>>871
反出生の出典はベネター、シオラン、仏教、虚無思想、様々なものに求められる事は知ってるか
「子供が必ず不幸になるから」という前提は哲学的な反出生理論からいえば違う事になる
哲学的な反出生の前提となるのは「新たに作られるに足る理由を何者も証明出来ない」だ
その前提に「作られる事=快苦の主体として存在する事=必ず苦は派生してしまう事」を加えて「必ず苦を経験するのは必然性も無く作られるからである=苦を他者に与える事は不道徳的な行為である=予め作らないでおくことに善が見出だされる」こういう流れだ
出生により苦の必ず伴う生命の構造に新たに子供=生命の主体を巻き込む事の是非と意味を問いかけているロジックなんだ
それを踏まえればお前のここで罵ってる相手の説明にも合点が行くだろう
むしろ「幸福だけの世界なら作っても良い」は優生学寄りで反出生では無い事にもなる
何故ならそれを求めて居る作られる以前の存在も証明は不可能なままだろ
新たな主体が出生され存在する事になる世界が現状のままの世界であれ、幸福なだけの世界であれ、反出生論の大元にある「新たな主体(快苦)を存在させずに置く=善」の定義はそのまま保たれるからな
つまり「例え幸福だけの世界にも作るべきではない=作られる者にとっての出生の必然性が証明されない限りは」これがよりロジカルな反出生論なんだ
そこを踏まえた上で、ここでお前の徹底的に侮辱してる反出生主義者がその説明にあたり文学的な表現を多用しているのだとすれば合点が行くだろう
お前の用いている、それ以外は不認可だと設定してる前提「子供が必ず不幸になるから〜」こそがお前単体個人の「マイ反出生」なんだ