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実は、日本は少子化を目指していた
非婚、晩婚、負け犬の遠吠え…、古い道徳観に失政が重なった

日本の少子化傾向はいかにして進んだのか。歴史人口学を専門とする、上智大学経済学部の鬼頭宏教授に聞いた。
―― 人口問題には長期的な視点が欠かせません。日本はどのようにして少子化に突入していきますか。

鬼頭 実は1974年に、日本ははっきりと少子化を目指す政策を打ち出していました。
同年に厚生省の諮問機関である人口問題審議会は、人口白書で出生抑制に努力することを主張しています。
73年にオイルショックがあって、資源と人口に関する危機感が高まっていたからです。
象徴的なのが同年に開催された日本人口会議です。人口問題研究会が主催し、
厚生省と外務省が後援した会議では、「子どもは2人まで」という趣旨の大会宣言を採択しました。

政府は1974年に人口抑制政策を進めた

同会議には斉藤邦吉・厚生相のほか、岸信介・元首相や人口問題の識者が勢ぞろいしました。
作家の小松左京氏や画家の岡本太郎氏も講演しています。
当時、大学院生だった私は3日間の会議をすべて傍聴して、今でも当時の資料を保管しています。
ただ、講演した政府関係者や研究者の大半は亡くなってしまいました。振り返ると当時の論調には隔世の感があります。
―― それからおよそ35年で日本の人口動態は大きく変わりました。
1980年代から合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産むと推計される子どもの数)は減り続けているのに、
政府は1990年代まで何もしてきませんでした。政策の転換が遅れたと言ってもいい。