360の人じゃないが
唐辛子、キャッシュカード、朱肉で >>424
もう一度言いますがそれ天水訟にはなりません
沢→火 山→風 で火風鼎です >>427
>>428
得卦の情報を正しく書いたニ、三、上なら之卦は天水訟であってるんじゃないかな
最初書いたときが、ニ、五、上とのことだったからそれは火風鼎になるけれど >>426
そうでしたw
なんだか360の人は何も答えられないみたいだね
でも答えてくれるのかもうちょっと待つから
射覆の正解をかくのも待っててくださいね >>421
自演だって言われそうだけど、360の書いてることよく読んでみなよ。
卦を見るのではなく心の仕組みを見るんだって書いてあるよ、あなたは、その結果として
の神の心で当てろとか言ってるけど、話がずれているよね。
360は呆れて返事しないだけじゃない?面白い話だったのに、レベル低い突っ込み入れないでよ。
ただ批判しようとしている人に話す人はいないよ。
自演ではないけど、自演だと言いたいなら勝手に言いなね。 >>365
ご指摘ありがとうございます。
世爻と合になってるところに日建から冲を受けてますね。
これは、簡単に見つかりそうだったのに、なかなか見つからないことに通じてる気がします。 >>432
間違えました、日辰です。紛らわしくてすみません 五行易なんか京房が勝手に妄想しただけだろ
易経よんだことねえのか京房の妄想なんか関係ないとすぐわかるはず
漢代の讖緯説の流行に合わせて京房が組み合わせただけだとすぐわかるはず
やってるやつは、どういう哲学的基盤に基づいてやっているんだ
ばかばかしい あほじゃない すぐやめろ でも、おまえの大好きな大岳先生も晩年断易を研究してたぞ
薮田ナントカ先生がその辺の話してるんじゃね
易学研究あたってみたら? >>426
360さんから反応ないので答え書いておきます。
梅干しの種
付箋紙(赤)
DAISOのキャンペーンシール(赤と白)
でした
心の仕組みとやらが解って此方が「赤」と認識したものが
本当に当たるかは興味があったんだけどまあこうなるよね。
江戸時代の後期に
心の剣って感じに精神修養側にも開眼した達人(剣も強い)が居るんだけど
その人のお弟子で開祖の技術体系や心の修養の技法を習得できた人は居なかった。
強いお弟子はいたけれどそれらの人は師の教える体系でなく「その人」が強かった、ってのあるんでね
お二人の議論は
まさにこれを思い出しました。 >>399
あんたは360とグルなの?
それとも360本人? >>426
根本にはこちらへの礼儀があることが分かったので返答する。
まず、射覆なんていうものは易の本質に反しており、そんなことやっても卦の連想を
弄んで、当たった外れたという妄想の世界に入るだけで、当たったとしても、真正の
意味の偶然であり、むしろ易の完成から遠ざかる。徹底的に、成立しない。
そんなことは本質的に易ではできない。ここで、真勢だの高島だの、他の人たちを持ち出して反論
するなら勝手にすればいい。
そんな馬鹿げた、易に対する不敬的なことはやり方も知らなければ、やる気もない。
では、それはなぜか、かつ、あなたに対して私は易で何ができるのか、ということを次に書く。 失礼しました。 >>421 でした。
繋辞上伝第2章8節からの意訳を再掲する。
>易における判断原則は次のようなものがある。
行動の良し悪しは、今持っていない認識と誤っている認識に気づくことで把握できる。
気づきを得ることによって、今の自分への反省点や囚われを見出すことができる。
こうして得た気づきをもとにして行動することの詳細が、物事の変化や行動の方針
として、また自然界や社会の現象の表れとして、易経に記載されている。
このようにあるように、易では「悩んでいる自分の心と、本当はその下にある悩んでいない
自分の心」が卦によって示され、その違いから気づきをもたらすことができるのであって、
また、それだけでしかない。
そのためには真摯誠実で自然な、自身の心の気になること・悩みをそのままに問うだけであって、
外部の事象の行く末を易で予測機のように示すなどということは、そもそも易を作成した聖人が予定していない。 >>421
よって、ただあなたが、何かを客観的に試すだけのために置いた赤いものを易で当てるなどということは
やり方も知らなければやる気もないが、
>心の仕組みとやらが解って此方が「赤」と認識したものが
本当に当たるかは興味があったんだけどまあこうなるよね。
ここには、明らかに、真摯に易に対して探求する心と、不明感があり、自身が易に対して
どうすればいいかという問いがある。
この問いに対してあなたが自身の悩む心と本当のありようを問うて示されたものを一緒に
読み解いて、気づきの機会に共に向かうことは私にはわずかながらできる。
また、あなたが自身で易に問うことを、繋辞上伝第5章末節に言う「陰陽測られざる~」
に、私が卦を示して頂く儀礼だけは代わりに行い、共に真摯に向かうことはできる。
問い自体は他のことでもいいが、検証のために未来を予測する、わからないものを射覆で見る
などという心持ちそのものが易の使用方法への違背であって、私があなたにできることは
あなたの、正直で、人格に基づいた、真正誠実な問いに寄り添うことだけだ。
以上です。真摯な対話が返信されたら返事するが、よく咀嚼されていない、表層的な意味のない
批判が来たら、すみませんが以後無視します。 じゃなんで白蛾や真勢は射覆を成立させたんだ?
それはかれらが真摯に易に問うたからではないのか?
自分の考えで易をやってるなら最初からそう言えばいいのに
なんで真勢や松井の名前を出したんだ?
ここの連中を見下してへんな持論を押し付けてやろうって料簡だったんだろ?
射覆、当てモノ、現実的な問題を占うと誠を欠きやすいから注意すべきだというなら分かるが
そういう行為の一切を冒涜として退けるのはたんにお前が根本から誠意を欠いているからだよ
自分にも他人にも易にも、だ
それが分からんうちは自分の世界に閉じこもって狭い易を正義と思い違いをして
スレで独善的な持論をぶちまけて、インチキ易をやっていくしかないだろう
まあ頑張れ 当たり外れのはっきりしない心の問題ばかり占いの対象にしてるのは逃げだわ
ようするに誤占を直視するのがいやなんだろ?
そうやってどんどん「スピリチュアル」にはまっていくんだよ、人間は
最後には毒を撒くだけのキチ○イになるぞ、せいぜい気をつけろ ありったけの誠意を込めて現実的な問題を占って
脳漿を絞って占考して
外れたら外れたでそれでいいじゃねえか
心の占いに逃げてんじゃねえよバーカ
義理もろくにやらずテメエ勝手の読みを展開して
おまえほど恥ずかしい奴はなかなか見ないよ 表層的で読むにも値しない反論だが、最後にひとつだけ質問してあげます。
>射覆、当てモノ、現実的な問題を占うと誠を欠きやすいから注意すべきだというなら分かるが
あなたがそんなに易でやりたくて仕方がなくて、そんなに怒ってしまう、射覆・当てモノ・現実的
な問題(現実的な問題?別に悩みとして現実的な問題を含めて直面することは否定していないし、
現実含めて示されると言っているよ?否定していないよ?よく理解せずに反論するのはやめてね)
特に「射覆・当てモノ」が、易で行うものだ、というのは易経のどこに書いてあるのかな?
私にはそんなこと見つけられないんだけどね。易経から引用してみなよ。
易は聖人の徳を崇くし業を広むる所以である「だけ」だとしか書いていないよ。 おまえの持論なんか丸ごと書いてねえじゃねえか
で、現実的な問題はどうなんだよ
春秋戦国の占いはほとんどすべて人事や戦争だぞ
戦争なんかまさに当てモノじゃないの
それから昔の卜占家は射覆で腕を磨くのが習わしだった
だいたい説卦伝にあれだけの意味が充てられているのは
当てモノに対応するために決まってるだろ
>易は聖人の徳を崇くし業を広むる所以である「だけ」だとしか書いていないよ。
おまえほんとうに易経読んでるのか? それとも日本語に不自由してるのか?
どっちだよ? それに、射覆なんてどうやってやるのよw 本当にわからないよ
たとえば、水雷屯が示されたら、内側に雷で外側に水だから電気と水だとか、
屯は芽が出るから植物だとか妄想するのか。アホじゃないのw 易がそんなものであるわけがないだろ。
それで偶然、植物があったり電気と水があって何が嬉しいんだ。どこが、易の目的として規定された
聖人の業の顕彰になっているんだ。偶然当たって喜んでればいい。まったく興味がない。
水雷屯は、易経の通り屯は、剛柔始めて交りて難み生じて険中に動かんとする悩みのありようだ。
その心のあり方から発生する状況の捉え方と、あくまで経綸しようとする判断であり、
それが本卦であれば本来はそういう心ではないがそう認識してしまっていることであり、変卦で
あれば伏する心だ。それ以外に何がある。なぜ、何に基づいて連想ゲームができる。
高島が真勢がやってるからっていうのが理由か。一生妄想連想ゲームして易だと思ってろ。 >戦争なんかまさに当てモノじゃないの
>それから昔の卜占家は射覆で腕を磨くのが習わしだった
>だいたい説卦伝にあれだけの意味が充てられているのは
>当てモノに対応するために決まってるだろ
これが理由なの?わけわからん歴史上に、お前と同じ妄想をしている人がいそうだという
理由を挙げて、説卦伝の意味が多いというのがどうしたよ。
しっかり考えた方がいいよ。
まあ、示唆はしましたから。やりたければ連想ゲームしててください。じゃあ、ありがとうね なんで腹立つかっていうとさ、真剣に人事百般、生活の問題を占ったり
卜としての当てモノに真面目にとりくんでる奴らの集まりがここなのに
易をクソしょーもない心の説教占いに矮小化して、そのうえ真勢だの松井だのについて
インチキ言い張って、事実関係を間違ってる知識を平気でばらまいて
しかも上からモノを言って他人を混乱させてディスって
てのがちょっと占い愛好家として許せないんですよ
ほんとおまえ、クソだと思うよ うん、おまえが二度と来ないっていうなら俺はなにも文句ないよ
ここは当たり外れから逃げてつまらない持論ぶちあげて糊塗するやつが来るところじゃないから
good bye forever ! 360の言うこともかなり面白いと思うけど。
バーナム効果がどうこうと言っている
奴とは違って自分の体系は持ってるみたいだし、
たまに書いて欲しいけどね。
ただ二人とも了見の狭いおじさんぽいなー
もっと広い心を持つのがいいんじゃない。
同じ穴のムジナだよ笑 うるせえばーか
どこがおもしろいんだ言ってみろよハゲ >>456
あなたが普通のことしか言ってないのに対して、
独自のことを言っているところ
義理ってこういうことなのかな、と少し思えて
面白かった インチキ厨がまた来たら>>455はたぶん自演乙だよ(笑) は?
爻辞をとらない奴から義理を学ぶのか!?
そうか……もうおれがとやかくいうレベルじゃないのかもしれん >>443 >>444
ご高説をありがとうございました。
他山の石にしたいと思います。
処で無学なもので教えていただきたいのですが
事例にと水雷屯をあげられましたが。
この水雷屯に森羅万象なにかあなたの心が写っているのでしょうか?
写っていない場合でも
事例に水雷屯を何故態々お選びになった理由を教えて頂けたら幸いです。 >>461
お返事をありがとうございます。参考になれば幸いです。
ありがたいご質問です。
実は水雷屯は、この「スレッドに対してどうすればいいか」という問いに対し、私に
不変の本卦変卦として示していた頂いたものです。天人地卦は省きます。
屯の「発生しようとする環境において(大成卦)動かす(内卦雷)」示された達成に
対し、準備としての班如があり、膏を屯らすことを求めていくことを、心の芯に
置くことが聖人のありようだということで刻みました。
このように、心の悩みが起きた時に己を示される道(繋辞伝第五章の君子の道)
を確認し、心を引き戻し、真実を捉える感性を無限に練磨することが易だと思っております。 >>459 >>462
この2つが同じ人なのか、違う人なのか知らないが、信じるかどうか任せるけど本当に
自演ではありません。今までも経験がありますが、易はただ易経に基づく聖人の業に近づく
ために、己の心を磨くもの(繋辞上伝第五章の性・仁・知への自分での接近)だということは、
易に本当の意味で真摯に向かい合っている人には一発で響きます。
あなたがどういう風に過去の易を認識しているか知らないが、それを否定はしないけど、
上の質問に答えていないよ?説卦伝の象が多いのがどうしたの?それでなんで、当てモノと
射覆が肯定されるわけ?
というか、知識はある人なんだろうから、改めて繋辞伝全体を思い出してみなよ。そんなことが
書いてあるか?易に対して素直になれよ。プライドが許さないのはわかりますが、であれば
ここに書かずに思考してみてください。
もっとも惜しいのは、私に対してむかつくなら、「この人に対して自分はどうすればいいか」
「この人に対して感じる心に対してどう捉えればいいか」という風に筮しましたか?
恐らくしていないでしょう。
むかつく心は、あなたの心ではなく、それは上の繋辞上伝第五章の「百姓が日に用いて知らずにいる状態」
そのものだ。
そういう時に、易に問うて、むかついていない、本来の自分の心が示され、状況や未来も自身の
本来の姿も全て掴めるのだ。それが易の使い方であり、それ以外に使い方はありません。 >>459 >>462
それと、真勢派について誤解があるようだから、付け加えておく。
あなたのよくわからない断片的な知識で、流祖が象を見ていたから私の言っていることが
おかしいとか的外れな批判をしているけど、それは加藤大岳とかがよくわからずに決めつけて
曖昧にまとめている風分に過ぎない。
流祖がやろうとしたのは、ただ易経成立時の易を実現したいということ、ただそれだけで
あって、特に伝書の松井稀星は、流祖の体系(繋辞上伝第二章の易の「序」)だけでなく、
易の辞のや行い方全体を再整理しています。
よく知りもせずに変な妄想をしないように。よろしくね☆ >>463
お答えをありがとうございました。
之を知る者は之を好む者に如かず。
之を好む者は之を楽しむ者にに如かず。
と昔から申しますが厚顔無恥を恥じると思います。
易の求道光明たること切に願います。 >>464
自演じゃない割には同時間帯に出てきて同時に会話始めて
他人とわかるレスを自演呼ばわり
へえー どっちもみっともない。
恥を知れ。
腐れ易者のキレ芸ジジイも、宗教易オタク野郎も、どちらもみっともない。 でも>>399は>>360の自作自演でしょ
そういう前科があるのに信用できないね 朝から不快なことが続いているのですが今日の卦を立てたら雷風恒の無変爻でした
正直うんざりして考察する気すら湧かないのですがこれは不快が続くとか尾を引くとかなんでしょうか >>473
爻卦すべて、特に人卦(第三爻と第四爻)の部分をお教え頂けますか。
その部分が、易経 繋辞下伝で聖人がありがたくも仰っている通り、現象的表れへの認識です。
特に不変卦の場合、今の心のありようにはずれがなくただそのままであり、しかしながら
三位の人卦の現象への認識が、今の悩みを作り出しているということになります。
爻卦をお教え頂けましたら、少しでも寄り添って、あなたが受け取られた卦をご一緒に
見ていくことができければと思います。 >>474
すいませんが爻卦というのがよく分かりません
今まで卦辞と爻で判断していました >>474
なんで自作自演したの?
それを説明してや >>475
爻卦は、卦を読むのに必ず必要な要素ですのでメモするように
してください。易経繋辞上伝の第二章に以下のようにあり、六爻の動くは三極
の道なりと書いてありまして、3つの爻卦大成卦は必須の要素です。
それが何なのかは、検索などして調べて頂ければと思います。
聖人卦を設けて象を観し、辞を繋けて吉凶を明らかにす。剛柔相推して変化生ず。この故に吉凶とは失得の象なり。悔吝とは憂虞の象なり。変化とは進退の象なり。剛柔とは昼夜の象なり。六爻の動くは、三極の道なり。 >>475
今回の不変の場合は爻卦が必須の要素に近いのですが、あえてそれを無視すると、
本卦というのは「自身がいま認識している悩みと解決」です。
恒というのは聖人がお説きになっているように、変わらない日常の中で、それと
向き合うだけでは十分でなく、それにあえて従うことによって、現実の中で方針を
変えずに物事を行い、恒にして正しくあろうとする姿です。
何があろうとも、そのように捉えようとしている自身の悩みと解決は、まさに
それでずれていないということが、不変であることの意味合いだと思います。
では、なぜそのことに悩んでいるのかは、具体的な現実の現れ(人卦)との
相違が問題になってきますし、その相違の意識差が悩みを生み出しているのだと
感じます。なので、何か上記の恒なるあり方に立てないような現実の要素を
とても気になさっており、恒ならざるものだと思われている理解の仕方が問題
なのではないかと感じます。
ご参考になさってください。 >>476
一方的にこちらがやってもいないことを決めつけており、応答する必要を
感じてはおりませんが、一回だけ対応します。
自演などしていません。以上です。
ネットなので妥協してしまっていると思いますが、正しいコミュニケーション
というものを教えてあげますね。
誰かが悪いことをしているのではないか、と思ったら、それを勝手に決めつけて
相手を非難するのは、とても浅ましいですよ?
そういう時には、「〜〜のようなことをしましたか?」と、まずは疑いについて
聞いてからにしましょう。
小学校や親御さんから習いませんでしたか?共に易に接しているのですから、
その辺りの道徳性は高いところに基準を置くようにしたいですね。
よく自身の思い・行い・発言を、振り返ってみてくださいね。 >>477
ありがとうございます
爻卦については検索をかけてもあまり情報が多くないようですね
爻卦の出し方についても無いようです >>480
そうしましたら、中筮法で検索してみてください。
あるいは、通常の解説が載っている易の本であれば中筮法のことは
書いてあるはずです。それの、一爻一爻についている八卦です。
本当は、本筮法という最も正式な筮法で同じように爻卦が示されるのですが、
そのことはどの本にも書いていませんね。これは、易をやる人が皆、古典の
読み方を間違えたためですが、詳細は省きます。
易経繋辞伝には本筮法しか載っておらず、私は真勢流松井派という
流派で、原初の易経をそのままに行う考え方のため、本筮しかやりません。
その上で、繋辞伝の聖人の仰られる通りに卦を受け取るようにしています。 >>482
何が言いたいかわからないですが、言いたいことがあればはっきり言ったら?
探求が不完全、かつ態度が横柄であれば頭から反論するけど。
1のテンプレ(周易独習マニュアル)を中途半端に読んで、加藤大岳の妄想を理解した
ように思いこんでいる輩は、私の発言を読んで、象占が一切されていないとか、
辞の取り方を知らないのかとか、よくわからん略筮だ三変だ四変だ中筮だの読み方の
違いを知らないのかとか思っているのかもしれないが、 そんなもの、全部、加藤の探求不徹底な妄想でしかないから。全部忘れて、その辺の
易経を読んで自分で考え直した方がいいよ。加藤の書物は本当にただの癌だから全部
捨てた方がいい。絶版になって、手に入らなくなって良かったね。
上で多く反論してきた可哀そうな人も言っていた、「象占」と「辞占」なんて無いから。
そもそも、伏卦も変卦も之卦も、繋辞伝にはただ1つのあり方しか恐れ多くも聖人は言及
していないから。
朱子の七考占も内容がおかしくて、流祖や松井稀星は完全に論破しているから。
そもそも「変爻の爻辞を読む」なんて、繋辞伝のどこにも書いていないから。高島呑象が
自分で勝手に決めたやり方だから。易を詳しいと自称するなら、繋辞伝で恐れ多くも聖人が
仰っている、易の「序」と「辞」の関係を自身でよく考えよ。
何よりも、筮とは何のために行うのか。何よりも自身の心を捉え、その思い方・行い方を
刻々に批判するものだという本質を考えよ。とにかく、易学大講座も易学通変も破って捨てよ。 某ブログより
羅州には稀星という息子がおり、一応跡を継いだものの、
易は上手ではなかったようで、ほとんど名前が残っていない。 >>484
考えを持ってることは構わんが原理主義者のようにワメきたてるのは関心しない >>485
あのな、そのブログを引用する意図は何なのか、自分の考えを書きなさいよ。
あなたは日本語が不自由なのかね?
それはそのブログを書いた人の意見だろ。別に意見は勝手に持てばいい。
もちろん流祖からの羅州翁・稀星ときた伝承系譜はありますが、それが知りたい
よということなの?それとも、私に反論をしているの?何が言いたいの?
まあ、そういうブログを引用しておいて満足できるなら一生満足してれば? >>486
ああそう、わめきたてるのは感心しないのね。それがどうしたの。
何がどう感心しなくてあなたの意見が何なのか、対等な立場で
提示しなさい。当然、探求が不徹底であれば徹底的に批判する。
主観的印象をそんな短文で書いて何がしたいわけ?討論したいなら正直に
真摯にあなたが易に向かい合ってつかみ取った意見を丁寧に書きなさい。 360さんの意見すごいと思う。
キレ芸じじいさんは出てこないの?
尻尾を巻いて逃げた? 一般的な本筮法では爻卦は使用しないはずなんだが。
もし別の流派ならその文献を公開してくれないと討論はできないよ >>492
またよくわからないことを言っているな。
「一般的な本筮法」って何?加藤大岳の妄想のこと?それが「一般的」だという
理由は何?その妄想を検証もせず妄信した馬鹿な人がみんなそれをやっていると
「一般的」だと言っている?あなたが「一般的」だと言及する理由を書きなさい。
易経を編纂した聖人が繋辞伝などの伝書を残しているのだから、それが「一般的」
なのは当然だよな。繋辞上伝で恐れ多くも聖人が仰っている内容を考えれば、
まず第二章において三極だという言及があった上で、繋辞上伝第九章第四節において
「奇をろくに帰してもって閏に象る。五歳にして再閏なり。故に再ろくして後に掛く。」
との内容が対応するのだから、当然にこの内容は三極の表現でなくてはならず、閏と
なった策の少数を陽、多数を陰として爻卦を作るのは当然だろう。これが「一般的」な
本筮法なのは当然だ。聖人の直々の言及がなぜ一般的ではないのですか?
加藤大岳や、他の明治以降のよくわからない者の誤読を何も考えずに吹聴し、それを
「一般的」だと何の臆面もなく言って、恥ずかしくありませんか? 自分が絶対正しいと思ったら会話出来なくなるよね
かわいそうに >>494 >>495
検討をできるようにしっかり言葉をかきなさい。
「自分が絶対正しい」などと、思っていない。
ただ、易経の特に繋辞伝の畏れ多くも聖人がご記載されていることは当然、
易の実践において「絶対正しい」。あたりまえだ。
正しくないと思っているの?そんなもの易じゃないから直ちにやめたほうがいい。
聖人の伝より、そこから探求不徹底で妄想している者のおかしな常識を正しいと
しているならば、勝手にそうしていなさい。
会話は一切拒否していない。ただ、聖人の文書以外に典拠などない。
反論があるなら、妄想している者たちの常識をいかに言っても反論にならない。
そんなもの「一般的な本筮法」であるわけがない。ただの妄想。
特に加藤などのどうでも良い本は捨てた上で、あなたが自分で、聖人のお言葉
だけを礎に易を探求した内容をもって反論なさい。 またバカな奴が涌いてきたな
どんなに知識(妥当性は置いておく)を持っていても
排他的で攻撃的になれば誰も相手にしないしそいつの流派にもケチがつくだけだろうに
卦でも立てて何を反省すべきか伺いたててろ >>497
それはこちらの台詞だ。
易についての言及もなく、こちらの論拠を持った主張に対し、「排他的で
攻撃的だ」などということ自体が、一番排他的で攻撃的じゃないのか。
あなたは「一般的な本筮法」という風に上で言われていることに対してどういう
主張を持っているんだ。必死に長期間探求した結論があるなら書いてみろ。
そんなこともなしに、単にこちらが正当な主張をしていることに対して、能力の
欠陥からの嫉妬で人格攻撃をするようなやつは、それこそ易などに触れるな。
くやしかったら、一言でも易の論への主張を書け。私は書いているぞ。
書けないんだろう。加藤の下らん本くらいしか読んでなくて、言っても批判
されるのが見えているから書けないんだろう。可哀そうな人だねえ。 こりゃ完全にキチガイだ
自分が何を言っているのかすら理解できてないんだな
ここまで不遜で傲慢だと易神にも愛想尽かされるんじゃないか >>498
とりあえず自分がどう反省すべきか卦を立ててみろ >>500
人にやれと言うなら、こちらがやれといったことをやった上で、
人に対してやれといったこともやってから言え。
まずこちらが言っていることへの考えを述べ、その上でそちらが
自分についてどう反省すべきか卦を立てて、その後に言え なんかかわいそうだから書くけど
みんな360の易に対する論はおもしれーなと思ってるんじゃね?
問題なのは360が他流を認めないとこだろ?
真面目に相手なんかしない
だから水雷屯が出てんだべ >>493
私の言う「一般的な本筮法」とは朱子の周易本義で
記されている本筮法のことです 私も真勢中州のことは大阪府立図書館で調べたりしたけど、
文献には松井稀星って少ししか記されていない
真勢易の本筮法は石井清龍先生が有名だけど、
あの人は龍山派だから違うようだ 360の自演が気持ち悪いから木村花さんの
本当の死因について卦を立てようかなー 生涯、浮気性の相手ばかりに苦しめられるのかと占うと水雷屯上爻
一生浮気性の相手に苦しめられて泣く事になるのでしょうか・・・。 >>507さん
易に対して、とても心に気になるそういった悩みを問うのは大変素晴らしいことだと思います。
それで、卦には「どうなるのか」は示されません。「なぜそれがあなたにとって問題なのか・
問題は」どこから来るのか」が示され、常に根本的な解決をもたらす心のありようと、自身の
間違えた認識・真実の姿が示されます。究極は自身しかわからないのですが、少しでもお役に
立てるように、卦の受取りに並走させて頂ければと思います。 それで、恐らく略筮などと言われる、本卦と変爻を求める方法を使っていらっしゃると思いますが、
これは易経繋辞伝に一切記載がない、日本で明治時代に発想された方法なので、易経の記載や構造と
合っていないので、なるべく「中筮」を行われた方がいいです。
あなたに示された本卦は「あなたにその悩みが生じている、あなたが自分は「このように悩んでいる」
と思っている姿」がそのまま示されます。また、究極的に、全ての64卦で最も重要なのは内卦の意味
ですので(最初に易の実践がされた記録の行い方が全てそうなっています)水雷屯の意味は、内卦雷の
「ほかを動かして解決する」ことが解決策になるところの、外卦含めた困難さがある中でそれを行う、
ということです。
つまり、あなたが「浮気性の相手ばかりに苦しめられることに対してどうすればいいだろう」と悩み、
解決しようとする姿が水雷屯の卦に示されるのですが、易において畏れ多くも聖人がお書きに
なっているように、 陰から陽が大いなる力と共に生ずる。困難な中で発生する動きが生じ、伸び栄えていこうと奮闘し、その上で状況を
動かそうとするありようです。そうした困難な状況で、経綸、今後の大いなる目標のための計画を定め、実現しようと
する、つまり浮気をされない状況を目指すということだと思いますが、これにあなたが思考を凝らし努力しようと
しているありようです。 爻は、畏れ多くも聖人が繋辞伝にお書きになっている位置づけとしては、別にピックアップ
して読むように使うのではなく、物事の達成段階の表現ですから、屯においては内心の不安定さを抑え進む準備を
し、身の丈に合った獲得したものの配分を行っていくことで初期の混乱を抑えようとしていく、という準備と完成の
段階をたどってあなたが解決しようとしている、考えている、ということです。
これを、本流中興の稀星先生いわく、本卦易経をよく身読(まさに本卦がいまの自分のありよう・思い・悩み・解決策
であり、自分の世界と視野のすべてだということを感じぬく)することが重要です。
そして、それが全て間違いであり、起こっていることは屯ではなく、あなたが本当に思っていることも屯ではなく、
その問題の捉え方、解決の仕方が問題を作っている、ということです。つまり、「浮気性の相手ばかりに苦しめられる
のでどうしようか」という問題自体が誤っている、ということでもあります。本卦が問題の根源であり、本質です。 卦の受け取り方にはプロセスというものがあり、そのことは易経の繋辞上伝2〜4章にも
詳細に書かれています。上記のように、まず自身の姿としての屯を感じぬいたら、はじめて
変卦の益に気づく(開物成務)の機縁が生まれると言われています。
風雷益は、上を損し下を益するの道であり、外の力を内に持っていくことをどのように動かせば
良いかを悩んでいるということです。外からの利益をどう自分のところに持ってくるか、という
ことであり、相手からの恵みを自分側に持ってくることを行おうと悩み、それができる自身へと、
様々な機会をもって目的を動かさずに実現しようとする悩み方なのです。
ここで問題になるのは、利益を受けるための感謝の仕方・困難さの中で相手と繋がって利益を
どう受けるか・相手と中道を進み利益を受けようとする方法などが問題解決のプロセスです。
これは易経の爻の進行をよく読んでください。その上で益の恵心に至ることができれば、相手
からの恵みをまさに生かせるようになり、それがあなたの本来の未来と行おうとしていること
であり、悩みが完全に解決し未来の姿も全てがわかるのです。
本当の自身の悩み方・状況・ありようはそのようなものですし、それに気づいた時に悩みは消え、
本来誰にでもいつでもある聖人の心と一致した視野のもとに悩みなく行動ができるということです。 >>506
「木村花さんの死因に対して(自分が)どう捉えればいいか」ということで、自身の悩みと
本来のありようから、客観的真実含めて直感・推究するということならば、まさに素晴らしい
行いであり、必ず真実は示される。
しかし、その書きようだと、また道具のように予測機のように卦を使い、連想ゲームでこれが
ほんとだどうだと、聖人の言の片言節句からどうでもよい連想をし、象占などという名前の
もとに神秘主義的な雰囲気で何かをわかったかのうに妄想する行いをしようとしている。
そんなもの易でもなければ、何の意味もない。偶中してもエゴが喜ぶだけで、「日に用いて
知らぬ百姓」の心から一歩も出ていない。
そんなことに聖なる筮具を使うなら、筮竹も算木も全て即刻叩き壊して日にくべてしまえ。
自己妄想を広げるためだけの害悪にしかなっていない。一切無意味。 自分の流派だけを崇めて他流派は妄想と断じるならば、もはやカルト宗教 自戒を主な目的として、畏れ多くも聖人がお書きになった、繋辞上伝第5章 第一節よりの前半の
意訳を貼り付けておく。
自身に示された卦をお聞きになるスタンスの方はそのままの初心が聖人の心だと思いますので自由
になさって良いと思います。しかし、少しでも易を分かっているなどと思っている、私を含めた
浅ましい者は、各自、悔悟教誨し、易により一切の自己の百姓の心を破壊し、再起再生せよ。
繋辞上伝第五章
1つ1つの行動や物事における陰と陽のありようを把握していくことが本来の自分を生きる道
である。それを成し遂げれば善そのものであり、行い続ければ使命を達成する。それは正しい
在り方の実現であり、至高の知恵である。ただし、この普遍の働きの恩恵を受けながらも、
それを認識しない者も多い。易を実践する君子のありようはまだ世の中ではほんのわずかしか
行われていない。しかし、そういう中で易による正しい倫理よって正しく行動し、知恵に基づいて
あらゆることを理解し、あらゆる人を易による道に導くのが、易を創った聖人の行動であり、
心であった。易を知ったからには、そのように行動せよ。これはそのまま、豊かさを実現し、
大きな事業を実現できることでもあるのだ。 >>513
これを見てそんな表層的でどうでもよい事しか出てこないあなたの人格性に心底呆れて
おり、反応するのも汚れるような心地がするのだが、それを忍んで、一言返答してやろう。
流派性など一切気にしていないし、どうでもよい。
ただ絶対的に気にしているのは、卦に示し導かれた、陰陽不測の神の心を、我々が
いかに用い受け取るかという行動と精神の基本的なありようである。
それを真摯に説くことをカルトだと断じるならば、 >>507さんに示された真実の
ありようとその卦の意義、受取りから行われる、楽天知命と大業への繋がりが
どのようなものなのか、それをあなたが、カルトでない所に立って説いてみよ。
それができならば、意味のない言しか吐けぬ自己を恥じて、単に黙っておれ。 以前職場でよく話ししてた人が突然仕事を辞めて離れ離れになり、連絡手段もないのですが、その人が今私をどう思ってるかコインで占いました。水天需四
どう解釈すればいいでしょうか? >>508
お返事をありがとうございます。
すいませんそれは、今の現状か思いが出ているだけという事でしょうか?
一生浮気性の相手ばかりに苦しめらるのは辛いです・・・。
解決する方法をもう一度占う方がいいでしょうか? >>518
カルトに触らないでください
需の4爻は相手が大変な状況にいてあなたのことを
思い出す余裕がないみたいです >>519
すいません、そちらの方ではなく507の水雷屯上爻の方です・・・。 >>520
あなたがどれくらい易の知識があるかによって説明の仕方が違ってきますが、
上爻の爻辞は、このままでは将来はこのようになるという警告と考えて、
相手を見る目を養いましょうというメッセージだと思います >>521
お返事して頂きありがとうございます。
将来またこの様な人に苦しめられると見た方がいいのですね・・・。
避けていても異性関係にだらしない人ばかりに目つけられ災難に遭います。
人前ではそんな事をしていない様な外面では全く分からない人達ばかりです。
解決するには異性と出会わない様な所で独りで生きて行くしかないです・・・。 屯はストーキング関係ある卦なので自分が
浮気性の相手ばかり執着してる可能性はないでしょうか
相手はとっくに気持ちが冷めてて関係は終了してて
別の女性に走ってるのにそれを浮気と決めつけてるのでは >>523
今までの人は、向こうから来て自分と関係する前から、他にも手を出している事が発覚したのです。
それとは全く違います。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています