ブルマー恥辱の歴史―「ちょうちん」後、30年続いた「密着型」 大人の事情で女子は恥ずかしい思い…
2017/3/24 11:00

「この作戦によって、まずは東京の学校に浸透し、他社も参入して全国津々浦々まで広がっていった」。当時、東京五輪の女子体操選手のレオタード姿を通して、女性の肉体に健康美を見いだす感覚が生まれており、
「提案された学校も抵抗感なく容認できたのでしょう」。また、一度導入され定着したものは、そのまま継続されるという「学校現場の奇妙な力学も働いた」とみる。

進歩派と保守派の“ねじれた支持” セクハラの概念浸透でついに消滅

そんな密着型ブルマーは90年代半ばに消滅する。俗説では、使用済みのセーラー服やブルマーを販売する「ブルセラショップ」の出現で、
性的まなざしの対象になったことが原因といわれるが、山本教授は「89(平成元)年の新語・流行語大賞にもなったセクハラの概念が、日本社会に急速に浸透したことが大きい」とみる。

93年には、シンガポールの日本人学校でブルマー着用を徹底しようとした教師に抗議する生徒の動きが報道され、「強要がセクハラと訴えられてもおかしくない雰囲気が作り出されていった」。
そして、密着型ブルマーは姿を消し、ショートパンツやハーフパンツに取って代わった。

およそ30年間、健康的と見る向きもある半面、女子たちには恥ずかしい思いを強いてきた密着型ブルマー。
「身体の解放と自立を肯定する戦後民主主義派と、恥じらう女子に清純さと可憐さをみる婦徳派によって、意図しないまま支えられてきたのではないだろうか」と分析する。
学校組織の力学によって普及し、進歩派と保守派のねじれた支持によって、道徳的意味合いが見いだされていたのだ。

そんな密着型ブルマーは、下半身の防犯と防寒という実利的目的のため、いくぶん姿を変えながら、いまも少女たちのスカートの中でひっそりと生き続けているという。(横山由紀子)