【昔を】みんなの馴れ初めをおしえて【思い出して】 その22 [無断転載禁止]©2ch.net
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付き合った初日からプロポーズしまくっていた俺にNO!しか言わなかった嫁が、俺のおやじが末期ガンって分かったら、結婚してくれた。
おやじは結婚指輪をはめた俺と嫁を見て嬉しそうだったよ。
全てが終わって、
「さぁ、離婚しようか。」
っていう嫁をなんとかなだめて15年。 >>62
ずっと離婚を言い続けられて折れてしまわなかったあなたの胆力に
GJ! >>62
と言うことは、ずーーっと愛情なし→レスという構図を想像するんだがw <<62 嫁には結婚を続けられない何かがあるのか?子供を作らないと決めてるとか。
62に理由があるなら、籍を入れないと思うが。
ちなみに父親を理由にお願いしたの?それとも嫁が自主的に?
やさしい嫁なのはわかるんだが、離婚を言い続けているところがミステリアス。 レスどうも。
嫁はバツイチで結婚自体が自分に向いていないって思っております。
そして年上なので、「私と別れて、若い子と人生やり直せ。」と、よく言う。
でも15年経ち、既に娘もいるし、今ではただのツンデレ状態だと俺は理解してる。
実際、俺が数年病気で働けなかったときには家計を支えてくれたし、毎日お帰りのキスもしてくれるw
もげるのは俺の病気だったり、嫁の体調が色々で、なかなかか難しいです。 結婚は、嫁から言い出してくれました。「お父さんを安心させるためだけで良いなら、しばらく籍を入れよう。」って。 要するに嫁が構ってほしい時に離婚を仄めかす→慌てて構うってスタイルのコミュニケーションなんでしょ?
夫婦の事は夫婦にしか分からないって事なんだろうけど一般的には面倒くさい&お騒がせな夫婦だわなw とりあえず幸せな夫婦関係にはなっているようで安心したw あるバンドのファン&楽器持ち&割とミリオタ&酒飲みな俺が、
同じバンドのファン&楽器持ち&航空関係を中心にミリオタ&酒飲み な嫁をGET。
運命というか奇跡というか、あるんだなあって思った。 >>70
おまいのパトリオットミサイルを、嫁さんの基地に向けて発射した話をkwskよろ。 >>71
ありがとう。
ID変わったけど70です。
俺は子供のころからあるバンドのファンだったんだ。90年代バンドブームを牽引した大御所バンド。いっとき解散したけど10年位経って復活したんだな。
その頃には俺も社会人だったから精力的にライブやら新譜やらとおっかけてた。
そしてもれなくボッチだったけど、SNSでファン同士が知り合ってはライブ後に打ち上げとかオフ会とかやっていたんだ。 そんな状態の中、ひとつのファングループが生まれた。もともとは、余ったor欲しいライブグッズを交換するような目的だったけど、だんだん普通に友達感覚になってプライベートなことも話すようになっていった。
10人くらいいて全国に散らばっていたから普段みんなと会うことはなく、ライブの打ち上げで会うしかなかった。
その中に一人、同じ県民がいた。初めて会ったのはそのバンドのイベントで沖縄に行くときの、行きの空港だった。
最初に交わした言葉は挨拶の後、「ビール飲むよね?」だったな。
ある程度SNSで会話してたからだいたいの素性はわかっていた。もちろん、酒が好きだということも。
そのイベントではそれくらいしか接点が無く、特に意識もせず、普通に過ぎた。
まだ肌寒い、しかし沖縄はあったかい、3月の頃だったなぁ。 その後もライブや飲み会とかで顔を合わせることはあったけど、特に意識はしていなかった。
まだ、ただのライブ友達だった。
しばらくしてまた大きなライブイベントがあり、一緒になった。
遠方開催でいわゆる遠征してたから、3日間ほど一緒だった。
そのときの打ち上げでは人数6人だったから必然的に話す機会も増え、地元に帰ったら一回飲みに行こうよ(二人で)、と誘っていた。
ちょうどその頃、地元でビールフェスみたいなことをやっていたから気になっていたんだ。
そうして向かえたそのビールフェス。 そのビールフェスこそ、今後の生き方を決定付けたといっても過言じゃないな。
あまりにも楽しくて話も弾み、5時間くらいそこにいたわ。
そしてそこで、もうひとつの共通趣味を見つけることになる。
嫁は航空関係の仕事をしてた。空自関連も携わっていたし、もともと飛行機好きもあって航空際にも出入りしていたそうだ。
俺はと言えば、陸海空問わず好きだったし、戦争映画も見るようなやつ。当然食いつかないわけがない。
そうして、じゃぁ今度航空際行こうよ、と言う話になって解散した。
その翌月にはまた地元で嫁のしっているレストランで飲み、その後ロックバーで飲んでいたら終電を逃した。
俺は一人暮らしだし、繁華街からそこそこ近いとこに住んでいたから、まぁうち来る?って感じで初めて連れ込んだ。
ただ二人とも酔ってて眠かったし、初めての来訪でいきなりはまずいだろ…とも思ってて、翌日普通に帰っていった。
その頃は、もうグループ内で俺たちが頻繁に会ってることはバレバレで冷やかされてたな。 そして待ちに待った航空際。
二人で初めての遠出。
車内ではもちろんバンドのCD。
あのビールフェスから2ヶ月くらい経っていて、段々意識してたな。
年上だったからしっかりしてるし、でも面白いところもあるし、何よりお互いボッチだったし。
航空際は天候は微妙だったけど、素晴らしい日だった。
ライブでもそうだけど、同じものを見て一緒に感動したり楽しんだりできるって、かけがえのない時間だよね。
遠方だったから帰りは夜中になってしまい、車窓から眺める月が綺麗だねとか言いながら帰ってきた。
そして翌日にはまた一緒に出かけた。
同じグループの友達が隣県に住んでいたから訪ねてみようってことで。
その人にも散々冷やかされて、もうなんだか公認の仲みたいな感じ。
そうして1週間後、嫁は再び我が家(小狭い1K)に遊びに来たんだ。 ライブDVDを見ながらビールちびちび飲んでいたら嫁がくっついてきた。
そうしてついに、俺のパトリオットは発射されしまったよ…
実は特に、「付き合って欲しい」とか言ってない。
ただもう言わなくてもそんな状況だったし、好きだったし、発射されてるし。
そして晴れて付き合うことになって同じグループからは冷やかされたり祝福されたりして。
翌月には初めて外泊旅行にいって盛大にもげたり。
別の航空際にもいったし、もちろんライブもいったし、飲みにも行った。
嫁は実家住まいだけど自由に外出できたから色んなとこに行ったわ。 年末年始は、嫁家はいつも家族が集まって鍋を囲むということで、義実家初訪問となった。
嫁いでいた義理妹も帰省していたからご挨拶。そして義母にも。
義父は若くして亡くなっていたから仏壇にご挨拶。
義母も義妹もあたたかく迎えてくれて、改めていい家庭で育ったんだな、と思った。
嫁が義母と一緒に台所に立つ姿は可愛かった。
沢山の料理と酒を振舞ってもらい、素敵な時間だった。
一緒に初詣も行き、元旦の夕方には帰ってきた。
義実家に行ったならやっぱり俺実家にも行くべきよね、となり、2日には俺実家へ。
俺は遅生まれだったから両親はもう高齢。
俺が選んだ人なら何も文句はないよ、と以前から言われていたし、元来の腰の低い性格の二人だから、俺実家でもすんなり受け入れられた。
こうして両実家への初訪問は特に問題なく終わった。
今でも心残りなのは、義父に直接会えなかったのと、よくある「娘さんをください」が言えなかったことかな。
一応お仏壇とお墓の前では言ったけどね。 >>79
支援ありがとう。
新年からは本当に良く遊んだ。
嫁はヨガを習っていたため、俺も誘われて習い始めた。
あっちでライブがあると聞けば誘い、こっちでイベントがあると聞けば誘い。
よく飲み、よく遊んだ。
5月にはまた例のバンドのイベントで沖縄に行くことになった。
今回は嫁と同室。出発時の空港ロビーで「去年ここでビール飲む?って聞いたよな」などと懐かしみながら。
沖縄では、嘉手納基地を一緒に見に行ったり、イベント以外にも充実していた。
イベントパーティでは同じテーブルの人たちにも羨ましがられた。
こういうバンドおっかけって女性ファンが多いし、往年の大御所バンドでは年齢層も高く既婚者も多い。
家庭の事情からなかなか参加できない人も多い。さらには旦那の理解が得られず、隠れてくる人も多い。
「君たちはそういうこと無くて羨ましいわ」ってよく言われたよ。
また、嫁はウクレレやピアノを弾いていた。
俺もギターを弾いていた。
嫁実家は戸建てだからある程度の音は許容されていたけど、我が家は賃貸の1Kだから制約が多い。
そもそも昔からの夢だったが、家を建てるなら防音室がいる、それも理想は地下で、スタジオ並みの設備が欲しい、と決めていた。
それを嫁に話したら、手放しで賛成してくれた。まだ結婚とかぜんぜん意識していないものの、防音室の夢だけは共通していた。
そんなころ俺が入院した。 嫁と一緒にいるときだった。
どうも右半身が痺れる。視界もぼやける。頭は痛くないけど、歩き方がおかしい。
日曜日だったから、明日にでも病院行って来るよなんて言ってたけど、段々悪化する。
そこで嫁が救急車を呼び、救急搬送された。
即入院。
自分の体調よりも明日の仕事の代理を頼まなきゃって真っ先に考えたのは日本人のサガかな。
病気は自己免疫疾患だった。3週間の入院である。
着替えもなければ、家のこともほったらかし、家賃の振込みもできない。
俺は覚悟を決めた。
嫁に財布と鍵を預けよう。銀行口座も教え、振り込みも代行してもらおう。
もしそれで万が一にも不正があっても、致し方ない。信じるしかない。
そんな覚悟とは裏腹に、嫁はもう本当に献身的に看病してくれた。
毎日仕事終わりには面会にきたし、我が家の掃除とか着替えの洗濯とかもしてくれたし、勿論振り込み代行もしてくれた。
休みの日には終日付き添ってくれた。
「君の時間がなくなるよ」と言っても「ここが私のいる場所だよ」って。
もう本当に感謝してもしきれない。
土曜には俺の両親も見舞いに来た。嫁にはただただ感謝するのみで、よく諭されたわ。「命の恩人を大事にしろ」と。
入院に必要な雑貨もそろえてくれたから、「全部あとで清算するよ」と何回も言ったのに、結局ご飯おごるだけで済ませてくれた。
そうして2週間もすればだいたい状況は良くなって、3週間目には退院できた。
嫁はないて喜んでくれた。
そういえば上司がお見舞いに来たときもちょうど嫁と鉢合わせになって、冷やかされたもんだw それから体調も万全になり、いままで同じように過ごすことができる様になった。
毎週末には我が家へ遊びにきては飲み歩いたり新曲を買って二人で聞いたり、新曲のフレーズを弾けるようになったぜなんて自慢したり。
前も書いたが我が家は小狭い賃貸だ。
駐車場も1台分しかない。
嫁は車で来たほうが便利なためいつも路駐せざるを得なかった。
案の定、取り締まりに引っかかる。
それも3回くらい続いた。
これはさすがにまずい。
かと言って新たに駐車場を契約するのももったいない。
コインPも遠い。
さぁ参った。
もうこれあれじゃんね。家買えばいいんでないの?
どちらとも無く意見が合った。
どうせ買うなら防音室も作ろう。金銭的に注文住宅は無理っぽいから、建売でも良いからせめて防音室。
もはや地下室なんて言ってられない。
こうしてその年の暮れごろには家捜しを始めた。 なかなかの良さげな物件を見つけた。
嫁は少し不安だったようだ。いったん賃貸でゆっくり貯金しながら家捜ししてもいいんじゃないか、と。
防音室は確かに欲しい。でも…と。
俺は、
「いま多少妥協はあるけど偶然にも条件の良いところが見つかっているなか、この先また見つかるかわからない。
賃貸は住んでいれば永遠に金がかかる。
それなら早いうちから戸建てを買ってローンを終わらしていったほうがいい。
賃貸では防音室は絶対無理。分譲マンションだって気軽に弾けない。」と説いた。
そして嫁も納得し、いざ契約。ローンも組んだ。
ところで…
一緒に住むなら、やっぱりちゃんと結婚しなきゃだめよね。
いますぐ挙式までするのは無理だけど一応入籍だけでも。となった。
入籍日。
これはもう、俺たちを出会わせてくれたあのバンドの、記念の日にしよう。
その日は絶対に記念ライブをやるから、絶対忘れない日になるよ。
そしてライブ当日。
朝1で市役所にいき、茶色の紙を提出し、ライブに向かった。
同じグループの友達も8人くらい参戦してて、打ち上げはもはやお披露目パーティだった。
そしてグループ外のファン友達たちからもめちゃくちゃ祝福された。
まさに理想的なファン同士の夫婦となった。
翌年には無事に防音室も完成し、新婚生活スタート。
お互いに仕事が忙しくて平日はゆっくりできないけど、幸せな日が続いている。
4月にやっと、身内だけで小さな式を挙げることができた。
義父の遺影を抱いた義母を見て泣きそうになった。
俺の親父の実家は、昔は三味線のメンテをする商売をしていた。
そのおかげで、叔父も伯母も三味線を弾ける。親父はオーディオマニアになった。姉もピアノを弾く。
そんな音楽好きな一族に、ウクレレを嗜む嫁が来たわけだ。
話が弾まないわけがない。
俺は俺で義実家にもちょくちょく顔を出した。
よく食事も出してもらっていた。
よくある、嫁姑バトルとか実家義実家の確執とか、ぜんぜん無縁だった。
その点でも恵まれているなと思っている。 結婚してからも、環境は変わったけど基本は変わってないな。
休みにはよく飲み、よくライブに行き、ヨガに行き、航空際や自衛隊のイベントにいく。
そして価値観とか考え方が似通っている点もありがたい。
やっぱりミリオタだと、政治思想的にも中道右派に寄る。
普通に家で飲みながら、昨今のミサイル問題とか腹を割って話せる。
また、いまはまだ余裕が無いけど、いつかベイビーが生まれたら
楽器をやらせてあげたいねと言ってる。
俺はあんまり奇跡とか運命とか、信じる派じゃないんだけど、
こんなにドンピシャな人が現れるとは思わなかったよ。
人生のいろんな選択肢をひとつでも違う方向に向かっていたら巡り逢えなかった。
本当に出会えたことに感謝している。
ちょっとクサくなったけど、そんな馴れ初めでした。
長々と投下してごめん。
そんな嫁はスヤスヤ寝てる。
かわいいw さすがミリオタ嫁さんは、スクランブル対応も小松基地のF15並みにあざやかだな!
おまいが、イージス艦となって、嫁さん大事にしてやれよ。
あと、パトリオットミサイルの命中率向上に励んでくれw
いい話やったよ。 >初めての来訪でいきなりはまずいだろ…
まずいって…全否定されたわ…俺 >>87
ありがとう。嫁の機動力もさることながら、兵站(家事)もなかなか。
>>88
まぁそこは価値観の違いだからw 昔のバイト先の子の紹介で出会った
ちょっと色々あったので書かせてもらいます。
8年前当時勤めてた会社を辞めて、高校の頃からバイトしてたところでバイトのみの生活をしてた
ある日バイトの子が『○○さん彼女いませんよね?私の友達とメールしてあげてください』と、話を持ちかけられた
特に好きな人とかもいなかったし、まぁいいか程度でメールを始めた
当時嫁も無職で、最初の一ヶ月は頻繁にというか、四六時中メールしてたな
そんなある日、電話で話をしたいと言われ朝まで話をする中で俺が車やバイクが好きだと話をしたら、ドライブに連れてってくれと言われたので日にちを決めて行くことにした。
このときまだお互いの顔は知らないんだけど んで、当日。
朝早起きして知り合いの車屋に行ってピカピカに洗車したw一応w
指定された場所に迎えに行くと、マジで(゚д゚)?って顔したと思う。
そこにいたのはハーフのような顔立ちのまぁまあの美人w
失礼な話だけど、バイトの子の友達と言うことで期待はしてなかった
なぜかは察してくださいw
向こうの反応はと言うと、怖い人じゃなくてよかったーと安堵してたw
俺は所謂不良という部類の人で、友達から色々と話を聞いていたらしいw
どんな話かは知らないけど
お互い無職だったこともあり、それからは毎日会うようになった
そんなある日毎日出掛けるのもいいけど、家でDVD見たりするのもいいねーという話になり、家に誘った
んで、家でまったりしてると、まぁ男ならみんなそうだと思うけど、そんな感じになりチュッチュしだすとなんだかぎこちない。
○○(地元)の種馬なんて呼ばれてたこともあった俺は、これは!と思い、まさか初めて?と聞くと小さく頷いた。 今までの人生で新車は初めてのことだった
よくてワンオーナー、ひどければタイベル交換したようなセコ。
その日はさすがに俺から断りましたw
据え膳を食わなかったのはこれが初
初めて会った日から2ヶ月ぐらいたった頃、俺が前にいた会社から頼むから戻って来てくれと話をされ、条件付きで戻ることにした
その話を嫁にしたらよかったような、よくなかったようなといった反応。
なんで?と聞くと会えなくなるじゃん?と帰返ってきた。
じゃあ付き合おうかって話になり、その夜慣らし運転程度にまぐわった。
それから色々あり1年後のクリスマスにプレゼントで俺の名字の判子をプレゼントしてプロポーズした。婚約指輪も一緒に
その翌々月妊娠してることがわかり、すぐさま両親に挨拶➡入籍
義父が俺に会いたくなくて逃げ回ってる間少しタイムロスがあったww 面白そうだから聞かせてくれ。
ただ、「不良」「種馬」などのヤンチャ自慢控え目でよろしくw 結婚して一緒に住むようになってからも、もともとケンカもしないで仲が良かったこともあり、絵にかいたような理想の夫婦と言われていた
長男も産まれ幸せだった
二人目も欲しいねと話していたので、励みに励んだ
なかなか妊娠しなかったけど、1年ぐらいしてやっと出来た
しかし流産、そしてさらに流産
もう諦めようかとも思った。次流産したらやめようと決めた
そんなこんなで二人目を安定期までお腹にいさせられたもう大丈夫だろうと思ってた妊娠7ヶ月目
仕事中に突然病院から携帯に入電
『赤さんが危険な状態なので今すぐ取り出しますのですぐに帰ってきてください。奥さまは救急車で搬送されて今麻酔をしました』
続きます そんな電話が来たが、仕事が忙しく、隣県にいたので、すぐには帰れないから帝王切開がベストならそうしてくれと伝え仕事に戻った
すると、また電話が鳴った医者からだった
『赤さんの心臓がほぼ停止しています。どんな状況になるかわからないので今すぐに帰ってきてください』
さすがにこれにはビックリしてすっ飛んで帰った
病院に着いた頃先に着いていた母親と義母が待っていた。
まもなくして、看護師さんが、○○さんですか!?と走ってきた
赤ちゃんが似てたのですぐわかりましたよ!と笑顔で来たので、あー大丈夫だったのかと悟った
続きます それから二人目は無事退院した。
それから数ヵ月経ったある朝
早めに起きた俺は仕事の支度をしていた。
なかなか起きてこない嫁を起こしに行き、カーテンを空けると、夜にはなかった引っ掻き傷が嫁の首にあった
なんだこれ?と思い触ると、冷たくなっていた。
心筋梗塞だった。
突然のことでどうしていいのかわからなくなり、しばらくボーッとしてたと思う
葬式の段取り、仕事もしなくちゃいけない、子供の送り迎え、家事
一人でこなせるはずはなかった
そんな時、当時専門生だった嫁妹が色々と手伝ってくれていた
もともと嫁、妹、俺の3人で遊びに行ったりすることも多く仲は良かった
保育園に送ってくれたり、俺が帰るまでにご飯を作ってくれていたり、仕事で家を空けるときは泊まってくれたりとても感謝している そんな生活を続けてきたが、この前妹が嫁さんの婚約指輪を引っ張り出してきて、『これ、私が貰ってもいいよね?』と言ってきた。
他意はないと思い『まぁ使って貰った方がいいにはいいけど…』って答えると、『じゃあ私からお父さんに話すね!』と返ってきたw
いや、どういうこと?別に話すことでもないじゃんって言ったら、『これ婚約指輪でしょ?wお姉ちゃんも私が相手なら怒れないよw一緒に過ごしてみて、お姉ちゃんが好きになった気持ちなんとなくわかったし!』
と、半ば強引に押しきられ、俺も義父もなんだか複雑な心境だなーと話をしたので書かせてもらいました。
婚姻届けは出さないつもりですwなんとなく複雑な気持ちが抜けないのでw
二人の嫁?との出逢いを書きました。
長々と申し訳ないです 前妻の○回忌とかのタイミングで、ちゃんとプロポーズして緑の紙を出したら?
喜んでくれると思うけどなぁ いや、嫁と死別しても離婚したことにはならないよね?
一回離婚届出さなあかんちゃうの? >>105
緑の紙は出したくても出せないでしょ? 本人のサインが要るからwww
てか、死亡届でOKの筈だよ。
妹さんなら婚姻関係終了届け(遺産関係が絡む書類)も出さなくていい。 >>89
うちのよめさんも、ミリタリー趣味だが、さらにバイク・カメラ(銀塩)
が揃ったメカ系三点セットで、ついでにちょこっと腐も入ってた。
好きなバンドはロック・時々フォーク・たまにコミックバンドもやる某
還暦ーズ。(当時は還暦ーズにはかなり間があったけど)
なもんで?なかなか趣味に理解のある相手に巡り会えなかったそうだ。
見合いだと、さすがにそれは辛いね・・
よめさんの軽四で、長躯、某海兵隊基地の5/4大混雑のフレンドシップデ
ーに行ったのは良い思い出。トイレがなかなか空かなくて辛かった。 >>108
男がメインの趣味を持つ女性って稀有だよね。ひとつ趣味が合うってのは分かるけど、複数で被るのはなかなかないよ。
うちの嫁も、その友達から、絶対手放したらダメだよって言われてたらしいw >>91 妹の熱が冷めて出ていくときのことを考えて籍をいれないの?
だったら子供二人への接し方を見て決めればいいんじゃないかな。2年も経てば、はっきりするはず。
すくなくとも3回忌には入籍してあげてね。91がどうしても合わないと感じるならよく話し合うことだ。
子供にとってダメージが大きいから。一人目の子にとっては二人の母がいなくなることになるので。 >>104
ごめんなさい、普通に間違えました。
婚姻届をだしたらって言いたかったんです。
申し訳ありません、間違えました。すみません。 >>107
市役所ではそんな感じのニュアンスで説明されたよ
>>110
それが一番感じてるかな…
初めての結婚相手が姉の旦那とか、世間的に普通ではないと思うし、なにより妹が可哀想だと俺は思う。
今は子供たちの母変わりという感じで接していし、文句のつけようもないぐらいのいい子だと思う
>>106
姉妹丼は姉がいないもんで、実現できなくて悪いなw >>112
別に初婚の相手がx1で元姉旦那でも問題無いと思うけどなぁ?
恋愛にそんなの関係無いし、一生付き合える相手を偽妹が選んだだけでしょ。
子供の為にも速く踏ん切りつけた方がいんじゃね。
俺の親も再婚(両死別)だけど、ある程度分からない時期(大人になって覚えていない)の方が
後々子供にとって精神的に楽だと思うよ。 嫁には絶対に言えないが酔っ払うと女の人を口説き出す癖があって、その記憶が一切ないのようなクズなのだが
それに引っかかってしまい嫁にキッチリと手綱を持たれてしまって結婚した。
嫁は俺が恥ずかしがり屋で酔っ払ってないと好きと言ってくれないと勘違いしてくれてるようだから真相が言えない >>114 困ったお人だ〜。嫁実家や同席してる酒の席で酔っ払ったりしてないの?
楽しいことになりそうだけどww。 >>112 案外、妹にとっては幸せになれるんじゃないかな。姉妹の仲が良かったのなら、姉が信頼してた相手は安心できるし、
生前一緒に接していて兄として好意を持っていたなら、姉がいなくなって男性に変わっていくのは、自然なこと。
これが、姉妹がライバルとか、仲が険悪だったとかなら、動機が不純な場合があるがその心配はなさそうだからいいんじゃないだろうか。
それで、兄がかわいそう、姉も空の上で悲しんでるはず、妹の私が助けなきゃと燃えているのだけが心配なんだが、
それは91が次嫁として愛せるかを考えることと一緒で時間が解決してくれるはず。
世間の目からは91がフォローしてあげればよい。義父と複雑とか言ってるのはなんか受けた。義母、妹に二人が押されてそうで。
義両親に反対されていないところも91が良い人で妹に愛されるゆえんだろう。
余計なことだが、106は
>>100 もともと嫁、妹、俺の3人で遊びに行ったりすることも多く仲は良かった
の事を指してると思う。 遅レスですまんがパトリオットじゃなくてバンカーバスターじゃないのか? >>113
上の子には、もし、妹ちゃんとパパが結婚してママになったら嬉しい?
って前に聞いたことあるけど、まだそこまで深くは理解してないみたいだったw
タイミング的には今なんだろうなぁ >>116
姉と妹は歳の差が7離れてるんだけど、昔から凄い仲が良かった
俺の事も実の兄がいる目の前で、お兄ちゃんよりお兄ちゃんみたいと慕ってくれてたし、妹と二人で出掛けたりすることもあったな
中学生の頃の妹から知ってるし、なにより『妹』ってのが強くて、つい最近妹に抱いてくれと頼まれたが、悪いとしか言えなかった
使命感というよりは、純粋に俺に好意があるのかなってのは凄い思う
義父とこの前飲んだときに、この話になったんだけど、『大体妹から話は聞いたけど、ちょっとあいつ強引だよなー。困るよね?うちとしては面倒がないし、全然構わないんだけど、姉妹揃って同じ人に嫁に行くって不思議だよなw』って感じw 昔、まだ婚姻が家と家のイベント的な感覚が強くてあって子沢山が
普通の時代、夫婦のどちらか死没したら残ってる兄弟姉妹のだれか
が後に入るってのは普通にあったんですけどね。
地域にもよりますが、高度経済成長時代にそんな事もほぼ無くなり
ました。
91さんの場合は、自分と義妹さんのお互いの気持ちが、家庭の事
情、ではなくお互いを求める方向で安定してる事さえ実感できたら、
後添えに来て貰ってOKだと思いますよ。
91さんの場合は、まだお若いでしょうからこれから先ずっと独身
というのは辛いでしょうし、お子さんの事を考えるととお子さん
と後添えの方の間で一番良好な関係が築けるのが義妹さんという
のはほぼ間違いない所でしょうし。 >>98
スマン急展開だったから成り済ましかと思ったわ
姉さんは残念だったけど残された皆が幸せになれれば何よりだ >>115
嫁と嫁の親族はあまり酒が飲めないから先に向こうが酔っ払うので今のところ大丈夫w
結婚式の時は酔っ払ったけど、ずっと嫁を口説いてたらしいからギリギリセーフだった 妄想話を一つ。
大学の時の実験班が一緒になり私が指示をだしている姿に惚れたらしい。
でも、その頃って私が妻の恋話の相談を受けている時期と被るんだよね。
恋多い女なのか男との付き合い方がわからなかっただけなのか、ネクラには判断できなかった。
とりあえず妻主導の交際がスタートし、結婚し今にいたる。 高校卒業して就職。
あべ静江にそっくりな先輩(後の嫁)に出会う。
ダメ元でアプローチしたら、何故か付き合いOK。
最初のデートで下心見透かされ、俺が童○だとばれる。
私が教えてあげるからと結局ホテルへ。
嫁のテクニックを駆使されてメロメロ、いきなり3連チャン。
翌週、嫁が荷物を搬入。半同棲へ。
もう、やりまくりの毎日。
お決まりのできちゃった。
で、結婚。 >>124,125 なんだ、口説き落とした嫁が相手にしてくれなくなったか?
それとも不倫されたか? >>86
ほんっっっとに無粋だけど、航空際じゃなくて航空「祭」な。 通ってた池袋の某店のイメクラ嬢(嫁)が追加料金なしで基板させてくれくれたから通ってた
他にもそんな男いるんだろうなと思ってたけど、安くやれたから、よく指名してた
嫁が背中の吹き出物見て、「これは病院行った方が良い」と言うので
おすすめ聞いて行ってみた
先生曰く入院して取りましょうとなり、入院。
嫁はこの病院の看護師さんでした。俺の担当になりました。
病院の中でお願いしたら叩かれたけど、 >>128
嫁の本職は看護師だったけど、バイトでイメクラ嬢やってたのね。
で、128の背中の吹き出物を見て(その時は128は嫁の本職は知
らなかった)嫁の勤め先の病院を勧められて、入院したら担当の
看護師になりました、という事でOK?
で、イメクラのプレイを入院中にお願いして叩かれた、と。
自分の夜職バイトバレになりそうな自分の勤め先をお勧めって、
かなり豪胆だと思う。 >>128 看護師で副業持ってたって、金銭感覚異常か、苦労人なんだが、嫁にして大丈夫だったのか。
基板させてたくらいだから信頼して本職さらしたんだろうが、どうなって、結婚に至ったんだ。
>>131 風呂屋以外の風俗で隠語にしなきゃいけないことだよ。これでわからないならPINK板で見ておいで。 >>131 基盤 隠語 でggl。
>>132 結婚後の生活が大丈夫だったのかな・・とりあえず
イメクラの方は引退だろうけど。二馬力で嫁がナース
なら、生活はきつくはないはずだが、倫理的な方向
性で。。 しつこい吹き出物が皮膚癌化することあるし。
頭にできたら医者数人のチーム組まれたってまとめにあったね。 >>130
OK
俺の家と嫁の勤務先が同じ駅で
嫁はふにゅう?だから外来で終わるから問題ないと思ったと言ってた
絶対悪性、入院ねって言われて入院
結果聞いたらウッキウキで、これ珍しいんだよーみたいな乗りだったから
すごいもんだったと思う
俺は嫁の源氏名しか知らんかったから言わないように気をつけてたけど
嫁は俺の下の名前を覚えてて、馴れ馴れしく接してくれた
プレイ頼んだら叩かれたけど、チューはしてくれた
それ見られてて、後で問題になったとか言ってた
続きはあさって書く >>139
ふにゅう?→粉瘤 ですね。粉瘤はありふれた皮膚の病気です。 >>128 やさしいな。このやさしさが、基板させてくれたり、嫁になってくれたりしたんだな。
おことばに甘えて、明日までパンツはいて待ってるから。
入院患者を性じゃなくて、名前で呼んでてたらそれだけで怪しまれてただろうし、
マークされててキスがばれたんだな。 客に基板やらせるのはやさしさじゃないだろうw
嫁の方が客で来てた時から初めからおとそうとねらってたんだろ。
料金なしで基板とか、自分の本業の病院を教えるわけがない。 妻とはベタに合コンで出会った
合コンで、家族のことを楽しそうに話していたのが印象的で好きになった
俺は小さい頃に父親を亡くしていて、中学の時に母親も亡くし、その後育ててくれた祖母も就職してすぐに亡くした
付き合う前に話すと、「親を亡くしたこともないからなんて言うのが正解か分からないや、ごめん。○年間、一人で頑張ってきたんだね。いや、俺君なら支えてくれる彼女もいっぱい居たか。」と言われた
よく可哀想とか言われていたので、こういう反応もありなのかと思った
家に呼んだときは、最初に仏壇に手を合わせてくれて、この子と結婚したいと思った
祖母と暮らしていた古い一軒家にそのまま住んでたんだけど、大抵の人は売って、駅近のマンションに移ればいいとか言ってきたけど、彼女はマンションで育ってきたこともあり、興味津々だった
子供みたいに「こういう家に住んでみたかった!夏に庭で花火とか縁側で西瓜とか!秋は焼き芋とか出来るの?ご近所さんに怒られる?いいなー。」と興奮気味
その日に付き合ってほしいと言ったら、OKしてくれた後に、すぐに仏壇に報告していた
「いつまで俺君の恋人でいられるか分かりませんが、よろしくお願いします。」
そのまま泊まって、一緒に過ごしたけど、夜中にトイレに怖くて行けないと起こされたときは笑った
この家に来たときはもう大きかったけど、最初の頃はそんな気持ちになったことを思い出した
彼女が俺の恋人だったのはたったの1年間でした >>142
客を気に入って落としたい、と思ったのはあるかもしれないけど
結婚して平穏に愛ある家庭が築けてたらオッケーだと思いますー。 >>142 すまん。>>141だが、やさしいと言ったのは128に対してだ。
ちゃんと続報の予告をしてくれたじゃないか。
それも今日だ。楽しみ。 >>143 良い娘を嫁にできたんだね。それは良かった。
心を癒してくれるって素晴らしい。
家に来たときに大きかったのは、何?143の思いでいいのだよね。お腹だと話のほっこり度がガタ落ちになるところだった。
恋人が1年でも、そのあとずっと夫婦で一緒なら最高じゃないか。なにか考えていたことがあったの? その後もいろいろあったのですが、妻は死の縁から帰ってきてくれました
馴れ初めスレだけど、以降のことも書いていいのかな
言葉足らずでした
祖母の家に来たときは母が亡くなった後なので、既に中学生で大きく、意気がってもいたので言えなかったけど、夜の家の雰囲気が怖かったことを思い出して、彼女も一緒なんだと嬉しくおかしかったんです
その日にはキスするだけで精一杯のへたれでした
がっついて嫌われたくない一心でした
恋人期間1年で結婚して家族になってくれました >>149 おお。おまおれ感を感じた女性を嫁さんにできたならなおさら嬉しいよね。
この幸せ者!キスだけでも、ヘタレじゃないぞ。
原文の主語は本人だったか、解釈を間違えた。確かにそう読み取れる。 >>143
旅行先でプロポーズをしたら、帰ったら一緒に墓参りに行きたいと言われて一緒に行った
「でも、仏壇のが身近な気がするね、家のせいかな。」と、結局そのまま家に帰って仏壇にも報告していた
彼女の家に挨拶に行き、家族のことを説明しようとすると、聞いてるから大丈夫と言われた
「俺さんにご家族が居ないなら、あんまり遠慮しないでいいのかしら。」と彼女のお母さんに言われて一瞬戸惑ったら
「息子って思ってもいい?息子が欲しかったから嬉しい。お母さんとお祖母さんから母のバトン受け取ってもいいかしら?俺さんは義母だって思ってくれていればいいから。」と言われて思わず泣いた
お父さんは「キャッチボールかゴルフは出来る?」と聞いてきて不意打ちで笑いが止まらなくなった
俺はご両親の近く、彼女の地元に住みたかったけど、彼女は俺の家に住みたがり、それなら別居婚!と宣言された お母さんも俺の家を見て、「夏に西瓜持ってきてもいい?」と聞いてきたのは微笑ましかったし、毎年夏は西瓜と花火が恒例行事
彼女の妹も、よく家に来ては「この家は居心地がいい。」と寛いでいる
彼女の祖母宅はお店もやっているし、彼女の実家よりも都会なので、よくある“おばあちゃんの家”って感じじゃないので、わが家が居心地がいいみたい
結婚するときは、彼女が「みなさんの分まで俺君とずーっと一緒に生きていきます!」と宣言してくれた
結婚式も俺の親族席が空になることを懸念していたんだけど「なにを引け目に感じる必要があるの?」と言われて、小さい規模ながら執り行った
彼女のご両親は共に3人兄妹で親戚同士も仲が良く、悪い人が誰もいないという奇跡の親戚だった
彼女の従兄弟達とも、普段飲みに行ったりするくらいになったし、定期的に親戚の食事会があるんだけど、本当に仲が良い
そして、義母も義父も母親を早くに亡くし、既に父親も亡くなっている
彼女の祖母は後妻さんだということで、俺の境遇も“可哀相”だとは誰も言わなかったし、「出会った人たちに愛されて育ってきたんだね。嫌じゃなければ俺たちが家族で親戚です。」と言ってくれるような人たち 幸せに、慎ましやかに暮らしていたある日、彼女が交通事故に遭った
駅から家までの道は狭くて暗くて、曲がってきた車に撥ねられた
やっぱり彼女の実家の近くに住めば良かったと後悔した
駅に着いたって連絡から充分時間が経っても帰って来なくて、警察から電話が来たときのことは思い出したくもない
緊急手術をして、眠っている彼女を見たときは、母親が亡くなったときを思い出して、取り乱した
俺に関わる人はみんな早死にするんだと思い、結婚したことも心の底から後悔した
なかなか目を覚まさなくて、ICUにいる間は何も手につかなかった
4日後に、目を覚ましてくれたときのことは一生忘れられないと思う
話せるようになってすぐ「俺君より先には死にたくない。もう一人にしたくない。」って言われて、本当に生きていてくれて良かったと思い、看護師さんが引くほど泣いて、過呼吸みたいにもなって迷惑をかけた
更に元気になってきたら、「三途の川で俺君の両親とか祖父母が帰れみたいなのはなかった!ドラマとか嘘だよ!会いたかったなー。もう少しで会えるところだったんだけど、もっと先みたい。」とか縁起でもないこと言ってた
心肺停止したし、全然笑えなかったら、言い過ぎたと謝られた 幸い、大きな後遺症が遺るようなことはなく、リハビリをすれば日常生活には戻れるらしくて安心している
入院中は両親が家に来てくれたり、俺が実家に泊まったりで、俺のことまで心身共にフォローしてくれたし、親戚一同も弁護士を紹介してくれたり、飯に連れていってくれたり、日中に彼女のところに遊びに来てくれたり、差し入れをくれたり、手厚くサポートしてくれている
もちろん友達もよく遊びに来ていて、嬉しそうにしているし、辛いリハビリも頑張れている
彼女の職場も迷惑を掛けているのに、治すことが最優先で、いつまでも待つと言ってくれていている
それでも日中暇な時間に、と、納期が先の軽めの仕事を振ってくれたり、安心するように配慮してくれたりしている
復帰が先になるから退職すると言った彼女への最大の配慮だと思っている まだリハビリ入院中なんだけど、先日、外出許可を得て、彼女の祖母宅の近所であるお祭りに行きたいと言うから空いてる時間に車椅子で行ってきた
お神輿を見て、夏に行けなかったお祭りに行って大満足していた
そのまま病院に戻ろうとしたけど、どうしても家に帰りたいと言うので、家に帰って、仏壇に手を合わせて、「守ってくれてありがとうございます。」と言っていた
抜き打ちで俺の生活チェックもしたらしく、合格が出ました
当たり前のように家にいる彼女を見たらまた泣けてきて、安心して、改めて一生守ると決意をして、出来れば彼女より先に死にたいと思っていたけど俺が彼女より後に死ぬ為に長生きすると決めた
やっぱり疲れたのか、安心したのか、気持ち良さそうに畳の上で眠る姿を見て、また泣いてしまった 古い家なので、風呂とかトイレも狭いし、段差もたくさんあるし、階段も急だし、コンビニとかも遠いし、駅も遠いので、退院直後は実家で療養させるつもりだけど、自宅ですると聞かなくて揉めています
リフォームも認めてくれないので、とりあえず帰ってくるまでに畳を替えたいので、職人さんには連絡済み
移動のために車を買いたくて、祖母の遺してくれたお金で一括で買おうと思っていて、その話を妻にしたら、そのお金はいざというときの為に取っておいてと言われた
「そのお金はお祖母さんの為に、俺君の家族のために、って私か。俺君が病気とかはダメ、健康でいて。とにかく車くらいは私達の貯金で買えるから。家のリフォームはしないよ。修繕はするけどね。」
と、誰よりも家を大切にしてくれているから何も言えないし、下手したら俺よりも俺の家族のことを考えてくれている
とりあえず、どちらで療養するにせよ、療法士の先生に相談して、風呂場の椅子とかを買ったりの対処療法になりそう
退院はもう少し先だけど、実家で療養出来れば、義母が勤める病院でのリハビリも出来るって言ってもらえてるし、行き帰りは義母が車で請け負ってくれるし、悪いことが1つもないので説得するしかない
俺の健康診断も視力以外はAだったので一安心
妻をサポートするためにジムに通ったかいがあったのかも
最初に抱き抱えたときは、「あれだけ嫌がったお姫さま抱っこが実現してる。」と言われる始末でした 今週末は外泊許可がおりたので、自宅と実家とで過ごして、自宅の不便さを実感してもらうつもり
最近は更に家族を増やしたいという話もしていたけど、事故もあり、彼女の体が何よりも一番大切なので2人でも良いと思っている
その辺は全快してから、本人と医師とも相談していくしかないと思ってる
授かりものだし、絶対安静だったこともあって、大分体力が衰えているから無理はさせたくないし、年齢的なこともある
妻はこのことについてどう考えているのかは聞いてないけど、焦りがあるのはなんとなく気がついているし、事故後も子宮、卵巣のこと気にしてたんだよな
まだ歩くことも大変そうだから、いろんな焦りとかも今後はフォローしていかないといけないと思ってる
結婚後に喧嘩して、「俺がこの家に住んでるから結婚したんだろ!」って馬鹿みたいなことを言ったことがある
そのとき彼女が「ボロアパートだって高級マンションだって結婚したに決まってるでしょ!」と、当たり前の返事をくれたけど、俺の好きなところとかきっかけは教えてもらったことがないし、聞くと「この家は魅力的だったよ。」と言って誤魔化される
物凄いだらだらと、馴れ初め以降のことを書いてしまいましたが、彼女と結婚できて、家族が増えて本当に幸せだし、これから先も一生大切にしていきたい 泣いた(T_T)
幸せになれよ!否、充分に幸せか…奥さんの完全回復を祈っとく! >>143 乙
幸せと不幸の乱高下が激しくて大変だね。でも不幸中の幸いで助かってよかった。
なんといっても、人に恵まれていることはいいね。嫁さん早く帰宅できるといいね。
いろいろ頑張れ。 >>143
若いんだから、1年もすればすっかり回復する!大丈夫 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています