【御巣鷹】日航機墜落事故から22年【123便】
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1985年8月12日、日航機123便が群馬県上野村御巣鷹山の尾根に墜落し
520名の方が亡くなりました。今年で22年になります。 ■日航機 離陸滑走路まちがえる
4日夜、自衛隊機と民間機が共同使用している石川県の小松空港で、
日本航空の旅客機が離陸する滑走路をまちがえて、自衛隊が管理する誘導路に入りました。
日航機は途中でまちがいに気づき、
本来の滑走路から通常どおり離陸し、けが人などはありませんでした。
国土交通省によりますと、4日午後7時半ごろ、石川県の小松空港で、
羽田行きの日本航空1280便、ボーイング777型機が、
離陸する滑走路をまちがえて、自衛隊が管理する誘導路に入ったということです。
パイロットが途中でまちがいに気づき、日航機は誘導路から離陸せずに本来の滑走路に戻り、
午後8時すぎ、通常どおり離陸したということです。
日航機には乗客・乗員あわせて189人が乗っていましたが、けが人などはありませんでした。
小松空港の航空管制は航空自衛隊が担当しており、
国土交通省では自衛隊と日本航空の双方から話を聞いて、当時の状況を調べています。
ソース
ttp://www3.nhk.or.jp/news/2008/03/04/k20080304000189.html あの当時私は2歳8ヶ月で確か3歳になると料金払わないと乗せてもらえないとかで、3歳になる前に祖母の故郷の岩手県江刺市(現奥州市)に里帰りして、花巻空港から名古屋空港に帰ってきたその日で。
時間帯は4時ぐらいの飛行機だったらしい。
それで、晩御飯食べて蒲郡市にある家に帰ったのが8時過ぎだったそうだ。
玄関開けて「ただいま帰りましたー」って母が言ったら姑さんが玄関まで走ってきて涙をぼろぼろながして
「あんた達無事だったかん。わしゃあテレビで飛行機が墜落したって聞いて、喬英(父)に聞いたら私達が乗ったのは行き先が違う飛行機でテレビでやってるのは違う。って言っとったけど、気が気じゃなかった。よかったぁぁ」
ってその場に座り込んじゃってね。
それで母も急いでテレビ見たら事故のニュースがずっと流れてて、だいたい同じ時間帯に空を飛んでたって事で思わずぞっとしたそうだ。 長野県民だった。工房。
学区内の県境に落ちて国道を消防車がガンガン行くから何事かと思ってニュースを見た。
友達が機体の残骸を拾ってきて触ってしまった。バレたらヤバいから棄てさせた。
公民館が死体置き場になって超悲惨だったらしい。 俺が通った専門学校の校長も亡くなった
事故当時は俺は小学生だったけど
その後奥さんが校長の跡を継ぎ、その専門学校は発展してる
合掌 那覇発羽田行き日航機、離陸後に車輪収納できず引き返す
12日午後7時半ごろ、那覇発羽田行き日本航空924便(ボーイング747―400型機、乗客乗員559人)
が離陸直後、全車輪を機体に収納するレバーが作動せず、車輪を出したままの状態での飛行となった。
同機は途中で引き返し、約1時間後に那覇空港に到着した。
国土交通省那覇空港事務所(那覇市)によると、機長は離陸後、レバーを上げて機体前部と胴体の全車輪を同時に収納するが、
レバーが下がったままロックが解除されなかったという。同社が原因を調べている。
後続の便が満席だったため、乗客は全員、急きょ用意された別の便に乗り換え、4時間遅れの午後11時40分発で羽田空港へ向かった。
(2008年3月12日23時53分 読売新聞)
ttp://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080312-OYT1T00849.htm?from=main3 【不買運動】アウトドアファッションの「パタゴニア」が「捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものです」と宣言!!!【テロ支援】
アウトドアファッションメーカーの「パタゴニア」が
先日、日本の捕鯨船に対して攻撃を仕掛けた狂信的反捕鯨テロ集団シーシェパードを支援していることが明らかになりました。
「パタゴニア」はこの事実を指摘されて
今後もシーシェパードを支援していくと明言、
捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものであるとして、
反捕鯨の立場を明確にしました。
日本の捕鯨は長い歴史と伝統の中で
海の恵みに感謝しながら鯨のすべてを利用して
採り尽くさないように環境にも配慮しながら
行われてきたものです。
白人のように鯨の油を取る為だけに
鯨を殺戮した捕鯨とは違います。
パタゴニアはそのような日本の伝統を無視して
「捕鯨は悪」決め付けて白人の一方的な価値観を
日本に押し付けようとしています。
パタゴニアはアウトドア用品などを売って
人間が自然に入り込んで環境を破壊することに加担しておきながら
反捕鯨と言うことで何か環境に良いことをした気分になっている
自己満足の偽善者たちです。
日本文化の破壊を目論む反日テロ支援企業に対する
不買運動と抗議メールの送信にご協力下さい!!! 日航機、鳥と衝突? 機体損傷で事故調派遣
2008.3.13 13:13
福岡発中部国際行き日本航空3228便ダグラスMD90
(乗客127人、乗員5人)に鳥との衝突が原因とみられる損傷があり、
国土交通省航空・事故調査委員会は13日、航空法上の「大修理」が必要な航空事故と認定した。
調査官2人を中部国際空港に派遣し、詳しく調べている。
同省や日航によると、11日午後8時半ごろ、福岡空港を離陸した直後の同機に異音と振動が発生。
計器表示は正常だったため飛行を継続し、午後9時26分に中部国際空港に着陸した。
着陸後の点検で機体に鳥との衝突でできたとみられる損傷を発見。
前方右側胴体に縦38センチ、横55センチ、深さ1.5センチのへこみがあったほか、
前脚格納室内部フレームの一部に変形とひびがあった。(MSN産経)
ttp://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/080313/dst0803131316003-n1.htm 鳥は避けれないけど人為的ミス・トラブルは減らしてね。 日航、安全対策に労組も参加 連続運航トラブルで
2008年3月24日 14時44分
新千歳、小松両空港で、日航機のパイロットが管制官の指示なしに誤って
離陸滑走を始めるなどのトラブルが相次いだことを受け、日航がパイロット
らの4労働組合の代表者と合同で「運航安全ワーキンググループ(WG)」
を新たに設置し、原因究明や再発防止策の検討をしていることが24日、分かった。
賃金など労働条件をめぐって厳しく対立することの多い日航労使が、
トラブル対策のために合同の組織をつくるのは初めてという。
WGは今月4日の小松空港のトラブル直後に発足して以来、集中的に討議を進めており、
近く報告をまとめる方針。両トラブルの討議が目的だが、常設の組織として残すことも検討する。
小松空港のトラブル直後に、日航側が「再発防止のため、現場からの声を多く採り入れたい」として、
WGの設置と代表者の参加を組合側に要請。組合側がこれに応じる形で実現した。(共同)
ttp://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008032401000372.html 今のリーマンで大体課長〜部長レベルの奴らが新人の頃だった年だな
時代を感じるが、でも大昔という程でも無い微妙な頃だな
おにゃの子の髪型なんかが今とは違い過ぎてビックリするけど 日航機事故慰霊のヒガンザクラ、満開に 大津・石山寺 2008年03月26日
大津市の石山寺(鷲尾遍隆座主)で、ヒガンザクラが満開を迎えている。座主の妻で副座主の龍妙(りゅうみょう)さん(52)は
、520人が犠牲になった1985年の日航ジャンボ機墜落事故で妹を亡くした。ヒガンザクラは犠牲者を悼むため、
事故翌年以降、徳島県阿南市の実家の寺から520本の苗木が送られた。約20年をへて大きく育ち、境内の山を美しく染めている。
龍妙さんは4人きょうだいの次女。一番下の妹で、大学を出て東京のアパレル会社に就職したばかりの
能仁千延子(のうにん・ちえこ)さん(当時22)は85年8月12日、里帰りのため東京発大阪行きの日航123便に乗り、墜落事故に遭った。
龍妙さんの結婚式が2カ月後に控えており、事故当夜、式で千延子さんが袖を通すはずだった着物が徳島の実家に届いた。
事故の翌年、結婚で石山寺に来た龍妙さんに、母親の怜子さん(77)から桜の苗木を送りたいと連絡があった。
頂にお堂が立つ山に向かって歩く千延子さんの夢を見て、「この世の寿命は短くても、桜なら何百年も生き続ける」と思い立ったという。
何年かに分けて、犠牲者一人ひとりを供養する520本が届いた。
龍妙さんはこれまで、桜のいわれを周りの人には話さずにきた。相手に気を使わせるし、同情されるのも嫌だった。
だが最近、「きれいに咲いた桜が、亡くなった人たちの家族を元気づけることになる」と思えるようになった。
桜の近くにこの4月、阿弥陀仏を本尊とするお堂が完成する。怜子さんが見た千延子さんの夢に出てきたお堂と、
偶然、似たつくりだという。
ttp://www.asahi.com/kansai/news/OSK200803260025.html 二管ヘリ「ひろせ1号・2号」今月末で引退(河北新報)
全国の官公庁所属ヘリコプターの中で、最も長く飛行している
第二管区海上保安本部仙台航空基地(宮城県岩沼市)の2機が今月末で引退するため、
式典とラストパトロールが19日、同基地で行われた。
引退するのは、1979年と81年に就役したMH533「ひろせ1号」とMH559「ひろせ2号」。
飛行時間は、1号が1万1390時間、2号が1万630時間。
巡航速度(時速約180―160キロ)で飛行し続けたと仮定すると、
2機合計で地球を112周した計算になるという。
その間、85年の日航ジャンボ機墜落事故や、04年の新潟県中越地震などの救助活動でも出動、
これまでに1号は125人、2号は48人をつり上げ救助している。
最近では、昨年4月に山元町沖で起きた貨物船ジェーン号の座礁事故で、乗組員17人を全員救助した。
式典では、渡辺幸夫基地長が「大きな事故もなく、30年にわたり海保業務に当たった機体と、歴代職員に感謝する」と述べた。
約25人の職員が見守る中、5人のクルーがひろせ1号に乗り込み、つり上げ救助を披露した後、
仙台空港沿岸をパトロールした。
パトロールから戻った機上整備士の岩渕孝司さん(52)は「日航機事故で亡くなられた方の遺体を、
御巣鷹山から搬送した任務が一番記憶に残っている。2機の引退は寂しいが、お疲れさまと言いたい」と話していた。
仙台航空基地には4月から、同型のヘリコプター2機が配属される。
ttp://www.kahoku.co.jp/news/2008/03/20080320t13032.htm >>100
いまだに思い出すよ、ファンロードの編集後記。赤い文字でご冥福をお祈りしますとあった。
ほんとに無念だったろうなぁ、、、点描画好きでした。合掌。 質問です。どなたかご存知でしたら教えてください。テンプレにもある下記のサイトが
見れなくなってしまったのですが、移転先などご存じないでしょうか?
・日航機墜落までの軌跡(フラッシュ有)
ttp://mito.cool.ne.jp/detestation/ja123.html
宜しくお願い致します。 1985年8月12日月曜日
この日大ファンだった「岡田由希子」のコンサートを観るために大阪厚生年金大ホールに出かけました。
夏も暑い日新快速で大阪に出てきて御堂筋線に乗って会場まで行きました。
日テレ系「トップテン」にチャートインしていたので、中ノ島公園で生中継されることを聞いてそこまで行きました。
そんな最中に、こんな大事件が起こっていたとは思いもよりませんでした。
事故を知ったのは帰宅した23時頃、そして朝のニュース番組をみて唖然としたことを良く憶えています。
自分はのうてんきにコンサートに出かけ、かたや飛行機事故で亡くなる。
高校生だった自分にとって「人生ってなんなんだろう?」と考える機会にもなりました。
最近出張でよく飛行機に乗っています。いつ事故に巻き込まれるかわかりません。
高校生の時に考えた「人生」それは悔いのない人生を送ることだと思って今は精一杯生きています。
自分の中では、いろんな意味で大きな事故でした。
22年経ちましたが、亡くなられた方のご冥福を祈っております。 日航で入社式 西松社長「未来は明るい」
約1500億円の増資で再建の道に歩み出した日本航空(JAL)。
1日、東京・羽田空港近くの格納庫で行われた入社式で、
西松遙社長は309人の新入社員を前に、「変化を恐れず果敢にチャレンジし、
みなさんの手で素晴らしい未来のJALを作ってほしい」と呼びかけた。
同社は従来、都内の本社ビルで入社式を挙行してきた。だが、
相次ぐ運航トラブルの発生により、航空会社に課された安全運航の責任を感じてもらおうと
、今回初めて「安全を守る現場に最も近い場所」(JAL)である格納庫を選んだ
ttp://sankei.jp.msn.com/economy/business/080401/biz0804011843017-n1.htm 「沈まぬ太陽」は4巻まで読んだ。
4巻で何度も泣いた後、5巻で登場するリゾートホテル建設に執心する
バカ社員連中に腹が立ちすぎて読むのを止めた。
ところでJALは、ここ最近も人件費削減しようとしてるみたいだけど
ホント大丈夫なのかね・・・? 日航関連会社社員がモノレール改札を壊す
警視庁東京空港署は6日までに、東京モノレール羽田線の
整備場駅にある自動改札機の扉を壊したとして、器物損壊の現行犯で、
日航関連会社「JALメンテナンスサービス」嘱託社員松本文章容疑者(61)を逮捕した。
松本容疑者は「生活がうまくいかなくてイライラしていた」と話しているという。
調べでは、松本容疑者は帰宅途中だった5日午後10時5分ごろ、東京都大田区羽田空港1丁目の同駅1階で改札を通過後、
閉じた扉(約7万円相当)に体重を掛けて押し曲げて壊した疑い。
同駅では3月にも同様の被害が2回発生。防犯カメラには、男が改札扉に接着剤を塗り付けたり、
扉を押し曲げたりする様子が写されており、捜査員が張り込んでいた。
ttp://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20080406-345103.html 息が長いスレだな。
オレも『沈まぬ太陽』読んだよ。かなり泣いた。
関連書籍も5冊くらい読んだ。
でも、結局事故原因ってうやむやなんだよね。20年位前の柳田邦男の本も読んだけど
今でも同じ問題が起こってて・・・結局、教訓は生かされてないよな。
すんげぇ昔から同じようなミスや事故が起こってて、この事故にも教訓は生かされて
なかったように思える。
お亡くなりになられた人々もその遺族も報われないな。
ただ、あとから調べたけど『沈まぬ太陽』は3分の1くらいフィクションなんだよな。 さらば「鶴丸」 5月で見納め、日航半世紀の象徴(朝日新聞)
翼を広げた赤いタンチョウ――。日本航空(JAL)のシンボルとして親しまれた鶴のマークが、いよいよ姿を消す。
02年の日本エアシステム(JAS)との統合で社章が変わり、5月末には機体のすべての塗り替え作業に入る。戦後の記憶と重なる半世紀だった。
「鶴丸」と呼ばれ、制定されたのは1959年。以前の社章は「JAL」の文字を横に広げ、翼を模したデザインだった。プロペラからジェット機の時代を迎えるにあたり、変更を検討。
当初は「スピード感のある現代的なデザイン」が求められたが、最終的に「日本らしさ」が優先された。
機体に初めてプリントされたのは60年。「FUJI」と名付けられたジェット1号機、DC8型機だった。鶴丸は機体脇に控えめに納まり、尾翼には国旗が施された。
51年のJAL創立時に入社し、駆け出し時代は羽田空港で機体の清掃や荷物の上げ下ろしなどを担当した吉田仟(しげる)さん(82)は、「敗戦で打ちひしがれた日本の空に、
飛行機を飛ばせることが生きがいだった。鶴丸は、JALだけでなく、日本が羽ばたく象徴に思えた」と振り返る。
70年には約500人が乗れるジャンボ機が登場。森英恵さんデザインのミニスカート姿の客室乗務員が、華やかに大量輸送時代の幕開けを告げた。沖縄返還、
日中国交正常化など歴史の場へ要人を運ぶ機体の尾翼に、鶴丸はいた。国際線の拡張に合わせるように、吉田さんもデンマークやイギリス、
イタリアの支店を渡り歩き、定年は米・シアトルの支店で迎えた。
海外に渡った日本人にとって、鶴丸は「特別」に映ったようだ。同じくJAL1期生でシンガポールや英、米、豪で営業などを担った佐野開作さん(78)は、
海外赴任のビジネスマンらが「ツルを見るとホッとする」という言葉を何度も聞いた。添乗員付きのツアーが少なかった時代、
ガイド代わりに支店を訪れる旅行者も多かった。 (続き)
57年に入社し、91年まで国際線機長などを務めたパイロットの諸星廣夫さん(77)は、就航して間もないニューヨークの空港で夜間、
ライトに照らされて浮かび上がる鶴丸が印象に残る。当時、日本の国際線はJALだけ。「誇りを感じた。鶴丸と一緒に成長してきたんです」
だが「栄光」の象徴は85年、520人が犠牲となった「御巣鷹の尾根」墜落事故で一変する。誇らしげだった尾翼の一部は、
無残な姿で相模湾に浮かんだ。遺族には、憎しみの象徴にさえ映った。
87年の民営化の際には、再出発を印象づけるため、社内からもマークの一新を求める声があがった。02年のJASとの統合で新しいロゴができ、
鶴丸は社章としての役割を終えた。だが機体の塗り替えは大がかりな整備のタイミングで行われるため、一部が今日まで残った。
しかし、一時は約140機の尾翼に施された鶴丸も、残りあと3機となった。国内線の1機は今後大阪―福岡線(5月)など、
国際線の2機は中国や東南アジア路線などで飛ぶ予定だ。
「やはり寂しい」と吉田さんと佐野さんは言う。2人はいま、羽田空港にあるJALの施設で、歴史的資料の収集・整理に無償で携わる。
「いいことも悪いことも乗り越えた経験の礎」として、鶴丸の歴史を若い社員に伝えていくつもりだ。(佐々木学)
http://www.asahi.com/national/update/0409/TKY200804090178.html ここか、どっかで紹介されてた「墜落現場 遺された人たち―御巣鷹山、日航機123便の真実」って本をアマゾンで注文した。
本が届いて愕然とした。何パー引きかでプラス送料、消費税込みで1230円だった… 日航機が関空へ変更着陸=可動翼レバーにトラブル(時事通信)
18日午前11時45分ごろ、羽田発高松行きの日本航空1405便エアバスA300−600型機(乗客乗員181人)が
高松空港から約5キロ離れた上空約1200メートルで、主翼前面の可動翼(スラット)と揚力装置(フラップ)の操作レバーが動かなくなった。
同機は目的地を変更して、より滑走路の長い関西国際空港に午後零時34分、着陸。乗客にけがはなく、ほかの便への影響もなかった。
国土交通省関西空港事務所などによると、レバーの可動部分の一部が引っ掛かり、動きにくい状態になっていた。修理の後、同便は関空を出発、
3時間40分遅れで高松空港に到着した。
ttp://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008041800712 こんな人もいる。墜落した当時、紙切れ同然の株を大量に買い占めて 7年前すべての株を売却。6000万の利益でマンションの頭金にしたそうな 春の褒章:県内から19人 /群馬(毎日新聞)
各界で功績のある人に贈られる春の褒章が29日付で発令される。
県内では、社会奉仕活動に貢献する人に対する緑綬褒章1人
▽その道一筋に励む人への黄綬褒章5人▽公の利益に尽力する人への
藍綬褒章13人−−の計19人が受章。漬物製造に従事し、
黄綬褒章を受章する村岡食品工業社長、村岡一夫さん(67)
=前橋市総社町総社=に、これまでの道のりを聞いた。【奥山はるな】
◆黄綬褒章
◇「梅しば」などヒット−−漬物製造業・村岡一夫さん(67)
漬物製造業の三代目に生まれ、カリカリ梅の「梅しば」を筆頭に数々の商品をヒットさせてきた。
「照れくさいけど、受章はうれしい」と笑顔で話す。
85年、従来は調味液に漬けたまま売られていたカリカリ梅を、一つずつ「個包装」にして売り出し、
気軽にほおばれる梅として大ヒットさせた。いち早くコンビニも活用、群馬の味を全国に広めた。
その85年には、もうひとつ忘れられない思い出がある。御巣鷹山(上野村)に日航機が墜落、
猛暑の中を多数の捜査員が山に向かった。いてもたってもいられず「これで元気を出してもらえれば」と、
警察に4トントラックいっぱいの「梅しば」を届けた。
全国有数の梅産地、群馬の企業として県産梅にこだわる。安価な外国産を使えば生産コストは下がるが、
「質のよい群馬の梅を支えたい」という。
酒は飲まないが、自宅で梅酒をこしらえる。「毎年工夫したら、いいものができると思って」と、梅の研究に余念がない。
新製品開発のアイデアが尽きることはなさそうだ。
ttp://mainichi.jp/area/gunma/news/20080428ddlk10040041000c.html さようなら、日航「鶴丸」 中部空港で見納め(中日新聞)
半世紀にわたり日本航空の象徴だった赤いツルのマークをつけた機体が29日午前、
中部国際空港から中国・上海に向けて飛び立った。
このマークは来月ですべて姿を消すことが決まっており、中部からは最後のフライトになりそうだ。
尾翼に描かれたマークは「鶴丸」と呼ばれ、1959年に制定。国内の航空機で最も長く使われ、
日の丸のイメージとも重なって親しまれた。
2002年の日本エアシステムとの経営統合で、太陽をイメージした新デザインに変わり、徐々に塗り替えられた。
現在残るのは2機で、1機は点検中。日航名古屋支店によると、機体のやりくりの関係で中部空港に来ないとは言い切れないが、
見納めになる可能性が高い。
ttp://www.chunichi.co.jp/s/article/2008043090091200.html 現在、「御巣鷹の尾根」へは土砂崩れで登山できないってね。
登山道じゃなくて、登山口までの車道がやられたらしい。 JAL機、非常灯点灯しないまま57便飛行 点検見逃す(朝日新聞)
2008年05月06日03時02分
日本航空のジェット旅客機MD90型(標準座席数166)が、4月3日から10日間、
客室の非常灯が点灯しない状態のまま福岡―大阪(伊丹)間など計57便飛行していたことがわかった。
大がかりな点検整備の際、非常用電源の取り付けが不適切だったことが原因で、日々の点検でも見逃していた。
報告を受けた国土交通省はチェック機能が働かなかったことを重くみて、日航に対し、原因解明や再発防止策の検討を指導した。
国交省や日航によると、非常灯は、緊急時に機内外を照らしたり脱出口を表示したりする装置で非常用電源で動く。
同機は客室の天井の灯火と脱出口を示す灯火の計3カ所でつかないまま飛行していた。4月13日の運航前点検で見つかったという。
同機は3月20日〜4月2日、関連会社の日東航空整備(東京都大田区)が羽田空港の旧整備場地区にある格納庫で、
座席や床を外して行う重整備をした。この時に電源の接続に不備があったという。
日航の社内規定では、客室乗務員が毎日、非常灯の点灯を確認することになっているが、一部点灯していないことを見落としていた。
日航広報部は「定められた手順を失念し、点検でも発見できなかったことを深くおわび申し上げます。グループ各社に周知し、
再発防止に努めます」とコメントしている。
ttp://www.asahi.com/national/update/0506/TKY200805050209.html 坂本九さんと握手した後だったからショックだった。九さんは生きてるって信じてたよ。 >>116
ノーテンキおバカキャラのイニシャルビスケットのKが、ふざけた読者にマジ切れしてた。
あれが最初で最後だったかな? カラオケで「上を向いて歩こう」歌ったら画面に九さんが出てきて歌いながら涙が出てきたよ。 >>136
なんか緋本こりん氏の実家にまで問い合わせした読者がいたらしいね
御巣鷹慰霊登山に影響 がけ崩れで上野村道不通 14日に対策会議 群馬(産経新聞)
2008.5.3 02:31
日航ジャンボ機墜落現場となった上野村の「御巣鷹の尾根」へ通じる村道が、
大雨による土砂崩れで全面通行止めとなっていることが2日、分かった。
8月12日には、遺族らが犠牲者の冥福(めいふく)を祈る慰霊登山が行われるが、
同村は「復旧のメドは立っておらず、今年は慰霊登山ができない可能性もある」と危惧(きぐ)している。
同村総務課によると、崩落したのは、登山口から約5・6キロ手前の同村楢原の村道。
道路のり面が高さ約18メートル、幅29メートルにわたって崩落、
道路を完全にふさいでおり、村は4月29日に全面通行止めにした。
地盤が緩い地域で二次災害の発生の懸念されることから、復旧工事に着手できない状態が続いている。
登山口までの迂回(うかい)路はなく、復旧工事が間に合わなければ、
慰霊登山への影響は避けられないという。
村は14日、国交省や日本航空など関係機関を集めた対策会議を開き、対応を協議することにしている。
ttp://sankei.jp.msn.com/region/kanto/gunma/080503/gnm0805030234002-n1.htm 航空機:部品が千葉の畑に落下(毎日新聞)
13日午後2時30分ごろ、成田国際空港の北東約11キロの千葉県香取市伊地山の畑に、
航空機のものとみられる板状の部品が落ちているのを住民が見つけ、
成田空港会社(NAA)に連絡した。同空港を12日夜に離陸した
シドニー行きJALウェイズ機の機体部品がなくなっており、
NAAなどが関連を調べている。
NAAなどによると、部品はグラスファイバー製で縦98センチ、
横147センチ、厚さ1.8センチ、重さ約10キロ。
現場は民家が点在する田園地帯で、けが人はなかった。
日本航空成田広報室によると、12日午後8時20分に離陸した
JALウェイズ771便(ボーイング747−400型機)の胴体中央部のパネルが、
到着後の点検で欠落しているのが見つかった。【黒川将光】
毎日新聞 2008年5月13日 23時11分
ttp://mainichi.jp/select/jiken/news/20080514k0000m040147000c.html さよなら「鶴丸」 JALの2機、月末ラストフライト (産経)
日本航空(JAL)のシンボルマークとして48年間、親しまれてきた赤いツルのデザイン
「鶴丸」を尾翼に描いた航空機が今月31日、姿を消す。日本エアシステム(JAS)と統合後は順次、
機体を新しいデザインに塗り替えており、最後の2機が月末の運航後、塗装を変更する。
海外へ翼を広げた赤いツルの“引退”を惜しむ声は大きい。(水野拓昌)
大きく羽を広げたタンチョウヅルをイメージした赤い丸。日の丸も連想させるデザインは、
海外で“日本の顔”の役割も果たした。「海外旅行が一般的でなかった時代、
空港でツルのマークを見て、やっと日本へ帰れるとほっとする人もいた」(JAL広報部)
平成14年、JASとの統合でロゴマークは一新され、尾翼デザインも太陽をモチーフにした
赤い円弧「太陽のアーク」に。「鶴丸」とは対照的なシンプルなデザイン。
機体は再塗装を伴う長期整備に合わせて順次、塗り替えられた。
「鶴丸機」は、国際線のボーイング767−300型機が30日の中国・アモイ発成田着、
国内線のボーイング777−200型機が31日の伊丹発羽田着の便でそれぞれラストフライトを迎える。 (続き)
機体デザインとしての初登場は昭和35年7月。日航初のジェット機、DC8−32型機
「富士号」の操縦席後方に描かれた。ジェット時代の到来でスピード感と伝統的なデザインを
併せ持つ新たなシンボルマークが求められていたという。
キャビンの窓より一回り大きい程度だったが、45年のジャンボ機(ボーイング747型機)導入を機に、
各機の尾翼に大きく描かれるようになった。
このマークにあこがれ、神島盛雄機長(59)は44年に入社。DC8型機やジャンボ機に乗務してきた。
「鶴丸」を追うように来年2月、定年を迎える。
共に歩んだ戦友。思い出も数多い。ブラジル・サンパウロでは機体を見るため多くの日系1世が集まっていた。
「祖国・日本を思い大勢の人が涙を流したと聞き、日本と世界を結ぶ架け橋として飛ばなければならないと思った。
鶴丸に教えられた使命感だ」。神島さんはそう振り返る。
海外旅行ブーム、よど号ハイジャック…。「鶴丸」は日本の戦後史の世相や事件でも登場してきた。
昭和60年の、乗員乗客520人が犠牲となった御巣鷹山へのジャンボ機墜落事故では、尾翼が上空で引きちぎられるように破壊されて落下。
「鶴丸」は無残な姿をさらした。
神島機長は副操縦士から昇格した直後だった。昇格訓練の教官だった高浜雅巳機長=当時(49)=も犠牲に。
「1便1便、大事にしてきたのに何でこんなことに…」。これまで再発防止の誓いを胸に操縦桿(かん)を握ってきた。
安全への思いを次世代にリレーしたい。「鶴丸はなくなるけど、後輩たちは、事故のない運航に力を注いでもらいたい」
鶴丸 伝統的な日本の紋章の1つ。日本航空は国際線に進出した昭和29年以降、海外向けパンフレットなどに使用していた。
外国人乗客獲得を狙って日本らしさを強調したためで、これを原型にロゴ入り「鶴丸」マークが34年誕生。
当時の社章は「JAL」の文字を図案化、翼を広げた飛行機を正面から見たマークだったが、
社員バッジ以外はあまり使われていなかった。40年、社章も「鶴丸」に変更された。
ttp://sankei.jp.msn.com/life/trend/080525/trd0805252107020-n2.htm 読売ウイークリー
最新刊/発売日・5月26日(月)
今 週 号 の 記 事
消える日航「鶴」消えない御巣鷹遺族「万感の思い」
日本航空の赤い鶴のマークが5月末、すべての機体から消える。
2002年の日本エアシステムとの統合後、徐々に塗り替えられてきたのだが、
その消滅を23年前の日航ジャンボ機墜落事故の遺族は、複雑な思いで見ている。 「愛情込めてリアルに」 クライマーズ・ハイ試写会
日航ジャンボ機墜落事故を取材した記者たちを描いた映画「クライマーズ・ハイ」
の特別試写会が27日、撮影現場となった前橋市で開かれ、原田真人監督が主演の
堤真一さんと約400人のファンらの前に登場、「ロケーション一つ一つに愛情を込めた」
と作品に対する思いを語った。
舞台あいさつで、原田監督は「編集局の撮影にはエキストラは入れずに全員役者を起用、映像的にも芝居的にもリアルに描いた」
と強調。堤さんは「全く気が抜けない状況が1カ月も続いた」と話した。
映画は、当時地元紙の社会部記者だった作家横山秀夫さんが経験を基に18年かけて執筆した小説が原作。
御巣鷹の尾根で目にした現場の衝撃やスクープ合戦の緊張感、ねたみから生じる社内のあつれきなど、さまざまな困難の中で、
遺族を気遣い、命の重さを伝える記者たちの1週間を描いた。
ttp://www.47news.jp/CN/200805/CN2008052701000693.html いい時期も悪い時期も… 鶴丸引退惜しむ日航機長【共同通信】
日航機のトレードマークとして親しまれてきた鶴のマーク「鶴丸」が31日、
大阪−羽田便で姿を消す。機体や尾翼を飾って約半世紀。
ほぼ同じ時期をともに過ごしてきた神島盛雄機長(59)は
「いい時期も悪い時期もあった。なくなるのはさみしい」と惜しんだ。
鶴丸が商標登録されたのは1959年。翌年には国内初導入のジェット機DC8
「富士号」の機体に小さく描かれた。65年には社章となり、
70年にジャンボ機が導入されると尾翼に大きく描かれるが、
神島機長は直前の69年に入社した。
78年開設の南米線。ブラジル・サンパウロの空港には祖国から来た機体を一目見ようと、
多くの日系1世が集まり「鶴丸は日の丸なんだ」と感じた。
85年の日航ジャンボ機墜落事故では、尾翼が上空で吹き飛ばされ、鶴丸の残骸が相模湾で見つかる。
同年に副操縦士から昇格した神島機長の訓練教官が事故機の高浜雅己機長=当時(49)。
札幌−羽田便を運航中に無線で事故を知り「歯ぎしりするほど悔しかった」。
ttp://www.47news.jp/CN/200805/CN2008053001000587.html ボイスレコーダー〜ジャンボ機墜落20年目の真実
2005年8月12日放送
1〜17まで
ttp://jp.youtube.com/watch?v=QZS6VWyyuEI JALエクスプレス機、警告灯の誤作動で引き返し
30日午前8時半ごろ、大阪発花巻空港(岩手県)行きJALエクスプレス2181便が離陸直後、
エンジンのオイル詰まりを示す警告灯が点灯し、大阪空港に引き返した。
乗員乗客81人にけがはなかった。
日本航空によると、同便はダグラス式DC−9−81型。実際にはオイルは正常に流れており、
警告灯の誤作動とみられる。このトラブルで、同便を含む2便が欠航となり、
乗客は別の便に乗り換えるなどした。
ttp://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/080530/dst0805301113005-n1.htm
日航が御巣鷹遺族におわび 遺品焼却は「対応不適切」(北海道)
(06/01 02:13)
520人が犠牲となった1985年の日航ジャンボ機墜落事故で、
焼却するとしていた所有者不明の遺品について日航が、
国内の全遺族に「遺品の取り扱いをめぐる対応が誠に不適切で
不快の念を与えたことをおわびする」とする文書を31日までに送付した。
遺品の保存や展示を求めても、保管してきた日航が一貫して「すべて焼却する」
と表明し続けたことに、遺族が強く反発。昨年夏、日航が一部遺品を
展示する意向を示していたが、過去の対応への遺族の批判が強く、
双方の対話が難しくなっていた。今回、日航が謝罪したことで展示実現が
ほぼ確実になった。
岸田清専務の署名入り文書で日航は「悲しみのどん底に突き落とされた皆さまのお気持ち
への配慮が足りず、お心を傷つけた」などとした。
ttp://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/96280.html 日本航空:「鶴丸」最後の雄姿 羽田−伊丹間を往復、大空に別れ(毎日新聞)
半世紀にわたり日本航空(JAL)のシンボルマークだった「鶴丸」が31日、
姿を消した。翼を円形に広げた優雅な赤い鶴を垂直尾翼にあしらった
ボーイング777が羽田−伊丹間を往復し、飛び慣れた大空に別れを告げた。
「スピード感と日本の伝統」をコンセプトにデザインされた「鶴丸」は1959年のデビュー以来、
世界を駆け回る日本人の心のよりどころだった。羽田−伊丹間の往復前に福岡から羽田に向けて
飛んだ777に乗り込んだ横浜市港南区の主婦、斉藤礼子さん(64)は
「日本のイメージをよく表しているすてきなマークだった。なくなるのは寂しい」と感慨深げに話した。
ttp://mainichi.jp/select/biz/news/20080601ddm041020064000c.html ダイアナ湯川、天国の父へ…英在住バイオリニスト3年ぶり来日公演(スポーツ報知)
1985年8月の日航ジャンボ機墜落事故で父親(当時56歳)を亡くした、
英国在住のバイオリニスト・ダイアナ湯川さん(22)が、8月30日に
東京・池上本門寺で行われるライブイベントに出演することが6日、分かった。
05年以来3年ぶりの来日公演。事故からもうすぐ23年がたつが、
成長した姿を亡き父に披露する。
湯川は日航機墜落事故から約1か月後の1985年9月、事故で亡くなった日本人の父親と、
英国人の母親の二女として生まれた。「娘を音楽の道へ」という生前の父親の遺志にしたがって、
5歳からバイオリンに親しみ、ヨーロッパの伝統的な奏法を習得した。
00年、15歳の時に日本でアルバム「天使のカンパネラ」でCDデビュー。
デビュー前には、事故現場の群馬県上野村の御巣鷹山を慰霊登山。尾根に眠る父親に
「これからもずっと見守っていてね」とデビューを報告した。
その後は英国を中心に活動。多数の賞を受賞しており、若手のコンテンポラリー(現代風)
バイオリニストとして、欧州で注目されている。05年に20歳の記念コンサートを都内で行っているが、
来日公演は3年ぶりとなる。
湯川が出演するのは8月30日に東京・池上本門寺で開催される「クラシカル・クロスオーバー・フェス 華の殿」。
クラシック音楽の楽しさを、気軽に、より多くの人に伝えようと今年初開催される音楽フェスで、
アルパ奏者の上松美香(25)ら、若手のクラシックアーティストが多数出演する。湯川はイベントの趣旨に賛同する形で、
出演が緊急決定した。出演者の中で唯一の海外アーティストとなる。
関係者によると、来日にあわせ、御巣鷹山も訪れる予定だという。8月12日で事故から23年がたつが、
湯川はすっかり大人に成長した姿を天国の父に見せることになりそうだ。
ttp://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20080607-OHT1T00014.htm 日航機、羽田に緊急着陸 先月にもトラブル(産経)
2008.6.7 11:57
7日午前8時45分ごろ、羽田発奄美(鹿児島県)行き
日航1953便のMD81が離陸直後、エンジンのオイル詰まり
を示すライトが点灯したため、羽田空港に引き返し同10時5分に
緊急着陸した。乗客乗員149人にけがはなかった。
この機体は先月30日、大阪発花巻(岩手県)行き
JALエクスプレス(JEX)便として飛んだ際も、
同じ警告ライトが点灯して大阪空港に引き返しており、オイルフィルター
とフィルター詰まりを検知する機器を交換したばかりだった。
日航が詳しい原因を調べている
ttp://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/080607/dst0806071156001-n1.htm 旅客機が着陸後炎上、28人死亡 スーダン(CNN)
スーダンの首都ハルツームの空港で10日夜、スーダン航空の旅客機が着陸後に滑走路を外れ、
炎上した。当局者が一部メディアに語ったところによると、乗員14人乗客203人のうち、
今のところ判明している死者は少なくとも28人、123人は無事で、約50人が行方不明になっている。
炎上したのはアンマン発ダマスカス経由のエアバスA310型機で、暴風雨による視界不良のなかで着陸した。
ハルツームの空港関係者がカタールの衛星テレビ局アルジャジーラに語ったところによると、
着陸の約10分後に旅客機が完全停止する前、エンジンの1つが爆発した。
空港は11日午前9時まで閉鎖される予定。
搭乗客の1人だったスーダンの議員は、右側エンジンから出火し、炎が機内に広がったと語った。
議員は座席が前方に近かったため、早期に脱出できた。客室乗務員らは乗客らを出口に誘導し、
負傷した乗客は空港にとどまっているという。
乗員乗客の家族らは空港に集まり、新しい情報を待っている。現場には救急車が急行した。
スーダンは現在雨季で、砂嵐と併せて暴風雨が突発的に発生する。炎上機はハルツーム近郊で一度着陸し、
その後再び離陸してハルツームの空港に着陸した。
ttp://www.cnn.co.jp/world/CNN200806110001.html とにかく忘れてはいけないと思います。もうこれは日本の歴史の一つです。 日航機と全日空機が接触 羽田空港、けが人なし【共同通信】
12日午後4時25分ごろ、羽田空港のC滑走路から離陸するため待機していた
大阪行き全日空33便ボーイング777(乗客乗員378人)の尾部に、
那覇行き日航925便ジャンボ機(同238人)の左主翼端が接触した。
日航機の左主翼端にある翼端灯カバーが破損、全日空機も尾部の表面が縦45センチ、
横30センチにわたりへこんだが、大きな損傷はなく、けが人もなかった。
両機とも衝撃などはなく、接触に気付かなかった。それぞれ目的地までそのまま飛行し、
到着後の点検で損傷に気付いたという。
国土交通省によると、C滑走路南端から1つ北側にある誘導路で離陸待機中だった
全日空機の後ろを日航機が通過しようとした際、接触したという。国交省などが詳しい原因を調べている。
ttp://www.47news.jp/CN/200806/CN2008061201000858.html 「御巣鷹」へ迂回路、慰霊登山可能に 群馬(産経新聞)
日航ジャンボ機墜落現場となった上野村の「御巣鷹(おすたか)の尾根」へ通じる村道が、
土砂崩れで全面通行止めとなり、8月12日の慰霊登山の実施が危ぶまれていた問題で、
同村や日本航空などは13日、登山口までの迂回(うかい)路を使って例年通り実施する方針を決めた。
ただ、迂回路は一般開放されていない狭い林道なため、車両の行き違いができないなどの制約があり、
今後、善後策を協議する。
同村総務課によると、崩落現場は、登山口から約5・6キロ手前の同村楢原の村道。
道路のり面が高さ約18メートル、幅約29メートルにわたって崩落したため、道路を完全にふさいでおり、
4月29日から全面通行止めとなっている。
現場は地盤が緩い地滑り地帯で、二次災害の発生も懸念されることから、関東森林管理局群馬森林管理署が
今月下旬、ボーリング調査を実施することになり、現在、資材の搬入作業が進められている。
同管理署によると、調査は12月中旬までかかる見込みで、年内に本格的な復旧工事に着手できないという。
このため、同村などは、慰霊登山が行えるよう、同管理署が所有する国有林専用林道を迂回路として使用する方針を決めた。
迂回路は、東京電力が作業道として使用しており、一般には開放されていない。慰霊登山で使用するには、
同管理署の使用許可が必要になるうえ、従来の村道より約20キロ遠回りとなり、平均で約1時間余計にかかる。
道幅が大変狭く、車両の行き違いができない問題もある。
慰霊登山をめぐっては、平成18年8月、登山口から尾根に通じる村道が開通し、登山距離が約3分の1に短縮。
高齢化のため足腰に衰えが見え始めた遺族らの負担が軽くなった。
ttp://sankei.jp.msn.com/region/kanto/gunma/080614/gnm0806140329000-n1.htm 堤真一らが完成披露試写に 「クライマーズ・ハイ」【共同通信】
日航ジャンボ機墜落事故を取材した新聞記者たちを描いた横山秀夫原作の映画
「クライマーズ・ハイ」(7月5日全国公開)が完成、東京都内で記者会見と
完成披露試写会が開かれた。
試写会では、舞台上に新聞の号外を模した巨大パネルが設置され、くりぬかれた写真の部分に、
主演で事故取材の全権デスク悠木役の堤真一と県警担当記者役の堺雅人、
新人記者を演じた尾野真千子が仲良くおさまった。
記者会見では、堤が「主人公は孤高のイメージ。今回に限っては、現場で若い俳優たちと無駄口をきかなかった」
と明かし、尾野は「演技ができなくなるぐらいの緊迫感。原田真人監督や堤さんの前では(興奮状態が極限に達した)
クライマーズ・ハイな状態でした」と振り返った。
ttp://www.47news.jp/CN/200806/CN2008061701000741.html
映画「クライマーズハイ」公式サイト
ttp://climbershigh.gyao.jp/ 〜独り言〜
ここに何故 日航機のスレあるのかはググらないが 俺にとっては縁遠き出来事ではないから書かせていただく。
コピペ貼り師 少し板借ります。
当時 オラが小6だたかな?
奇跡的に生還できた女の子いたよな。ヘリで救出された女の子。 あの娘に励ましのハガキ(しかも年賀状で)を出したんだ。
だけど 返事はくるはずもなく。。
年だけ無駄にくった最近のオラは 彼女はどうやらかなり前に結婚されてるとかの話しを耳にはさんだ。
幸せにつつがなく暮らしてるのを想像しながら 当時の淡い恋心を美化して 浅はかならない出来事と記憶して自分がいる。
今でも忘れないし 遺族の方にはこんな形で記憶に残ってるヤシがいることを申し訳なく思います。
貼り師にいたっては 気分を害する書き込みが含まれていたら許してくれ。
私事で長々とすいませんでした。
二度とこのような出来事が起こらないよう 祈ってやみません。
それでは。。。 失礼いたしました。 原作読んでいたく感動した覚えがある。
まさか映画になろうとは思いも寄らなかった。
見たいが、見ない方が良いぞ、と頭の片隅で語るもう一人の俺がいるw
いままで、原作を超えた映画を知らない。
というか、映像化を前提にしてない小説を読んだ人は、既に頭の中で人それぞれの
映画が出来上ってるから、違和感生れる。
原作読んでないヤシは、映画を見てから読め。
これは素晴しい小説。
爆発音『ドッカーン』
CAP『なんか爆発したぞ、スコーク77!』( ̄□ ̄;)
CAP『バンクとんな、そんなに!バカ、バンクとんなって…』( ̄口 ̄;)!
CAP『ストールするぞ、気合い入れろ!』(`□´;)
COP『しかし、効きません!』
(|||_|||)
CAP『ハイドロ全部駄目?』
( ̄□ ̄;)
F/E『ハイドロプレッシャーオールロス』( ´ー`;)
『しーーーん』
CAP『これはだめかもわからんね』
(´;ω;`)
F/E『ハイドロプレッシャーがオールロスしましたですからなぁ』
┐(´ー`;)┌
CAP『山だ!山行くぞ!コントロールとれ、右っ!』
(`・ω・´;)
CAP『どーんといこうや!頑張れ頑張れ、踏ん張れ』
(`・ω・´)
CAP『頭上げろ!フラップ〜!』
(`・ω・´;)
COP『上げてます!』(><;)
CAP『フラップ止めな』( ̄口 ̄;)
COP『フラップアップ、フラップアップ』(((;д;;)))
CAP『頭上げろ、あったまあげろ〜!!あったまあげろ〜!!』 (><;;)
CAP『もうだめだー』(´;ω;`;)
クラッシュ音……
終了 (;_;)
JAL系機パネル落下、整備ミスの可能性 地元に謝罪(朝日新聞)
千葉県香取市の畑で5月、日本航空系ジャルウェイズ機のエアコン点検
口パネルが落ちているのが見つかった問題で、日航側の整備ミスが原因で上空から落下した
可能性が高いことがわかった。日航が21日までに地元関係者に説明し、謝罪した。
日航によると、落ちたパネルはグラスファイバー製(縦98センチ、横147センチ、重さ約10キロ)。
整備時に点検口を開け閉めした際、9個の金具のうち三つのロックが不十分だったため、
飛行中の振動でパネルが開き、落下したとみられる。日航は点検を強化するなどして、
「再発防止に努める」としている。
ttp://www.asahi.com/national/update/0621/TKY200806210193.html 正義感いまだ衰えず /埼玉(毎日新聞)
和光市と東京・渋谷を最短25分で結ぶ東京メトロ副都心線が開業した14日朝、
ニュース速報で背筋が凍った。天井の蛍光灯がゆらりと横揺れし、間もなくテレビで
「岩手・宮城県境で震度6強」の地震速報が流れた。岩手県奥州市の震源地近くに住む先輩記者の
Yさんの安否が気になり、電話に飛びついた。「茶わんがいくつも割れて大変でした」。
恐怖におびえる奥さんの声。「主人は近所にいる独り暮らしのおばあちゃんが気がかりで、
飛び出したきり戻らないんです」と、困った様子。余震が続く中、民生委員として区域の高齢者宅を
走り回っている姿が目に浮かんだ。85年の日航機墜落事故で、Yさんと1週間分の下着をバッグに
詰めて熊谷支局から現場へ飛んだことを思い出した。長野と群馬県境の民家に構えた取材本部へ向かう車中、
「乗員乗客が全員無事であってほしい」と何度も口走っていたYさん。熱く燃えた記者魂は「民生委員魂」として健在だった。【藤川敏久】
ttp://mainichi.jp/area/saitama/nikki/20080619ddlk11070157000c.html 慰霊登山う回路予定地でも土砂崩れ(TBS)
毎年8月に行われている日航ジャンボ機の墜落事故の慰霊登山をめぐり、
道路に土砂崩れが発生し支障が出ている問題で、う回路として使用する予定だった
林道にも新たな土砂崩れが発生したことがわかりました。
23日午後2時ごろ、群馬県上野村の職員が、慰霊登山のう回路として使用するはずだった
御巣鷹の尾根に続く林道を確認したところ、22日の大雨で土砂崩れが発生しているのを見つけました。
上野村によりますと、土砂崩れの規模は大きく、林道をふさいだ状態だということです。
今年の慰霊登山をめぐっては、御巣鷹の尾根に続く道路が去年発生した土砂崩れで使えない状態で、
先週、関係者による協議で林道のう回路を使う方針が決まったばかりでした。
今回の事態を受け、上野村では、慰霊登山の実施について改めて関係者で協議するとしています。(23日20:25)
ttp://news.tbs.co.jp/20080623/newseye/tbs_newseye3883854.html ▼映画『御巣鷹山』の渡辺文樹監督逮捕
無銭宿泊で映画監督再逮捕 全国で踏み倒し?(スポニチ)
宮城県警石巻署は4日、名古屋市で無銭宿泊したとして、詐欺の疑いで、
福島県二本松市の映画監督渡辺文樹容疑者(55)を再逮捕した。
捜査関係者は「全国から宿泊代踏み倒しなど同様の情報が寄せられている」としており、
余罪の有無を調べる。調べでは、渡辺容疑者は2006年5月7日から19日にかけ、
名古屋市中区の宿泊施設に女性と子ども1人を連れて宿泊、宿泊代金や飲食代など
計約21万数千円を支払わなかった疑い。「払うつもりだった」と容疑を否認しているという。
請求書を送るようにホテル側に伝えたまま、連絡が取れなくなったという。
逮捕を知った施設側が5月30日に被害届を提出した。
渡辺容疑者は5月14日、宮城県東松島市の宿泊施設に無銭宿泊したとして、詐欺の疑いで逮捕され、
処分保留で4日釈放された後、再逮捕された。
ttp://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20080604119.html 土砂崩れ:御巣鷹慰霊登山道通行止め 迂回路確保へ協議 上野村、週内にも /群馬
(毎日新聞)
日航ジャンボ機墜落事故の現場となった上野村の「御巣鷹(おすたか)の尾根」に通じる道路が
相次ぎ土砂崩れで通行止めになったことで、村などは8月の慰霊登山を前に迂回(うかい)路の
早急な確保を迫られることになった。長野県側から現地に入る第3のルートも視野に、
週内にも関係者で対応を協議する構えだ。
23日に土砂崩れが確認された村道は県道上野小海線から南に10・7キロの同村中之沢地区で、
同村によると大量の土砂に覆われているうえ、その先の状態も不明で、復旧の見通しは立っていない。
この村道は、昨年までの慰霊登山で使っていた村道が今年4月の大雨で土砂崩れを起こし通行止めに
なったため、迂回路として検討していた矢先だった。
村は第3のルートとして、長野県南相木村から現地に通じるダム建設の作業道に期待している。
車の通行は可能で、村など関係団体は利用できるかどうか早急に検討する。
ただ、この作業道が利用できたとしても、これまで村役場から登山道入り口まで約1時間半で行けたのが、
3〜4時間はかかるという。
同村の松元宇隆村長は「ひどい状態になった。これまでの計画は白紙に戻し、どこを通すかいろいろなルートを検討する」
と話している。【畑広志】
毎日新聞 2008年6月25日 地方版
ttp://mainichi.jp/area/gunma/news/20080625ddlk10040033000c.html 御巣鷹対策協議(読売新聞)
上野村の「御巣鷹の尾根」に続く村道など2か所で土砂崩れが発生し、
8月の慰霊登山が危ぶまれている問題で、同村の松元宇隆村長らが27日、
前橋市の群馬森林管理署を訪ね、善後策を検討した。
両者によると、村側が今年4月に土砂崩れがあった村道脇の斜面の状況について聞いたところ、
管理署は、民間業者に委託して行っているボーリング調査は始まったばかりで、
結果を出すにはまだ時間がかかるとしたうえで、現状で路面の土砂を取り除くと、斜面の土砂がさらに崩落する
可能性も否定できないと説明した。村側は、日本航空や東電なども招き、来週には、対策のための会議を開く考えを伝え、
管理署に参加を要請したという。
両者によると、村側が今年4月に土砂崩れがあった村道脇の斜面の状況について聞いたところ、管理署は、
民間業者に委託して行っているボーリング調査は始まったばかりで、結果を出すにはまだ時間がかかるとしたうえで、
現状で路面の土砂を取り除くと、斜面の土砂がさらに崩落する可能性も否定できないと説明した。
村側は、日本航空や東電なども招き、来週には、対策のための会議を開く考えを伝え、管理署に参加を要請したという。
松元村長は取材に対し、「慰霊登山の道路については検討会議までにあらゆる可能性を考えたいので、
先に崩落した村道ののり面の現状についてうかがった」と話した。
ttp://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20080628-OYT8T00142.htm 日航機事故の実話を基に舞台化/二宮町で上演(神奈川新聞)
五百二十人が死亡した一九八五年八月の日航ジャンボ機墜落事故を題材にした演劇
「8・12〜絆(きずな)〜」が七月三、四の両日、二宮町の生涯学習センター「ラディアン」で上演される。
この事故で親友を失った俳優の赤塚真人さん(57)が主宰する東京・世田谷の劇団「裏長屋マンションズ」が、
実話を基に舞台化する。主人公は、父親と久々の再会を果たすため事故機に乗り、三十二歳で亡くなった青年。
都内のライブハウスで調理師のアルバイトをしていた実在の人物をモデルにした。将来をめぐる父親との確執を抱えながらも、
プロのドラマーを夢見た青年の一途(いちず)な姿が描かれる。
客としてライブハウスを訪れ、青年に出会ったという赤塚さんは「料理をしていてもドラムのスティックを離さなかった」と
懐かしむ。事故後に青年の両親とも会い、「残された者の悲しさ」を実感した。
「もっと彼の話を聞きたかった」と、今も悔やむ赤塚さんは「当たり前の日常が突然失われることもある。
大切な人を思いだすきっかけにしてほしい」と話す。
同町で高校などを運営する星槎グループが主催。チケットは三千五百円で両日とも午後一時半、六時半からの二回公演。
問い合わせは、同劇団電話03(3418)6318。
ttp://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiiijun0806651/ 御巣鷹の慰霊登山実施へ バス乗り継ぐ案など検討
日航ジャンボ機墜落事故現場の「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)へ続く村道が
土砂崩れのため通行止めとなっている問題で、日航や上野村などは3日、
村役場で開いた対策会議で、崩落個所に歩道を造り、8月の追悼慰霊登山を実施する方針を決めた。
崩落の危険が残るため、安全確保が課題となる。
上野村によると、従来村中心部から登山口までバスで登山者を運んでいたが、4月に登山口から
約5・6キロ下った地点で長さ約30メートルにわたって村道ののり面が崩落。
迂回路として予定した別の村道でも6月にのり面が崩れ、いずれも通行止めとなっている。
会議では、従来の村道の崩落部分に人が通れる道を造り、長野県側から運んだ
バスに乗り継ぐ案が浮上したという。日航は「歩道の安全をどう担保するか、早い段階で村と検討したい」
としている。2008/07/03 20:05 【共同通信】
ttp://www.47news.jp/CN/200807/CN2008070301000713.html 日航機墜落:安全への願い込め、慰霊登山者のつえ作り−−藤岡市立美九里東小 /群馬
藤岡市立美九里東小学校で3日、5、6年生89人が、日航ジャンボ機の墜落事故現場となった
上野村の御巣鷹の尾根への慰霊登山で遺族らが使うつえに、激励や空の安全への願いを込めてメッセージを
書き入れた。 慰霊の日に合わせて十数年前からボランティアでつえ作りをしてきた藤岡市上大塚の無職、
本多一助さん(67)が、同小に通学していた孫の縁で「事故を風化させないように」と提案して始まり、今年で8回目。
つえの材料は、市内の神流川や鮎川で採取したニセアカシア。長さ約120センチに切りそろえて乾燥後、
磨いてニスを塗り100本用意した。黒沢一雅校長から、自分たちが生まれる前に起きた惨事の説明を聞いた後、
児童らは「もう二度と飛行機の事故が起きないように」「頑張って登ってください」などと丁寧に言葉をつづった。
6年生の福田達也君(11)は「事故で亡くなられた人の家族は本当に苦しいと思います。自分も家族を大切にしたい」と話した。
メッセージが記されたつえは登山口に届けられる。本多さんは「子供たちみんなが一生懸命にメッセージを書いてくれる。
つえを作る励みにもなり、うれしい」と喜んでいた。【畑広志】
ttp://mainichi.jp/area/gunma/news/20080704ddlk10040065000c.html 「クライマーズ・ハイ」 日航機墜落現場で試写会
昭和60年の日航ジャンボ機墜落事故を取材した新聞記者たちを描いた映画「クライマーズ・ハイ」の試写会が3日、
墜落現場「御巣鷹の尾根」のふもと、群馬県上野村立上野中学校で開かれた。
試写会には松元宇隆(いえたか)・上野村村長や原田真人監督、主演の堤真一さんらが参加。
試写会に先立ち、映画のイメージソング「蛍星(ほたるぼし)」を歌う元(はじめ)ちとせさんが上野村の慰霊の園に献花した。
慰霊碑を前に元さんは「こんな悲しい事故が二度とないよう、心を込めて歌いたい」と話した。
映画は5日から全国で一般公開される。
ttp://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/080703/dst0807031822008-n1.htm ▼御巣鷹の慰霊登山 例年どおり(NHK)
昭和60年に起きた日航ジャンボ機墜落事故の遺族が毎年8月に行っている
群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」への慰霊登山は、墜落現場に向かう林道で
土砂崩れが起きたため、ことしは予定どおり行えるか危ぶまれていましたが、
地元の上野村などが特別に歩道を設けるなどして遺族の安全を確保することで、
例年どおり登山が行えることになりました。
昭和60年に520人が犠牲になった日航ジャンボ機墜落事故の遺族たちは、
毎年、事故が起きた8月12日に現場の群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に慰霊登山をしていますが、
登山に使っている林道で土砂崩れが起きて通行できなくなったため、ことしは予定どおり登山が行えるか危ぶまれていました。
このため、上野村や日本航空などが対応を検討した結果、村などが特別に歩道を設けて土砂崩れの現場付近をう回するなどして
遺族たちの安全を確保することで、ことしも予定どおり慰霊登山を行うことになりました。
遺族たちは、この歩道までバスで向かい、歩道を通って土砂崩れ現場を通過したあと、長野側から入ってきたバスに乗り換えて
「御巣鷹の尾根」に向かいます。上野村の松元宇隆村長は「しっかりと安全を確保して歩道を設置するので、
遺族の方には安心して通ってもらいたい」と話しています。
ttp://www.nhk.or.jp/news/k10015742161000.html 群馬・御巣鷹慰霊登山道通行止め:慰霊に備え、歩道を緊急確保へ(毎日新聞)
日航ジャンボ機墜落事故現場の群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に通じる村道が土砂崩れで通れなくなった
問題で村は11日、日航など関係者と会議を開き、8月の慰霊登山は土砂崩れ現場に歩道を通す緊急措置で対応することを決めた。
村などによると、楢原地区の土砂崩れ現場を緊急工事し歩道を確保。慰霊登山の参加者は楢原地区までバスで移動後、
土砂崩れ現場を徒歩で迂回(うかい)、あらかじめ長野県側ルートから入った別のバスに乗る。
ttp://mainichi.jp/select/weathernews/news/20080712ddm012040092000c.html 腕時計など10数点を展示へ 日航と遺族合意、靴も要望【共同通信】
520人が死亡した1985年8月12日の日航ジャンボ機墜落事故で、
日航は12日、同社が保管している所有者不明の遺品の取り扱いを遺族側と話し合い、
墜落時刻で止まった腕時計など10数点を、8月12日までに安全啓発センター(東京都大田区)
に展示することで合意した。
時計のほか、曲がった鍵やペンなどの中から、事故の衝撃を示すものを日航側が選び、
事故機の残骸などとともに同センターに展示、公開する。
遺族側は、過去に遺族向けに展示されたことがある靴を写真で示し、公開を要望。日航が記録などを調べて探す。
展示品以外の遺品の取り扱いについての協議は続けるが、12日の話し合いに参加、夫が犠牲となった女性(52)は
「事故直後は遺品を見ることができなかった遺族も多く、もう一度、すべての遺品を展示してほしい」と要望。
日航は検討するという。 日航が保管している遺品は約2700点。
ttp://www.47news.jp/CN/200807/CN2008071201000674.html 23年かあ、あの日は雲も少なくて、普段は民航機なんて飛んでいない所を飛行してたんで、
めずらしいな、と思い事故機を偶然目撃していた厨房の頃の俺。
夕方に事故をニュースで知ったのだが当時は本当に驚いた。
その後、まさか小牧で中華航空機の事故に自分も立ち会うとは思いも思わなかった。
たしか、ハワイからの帰り新聞が読みたくても今日は新聞ないと言われた。
あとから分かったがこの記事を見せたくない為、JALが新聞配らなかったんだって。
いまの、ようにネットもなかったからね、情報も瞬時に入らなかったもんね。
>>183
隠蔽体質だな。
極悪非道利権集団JAL >>182
中華航空機の時はどんなだったの?
戦闘機顔負けの急上昇の後、空中で棒立ち、機首を下げながら尻から地面に激突ですかね?
動画有るかな?ハァハァ‥ 空の「事故の芽」、730件=主要35件に対策徹底指示−国交省(時事通信)
国土交通省は16日、複数の要因が重なると事故を誘発する恐れがある「事故の芽」に当たるトラブルが、
2007年度中に730件起きていたと発表した。このうち35件については、特に慎重な取り扱いが必要な主要事案として、
航空会社に原因究明と再発防止の徹底を指示した。
同省は06年10月から、従来の「事故」や深刻なトラブルの「重大インシデント」には当たらない軽微なトラブルについても、
国内航空各社に報告を義務化。昨年7月、06年度下半期分を初めて公表したが、今回初めて通年でのまとめとなった。(2008/07/16-23:03)
ttp://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008071601109 大量に貼ってゴメン、当時の写真週刊誌のグロい写真
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ttp://sk.fox.ac/jal123/jal2.jpg すいません、見れました。
貴重な画像をありがとうございました。 以前どこかで聞いたんだけど(確かTVで)
墜落した123便の搭乗時間に間に合わず
結局乗れず終いで難を逃れた男性がいたらしい
しかし、この男性その晩に宿泊したホテルのフロで
スベッて転倒し頭部を強打して亡くなったとゆうのだが・・・
どなたかこの話の詳細をご存知の方いませんか?
>>190
「墜落の夏 日航123便事故全記録」(吉岡忍、新潮社)p153から引用。
(引用はじめ)
大阪のI君を訪れた帰り、私は京都の友人がやっている酒場にまわった。
そこで、あの123便に乗ることになっていて、たまたま知人との食事が
ながびいて乗りそこない、国鉄新幹線で大阪にもどった男がいたという話を
聞いた。彼の店にときどき顔をだす客の友人だったという。命びろいしたんだ、
と言うと、友人は首をふった。
あの晩遅くもどった男は、テレビ・ニュースで、自分が乗るはずだった機が
行方不明になり、墜落したらしいということを知って、安堵した。妻も驚き、
偶然の無事を喜んだ。そして、酒を飲んだ。風呂に入ったのは、もう夜中
だったという。そこで彼は転倒し、頭を強く打った。どこを、どんな具合に
打ったのか、友人は知らない、と言った。よほど場所が悪かったのだろう、
救急車で運ばれた病院で、男は死んだ。
嘘のような、ほんとうの話である。
(引用おわり) >>191
その話、どっかで否定されてなかったっけ? カンタス機損傷:「必死にマスク付け」 床に亀裂60センチ−−乗客証言 (毎日新聞)
【マニラ矢野純一】25日、飛行中のカンタス航空ボーイング747の機体に大きな穴が開き、
マニラ国際空港に緊急着陸した事故は、穴から機内の空気が抜け、一歩間違えば墜落などの大惨事に
つながるところだった。「ドンという大きな音がした後、酸素マスクが下りてきた」。
乗客は事故当時の状況を生々しく振り返った。
乗客はマニラへの緊急着陸後、市内のホテルに移動した。医学生のリンダ・ペニークックさんは毎日新聞の取材に、
「穴の開いたすぐ近くの席に座っていた。ドンという音の後、空気が流れる音がした。下りてきた酸素マスクを
付けるのに必死で、怖いと感じる余裕もなかったが、飛行機が着陸後、床に縦20センチ、
横60センチくらいの割れ目ができ、外の光が見えて急に怖くなった」と話した。
85年の日本航空123便事故では、ボーイング社の修理ミスから後部の圧力隔壁が破断して空気が噴き出し、
機体を破壊して墜落につながった。
今回も破損の部位によっては、機体の空中分解や、壊れた機体の破片がエンジンに吸い込まれて火災を起こすなど、
危険な状態に陥る可能性があった。
客室内では、携帯用の酸素マスクを付けた乗員が手分けして乗客一人一人に声をかけてくれたため、
悲鳴を上げたりパニックに陥る乗客はいなかったという。
会社員のニール・ウォルシュさんは「機内では恐怖を感じなかったが、緊急着陸後、
ホテルでテレビのニュースを見て機体の損傷を知り、本当に恐ろしくなった」と、興奮した様子で話した。
◇部位によっては惨事も−−加藤寛一郎・東大名誉教授(飛行力学)の話
亀裂が放射状に広がっていないなど、爆発物による破裂でなく、整備不良の可能性が高い。
通常なら機体の格子状フレーム枠が破裂の広がりを食い止めるが、機能していない。
フレームと外板を固定するびょうの穴の点検が甘く、多数の小さな亀裂が一気に面的に広がったのではないか。
機体の場所によっては、85年の日航機墜落事故のような大惨事を招く恐れもあり、絶対にあってはならない。
ttp://mainichi.jp/select/jiken/news/20080726ddm041040156000c.html 軍事演習?上海行き日航機引き返す
26日正午ごろ、日本航空の成田発上海行き791便「ボーイング767−300型機」が
中国空域を通過できず、成田空港に引き返すと成田国際空港会社(NAA)に連絡があった。
上海空港周辺での軍事演習が理由の可能性があるという。
国交省成田空港事務所によると、中国管制当局から「出発時間の間隔を延長してほしい」と連絡があったという。
延長の理由は告げなかった。
NAAによると、791便は26日午前10時10分ごろ成田を離陸。約3時間10分で上海に到着予定だった。
引き返した後、午後0時45分ごろ成田に到着した。けが人などはなかった。
ttp://sankei.jp.msn.com/world/china/080726/chn0807261614003-n1.htm 3人乗り小型機が墜落=長崎空港沖合、1人心肺停止
7月26日18時39分配信 時事通信
26日午後5時半ごろ、長崎県大村市の長崎空港から、同空港の北約200メートルの沖合に
小型機が墜落したと通報があった。長崎空港事務所によると、小型機は個人所有で3人が乗っており、
離陸直後に墜落した。県警によると、3人は救助され病院に運ばれたが、男性1人が心肺停止状態。
佐賀市の男性(65)は意識があり、命に別条ないという。
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080726-00000073-jij-soci 【Re:社会部】「御巣鷹山の教訓」いずこへ
毎年、夏の盛りになると胸が痛みます。昭和60年8月12日夕、
羽田発大阪行き日航123便ジャンボ機が群馬県上野村の御巣鷹山に墜落し、
520人が死亡。単独の航空機事故としては史上最悪の惨事でした。
3年前、事故から20年となるのを機に関係者の方々に取材しました。
なかでも123便の高浜雅己機長=当時(49)=の妻、淑子さんの述懐が印象に残っています。
淑子さんは深い理由は尋ねなかったそうですが、機長には何かの予感があったのかもしれません。
似たようなエピソードはほかのご遺族からもうかがいました。人知を超える運命の糸にたぐり寄せられた、
とでもいうのでしょうか。
国土交通省のまとめによると、航空事故につながる可能性もある「安全上のトラブル」は、
昨年1年間で実に730件。天災以外の事故は必ず防止できるはずですが、
“あわや”の状況は今も少なくないのです。御巣鷹の教訓はどうなってしまったのでしょう。
悲しき運命論には二度と触れたくないのですが…。(孝)
ttp://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/080726/dst0807261953015-n1.htm 空の安全を願い、藤岡で灯籠作り(読売新聞)
520人の犠牲者を出した日航機墜落事故から23年がたつのを前に、
藤岡市の藤岡公民館で26日、犠牲者の冥福(めいふく)を祈り、
空の安全を願う灯籠(とうろう)作りが行われた。遺族でつくる
「8・12連絡会」の美谷島邦子事務局長も参加し、
「土砂崩れのため、今年は慰霊登山を半分以上あきらめていた。
迂回(うかい)路を通すよう図ってくれた上野村長は、
本当によく尽力してくれた」と感謝の気持ちを述べた。
灯籠流しは今年で14回目。事故が起きた8月12日の前夜に、
上野村役場前の神流川で行われる。遺族や地元の「ふじおか・おすたかふれあいの会」
(坂上シゲヨ会長)の会員らは、木や鉄の骨組みに障子紙を張り、「2008年 安全のともし火」
などの言葉を書き入れた。毎年参加している藤岡市小林の斉藤喜美子さん(70)は、
「事故からまた1年。何年たっても遺族の悲しみは同じと思いながら、
心を込めてメッセージを書き込んだ」と話した。
ttp://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20080727-OYT8T00004.htm 御巣鷹への仮設歩道を公開 群馬県上野村の土砂崩落【共同通信】
日航ジャンボ機墜落事故が起きた8月12日に毎年行っている「御巣鷹の尾根」
(群馬県上野村)への慰霊登山を前に、土砂崩れで通行止めとなっている村道に工事中の
仮設歩道が29日、報道陣に公開された。8月5日に完成予定。
国土交通省利根川水系砂防事務所によると、歩道は幅約1・2メートル、長さ約60メートルで、
村道のガードレールの外側に鉄パイプと木で設置した。安全確保のため両側に手すりをつけ、
崩落したのり面と歩道の間に土のうを3メートル積み上げ、防護ネットを1メートル張るという。
慰霊登山では、村中心部からバスに乗り、登山口から約5・6キロの土砂崩落場所でいったん下車。
仮設歩道を通って通行止めの反対側まで出て、あらかじめ運んでおいたバスに再度乗車し登山口まで向かう。
ttp://www.47news.jp/CN/200807/CN2008072901000530.html 日航機慰霊登山 実現へ 利用は遺族らに限定 (東京新聞 )
日航ジャンボ機墜落事故の現場となった上野村の「御巣鷹の尾根」へ向かう村道が
土砂崩れで通行止めとなった問題は、崩落現場に仮設歩道がほぼ完成したことで、
解決される見通しになった。二十九日には報道陣にも公開された。今後の天候などにもよるが、
遺族らは例年通り八月十二日に慰霊登山できそうだ。
歩道が設置されたのは、四月に土砂が高さ約十八メートル、幅約二十九メートルにわたって崩れた場所。
同村などが迂回(うかい)路に想定した別の村道も六月、高さ約五十メートル、幅約四十メートルにわたり崩落した。
歩道は、国土交通省利根川水系砂防事務所(渋川市)が二十二日に着工し、村道のガードレール外側約一メートルにに設けた。
手すりも付ける。来月五日の全体工事完了までに、歩道と崩れた土砂の間の村道上に、大型土のう(重さ約一トン)を約三百個敷き詰め、
高さ約三メートルの“壁”のようにする計画。さらに土のうの一メートル上まで防護ネットを設け、安全対策に努める。
歩道の利用は来月十二日だけで、遺族や一部の関係者に限られる。崩落場所の村道は狭いため、遺族らは現場の手前でバスから降り、
歩道の前後約百メートルずつは歩くことになる。崩落場所から登山口までを走るバスは、長野県からのトンネルを通って現地に入る。(菅原洋)
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