宇宙人の話はしていないです。
しかもニューエイジには私は否定的な発言をしていますが。オカルティック的であると。これは批判の言葉です。
子宮的なことというのは、比喩表現です。
別に西欧文明だってキリスト教から生まれてるわけで、そもそもの動機は神との関係性ではないのですか。
そして別に私は学問としての易が何故学ぶに値するのかとの疑問を持っているだけです。
それは個人的な疑問ですが。
何故易が学ぶに値するか、易に死ぬからやめろと書いてあるとして、それがある種参考とされる理由ですね。
それは外部から根拠がないとダメだと思うのですが。
私が言ってるのは易経の書いてある内容ではなく、易経という書物そのものの存在の解釈を言っており、それを聞いていたつもりです。
先人の集積のみであるならば正直おばあちゃんの知恵袋的なののすごい版でしかないですよね。
そう考えると自分の望むようなものではないですね。
そもそも世の中に自分が望むものがあるというのが、傲慢なのかもしれないですが。
それと道徳とは何か。語られた道徳が何故語られて道徳とされるのか。その時に人が言ってたからでは通用しないでしょう。
その外部はなんなのかとの話をしてるつもりです。
まぁこれがあなたから見ればオカルトで詐欺的らしいですが、よくわからないですね。
何故この道徳はこの道徳なのかとの疑問に対して答えられないのであれば、解釈をするしかないので、これが神秘主義的であるのは確かにそうですがね。