統合失調症と自我の境界
http://d.hatena.ne.jp/jyl2142/20041102/1099394841
病的な主張を続ける病者は、放って置かれると疲れて自然と自我が弱まっていく。
だが、その主張に肯定否定どちらの反応を返す限り、病者は命が尽き果てるまで
主張し続け、主張に何の反応もなくなったとき、自我が自壊してしまう。
自壊するまで、病者の主張は命を燃やし、燃え尽きるまで続く。

今回、私は見ていられなくなってつい止めてしまおうとした。これは全く正しい判断ではない。間違った判断です。
『荒らしは放置』というけれど、荒らしをやっている人間は病的であり、自我が異常を起こしている
可能性が高く、放置しておけば自然と力つきるのはウェブができてから多くの人間が知っていることと思う。
だが、残念ながら、こういう複雑な病気を理解せずに、理解したつもりになっている人間は、荒らしにも
一部の理があると応対してしまう。

互いへの敬意を確かめるための対話と、自分を押しつけて相手を屈服させるだけの言い合い、
しかも相手が屈服しなければ自分が崩壊してしまうような対話は、本質的に違うものなのだ。
病的な主張というものは、存在する。

それが宅間の勝手な意見だったり、某掲示板での荒らしの主張だったりする。
そういうものは、議論でも意見でもなんでもなく、認識のゆがみが、常識的な
評価を受けることなく一方的に肥大した自我が、自分を相手の意見を聞き入れる
ことなく保全して自我を拡大させたいという、自我を作るエネルギーの暴走なのだ。