「選択子無し」と言い表せば、考察を重ねた個人の考え方を尊重した聞こえがいい言葉だけど、
結局は老いた先、誰かが産み育てた子どもに助けられるという観点がすっぽり抜けていて
社会を継続させるための活動という面においては無責任という誹りは免れないと思う

勿論、このご時世に子どもを作ることをリスクと捉える人が増えたのも理解できるが
それでもなお、肉体的・精神的に健全であるなら……と考えるのがまだ本流であって
そこからドロップアウトを宣言することのリスクまで思い至らないのは浅慮の極み

子どもを育てる自信がないのも、子どもが犯した罪を背負う自信がないのも、
全ては自身や伴侶、両親を信じていないからで、そこからの再スタートが必要と思う

周りの子どもがいない最年長の夫婦は、大きな資産を築いたものの、後悔しかないと話してくれた
四十路に差し掛かった夫婦からは、不妊治療に莫大な費用がかかることを聞いた

周りには誰一人として「子どもがいない人生は満ち足りていた」という大人はいない
それぞれが後悔を胸に、老いて死ぬ日を恐れ生きている