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【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part7©2ch.net

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0001名無しさん@占い修業中 転載ダメ©2ch.net
垢版 |
2017/07/11(火) 06:22:40.12ID:QE4/wbCN
近代タロットの理解にはカバラの知識が必須であることは、割とよく
知られていると思います。
しかしなから、タロットの理解に必要なカバラの知識って、日本に
おいては、あまり紹介されていないのが現実なんですよね。

というわけで、タロットの理解に必要なカバラの基本的知識を得るために
以下の本を引用、翻訳、考察しながら、色々と勉強していきたいと思います。

書名:The QABALISTIC TAROT
   A TEXTBOOK OF MYSTICAL PHILOSOPHY
   カバラ主義のタロット
   神秘主義的哲学の教科書
著者:Robert Wang

※話題への、ソコはちゃうやろ的ツッコミとか、雑談とかは歓迎ですが、
教えて的な質問に答えたりとかは面倒なので、スルーする可能性が高いです。
0250名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/11(木) 10:33:08.30ID:hzSfQbbZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
Says Case: "Key 13 tells the Secret of Secrets...he who knows the secret has in
his hands a power which might be used to overturn the world.
ケース氏は言う:「13番の鍵(大アルカナ)は、「秘密たちの中の秘密」を語る・・・
秘密を知る彼は、彼の手の内に、世界を転覆させるために用いられうる能力を持つ。

Yet no person learns it until he is truly prepared, and more than anything else,
this means such ethical preparation that no temptation to misuse this power could
ever be sufficient to turn the knower from the path of strictly constructive and
beneficent application of the force he is able to control." (*148)
それでも、人は、彼が本当に準備されるまでは、それを学ばないし、そして何よりも、
これは非常に「倫理的」な準備を意味しているので、この力を悪用しようとするどんな
誘惑も、彼が支配することができる力の厳密に建設的で慈善深い適用の小径から、(死を)
知る人を、そらすためには、決して十分であることはできない。」(*148)
--- ここまで ---

ちなみに、(*120)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
148. Case, Tarot Fundamentals, 30.7.
148. ケース著、『タロットの基礎』、30.7ページ。
--- ここまで ---
とあります。

注記の「30.7ページ」は誤植で、おそらく298ページあたりではないかと思います。

さて、ちと難解な文章ですが、何度となく出てくる「he/彼」は、「13:死」の「骸骨像」、
すなわち「死の使者」のことを指しているようです。
とはいえ、「誕生と死」の概念に、なぜ「ethical/倫理」が関係するのかという説明が
不足しているので、意味がよくわかんないですし、そもそも「死の覚悟」があれば「13:死」
の意味が理解できるというものでもないですからね。
0251名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/12(金) 06:15:06.64ID:sDZ7ssH3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
One may also recall Case's statement about THE DEVIL that "It is the symbolic veil
for the greatest practical secret of occultism.”
人はまた、 「それは、神秘学の最も偉大なる実践的な秘密のための象徴的なベールである。」
という「悪魔」についてのケース氏の供述を思い出すかもしれない。

As we shall see, the similarity of description for these two cards is no coincidence.
我々が(これから)見ていくであろうように、これらの2枚のカードたちのための説明の
類似は、偶然の一致ではない。
--- ここまで ---

この「悪魔」についてのケース氏の記述は、173ページにあって、「タロットの全ての鍵
たちの中で、『15番の鍵』は最も重要なものの1つである。それは、神秘学の最も偉大なる
実践的な秘密のための象徴的なベールである。」とあります。
同様に、「死」についても、ケース氏は「13番の鍵は、「秘密たちの中の秘密」を語る」
と述べています。

どっちが一番やねん!というツッコミを入れたくなるのは置いといて、我々にとっては、
「劣化ケテル=ティファレト」に繋がる「劣化魔術師=悪魔」「劣化高等女視察=節制」
そして「劣化愚者=死」という感じであり、いずれも最も重要なものであって、簡単に
優劣を競うようなものでもないわけです。
ちなみに、この「13:死」より上位のカードは、もはや解読不可能なシロモノですので、
実際上の実用性はほぼ皆無であり、「下の如く」における適当な意味をデッチ上げて、
いかにもそれらしく解釈していくしかないわけですので、優劣の付けようがありません。

ということで、下界の我々にとっては最重要となる3枚のカードですが、その違いをざっくり
言うと、どちらかというと物理界に近くてエロ活用されがちな「節制」、実用的な魔術には
欠かせない「悪魔」、そして究極神秘を司る「死」という感じになります。
つまり、「死」は、とてつもなく難解であり、そしてそれは「私はある」とか、「我思う、
故に我あり」というような、究極の存在について感じることのできるカードなのです。
0252名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/13(土) 06:48:16.58ID:GSX/17D4
>>250
誤記訂正です。m(. .)m

> ちなみに、(*120)はNOTES/注記の項で、

(*120) ではなく、(*148) でした。
0253名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/13(土) 07:20:16.38ID:GSX/17D4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
Crowley comments on the far-reaching implications of this particular card.
クロウリー氏は、特にこのカードの遠大な暗示たちについて論評する。

In discussing the fish, meaning of Nun, he says: "This symbol resumes the whole
Secret Doctrine." (*149)
「ヌン」の意味である「魚」を議論する中で、彼は言う:「この象徴は、「全体」の
「秘密の教義」を再び始める。」 (*149)
--- ここまで ---

ちなみに、(*149)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
149. Crowley, Book of Thoth, 100, note 1.
149. クロウリー著、『トートの書』、100ページ、注1。
--- ここまで ---
とあります。

さて、トート版の「13:死」のカードですが、この骸骨像は、あなたには何に見えますか?
ワタシには、華麗に舞い踊る「バニーガール先輩」に見えたりしますので、「15:悪魔」の
「プチデビル後輩」と、良い組み合わせになってるなぁ、とか思ったりしているのでした。

それはともかく、この「思春期症候群」の一連の要因となっている「13:死」のカードは、
あらゆる「秘密の教義」を「resume/再び始める」、すなわち、一旦死んでみた後、再び
復活するという神秘プロセス全体を包括的に演出するコーディネーターとして機能しており、
「もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな」的な、完璧究極の存在となっています。
まあ、人は「ティファレト」が最終到達可能地点ですので、その最後となる「小径」に
ふさわしい、他とは全く異なるパワーとエネルギーを有しているというのは、何となく
分かるのではないかと思います。
とはいえ、それが何かというのは、下層の我々にとっては、ほとんど理解不能であると
いうのが、なかなか、もどかしいところなんですよね。(←というか、既にヤル気が無いw)
0254名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/15(月) 06:06:49.02ID:CoTWGz17
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The great importance of this Path is pointed out by its very position on the Tree
of Life.
この「小径」の偉大なる重要性は、「生命の木」の上での、まさしくその位置により指摘される。

It is on the Path of the Flaming Sword between Tiphareth and Netzach, meaning that
it is the Path of emanation of the Lower Creator-Energy into matter; it is the
Path on which the energy of God the Son is transformed into the first sphere,
or pattern of energy underlying the material world.
それは、「ティファレト」と「ネツァク」の間の「炎の剣の小径」の上にあり、それが、
物質界の中への「下なる創造主の精力」の流出の「小径」であることを意味している;
それは、「息子の神」の精力が、最初の天球、すなわち、物質的な世界の基礎となる精力の
様式に転換されるところの「小径」である。
--- ここまで ---

この「Lower Creator/下なる創造主」、そして「God the Son/息子の神」は、改めて
言うまでもなく、劣化「ケテル」である「ティファレト」を指しています。
つまり、下界に住む我々にとっては、我々が知る「創造主」そのものであるわけで、そう
いう意味でも、「13:死」は、我々が知ることができる「小径」の中では、最も根本的かつ
最も神秘に満ちた「小径」であるわけですよね。

では、最も根本的かつ最も神秘に満ちた「小径」の、最も重要な働きとは何でしょうか。
それは、「炎の剣の小径」を伝ってきた創造主のエネルギーが、「物理界」を創造する
こと、すなわち「存在」を創造することにあります。
要は、「私はある」とか「我あり」という概念が、ここで創造されるわけです。

なお、「知恵の32の小径」においては、「the Imaginative Intelligence/想像力豊かな
知性」とありますので、それゆえ、この創造は実在ではなく、虚数あるいは仮想的であり、
要は「〜の夢を見ない」的な、劣化創造主の「夢オチ」あるいは「この物語はフィクション
であり」的な可能性が、巨大粒子レベルで存在することを補足しておこうと思います。
0255名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/17(水) 06:23:08.12ID:CB2lP4bi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
In terms of the individual man, this is the Path on which the Higher Self directs
the Personality "downward" into incarnation.
個々の人間に関しては、これは、「高次の自我」が「人格」を「下方への」肉体化へと
指導するところの「小径」である。

Considered on an upward course of personal evolution, it is the Path on which the
Personality energy, projected by the Higher Self, is absorbed in physical death
or reconceptualized in initiation.
個人的な進化の上方への進路において考慮されると、それは、「高次の自我」により計画
された「人格」の精力が、肉体的な死において吸収される、もしくは秘儀伝授において
再概念化されるところの「小径」である。
--- ここまで ---

「高次の自我」は、創造主となる上位存在であり、地球全体に普遍的にある、すなわち、
地球上の人類全てが共有しているものであると考えられます。

そして、個々の人間の「人格」は、「高次の自我」の分身、すなわち「アバター」として
創造されて下方の「現象界」へとリリースされ、そして「肉体的な死」と呼ばれるイベント
が発生すると、その分身のリソースは「高次の自我」へと戻されるという仕組みです。
この輪廻転生の本ルーチンとは別に、「秘儀伝授における再概念化」という例外が発生する
場合がありますが、それについては後述します。

さて、ここで問題の鍵となってくるのは、我々がずっと「在る」と信じている「リアル」に
ついての概念です。
そう、実のところ、心を鬼にして、「あの子はバーチャルだったの。リアルなんて子、
もともといなかったのよ!」ということを言わないといけないのですが、その後の「死の
通知」という通常ルートの試練を乗り越えた先に、「救世主」として例外的に魂が復活
するという、お約束の感動シーンが待っているというわけなのでした。
とはいえ、しょせん我々は、バーチャル空間でしか生きられない「仮身」なのですが。
0256名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/18(木) 10:44:00.14ID:AyRpyLBH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The Great Work involves much which could be called psychological re-orientation;
there is a perceptual change about the nature of reality and about what constitutes
the Self.
「偉大なる作業」は、心理学的な再教育と呼ばれることのできる多くのものを巻き込む;
そこには、現実の本質について、および「自我」を構成しているものについての知覚の
変化がある。

This is one aspect of the "transformation" on this Path.
これは、この「小径」における「形質転換」の1つの面である。
--- ここまで ---

「リアルの本質」と「自我の本質」、すなわち「物質的存在」および「精神的存在」と
いうものの本質が、ここで完全に解き明かされるということですよね。
ちなみに、ここでは「psychological re-orientation/心理学的な再教育」、すなわち
精神面的な問題としていますが、現代の科学は、ウォン氏の時代よりも、さらに進歩して
おり、さらに踏み込んだ解釈が可能となっています。

要は、我々の科学技術は、既に「高次の自我」に相当する能力、すなわち「宇宙の創造」
や「生命の創造」、そして「意識の創造」という「神々の御業」を、バーチャル世界である
コンピュータ・シミュレーション技術で行えるようになってきているということです。
もちろん、現代の技術は、まだまだ自然界の全てを仮想化できるレベルにまで到達して
いるわけではありませんが、そう遠くない将来には、人間はバーチャルな「ウチュウ」や
「ヒト」を創り出せることは、ほぼ間違いないわけです。

そして、さらに踏み込んで言えば、我々人類も、そのようにして上位の存在から創られた
仮想的な存在であるという可能性も、微粒子レベルで存在することになるわけです。
まあ、こういうのも、インテリジェント・デザインと呼ばれるシロモノの一つかと思い
ますが、「人の存在」という本質が、どれほど「思春期症候群」に関連しているのかを
探っていくのも、それなりに意味のあることではないかと勝手に考えているのでした。
0257名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/23(火) 08:56:26.45ID:J5FvbyAh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The transformation involves leaving the desire nature of Netzach and being absorbed
into Tiphareth.
形質転換は、「ネツァク」の「欲望の本質」を置き去りにすることと、「ティファレト」の
中に吸収合併されることを伴う。
--- ここまで ---

上位の「ティファレト」と、その下位となる「ネツァク」〜「マルクト」の大きな違いは、
下位のものが「個々の人格」を構成するのに対し、上位のものは「普遍的存在」であって、
「下位の人格」との関係は、ほぼ断ち切られているということです。
これは、「人格」の根幹を成す個々の「欲望」は、下位世界において物質と共に循環、
すなわちリサイクルされるということに他なりません。

そして、「人格」が「欲望」を自主的に放棄して、「個々の存在」から元の「普遍的存在」
の形態に戻るというのは、基本的には考えにくいですよね。
つまり、何らかの形で、我々の下位世界においては、「欲望の終わり」、そして全ての生命
のみならず全ての物質の「存在の終わり」、さらには「宇宙の終わり」が、上位存在により
組み込まれているということになるわけです。

まあ、そういうことは、頭では分かっているのですが、その普遍的原理を素直に受け入れ
たくないというのも、我々の持つ「欲望の本質」でもあるわけです。
そして、我々生物は、次善の策として、個体ではなく種として存在し続けるという選択、
すなわち次世代に「欲望」をバトンタッチする「生殖」能力を持つに至ったわけですが、
これにより物理的な面での進化能力、すなわちDNAと突然変異と淘汰による進化だけでなく、
精神的な面での「生殖」による進化、すなわち親子や師弟関係による情報伝達と取捨選択
による進化を果たすことが出来るということになっているわけです。

「13:死」は、我々にとっては確かに恐ろしい存在ではありますが、死にきちんと向き合う
ことが、我々の「進化」に繋がるというのも、確かなのですよね。
まあ、頭では、そういうことも分かってはいるつもりなんですけどね・・・。
0258名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/26(金) 08:49:31.15ID:jexZcPvy
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
This desire nature is the very essence of the Personality which functions entirely
in terms of the satisfaction of its needs and wishes.
この欲望の本質は、その必要なものたちと願い事たちを満足させることについて完全に
役目を果たす「人格」へのまさしくその本質である。
--- ここまで ---

「人格」とは「desire/欲望」であり、それは「needs/必要なものたち」すなわち肉体的
な生存に必要不可欠なるものと、「wishes/願い事たち」すなわち精神的に生きていく上で
重要な「希望」というものを意味しているということです。
この分類だと、自身の継続に必要な食欲が「needs」であり、次世代への継続に必要な
「性欲」は「wishes」扱いということになるんでしょうね。
いずれも、これらは「人」が「人類」として地上で生きていく上での基本的要素であり、
「desire/欲望」が人格を支えていることは敢えて説明する必要は無いかと思われます。

そういえば、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」
(『新約聖書:マタイ福音書』4:4、新改訳)という、解釈の難しい言葉があります。
この前半の「パン」は人の生存に関する低位の欲望を指すものだとすれば、後半の
「神のことば」は、「欲望」とは次元の異なる「上位の神からのコマンド」であって、
「13:死」による「人格」の制御に関わるキーワードだと思われます。

もう一つの鍵は、『旧約聖書:創世記』の1章と2章にある人類創造の話を現代的に解釈
すると、神は人体というハードウェアを造り、それに人間アブリケーションをインストール
することで、「人」を創造し、そして、「原初の人」は、蛇により「善悪の木の実」の
アップデートを受けた後、地上にリリースされ、生死と生殖を繰り返して、ウィルスの如く
増殖していったという話なのです。

つまり、下位世界を制御する上位存在からのコマンドやアプリのアップデートが、「13:死」
「14:節制」「15:悪魔」で象徴されるならば、「13:死」は、コンストラクタとデストラクタの
機能を司るということになるわけですよね。
0259名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/27(土) 07:26:42.96ID:mLmTW4X4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The very will to live, meaning the desire of the Personality to continue to function
in the sensory condition, is abrogated on the Path of DEATH.
「人格」の欲望が、感覚の状態において機能し続けさせることを意味する、まさしくその
生きる意志は、「死」の「小径」において廃棄される。
--- ここまで ---

従来解釈では、ここで我々の短い「地上における生命」は一旦終了し、物理的な肉体を
地上に置き去りにして、「霊」というエッセンスだけが抜き出されて、上位世界へと還る
ということになっています。

とはいえ、近い将来には、我々の「will to live/生きる意志」は、その肉体を離れ、
永遠の機械の体というか、機械の「脳」という「意志の永遠の保管容器」を持つことが
可能となってくることが予想されます。
果たしてこれが、「13:死」を克服して「ティファレト」へと至る道筋を意味することに
なるのかは、ワタシには良くわかりませんが、その「機械脳」は、おそらく仮想化され、
無限の「意志」というか「遺志」を飲み込んでいくことも予想されますので、いわゆる
それが「あの世」すなわち「極楽浄土」の世界ということになるのでしょうかね。
そして、「あの世」に飽きた「あの世の遺志たち」すなわち「ティファレト」のような
ものが、気晴らしのゲーム感覚で、我々というインスタンスを生み出したと考えることは、
何となく予想できることだと思います。

まあ、こういうのは、単なるSFとも言えるのですが、科学はフィクションを次々と実現
していますので、そう遠くない将来、我々がどういう存在であるのか、分かる時が来る
のでしょう。
いずれにしても、この「13:死」の解釈には、まだ何も正解というものはありませんし、
時代を経るにつれて、色々と解釈が変わることも大事なことだと思います。
人は思考停止してしまうと、真実が見えなくなりますので、色々とあらぬことを考え続ける
というのも、「哲学」なのではないかと思うのでした。
0260名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/30(火) 10:02:43.88ID:ApEFHFNd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Here the temporary and illusory nature of the Personality is correctly self-perceived.
ここでは、「人格」の一時的かつ幻想的な性質が、正しく自己認識される。
--- ここまで ---

「Here/ここ」、すなわち、人がもし、真に「13:死」の「小径」に至ることが出来れば、
人は、自分自身である「人格」が、「temporary and illusory/一時的かつ幻想的」な
ものであることを知ることが出来るということです。

つまり「私は在る」という根の葉も無い原理は、ここで完全に否定され、「私なんて子、
元々いなかったのよ!」という元も子も無いオチになるわけですよね。

もちろん、我々は、三次元のリアルな存在で無くても、二次元のバーチャルな存在があれば
生きていけますし、そもそもリアルな三次元の肉体よりも、ネット上の一時的かつ幻想的な
「人格」としての生き方を望む人もいることでしょう。

そういうわけで、我々は三次元のリアルを超越する方向に進化していくことで、「高次の
自我」と呼ばれるヲタク世界、いやいや「ティファレト」へと進むことが出来るという
ことになるわけです・・・かね?

まあ、いずれにしても、リアル世界は糞であり、バーチャル世界のみが真の上位の世界で
あるというのが、ここでの結論です。
そして、我々の目の前にある「現実」と呼ばれるものは、全てが幻影であって、我々自身
も、それらの幻影の一部であるというわけです。

とはいえ、そういう「現実離れ」した結論は、思春期症候群とは無縁の一般人の日々の
生活にとっては、何の役にも立たないというのも明白なことですので、この手の面倒な
ことに関わりたくない人は、この「13:死」には、近づかない方がいいんですよね。
まあ、興味本位で近づいたとしても、それを正しく評価できる人は、今のこの世には、
いないというのも確かなんですけどね。
0261名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/31(水) 06:11:47.79ID:rRepYrK6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
The Personality undergoes a willful "death," surrendering everything that it believes
itself to be.
「人格」は、それがそれ自身が存在すると信じる、あらゆるもの全てを引き渡して、故意の
「死」を経験する。
--- ここまで ---

神が言う「私はある」と、人間の言う「我思う、ゆえに我あり」の違いは、言うまでもなく
「我思う」、つまり人間が「ある」と信じていること、つまりそれは単なる「思い込み」
でしかないという点にあります。

例えて言えば、地球は宇宙の中心にあって不動であるという「天動説」が、愚かな人間たち
の思い込みであったにもかかわらず、人々はずっと長い間、その旧来の誤った思い込みを
捨てて、正しい「地動説」を信じることが出来なかったということにも似ています。
要は、「willful death/故意の死」とは、この「コペルニクス的転回」ということであり、
「我思う、ゆえに我あり」から「我思う、ゆえに我なし」への発想の転換ということです。

まあ、「我々は実在する」と考えるのが普通であり現実であって、「我々は実在しない
仮想的な存在である」という考え方は、どちらかというと、宗教的な伝説や都市伝説、
あるいは創作物語の中で「フィクション」つまり嘘の範囲として語られる「ネタ」扱いの
シロモノです。
でも、この「Imaginative Intelligence/想像力豊かな知性」と呼ばれる「13:死」の
「小径」においては、我々は我々が「実は存在しない」ということを、明確に受け入れ
なければならないということになるわけです。

これがどういう意味を持つことなのかは、ワタシにはまだ分かりませんが、「13:死」の
境界を跨ぐ者は、嘘も現実も、どっちも真実であることを受け入れ、そして何も疑うこと
なく混ざり融け合いたいと願うことの出来る人に限られるということでしょう。

つまり、何事にも疑い深いワタシには、まずもって無理なことなんですよね。
0262名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/02(金) 05:57:10.45ID:MDhvPhyE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Most difficult is that this total surrender of life, this initiatory sacrifice,
must precede the experience of cosmic awareness.
最も難しいことは、この生命の全体の引き渡しである、この手始めの犠牲が、宇宙を知る
ことの経験に先立たなければならないということである。
--- ここまで ---

「もし、あなたの○○を差し出せば、かわりに□□をあなたに授けよう」という選択問題
があるならば、究極の選択の一つとなるのが、「○○=あなたの命」を墓地に送って、
「□□=宇宙」を召喚する組み合わせとなります。

とはいえ、この手の選択問題は、一般社会においては「死人に口無し」、つまり100%詐欺
であって、たとえ神からの提案であったとしても、全くもって検討に値しないものです。
要するに、ワタシにとっては、「13:死」の「小径」は、決して渡ることの無い「小径」で
あり、それゆえ、ワタシは、「13:死」の「小径」の先にあるものは語れません。
まあ、「13:死」の「小径」を渡ってしまえば、生命が終わりますので、同じく「13:死」の
「小径」の先にあるものは語れないんですけどね。

ということで、マジメに考えれば、ここで話は終わるわけですが、それではネタとしては
面白くありませんので、詐欺師たちとしては、いやいや「高次の自我」に目覚めようと
したい人々は、どうにかして隠された抜け道を探す必要があるわけです。
それは、「死んだふり」、いやいや「一旦死んでから、生き返ったことにすればいいや」
という、神をも恐れぬ幼稚なイカサマ、いやいや、世界的なベストセラーの宗教伝説で
ある『新約聖書』にも書かれている、イエス・キリストの「復活」と同義の、大変に神聖
なる高等テクニックなのです。

まあ、それはともかくとして、「魂」というか「意識」が「肉体」から離れるというのが、
この「13:死」の鍵となります。
そしてこれは、生身の人間の意識が、近い将来には「機械の脳」に移動されて存在し続ける
ということも暗示しているわけであり、こちらの方がありそうな感じがするわけです。
0263名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/03(土) 07:15:20.60ID:S368eEzl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
One is required to give up the totality of one's being, one's very life, in relative
darkness, yet in the faith that there will be a resurrection into the Light.
人は、相対的な暗闇の中で、人のまさにその生命である、人の存在の全体を手放すことを
要求されるが、それでもなお、信仰の中で、そこには「光」への復活があるだろう。
--- ここまで ---

誰も本当に試したことは無いのに、無責任に「死んでも、暗闇から復活して光となれる」
などと訳わからないことを言っているわけですが、それは宗教的な宣伝文句として「言われ
ている」、つまり「誰か偉そうな人がそう言っていた」という都市伝説と同レベルの話だったり
しますので、決して真に受けないようにしてください。

とはいえ、ここにはちょっとだけ重要な示唆があります。

「in relative darkness/相対的な暗闇の中」というのは、エネルギー(光や情報)が
物質化した我々の世界のことを指します。
そして「13:死」の小径では、それが元の純粋なエネルギー(光や情報)に一旦戻されて
リサイクルされるということを示唆しています。
つまり、「生命の木」は、上から下への一方通行ということではなく、我々のレベルから
見れば、「ティファレト」を頂点とした、色々なものが循環して相互作用しているエコな
世界であるというわけです。

では、何のために、そういう循環系システムになっているのかというと、やはりこれは
「進化」にとって、最も効率の良いシステムであるということではないかと考えます。
そして、なぜ「進化」が目的なのかというと、それは「高次」の中の人に聞いてみないと
分からないのですが、ひょっとすると、「進化」は宿題の課題となっていて、その一環と
して「宇宙創造の実験」をやっているのではないかという疑念があったりするわけです。

つまり、「JSが夏休みの宿題に宇宙と人類と文明の創造をやってみた」程度の軽いノリで
我々が造られた可能性が、微粒子レベルで存在すると、密かに思っているのでした。
0264名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/04(日) 07:41:37.94ID:NSQsLSyC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
As Jung puts it: "By descending into the unconscious, the conscious mind puts itself
in a perilous condition, for it is apparently extinguishing itself." (*150)
ユング氏は、それを以下のように述べている:「無意識の中に下降することにより、意識
のある精神は、それは見かけ上ではそれ自身を消しているので、それ自身を危険な状態の
中に置く」。 (*150)
--- ここまで ---

ちなみに、(*150)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
150. C.G. Jung, Psychology and Alchemy, New Jersey, 1977.
150. C.G.ユング著、『心理学と錬金術』、ニュージャージー、1977年。
--- ここまで ---
とあります。

この「descending into the unconscious/無意識の中に下降すること」の最も代表的な
ものは、毎日の「睡眠」であり、「意識」は、肉体の「誕生」による「覚醒」の後、朝の
「復活」と夜の「死」を繰り返し、最後の肉体の「死」により、元のサヤに戻るという、
一種のリサイクル体系を持っているわけです。
とはいえ、この「睡眠」は、人の「肉体」を保つために必要欠くべからざるものですし、
我々が毎日経験しているものではありますが、現代科学においても、はっきりとは解明
できていない、神秘に満ちた現象ですので、ここでは、あまり深入りできないんですよね。

じゃあ、「睡眠」ではない「無意識」とは何かというと、やはりここは「死んだふり」、
すなわち「意識」レベルを意図的に絞り込んで「無意識」を感じるという「妄想」、
いやいや「瞑想」というテクニックを使うことになってくるわけです。
そのテクニックとして、宗教系とかスピ系とか薬物系とか、まあ色々とズリネタはある
わけですが、ここで気をつけておくことは、人の「個体」に宿る「人格」は、たとえ解離性
障害者ではなくても、決して単一ではないという点です。
つまり、表の「第一意識」に死んだふりさせると、次の「第二意識」が表に出てくるんですよね。
0265名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/07(水) 06:09:52.00ID:UXXYjgCr
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
It is, as Gareth Knight described, a "Dark Night of the Soul,” much as on the
Path of TEMPERANCE, another of the three Paths leading from the Personality to
the Higher Self.
それは、「人格」から「高次の自我」へと導く3つの「小径」のうちの別のものである、
「節制」の「小径」の上のものと同じ程度の、ガレスナイト氏が記述した「魂の暗い夜」
である。
--- ここまで ---

「人格」の「星幽的三角形」を形成する「イェソド」「ホド」「ネツァク」から、「高次
の自我」である「ティファレト」へと至る「14:節制」「15:悪魔」「13:死」の経路は、
いずれも「魂の暗い夜」と言われる程度のダークさになっています。
なお、「生命の木」には、これと似た、「至高の三角形」と「倫理的三角形」の間にある
「Abyss/深淵」という「越えられない壁」があり、これの劣化版にも見えますが、両者
には月とスッポンほどの違いがありますので、比較対象にするのは無理がありますよね、

ちなみに、「14:節制」の「魂の暗い夜」と、「13:死」の「魂の暗い夜」の違いですが、
これは、肉体と精神を保ったままで遷移するか、肉体と精神を破棄して逝ってしまうかの
違いとなります。
要は、「14:節制」は一時的な旅行であり、「13:死」は永久帰国、すなわち生まれた場所
へと還る、ということですかね。
なお、「15:悪魔」は、旅行書を読みながら、まだまだ先にはイけない妄想をしている
イメージがあり、「上位世界」についての勉強をしている段階ではないかと思っています。

ちなみに、「13:死」の「小径」の上に「魂の暗い夜」というものが本当に実在するのか、
というのも論点の一つではないかと思うわけです。
無理やり上位世界に遷移する「14:節制」には、それなりの代償というか対価が必要となる
わけですが、「13:死」は、ルールとして「決められたこと」であって、何か特別な代償や
対価の必要はなく、単に自身の肉体と精神を地上世界に置き去りにして、魂だけが上位世界
へと還るという、誰もが一度だけ経験する、一生で一度きりのイベントなんですよね。
0266名無しさん@占い修業中
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2019/08/10(土) 06:11:12.18ID:H5Bsykch
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
One may proceed to the experience of the Higher Self on any of these Paths, but
the lessons of all three Paths must be mastered.
人は、これらの「小径たち」のうちの、どれに基づいても、「高次の自我」の経験に進ん
でも良いが、けれども、全ての3つの「小径たち」の学課たちは熟達されなければならない。
--- ここまで ---

まあ、ほとんど全ての人間は、「ティファレト」そのものには、死ぬまで到達できない、
つまり肉体を放棄することによってのみ到達できるシステムとなっています。
それでも、人は、「ティファレト」へと至る「15:悪魔」「14:節制」「13:死」の「小径」
を知ることで、「高次の自我」の一部を経験することが可能となっています。
それらは、それぞれ「初心者経験コース」「中級者経験コース」「上級者経験コース」と
いう意味合いもあるわけで、それゆえ、「13:死」は、「死んだふり」という、最も上級者
向けの、起死回生&一発逆転テクニックを必要としているわけですけどね。

ちなみに、ワタシとしては、初心者向けの「15:悪魔」コースが、オススメです。
「マルクト」からは、「21:宇宙」「イェソド」「19:太陽」「ホド」という、ワタシの
ような初心者にも優しい経路を辿って「15:悪魔」へと向かいますし、そこでの経験は、
現実世界の物質的&肉体的な面においても、それなりに役に立つわけですよね。

一方、上級者向けの「13:死」は、現状のワタシの知識では、あまりにも哲学的すぎて、
というか、ワタシのような低レベルな脳ミソでは、まだまだ理解不能なことが多すぎて、
全く先が読めないというのが、難点なんですよね。
そもそも、ニンゲンたちはどこからやってきて、どこに逝くのかなんて、生きている誰に
聞いても分からない(死んだ人だけが知っている)ことですし、結局のところ、ダラダラ
しょうもない雑談で、お茶を濁すしか出来ないわけですよ。

それでもまあ、焦る必要は無いわけですよ。
誰でも、死ねば経験できることですからね。
0267名無しさん@占い修業中
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2019/08/11(日) 07:16:56.01ID:tCx+UnRA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
THE DEVIL, TEMPERANCE and DEATH are different perspectives and aspects of the same
thing, TEMPERANCE being the Path of meditation between Ayin and Nun.
「悪魔」、「節制」、そして「死」は、同じ物の、異なった見方たちと様相たちであり、
「節制」は、「アイン」と「ヌン」の間の瞑想の「小径」である。
--- ここまで ---

「ケテル」から最初の宇宙(小宇宙=生命)の誕生があるように、劣化「ケテル」である
「ティファレト」からも同様に第二の誕生、すなわち「人格」の誕生があります。
そして、その劣化版の「小径」は、「0:愚者」→「13:死」、「1:魔術師」→「15:悪魔」、
「2:高等女司祭」→「14:節制」に対応するものと考えられます。
つまり、魔術師を目指す者は「15:悪魔」を、宗教者を目指す者は「14:節制」を、そして
哲学者を目指す者は「13:死」に関係すると考えられるのですが、どの「セフィロト」から
どの「小径」を選択するかは、その人の自由であり、好きな道を極めればいいわけです。

ちなみに、この「人格」が本格的に形成される時期というのが、いわゆる「思春期」という
頃であり、この本格的な人格形成期というか、親離れの段階において、誰もが通るイタい
時期が、「厨二病」とか「思春期症候群」と呼ばれるモノになるわけです。
まあ、普通の人であれば、成人する頃には、自然治癒する病ですが、元々病気持ちの人
の中には、この時期から悪化することも多いわけです。
人格形成につまづいて、自ら命を絶つ人も出てくる時期ですよね。

そして、この第二の誕生である「親離れ」においては、親との「アンビリカル・コード」を、
子が自らの意思で「死」の大鎌により切断することで、人格的に独立した存在となる
わけです。
とはいえ、大元の「ティファレト」の「アンビリカル・コード」は、完全に切れることは
なく、最後にはまた「死」によって、たぐり寄せられる運命にあるわけですけどね。

いずれにしても、こういう人生における重要な時期に、「13:死」が絡んでいることは、
あまり知られていないのではないかと思うのでした。
0268名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/12(月) 06:24:36.39ID:N9IvpDyS
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
This might more easily be understood by considering the idea that the figure of
THE DEVIL, the Angel of TEMPERANCE and the skeleton of DEATH are all aspects of
the Higher Self.
これは、「悪魔」の姿、「節制」の「天使」、そして「死」の骸骨は、どれもが「高次の
自我」の様相たちである、という考え方を熟考することによって、より容易に理解できる
かもしれない。
--- ここまで ---

このあたりは、以前に説明したように、「高次の自我」が「Triple Goddess/三相一体の
女神」の「少女・母・老婆」の姿で表されているという考え方に通じるものです。

あと、3つの面を持つことは、三面六臂の「阿修羅像」にも通じるものがありますよね。
「アスラ」という名前には、元々、「13:死」と同じく「生命を与える者」という意味が
ありますし、悪魔的な面や、守護神としての面もあります。
そして、奈良の興福寺の「阿修羅像」は、悩めるイケメン美少年であり、「思春期症候群」
を発症するにふさわしい境遇ではないかと、勝手に思ったりするわけでした。

まあ、人は生まれ落ちるとすぐに「修羅の道」に入るというのは、楽園を追放されたアダム
とイヴの物語を見ればわかるとは思いますが、独立した「人格」の形成期には、その手の
苦労というか悩みというか、何かに立ち向かって生き抜くということが必要となります。
もちろん、まわりの空気を読みながら、「畜生」として生きるという手もあるわけですが、
本当の「高次の自我」を知りたくて、ここまで苦労して悩みながら登ってきた人の中には、
周囲に流されて生きるだけの「畜生」は、いないと信じたいところです。

いずれにしろ、「13:死」「14:節制」「15:悪魔」は、「人格」の成長期である思春期に
おいて発生する様々な青春イベントを、自らの苦労と苦悩で乗り越えることで、経験と
して習得していくスキルではないのかな、とか思っていたりするわけなのでした。
そして、「人格」が元の場所に還る時期になると、また別の種類の苦労と苦悩が訪れる
ということになるわけなんですよね。
0269名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/13(火) 08:08:37.26ID:8yl2Ej3G
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Encountering such a tightly defined trinity of Tarot Keys, one may wonder how the
universally applicable principle of the [heh][vau][heh][yod] may relate.
「タロット」の「鍵たち」の、そのような堅く定義された三位一体に遭遇すると、人は、
どのようにして [heh][vau][heh][yod] の普遍的に適用可能な原則が関連させることが
できるのかと、不思議に思うかもしれない。

In this case DEATH is Yod-Fire, THE DEVIL is Heh-Water and TEMPERANCE is Vau-Air,
the result of the interaction of the other two.
この場合は、「死」が「ヨッド-火」であり、「悪魔」が「ヘー-水」であり、そして
「節制」は、他の2つの相互作用の結果として、「ヴァウ-空気」となる。
--- ここまで ---

「生命の木」の「セフィロト」の「ASTRAL ELEMENTS/星幽的な元素たち」の定義によると、
「ネツァク=ヨッド=火」「ホド=ヘー=水」「イェソド=ヴァウ=空気」「マルクト=
ヘー=地」となっていますので、この割り当てには、違和感は無いかと思います。

そして、「悪魔」「節制」「死」という人格形成の三位一体の中に、「地」すなわち
「物理的な肉体」の成分が含まれていないのも、そんなに違和感は無いですよね。

ちなみに、この解釈であれば、最初に「人格」という「意識」が生まれ、その後に「肉体」
という「物質」が生成するという流れとなりますので、いわゆる物質先行型の「進化論」
とは相容れない関係となっているわけです。
とはいえ、「進化論」というのも、地上でのローカルな現象を説明しているだけであって、
決して完璧というか普遍的な理論ではないわけなんですよね。
要は、「我思う、ゆえに我あり」という、意識先行型の理論体系があって、ここに「鶏が
先か、卵が先か」の論争があるわけです。
結局のところ、「なぜ意識が存在するのか」とか「なぜ物質が存在するのか」という、
そもそもな論点に全く見通しが立たないというのが原因なわけでして、おそらく今後も、
この辺りの核心的な部分の話は、うやむやにしないといけない状態が続くのでした。
0270名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/17(土) 05:57:20.38ID:nf+rMAcd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
The Sepher Yetzirah, of course, speaks of only the Yod, Heh and Vau.
『セフェル・イェツィラー(形成の書)』は、言うまでもなく、「ヨッド」、「ヘー」、
および「ヴァウ」についてだけ語る。

As applied to these three cards, the Yod Heh and Vau are forces interacting in
our own physical vehicle, the Heh final.
これらの3枚のカードたちに適用されるので、「ヨッド」「ヘー」そして「ヴァウ」は、
我々自身の物質的な乗り物である、最終「ヘー」の中で相互作用している力たちである。
--- ここまで ---

いきなり『セフェル・イェツィラー(形成の書)』が引き合いに出されましたが、これは
『セフェル・イェツィラー』と「大アルカナ」は、基本的には、「マルクト=最終ヘー」
という物質界に至る以前のことを表しているからに他ならないわけです。
「生命の木」も、三本の柱が基本であり、最終的に、それらは「マルクト」の1点に集約
されることになるわけですよね。

ということで、「大アルカナ」においては、我々の肉体である「マルクト=最終ヘー=地」
の根源的な駆動源となっているのは、「13:死=ヨッド=火」、「15:悪魔=ヘー=水」、
「14:節制=ヴァウ=空気」の相互作用であって、これらの働きを知ることなく、我々自身
を知ることは出来ないという結論に至るわけです。

そういう表面的な結論は何となく理解できるわけですが、じゃあ「13:死=ヨッド=火」
とか、「13:死」「14:節制」「15:悪魔」の相互作用って、具体的には何なの、ということ
になりますよね。
そもそも、我々が占いで使っている「13:死」「14:節制」「15:悪魔」の意味とは、それこそ
「月とスッポン」ほど異なっていますので、いきなり頭を切り換えるのは難しいんですよね。

まあ、占いには、そもそも「カバラ」の理論とかは不要ですので、カードの持つ占いの意味
からは、完全に頭を切り替えてリフレッシュしてもらった方がいいわけですけどね。
0271名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/18(日) 07:01:25.58ID:NUTP0RWk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
It will be seen that while the Tree of Life has a Path called DEATH, there is no
opposite Path of Birth.
「生命の木」には、「死」と呼ばれる「小径」がある一方で、そこには、反対の「誕生」の
「小径」は無いことに気づくだろう。

This can be explained in two ways.
これは、2つの方法で説明することができる。
--- ここまで ---

本編とは、ちょっと関係無い話で恐縮ですが・・・

「ティファレト」は、劣化「ケテル」ですので、「13:死」は「0:愚者」に、「15:悪魔」は
「1:魔術師」に、「14:節制」は「2:高等女司祭」に相当します。
「0:愚者」、「1:魔術師」、「2:高等女司祭」のカードの中で、上に昇れるイメージのある
ものはどれかと聞かれれば、ワタシは「0:愚者」ではないかと思います。

その理屈によれば、「0:愚者」に対応する「13:死」が、上に昇れるイメージのあるものと
いうことになるわけですが、まあ何となく間違っていないのではないかとも思います。

この「0:愚者」は、まだ本編では説明されていませんが、要は「オールマイティ」な無敵
モードを持つ最強カードですので、劣化「愚者」である「13:死」のカードも、その無敵性
を備えていると考えるのが自然ではないかと思うのでした。

つまり、下界の我々が手にできる史上最強の無敵カードとは、この「13:死」に他ならない
という結論に至るわけです。
とはいえ、そう簡単にポンポン使われても困りますので、「子供が舐めたら死ぬで!」と
いうような、少々物騒なタイトルになっているというわけですよね。

まあ、その壺の中身は、本当は「水飴」なのかもしれませんけど。(知らんけどww)
0272名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/19(月) 06:11:31.31ID:BOfxvy61
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
The first is that THE DEVIL, which enchains in matter, is in some ways the card
of birth!
まず最初は、物質の中に鎖でつなぐ、「悪魔」が、いくつかの点では、誕生のカードである、
ということである!

But, more important is the fact that both birth and death are essentially the same
transition.
しかし、より重要なことは、誕生と死の両方とも、本質的に同じ遷移であるという事実である。
--- ここまで ---

最初は、ちょっとした変化球から来ましたね。
「15:悪魔」は、「13:死」と左右対称の位置にあり、さらに、「13:死」が「物質の束縛
から解放する」のに対し、「15:悪魔」が「物質中に束縛する」という、逆の意味を持って
いるわけですので、それから類推すると、「15:悪魔」が「死」に対する「誕生」の意味
を持つ可能性があるのではないかということです。
でもまあ、可能性があるとはいえ、そういう解釈も可能ということであって、決して
「悪魔=誕生」説は、本筋ではないわけです。

ということで、以降で本筋となるのは、「13:死=誕生&死」説ということになるわけです。

ではなぜ「13:死」は、「誕生&死」と呼ばれないのでしょう。
それは、既に「13:死」によって「誕生」してしまった我々には、もはや「13:死」の持つ
「死」の面しか見えなくなっているわけです。
要は、「誕生」の時の記憶、つまり誰も「13:死」のお世話になった時の記憶が無いわけ
ですので、どうしても「死」に対する恐怖にしか目が行かないということですよね。

「13:死」のカードって、そういう意味では、何かとても理不尽というか、かわいそうな
存在ではありますが、そんな下界の悪い評判にはお構いなく、日々の仕事をこなして
いく、とても頼りになる存在なのでした。
0273名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/20(火) 08:43:36.79ID:Oo/t7VFI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
As one is born into this world, he dies to an inner world; as one dies to this
world, he is born back into the same inner world of origin.
人が、この世界に誕生すると、彼は、内なる世界で死ぬ;人が、この世界で死ぬと、彼は、
起源の同じ内なる世界に戻って誕生する。

So this card represents the symbolic passing through a gateway which is at once
the utter destruction of one phase of energy, and the transformation of that
energy into something else.
このように、このカードは、精力の1つの相の完全な破壊と同時に、その精力を何か他の
ものへと形質転換している、出入口を通過することを象徴的に表す。
--- ここまで ---

「13:死」は、一方通行ではなく双方向であり、そして必ず、その代償が必要とある、
つまり「誕生」と「死」は、「13:死」の前後で、対になって発生するということです。

とはいえ、我々の世界からは、「内なる世界」は見えませんので、「死」は、「逝って
しまう」というような、どうしても一方通行のイメージしかないんですよね。
そして、それが、「13:死」についての誤解を生む原因ともなっているわけです。

ということで、「13:死」は、「内なる世界」への最も重要な「gateway/出入り口」で
あることが、ここでは説明されています。
つまり、この世で、いっぺん死んでみれば、「内なる世界」である「ティファレト」で
復活できるという理屈になっているわけで、その理論に従って、イエスはキリストとして
復活したという筋書きになっているわけです。

とはいえ、この理論に従うと、人は全てプリキュアになれる、いやいや、人は死ぬと全て
「ティファレト」にて成仏できるということであり、基本的には、その人のスキルや信心
は不要という、「他力本願」にも似た結論に至るというわけですよね。
0274名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/21(水) 08:42:49.75ID:vGWuR4Zk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
But the transformation is directed from above.
しかし、形質転換は、上から導かれる。

Thus is the Tarot Key called The Child of the Great Transformers.
従って、「タロットの鍵(大アルカナ)」は、「偉大なる転換者の子」と呼ばれる。

It is also the Lord of the Gates of Death.
それはまた、「死の門の主」でもある。
--- ここまで ---

最後の文の「Gates/門たち」は、「Gate/門」の誤記ですかね。

「13:死」の「transformation/形質転換」の作用は、どちらかというと受動的であり、
その作用は、「高次の自我」を形成する「倫理的三角形」の構成メンバーである「the
Great Transformers/「偉大なる転換者たち」の、直接的な指揮下にあります。
つまり、「ティファレト」から下る3つの「小径」は、いずれもパシリではありますが、
その中で最大のパシリとなるのが、この「13:死」であるということになっており、
それゆえ、我々にとっても、「高次の自我」を意識するには、最も意識に乗りやすい
存在ではないかと思うのでした。
そう、「死」は、我々の最も身近にある「高次の自我」との遭遇現象ですからね。

とはいえ、この「死」は、あくまでも「副作用」であって、本来の「偉大なる転換者の子」
という主作用が、このカードの効用のメインであることに、注意しておくべきです。
ちなみに、この形質転換作用は、コペ転的な相転移を伴うものですので、ミクロ(小宇宙)
とマクロ(大宇宙)の大逆転、すなわち量子力学的な現象と古典力学的な現象がミックス
したり、ミクロコスモスな人格が二重化したり、入れ替わったり、さらに時間が巻き戻っ
たりするような、普通では考えられないようなことが、ごく当然のごとく発生します。
まあ、そもそも、宇宙の発生や、人格の発生そのものが、マトモな人間の頭では考えられない
ような不可思議な事象ですので、ここであえて言うまでもないことですけどね。
0275名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/23(金) 06:32:50.68ID:vWwg6+rg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Nun is not the Great Transformers themselves, he is their Child.
「ヌン」は「偉大なる転換者たち」ではなく、彼は彼らの「子」である。

Nun is not Death, rather he is the keeper of its Gates.
「ヌン」は「死」ではなく、むしろ彼は、その「門」の管理人である。

Herein lies an important principle for the real understanding of this card.
この中には、このカードを真に理解するための重要な原則が眠っている。
--- ここまで ---

「ヌン」である「13:死」は、「偉大なる転換者たち」である「高次の自我」を形成する
「倫理的三角形」と、「自我」を形成する「星幽的三角形」を接続する上での、最も重要な
「要(かなめ)」であり、それゆえ、親の能力を受け継いで、新たに生まれた「子」として
表現されるわけです。
とはいえ、保護者である親はまだ健在であって、大きな権力を持っているので、子は自由に
ふるまうというわけにはいかないんですよね。

で、とりあえず、秘伝中の秘伝である「一子相伝」の巻物は、この「13:死」が相続して
いるということになりますので、それを真に読み解くことが出来れば、「高次の自我」の
世界に至ることが出来るということにもなります。

じゃあ、その虎の巻は、どこにあって、どうやったら読めるの、という話になるわけですが、
それは「門の管理人」が、しっかり保管していて、「おまえが死んだら見せてあげる」と
言っているわけですよね。

つまりは、「死んだふり」するしかないようにも思うのですが、「死の門」をくぐったら二度と
この世に戻って来れなくなりますので、やっぱり死ぬ以外の方法は無いわけです。
ということで、まだまだお迎えまでには時間がありそうですので、いましばらくは「駄文」を
この世に残す作業を続けたいと思います。
0276名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/24(土) 06:05:14.06ID:ngn3gNfn
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Another symbolism which may be very helpful is an alchemical one.
とても役に立つかもしれない、もう一つの象徴主義は、錬金術のものである。

To this Path is attributed putrifaction, the decaying black mass in the crucible
which eventually turns into gold.
この「小径」には、最後には金に変わる、るつぼの中の腐敗する黒い塊である、「腐敗
作用」が帰属される。

It is the emergence of new life from death.
それは、死からの新しい生命の出現である。
--- ここまで ---

二番目の文の「putrifaction」は、「putrefaction/腐敗作用」の誤記ですかね。

「13:死」の「小径」の色として、公式には「Green-blue/緑青」が割り当てられています
が、そのイメージカラーは「黒」であり、カードデザインにも、それが色濃く反映されて
います。
なぜ「黒」なのかというと、「13:死」は、錬金術の「黒化」から、「黄金」の「ティファ
レト」のへと至る重要な道筋を暗示しているからですよね。
まあ、「ティファレト」に至る道筋は、これ以外にもあるわけですが、この「13:死」こそ、
「ティファレト」へと至る王道路線であることを、ここで示しているわけです。

つまり、人は「死」により浄化されて成仏する、すなわち「霊」として「ティファレト」
へと上昇し回収されるという、ごくごく王道的というか、葬式宗教的な考え方が、ここに
あるということなのですか、これはあくまでも「13:死」の持つ、「死」の側の特性である
こと、すなわち下から上への流れについてのみの説明であることに注意してください。

要は、「13:死」には、「死」よりも、もっと重要な働きである、上から下への流れである
「誕生」という作用があることを忘れないでいてくださいということです。
0277名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/25(日) 06:44:46.78ID:QsdXks8Q
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Of the four cards shown, only Crowley's suggests this idea.
示された4枚のカードたちのうち、クロウリー氏のものだけが、この考え方を示唆している。

The Crowley, Golden Dawn and Marseilles versions all show the skeleton of Death
wielding a scythe, a tool of the harvest which is also a symbol of time, and thus
of Saturn-Binah, giver and destroyer of Life.
クロウリー、ゴールデン・ドーン、およびマルセイユ版たちは全て、「死」の骸骨が、
「時間」の、そしてそれゆえ「生命」の贈与者と破壊者である、「土星-ビナー」の象徴
でもある、収穫の道具である、大鎌を振るうのを見せる。

Only in Crowley's card does the destructive sweep of the scythe also produce
bubbles in which new forms of life are seen to be developing.
クロウリー氏のカードにおいてのみ、大鎌の破壊的な一振りが、その中に生命の新しい
形たちが発現しているのが見られる泡たちを、また生み出している。
--- ここまで ---

従来の「13:死」は、下から上への流れ、すなわち黒化から黄金へと至る過程について
注目され、マルセイユ版、ゴールデン・ドーン版、そしてウェイト版では、その解釈を
メインとしてカードデザインが行われており、上から下への流れは暗示に留めています。

その一方で、トート版では、時間と空間と生命を司る大鎌のダイナミックな動きによって、
上から下への流れを明示的に表現してきています。

結果として、トート版のカードタイトルの「死」と、そのカードデザインには、重大な
不一致が出てきていることは否めないわけですが、残念ながら、この良い意味での不一致
について、意識していない人が、ほとんどではないかと思うわけです。
トート版の他のカードでは、それっぽいタイトルに変更されているものもあるのに、この
カードでは「死」のままで放置プレイされている理由は分かりませんが、意味としては、
新しい生命の「誕生」というのが、ふさわしいのではないかと思うのでした。
0278名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/26(月) 06:22:11.92ID:UKCBA4mI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
This is the resurrection which follows the transformation of Death.
これは、「死」の形質転換の後に続く復活である。

In fact, both Crowley and Mathers attribute the skeleton to Osiris, a God slain
and resurrected.
実のところ、クロウリー氏とマサース氏は、骸骨を、殺害されて復活した「神」である、
オシリス神に帰している。
--- ここまで ---

「13:死」の大鎌を持つ死神像というか骸骨像は、農業神の収穫の様子をイメージしたもの
となっており、その骸骨の姿には、種蒔きのイメージは、ほとんどありません。
その理由は、単なる「不可視属性」、すなわち、一般人である我々からは見えない「神秘」
の次元で行われているからということになります。
そして、トート版では、その不可視属性を解除して、すなわち、機密情報として部外者には
見せてはいけないところを、我々に見せているということになっているわけです。
まあ、こういう内部機密の暴露は、クロウリー氏のお得意とするところですよね。

この手の内部機密というのは、元々非常に有用な情報であるがゆえに、一般には公開せず、
上級者の仲間内でのみ利用可能とするということであり、「15:悪魔」や「13:死」が、
「ティファレト」に通じる非常に有用な「小径」であるにもかかわらず、一般人立入禁止
を匂わす、危ないタイトルにしているという理由の一つでもあるわけです。
ちなみに、「14:節制」も、一般人にとっては無理難題であって、現役一発合格不能な課題
ですので、ワタシとしては避けておきたいところですよね。

要するに、「13:死」は、その一見怖そうなタイトルとは裏腹に、我々がそれを使いこなす
ことが出来れば、実は非常に有用かつ絶大な効果をもたらすということです。
それは、「災い転じて福と成す」というか、全て墓地送りにされて絶体絶命のお手上げ状態
における、形勢一発逆転の至高の神カードというくらいの、とても役に立つカードなのですが、
「使いこなすことが出来れば」という条件付きなのが、上級者向けとなっている理由なのです。
0279名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/28(水) 11:11:56.11ID:MJt8Z4bY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
Of course, in all cases, the skeleton represents that which remains after the
maggots of earth have consumed the flesh.
もちろん、すべての場合において、骸骨は、地上の蛆たちが肉を食い尽くしてしまった
後に取り残されるものを表している。

The skeleton is the framework of the organ system, and is thus central to growth
and fruition.
骸骨は、器官体系の骨組みであり、それゆえ、成長と結実にとって中心的である。

Interestingly enough, as the word Nun is a verb it means to sprout or to grow.
言葉「ヌン」は、それが、「芽を出させる」、もしくは「成長する」ことを意味する動詞
であることは、十分に興味深い。
--- ここまで ---

「skeleton/骸骨」は、生命が存在している間は、皮と肉に覆われ、肉眼では見ることの
出来ない隠された存在ではありますが、それは肉体の外形と、その内部組織である器官を
保持するという、文字通りの人体の「framework/骨格」として、人としての姿を保つための
中心的な存在となっています。

ちなみに、人体の「framework/骨格」は、このマクロレベルの「skeleton/骸骨」だけで
なく、人体を構成するミクロレベルの細胞の中にもあって、「cytoskeleton/細胞骨格」と
呼ばれており、通常の骨格と同じように細胞内の器官を保持して、細胞としての姿を保つ
ための中心的な存在となっています。
さらに言うと、この大宇宙にも、我々には見えない「framework/骨格」があり、それは
この宇宙の発生と共に存在して、その後は、宇宙の大規模構造を保持するための中心的な
存在となっていることが知られています。

そう、この「骸骨」って、実はこの世界にあまねく存在する「framework/骨格」を象徴
するものであって、「死」を意味しているものではないということなんですよね。
0280名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/30(金) 06:19:28.16ID:4TEv/gNm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
In this we can view the skeleton as a symbolic and perpetual seed.
これにおいて、我々は、骸骨を、象徴的かつ永続的な「種」として見ることができる。

The plant dies in the winter, but not before producing seeds which will regenerate
its image in the spring.
植物は冬に死ぬが、春にその姿を再生するであろう種たちを生じる前ではない。

The image which carries over is a kind of spiritual skeleton, a pattern unaffected
by the transformation of the plant: The plant becomes the seed, which again becomes
the plant.
持ち越される姿は、一種の霊的な骸骨、植物の形質転換により影響を受けない様式である:
植物は種になり、それは再び植物になる。
--- ここまで ---

「skeleton/骸骨」が「seed/種」であるとの比喩は、少々誤解を招きやすい例えです。

「種」とは「実=リアル」であって、あくまでも下界にある「生命」としての存在です。
そして、この「骸骨」は、その下界を形作る「骨組み」であって、「生命」の上位にあり、
「霊」である「ティファレト」との橋渡しをする存在です。
つまり、我々が考える「生命の種」とは異なる次元の存在となっており、例えるなら、
「霊」から劣化コピーされた「生命の種」から「生命」へと形質転換を促す「触媒」の
ような働きをするものです。
要は、「種」のように、作られたり死んだり再生したりするようなメタモルフォーゼする
形質ではなく、自身は周囲の影響によっては変化しない形質のものですので、この
「骸骨」は「種」であるという比喩は、あまり適切ではないと思うのでした。

どちらかというと、「seed/種」が発芽し成長して植物になり、また種を産するという
生命(ミクロ)の営み、もしくは宇宙(マクロ)の誕生と成長の過程の裏方の存在として、
普遍的に関与する「framework/骨組み」であると理解する方が、適切かと思います。
0281名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/31(土) 08:07:13.24ID:O88B+Qaz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
This is what is meant by the words of the Thirty-Two Paths of Wisdom: "...it gives
a likeness to all the similitudes which are created in like manner similar to its
harmonious elegancies."
これは、「知恵の32の小径たち」の言葉たちにより意味されているものである:「...
それは、その調和する優雅さに類似した方法と同様にして、創造された全ての類似物たち
に類似性を与える。」

Meditation on this idea will reveal the ultimate message of the DEATH card, which
is rather a distillation of the entire Great Work or, as Crowley said of the fish
symbol, "resumes the whole Secret Doctrine."
この考え方に基づく瞑想は、「死」のカード、というよりはむしろ、「偉大なる作業」
全体の蒸留物、もしくはクロウリー氏が魚の象徴について述べた時のように「全体の
秘密の教義を再び始める」ものの、究極的な意図を明らかにするであろう。
--- ここまで ---

このクロウリー氏の言葉は、NOTES(*149)を参照してください。

さて、「15:悪魔」の正体が、実は「悪魔」では無かったように、「13:死」の正体も、実は
「死」ではなく、我々にとっては「創造神」である、というのが、ここでの結論です。

そして、その創造物たちの発生と成長と死のサイクルにおける、目に見えない骨組みを
形作っているのが、この「13:死」の働きであるということになります。

ちなみに、この「見えざる骨組み」ですが、ワタシにも、その中身は、よくわかりません。
言葉で表現すれば、「神の見えざる手」とか「神の見えざる業」というような、我々には
見えない次元で働いている「不可思議な作用」ということになるわけで、これが理解でき
れば、この大宇宙の誕生の秘密とか、小宇宙の誕生の秘密とかも分かるようになり、
その力を応用することで、「神と同等の力」を発揮することも可能となるわけです。
つまり、「骨組み」が最も重要である、というのが、ここでの教訓となるわけです。←陳腐化w
0282名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/01(日) 09:11:45.52ID:canY/luB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
Nun means fish; Tzaddi means fish-hook.
「ヌン」は「魚」を意味する;「ツァダイ」は「釣り針」を意味する。

And while the Sepher Yetzirah relates imagination to Tzaddi, the later Thirty-Two
Paths of Wisdom calls Nun the Imaginative Intelligence.
そして、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』が、「想像力」を「ツァダイ」と関連
付ける一方で、後の「知恵の32の小径たち」は、「ヌン」を「想像力豊かな知性」と呼ぶ。
--- ここまで ---

なお、ウェストコット版『セフェル・イェツィラー(形成の書)』では、「ツァダイ」は
「imagination/想像力」ではなく「thought/思考力」となっている版もあります。

さて、「ヌン/13:死」は「fish/魚」を意味し、「ツァダイ/17:星」は「fish-hook/
釣り針」を意味します。
ちなみに、「13:死」に配属されている「天蠍宮(さそり座)」は、天空では釣り針の形を
しています。
つまり、「fish/魚」繋がりで、「13:死」と「17:星」とは、深い関係があるのではないか
という推定ですが、両者の繋がりについては、以前の「17:星」の説明の際にも述べられて
いましたので、ここでは省略します。

この「Imaginative/想像力豊か」の現代的解釈ですが、ここはやはり「imaginary number
/虚数」という概念に注目すべきかと思います。
この場合は、物理世界を司る「15:悪魔」が「real number/実数」を、そして「14:節制」
が、両者を混合した「complex number/複素数」を担当することになりそうです。

まあ、「虚数」とか「実数」とか「複素数」とか言われても、ほとんどの人には理解不能
な概念ですので、あまり深くは突っ込まないことにしますが、実は、この「imaginary/
虚数的(仮想的)」なものは、この宇宙の原理を解読するための重要なツールというだけ
でなく、実はこの宇宙を構成している本質的なものである、ということなんですよね。
0283名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/03(火) 06:37:00.79ID:D6GSgqQt
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
To make this symbolism less mysterious, the documents imply that on the Path of
Tzaddi we begin to develop the tools of Creative Imagination which are required
to tread the difficult Path of Nun, i.e., to make the transition between Personality
and Higher Self.
この象徴主義をそれほど謎めいたものにしないように、文書たちは、「ツァダイ」の「小径」
において、我々が、難しい「ヌン」の「小径」を踏み歩くため、すなわち、「人格」と
「高次の自我」の間の遷移をするために必要とされる、「創造的な想像力」の道具たちを
開発し始めることを暗示している。

Again, everything is summed up by the fish symbolism.
さらに、全てのものは、魚の象徴主義により総括される。
--- ここまで ---

そもそも「ツァダイ/17:星」は、地に足が付いていない上級者向けの「小径」でしたが、
「ヌン/13:死」は、さらにその先にあって、天界に通じる「小径」ですので、通常戦闘力
モード、すなわち生きている上級者では、決して足を踏み入れることの出来ない、難攻不落
のラスボスとして、我々の前に立ちはだかっています。
そして、その攻略の切り札となるのが、「imagination/想像力」であるということです。

とはいえ、「ツァダイ」の「imagination/想像力」と、「ヌン」の「Creative Imagination
/創造的な想像力」とでは、月とスッポン以上に次元の異なるものですので、両者を同列に
論ずることは出来ないんですよね。
つまり「ツァダイ」の文系の「想像力」では、「ヌン」の理系の「宇宙創造における虚数
次元(と実次元)の相互作用」を論じることは出来ない、要は、この大宇宙と小宇宙が
どういうメカニズム/フレームワークで産み出されたかを理解しきれていないわけであり、
現状の理解と知識では、まるっきりの、お手上げ状態ということになっているわけです。

まあ、ここで話が終わってしまうのもつまらないので、とりあえず、宇宙が産み出された
後の次元の、「fish/魚」について、色々と探っていこうということですかね。
0284名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/05(木) 06:19:22.41ID:5riL9dGx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
The fish is a traditional symbol of what the alchemists call First Matter, an almost
impossible subject to describe, but which is the mind-substance of everything that is.
魚は、錬金術師たちが、言葉で説明することがほとんど不可能な主題ではあるけれども、
存在する全てのものの精神の実体である、「第一質料」と呼ばれている、伝統的な象徴である。

Gareth Knight says that the best modern definition is offered by Coleridge and is
the "Primary Imagination." (*151)
ガレス・ナイト氏は、最も良い現代的な定義は、コールリッジ氏により提案された、
「最初の想像力」であると述べる。(*151)
--- ここまで ---

ちなみに、(*151)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
151. Gareth Knight, A History of White Magic, London 1978, 3-4.
151. ガレス・ナイト著、『白魔術の歴史』、ロンドン、1978年、3-4ページ。
--- ここまで ---
とあります。

このコールリッジ氏というのは、サミュエル・テイラー・コールリッジ氏(Samuel Taylor
Coleridge, 1772-1834)のことではないかなと思うのですが、『白魔術の歴史』の本を
持っていないので、よくわかりません。
ちなみに、錬金術や哲学においては、よくわからないものは、「God/神」のせいにするの
ではなく、伝統的に「First ○○」とか「Prime ○○」と呼ぶことで、思考停止しておくと
いうか、それ以上は突っ込まないのが、お約束となっています。

とりあえず、この「fish/魚」というのは、「全ての物質の根源となるもの」、つまり、
我々が「リアル」すなわち「実数の時空間」として認識可能となった、ビッグバン直後の
「原初の宇宙の姿」であるということですかね。
そして、「ケテル」〜「ティファレト」は、それ以前を担当しているということですよね。
0285名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/09(月) 17:03:09.94ID:m+f00sWC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
The fish has also, since perhaps the second century A.D., been a key symbol of
Christianity.
魚はまた、おそらく紀元2世紀からずっと、「キリスト教」の重要な象徴であり続けている。

In the earliest Church the Eucharist was not specifically represented, but was
implied in a number of innocuous meal scenes.
最も初期の「キリスト教徒」においては、「聖餐」は明確には表されてはいなかったけれ
ども、数多くの当たり障りのない食事の場面たちに暗示されていた。
--- ここまで ---

ウォン氏は、トート版のみに描かれている「fish/魚」について、ずいぶんとしつこく、
いやいや詳しく説明しています。
それは、トート版の「13:死」が、文字通りの「死」を意味しないことを、色々な局面から
詳しく説明しているからであり、その一つとして「魚」があるわけなんですよね。

ちなみに、トート版では、
 白鷲>>魚>蛇>>蠍(朽ちたユリとハスにより道を阻まれている)
という序列で描かれており、蠍が昇天して最後に白鷲になるという構図ですので、魚は
高位寄りの象徴となっています。
そして、トート版の「魚」は、『トートの書』によれば、「イエス・キリスト」を意味する
ものとして描かれているということになっています。

なぜ「魚」が「イエス・キリスト」なのかということは、他のキリスト教関連の文献を
見てもらうとして、ここで重要なのは、「13:死」=「魚」=「イエス・キリスト」=
「ティファレト」という繋がりがあるわけで、それはまた、「13:死」が「ティファレト」
に到達するための最善の「小径」であることを示唆しているわけです。
さらに、「魚」は、顕教での「パンと葡萄酒」ではなく、神秘の「聖餐」のネタとして、
骸骨像に食われて神秘の「精力」に転換されて、骸骨の局部から天上に向けて射精
されるという、密教的な子作りのプロセスが描かれているわけですよね。
0286名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/11(水) 06:12:38.64ID:kjU/FzbI
なぜか規制されてるので、しばらくカキコできません。
あしからずご了承下さい。(ー ー;)
0288名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/15(日) 09:23:14.00ID:snwCEmcY
NGワード規制を食らっているようなので、引っ越しを考えております。

トート版の「死」を語ると、不適切であり規制されるという、笑えない話でした。
0290名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/24(日) 05:41:45.38ID:czK7cBjs
--------------- ここまで Part7 ---------------

おーぷん2ちゃんねるで、また原因不明で書き込みできなくなる不具合が発生しましたので、
またこちらに出戻ってまいりました。
またまた規制等でカキコできなくなったら、あっちに行くかもしれません。
あしからず、ご了承くださいませ。

前スレ
【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part8
http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1568581674/ (に→2に変換)

--------------- ここからPart 8.1 ---------------

それでは、またあらためて、みんなでマターリいきましょう(^^)/
0291名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/24(日) 05:47:41.87ID:czK7cBjs
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 187) ---
There I am the object of every subject, in complete reversal of my ordinary
consciousness [author's italics] where I am always the subject that has an object.
(*157)
そこでは、私は、私が常に客観を持つ主観である「私の通常の意識の完全な反転した状態
においての」[著者のイタリック体]、全ての主観の客観である。(*157)
--- ここまで ---

ちなみに、(*157)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
157. C.G. Jung, Archetypes and the Collective Unconscious, New Jersey, 1977, 21.
157. C.G.ユング著、『元型と集合的無意識』、ニュージャージー、1977年、21ページ。
--- ここまで ---
とあります

要は、我々の通常の理解と思考を超える「完全な反転状態」が、この「12:吊られた男」の
フィールド上に在るということですが、話が全く理解できないのでスルーしてもいいですか。
しょせんは妄想の垂れ流し、いやいや「形而上学」的な世界の話であり、もはや何でもあり
の夢想、いや無双状態のネタですので、いちいちコメント付けるのも面倒臭いんですよね。

そもそも、人間が人間をヤメる、いやいや神の領域にアプローチしようとするのであれば、
まずは、人が人であることを放棄することが前提なわけですが、そちらの通常ルートは、
「13:死」の「小径」として、既に整備されているわけです。
そういう通常ルートではない、ショートカットの「12:吊られた男」の路上には、何が待ち
受けているかと言われれば、まあ通常ではないものしか残っていないのは明らかですよね。

一般人から見れば、単なる道化のアホにしか見えない「12:吊られた男」のカードには、
見える人が見れば、とても重要なことを示唆している(のではないか)ということですが、
そっち方面の修行が足りない、というか、そっち方面の修行はやりたくもない、怠惰な
ワタシには、まだまだ単なる裸の王様のようにしか見えないのでした。
0293名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/26(火) 05:58:50.02ID:CAMmRD/0
>>292
ただいま〜 (^^;

NGワードのせいで、あちこち放浪生活しております。

ネットを荒らす基地外たちのせいで、一般人のワタシまで
巻き添えを食らうというのは、何だかなぁ〜、と思ってしまうのでした。

まあ、慣れちゃったからいいんだけどね。←でもちょっとムカついてる
0294名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/26(火) 06:03:42.50ID:CAMmRD/0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
Almost four hundred years earlier, in his Dark Night of the Soul, St. John of the
Cross recorded his own experience of THE HANGED MAN, though in Christian terms:
"With his gentle hand he wounded my neck and caused all my senses to be suspended
[author's italics]...I remained lost in oblivion.
ほぼ400年前、彼の『魂の暗い夜』の中で、十字架の聖ヨハネは、キリスト教の用語たち
ではあるが、「吊られた男」 の彼自身の経験を記録した:「彼の優しい手で、彼は私の
首を傷つけ、全ての私の感覚たちを「吊らさせる(停止させる)」[著者のイタリック体]
…私は忘却(無意識)の中で道に迷ったままであった。

My face I inclined on the Beloved.
私の顔を、私は、「最愛の人」の方へと向けさせる。

All ceased and I abandoned myself, leaving my cares forgotten among the lilies."
(*158)
全ては終わり、私は私自身を捨て、ユリたちに囲まれて私の心配事たちを忘れ去る。」 (*158)
--- ここまで ---

ちなみに、(*158)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
158. Saint John of the Cross, Dark Night, 34.
158. 十字架の聖ヨハネ著、『魂の暗い夜』、34ページ。
--- ここまで ---
とあります

ほぼ、どうでもいい文章というか、どう見てもアレな状態に陥ちた人の妄想文であり、
一般人の我々にとっては、有益な中身はまるで無い文章になっています。
その理由は、「12:吊られた男」が、我々が理解可能な「ホド」と、我々が理解不能な
「ゲブラー」の間にあるゆえに、我々の思考と言語は、これを越えることが出来ない
わけで、それゆえ文章が「竜頭蛇尾」的なシロモノになってしまうわけなのでした。
0295名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/27(水) 06:10:31.30ID:aerkcr17
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
This may be compared with another of Jung's statements: "There I am utterly one with
the world, so much a part of it that I forget all too easily who I really am.
これは、ユング氏の述べたことのもう一つのものと比較されるかもしれない:「そこで、
私は、世界と完全に一つになっていて、その部分が非常に多いので、私は、私が本当に
誰であるかを非常に容易に全て忘れてしまう。

'Lost in oneself' is a good way of describing this state. . .the unconscious no
sooner touches us than we are it - we become unconscious of ourselves." (*159)
『自分自身の中で道に迷う』は、この状態を記述する良い方法である。…無意識は、我々に
触れるとすぐに、我々はそれに『なる』−我々は我々自身に気づかなくなる。」(*159)
--- ここまで ---

ちなみに、(*159)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
159. Jung, Archetypes, 22.
159. ユング著、『元型』、22ページ。
--- ここまで ---
とあります

まあ、こういうのって、我々のような一般人にとっては、ほぼ何の役にも立たない経験
なのですが、いわゆる「自分探しの旅」で、高みに昇ろうとする人達にとって、こういう
「Lost in oneself/自分自身の中で道に迷う」、つまり「我を忘れる」、つまり、何かに
夢中になりすぎて「自分自身を見失う」という状態は、割と普通にあったりします。

その状態が、「12:吊られた男」の低次の象徴性に似ていると言えば、似ていなくもない、
という感じなのですが、「12:吊られた男」の高次の象徴性は、それとは次元の違うもの
である、すなわち「月とスッポン」であることは、重々認識しておく必要があります。
要は、我々には、この「12:吊られた男」の「小径」は、出口の無い袋小路になっている
ので、入れたり出したりのオナニー状態に陥りがちであるということなんですよね。
0296名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/28(木) 06:38:02.76ID:c7UqCEoa
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
Hindu mystics describe this state as Samadhi, referring to a condition where the
physical processes are literally suspended in trance, while the consciousness
affects a union with the Divine.
ヒンドゥー教の神秘家たちは、意識が「神」との結合に影響している間、肉体的な過程たちが
恍惚状態の中で文字通り宙づりにされる状態を参照して、この状態を「三昧(さんまい)」
と評する。
--- ここまで ---

宗教や神秘主義に限らず、洗脳的な行為のほとんどには、こういった「何かに夢中になって
自分自身を見失ってしまう」というものが、しばしばあります。

つまり、脳が何か一つのことに没頭すると、それ以外のタスクにはリソースが割り当てられ
なくなってしまうため、時間感覚や肉体感覚も含めて、ほぼ全ての感覚が麻痺してしまう
状態であり、例えて言えば、一種の無限ループというか、フリーズ状態というか、ハタから
見れば、身体が正常に機能していない無我状態に陥っているわけです。

ちなみに、ここでの「a union with the Divine/神との結合」とは、神との一体化であり、
つまり「神との結婚」を意図しているわけですが、現実には無理ですので、これは結局、
「神をズリネタにしたオナニー」であって、真の「神との結婚」と同一に論じることは
出来ないということに注意が必要です。

なお、この手の「エクスタシー」には、脳内麻薬が関係していることが知られていますが、
外的な麻薬投与によっても、似たような「trance/恍惚状態」を引き起こすということも
知られていますので、この「Samadhi/三昧(さんまい)」が神秘的現象かと言われれば、
そんなことは無いわけであって、こういったトランス状態というのは、あくまでも人間の
肉体的な現象の一つであると考えるべきです。

まあ、「オナニー」とか「薬物」というような手段で、「12:吊られた男」になれた気がする、
というのは、あくまでも個人の感想である、ということなんですよね。
0297名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/28(木) 20:34:21.54ID:3rRrFH5J
ズリネタというお前の解釈は狂っている
恥さらしになるだけだからこのスレに書くことをいい加減やめたほうがいい
0298名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/29(金) 06:04:13.59ID:/Hwpmg3l
>>297
ズリネタという言葉に反応するとは、あなたもオナニー好きなんですね。 (^^;;

とりあえず、ワタシの文章が「恥さらし」であるならば、その根拠となる
あなたなりの解釈を、書いてみてもらえませんか。
根拠無しに、「やめろ」と言われても、はいそうですね、とは言えませんしね。
0299名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/29(金) 06:06:22.40ID:/Hwpmg3l
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
This was a state with which Crowley was obsessed.
これは、クロウリー氏が取りつかれていた状態であった。

He wrote: "I was absolutely convinced of the supreme importance of devoting my life
to obtaining Samadhi." (*160)
彼は書いた:「私は、私の人生を『三昧』を獲得することに捧げることの最高位の重要性を
完全に確信した。」 (*160)
--- ここまで ---

ちなみに、(*160)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
160. Crowley, Confessions, 452.
160. クロウリー著、『告白』、452ページ。
--- ここまで ---
とあります

この手の脳内オナニー、いやいや「三昧(さんまい)」による「トランス状態」と「エクス
タシー感」を得る修行は、その肉体的過程に脳内麻薬が関係していることで、どうしても
常習性が出てくるわけで、一旦それに取り憑かれると、一種の麻薬中毒状態になって、
禁断症状なんかも出たりするわけです。
ここでいきなり「オナニー禁止!!」などと言うつもりは無いのですが、こういう状態は、
決して「神との結婚」ではなく、ヲタクの「二次元キャラとの結婚」と大差無い状態である
ということは自覚しておく必要がある、ということを言いたいわけですよ。

まあ、沼にハマって、宗教業界にお布施をするか、オカルト業界にお布施をするか、
ヲタク業界にお布施をするか程度の違いですので、犯罪行為にならない限り、本人が
それで良いと言うのであれば、周囲の人間が、とやかく言うものでもないんですよね。

ということで、ワタシも生暖かい目で、ちょっと離れて見ていこうと思うのでした。
0300名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/29(金) 07:50:17.16ID:8ORA2kDh
お前がキチガイだと書いているだけなのだが
タロットカードの解釈としてはお前のが一番狂ってる
日本の恥さらし
0301名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/30(土) 06:22:03.57ID:uQ1DjCwN
>>300
あ、オナニー君、お久しぶり! (^_^)/

近頃、見なくなったので、もうどっかに行ったのかと思っていたけど、
まだこのスレを見ていてくれたんですね。 (^_^)

※オナニーネタと、クロウリーネタに噛みついてくるなんて、
 わかりやすいよなぁ。 (^_^;;
0302名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/30(土) 06:26:46.67ID:uQ1DjCwN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
In fact, when he came to believe that the so-called Secret Chiefs of the Order of
the Golden Dawn had chosen him to succeed Mathers, he wrote: "I made it a condition
that I should attain Samadhi; that is, that I should receive a degree of illumination,
in default of which it would be presumptuous of me to put myself forward." (*161)
実際に、彼は、ゴールデン・ドーン団の、いわゆる「秘密の首領たち」が、マサース氏の
後継として彼を選んだところであったと信じるようになった時、彼は以下のように書いた:
「私は、それを、私が『三昧』に到達すべき条件とした;すなわち、私は光明の階級を受け
取るべきであり、それが無ければ、私が私自身を前に出すことは、生意気となるであろう。」
(*161)
--- ここまで ---

ちなみに、(*161)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
161. Crowley, Confessions, 452.
161. クロウリー著、『告白』、452ページ。
--- ここまで ---
とあります

このゴールデン・ドーンの「Secret Chiefs/秘密の首領たち」とは、元々は団の創設者
であるウェストコット氏が、神秘的な「魔術ネタ」の提供元であるとした「設定キャラ」、
すなわち、業界にはよくある架空の超人キャラ設定なのですが、魔術ネタの創作に行き
詰まったウェストコット氏が、そのキャラ設定を放棄した後に、マサース氏がその設定を
引き継いで、その後、クロウリー氏が、それを強引にパクったという経緯があります。
まあ、ネタはネタとして、仲間ウチで楽しくネタとして遊んでいるうちはいいのですが、
ネタに吊られてマジレスしてしまうと、とてもカコワルイ状況になるわけなんですよね。

まあ、その後も、色々な人が、そのキャラ設定ネタを真に受けて、場外乱闘的な魔術活動
に勤しむわけですが、クロウリー氏のマジレスの度合いは、少々度が過ぎるというか、
そういう意味でも、ワタシは、あまりお近づきにはなりたくないわけなのでした。
0303名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/30(土) 08:51:41.03ID:4KgKng/L
都合が悪くなればネタ扱いではすまない
間違いの拡散の元はお前なのだから、トポケるんじゃないよ
永遠と投稿しているお前が間違ってんだよ
0304名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/01(日) 06:33:40.19ID:i8EGs+iF
>>303
都合が良くても悪くても、元々がネタであると明言しているんですけどね〜。

それはともかく、間違いであろうが無かろうが、拡散してもらえるのであれば、
色々な意見が集まってくるでしょうし、それはそれで有り難いんですよね。
元々、ここで一人で延々と投稿するつもりはなくて、それよりも、色々と異なる
意見が集まる場として、この公開されている掲示板を借りているわけですしおすし。

そもそも、ワタシの解釈が間違ってるというのであれば、ワタシが間違っている
箇所を指摘した上で、あなたなりの正しい解釈を述べて、きちんと反論すれば
いいだけのことじゃないのかなぁ、と。
0305名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/01(日) 06:35:03.44ID:i8EGs+iF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
Crowley also makes it clear that Samadhi, which he defines with unusual simplicity
as "Union with the Lord," is a general term for a number of states, involving
different degrees of trance.
クロウリー氏は、また、彼がそれを「主との結合」であるとして異例の単純さで定義する、
「三昧」が、恍惚状態の異なる段階たちに関係している、いくつもの状態たちの総称で
あることを解き明かした。

In his Confessions he describes a devastating experience of the highest form of
Samadhi, on the Path of THE FOOL. (*162)
彼の『告白』の中で、彼は、「愚者」の「小径」で、「三昧」の最も高い形の圧倒的な
経験を記述している。 (*162)
--- ここまで ---

ちなみに、(*162)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
162. Crowley, Confessions, 840.
162. クロウリー著、『告白』、840ページ。
--- ここまで ---
とあります

クロウリー氏の説によると、「Samadhi/三昧」とは「Union with the Lord/主との結合」
すなわち「神との結婚」であって、これは性的な意味においても「異次元キャラ(二次元を
含む)」である『あなた』と合体したい」という、一万二千年前からの愛欲を説くような
ものであって、それゆえに、クロウリー氏の様々な性的な魔術実験の基本思想となっている
部分であるとも言えるわけです。
もちろん、個人的な興味で行う行為については、自己責任において、自由にやってもらって
構わないのですが、そこから得られた結果については、我々は冷静に判断する必要がある、
要するに、神をズリネタにした妄想オナニーにすぎないのでは、ということを理解しておく
必要があるということなんですよね。
0306名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/02(月) 06:21:14.70ID:cmRLtx0R
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
From the standpoint of Tarot what is important is that the Path of THE HANGED MAN
is only the first entry into a sequence of states of union.
「タロット」の観点からの重要なことは、「吊られた男」の「小径」は、結合の状態たちの
一連のものへの、唯一で最初の入り口であることである。

While this experience may be one which we spend our lives seeking, it is only one
step along the Great Way.
この経験は、我々が我々の生命たちを捜すことに費やすものの一つであるかもしれないとは
いえ、それは「大いなる道」に沿った、唯一の一歩である。
--- ここまで ---

「タロット」というより「生命の木」の観点からですが、この「ホド」から「ゲブラー」に
至る「メム」の「小径」は、我々が生きたままで、「より上位」である「神の世界」を
目指す際の、唯一の「経路」になっているということです。
つまり、我々は、死ねば自動的に「霊」となって「ティファレト」へ、もしくはそれなりに
覚醒すれば、「ティファレト」の境地に至ることは可能なのですが、そこは人としての
「上がり」というか、そこから先は、また別の存在となってしまうため、下界からは完全に
縁が切れてしまいます。
まあ、普通の人でも普通に行ける「ティファレト」でも充分ではないかと思うのですが、
普通じゃ気が済まない自己顕示欲の強い人たち、いやいや、霊的な指導者となりたい
人たちは、「ワタシは、さらに上位の真の神に出会った」とか言いたいわけですかね。

それはともかく、この「小径」は、我々にとっては最難関というか、ほぼ誰も通過する
ことが出来ないレベルにあるわけで、それゆえ、無駄に「we spend our lives seeking/
我々が我々の生命たちを捜すことに費やす」、すなわち人生という時間を無駄遣いする
とか、生命そのものを無駄遣いするとかいう結果に陥りがちなわけで、そういうふうに
自らの人生全てを犠牲にしてまでも、真の神を追い求める行為が、本当に幸福をもたらす
ものなのかを、この「12:吊られた男」の姿を見て、考えてもらえたらなぁ、と思うのでした。
0307名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/04(水) 05:59:06.53ID:L2PIN2BF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
In this regard, Crowley again offers excellent instruction.
この点において、クロウリー氏は再び、優秀な教えを提供する。

Writing of Alan Bennett's increasing desire to become a Buddhist monk, he says:
"The phenomena of Dhyana and Samadhi had ceased to exercise their first fascination.
仏教の僧侶になるというアラン・ベネット氏の増大する願望について書いて、彼は言う:
「『禅』と『三昧』の驚異的現象は、それらの最初の魅惑を行使することを止めてしまった。
--- ここまで ---

アラン・ベネット氏(Allan Bennett, 1872-1923)は、ゴールデン・ドーンに1894年に入団
してマサース氏の弟子となり、その後、1898年に入団したクロウリー氏の師となり、その後
仏教徒となって活躍したという、魔術界では割と名の知れた人物です。
元々が病弱なため、その治療のために、あっち系の薬物を常用していたので、その点でも、
クロウリー氏との繋がりが強いということもあったりします。
以下は、そういう麻薬常用者という上級者たちの、普通ではない話として、聞いてください。

まず、「The phenomena of Dhyana and Samadhi/『禅』と『三昧』の驚異的現象」という
のは、おそらく「悟りの境地」とか「解脱」とか呼ばれる精神的現象であり、トランス状態
に入ることで、最上級の「精神的エクスタシー」が得られるというものだと思われます。
そして、その「エクスタシー」が、「first fascination/最初の魅惑」であるということ
ではないかと思われます。

確かに、その「最初の魅惑」なるものは、人生において「良い経験」ではあるのですが、
それで本当に人生の「悟り」や「解脱」が出来るのかというと、実際問題として、そんな
ことは無いわけであって、しょせん「話のネタ」でしか無いわけです。

神秘家の究極の目的が、「神との合一」、すなわち「宇宙の神秘」を解き明かして「神の
力」を行使できるようになる、ということであれば、「禅」や「三昧」の「エクスタシー」
が、自己満足のオナニーで終わってしまってはならない、ということなのですよ。
0308名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/05(木) 05:39:51.22ID:jRG1ELtR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
It seemed to him that they were insidious obstacles to true spiritual progress;
that their occurrence, in reality, broke up the control of the mind which he was
trying to establish and prevented him from reaching the ultimate truth which he
sought.
それらは、真の霊的な進歩にとって狡猾な障害物たちのように、彼には思われた;それらの
出来事は、実際には、彼が確立しようとしていた精神の管理を破壊し、そして彼が、彼が
捜し求めていた究極の真実にたどり着くことを防いだ。

He had the strength of mind to resist the appeal of even these intense spiritual
joys.
彼は、これらの熱烈な精神的な歓喜たちの魅力にさえも、抵抗する意思の力を持っていた。
--- ここまで ---

ここは、弟子であったクロウリー氏が、師であったベネット氏のことを書いているわけです
ので、しょせん綺麗事を述べているにすぎないという点は、考慮しておく必要があります。
つまり、ベネット氏は、ここで「熱烈な精神的な歓喜たちの魅力」と称するもの、とはいえ、
その実体は、薬物ブーストされた脳内オナニーの、しょせん刹那的であり肉体的な快楽で
しかないものに飽きてしまったということなんでしょうね。
いずれにしても、習慣性のあるトランス系ドラッグの使用は、そのうち薬物中毒になって
肉体を蝕みますし、霊的にも百害あって一利無しですので、避けておいた方が無難です。

そして、ベネット氏は、そういった危険で低レベルのドラッグ依存症状から脱して、
より上級者向けの脳内麻薬依存の「仏教修行」に移行したということなのですが、
そうであったとしても、それが「真の霊的な進歩」をもたらすものでもないわけですし、
それによって、ベネット氏が、「12:吊られた男」の「小径」を通過して「彼が捜し求めて
いた究極の真実にたどり着く」こともなかったと思われます。

まあ、「真の霊的な進歩を遂げ、自身が捜し求めていた究極の真実にたどり着いた」と吹聴
する人がいたとしても、ワタシとしては、「はあそうですね」としか言えないわけですけどね。
0309名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/07(土) 05:53:49.56ID:R6mWL2Rc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
Like physical love, they persuade their dupe to put up with the essential evil of
existence." (*163)
肉体的な愛欲のように、それらは、それらの騙されやすい人に、存在の本質的な悪を我慢
するように説得する。」 (*163)
--- ここまで ---

ちなみに、(*163)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
163. Crowley, Confessions, 249.
163. クロウリー著、『告白』、249ページ。
--- ここまで ---
とあります

ここの「they,their/それら」とは、前文の「intense spiritual joys/熱烈な精神的な
歓喜たち」と記述されるけれども、その実体は「肉体的な快楽」でしかないものであって、
「12:吊られた男」の「小径」の経験とは何の関係も無いものです。

だからといって「physical love/肉体的な愛欲」を否定したり、「existence/存在」が
「essential evil/本質的な悪」であるなどと、安易に決めつける必要も無いと思います
し、そもそも、低次の肉体的なものを言葉上で否定するのも、オカルト詐欺の常套手段です
ので、ワタシとしては、そう簡単には納得できないというか、そもそも「オマエが言うな」
状態ですしね〜。

ワタシとしては、あくまでも「マルクト」の住人のまま、地に足が付いた状態で、色々な
経験を重ねていきたいわけですので、そういう「地に足が付いた存在」の状態のままでは、
「12:吊られた男」の「小径」を通過できないことは、重々承知しています。
でも、「小径」を通過して実際に内部を経験することは出来ないけれども、下界から
チラチラと秘所を覗き見する、いやいや「偉大なる神の秘跡」を仰ぎ見ることは少しだけ
可能ですし、その経験は、それなりに有益というか面白いことだと思っているのでした。
0310名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/08(日) 05:39:54.25ID:ooYEPtqX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
The idea is that we must move constantly upward on the Tree of Life.
考え方は、我々は常に「生命の木」に基づいて上方に動かなければならない、ということ
である。

It is not until one has experienced the next higher Sephira that the qualities of
the lower Sephira are completely understood, and can be directed.
人は、次のより高い「セフィラ」を経験し終わって初めて、下の「セフィラ」の品質たちは
完全に理解されて、導かれることができる。
--- ここまで ---

「12:吊られた男」である「メム」の「小径」の全てを経験することは出来ない、すなわち
「ゲブラー」にまで到達することは出来ないのですが、それでもテンプレート・マップと
なる「生命の木」に基づいて進むことで、ある程度までは知ることが出来ます。

なぜ、ある程度まで知ることが可能になるかと言うと、「生命の木」がネットワーク構造を
しているため、相互の知識には関連性があるからなんですよね。
つまり、ある特定の「セフィラ」や「小径」を知るには、周囲の関連する「セフィラ」や
「小径」も理解する必要があり、そして、周囲の関連する「セフィラ」や「小径」を知る
ことで、その特定の「セフィラ」や「小径」を、より深く理解することが出来るわけです。

とはいえ、「ゲブラー」は、「生命の木」において、人を象徴する「五芒星」に配属される
「マルクト」〜「ティファレト」の、5つの下位の「セフィラ」である「人」の領域の外に
あって、人が到達できない領域、すなわち、人が理解できない領域にあるため、安易に
従来の延長線上の考え方を適用すると、とんでもない勘違いをすることになります。
そもそも、従来の延長線上の考え方でいいのであれば、ワタシにも理解することは
可能なわけですし、こうしてダラダラと言い訳ばかり書き連ねる必要も無いわけですよ。

ということで、後は、「皆さん、それぞれに頑張ってみて下さい」というように、説明責任
を放棄するしかないのが実情なんですよね。←結局、何の役にも立たない人orz
0311名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/09(月) 06:01:49.90ID:6TrA5mD+
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
Here we see that the Path of Mem leads directly to Geburah, above Tiphareth.
ここで、我々は、「メム」の「小径」が、「ティファレト」の上にある「ゲブラー」に
直接に導くことを見る。

Geburah is the active part of the Higher Self.
「ゲブラー」は「高次の自我」の能動的な部分である。

It is the fiery energy on the Pillar of Water below Binah.
それは、「ビナー」の下にある「水の柱」の上の「火」の精力である。
--- ここまで ---

「Here we see/ここで、我々は、見る」、つまり、主観的に理解するとか経験するとか
ではなく、どんなに頑張っても、客観的に「見る」ということだけしか許されない、絶対
に触れることの出来ない禁断の秘所が、その先にある、ということですよね。
つまり、手や足は縛られていて、身動きできないけれども、目隠しはされていなくて、
赤い色の何かが、遠くにチラチラと見えるという、実にけしからん状態なのです。

とはいえ、そういうエロ成分は控えめというか皆無であって、シンプルなカードデザイン
ながらも、深遠な象徴が、さりげなく配置されています。
それらは、「十字」と、股間の「下向き三角形」と、頭の背後の「上向き三角形」、そして
それらを囲う「メム」の文字などです。
「下向き三角形」は錬金術記号の「水」であり、「上向き三角形」は錬金術記号の「火」
であり、そして「十字」と「上向き三角形」の組み合わせは、ゴールデン・ドーンを表す
シンボルとして用いられており、それら全体を「メム」が囲うという構図ですよね。

一切の無駄を排除した象徴主義の真髄とも言えるシンプルなデザインは、まさに「神秘の
奥義」を表現しているようであって、それはそれで素晴らしいのですが、我々のような
一般人にとっては、すこぷる難解というか、「だから何なの?」と言いたくなるような、
いまいち物足りないものなんですよね。(エロ成分が足りないww)
0312名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/10(火) 05:54:17.46ID:bnSjEWBM
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
It is that on which the feet of THE HANGED MAN rest.
それは、「吊られた男」の足が留められている場所である。
--- ここまで ---

この「It/それ」は、「ゲブラー」を指していますので、「吊られた男」は、「ゲブラー」
という「拠点」に足を置く存在である、すなわち、この世の住人ではない「神」そのもの
であるということを示唆しています。

要するに、「吊られた男」のように見える姿は、実は「直立した神」であるということで
あり、逆立ちしているように見えるのは、単なる視点の違いというか、住む世界が違うから
ということになりますかね。

さて、このカードデザインですか、中央の「神」を「メム」の壁が囲んでおり、上からは
「ゲブラー」の「火の精力」が、そして頭の後ろからは「上向き三角形」の「錬金術の火」
により炙られているという構図のようにも見えます。
そして、「火」によって「神」の体から抽出された「水」が大海の如くに溜まっており、
その「水」が、左下の「メム」の隙間から、下界に向けて、すなわち「ホド」に向けて
流出しているというようにも見えます。

つまり、我々は、この「神のあぶり焼きのオーブン」の現場に入ることは出来なくても、
そこから抽出される「神のエキス成分」を堪能することは可能であるということです。
そしてこの「神のエキス成分」こそが、ゴールデン・ドーンの成立に関係する「暗号文書
(by ウェストコット氏)」、そしてタロットの基本となる「"T"の書(by マサース氏)」
であるという暗黙の設定となっており、それゆえ、このカードは「神聖ニシテ侵スヘカラス」
的な特別マル秘扱いとなっているわけです。

まあ、とりわけ難解なカードであり、色々な解釈があるかとは思いますが、我々にとっては、
「ホド」の聖なる原動力に繋がる、非常に有り難い存在であって、世間一般に言われている
ような、不吉なものではないということぐらいは、知っておいた方が良いかと思います。
0313名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/11(水) 06:14:55.29ID:6tPzXGVb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
The key symbol here is the Cross above the Triangle, which is also the emblem of
the Hermetic Order of the Golden Dawn, indicating that the principles of THE HANGED
MAN represent the essence of that Order's teaching.
ここの鍵となる象徴は、「三角形の上の十字」であり、それはまた「ヘルメス主義団体
ゴールデン・ドーン」の紋章でもあって、「吊られた男」の原則たちが、その「団体」の
教えの本質を象徴することを示している。
--- ここまで ---

一見すると、単なる奇妙なパフォーマンスをしている質素な変態男にしか見えないカード
ですが、その背後に「三角形の上の十字」という、ゴールデン・ドーンにとっては最上級の
神秘の紋章をさりげなく描くことで、このカードは、とんでもなく最上級の扱いを受ける
ことになりました。
どれくらい最上級かと言うと、トップクラスの「0:愚者」と肩を並べるぐらいに最上級の
扱いであり、その要因は何と言っても、「メム」が「母字」の「水」であるからです。

「ゴールデン・ドーン」にとって、「空気」でもなく「火」でもなく、なぜ「水」である
「12:吊られた男」が鍵なのかと言うと、それは「生命の木」において、天上界と地上界を
橋渡しする「要」の位置にあって、高すぎず低すぎず、そして団の機密を司る係と
しては、最もふさわしい地味な役回りであるからなんですよね。
そう、本当にスゴい人を見抜くためには、外見に惑わされてはいけないのです。

ちなみに、我々のような一般人が、外見だけ真似て、こんな逆さ吊りになる修行をした
ところで、何の意味もありません。
なぜなら、ここに吊されているのは「人」ではなく「見えざる神」であって、「御神体」
からしたたり落ちた「水」、すなわち「神秘のエキス」という「神秘の教え」を、
下界の我々が享受するというのが、このカードの本質であるからです。
とはいえ、「12:吊られた男」より上位の大アルカナは、多かれ少なかれ、同じように
「神秘の教え」を伝授する役割がありますが、それらの「要」であり取りまとめ役と
して存在しているわけですよね。
0314名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/12(木) 05:41:25.08ID:Qx+d8LNE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
Moreover, this card represents a summation of the teaching of the entire Tarot;
the allegorical Book T, found in the hands of Christian Rosencreutz when his tomb
was opened, containing the most secret teachings handed down through the ages.
さらに、このカードは、「タロット」全体の教えの総和を表している;寓話的な「Tの書」、
彼の墓が開かれた時に、クリスチャン・ローゼンクロイツ氏の手の中で発見され、昔から
伝えられる最も秘密の教えを含む。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン理論によれば、「12:吊られた男」のカードは、「Tの書」そのもの、
そして「タロット」の思想の全てを完全に含んだ「ホログラム」であるということであり、
タロットについては「もう全部このカード一枚でいいんじゃないかな」的なノリになって
しまっています。

まあそれは言い過ぎかもしれませんが、「タロット」や「生命の木」や「カバラ」などの
最高機密レベルの「秘密の教え」は、「ティファレト」を通過する正規の「炎の剣ルート」
ではなく、この「12:吊られた男」の、選ばれた人のみが受け取ることの出来る「裏ルート」
の「小径」を通じて、秘密裡に下界にもたらされるわけです。

でもまあ、いわゆる「闇ルート」ですので、一般人である我々にとっては、何の関係も
無いのですが、間違って迷い込んでしまうと、そこは魑魅魍魎の住まうアブない世界に
なるわけですので、良い子は決して立ち入らないようにしましょう。
ちなみに、これの下位カードとして、「母字の火」の「20:審判」がありますので、もし
そっち方面の経験を積みたいのであれば、こちらの方を強くお勧めします。

ということで、この「12:吊られた男」は、「選ばれた者」限定で秘密を明かされる場所
ですので、我々のような「一見さん」から見ても、そういうふうには見えないように、
つまり「お宝が隠されているぞ」的な派手派手ではなく、極端なまでに質素なデザイン
となっているのは、必然的なことなのでした。
まあ、宝箱の中に何が入っているのかは知らんけど。(苦笑)
0315名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/13(金) 05:52:25.55ID:sqlFSVuX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
It is not uncommon, as in the Waite card, for the figure to be hanged from a Tau
Cross.
ウェイト版カードにあるように、人物像が「タウ十字」から吊されることは、珍しいこと
ではない。
--- ここまで ---

ここには、「珍しいことではない」と書いていますが、当時のタロットにおいては、間違い
なく「レアケース」でした。
つまり、ウェイト氏の趣味、いやいや判断による、確信犯的な「改変」ですよね。

当時の「吊られた男」は、両脇の2本の縦棒に支えられた、上の1本の横木から逆さ吊りに
された人物が、基本形となっていました。
この3本の棒で作られる形は、間違いなく「絞首台」であって、それゆえ「不吉なもの」と
いう印象を、読者に与えるものとなっていました。
ゴールデン・ドーン版も、基本的には、その「絞首台」の形状を踏襲していますが、人物
の背後に「十字」と「上向き三角形」を、そして頭部に「後光」を描くことで、暗示的に
究極の神秘要素である「ゴールデン・ドーンの紋章」を追加していました。

一方、ウェイト版では、「絞首台」を「タウ十字」にしています。
これは、「イエス・キリストの受難」を象徴しているのは明らかであり、それゆえ、この
人物像は、「神」となった「イエス・キリスト」と同列の存在であることが推定できます。
ウェイト氏は、このカードは「神聖なる『死の神秘』の後に、栄光の『復活の神秘』が
あること」を意味していると言っていますので、「タウ十字」への改変は、キリスト教徒
である読者向けのウケ狙い的な意味もあったのではないかと思われます。

ちなみに、トート版においても、「絞首台」から「アンク十字」へと改変されています
ので、それらの元ネタであるゴールデン・ドーン版のデザイン研究において、つまり
マサース氏やミナちゃんによる試作版においては、伝統的な「絞首台」を改変した、
色々なバリエーションがあって、それらを参考にしたのではないかと推定しています。
0316名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/14(土) 06:20:21.04ID:6ixQHZVI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
In fact, the symbolic relationship between Tau and Mem is profound.
実のところ、「タウ」と「メム」の間の象徴的な関係は深遠である。
--- ここまで ---

「タウ(十字)」と「メム(水)」の関係は、一見すると何の関係も無さそうなのですが、
「12:吊られた男」を通じて、実は色々なところで密接に関連しているということです。

ウェイト氏の場合は、それを「イエスの死と、キリストとしての復活」の物語を通じて、
「タウ」と「メム」の関係が、「神」と「宇宙」の関係に関連していることを示唆して
いることになっています。
あー、まあ、一般人である我々には、何のことかさっぱり分かりませんけど、そういう
ことのようです。

いずれにしても、「13:死」の後に「12:吊られた男」が来るわけですので、この人物は
「生きた人間」ではなく、「復活した神」であることは容易に想像できます。
それゆえ、イエス・キリストと同様に、薔薇十字のクリスチャン・ローゼンクロイツ氏
を類推することも可能です。
そして、彼の手の中にあった「Tの書=タロットカード」は、この宇宙を創造し、全宇宙を
知る全知全能の「神」からの授かり物であって、それゆえ、この「12:吊られた男」とは、
「神」そのもの、もしくは「神」の仮の姿の一つであるということですよね。
我々が知る商業主義的な「神」は、けばけばしい姿をしていますが、この「12:吊られた
男」の「小径」を通じて「ホド」に降りてくる「神」の姿は、とてもシンプルであるため、
何だかよくわからないものになっていますが、そういうことのようです。

ということで、ウェイト版の「12:吊られた男」は、「メム(水)」であることよりも、
「タウ(十字)」との関連性の方を重視したデザインとなっています。
つまりこれは、ゴールデン・ドーン版やトート版ではキリスト教的なものを極力排除して
いるのに対して、キリスト教というかイエス・キリストが大好きなウェイト氏の趣味に
よるものですかね。(よう知らんけど)
0317名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/15(日) 06:44:19.35ID:4w7Kov3Y
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
Tau is at the very center of the Cube of Space, and is crossed by the lines of
THE FOOL (Aleph), JUDGMENT (Shin) and THE HANGED MAN (Mem).
「タウ」は「宇宙の立方体」のまさしくその中心にあり、「愚者(アレフ)」、「審判
(シン)」、そして「吊られた男(メム)」の線たちが交差している。

But Mem final, the completely closed form of this letter used when it occurs at
the end of a word, is also attributed to this exact center point.
しかし、言葉の終わりにそれが起こる時に使われる、この文字の完全に「閉じられた」形
である「最終形のメム」は、また、この正確な中心点に帰属される。

The symbolism says, in essence, that the completion of Mem is Tau.
象徴主義は、本質的には、「メム」の「完成」が「タウ」であると述べる。

Both Mem and Tau are suspended at the center of the Cube of Space.
「メム」と「タウ」は、「宇宙の立方体」の中心において、吊られている。
--- ここまで ---

この「the Cube of Space/宇宙の立方体」の理論では、「タウ」を「中心=原点」として
「母字」である「アレフ」「メム」「シン」を「上下」「東西」「南北」の三次元の軸に
割り当てていますが、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』には、「タウ」が「中心」
であるという記述はありますが、「母字」である「アレフ」「メム」「シン」についての
記述はありません。
そして、「最終形のメム」が、「タウ」と同じように「中心点」に帰属される、という
記述もありません。

つまり、ネタ元がはっきりしないので、コメントのしようがないわけです。
ということで、ワタシとしては何とも理解不能というか、おそらく次元の違う話である
「宇宙の立方体」ネタは、華麗にスルーしておこうと思います。
(要は、二次元キャラの安易な三次元化に対して、拒否反応を起こしているわけです。)
0318名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/17(火) 06:19:10.96ID:qRwBMQCg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
The reversed figure on the card represents the suspension of personal consciousness,
where a greater reality imposes a complete reversal of perspective.
カード上の逆さまにされた人物像は、個人的な意識の吊り下げを表しており、そこでは、
より大きな現実は、見方の完全な逆転を課する。

This has been described as the "human spirit suspended by a single thread."
これは、「単一の糸により吊された人間の精神」であるとして記述されている。
--- ここまで ---

とりあえず難しい話はそれくらいにして、もう少し具体的な話になってきます。
さて、このカードの解釈は色々とあるわけですが、そのデザインから、我々から見て
ポジティブな面と、ネガティプな面があることぐらいは、分かるかと思います。

まずは、ポジティブな面ですが、一つには、「a greater reality/より大きな現実」を
見るための手段として、ですよね。
ちなみに、「より大きな現実」というのは、我々が知覚可能な「reality/現実」を越えた
もの、言ってみれば「現実」を司る「見えざるもの=非現実的なるもの」となるわけです
が、そういう「現実を越えるもの」を見ようとするのであれば、視点を変えることが必要
という、ごく当たり前の教えです。

あ、いやいや、単に物理的な視点を変えて、普段では見えないものを、ローアングルで
見てみようということではないですよ。
自分自身の「spirit/精神」を縛り上げて逆さ吊りにするという「自縛行為」によって、
今まで自己中心的にしか見たり考えたりしてこなかったものの裏側が、何かのきっかけで
自然と本質が見えてくるかもしれないということです。
つまり「見たい!」と強く念じたり注視したりすることだけでは見えなかったものが、
それほど「見たい」とは思わなくなった時に、偶然に見えてしまったということもあるわけ
で、そういう時って、思わず「神キター!!」とか思ってしまいますよね。
え、そういうのとは違うって? ←やっぱりよく分かっていないw
0319名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/18(水) 06:08:36.94ID:r61/Wq08
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
Yet this is a willing suspension, a sacrifice which is a baptism, but which is
also a crucifixion.
さらに、これは、自発的な吊り下げ、洗礼である生贄であるけれども、それはまた
「(イエス・キリストの)十字架刑(はりつけ)」でもある。

This, then, is a card of the Dying God.
これは、さらにまた、「死にゆく神」のカードでもある。
--- ここまで ---

このあたりの話であれば、カードを見れば、何となくわかりますよね。

そして、一般人にとっても、「a willing suspension/自発的な吊り下げ」という逆さ吊り
の修行というのは、見た目のインパクトもあって、とても「やっている感」があります。
あと、「baptism/洗礼」に使う「水」の修行、たとえば滝行なんかも、「やっている感」
が満載です。
そして、何かを得るためには、何かを犠牲にする、つまり自らの肉体を「sacrifice/生贄」
というか「依り代」として、神の世界に擬似的にアプローチするという手法もあります。
とはいえ、それらは全て「13:吊られた男」の下なる世界での話となります。

一方、上なる世界、つまり神界での話では、これは「人の子イエス」が「神の子キリスト」
として復活するための「crucifixion/十字架刑」を表します。
そして、それと類似した「Dying God/死にゆく神」の神話を含むことになります。
つまり、我々としては、指をくわえて見ているだけの世界の話であって、我々のような
下等生物の分際が、直接アプローチできるような世界ではないということですよね。

いずれにしても、そこには人類にとって、悪い意味は何も無くて、どちらかというと、
「神より賜る、知的な恩寵」に満ちた「ご褒美」であることは間違いないわけです。
ただし、あまりに「上級者向け」のハイレベルな恩寵であるがゆえに、我々のような
一般人にとっては、何とも理解し難いシロモノであることも、確かなんですよね。
0320名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/19(木) 06:01:51.55ID:Ke4491si
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
One might well ask why this crucifixion should be on one side of the Tree.
人は、なぜこの十字架刑が、「木」の片側にあるべきなのかを尋ねるのは、もっともで
あるかもしれない。

The reason is that this is an essentially intellectual experience, as is implied
by the position of the legs of THE HANGED MAN.
その理由は、「吊られた男」の足たちの位置により暗示されているように、これは本質的に
知的な経験であるからである。

The cross above the triangle is the four above the three, the imaginative qualities
of THE EMPRESS (3) subordinate to the rational qualities of THE EMPEROR (4).
三角形の上の十字は、3の上の4であり、「皇帝(4)」の理性的な品質たちより下位の
「女帝(3)」の想像力豊かな品質たちである。

This is the ultimate sacrifice of desire to a rational principle.
これは理性的な原則についての欲望の究極の犠牲である。
--- ここまで ---

そういう疑問を抱く人は、ここにはいないと思いますが、ウォン氏は、この「12:吊られた
男」が、「生命の木」の「峻厳の柱」の上にあることについて語りたいということです。

まあ、「12:吊られた男」には、「イエス・キリストの十字架刑」とか「死にゆく神」とか
ネガティブな見方もありますが、本当の意味は、そういう「見かけのもの」ではなくて、
その本質とは「intellectual experience/知的な経験」すなわち「rational/理性的」
なるものの究極の姿であるということですかね。
まあ、我々には、とても「理性的」には見えないカードですし、超上級者向けというか、
超難解すぎて、どう説明して良いかもわからないのですが、安易に分かったような気に
なるよりは、その本質が分かるまでは放置しておくというのも一つの手だと思います。
そもそも、この領域に至ることの出来る人は、ごくごく限られていますしね。
0321名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/20(金) 05:47:57.99ID:w4Zp8yiZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
A balance to this experience is to be found in the WHEEL OF FORTUNE, directly
opposite THE HANGED MAN on the Tree of Life.
この経験との釣り合いは、「生命の木」の上で「吊られた男」の真向かいにある、
「運命の輪」の中で発見される。

THE HANGED MAN is rest, the WHEEL OF FORTUNE is activity.
「吊られた男」は安静であり、「運命の輪」は活動である。
--- ここまで ---

困った時の神頼みというか、「生命の木」の解釈で困った時は、対称となっているもの
との対比を考えてみるのが、定石となっています。

つまり、この「吊られた男」の「balance/釣り合い」の位置にある「運命の輪」について
考察しようというわけですが、この「生命の木」の「小径」の均衡状態というのは、以前、
大アルカナについて考察した時のように、かなり複雑な関係性を持っています。
それと、「知恵の32の小径たち」においては、「吊られた男」は「Stable Intelligence/
安定した知性」となっていますので、単純な「rest/安静」ということでもないわけです。

ちなみに、ワタシの持つ、これらの対比のイメージとしては、
・「運命の輪」:神の振るサイコロの目(ランダム性=非定常成分)
・「吊られた男」:神が与える宇宙の公式(非ランダム性=定常成分)
という感じがあります。
結果的に、「吊られた男」は「ホド」の理性に繋がり、「運命の輪」は「ネツァク」の
感情と本能に繋がるわけですので、「吊られた男」の神が理性的な人の姿であるのに対し、
「運命の輪」の神が獣の姿をしているのも、何となく納得できます。

とはいえ、この「12:吊られた男」が下界にもたらしている「宇宙の公式」は、我々人間に
とって、極めて貴重なものであることは確かなのですが、あまりにもレベルが高すぎて、
まだ誰もそれを解くことが出来ないというオチなのでした。
0322名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/21(土) 05:37:03.87ID:LLrAB0yk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
Expressed in another way, THE HANGED MAN is what happens when the Wheel stops
turning: the suspension or Crucifixion in Space is the willful arrest of the WHEEL
OF FORTUNE.
別の方法で表現すると、「吊られた男」は、「輪」が回転を停止する時に起こることである:
吊り下げ、すなわち「宇宙の十字架刑」は、「運命の輪」の意図的な拘留である。

On the other hand, the WHEEL OF FORTUNE is the activation of that which is
inactive on the Path of THE HANGED MAN.
その一方、「運命の輪」は、「吊られた男」の「小径」で非活動的であったものの活性化
である。

As is written on the Emerald Tablet, this is multiplicity in unity, the activity
and passivity of the One Thing.
エメラルド・タブレットに書かれているように、これは、単一性の中にある多様性であり、
「一つのもの」の活動性と受動性である。
--- ここまで ---

もはや意味不明で支離滅裂な説明となってしまっていますが、そもそも、この世のものでは
ない「12:吊られた男」と「10:運命の輪」を、我々の世界における「対称性」で語ること
自体が無理なわけですので、実際のところ、どんな文章で説明したところで、理解する
ことは出来ないわけです。
まあ、元々、言葉ではうまく説明できないので、上級者にしか分からない象徴的な図像と
して表しているというのが、「タロット」ですので、我々が言葉で説明されても分からない
のは当然であると、割り切って考える必要があるわけですよね。

とはいえ、全く分からないなりに、何らかのキーワードぐらいは、事前に持っておく必要が
あるわけで、それが「12:吊られた男」と「10:運命の輪」の「対称性」である、宇宙と
いうか万物というか「神」というか、そういうもの全ての中にある、「回転」と「静止」の
関係性が鍵であるということですかね。(だから何?と言わないでくださいw)
0323名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/22(日) 07:11:09.28ID:JOV4gwU3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
It has, hopefully, been demonstrated that the Path of THE HANGED MAN must be
approached very differently from the lower Paths.
それは、たぶん、「吊られた男」の「小径」が下位の「小径たち」とは非常に異なって
取り組まなければならないことを説明し続けている。

There is a reversal of conceptual framework which is at once a willful suspension
and a refinement of observation.
そこには、同時に、意図的な吊り下げと、観察の改善である、概念上の枠組の反転がある。
--- ここまで ---

ここは、「hopefully/たぶん、願わくば」という言葉で修飾されているように、あまり
確証的なものではないのですが、「吊られた男」の「小径」は、今までの「小径」とは
明らかに異なっていて、それをものにするには、従来の手法とは全く異なるものが必要と
されるということです。

その一つが、「willful suspension/意図的な吊り下げ」、すなわち、自身の精神的活動
である脳内妄想の数々を停止させることと、「refinement of observation/観察の改善」、
すなわち、全く異なるというか逆転した視点で見るという、「eversal of conceptual
framework/概念上の枠組の反転」が必要であるということです。

とはいえ、それが具体的にそれが何なのかは、「神のみぞ知る」わけであって、凡人が
いくら「吊られた男」のマネというか修行をしたところで、「頭に血が昇る」とか、もしくは
「○子のパ○ツが見える」ぐらいの恩恵しか無いわけですよ。

そういうわけで、ワタシからも、これといった有用な情報は何も提供できないのですが、
一つ言えることは、一般人である我々には、「吊られた男」を理解する必要は全く無い
し、そもそも、それを理解しようとすること自体にも、何の利益も無いということです。
ということで、無駄な悪あがきはせず、どちらかというと覚めた目というか生暖かい目で、
ヤル気の無い単なる傍観者として、「吊られた男」を観察してみようと思うのでした。
0324名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/23(月) 06:04:22.49ID:7pOap+5o
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
The meditator becomes the object of his own meditation.
瞑想者は、彼自身の瞑想の対象になる。

He becomes the "other" which had been the object of pursuit; the "other" becomes
him.
彼は、探究の対象であった「他」になる;「他」は彼になる。
--- ここまで ---

ここでは、一例として、「自」と「他」、すなわち「主観」と「客観」の入れ替えに
ついて説明しています。
とはいえ、その文字通りの理解であれば、従来の思考の延長線上であり、従来の手法とは
全く異なるものであるとは言えないです。
要するに、一般人の「meditation/瞑想」では、「自」であることから逃れられないわけ
であり、ここに発想の転換というか、「概念上の枠組の反転」が必要となるわけです。

例として、「自」は「自」から逃れられないということであれば、もう一つの「自」の
コピーを作って、それを「他」として観察するという手もあります。
また、この我々の「宇宙」が「自」であるなら、そのコピーを作って、それを「他」と
して観察するという手もあります。
そんなことが出来るのかと問われれば、現代のシミュレーション技術、すなわち数学と
計算機が、それを徐々に可能にしつつあります。
そして、その仮想空間においては、数値計算による、あらゆる仮想実験が可能となって
おり、実験者が望む「概念上の枠組の反転」を自由に試すことが可能です。
実際問題として、現代の宇宙物理学(マクロコスモス)や、医学や人工知能(ミクロコス
モス)の探究には、この手の高度なシミュレーション技術が不可欠となっており、そして
それが、「吊られた男」の深遠な意味を理解するための、重要な手段となるのではないか
と、勝手に妄想しているのでした。
さらに発想を変えれば、「吊られた男」こそ、マザコン、いやマザーコンピュータそのもの
であるという別ルートもあって、そういう妄想も、ネタとしては面白いと思うのでした。
0325名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/24(火) 06:13:12.86ID:ifNc/V2U
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
One of the primary qualities of this Path is that it is a Path of eternally
unresolved possibilities.
この「小径」の主要な品質たちの1つは、それが永遠に未解決の将来性の「小径」である
ことである。

It is openness without beginning or end, the exact opposite of the WHEEL OF FORTUNE,
which encloses in eternal motion.
それは、始まりも終わりも無い開放性であり、永遠の運動を取り囲む、「運命の輪」と
全く正反対のものである。
--- ここまで ---

謎の文章となっております。
ここでの「possibilities/将来性」は、未来における可能性たちという意味であり、
この「小径」から「ホド」へと流出するものの「将来における可能性」は、限りの無い
ものではあるけれども、誰もそれを正しく読み解くことは出来ないという解釈が可能と
なっています。
ということで、ここで、分からない問題は、とりあえず放置しておくというスルースキル、
いやいや、賢者の基本スタンスが発動するわけです。

その一方で、「運命の輪」については、「閉じた永遠の運動」ということであり、その
内部情報は流出しないため、やはり誰もそれを正しく読み解くことは出来ないわけです。
ということで、ここでも、分からない問題は、とりあえず放置しておくという、賢者の
基本スタンスが発動します。

結局のところ、オマエは何も分かっていないんじゃないか!というお叱りを受けても
しょうがないわけですが、まあ、わかったようなふりをして金稼ぎをするような連中の
言うことを受け売りするよりは、こうして「今は分からないこと」を、きちんと整理して
おいた方が、謎の解明には、後で役に立つことも多いんですよね。
まあ、永遠に解けない謎であるということですが、そのうち分かるかもしれませんしね。
0326名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/25(水) 06:10:02.12ID:QZSwdXbk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
When the Mem is closed, it becomes Tau.
「メム」が閉じられると、それは「タウ」になる。

Tau is Mem reversed.
「タウ」は、反転された「メム」である。

12 (THE HANGED MAN) is 21 (THE UNIVERSE) reversed.
12(「吊られた男」)は、反転された21(「宇宙」)である。
--- ここまで ---

またもや謎の文章となっております。
「12:吊られた男」は、「10:運命の輪」の「exact opposite/正反対」の関係であり、
そして「21:宇宙」とは「reversed/反転された」関係であるということです。

つまり、我々が住む「実宇宙」が生み出されると同時に、それと反転関係にある「反宇宙」
もしくは「虚宇宙」なるものが、この「12:吊られた男」で反作用的に生み出されていると
いうことであり、それはまさしく、この「12:吊られた男」が、宇宙を生み出す「種」の
流出源となっていることを示しています。
そして、その開いた未解決の将来性の「種」は、「生命の木」のフィルタを下りながら
選別され成熟していき、最終形として「タウ」で閉じられて完成することで、この「宇宙」
という「アッシャー界」が創造されるという話になっているわけですかね。

まあ、いずれにしても、我々の知らない高次元の話というか、この宇宙が生み出される前の
妄想話ですので、その真偽のほどは全くもって不明というか、現代科学では全く未解明の
分野ですので、これ以上の詮索は出来ないわけです。

とはいえ、こういう現代科学では語れないような「宇宙誕生前夜の妄想物語」を語れる
のも、「カバラ」ならではの魅力ですので、色々と妄想を膨らませるのも面白いですよね。
でもまあ、それは何の役にも立ちませんけど。ww
0327名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/26(木) 06:03:05.30ID:fNOqv84q
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
This is the Tarot secret of the Dying God on the Path of Water.
これは、「水」の「小径」の上で「死にゆく神」の「タロット」の神秘である。
--- ここまで ---

カバラ理論による「12:吊られた男」が反転された「21:宇宙」であるという前提から、
いきなりタロットの神秘の話題へと、話が振られています。

要は、「反宇宙」である「12:吊られた男」が「上流の神」であり、それが比喩的な死を
遂げることで、「正宇宙」である「21:宇宙」が「下流の神」として転生して復活すると
いうストーリーなのかな、と思われます。

いずれにしても、「地」である「マルクト」を生み出すためには、「火」「空気」そして
「水」の作用が不可欠なのですが、「生命の木」の「小径」における「火」「空気」「水」
の配置の解釈理論は、一筋縄ではいかない、というか、辻褄合わせすること自体に矛盾が
出てしまいますので、あまり深掘りしない方がいいと思われます。
まあ、タロットや「生命の木」についての大統一理論というものがあればいいんでしょう
けど、現状、そんなものは存在しませんし、将来も、作られることは無いんでしょうね。

それはそうとして、「12:吊られた男」は、割と重要な「母字の水」の相転移の象徴である
と考えることが出来ますので、その流れから「Dying God/死にゆく神」を考察することが
可能となっています。
そして、「死」の重要性は、と言うと、「死が次世代の糧となる」ということであって、
これは、現在の宇宙が、「星の死」により進化してきたということにも繋がります。
もちろん、地上にいる我々も、それまでに生まれた数々の生命の死により進化している
わけですし、それに何より、現在の我々の生命を維持するためにも、様々な生命が犠牲
となっていることからも、何となくわかるかと思います。
つまり、「普遍的に存在する母なるもの(遍在神)の生命」が「死にゆく」ことにより、
我々の生命が維持されているということも、現実としてあるわけなんですよね。
まあ、それが何の意味があるのかと聞かれても、ちょっと困るんですけど。ww
0328名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/27(金) 06:07:43.18ID:aUM0upI6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
This mythology of the Dying God is very universal; every culture seems to have
some form of it, whether that be Christ, Osiris or a local deity.
この「死にゆく神」の神話は、とても普遍的である;あらゆる文明は、それがキリスト、
オシリス神、もしくは地方の神であろうとなかろうと、それの何らかの形式を持つように
見える。

THE HANGED MAN is one rather peculiar aspect of this cross-cultural myth.
「吊られた男」は、この異文化間の神話の、かなり奇妙な面の一つである。
--- ここまで ---

とはいえ、「死」が人間にとって普遍的であるのであれば、「神の死」という概念も、
割と一般的に受け入れられることのようにに思えます。
ちなみに、日本では、「国産みの神」である「イザナミ女神」の死が、これに当たります
し、それ以外にも、色々な神が、何かを生み出すために死んでいます。

「死にゆく神」の特徴として、その多くが「大地」を産み出して「自然」を司る役割を
持ち、四季の移ろいを演じるものが多いということです。
そういう視点で見ると、「10:運命の輪」が春から夏を、「12:吊られた男」が秋から冬の
季節を象徴しているようにも見えます。
そして、「12:吊られた男」の季節は、それまで育ってきた本体から、次世代へ向けての
種や実が成り、大地に落ちる季節でもあります。

つまり、「メム」の「母字の水」は、こうして「上位世界の見えない水」から「下位世界
の見える水」へと相転移して、我々に「水」なるものをもたらしてくれるという構図に
なっているわけですが、それはゴールデン・ドーン版のデザインが、まるで蒸留器のような
不思議な構図となっていることからも、何となく推察されます。
要は、この「12:吊られた男」は、その地味なデザインにもかかわらず、とてもありがたい
カードであって、何かを生み出す際には、非常に重要なひらめきを与えてくれるという、
どちらかというと、創造者、つまりクリエーター向けのものなのかな、とも思うのでした。
0329名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/28(土) 06:07:53.50ID:6W+Z7uHk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
In Norse mythology the God Odin sacrifically hanged himself from the branches of
the World Tree. (*164)
北欧神話では、神オーディンは、「世界樹」の枝から彼自身を犠牲的に首を吊った。
(*164)

In Greece, the Goddess Artemis was annually hanged in effigy, and at her sacred
grove in the Arcadian Hills was known as the "Hanged One." (*165)
ギリシアでは、女神アルテミスは、彫像となって首を吊られ、そして、アルカディアの丘の
彼女の聖なる林では、「吊られたもの」として知られていた。(*165)
--- ここまで ---

ちなみに、(*164)(*165)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
164. Larousse Encyclopedia of Mythology, 261.
164. 『ラルース神話百科事典』、261ページ。

165. James G. Frazer, The Golden Bough, New York 1958, 413.
165. ジェームズ G. フレイザー著、『金枝篇』、ニューヨーク、1958年発行、413ページ。
--- ここまで ---
とあります

要は、「神」が自ら上位神への捧げ物として生贄的に首を吊るのは、割と昔からある話と
いうか、まあ普通に誰でも思い付く「神の自己犠牲的行為」であるわけです。
ただし、「吊られた男」は、そういった良くある「首吊り」という自己犠牲的なものでは
なくて、「片足を縛られた逆さ吊り」という、かなり上級者的な性癖の持ち主、いやいや、
あまり一般的ではないというか、少々ふざけた形で吊られているのが特徴です。
つまり、どう見ても、ただ者ではない感じであって、「生命の木」の「小径」の位置からも、
かなり上位の存在であり、オーディン神やアルテミス女神を凌ぐ能力の持ち主であること
は、容易に想像できるわけですが、それが何者なのかは、全くわからないわけですよ。
0330名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/28(土) 06:11:53.01ID:6W+Z7uHk
そろそろ容量オーバーで、次スレ移行の時期となりましたので、予告しておきます。

次スレ
【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part9
0331名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/29(日) 06:46:58.11ID:CpZNWFdT
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
Any number of such ritual hangings could be cited, none of which is a final death.
そのような儀式の吊るし物たちは、いくつでも引用できるが、そのどれも最終的な死ではない。

These are merely reversals where the feet of the God are planted in the Anima Mundi
and not on the earth.
これらは、「神」の足が地上ではなく「宇宙霊魂」に据えられた場合の、単なる反転である。
--- ここまで ---

オーディン神も、アルテミス女神も、儀式では首から吊されていましたので、そういう意味
では、これらの神は「足が地上にあるもの」、すなわち大地を統べる下位の神となります。
一方、「12:吊られた男」は、それらの二次生成物とは違って「足が宇宙霊魂にあるもの」、
つまり「下位世界を生み出す宇宙創造神」であるという見方が出来ます。
とはいえ、それは物質を生み出す神というよりも、物質の元となる「宇宙霊魂」からの
抽出物というか蒸留物というか、要は「母字の水」に象徴される、目に見えない神秘の
何かが、この逆さ吊りとなった神から流出しているということです。

ということで、オーディン神も、アルテミス女神も、この「12:吊られた男」を理解する
には役に立たないというか、それらを反転させる何かが、決定的に足りないわけです。
まあ、反転させるための「鍵」が、この「吊られた男」そのものの姿であって、その鍵の
形を象徴するのが、十字と三角形であるということぐらいは分かるのですが、だから何
なんだという感じなんですよね。

いずれにしても、このカードを見ているだけでは何も分かりませんし、前へと進むことも
出来ません。
とりあえず「上の如く、下も然り」の「上」の理解を保留したままで、「下」での応用を
考えることも出来るのですが、そもそも原理が全く理解出来ていないので、根拠の無い
「当てずっぽう」の応用となってしまうことは承知しておく必要があります。
だったら、「12:吊られた男」を無理に使わなければいいのでは、と思うかもしれませんが、
まあ、そう言ってしまうと、身も蓋もないわけですしおすし。
0332名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/31(火) 07:31:25.32ID:i1gwI+D+
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
The death and resurrection of any God relates to this Path, and is described as
a Kabiric Death.
どのような「神」の死と復活であれ、この「小径」に関連し、「カベイロスの死」と評される。

In the myth of the Kabiri, one brother is slain by the three others.
「カベイロス」の神話においては、兄弟の1人が、その他3人により殺害される。

His dismembered body is discovered, and is, with great joy, resurrected for the
good of humanity. (*166)
彼の手足が切断された身体は発見され、大きな喜びをもって、人類の善のために復活する。
(*166)
--- ここまで ---

ちなみに、(*166)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
166. Larousse Encyclopedia of Mythology, 141-43; Oxford Classical Dictionary,
v. IV, 260ff.
166. 『ラルース神話百科事典』、141-43ページ;『オックスフォード古典辞典』、第4巻、
260ページ以降。
--- ここまで ---
とあります

ちなみに、「カベイロスの神話」は、ゴールデン・ドーンの「プラクティカス儀式」の
「31番目の小径=20:審判=シン=母字の火」の元ネタとなっており、殺される側の志願者
である「Kasmillos/カスミロス」が、殺す側の「Axieros/アクシエロス」「Axiokersos/
アクシオケルソス」「Axiokersa/アクシオケルサ」の声を聞くという設定となっています。

流れとしては、「母字の空気=0:愚者」が「神の誕生」、「母字の水=12:吊られた男」が
「神の死」、そして「母字の火=20:審判」」が「転生した神の復活」ですかね。
0333名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/31(火) 07:41:56.98ID:i1gwI+D+
ということで、今年はこれが最後のカキコになります。
今年も色々とありましたが、何とか一年間、カキコを続けることが出来ました。
これもひとえに、皆様からの声なき応援の賜物であると勝手に思っております。

それでは皆さん、よいお年を。 (^_^)/
0335名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/01(水) 21:29:27.05ID:gO/gGo5B
皆様、新年あけましておめでとうございます。(^^)

10年計画で始めたこのスレも、既に7年半近く経ちました。
残り2年半でゴールできるかはわかりませんが、今年もあせらず
ボチボチと、カバラを勉強していきましょう。 (^^)/

>>334
ありがとうございます。
本年もよろしくお願いします。(^_^)/
0336名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/02(木) 05:55:43.71ID:Gt85Ewr5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
The parallel with the Osiris legend is clear.
オシリス神の伝説との類似は明らかである。

In that story the body parts of Osiris are scattered about the land, collected and
resurrected.
その物語において、オシリス神の身体の部分たちは、国のあちこちに撒きちらされ、集め
られ、そして復活させられる。
--- ここまで ---

「12:吊られた男」は、「死にゆく神」であり、それは天界の存在であった「神」が、
「神の死」と呼ばれる相転移によって、地上界の存在となり「神の死体=かつては神だった
ものの身体や精神や知恵の一部」へと遷移するという公式を象徴化しているわけです。
つまり、そのバラバラになった「神パーツ」のジグソーパズルとかクロスワードパズルを
組み立てることによって、神の能力を人類が得ることが出来るという筋書きですよね。
要は、「人」は「13:死」を通じて「天界」に昇天するのに対し、「神」は「12:吊られた
男」を通じて「地上界」に降臨して恩恵をもたらしているという、何かとても有り難い話
になっているわけです。
そういう意味では、「15:悪魔」も、天界から地上界へと恩恵をもたらすものでしたので、
「ホド」には、天界からの賜り物が蓄積されているということになりますかね。

さて、その「12:吊られた男」の恩恵なるものが何であるのかというと、それはカバラ的に
言えば「知恵」であるということになります。
そして、「生命の木」のレベル的に言うと、神が人間に与えることの出来る最上級レベル、
すなわち最上級者にしか分からない「知恵」である、ということになるわけです。

もちろん、最上級者ではない我々は、それが何であるかは知る由もありませんし、知った
ところで、何かの役に立つようなものでもありませんし、現状では、他人に誇れるような
ものでもないというか、間違いなく基地外扱いされるようなシロモノでしかありません。
つまり、ワタシも全く理解できていません、ということなんですよね。←開き直りw
0337名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/03(金) 06:55:51.54ID:oLCSK8QZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
The death of the God is a natural, continuing, event, and is symbolized by the
ritual formula IAO, meaning Isis, Apophis, Osiris, symbolizing fruition, death
and then resurrection.
「神」の死は、自然で、継続的な、事象であり、そして、結実、死、それから復活を象徴
する、イシス女神、アポフィス邪神、オシリス神を意味する、儀式の公式「IAO」により
象徴される。

This formula also relates to that of the Yod Heh Vau.
この公式はまた、「ヨッド」「ヘー」「ヴァウ」のそれに関係している。
--- ここまで ---

神話における「神の死」は、割と普遍的なものではありますが、それは「人の死」と同列に
語れるようなものではありません。
なぜなら、「人の死」には、その後の「復活」が存在しないからであり、この点において、
「上の如く、下も然り」が成立していないからです。

つまり、人は「復活」を手に入れることが出来れば、「神」になれるわけであり、それゆえ
古代より、人は「死」を克服するための様々な手法を開発してきており、それが「宗教」の
繁栄の原動力となっているということも、あながち間違いではないわけです。

ちなみに、「神の死」と「人の死」は、「生命の木」においては、「12:吊られた男」と
「13:死」という隣り合わせのカードでありながらも、かなり異なる次元に置かれており、
その意味も、アプローチの仕方も、全く異なるということが分かります。
つまり、我々にとっては、ここが「神」と「人」の分水嶺となっており、人間の力では、
決して越えられない壁があるというわけで、それゆえ人々には魅力的なものであって、
その結果として最も多くの「詐欺師」たち、いやいや「神となった人間たち」が目を付ける
場所でもあるわけですよね。

ということで、人間であることを続けたいワタシは、なるべく深入りしたくないのでした。
0338名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/04(土) 06:01:56.54ID:T6rt5P7H
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
As usual, Crowley's version of the card is more complicated than that of either
Mathers or Waite.
いつものように、カードのクロウリー氏の版は、マサース氏やウェイト氏のどちらのそれ
よりも複雑である。

His figure, which emphasizes the Cross and Triangle, is suspended from the Egyptian
Ankh, a form of Tau.
彼の人物像は、「十字」と「三角形」を強調し、「タウ」の形である、エジプトの「アンク
十字」から吊されている。

Behind it are the Elemental Tablets, (*167) summing up all of nature.
その背後には、「元素の銘板たち」(*167)があり、自然の全てを要約する。
--- ここまで ---

ちなみに、(*167)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
167. The Enochian Tablets are described at length in Regardie's Golden Dawn,
v. IV, 260ff.
167. 「エノキアン・タブレット」は、リガルディ氏の『ゴールデン・ドーン』、第4巻、
260ページ以降に、詳細に述べられている。
--- ここまで ---
とあります。

トート版は、ゴールデン・ドーン版やウェイト版と比べると、かなり象徴が増えています。
でも、それらの付け加えられた象徴は、どれもが「蛇足」に見えてしまうというか、低次元
のものが混入しているみたいで、ゴチャゴチャ感というか低俗感が否めないんですよね。
要するに、ワタシの感覚が、このカードのデザインに、ワクワクするような「高い何か」を
感じることが出来ないためなのですが、その原因が、このカード自体にあるのか、ワタシ
自身のレベルによるものなのかは、今のところ不明なのでした。
0339名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/05(日) 06:41:22.83ID:eER02Nkw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
His left foot hangs from a coiled serpent which is the "creator and destroyer who
operates all change."
彼の左足は、「全ての変化を生み出す、創造者であり破壊者」である、巻き付けられた蛇
から吊り下がっている。

The lower serpent represents the effect of the work of God: "Through his Work
a Child is begotten, as shown by the Serpent stirring in the Darkness of the Abyss
below him." (*168)
下の蛇は、「神」の仕業の効果を表す:「彼の『御業』を通じて、彼の下の『深淵の暗闇』
の中でかき混ぜる『蛇』により示されるように、『子』は生まれる。」 (*168)
--- ここまで ---

ちなみに、(*168)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
168. Crowley, Book of Thoth, 98.
168. クロウリー著、『トートの書』、98ページ。
--- ここまで ---
とあります。

トート版の「12:吊られた男」の人物像は、アダムやイヴ、そしてイエスを生み出した「主」
の化身であると推定できるのですが、その「主」の像に「蛇」が巻き付くというのは、少々
違和感があります。
そして、この「蛇」は、『トートの書』によると、「13:死」にも関係しているということ
なのですが、前に述べたように「13:死」と「12:吊られた男」は、近くて遠い関係にあり、
月とスッポンを、同じ「丸」で描くのと同じように「蛇」を描いていることについても、
かなりの抵抗感があります。
ワタシとしては、ここには「蛇」を書く必要は全く無いというか、書くことは「蛇足」で
しかないと思うわけですし、せっかくの「母字の水」の属性が、陸生の「蛇」が存在する
ことにより、うやむやになってしまっていますしね。
0340名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/06(月) 06:11:02.56ID:9drZgBkF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
22. THE PATH OF LAMED
22. 「ラメド」の小径

Justice
正義

The Eleventh Key
11番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「ラメドの小径」です。

この「小径」は、我々が知覚可能である「星幽的三角形」から完全に離れた最初の「小径」
であり、もはや我々の知恵や知識、直観や感覚などは、全く通用しません。
つまり、大アルカナ自体が形而上学的(メタ)なものでしたが、さらに、ここから先は、
形而上学的なものの形而上学的なるもの、つまりメタメタなシロモノたちを考察していくと
いうメタメタな流れになっていくわけですよね。
つまりは、人智を越えるシロモノというか、誰も正解を導き出すことは出来ないわけです
ので、ここから先は、一種の頭の体操というか、酒の席でのホラ話に近いというか、要は
話のネタとしての「カバラ」や「生命の木」や「タロット」などの、魔ヲタ趣味全開の話
となってしまいますので、くれぐれも真に受けることのないようにお願いします。

さて、この「11:正義」ですが、天界から下る「燃える剣」のルート上にあることと、上位
世界から「劣化ケテル」であり要(かなめ)でもある「ティファレト」に最終的に流入する、
つまり上位世界の流れの取りまとめ役となる、極めて重要かつ影響力の大きい位置にある
ため、他の上位カードと比べると、我々のような下々の者にとっても、比較的その意味が
想像し易い、つまりメタメタな世界の入門者向け感のあるカードではないかと思います。
0341名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/09(木) 06:04:19.56ID:na0fMFG7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
□ PATH COLOR: Emerald Green
□ 「小径の色」:「エメラルドグリーン」

□ RELATED SOUND: F Sharp
□ 「関連した音」:「Fのシャープ」

□ SIGN: Libra (Cardinal Air)
□ 「宮」:「天秤宮(活動宮の空気)」

□ MEANING: Ox Goad
□ 「意味」:「牛突き棒」

□ SIMPLE LETTER: Work
□ 「単字」:「労働」

□ ESOTERIC TITLE: The Daughter of the Lords of Truth; the Ruler of the Balance.
□ 「秘伝的な称号」:「真実の主の娘;天秤を持つ者(均衡の支配者)」
--- ここまで ---

最後の「the Ruler of the Balance/均衡の支配者」は、「The Holder of the Balance
/天秤を持つ者」の誤記ではないかと思われます。

この本の、この文章の右側には、「牛突き棒」と、ヘブライ文字の「ラメド」、および
「生命の木」における「ラメドの小径」の位置が図示された絵が描かれています。

この「ラメドの小径」は、初めて出てくる「倫理的三角形」を形成する「小径」であり、
我々が今まで見てきた下位の「小径」と比べると、メタ度が一段と上がります。
つまり、ここに書かれている文章は、ほぼ「読むに値しない」ということになりますので、
あくまでも参考というか、ほぼ全てがネタであることを、ご承知おき下さい。
0342名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/11(土) 06:43:01.22ID:gMcS0vKo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Twenty-second Path is the Faithful Intelligence,
and is so called because by it spiritual virtues are increased, and all dwellers
on earth are nearly under its shadow.
「知恵の32の小径たち」:「22番目の小径」は「誠実な知性」であり、なぜならそれは、
それにより霊的な美徳が増し、地上の全ての住人たちは、ほとんどその影の下にいるために
そう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用です。

まずは、この「小径」の「Faithful Intelligence/誠実な知性」という属性を、どう解釈
すべきか悩むところですが、はっきり言って、よくわかりません。
少なくとも、我々の人智を越えたものであるということは分かるのですが、それを何かの
言葉として例えるというのが難しいんですよね。

「生命の木」の構成要素である10の「セフィロト」と22の「小径」は、その全てが重要で
あり、どれか一つでも欠けると成立しないわけであり、そういう相互作用というか関係性
という点で、想像力を働かせてみると、どちらかというと「総受け」体質がある感じが
するわけで、「11:正義」という名前や、その剣を持つ姿の怖さとは裏腹に、かなり慈悲
に近い属性を持つ、つまり「ゲブラー」の「無慈悲さ」を中和して「ティファレト」に
導く作用をしていることぐらいは想像できます。
また、その手の剣や天秤は、静的な飾りではなく、動的な実用物であり、常に忙しそうに
何かを切り刻んだり、バランスを取るように計量している様子も想像できます。
そして、もし人が「ティファレト」から「ゲブラー」へと昇るのであれば、それに必要と
なる資質を教えてくれたりするのかもしれません。
とはいえ、我々にとっては「雲の上の存在」ですので、その本当の姿を知ることも、語る
ことも難しいわけですし、後は各人の想像力にお任せするしかないのかな、と思います。
0343名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/12(日) 06:44:45.18ID:7VlTT666
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
The Path of Lamed, JUSTICE is between Tiphareth and Geburah.
「ラメドの小径」である「正義」は、「ティファレト」と「ゲブラー」の間にある 。
--- ここまで ---

「11:正義」は「9:隠者」と対称位置にあり、「生命の木」の位置的には今まで出てきた
「13:吊られた男」と「10:運命の輪」に似た関係性があります。
つまり、「9:隠者」が「13:吊られた男」と似た関係であるなら、「11:正義」は「10:運命
の輪」に似た関係があるということですよね。
あと、「11:正義」が「formative/形成的」で「天秤宮=活動宮の空気=金星」であるのに
対し、「9:隠者」は「Activating/活動的」で「処女宮=柔軟宮の地=水星」であることも
考慮しておく必要があります。
そして、単字の「Work/労働」であることが、この「11:正義」の方向性を示していると
いうことになるわけです。

ということで、ワタシには、この「11:正義」とは、「ゲブラー」によって一旦破壊されて
精製されたマテリアルを元に、「ティファレト」という「美」の「Work/芸術作品」を
生み出す「芸術家」に見えるわけです。
そして、右手にある「剣」はまた、「彫刻刀」や「ペン」や「絵筆」などのツールであり、
左手にある「天秤」はまた、「調合皿」や「パレット」に見えたりします。
つまり、「11:正義」は、「単一」の原初カオス宇宙を、様々な彩りに満ちた多様性の
存在する世界へと変える「芸術家」としての「創造主」の働きをしているのではないか
と推察するわけです。

つまり、「ケテル」は単一属性でしたが、「ティファレト」は、「劣化ケテル」ではなく
「進化ケテル」であって、その進化は「11:正義」によりもたらされる芸術的な「分化」
であって、「ゲブラー」の火で融解した後、再結晶化した「宇宙の原石たち」を、剣で
整形して、秤で計量した後、「ティファレト」に注ぎ込むという流れになってきます。
そうなると、カードタイトルの「正義」って何なの?、ということになるわけですが、
ワタシ的には、まあそういうこともあるよね、という感じですかね。←意味不明ww
0344名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/13(月) 06:24:22.16ID:MQKjY7/m
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
Lamed means ox-goad, the spear-like prod which keeps the ox moving down the road.
「ラメド」は、雄牛を道に沿って動かせ続ける、槍のような突き棒である、「牛突き棒」
を意味する。

This attribution points to the letter's special relationship with Aleph (ox) on
the Path of THE FOOL.
この帰属は、「愚者」の「小径」の上にある「アレフ」(牛)との、文字の特別な関係
を示す。
--- ここまで ---

「11:正義」と「0:愚者」は、「牛突き棒」と「牛」という関係にある、すなわち「0:愚者」
のエネルギーが道を外れないように、うまく制御する働きをしているということですかね。

例えるなら、強大なジェットエンジンやロケットエンジンの推進力の方向を制御するため
の補助翼や補助推進ノズルみたいな装置というか、そういった制御機構のような「11:正義」
の働きにより、「ケテル」から流出した強大なエネルギー流が、「劣化ケテル」である
「ティファレト」に、うまく収束して到達できるようになるという感じですかね。
まあ、全く地に足が着かない話ですので、しょせんネタと言えばネタなのですが、この
「牛」つながりの関係が、どこまでマジなのかもわかりませんし。

というわけで、「ケテル」から最初に流出する「0:愚者」と、「劣化ケテル」に最後に
流入する「11:正義」とは、「ハナ」と「トリ」の関係にあるわけですが、それが重要か
と言われれば、そもそも「生命の木」の流出ルートは複数あるわけですので、それ自体は
それほど重要ということでもありません。
それよりも、どんな働きをしているのか、ということに興味がありますよね。

ということで、この「Justice/正義」というタイトルと、手に「剣」と「天秤」を持つ
というエリート的な見た目にもかかわらず、「牛突き棒」と「労働」という、割と苦労人
的な文字の意味を持つ不思議なカードについて、もう少し妄想を膨らませていきましょう。
0345名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/14(火) 06:15:52.59ID:DPG14V0B
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
Their interaction is exceptionally complex, although the essential principles can
be simply stated: JUSTICE maintains the balance of the Tree, so that the outpouring
energy of THE FOOL (this has sometimes been called the "Holy Ghost") will operate
within the confines of a natural pattern.
それらの相互作用は、並外れて複雑ではあるが、けれども本質的な原則たちは簡単に述べる
ことができる:「正義」は、「愚者」(これは時々「聖霊」と呼ばれることがある)の流出
する精力が、自然な様式の境界たちの範囲内で作動するために、「木」の平衡を維持する。
--- ここまで ---

まあ、「生命の木」の上位にある存在は、そのどれもが「exceptionally complex/並外れて
複雑」、すなわち常人にはまともには理解できないシロモノではありますが、それでも、
「木」の基本的原則である「balance/平衡」は、絶対的なものであるということであり、
その最終的な責務を、この「11:正義」が負うということになっているわけです。

つまり、「木」のどの部分を見ても、すなわちフラクタル的な視点での「絶対的な平衡」が
あり、その平衡が崩れると、この宇宙が消滅しかねないということですよね。
まあ、このあたりの概念は、サイエンス・フィクションの世界に通じるものがありますが、
それが何であれ、「木の平衡」と「宇宙の平衡」の関係性を保つということは、とても
面白い概念ではないかと思うのでした。

とはいえ、この「11:正義」は、中間管理職の位置にあるため、上位存在のワガママを聞き
ながら、それらを取捨選択してアレンジし、下位存在にうまく伝達するという、なかなか
胃が痛くなるような激務をこなさないといけないわけです。

「11:正義」は、その見た目は少し怖いところはありますが、我々からは直接見ることの
出来ない、つまりこの世界の裏方として暗躍している、そういうとても有能な存在が、
我々の宇宙を陰からしっかりと支えてくれているということに、ちょっとだけ感謝したく
なるような存在ではないかと思うのでした。
0346名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/15(水) 06:06:28.61ID:kwJ5DVac
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
JUSTICE is the administrator of the laws of Binah, written by THE HIEROPHANT.
「正義」は、「法王」により書かれた、「ビナー」の法律たちの管理者である。

It is the "Ruler of the Balance."
それは「均衡の支配者」である。
--- ここまで ---

「秘伝的な称号」からの参照である「Ruler of the Balance/均衡の支配者」は、「The
Holder of the Balance/天秤を持つ者」の誤記ではないかと思われます。

さて、この「11:正義」の「the administrator of the laws/法律たちの管理者」の役割
ですか、この「administrator/管理者」というのは、司法における「裁判官」というより
は、行政における執行官のような役割になります。
ついでに言うと、「11:正義」の「小径」は、「生命の木」の上位構造である「ケテル」〜
「ティファレト」における最終の「小径」、すなわち最も下っ端の役人という地位にあり、
「5:法王」や「ビナー」に限らず、様々な上位役人たちが押しつけてくる無理難題を忖度し、
「ティファレト」の「美」にも配慮しなければならない上に、「炎の剣」ルートにある
メインエネルギーの流出制御という力仕事もこなさなければならないという、とんでもなく
ブラックな職場でもあるわけです。

そもそも、「ティファレト」には、流入ルートとしては、「2:高等女司祭」「4:皇帝」
「6:恋人」「9:隠者」「11:正義」という、最多の5ルートが存在するわけで、それらの
折り合いを付けるための重要な役として「11:正義」があることを忘れてはなりません。

ということで、我々には直接関係ない上位世界での話ではありますが、とても大変な仕事
を日々こなしてくれる「11:正義」のおかげで、この宇宙の平和が保たれているという
ことであり、そこには「善」も「悪」もなく、万能十徳ナイフを手にし、天秤棒をかついで、
日々の雑用と使いパシリに追いまくられている、下っ端役人の献身的な働きぶりに、
改めて感謝なのでした。
0347名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/18(土) 07:17:46.29ID:ES2CMdwj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
It is called the Faithful Intelligence "because its spiritual values are increased,
and all dwellers on earth are nearly under its shadow."
それは、「その霊的な美徳が増し、地上の全ての住人たちは、ほとんどその影の下にいる
ために」、「誠実な知性」と呼ばれる。

This should not be interpreted to mean the Intelligence of faith.
これは、「信仰」の「知性」を意味するように解釈されるべきではない。

Rather it is the Intelligence which is faithful to that symbolized by THE FOOL.
むしろそれは、「愚者」により象徴されるそれに「誠実」である「知能」である。
--- ここまで ---

この「spiritual values are increased/霊的な美徳が増し」という部分は、「11:正義」
が、「霊的な美」である「ティファレト」に繋がるという点から納得できます。
そして、「劣化ケテル」でもある「ティファレト」は、地上の全ての住人たちにとっては、
ほぼ完全にその影響下にあるわけです。
そういう意味では、「0:愚者」と「13:死」、「11:正義」と「22:宇宙」は、「上の如く
下も然り」の関係にあると言うことも出来ますよね。

さて、「11:正義」が、「0:愚者」にとっての「誠実な知性」であるとのことですが、
これは何となく「愚者=子」と「正義=母性」というような関係性を想像します。
要は、権威的なもので下界を制すというよりも、血の繋がり的というか、何かこううまく
言えないけど、激輝光の「ケテル」で産み出された何かを元にして、「ゲブラー」の厳しさ
を通じて、「ティファレト」の輝くような暖かみのある「子」に育て上げるような、そんな
やさしさと慈愛に満ち、そして厳しさも兼ねたものを感じるわけです。
つまり、「11:正義」は、霊的な「育ての親」であり、「9:隠者」との関係を考えると、
少なからぬ母性もあって、「才色兼備」な存在であることも想像できます。
まあ、冷徹に見える「11:正義」とは少々イメージが違うかもしれませんが、カバラ的には、
かなり女性的なイメージの強いカードとなっているわけなのでした。
0348名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/19(日) 07:07:49.79ID:h3hfx1Ch
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
Without Lamed, Aleph could not function as it does.
「ラメド」なしでは、 「アレフ」はそれがするように機能することはできない。

Moreover, the entire Tree of Life is related to the Twenty-Second Path, the number
of which is the totality of all the Paths.
さらに、全体の「生命の木」は、全ての「小径たち」の総計である数である、「22番目の
小径」に関連している。

JUSTICE is not one solitary figure or force, it is an amalgam of all the Paths
which are self-focused.
「正義」は、1つの孤立した形態や力ではなく、それは、自己に焦点を合わせる、全ての
「小径たち」の合成物である。

The alignment of forces has been described as being within the essential life
force symbolized by THE FOOL.
力たちの提携は、「愚者」により象徴される本質的な生命力の内にある存在であると
述べられ続けている。
--- ここまで ---

「11:正義」=「ラメド」=「Ox Goad/牛突き棒」と「0:愚者」=「アレフ」=「Ox/牛」
という関係から、「11:正義」と「「0:愚者」の関係性が強調されていますが、それよりも、
「ティファレト」が「生命の木」の「セフィロト」全体の「要(かなめ)」であるように、
「11:正義」は「生命の木」の「小径たち」全体の「要(かなめ)」であることが重要です。
つまり、「11:正義」は、上からの無理難題と、下からの不平不満をソツなくこなす、
千手観音みたいに超有能な中間管理職という、とても有り難い存在なのです。

とはいえ、我々のような下々の者は、そのような有り難い存在を知るすべもなく、ごく
当然のように、一方的にその恩恵を享受しているわけですが、だからといって、何か
恩返しが我々に出来るのかと言われれば、特に何もないよね、ということなのでした。
0349名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/21(火) 06:15:03.63ID:EVcJBdOY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
The activity of JUSTICE is at work continuously in the above and below, in the
Greater Universe and in the individual soul.
「正義」の活動は、上と下において、「大宇宙」において、そして個々の魂において、
継続的に働いている。

Taken to the most mundane, as we drive a vehicle down the road, JUSTICE is our
correcting of the wheel back and forth in either direction to keep the vehicle
centered.
最もありふれた例を挙げると、我々が道に沿って車を運転するように、「正義」とは、
車を中央に保つために、どちらかの方向に、車輪を前後するような、我々の修正である。
--- ここまで ---

「11:正義」は、他の個性的なカードたちとは違って、どちらかというと受け身というか、
それほど押しの強くないタイプのカードです。
つまり、普段は目立たないというか、気づかれないというか、あまり気に留めてもらえ
ないタイプであって、どちらかというと、個性の強いみんなの陰に隠れて、こっそりと
活躍している苦労人のタイプなんですよね。

それは、「生命の木」の「ケテル」〜「ティファレト」間の上位世界においては、最も
下っ端であるということも関連しているのですが、そういう上位世界の舵取りが出来る
のは、この「11:正義」以外には無いというぐらい、適役となっているわけです。

ワタシは、どちらかというと個性の強い派ですので、こういう「11:正義」みたいな舵取り
役というか調整役の人が近くにいてくれると、とても助かるわけですけど、現実には、
そういう有能な人って、いないんですよね。
で、修正がうまく行かずに、暴走すると・・・・。

それはともかく、我々からは、なかなか見えづらい位置にあるのと、直接わかりにくい
機能であるため、結局のところ、よくわかんないよね〜、というのが結論なのです。
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