心の深い傷を癒すには、随分と長い時間を要したが、数年経って、ようやく傷が少しず
つ癒えてきた頃、今の嫁と出会い、自分でも驚くほど簡単に結婚した。その前に読んでい
ない手紙は破棄している。嫁とは趣味も違うし、年齢も離れているので話もあまり合わな
い。時々喧嘩もしたが、既に人生の中の長い年月を一緒に過ごし、一緒に苦労してきた。
愛しているし、現在落ち着いた生活を送れているのも、全て嫁のお陰だ。今の嫁で良かっ
たと、心からそう思っている。
 それでも、子育てが終わった今、元カノとの想い出が甦り、もし元カノと結婚していた
ら、どんな人生を送っていたのだろうか、とフッと考えることがある。ド真ん中の彼女と
なら、もっと別の人生があったのではないかと。
 そしてここからが本題だが、最近不思議なことに気がついた。元カノの家は、自分と同
じ大都市の市内にあり、充分に土地勘もあるはずなのだが、何処だったのか、場所が全く
思い出せないのだ。勿論かなり大雑把なことは分かるのだが、地図を見ても、該当するよ
うな所が全く見つからない。何度も自宅の近くまで迎えに行ったり、送ったりしたのに、
どんな道を通って行ったのか、それさえ全然思い出せない。
 記憶力はかなりいい方なので、こんなことはとても考えられない。今嫁との生活を送っ
ているなかで、元カノの家の記憶がまるでブラックホールのようにすっぽりと消えてしま
っているのだ。イマジナリーフレンドのはずはないのに。
 色々と思い出そうとしても、彼女と繋がるものは何もない。名前と、デートした時の、
今となっては曖昧な記憶程度は残っている。それさえ、心に刺さった別れの記憶に比べれ
ば、甘くも苦くもないものにしか感じられない。
 嗤われるかもしれないが、俺にとっては、本当にあり得ない、不思議な出来事なんだ。