>>174
「独自の解法を編み出したい」のではなく、
現実は、常に、どんな大先生の解法をも超えている。
百通り千通りある易の解からたった二三しか覚えていない大先生の解にしがみつくのは愚の骨頂。
目前にあるのは豊かな現実であって、易解ではない。
それを大岳は発秘で「卦そのものと取り組み」なさいといい、解にただ従うだけではだめと言っている。

上記は勝手な感想として書いたものですか、以下は卦を取ってからのものです。
「易の解法(秘伝だ法だ流派だ解法だと言う人たちの)と現実の関係を問う」
山水蒙の巽為風へを得る。
残念ながら視野がつぶされているにもかかわわらず、正当と主張するいつものパターンのようです。
もちろん蒙五のように解法の限界を提示することのできる方もいる。

(別の問題になりますが、上の卦から感じるのですが、易をやっているとどうしても中国人式の
頭の構造になってしまうのではないかと心配しています。「独自の解法」などよりも、
日本の易法はないものかと思うようになりました)