ディーン・フジオカ 人生変えた国際結婚…謎の半生を初告白
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ディーン・フジオカは’80年、福島県須賀川市で生まれた。
現在もインドネシアで音楽制作をしているが、その影響は母親によるところが大きい。

「自宅でピアノ教室を開いていました。音楽好きで、家にはピアノのほか
ドラムセット、エレクトーン、サキソホン、グロッケンなどたくさんあって、
幼いときから遊び道具にしてました。ただ、ピアノは母に無理やりやらされて
嫌いになったこともあって、長続きしませんでした。
今になって後悔していますが……」

国際感覚は、IT関連の仕事をしていた父に育まれた。

「日本人ですが中国生まれで、日本に住みながら海外へは度々仕事で
出張していました。ボクがちっちゃいころは、湯船で10カウントするのは中国語でしたし、
父が英語を教えてくれることも。外国人のお客さんをアテンドすることも多くて、
家に招くこともありました。それに海外出張に行くと、お土産に
マイケル・ジャクソンやディズニーのビデオを買ってきてくれてましたね」

幼いころから海外の文化に触れる機会も多かったこともあり、
中学生のときから“早く日本を出て、海外で暮らしたい”と両親に語っていた。

反対したのは、意外にも海外生活が豊富な父親だった。

「留学するなら日本の高校を卒業してからと言われました。
でも、いまあらためて振り返ると、あのとき父は帰るべき“家”というか、自分のルーツが
しっかりと根付いてから、留学したほうがいいと考えていたのだと思います」

日本の高校を卒業後、アメリカ西海岸のシアトルの大学で念願の留学生活を始めた。
ところが……。