ところで、このスレ住人で、晩年の高尾氏の鑑定を受けた人はいるのかな?
晩年の高尾氏の鑑定のアドバイスは、的外れが多く、全然当たらなくなったのも知らないってことだよね?
それどころかアドバイスを実行しても、次々に不幸が起こる人もいた
(これが大きな業をつむこととなった)
高尾氏は、算命学を極める最後の過程で最終的に変な世界(因縁解脱とか)に入っていった・・・
高尾氏は踏み込んではいけない神の領域(間違った領域)に入っていったので、天に召された・・・

算命学を長年やってる人は、なぜか女性も男性もみな同じような人相になっていく
たいていはみな、みすぼらしい仙人のような風貌になる・・・
高尾氏はまだいいほうで、それ以外の算命学修練者は、たいていみすぼらしい貧乏神みたいな人相になる
清々しくて温かくて爽やかで謙虚な算命学者(占い師)をみたことないです
みなどこかで道を外して易占霊界に入っていくからそうなる

また占いをやっていくと、必ずみな”我(良くない意味での)”が強くなる
それは”我欲”が根本にあるからだ
だから、どんな占いも、宗家死後(存命中からも)は、必ずいくつも流派ができる
それぞれ自分こそが正しいという傲慢な”我”があるからだ
これが占いの流派が乱立する理由である

どんな占いも真実は1つしかないのだ(全ての占いは人を幸せにするためにある)
あらゆる運命学の最奥には、人間では推し量ることのできない神の意志がある
それはどんな運命学者も決して辿り着くことはできないのだ
人間の運命は、すべて因果応報
それを十干、十二支で表した一例なのが算命学なのである
占いで分かるのは運命の8割で、それ以上は決して人間にはわからない
残りの2割に努力で改善できる余地を神様が与えているからである
またそれが今世の、人生の意味でもある
開運するには、いや本当に幸せになるには、魂の錬磨と徳を積む以外に最善はないのだ
つまり己自身と関わる人を幸せにするために活用するのが占いの本義である

占いの魔界の入口に立つ人達よ
ゆめゆめそのことを忘るるなかれ