全裸水泳がある意味で平等だというのは、確かに一理ある。
着る水着によって――しかも水着選択の自由がないのに!――記録に
差が出てしまうなど、全くおかしな話である。

しかし、全裸水泳が必ずしも平等とも言えない場合も考えられる。
すでに述べられているように、男性の場合、いわゆる の部分による水の抵抗が、
その大小によって大きく差が出てしまうことになるからだ。

今までは、粗 の方も巨 の方もそう違いはなかったが、被うものなければ、
それが大きければ大きいほど抵抗が大きくなり、競泳には不利になってしまう。
「巨 なら男としては勝ちなんだから、競泳は譲れ!」という平等理論もあるかも
しれないが、違和感がある。

さらに全裸になれば、レース開始直前に同性の他の選手の を視ることになり、
その筋の選手のそれはやむえず膨張せざるをえない。そうなれば水の抵抗がさらに大きく
なるばかりではなく、そういう嗜好を公共の電波を使って公開することになり、
心理的な負担となる。

したがって全裸水泳は、いわば余興として、それを視たい人のみへの提供目的で
行うべきであり、泳法も視たい部分がよく視えるように、背泳ぎのみでいいです。
よろしくお願いします。