>>116
>「 自然に感謝していただきます 」
お父さんもお母さんも子供たちも「いただきます」。
子供はお父さんやお母さんに「いただきます」とは言ってなくて
だからそれを説明しているのか、と。

偽善の言葉になってしまうのは、つながりを失ったからでは?
私はお父さんやお母さんに「いただきます」と言ってました。
そういう意味じゃないって大人になるまで知らなかった(汗)

人間のつながりもないんだから、自然とつながれるはずもなく
だから「自然に感謝していただきます」って説明までしてる。

私は殺すことが罪とは思わない。人間にかぎらず生き物は
殺さないと生きられないから、殺すことが罪とは思わない、
ということではなく、すべてが許されている、と思うから。

すべてが許されているのに、私はモンシロチョウの芋虫もインコも
ハムスターも猫も殺さなかった。つながっていたから。
つながると芋虫やインコやハムスターや猫と私との区別がなくなる。
殺すということが成り立たなくなる。たとえ殺したとしても。

MC(神)を否定したから、すべてが許されている、のではなくて
IC(存在)につながってしまうと区別も罪も悪も消えてしまうから
区別しようがなく、罪を犯しようがなく、悪が行えない。
神と存在の区別があるのは、神を偶像化しているから。
アングルの十字架は、この世界で生きていくために必要な枠組み。
生きているかぎり超えられない枠組み。個体というまぼろし。