易占勉強スレ【二十五変】 2
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>>379
言ってもないことを言ったと決めつけるというなら、
なぜ咸が訟だったらこれこれみたいな感じだ、なんていう言葉が出てくる
じゃあその推論過程を書いてみろ。必ず連想しかしていないから
しっかり判断してやる
書かなくて馬鹿としか言わず逃げるんだろうな
一生逃げて、連想ゲーム易を易と思って、真勢易は生卦法だと信じているがいい >>381
易占揆法の何ページになんて書いてあるんだよ
たぶん国会図書ライブラリーにあるだろうから頁数言えよ
読んでみるから >>383
お、言ったな。絶対逃げるなよ。
>>384
よろしく。 易占揆法には易は生卦でも連想ゲームでもないとはっきり書いてあるんだな?
真勢流では生卦は見ないで天地人文を最優先で見るんだな?
易占揆法が真勢派の正統のテキストで他はインチキなんだな?
それがはっきりと書いてあるんだな?
それは初耳だ、ぜひ読ませてもらおう♪ わかった
こいつ多分真実流じゃなく真勢「易」だな
まぎらわしいからそこごっちゃにするなよ(笑) 真勢易は大岳易界隈からほとんど無視されてたからな
キレるのもわかるが他人に絡むなよ
いちおう言っとくとおれは真勢「易」のほうには興味ないし
べつにおまえに逃げてるだのなんだの言われても真勢流についての
認識を変える気はないよ
それで充分間に合ってるから(笑) 私は松井稀星を継ぐものだ
加藤大岳などこの名の正しい読み方も知らなかったはずだ
易占揆法には允恭読みという秘伝かある おまえ、おまえ自身が憎む大岳易とおなじことしてるぞ?
まずは易経と春秋戦国の占例に基づくスタンダードの易を認めろよ
そのうえで自分がやってる占い方はローカルなものだと理解しろよ
他人にうえからモノ言って絡むのもよせって
べつにおれはおまえの占い方を否定する気はないぞ
ハナクソみてえなローカルの真勢「易」を絶対正義みたいに振りかざさなきゃな とにかく俺が言いたいのは、いくら流派に自信があってもそれ以外のやつも易を
やるんだから上からモノを言って絡むみたいなことはよせってことだよ
対等な立場でおれはこう思うって言い方すれば喧嘩にはならないんだから
ここで遊ぶつもりならそれくらい気をつけろって
そんだけだ 真勢易はすべて春秋左伝占例にもとづいている
さっきおまえは分からないなどと言っていたが、左伝易占例
のほとんどすべてがまず大成卦の読みから入っていないのは
原文を読めば当然わかっているはずだ
内卦と外卦の八卦の生起から意味を取ってそのうえで
心を卦体にとどめ、一気に心を変えている あのな、真勢流では爻辞はとらんだろ?
でも春秋戦国の易ではしっかり爻辞を取ってるぞ?
爻辞はすべて大成卦の文脈のうえにある
だって爻辞は大成卦の局面のひとつなんだから
だからおまえが言ってるのは単に真勢流の解釈のひとつです おれが上のように判断した根拠を言ってやるが、
咸は初二上の坤に三四五の乾を包む象だよ
包卦って習っただろ、妊娠を占えば男の子だよ
坤は腹で、つまり腹のなかで思っていることが「乾」なんだろうな
咸は泰から来たと真勢のテキストにも書いてあったと思う
その互体乾が之卦では外卦に出ている
天水訟は下(内、我)が上(外)を訴える象
これを単純に訟の卦義にあてはめて解釈するのは安易だとおまえは
言いたいんだろうが、この場合は本卦包卦で乾が取れるんだからいいんだよ
定三てやつだよ
咸が恋愛希望の相談者、訟はその帰結だ
こういうシンプルな判断をなんでもかんでも否定するのは大間違い
そりゃなんでもかんでもシンプルに推したら間違うだろうけどな
そこは応・不応を見るんだよ
応爻のことじゃなく、占事にどうあてはめるか、つまり定三だ
そこを真勢派を名乗るやつが否定してきたからびっくりしたわけだ しかも咸は恋愛の卦でありながら内外そむきあう形もある
之卦に訟が来たならこれはまあ背きあう形と見るべきだよ
本人は消極的で、相手も及び腰という感じ
これは恋愛に発展する形じゃないし、咸は大坎の似象でもある
特定の相手がいて恋に落ちたという状況でもない
とすれば大坎はその意味ではとれない
まさに之卦訟の内卦・坎だよ こんなんいちいち面倒くさくて書き込んでられないし
言ったところで初心者さんとかにはまったく分からんだろ あの話の腰を折るようですみませんが、私は男ですが・・・
皆さんに注目頂いてありがたいのですが、
360さんの言うことが一番当たっていると思いました。 >>356>>363です。
私の書き込みが元で荒れてしまったようで大変申し訳
ありませんでした。
卦を出したのは4月で、失恋したばかりの時に、上でも
書かれていた易占いアプリを使って出したものです。
なので中筮法とはいえ詳細はお答えできなくて…
スレ汚しすみませんでした。 いやいや、荒れているなんてそんなことはないですよ
連想する易は易じゃないことがしっかり示せてよかったです
包卦だか爻辞だか知りませんが、どういう象の要素を使うかなんてことは
どうでもいい。卦の捉え方を言っている。
筮者がどういう心のありようであるかの真相が卦に示されているし、それ以外のものではない。
本卦が誤解された視界、変卦が本来の心である。このように、易占揆法にも書いてある。
包卦がどうとか言って何かの形を連想しているからなんだかわからなくなるし一致しない。
筮者の目から見えている世界、さらにその見えている世界の中にある誤解と、本当に見ている
世界しか易には示されていない。言葉を尽くして言ってあげているが、わからないとしたら悲しいことだ。 てっきり女だと思ってたわ
それはスマンカッタ
半年間の恋愛運を占ったものだと思っていたが、
それが当たっているっていうならそうなんだろうな
わかった、おれはもう口出すのはやめるよ
それでは ここの人は、繋辞伝を読まないのかな。たとえば今回のように「恋愛の状態に対してどうすればいいか」という
ことを問いを立てた時に、その人の状況・未来・判断軸なんかは一切示されないぞ。
ましてや包卦だか何だか知らないが、この形は子供だなんていうことは何も示されていない。
では何が示されるのかどう受け取ればいいのか。繋辞伝第二章を貼ろう。
(繋辞上電第二章)聖人卦を設けて象を観し、辞を繋けて吉凶を明らかにす。剛柔相推して変化生ず。
この故に吉凶とは失得の象なり。悔吝とは憂虞の象なり。変化とは進退の象なり。
剛柔とは昼夜の象なり。六爻の動くは、三極の道なり。 ここの訳は、初代 松井稀星の伝承をさらに現代にかみ砕くと、次のようになる。
易を創った聖人は、陰陽・八卦などからなる易の象徴の仕組みを創造し、そこに名前や説明を
付して易経を作成した。こうして陰陽の変化の様子が把握できるようになった。
易における判断原則は次のようなものがある。
行動の良し悪しは、今持っていない認識と誤っている認識に気づくことで把握できる。
気づきを得ることによって、今の自分への反省点や囚われを見出すことができる。
こうして得た気づきをもとにして行動することの詳細が、物事の変化や行動の方針として、
また自然界や社会の現象の表れとして、易経に記載されている。
易の構造として大成卦の六爻とその動きを把握し、天人地の3つの卦でさらに把握を究極まで
深めることができる。 卦とは、形を見るのではなく、心の仕組みを見るものだ。
その易を立てた人の心しか表されていない。
その人がどう思っているのか。しかし人間は本当は悩むものではなく、
悩みと共にある時は間違った思いである。これが本卦。
本来の心が変卦に現れ、事象の流れが三位に現れる。ただそれだけだ。 連想する易を易だと思ってしまっている者は、何が何だかわからない
人も多いだろう。
わからないことは質問しなさいよ。 それくらい普通に読んでるがべつにおまえの持論を裏付けるような
ことをことさら書いてある訳じゃないぞ
恋人と別れたばかりで咸之訟が出ているならまさに現状まんまじゃないの
バーナム効果易がんばってくださいとしか言いようがないわ
まあいいや、じゃ こころの仕組みだけを見るものだったら世事、人事百般はまったく占えないな
だって「こころ」が出るんだろ? 現状や結果は出ないんだろ?
それって周易なの?
まあいいや、じゃ 何度言ってもわからないようだな
>恋人と別れたばかりで咸之訟が出ているならまさに現状まんまじゃないの
現状まんまだって、まんまじゃなくたってどうでもいい
事象を易の卦と結び付けて何になる、何の意味がある
そんな易の使い方、易経のどこに書いてある
上の捉え方の根本がおかしいの
それを連想だって言ってる
易の意味がない 自分で引用したばかりじゃないの
>この故に吉凶とは失得の象なり。
得失とは現実の損得のことですよ? >こころの仕組みだけを見るものだったら世事、人事百般はまったく占えないな
>だって「こころ」が出るんだろ? 現状や結果は出ないんだろ?
いやいや「事象を連想で結びつけたら何かが分かるのが易だ」という前提があるから
おかしなことを言っている。
こころの真相に引き戻せれば、人間は全てのことが分かる。
それが易経に書いてあるだろう。繋辞伝、特に上伝の前半をよく読め。
易の使い方は、事象を連想で当てて、それをあたかも何か意味があるように誇示することじゃない。
そうではなく、心は本当は全てを知っているが「悩んでいる自分」にくらまされている。
それを元に戻すためのものだ。それが人事百般森羅万象を把握するということ。
捉え方が全然顚倒している。 真勢は脇差占なんかもあったけれど現実的な問題ばかり占ってたぞ
だれの心がどうこうなんて話はたぶんほとんどしてない
松井羅州以下の易者もそうだったんじゃないの
病占は病気が治る治らないを具体的に見たし、商売もそう
おまえは真勢易でもない、それ以外のなにかだよ
易版タロット占いって言ったほうがいいと思う じゃなんで易卦にこころが出て現象だの現実は出ないの?
現実、現象を捉える力がないならこころも出るわけないじゃん
破綻してるぞそれ そんなことはない。
頭から理解しようとしていない者には伝えようがない。
そんなことをそういう角度から分かろうとして易を使ったって、
一切何もわからない。保証する。 繋辞上伝第4章を読め。
易における真実への迫り方は、易によって自分が神になっていくところにあるので
あって、卦から連想したら何かが分かるということではない。 その考え方でいくなら真勢易の流れを汲むみたいなこと言うのはよせよ
卑怯かつインチキな権威付けだぞそれ
江戸の易者は具体的なことを当てないと食えなかった
心理分析をしてお説教すれば食えるなんて甘いもんじゃなかった
真勢は人事百般当てまくったら食えたんだし
古代中国だって実際当たったから権威付けされた
少なくともそういうものだ、そういうものでなければならないというのが
易の伝統的な考えだよ おまえがどう思おうが勝手だけど、その考えで真勢の流れを汲むと言えば
インチキ、偽看板になると思うよ
易は当て物ではないというのは結構だし、それ堂々と言ってひとに教えたり
客を占ったりするなら誠実だとも思うが、それは周易ではないね
易経の考えにも反していると思う >心理分析をしてお説教すれば食えるなんて甘いもんじゃなかった
まず、上の話は心理分析をしてお説教をする話ではない
正しく見れる視点に易で近づくことができ、お前が言っている
人事百般全てが自然に分かると言っている
それが易だと言っている
>江戸の易者は具体的なことを当てないと食えなかった
>真勢は人事百般当てまくったら食えたんだし
>古代中国だって実際当たったから権威付けされた
少なくともおまえが言っている「具体性」は確度が違う
そういうことではない
加藤大岳とかのおかしな折衷主義、本質無視の影響が伺われる
占例の捉え方が本質的におかしい いやーおれはおまえが言っていることはまったく分からないね
しかもその考え方で義理ではなく象数の真勢易にゆくというのが分からない
こころを占って現実の帰結が分かるんだったら現実のことも占えるわけだろ?
それはちがうの? そもそも八卦だって大成卦だって成り立ちは連想(象)だぞ?
白蛾も真勢も射覆で鳴らしたが、あれは心なんてまったく問題にしてない
連想だよ
それを否定するなら真勢、羅州の系譜も否定されるべきでな
こころを現実と結び付けて重視するって持論はそれはそれで否定しないし
おれにも思うところは無論あるが、それを唯一無二の正しい解釈と言い張るなら
やっぱりおまえは真勢の系譜を名乗るのはやめるべきだと思うよ 360の人
心が神に近づいたら全てが判るならさ、
今部屋のテーブルに赤いカップ用のコースターがある
その上に3つ赤いものが乗ってるけど当ててみてよ
筮前の審事もなしにこれが
当たるならあなたが正しい
当たらないならあなたのは単に宗教じゃないかな >>421
射覆はスレ違いって言われるぞw
360の人じゃないが
唐辛子、キャッシュカード、朱肉で >>424
もう一度言いますがそれ天水訟にはなりません
沢→火 山→風 で火風鼎です >>427
>>428
得卦の情報を正しく書いたニ、三、上なら之卦は天水訟であってるんじゃないかな
最初書いたときが、ニ、五、上とのことだったからそれは火風鼎になるけれど >>426
そうでしたw
なんだか360の人は何も答えられないみたいだね
でも答えてくれるのかもうちょっと待つから
射覆の正解をかくのも待っててくださいね >>421
自演だって言われそうだけど、360の書いてることよく読んでみなよ。
卦を見るのではなく心の仕組みを見るんだって書いてあるよ、あなたは、その結果として
の神の心で当てろとか言ってるけど、話がずれているよね。
360は呆れて返事しないだけじゃない?面白い話だったのに、レベル低い突っ込み入れないでよ。
ただ批判しようとしている人に話す人はいないよ。
自演ではないけど、自演だと言いたいなら勝手に言いなね。 >>365
ご指摘ありがとうございます。
世爻と合になってるところに日建から冲を受けてますね。
これは、簡単に見つかりそうだったのに、なかなか見つからないことに通じてる気がします。 >>432
間違えました、日辰です。紛らわしくてすみません 五行易なんか京房が勝手に妄想しただけだろ
易経よんだことねえのか京房の妄想なんか関係ないとすぐわかるはず
漢代の讖緯説の流行に合わせて京房が組み合わせただけだとすぐわかるはず
やってるやつは、どういう哲学的基盤に基づいてやっているんだ
ばかばかしい あほじゃない すぐやめろ でも、おまえの大好きな大岳先生も晩年断易を研究してたぞ
薮田ナントカ先生がその辺の話してるんじゃね
易学研究あたってみたら? >>426
360さんから反応ないので答え書いておきます。
梅干しの種
付箋紙(赤)
DAISOのキャンペーンシール(赤と白)
でした
心の仕組みとやらが解って此方が「赤」と認識したものが
本当に当たるかは興味があったんだけどまあこうなるよね。
江戸時代の後期に
心の剣って感じに精神修養側にも開眼した達人(剣も強い)が居るんだけど
その人のお弟子で開祖の技術体系や心の修養の技法を習得できた人は居なかった。
強いお弟子はいたけれどそれらの人は師の教える体系でなく「その人」が強かった、ってのあるんでね
お二人の議論は
まさにこれを思い出しました。 >>399
あんたは360とグルなの?
それとも360本人? >>426
根本にはこちらへの礼儀があることが分かったので返答する。
まず、射覆なんていうものは易の本質に反しており、そんなことやっても卦の連想を
弄んで、当たった外れたという妄想の世界に入るだけで、当たったとしても、真正の
意味の偶然であり、むしろ易の完成から遠ざかる。徹底的に、成立しない。
そんなことは本質的に易ではできない。ここで、真勢だの高島だの、他の人たちを持ち出して反論
するなら勝手にすればいい。
そんな馬鹿げた、易に対する不敬的なことはやり方も知らなければ、やる気もない。
では、それはなぜか、かつ、あなたに対して私は易で何ができるのか、ということを次に書く。 失礼しました。 >>421 でした。
繋辞上伝第2章8節からの意訳を再掲する。
>易における判断原則は次のようなものがある。
行動の良し悪しは、今持っていない認識と誤っている認識に気づくことで把握できる。
気づきを得ることによって、今の自分への反省点や囚われを見出すことができる。
こうして得た気づきをもとにして行動することの詳細が、物事の変化や行動の方針
として、また自然界や社会の現象の表れとして、易経に記載されている。
このようにあるように、易では「悩んでいる自分の心と、本当はその下にある悩んでいない
自分の心」が卦によって示され、その違いから気づきをもたらすことができるのであって、
また、それだけでしかない。
そのためには真摯誠実で自然な、自身の心の気になること・悩みをそのままに問うだけであって、
外部の事象の行く末を易で予測機のように示すなどということは、そもそも易を作成した聖人が予定していない。 >>421
よって、ただあなたが、何かを客観的に試すだけのために置いた赤いものを易で当てるなどということは
やり方も知らなければやる気もないが、
>心の仕組みとやらが解って此方が「赤」と認識したものが
本当に当たるかは興味があったんだけどまあこうなるよね。
ここには、明らかに、真摯に易に対して探求する心と、不明感があり、自身が易に対して
どうすればいいかという問いがある。
この問いに対してあなたが自身の悩む心と本当のありようを問うて示されたものを一緒に
読み解いて、気づきの機会に共に向かうことは私にはわずかながらできる。
また、あなたが自身で易に問うことを、繋辞上伝第5章末節に言う「陰陽測られざる~」
に、私が卦を示して頂く儀礼だけは代わりに行い、共に真摯に向かうことはできる。
問い自体は他のことでもいいが、検証のために未来を予測する、わからないものを射覆で見る
などという心持ちそのものが易の使用方法への違背であって、私があなたにできることは
あなたの、正直で、人格に基づいた、真正誠実な問いに寄り添うことだけだ。
以上です。真摯な対話が返信されたら返事するが、よく咀嚼されていない、表層的な意味のない
批判が来たら、すみませんが以後無視します。 じゃなんで白蛾や真勢は射覆を成立させたんだ?
それはかれらが真摯に易に問うたからではないのか?
自分の考えで易をやってるなら最初からそう言えばいいのに
なんで真勢や松井の名前を出したんだ?
ここの連中を見下してへんな持論を押し付けてやろうって料簡だったんだろ?
射覆、当てモノ、現実的な問題を占うと誠を欠きやすいから注意すべきだというなら分かるが
そういう行為の一切を冒涜として退けるのはたんにお前が根本から誠意を欠いているからだよ
自分にも他人にも易にも、だ
それが分からんうちは自分の世界に閉じこもって狭い易を正義と思い違いをして
スレで独善的な持論をぶちまけて、インチキ易をやっていくしかないだろう
まあ頑張れ 当たり外れのはっきりしない心の問題ばかり占いの対象にしてるのは逃げだわ
ようするに誤占を直視するのがいやなんだろ?
そうやってどんどん「スピリチュアル」にはまっていくんだよ、人間は
最後には毒を撒くだけのキチ○イになるぞ、せいぜい気をつけろ ありったけの誠意を込めて現実的な問題を占って
脳漿を絞って占考して
外れたら外れたでそれでいいじゃねえか
心の占いに逃げてんじゃねえよバーカ
義理もろくにやらずテメエ勝手の読みを展開して
おまえほど恥ずかしい奴はなかなか見ないよ 表層的で読むにも値しない反論だが、最後にひとつだけ質問してあげます。
>射覆、当てモノ、現実的な問題を占うと誠を欠きやすいから注意すべきだというなら分かるが
あなたがそんなに易でやりたくて仕方がなくて、そんなに怒ってしまう、射覆・当てモノ・現実的
な問題(現実的な問題?別に悩みとして現実的な問題を含めて直面することは否定していないし、
現実含めて示されると言っているよ?否定していないよ?よく理解せずに反論するのはやめてね)
特に「射覆・当てモノ」が、易で行うものだ、というのは易経のどこに書いてあるのかな?
私にはそんなこと見つけられないんだけどね。易経から引用してみなよ。
易は聖人の徳を崇くし業を広むる所以である「だけ」だとしか書いていないよ。 おまえの持論なんか丸ごと書いてねえじゃねえか
で、現実的な問題はどうなんだよ
春秋戦国の占いはほとんどすべて人事や戦争だぞ
戦争なんかまさに当てモノじゃないの
それから昔の卜占家は射覆で腕を磨くのが習わしだった
だいたい説卦伝にあれだけの意味が充てられているのは
当てモノに対応するために決まってるだろ
>易は聖人の徳を崇くし業を広むる所以である「だけ」だとしか書いていないよ。
おまえほんとうに易経読んでるのか? それとも日本語に不自由してるのか?
どっちだよ? それに、射覆なんてどうやってやるのよw 本当にわからないよ
たとえば、水雷屯が示されたら、内側に雷で外側に水だから電気と水だとか、
屯は芽が出るから植物だとか妄想するのか。アホじゃないのw 易がそんなものであるわけがないだろ。
それで偶然、植物があったり電気と水があって何が嬉しいんだ。どこが、易の目的として規定された
聖人の業の顕彰になっているんだ。偶然当たって喜んでればいい。まったく興味がない。
水雷屯は、易経の通り屯は、剛柔始めて交りて難み生じて険中に動かんとする悩みのありようだ。
その心のあり方から発生する状況の捉え方と、あくまで経綸しようとする判断であり、
それが本卦であれば本来はそういう心ではないがそう認識してしまっていることであり、変卦で
あれば伏する心だ。それ以外に何がある。なぜ、何に基づいて連想ゲームができる。
高島が真勢がやってるからっていうのが理由か。一生妄想連想ゲームして易だと思ってろ。 >戦争なんかまさに当てモノじゃないの
>それから昔の卜占家は射覆で腕を磨くのが習わしだった
>だいたい説卦伝にあれだけの意味が充てられているのは
>当てモノに対応するために決まってるだろ
これが理由なの?わけわからん歴史上に、お前と同じ妄想をしている人がいそうだという
理由を挙げて、説卦伝の意味が多いというのがどうしたよ。
しっかり考えた方がいいよ。
まあ、示唆はしましたから。やりたければ連想ゲームしててください。じゃあ、ありがとうね なんで腹立つかっていうとさ、真剣に人事百般、生活の問題を占ったり
卜としての当てモノに真面目にとりくんでる奴らの集まりがここなのに
易をクソしょーもない心の説教占いに矮小化して、そのうえ真勢だの松井だのについて
インチキ言い張って、事実関係を間違ってる知識を平気でばらまいて
しかも上からモノを言って他人を混乱させてディスって
てのがちょっと占い愛好家として許せないんですよ
ほんとおまえ、クソだと思うよ うん、おまえが二度と来ないっていうなら俺はなにも文句ないよ
ここは当たり外れから逃げてつまらない持論ぶちあげて糊塗するやつが来るところじゃないから
good bye forever ! 360の言うこともかなり面白いと思うけど。
バーナム効果がどうこうと言っている
奴とは違って自分の体系は持ってるみたいだし、
たまに書いて欲しいけどね。
ただ二人とも了見の狭いおじさんぽいなー
もっと広い心を持つのがいいんじゃない。
同じ穴のムジナだよ笑 うるせえばーか
どこがおもしろいんだ言ってみろよハゲ >>456
あなたが普通のことしか言ってないのに対して、
独自のことを言っているところ
義理ってこういうことなのかな、と少し思えて
面白かった インチキ厨がまた来たら>>455はたぶん自演乙だよ(笑) は?
爻辞をとらない奴から義理を学ぶのか!?
そうか……もうおれがとやかくいうレベルじゃないのかもしれん >>443 >>444
ご高説をありがとうございました。
他山の石にしたいと思います。
処で無学なもので教えていただきたいのですが
事例にと水雷屯をあげられましたが。
この水雷屯に森羅万象なにかあなたの心が写っているのでしょうか?
写っていない場合でも
事例に水雷屯を何故態々お選びになった理由を教えて頂けたら幸いです。 >>461
お返事をありがとうございます。参考になれば幸いです。
ありがたいご質問です。
実は水雷屯は、この「スレッドに対してどうすればいいか」という問いに対し、私に
不変の本卦変卦として示していた頂いたものです。天人地卦は省きます。
屯の「発生しようとする環境において(大成卦)動かす(内卦雷)」示された達成に
対し、準備としての班如があり、膏を屯らすことを求めていくことを、心の芯に
置くことが聖人のありようだということで刻みました。
このように、心の悩みが起きた時に己を示される道(繋辞伝第五章の君子の道)
を確認し、心を引き戻し、真実を捉える感性を無限に練磨することが易だと思っております。 >>459 >>462
この2つが同じ人なのか、違う人なのか知らないが、信じるかどうか任せるけど本当に
自演ではありません。今までも経験がありますが、易はただ易経に基づく聖人の業に近づく
ために、己の心を磨くもの(繋辞上伝第五章の性・仁・知への自分での接近)だということは、
易に本当の意味で真摯に向かい合っている人には一発で響きます。
あなたがどういう風に過去の易を認識しているか知らないが、それを否定はしないけど、
上の質問に答えていないよ?説卦伝の象が多いのがどうしたの?それでなんで、当てモノと
射覆が肯定されるわけ?
というか、知識はある人なんだろうから、改めて繋辞伝全体を思い出してみなよ。そんなことが
書いてあるか?易に対して素直になれよ。プライドが許さないのはわかりますが、であれば
ここに書かずに思考してみてください。
もっとも惜しいのは、私に対してむかつくなら、「この人に対して自分はどうすればいいか」
「この人に対して感じる心に対してどう捉えればいいか」という風に筮しましたか?
恐らくしていないでしょう。
むかつく心は、あなたの心ではなく、それは上の繋辞上伝第五章の「百姓が日に用いて知らずにいる状態」
そのものだ。
そういう時に、易に問うて、むかついていない、本来の自分の心が示され、状況や未来も自身の
本来の姿も全て掴めるのだ。それが易の使い方であり、それ以外に使い方はありません。 >>459 >>462
それと、真勢派について誤解があるようだから、付け加えておく。
あなたのよくわからない断片的な知識で、流祖が象を見ていたから私の言っていることが
おかしいとか的外れな批判をしているけど、それは加藤大岳とかがよくわからずに決めつけて
曖昧にまとめている風分に過ぎない。
流祖がやろうとしたのは、ただ易経成立時の易を実現したいということ、ただそれだけで
あって、特に伝書の松井稀星は、流祖の体系(繋辞上伝第二章の易の「序」)だけでなく、
易の辞のや行い方全体を再整理しています。
よく知りもせずに変な妄想をしないように。よろしくね☆ >>463
お答えをありがとうございました。
之を知る者は之を好む者に如かず。
之を好む者は之を楽しむ者にに如かず。
と昔から申しますが厚顔無恥を恥じると思います。
易の求道光明たること切に願います。 >>464
自演じゃない割には同時間帯に出てきて同時に会話始めて
他人とわかるレスを自演呼ばわり
へえー どっちもみっともない。
恥を知れ。
腐れ易者のキレ芸ジジイも、宗教易オタク野郎も、どちらもみっともない。 でも>>399は>>360の自作自演でしょ
そういう前科があるのに信用できないね 朝から不快なことが続いているのですが今日の卦を立てたら雷風恒の無変爻でした
正直うんざりして考察する気すら湧かないのですがこれは不快が続くとか尾を引くとかなんでしょうか >>473
爻卦すべて、特に人卦(第三爻と第四爻)の部分をお教え頂けますか。
その部分が、易経 繋辞下伝で聖人がありがたくも仰っている通り、現象的表れへの認識です。
特に不変卦の場合、今の心のありようにはずれがなくただそのままであり、しかしながら
三位の人卦の現象への認識が、今の悩みを作り出しているということになります。
爻卦をお教え頂けましたら、少しでも寄り添って、あなたが受け取られた卦をご一緒に
見ていくことができければと思います。 >>474
すいませんが爻卦というのがよく分かりません
今まで卦辞と爻で判断していました >>474
なんで自作自演したの?
それを説明してや >>475
爻卦は、卦を読むのに必ず必要な要素ですのでメモするように
してください。易経繋辞上伝の第二章に以下のようにあり、六爻の動くは三極
の道なりと書いてありまして、3つの爻卦大成卦は必須の要素です。
それが何なのかは、検索などして調べて頂ければと思います。
聖人卦を設けて象を観し、辞を繋けて吉凶を明らかにす。剛柔相推して変化生ず。この故に吉凶とは失得の象なり。悔吝とは憂虞の象なり。変化とは進退の象なり。剛柔とは昼夜の象なり。六爻の動くは、三極の道なり。 >>475
今回の不変の場合は爻卦が必須の要素に近いのですが、あえてそれを無視すると、
本卦というのは「自身がいま認識している悩みと解決」です。
恒というのは聖人がお説きになっているように、変わらない日常の中で、それと
向き合うだけでは十分でなく、それにあえて従うことによって、現実の中で方針を
変えずに物事を行い、恒にして正しくあろうとする姿です。
何があろうとも、そのように捉えようとしている自身の悩みと解決は、まさに
それでずれていないということが、不変であることの意味合いだと思います。
では、なぜそのことに悩んでいるのかは、具体的な現実の現れ(人卦)との
相違が問題になってきますし、その相違の意識差が悩みを生み出しているのだと
感じます。なので、何か上記の恒なるあり方に立てないような現実の要素を
とても気になさっており、恒ならざるものだと思われている理解の仕方が問題
なのではないかと感じます。
ご参考になさってください。 >>476
一方的にこちらがやってもいないことを決めつけており、応答する必要を
感じてはおりませんが、一回だけ対応します。
自演などしていません。以上です。
ネットなので妥協してしまっていると思いますが、正しいコミュニケーション
というものを教えてあげますね。
誰かが悪いことをしているのではないか、と思ったら、それを勝手に決めつけて
相手を非難するのは、とても浅ましいですよ?
そういう時には、「〜〜のようなことをしましたか?」と、まずは疑いについて
聞いてからにしましょう。
小学校や親御さんから習いませんでしたか?共に易に接しているのですから、
その辺りの道徳性は高いところに基準を置くようにしたいですね。
よく自身の思い・行い・発言を、振り返ってみてくださいね。 >>477
ありがとうございます
爻卦については検索をかけてもあまり情報が多くないようですね
爻卦の出し方についても無いようです >>480
そうしましたら、中筮法で検索してみてください。
あるいは、通常の解説が載っている易の本であれば中筮法のことは
書いてあるはずです。それの、一爻一爻についている八卦です。
本当は、本筮法という最も正式な筮法で同じように爻卦が示されるのですが、
そのことはどの本にも書いていませんね。これは、易をやる人が皆、古典の
読み方を間違えたためですが、詳細は省きます。
易経繋辞伝には本筮法しか載っておらず、私は真勢流松井派という
流派で、原初の易経をそのままに行う考え方のため、本筮しかやりません。
その上で、繋辞伝の聖人の仰られる通りに卦を受け取るようにしています。 >>482
何が言いたいかわからないですが、言いたいことがあればはっきり言ったら?
探求が不完全、かつ態度が横柄であれば頭から反論するけど。
1のテンプレ(周易独習マニュアル)を中途半端に読んで、加藤大岳の妄想を理解した
ように思いこんでいる輩は、私の発言を読んで、象占が一切されていないとか、
辞の取り方を知らないのかとか、よくわからん略筮だ三変だ四変だ中筮だの読み方の
違いを知らないのかとか思っているのかもしれないが、 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています